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はてなキーワード:グランゼコールとは

2025-10-23

日本では経営者無能が最大の問題

Ⅰ.経営陣の能力問題:数値合理性への逃避と戦略的想像力の欠如

文章は「早期退職短期的に財務合理性もつ」と冷静に記述しているが、ここには経営自身戦略的無能さが覆い隠されている。

本来経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業経営層は次のような欠陥を露呈している。

人的資本費用項目としてしか見ない会計視野の狭さ

 ベテラン社員賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質理解していない証拠である

 欧米成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業経営陣はこの非定量価値可視化する能力を欠いている。

戦略なき模倣制度依存体質

 経営層は、バランスシート改善株主監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力市場定義に向けた構想力を欠く。

 結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止制度運用に過ぎない。

トップ層の実務経験希薄

 近年の大企業では、財務法務経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場専門性評価する基準存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。

 要するに、経営知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである

Ⅱ.エリート教育評価問題選抜の歪みと再生産される知的貧困

文章フランスアメリカの「複線型フラット型」モデル理想的に描くが、見落としているのはエリート教育のもの構造的欠陥である

すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。

日本エリート層の“統治教育”の欠如

 フランスグランゼコール米国MBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。

 一方、日本エリート教育は、東大慶應一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システム批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。

人事評価の同質性バイアス

 エリート層が自らと同じ価値観・履歴学歴官僚行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。

 その結果、制度疲労是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。

 実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化依存しているため、制度けが輸入され、文化が輸入されない。

教育の成果と倫理の断絶

 日本エリート教育は“効率管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。

 したがって、経営陣が「合理的リストラ」を実施するとき、それが組織文化破壊技能伝承の断絶・心理的安全性喪失を招くという倫理コスト認識できない。

 ここにこそ、教育経営が切断された社会知的破綻がある。

Ⅲ. 総括:制度問題ではなく、思考問題

このレポート制度構造年功序列賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題制度運用する人間知的劣化である

経営陣が「制度依存し、制度批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革形骸化する。

持続可能雇用制度の前提は、「持続可能思考」を行う人材層の育成である

それは、教育採用評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理公共性評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。

anond:20251021122840

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2025-10-21

50代の早期退職能力不足が原因ではない?

日本型雇用制度構造課題と持続可能な人事戦略への転換

序論:中高年社員雇用危機とその構造的背景

日本代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度根本課題に対する処方箋提示することを目的とする。

この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックス存在する。

この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。

1.早期退職優遇制度経済的合理性限界

持続的なリストラのサイクルは、経営非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深経済的ロジックの症状である。中高年社員早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。

問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。

この報酬と貢献の危険乖離は、労働経済学の「レイザー法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金社員キャリアを二つのフェーズに分断する。

この報酬と貢献のデカプリングこそが、早期退職を促す構造の核心である壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務ロジックがここに成立する。

1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である

2.雇用継続コスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。

3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的わずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストしかない。この計算に基づけば、50歳で社員退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富人材の維持という長期的な視点犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。

しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本給与構造のものにメスを入れる必要がある。

2.日本給与構造実態平均値の罠と年功カーブ

日本賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有問題ではなく、日本の中堅・大企業共通する構造課題であることを論証する。

世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。

これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイム働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒正社員限定すれば、さら100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的年功序列であることを明確に示している。

では、この構造問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。

この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業限定されたものではなく、日本企業アーキテクチャに組み込まれシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである

3.海外賃金体系との比較フラット化された給与モデル

日本型雇用システム構造課題を克服するためには、国内常識に囚われず、海外先進的な雇用モデル比較分析することが極めて重要であるフランスアメリカの事例は、日本年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革方向性を明確に示唆している。

フランス賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。

アメリカ賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値位置する労働者場合賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。

フランスアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者賃金カーブ若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。

4.提言:持続可能な人事制度への移行プラン

これまでの分析で明らかになった構造課題解決するためには、小手先対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列賃金から、成果と役割に応じたフラット賃金体系への移行」である。本レポート提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。

この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業競争力従業員エンゲージメントを同時に向上させる、多面的メリットをもたらす。

この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能タレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。

結論:真の「雇用安定」の再定義に向けて

レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題根本原因は、個々の社員能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムのものにある。

この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題解決することはない。

真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代日本企業に課せられた最も重要戦略的責務である

Permalink |記事への反応(3) | 12:28

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2025-10-08

高市早苗をまともに批判することすらできない頭が悪いはてな民

全員がイーロンマスク大谷翔平のように働く必要はないが、上を目指したいなら相手はああい人達ワークライフバランスと言っていて勝てるのか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2612534

いくらなんでも批判するならもうちょいちゃん批判しろ

高市なんて穴だらけでいくらでもまともに批判できるんだから

高市早苗の演説該当部分の原文

私は今、嬉しいというよりも、本当にこれからが大変なことだ。皆様と一緒に力を合わせてやらなきゃいけないことが山ほどある。そう思っております

たくさんの政策、それもスピーディーに実行しなければいけないこと、たくさんございます。そして、皆様とともに、自民党をですね、もっと気合の入った明るい党にしていく。

多くの方の不安希望に変える党にしていく。そのための取り組みも必要です。

先ほど申し上げました通り、私は約束を守ります。全世代総力結集で、全員参加で頑張らなきゃ立て直せませんよ。

だって今人数少ないですし、もう全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます

私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いて、参ります

皆様にも、ぜひとも日本のために、また自民党を立て直すために、沢山沢山、それぞれの専門分野でお仕事をしていただきますよう心からお願いを申し上げます

引用yahooニュース

もう全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます

これの対象自民党所属国会議員、どれだけ拡大解釈しても全国の自民党であることはさすがにわかるよね?

田端youtube動画の内容

成功仕事での出世会社の売上が伸びるということなら(ワークライフバランスと言っている人は)成功しにくい。

プライベートを充実させたいとか有給をたくさん取りたいという人は)人生優先順位としてそういう人がいてもいいが、

そういう人と「とにかく俺はすべてを投げ出してでも仕事だけをやる」という人が勝負したら仕事でどっちが勝つかという、同じ能力ならたくさんやっている人が勝つ。

成功というのがどういうレベルかだけど、例えばスティーブ・ジョブズとかイーロン・マスクとか大谷翔平に「ワークライフバランスどうなっていますか?」って聞く?

それはワークとライフイコールじゃん

考え方としてはあっても良いけれど僕は違う。9割くらいの人はそこまで仕事に対して充実感とかやりがいを求めてなくて、ほどほどの給料が短い労働時間でもらえて、家族との時間趣味時間を過ごしたい。もちろんそれはそれで良いと思う。

全員がイーロン・マスク大谷翔平のように働く必要はないけど、仕事において上を目指したいならという条件が付くと、プロ野球選手になりたい、世界的な実業家になりたいなら相手はああいう連中ですよ?

引用田端大学投資学部

人気ブコメ

ごく一般的市民労使関係におけるワークライフバランス(および法律による労働者保護)の話をしてる時に、0.00001%以下の上澄みの話を持ち出しても仕方ないだろ。人間大谷に勝てなくても幸せになれるべきだ。

え?誰が「ごく一般的市民労使関係におけるワークライフバランス(および法律による労働者保護)の話」をしてるの?

この話題の元になった高市演説も、田端youtubeもそんな話してないよね?

勝手高市一般国民に向けて馬車馬のように働けワークライフバランスを捨てろって言ってるって解釈ちゃうの?

読解力0点だな。

大谷、バチくそ寝てるはずなんだがな。長時間寝てるからこそ一平がオンカジにハマったんだぞ。

え?大谷は寝るのが趣味で寝てると思ってるの?

ワークのパフォーマンス最大化のために睡眠の取り方とかを研究して、他にやることを犠牲にして睡眠とってるんだけど。

雇われの奴らがこんな事言ってるの面白すぎだろ。よっしゃ搾取しまくろうって笑ってる経営陣が目に浮かぶ

これはそう。Togetterのまとめられた内容に対する批評として正しい。

鞭を振るいたい人間常套句

これは一般論としては正しい。

ただし高市田端言及対象をそれぞれ限定しているので、この件に対する読解としては誤り。

そういうのは他人を巻き込み健康等を犠牲にするから規制必要なわけで。メジャーだってドーピング使って何が何でも力を付けるのは禁止されているし、一般人も長時間残業ドーピングで業績上げることは禁止されている

ドーピングの例は若干蛇足感と例としての適切さに疑問が残るが、前半の批判は今回の件に対する批判として正しい。

あくま限定した対象に言ったとしても、それが結果的には対象が広がっていくことに対する懸念というのは正当な批判

この人気コメ揚げ足取り感は何なんだろう。上を目指すならWLBとの両立は困難と言う主題自体を覆せる訳では無いから「そうだね」で終わる話な/国会議員国難時にWLBで5時上がりでも怒らんの(笑)俺ならキレる。

これは誤ったブコメに対する批判として正しい。

ただ田端言及しているようにWLBが二者択一というだけでなく、両方が混ざり合っている人もいるという点は留意必要

自分は頑張れると思う人たちの活力源になるならまあいいのだが、人のムチに使おうっていうのは頭悪い感じする

一般労働者に対して言っていたのであればいいが、言及対象そもそもWLBとかをあまり前提としないエリート層という点で誤り。

別にこの人らも少しは出世したいくらいの人に大谷くらいやれなんて言わないでしょ。どこまでも上を目指すならやるしかないよと、ごく単純なことを言ってる。どこが自分に丁度いいか、だね…俺はもう休みたいが…

はい、その通り。普通の読解力があればこの感想になる。

イーロンマスクの稼ぎからみたら、社畜無職も誤差だよ

盤外から議論をぶっ壊すパワー系。

話の腰に日大タックルをし続けるヤベーやつ。

好き。

仕事において上を目指したいなら』という条件が付くならって言ってんのにそれが読めなく、かつ、楽して年取って何も残ってない人達w一般的市民労使関係におけるワークライフバランスの話なんか誰もしてねーよw

トップブコメへの批判かな?その通り。

その他、適切なブコメ

雇用契約で稼いでる人たちは関係ないと言うべき。

端的で最も適切な批判だと思います

佐々木亮弁護士記事で知った高市総裁選公約労働時間規制につき、心身の健康維持と従業者選択を前提に緩和します」

はい、こういった事情と絡めて対象範囲が拡大される可能性について批判的に言及するのが正しいです。

出世するためにWLBを壊そう」などと考えてる時点でダメで、成功する人は当たり前のように楽しんでそれをやってるので、無理してやってる時点で勝てないよね。向いてないことをやるもんではない

はい、そのケースが多いと思います。ワークとライフが混ざってる人たちです。

ワーク=ライフ(生活)な人もいる。でもライフ(生命)を削らなきゃハードに働けない人は休んだ方がいい。殆どの人にWLBは絶対必要なのでトップ層は自身の影響力も考えて振る舞うべきだし、他者強制するのは純粋悪。

はい、その通りかと思います一般人からすればライフ犠牲にしているなって思うトップ層のほとんどは、自分ライフ犠牲にしているとは考えていないワークとライフが混ざっている人たちです。

からこそ一部経営者などにはそれを一般的なWLBを守りたい人にも拡大しようとすることが問題です。

日本には制度としてのエリート(仏のグランゼコールのような)がないので「高度人材裁量労働制」みたいな事をやろうとすると、適用対象がなし崩しに拡大してしまう。明確なエリートコースを導入する覚悟があるなら

これは確かに今回の見えざる問題点の一つ。

WLBどうだってええねんという層に言っているはずが、俺達のような一般人がわーわー言うのはこの棲み分けがないからという側面がある。

Permalink |記事への反応(3) | 09:50

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2024-02-27

anond:20221211131352

フランス政治家官僚国営企業幹部はみんな複数グランゼコール出てるよ

Permalink |記事への反応(0) | 09:58

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2023-10-02

やばいのは日本だけ

やばいのは日本だけ。

中国未来がある。

アメリカもZ世代希望が持てる。

フランスはまだまだグランゼコール出身者が頑張れる。

イタリアブランド文化遺産で安泰。

スウェーデンノルウェーデンマーク過去現在未来も素晴らしい国。

ベネルクスも手堅く安泰。

イギリス日本よりマシ。

東南アジア南アジアアフリカ新興国には未来しかない。

ロシア紛争さえ終われば元々の国力がずば抜けてるのでなんとかなる。

日本けがやばい

人なし、教育なし、文化なし、経済力なし、軍事力なし。

そろそろ目を覚ませよ。

日本脱出して生きていける奴らは頑張れ。

そうでない女性は頑張って欧米中国の男を捕まえて移住しろ

男の場合外国人女性を捕まえるのは不可能なので、脱出できないならせめて今から自給自足生活して「足ることを知る」ことを目指せ。

Permalink |記事への反応(2) | 21:05

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2023-09-29

anond:20230929191731

今どきの大学は厳しいので、単位落としても泣き落としも効かないし、

→その通り。そもそも多くの大学では不合格だった教員に直接問い合わせることそのもの禁止されているほか、出席認定などに関しては事務所が扱っており、泣きつかれた教員が事後にどうにかすることもできない。

10年前でもそもそも真面目に通って授業受けて学費のためにバイトもしてるような学生ばかりだったよ

10年前であれば既に多くの大学改革が行われたあと。ただ、現在でも学部によっては文科省単位認定や出席認定に関する通達を守っていないところは多い。肌感でいえば「看板学部」と言われているところに一発逆転組が多く、出席に関しても甘い印象がある(繰り返すけどこれは完全に個人的な印象)。

私の在学していた大学は少人数制教育に力を入れているため出席せずに学外活動ばかりして卒業不可能だった。

大学出てないか、さぞや名のあるFランとお見受けする

大正初期まで大学ではなく高等商業学校であったため、確かに大学と看做さな人間もいる。

大学とは名ばかりの就活予備校化してる底辺私立廃止には賛成するけど

→むしろ就活予備校」としての側面を前面に押し出しグランゼコールモデルとしたような学校設立することが有意義かと思っている。

Permalink |記事への反応(1) | 19:33

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2023-09-26

anond:20230925235900

専門学校東大版というかグランゼコール東大以上のスーパーエリートだろ。

Permalink |記事への反応(0) | 07:42

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2023-04-27

anond:20230426212248

グランゼコール入ってENA行って向こうの官僚としてトップまでのし上がりたいわ

息子をサルコジみたいにしたい

んで国連を内側から動かしたい

Permalink |記事への反応(0) | 23:16

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2022-12-12

anond:20221212210148

ごめん。俺リセからグランゼコール行ったか大学行ってないわ

Permalink |記事への反応(0) | 21:04

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2022-12-11

anond:20221211131156

グランゼコール受験を繰り返す美人

Permalink |記事への反応(1) | 13:13

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2022-09-28

anond:20220928234033

イスラエルキブツ日本SAPIX浜学園鉄緑会・国立筑波大付属駒場ミックスしたような育児施設を建立できないかなぁ。

実現すれば、アメリカギフテッド養育施設中国孔子学院フランスグランゼコールビックリの実力者が次々と出てくるよ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:44

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2021-12-16

anond:20211215104753

よくわからんけど、「師範学校」って言う単語はいわゆる戦前の初等教員養成機関としての師範学校専売特許ではないと思うよ。

日本でも高等師範学校とか普通師範学校範疇から見たら「何してるのかわかってない人が名付けてる」と言われてもおかしくないレベル乖離してたじゃん。

フランスグランゼコールの方の名前訳語にも使われてしまっているわけで、これは温泉むすめの人たちだけの問題にできるものでもないと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 09:54

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2021-09-21

anond:20210921200903

日本人パンピオクトーバーフェストの出し物で、情熱の赤いドレスフラメンコカスタネットかちかち鳴らしながら出てくるのかと期待しちゃう

そのくせビールじゃがいもソーセージをほおばりながら。

何か村娘とアコーディオンおっさんが出てきて、違うじゃねえか!って逆ギレするのが日本パンピ

コロッセオグランゼコールギムナジウムプラザトロスの区別ついてない。

やべーやつはヒトラームッソリーニとペタンフランコが同一人物だと思ってる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:22

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2018-12-03

ノーベル賞受賞者を多数輩出する「中央ヨーロッパ大学

こんな記事がありまして

https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/01/ceu-tsuihou_a_23606239/

ノーベル賞受賞者17人を輩出しているハンガリーの名門私立大学大学中央ヨーロッパ大学(CEU)は、12月1日ハンガリー政府との合意に達せず、講座の大部分を新設するウィーンキャンパス移転することが決まった。」

とのこと。(多分修正されるだろうから確認した期日を記載しておく:2018年12月3日0時です)

主な内容としては、ハンガリー政府ジェンダー研究禁止し、それに反発した「中央ヨーロッパ大学」がウィーンに全面移転するとのこと。ものすごいニュースだ。そんなすごい大学が、大学機能国外移転ちゃうなんて。しかもそんな大学知らないぞ。

ノーベル賞受賞者17人を輩出、って言ったら大変なものだ。日本なら東大が8人、京大が7人、とかのやつだ。この両校を合わせたよりも多いのか!さすが欧州だ。ロシアとかもすごいしね。東欧には知らない超有名校があったのか。。。

世界大学のそれぞれのノーベル賞受賞者輩出人数とか、真面目に調べたことはなくって、今回初めてこのページを確認してみた。

http://karapaia.com/archives/52158723.html

怪しげなページとは言ってもカラパイアだ。20%くらいは信用できる。

これによると、2014年でこの辺のレベルノーベル賞受賞者数の大学っていうと、

14人:エコール・ノルマルヴュルツブルク大学フランクフルト大学

15人:UCLA、ウプサラ大学ウィーン大学

16人:ライデン大学インペリアルカレッジロンドン

17人:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス

18人:エディンバラ大学

19人:ウィスコンシン大学マディソン校、フライブルク大学

20人:ミュンヘン工科大学ミシガン大学、UCSD

一般的にはなんとも感想を言いづらいようなメンツだけれど、知識レベルイラつく感じで高いようなはてなユーザには親和性の高い(偏見欧州の古風な大学(とかグランゼコール)と、アメリカの若々しい大学が混じっていることに気づくだろう。端的に言って超有名校だらけで、東大京大の2倍以上のノーベル賞受賞者を輩出していると聞いてもおかしくは無い。

この人数レベル比肩する大学、「中央ヨーロッパ大学だって???驚きである

まあ、自分なりには見当が付いていて、多分以下の記事中「ノーベル賞受賞者17人を含む500人以上の著名学者がCEUへの支持を表明」を、間違えて捉えたのだと思われる。

https://jp.reuters.com/article/hungary-soros-legislation-idJPKBN17D0M3

ノーベル賞受賞者17人が支持」と「ノーベル賞受賞者17人を輩出」では、多分アカデミアコミュニティが読んだ時の権威づけレベルが大きく違ってしまう。気をつけてもらいたいものだ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:05

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2018-08-05

東京医大入試問題

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20180805-OYT1T50003.html

お前らは本当にアホだ。問題を切り分けよ。

  1. まず、自らの大学に有利に政治を動かすための所轄官庁高級官僚子弟裏口入学、これは古今東西どう見ても悪だ。これが平安時代に起こったとしても悪だろう。絶対悪。ここをまず集中的に叩け。
  2. 次に女性差別問題。これは医療現場考慮したもので、時代的側面(要するに決めた人が超年寄り)もあり、絶対悪とは言いづらい。厚労省現場問題にきちんと対処できていない状況で、東京医大のみによる対応には限度があるところが多分にある(医療現場厚労省医学部入試文科省とかそう言う縦割り問題もあったりするしな・・・)。これを決めた人間たちは実際に患者を診ている人間たちだと思われる。その考えが正しいかどうかはともかく、医療現場を維持できない、目の前のこの患者さんに医療提供できなくなるかもしれないと切実に考えたために女性排除結論に至ったとして、間違いだとは指摘できるだろうが、悪意によるものだと糾弾するのはどうなのか?とは言え女性差別はやはり現代において、そして今後将来にわたって悪とみなすべきであろう。この問題を機に、男女の性別に関わらず医師活躍でき、かつ現状の医療を維持できる体制模索するようにしていけば良い。絶対悪として叩くと、反発する者もいるだろう。時代の変化であり、仕方のない面もあったがしか女性の権利を侵害したのは悪いことだったのだと、ゆっくりとことを進めていくべきだ。
  3. 最後浪人生問題。これは悪かね?例えば仏グランゼコール一浪までしか許されない上、浪人は減点される。グランゼコールエリート養成校だ。実際そうかどうかはともかく、日本医師自分たちエリートであり社会に貢献していると思っている。現役なら3浪と比べて3年余計に社会に貢献できる。そもそも現役生と、それより3年余計に勉強した人間が、試験合格点が同じと言うのはそれはそれで本当に公正なのかはわからない。3年余計に勉強したんだから同じ潜在能力値なら10点くらい余計に取れるだろう。それくらいの判断はしたって良いのでは?問題のある学生を取ってしまったら学校責任なのだし。

1は絶対悪だ、忘れるな。なんかすでに忘れ始めてるぞ。

2は慎重に行かないと、騒ぐだけ騒いで結局各地の医学部は隠れて女性差別を続けるぞ。本質的議論に移行しよう。すなわち医療現場女性が働きづらいのがよくないのだ。ちなみにこれは、看護師女性が多い)が女医いじめやすいとかも含めての問題である

3は本当に悪なのかね?事前告知をしていけばいいのではないか。年齢について完全に公平性担保すると、例えば医学部卒業時に定年の年齢を超えている者も現れうる。ブコメに「医者に定年はない」とか勘違いしているアホがいたが、大学病院や市中中核病院には通常定年がある。そのような医学部卒業生は、どこで研修をすればいいのだ?医者になるのに必要な年限は医学部の6年だけではない、さら研修期間の4年でようやく一人前になるための第一歩、と言うくらいなのださらに以前はほぼ全員が、そこから大学院に入って4年だよ。ここは事情が変わりつつあるけど、どう変わってるかと言うと専門医を取るためにまた修行、って言う風に変わった。3浪と言う年数はともかく、多浪と言う一般について、医学部入学を認めるかどうかに関する検討要素になることを否定することはおかしいのではないか

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2018-07-25

anond:20180725160741

こういうブコメがあった。

バカロレアの哲学問題に比べれば、日本は青少年を子供扱い。 - ko2inte8cuのコメント / はてなブックマーク

フランス(って書いてないけど、「バカロレア哲学問題」って言ってるから、それが毎年話題になるフランスのことだと思う)の文系バカロレア「bac-L」は、「誰でも受かる」ことで有名です。確かに問題のものは難しいかも知れないが、採点基準はとても甘いのでしょう。そう言う意味では確かに大人なのかも知れないけどね。比較に出すのはどうかなぁ。

フランスから帰国後しばらく経つ私であるが、久々に調べてみよ、と思った。

今年のbac-L哲学問題は以下の通りだったようです。翻訳は私訳です。ますだにフランス語が堪能な人がいるとは思うけどそんなに多くはないとは思うけど、ファクトとの対照という意味で、原文併記しておきます

(参照:BAC 2018 SÉRIE L SUJET ET CORRIGÉ PHILOSOPHIE

  1. 文化は我々をより人間的にするか?(La culture nous rend-elle plus humain?)
  2. 我々は真実を諦めることができるか?(Peut-on renoncer àla vérité?)
  3. 次の文章説明せよ(Expliquerle texte suivant)

Souvent nousne savonspas ce que nous souhaitons ou ce que nous craignons. Nous pouvons caresserun souhait pendantdesannées entières, sans nous l’avouer, sans même en prendre clairement conscience; c’est que l’intellect n’en doitrien savoir, c’est qu’une révélation noussembledangereuse pour notre amour-propre, pourla bonne opinion que nous tenons à avoir de nous-mêmes; mais quand ce souhait vient àse réaliser, notre propre joie nous apprend, non sans nous causerune certaineconfusion, que nous appelions cet événement de tous nos vœux; telestle cas dela mort d’un procheparentdont nous héritons.

Et quantà ce que nous craignons, nousnele savons souventpas, parceque nous n’avonspaslecourage d’en prendre clairement conscience. Souvent même nous nous trompons entièrement surle motif véritable de notreaction ou de notre abstention, jusqu’à ce qu’un hasard nous dévoilelemystère. Nous apprenons alors que nous nous étions mépris surle motif véritable, que nous n’osionspas nous l’avouer, parcequ’ilne répondait nullement àla bonne opinion que nous avons de nous-mêmes. Ainsi, nous nous abstenons d’une certaineaction, pourdes raisons purement morales à notre avis;mais après coup nous apprenons quela peurseule nous retenait, puisque,une fois toutdanger disparu, nous commettons cetteaction.

SCHOPENHAUER,Le monde comme volonet comme représentation,1818.

3問目は長くて訳すの大変なのでご容赦ください。ショーペンハウエルみたいです。日本センター試験ショーペンハウエル文章のものが出るか、と言うと、出ることもあるかも知れませんが、まあ出ても4択問題だと思うので、確かに問題は難しいですね。

さて、確かにある意味難しい、難しいが、しかしこの試験は誰でも受かる。つまりちょっとウケ狙いなところがあることが否めません。多分これは「太陽は西から昇るか東から昇るか」と言う試験にしたとしても、おそらく受験者の点数分布は変わらないと考えられます。どうせ誰でも受かると言う状況下にある場合問題文そのもの難易度意味があるのかどうか不定になる、と言うある意味哲学的問いかけなのかも知れん。。。

いずれにせよそう言う試験な訳で、フランス人は誰もがこう言うレベルにある、と言うのはちょっと。そうは思えません。比較に出すのはちょっと間違いだと思います

ところでフランスではバカロレアセンター試験みたいなもので、一般大学はこれ以外に試験はありません。しかし一部のエリート希望の人は、準備学級を2年こなした上で、グランゼコール受験します。グランゼコール哲学は、本気で解くことを要求されます。こう言うとき問題難易度について論じる意味が出てくるのだと考えれます

グランゼコールの一つ、高等師範学校2015年入学試験は「説明せよ(Expliquer)」。この一問だけで、試験時間は6時間だったとのこと。

まあ、なんと言うか、ここまでくるとねぇ。

Permalink |記事への反応(1) | 23:48

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2009-11-12

練習:諦観の勧め

たとえば「階層」や「階級」のある社会では、物心ついてすぐに「自分は彼、彼女のような人生は決して手に入らない」と分かる。そしてその時点で一定の職業や生活については諦めざるを得ない。

べつに人生全部を諦めて絶望する必要はない。しかし一定の年齢で、たとえばイギリスフランスに生まれていれば小学校の終わりくらいで、「自分にはオックスブリッジグランゼコールに言って、エリートキャリアを手に入れて、高給が約束された職業を得るのは無理だ」とわかる。

韓国みたいに財閥富豪家族が結構いる貧富の格差が激しい国も同じでしょ。インドでも法律で禁止されているとはいえ、国内で生きる限りカーストはまだ大きく影響していそう。中国だって同じ上海に生まれた子供でも、上海戸籍があるかどうかで人生は大きく分かれている。

でも日本だと、小学校中学校クラスの中で、「○○君には可能な人生だろうが、俺には無縁だな」と思うことって少ないんじゃないかな。子供貧困率は15%前後らしいから、反対に言えば85%は人生において何かを諦めたりはしていない。

階層」や「階級」のある社会では、物心ついてすぐに「自分は彼、彼女のような人生は決して手に入らない」と分かるのだが、ある時期にさしかかるとレールの切り替えは一応できる。今回はそんな他愛のないお話をどうぞ。

夢を諦めるのはいつ?

賢い大人が私の周りで「諦観」を勧めてきた。いはく、「早々と諦めなさい」ということである。

しかし諦めるにはきっかけがいる。文章を書くことが好きだった私は通算二度の「諦観」を得る。一つは就職をすればネットで文章を晒せるよと言う「諦観」であり、もう一つは就職が難しいなら文章で食べればいいじゃない――という一つ目の「諦観」である(こちらはお世辞にもいいとはいえないと思う)。このように「諦観」や「諦め」とはきっかけがなければ手放せない。バスケットボール選手になりたかった人が今では小学校コーチを行っているというのも一つの「諦観」ではないだろうか?

賢い大人というのは「諦観」の手順を教えてくる。愚かな大人は「諦めなさい」という。私の周りにはおおよそ二種類いたように思う。賢くても打開策が何であるか教えられない人もいた。その中で「文筆」や「作曲」や「絵描き」の三つは何も「職業」に直結する必要はないなあと思うのが「諦め」である。結局、どんな大人たちも素早く選択肢を広げられるように、「夢の代替手段」を説いていたように思う。そのために「勉強しなさい。資格を取りなさい」などなどなど。

**でなければならない、という人はしばしば視野狭窄に陥っている。確かに、高収入を得られる人々も限られている。しかしながら、高収入を得られないからといって低学歴に甘んじてしまうのは選択肢を狭める結果にしかならない。要するに、お勉強はした方がいいわけであるし、活動もやった方がいいし、訓練も積むべきである。それらの資産をある程度蓄えた段階で次のステップに「高収入は無理だけれど、やりたいことをカバーできる選択肢模索する」ということは十二分に可能である。常に、第二希望、第三希望を用意するために「早めに諦めた方がいい」というのは納得出来る。夢を諦めるのはそれらの希望が増えたという時期のことだろう。金銭を重視するか、中身を重視するか、人間を重視するかによって早々に初期希望から乗り換えなさいと言うことか。無理だと分かって打ちひしがれたときに対処しては遅い。

以下私事

……やってみたけれど、中身はこんなところだと思う。無駄に大人の言葉を長くした感じ。

私用と大して変わらないのはお許し下さい。この程度の能力しか有さないので精進します。

Permalink |記事への反応(0) | 02:28

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2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編(渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

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