
はてなキーワード:クルマとは
で、あなたの言う「適密(都雇圏50〜110万人)中心・地価最高点徒歩4分内」は、その“徒歩オンリー最善解”を現実運用できる設計だと思う。
百貨店・個人店群が4分、総合美術館・イベント会場・大病院が10分、4分圏500店/9分圏1000店クラスの機能密度が揃えば、日常移動は徒歩だけで完結する。価格レンジもあなたの前提(例:70㎡で約4,000万円クラス)なら、「毎日クルマに乗る構造」より“外部性コスト”が桁で軽い。
https://laylo.com/laylo-nwadnxv/gOBKXOX0
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増田さん、そのロジックは通るよ。「他人に与える致死リスクを最小にしたい」が判断軸なら——
で、あなたの言う「適密(都雇圏50〜110万人)中心・地価最高点徒歩4分内」は、その“徒歩オンリー最善解”を現実運用できる設計だと思う。
百貨店・個人店群が4分、総合美術館・イベント会場・大病院が10分、4分圏500店/9分圏1000店クラスの機能密度が揃えば、日常移動は徒歩だけで完結する。価格レンジもあなたの前提(例:70㎡で約4,000万円クラス)なら、「毎日クルマに乗る構造」より“外部性コスト”が桁で軽い。
ただし、現地でほんとうに“徒歩完結”かを見極めるチェックはやっとこう:
ここまで満たせば、あなたの主張どおり「過密に住んで鉄道や車に“毎日”乗る」構造より、“適密×徒歩オンリー”の方が倫理的にクリーン。
一方で、鉄道は無罪ではないけれど、同じ距離で比較すれば自動車より桁で小さいのは事実。
“住む場所を先に最適化”して徒歩項を極大化。——これが2020年代の正解ムーブだと思う。
サントリー:熊襲発言やら桜を見る会やら嫌いになる要素が多すぎる
森永:ヒ素ミルク事件の経緯がクソすぎて企業として信頼できない
それから十数年経ってもずっと欲しかった(2代目コペンの存在は記憶から消しました、初代に寄せたセロもあとから出たけどなんかフォルムが違うんだよなぁ)
免許を取ってすぐ状態の良さそうな中古車を探し始めてようやく見つけた1台に試乗しに岐阜まで旅行した
しかし、残念なことに縦にも横にも大きく育ってしまった私はコペンにフィットすることはなく泣く泣く諦めた
岐阜行く前に先に乗っておけよって話だが
そんなコペン、次は軽じゃなくて普通車になるらしいじゃないですか!?
しかも「は?」ってなった2代目ではなく初代のあの可愛らしいスタイルを踏襲しているなんて理想的すぎる
ついでにFRになるらしいけど、正直そこはあまり良くわからん、ただCVTじゃなくて6速ATっぽいのは嬉しい
とりあえずロードスターくらいの大きさだろうと友人のロードスターを借りてみてサイズ確認したが、コペンを探していた当時からいろいろあり横幅が減ったことでなんとか乗ることができた
俺を止めるものは何もない
買うぞ、俺は買うぞ
結婚相談所で1年半ほど活動し結婚、4年ちょっと経過して現在に至る
婚活の記録
機会がありこの前日光金谷ホテル行けたぜ!納得した!
あと色々ありヒルトンアメックス民になったのでマーブルラウンジとか行きたい
車
いいクルマ乗りたいっすなぁ。走りのいいクルマ。残クレアルファードが羨ましい
こちとら銀行ローンシエンタだよ。そういえば電パ付いたんだって?羨ましい…
今はボルボのXC40に乗りたいが維持費が気になる
家
なお出社になったもよう
ギリギリ通える所にしといてよかった
来年から幼稚園なんだが、案外定員ギリギリな事がわかった。マジで!?あぶれたらどうなっちゃうの
あと親バカには絶対ならんぞと思ってたんだが、めっちゃ喋るのが早く
内心天才なのでは…?と思ってたら、人の話をまったく聞いておらず特に賢いわけではないという事がわかってきた
3歳を目前に早くもおしゃべり大魔人になってるんだが、まぁご覧の通り話の長い増田の子なので、残念ながら当然と言えるのかもしれない
アニメとゲームが趣味だった人間が、今は車と金の事を考えているので人生は確実に変わる!
しかし金の事は前からずっと考えているので変わらない事もあるな
最近よく思うんだが
結局私もあなたも人生には再現性なんてものはなく、そこからアドバイスや教訓的なものを見出すのはなかなか難しいんだよなぁ
回数をひたすらこなす(優先度S)
そうは言うても結構消耗するんだよね
まぁ興味があるなら一回やってみるのもいいんじゃないかと思うが
個人的には、元々社交的ではないのでシンプルに知らん人と話せたのが良かった
世の中マジで信じられないくらい失礼な態度とれる人もいるって知ることもできたし
最近良く考えるのは、娘がいなかったら今すぐミニコンバーチブル(先代の後期)に乗り換えるんだけどなぁという事
しかし結婚して子がいないと車にも目覚めなかったと思うので、因果が崩壊してて笑える
2台持ちできるほどの甲斐性はない。頑張れば1台目で乗れなくはないが、さすがに荷物が厳しだろうと思う程度の理性がまだギリギリ残ってる
悲しい銀行ローンシエンタだぜ〜まぁ言うて不足ない良いクルマなのがまた困る。乗り換える言い訳が立たん
後悔はない!
常にそれを追求しているのもあるが、今が幸せと決めるとそれが崩れるのが怖いみたいな天邪鬼な気持ち
ただ、人生支えるパートナーがほしくなり、その手段があるように思えたのでそうしたのだ
https://x.com/gpmtmtmmp/status/1972141262653608353?s=46
とりあえず読めたところだけ
今週交通事故を目撃した。
平日の午後、自分は近所の幹線道路を自転車で(ちょっと涼しくなってきたので)気分よく走っていた。
スーパーに買物に行こうという話でありおしゃれとかそう言うのは無縁な日常の一部としてそうしていた。この幹線道路は都心部のそれと比べれば大したことはないのだけど、北関東郊外都市の自分の地域的には、まぁ、広め。片側1.5車線で余裕がある感じ。最近自転車レーンも描いてもらったしね。
このエリアは文化的にはクルマモッテナイモノハヒトニアラズな地域なんだけど、自分は健康確保的な動機で持って片道3kmくらいの日常は自転車で移動するキャンペーン中なので上記のような状況だった。視界内には去りゆく自動車が2,3台。対向車もそれくらい。車間距離はガッツリ空いてて、まぁとにかく爽やかで穏やかな日だった。
やがて大きめの交差点(片側2車線の国道と交差する感じ)が近づいてきて、歩行者用の青信号は点滅中。まだたっぷり先(100mほど)だったので、自分は漕ぐのをやめて惰性で交差点に近づいて停止するつもりだった。別段急いでるわけじゃないし散歩気分だった。この時点で、交通事故とか全く頭になかった。国道側はそれなりに交通量あって赤信号が青になるのを待ってたけど、まあそれだって10台やそこらで渋滞ってほどでもないし、視界もいいし。
そうしたら、減速中の自分の後方から一台の自動車がそこそこの速度で追い抜いていった。電気自動車特有の加速もしてないけど減速もしてない、スムーズで滑らかで……なんというか、変な言葉だけど、すごいリラックスした速度?
だった。
その速度のまま、リラックスしたまま、なんの加減速もなく、まるでコンビニの店から午後の紅茶ミルクティーを取り出すような自然な様子で、赤信号の交差点に進行して、当たり前のように右から進んできていた国道側の車列につっこんで、けっこう間抜けな音を出しながらぐるぐると回転し、自分の目の前をブーメランのように跳ね飛ばされた。
めっちゃヒヤッとした。
なんでやねん。事故る要素ゼロやろ。平和な日常やろ。わけわからんわ。
なんだろなぁ、視界悪いとか、イライラして飛ばしてたとか、無理な運転してたとかじゃなく、ほんと。もう少し伏線とかフラグとかちゃんと作ってから事故って欲しい。
お前らコンサルがキラキラした目で語る「SDV化へのロードマップ」ってやつ、まあ綺麗だよな。「レベル1から始まって、ドメイン、ゾーン、最後は夢のセントラルコンピュータへ!」って、すごろくみたいで分かりやすい。プレゼン資料は美しいし、ロジックも通っているように見える。
だが最近、その綺麗なすごろくを見ていると、強烈なデジャブを感じるんだ。
ついこの間までヨーロッパ中が大合唱していた、「未来はEV一択だ!」という、あの狂騒曲にな。
ご存知の通り、その結果は今のEV失速と戦略の迷走だ。今日は、なぜ俺がお前らの語るSDVに、あの失敗したEV戦略と同じ匂いを感じるのか。そして、そのロードマップに隠された巨大な「崖」について、具体的かつ論理的に話そう。
まず前提として、EUのEV戦略は単なる技術選択の失敗じゃない。あれは、「"言葉"を定義することで現実を支配しようとする」という、ヨーロッパ伝統のイデオロギー戦略だ。「EVは善、エンジンは悪」というシンプルな二元論を作り出し、規制と補助金で市場を無理やりそちらに誘導しようとした。
この手法のキモは、現実の複雑さを無視し、自分たちに都合のいい単一のシナリオを唯一の「正解」として提示することにある。世界には多様なエネルギー事情があり、多様な顧客ニーズがあるという現実から目を背け、「EV」という言葉の神輿を担いだわけだ。
そして、お前らが語る「SDV」も、これと全く同じ構造を持っている。
「セントラルコンピュータによる、ハードとソフトが完全分離したSDV」こそが唯一絶対のゴールだと定義し、そこに至る道を一本道で描いてみせる。
だが現実はどうだ? 安くて頑丈なクルマを求める市場もあれば、運転の楽しさを求める層もいる。そもそもソフトウェアのアップデートに価値を感じない顧客だっている。トヨタが声高に未来を語らず、EV、HV、水素、合成燃料と、あらゆる可能性に備える「マルチパスウェイ」を貫いているのはなぜか。それは彼らがイデオロギーではなく、複雑な「現実」と向き合っているからに他ならない。
お前らのSDVロードマップは、この時点でまず、現実の多様性を無視したイデオロギー的な欺瞞をはらんでいる。
その上で、仮にその単一シナリオ(理想のSDV)が正しいとして、なぜその実現が絶望的に困難なのかを説明しよう。ここで登場するのが、お前らも知ってる「コンウェイの法則」だ。
雑に言えば「システムの構造は、それを作る組織の構造とそっくりになる」という法則だ。今のクルマは、無数のECU(小さいコンピュータ)が複雑に絡み合った「分散型アーキテクチャ」だ。これは偶然そうなったわけじゃない。エンジンはA社、ブレーキはB社、ライトはC社と、各分野の専門サプライヤー(Tier1)が、ハードとソフトを一体ですり合わせて開発してきた。このクルマの構造は、日本の自動車産業が100年かけて作り上げてきた、この巨大なサプライチェーンという人間関係そのものなんだよ。
そして、この巨大な人間関係の構造は、組織と同じで少しずつしか変えられない。「連続的」な変化しか受け付けないんだ。一気に変えようとすれば、現場は崩壊し、これまで培ってきた価値は失われる。
この2つの法則を踏まえて、お前らのロードマップを評価しよう。
これはまだいい。既存のサプライヤーとの人間関係を維持したまま、ECUをいくつか統合し、役割を再編成する。「組織改編」レベルの話だ。現場は筋肉痛になるだろうが、これはまだ「連続的な変化」だ。実行可能性はある。
これは「組織改編」じゃない。「全従業員を一度解雇して、明日から全く別の人種と会社をゼロから作れ」と言っているに等しい。
なぜなら、クルマの作り方が「ハードウェア部品のすり合わせ」から「OS上のソフトウェア開発」へと、根本的に変わるからだ。これは、これまでパートナーだったハード中心のTier1の価値をほぼゼロにし、NVIDIAやGoogle、AWSといった、全く文化の違うITジャイアントと新しい関係をゼロから構築することを意味する。
この「崖」を飛び越えるという行為は、必然的に「大規模リストラ」を意味する。そして、そのリストラは、これまで俺たちがサプライヤーと共に築き上げてきた無形の資産、つまり「車載特有の品質ノウハウ」や「フェイルセーフの思想」といった、カネでは買えない価値(バリュー)を崖の下に投げ捨てる行為に他ならない。
俺たちの議論は、お前らの美しいパワポの上にはない。この血と汗にまみれた現実にある。
だから、お前らが本当に俺たちのパートナーだと言うのなら、答えるべき問いはこれだ。
この「崖」を越えることで失われる、既存サプライチェーンの無形資産(品質ノウハウ、信頼関係、暗黙知)は、金額換算でいくらだ?その減損を、どうやって、何で補填する計画なんだ?
「意識改革」みたいな精神論で逃げるな。どのTier1との関係をどう縮小・終了し、どのITベンダーと、どのような契約・開発体制で、何年かけて新しいエコシステムを構築するのか。その移行期間中のリスクとコスト(訴訟リスクや技術者流出を含む)を算出して見せろ。
この無謀なジャンプの途中で、開発が頓挫したり、大規模リコールが発生したりした場合、会社をどう守るんだ?そのための具体的な資金計画と、リスクヘッジのシナリオを提示しろ。
これらの問いに、具体的かつ定量的に答えられないのであれば、お前らの提案は、現場の現実を無視した無責任な空論であり、俺たちを崖から突き落とそうとする悪意の塊だ。
俺たちは、崖の向こうの楽園の絵が見たいんじゃない。
この記事は、クルマのニュースに乗った、「ホンダ斬新スポーツセダンとSUV」「新世代Hロゴ採用と巨大ディスプレイ」「中国のイエシリーズが話題」「反響多数」といった主張を、一次的事実関係に照らして検証し、どこが誤解を招くのかを指摘するものである。対象記事の出典は以下である。
https://kuruma-news.jp/photo/949010
実際の時系列と「名称」「販売」「展示」を切り分けると、対象記事の印象操作が見えてくる。
「イエ」はシリーズ呼称である一方、量販時の実車は「Honda S7(東風ホンダ)」「Honda P7(広汽ホンダ)」名義で販売されている。S7は2025/03/06に中国で発売、報道価格は259,900元から。P7は2025/04/15〜16頃に199,900〜249,900元で発売。量販フェーズでは「イエ」バッジを前面に出さず、Honda S7とP7として展開されている。対象記事はこの名称運用の違いを十分に説明していない。
GTは2025/04/23の上海ショーで「世界初公開」されたコンセプトが起点である。これを「5月に登場」などと書けば、読者は市販投入と誤解しかねない。公開と発売は異なる位相であり、「登場」という語で両者を曖昧化するのは典型的な見出しトリックである。
「話題」と「売れている」は別事象である。P7の月次は2025/05に98台、06に248台、07に263台、08に158台程度。S7は2025/05で22台程度の立ち上がりにとどまる。これで「反響多数」を強打しても、販売実績の裏づけは弱い。対象記事は、数字で裏づけを示さず印象だけを拡張している。
記事は「巨大ディスプレイ」を大見出し化しているが、注目のポイントは「遠焦点」含むシアター的体験のコンセプト性であり、実装の範囲、法規や市場別仕様、量販モデルでの採否は段階が異なる。そこを説明しないまま期待感だけを煽るのは不親切である。
新ロゴ採用それ自体は事実だが、ロゴ変更と商品力は別物である。意匠の刷新を技術や市場競争力の代理指標のように扱うのは、読者の理解を混乱させる。
対象記事は写真スライドを多用し、テキストを断片化している。見出しの「登場」や「反響多数」といった煽り語をページ送りに散らすことで、読者に「もう市販されて大人気」のような連想を起こさせる作りだ。写真カタログ式は視覚的には楽だが、時系列やモデル別の整理が崩れ、誤読を誘発しやすい。
中国市場は2024〜2025年にかけて価格競争と新陳代謝が極端に速い。日系JVはブランド再定義の只中にあり、立ち上がりの数字が厳しいのは広く報じられている。ここを削り、見出し語の「反響多数」で上書きすれば、読者は現実のハードモードを認識できない。市場背景を外した結果、記事は単なる話題寄せの販促的文言に堕している。
対象記事は、見出し語と写真スライドで「公開」と「市販」「話題」と「販売」を意図的に曖昧化し、読者に過大な期待を抱かせる作りである。シリーズ呼称と実車名義の違い、GTの段階、量販の現実を素通りして「反響多数」を繰り返すのは、情報提供として不誠実だ。読者は、見出しの快楽よりも、名称、時系列、数字という地味な事実の積み上げを優先すべきである。
この記事は、クルマのニュースに乗った、「ホンダ斬新スポーツセダンとSUV」「新世代Hロゴ採用と巨大ディスプレイ」「中国のイエシリーズが話題」「反響多数」といった主張を、一次的事実関係に照らして検証し、どこが誤解を招くのかを指摘するものである。対象記事の出典は以下である。
https://kuruma-news.jp/photo/949010
実際の時系列と「名称」「販売」「展示」を切り分けると、対象記事の印象操作が見えてくる。
「イエ」はシリーズ呼称である一方、量販時の実車は「Honda S7(東風ホンダ)」「Honda P7(広汽ホンダ)」名義で販売されている。S7は2025/03/06に中国で発売、報道価格は259,900元から。P7は2025/04/15〜16頃に199,900〜249,900元で発売。量販フェーズでは「イエ」バッジを前面に出さず、Honda S7とP7として展開されている。対象記事はこの名称運用の違いを十分に説明していない。
GTは2025/04/23の上海ショーで「世界初公開」されたコンセプトが起点である。これを「5月に登場」などと書けば、読者は市販投入と誤解しかねない。公開と発売は異なる位相であり、「登場」という語で両者を曖昧化するのは典型的な見出しトリックである。
「話題」と「売れている」は別事象である。P7の月次は2025/05に98台、06に248台、07に263台、08に158台程度。S7は2025/05で22台程度の立ち上がりにとどまる。これで「反響多数」を強打しても、販売実績の裏づけは弱い。対象記事は、数字で裏づけを示さず印象だけを拡張している。
記事は「巨大ディスプレイ」を大見出し化しているが、注目のポイントは「遠焦点」含むシアター的体験のコンセプト性であり、実装の範囲、法規や市場別仕様、量販モデルでの採否は段階が異なる。そこを説明しないまま期待感だけを煽るのは不親切である。
新ロゴ採用それ自体は事実だが、ロゴ変更と商品力は別物である。意匠の刷新を技術や市場競争力の代理指標のように扱うのは、読者の理解を混乱させる。
対象記事は写真スライドを多用し、テキストを断片化している。見出しの「登場」や「反響多数」といった煽り語をページ送りに散らすことで、読者に「もう市販されて大人気」のような連想を起こさせる作りだ。写真カタログ式は視覚的には楽だが、時系列やモデル別の整理が崩れ、誤読を誘発しやすい。
中国市場は2024〜2025年にかけて価格競争と新陳代謝が極端に速い。日系JVはブランド再定義の只中にあり、立ち上がりの数字が厳しいのは広く報じられている。ここを削り、見出し語の「反響多数」で上書きすれば、読者は現実のハードモードを認識できない。市場背景を外した結果、記事は単なる話題寄せの販促的文言に堕している。
対象記事は、見出し語と写真スライドで「公開」と「市販」「話題」と「販売」を意図的に曖昧化し、読者に過大な期待を抱かせる作りである。シリーズ呼称と実車名義の違い、GTの段階、量販の現実を素通りして「反響多数」を繰り返すのは、情報提供として不誠実だ。読者は、見出しの快楽よりも、名称、時系列、数字という地味な事実の積み上げを優先すべきである。