
はてなキーワード:クコとは
普通のコーヒーにコピ・ルアクと名前が付いているだけで値段が20倍以上に跳ね上がる。
そのため偽物が横行しており高い金を払って手に入れても本物である確信は持てない。
科学的な鑑定方法は存在するらしいが実験室レベルの話であり、一般に流通するコピ・ルアクは鑑定などされていない。
好みの問題ではなく専門家のテイスティングで一貫して低評価を付けられている。
筆者も2回ほど飲んだことがあるが酸味が無く、挽いてから数か月放置したような古臭い匂いで不味いと感じた。
伝統的なコピ・ルアクの作り方は、野生のジャコウネコがコーヒーを食べ、山の中に捨てた糞から現地の農民が未消化の豆を探し出すという物だ。
こんな作り方では商業規模の輸出ができないため、現地の工場ではジャコウネコを劣悪な環境のケージに入れコーヒーチェリーだけを強制的に食わせて"生産"している。
ジャコウネコにとってコーヒーは主食ではないため、すぐに栄養失調になり衛生環境も悪く死亡率は極めて高い。
動物虐待以外の何物でもない。
以上の事は先進国では常識の事となっており、コピ・ルアクは誰も買わないしまともな店は取り扱わなくなっている。
日本は英語が読める人がほぼいないため最新の情報が入ってこずいまだに騙されている人が多い。
ChatGPTちゃんに
プロデューサーでもあり美食家の秋元康さんことやすすが初めてビリヤニを食べてその味に感動して
DJおみそしるとMJごはんさんの手法に則ってビリヤニ作り数え歌を作ってその曲名がビリヤニになった直球曲?って尋ねたら、
それは絶対ない!違う!と、
こればっかりは肯定的に乗っかってくれないハッキリとものを言うChatGPTちゃんにジワジワくるわ。
ねえAがいい?それともBがいい?って尋ねるとだいたいは
「うーん、AもいいですがBもいいですな!」って
どっちつかずなこと言いがちな感じのChatGPTちゃんだったけど、
この曲名ビリヤニがビリヤニ作り数え歌の可能性は?ってことに関してはスバリ可能性はゼロです!って言うのよね。
なんかこれ相当ビリヤニ界隈盛り上がっているんじゃないかしら?って思う反面、
交差する運命をスパイスが絡み合って美味しく仕上がったビリヤニに例えている恋愛模様を歌っているのか?
それとも、
初恋の人の香りがもう別れてしまったけどふと立ち寄ったインドレストランで食べたビリヤニの香りで思い出す初恋思い出しソングなのか?
安直に複雑に絡み合う何かの人の人生だとか恋模様だとかをスパイスになぞらえて比喩しているとしても
これ安直じゃない?
やすすはそんなことするのかしら?
って私はもちろんやすすのことを何一つ知らないし、
坂ごとでコンセプトが違うって言うし、
坂同士の移籍とかもないって言うじゃない。
やすすが坂メンバーのメンタルが落ち込んでいるときに屋上でアイスクリームを一緒に食べることも絶対にないってChatGPTちゃんそう言っていたわ。
それに私ほとんど言うか坂界隈のことは知らなかったので、
総勢何人いんのよ?ってのもあるじゃない。
これ熱心なファンの人はエクセルでメンバーの今日どの番組に出る!ってかそう言うのを記している人もきっといそうじゃない?
私はそんなビックコンテンツに今から取りかかることができないわ。
あまりにも乃木坂46ってそういういわゆる坂系ってコンテンツ覆いすぎるわ!
そんで、
でもさビリヤニって曲は聴いてみたいじゃない?
インターネッツで調べたら、
全く私の未知の領域に曲1つだけなのにそんなに種類バージョンエディションあんの?って腰を抜かしてしまったわ。
SKU46!って
そのぐらい冗談抜きで
種類が多かったので
よく分からないから配信で1曲でたらこっそり買ってみると目論んでいるところよ。
「ビリヤニ」って曲名を掲げていて40枚目のシングルって結構節目じゃないの?
そこでビリヤニってやっぱりこれハードル上げすぎなんじゃない?
これが例えビリヤニ作り数え歌だったら?
乃木坂のメンバーがビリヤニ屋さんを開店のオープンするってそっちに舵を切っていったら?
もうとにかくビリヤニのことで頭がいっぱいよ。
なんか急に最近ビリヤニのランチの発注が多くてどうしたんだろう?って首をかしげているかもしれないわ。
インド系楽器やインドネパール辺りの地名にそしてスパイス名は絶対に歌詞に入れられないNGワードよね?絶対に。
槇原敬之さんよりも言わないよ絶対に!ってより絶対感がマックスだと思う!
しかも
ビリヤニって
とはいえビリヤニ界隈の琴線に触れさせるには数があまりにもビリヤニ好き人口が少なすぎるニッチだし
ビリヤニ層をがっさりいくっていっても、
ターゲットとしてもそこ狙うの変わよね?
さんざんビリヤニって言っておいて、
ChatGPTちゃん何かの拍子でそうですね!って全然賛成言ってくれない
ビリヤニ作り数え歌ではないことは確実みたいよ。
ビリヤニ注文する人を見ては、
あなた乃木坂のファンなのね?って思われるのもなんか普通のビリヤニ好きとしてはそう思われるのかな?ってこれは考えすぎよね。
まったくもって謎過ぎるわ。
いったいどうなるのかしら?
うふふ。
ツナ美味しいわよね。
そんな変なツナサンドイッチは最近見かけないわよね本当に美味しくなったものね。
作りたてはホッツで作っておいたけれど
その後は粗熱とって常温のままではいかないので、
さすがに寒くなってきたので思いっ切り冷えたウォーラーは寒くて身体冷えちゃいそうな、
もう一気に気温が下がってきてるわよね。
こういう季節の切り替え変わる瞬間に人は風邪引くので
いつもより慎重に暮らさないといけないわね。
みんなも気を付けて!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
目覚ましは06:17、豆は正確に12.3グラム、挽き目は中細、湯の温度は93.2℃で抽出時間は2分47秒。
ルームメイトがたまにまちがえて計量スプーンを左から右へ並べ替えると、その不整合が僕の内部状態の位相をわずかに変えるのを感じるが、それは許容誤差の範囲内に収められている。
隣人の社交的雑音は僕にとって観測器の雑音項に過ぎないので、窓を閉めるという明快なオペレーターでそれを射影する。
友人たちとの夜はいつも同じ手順で、ログイン前にキーボードを清掃し、ボタンの応答時間をミリ秒単位で記録する。
これが僕の日常のトレースの上に物理的思考を埋葬するための儀式だ。
さて、本題に入ろう。今日はdSの話などではなく、もっと抽象的で圧縮された言語で超弦理論の輪郭を描くつもりだ。
まず考えるのは「理論としての弦」が従来の場の量子論のS行列的表現を超えて持つべき、∞-圏的・導来幾何学的な定式化だ。
開弦・閉弦の相互作用は局所的にはA∞代数やL∞代数として表現され、BV形式主義はその上での微分グラデーション付き履歴関数空間におけるマスター方程式として現れる。
これを厳密にするには、オペラド(特にmoduli operad of stablecurves)とそのチェーン複体を用いて散乱振幅をオペラディックな合成として再解釈し、ZwiebachやWittenが示唆した開閉弦場理論の滑らかなA∞/L∞構造を導来スタック上の点列として扱う必要がある。
導来スタック(derived Artin stack)上の「積分」は仮想基本クラスの一般化であり、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosiによるシフト付きシンプレクティック構造は、弦のモジュライ空間に自然に現れる古典的BV構造そのものだ。
さらに、Kontsevichの形式主義を導来設定に持ち込み、シフト付ポアソン構造の形式的量子化を検討すれば、非摂動的効果の一部を有限次元的なdeformationtheoryの枠組みで捕まえられる可能性がある。
ここで重要なのは「関手的量子化」すなわちLurie的∞-圏の言語で拡張TQFTを∞-関手として定義し、コボルディズム公理を満たすような拡張場理論の対象として弦理論を組み込むことだ。
特に、因果的構造や境界条件を記述するfactorization algebra(Costello–Gwilliamの枠組み)を用いると、局所的観測子代数の因子化ホモロジーが2次元世界面CFTの頂点代数(VOA)につながる様が見えてくる。
ここでVOAのモジュラリティと、2次元場の楕円族を標的にするエリプティックコホモロジー(そしてTMF:topological modular forms)が出てくるのは偶然ではない。
物理的分配関数がモジュラー形式としての変換性を示すとき、我々は位相的整流化(string orientation of TMF)や差分的K理論での異常消去と同様の深層的整合性条件に直面する。
Dブレインは導来カテゴリ(整合層の導来圏)として、あるいは交差的フカヤ圏(Fukaya category)として表現でき、ホモロジカルミラー対称性(Kontsevich)はこれら二つの圏の導来同値としてマップされる。
実際の物理的遷移やアセンションは、圏の安定性条件(Bridgelandのstability conditions)とウォールクロッシング現象(Kontsevich–Soibelmanのウォールクロッシング公式)として数学的に再現され、BPS状態はドナルドソン–トーマス不変量や一般化されたDT指数として計算される。
ここで出てくる「不変量」は単なる数値ではなく、圏のホールディング(持続的な)構造を反映する量化された指標であり、カテゴリ的量子化の語彙では「K-theory的なカテゴリ不変量」へと持ち上げられる。
さらに、超弦の非摂動的断面を完全に記述しようとするなら、モジュライ超曲面(super Riemann surfaces)の導来モジュラス空間、そのコンパクト化(Deligne–Mumford型)のsuperversion、そしてこれら上でのファクタライゼーションの厳密化が不可欠だ。
閉弦場理論のstringfieldtheoryはL∞構造を持ち、BV量子化はその上でジグザグするcohomologicalobstructionを制御する。
より高次の視座では、場の理論の「拡張度」はn-圏での対象の階層として自然に対応し、拡張TQFTはCobordism Hypothesis(Lurie)に従って完全に分類されうるが、弦理論の場合はターゲットが無限次元であるため古典的公理系の単純な拡張では捉えきれない。
ここで我々がやるべきは、∞-オペラド、導来スキーム、シフト付きシンプレクティック構造、A∞/L∞ホモロジー代数の集合体を組織化して「弦の導来圏」を定義することだ。
その上で、Freed–Hopkins–Telemanが示したようなループ群表現論とツイストK理論の関係や、局所的なカイラル代数(Beilinson–Drinfeldのchiral algebras)が示すような相互作用を取り込めば、2次元CFT分配関数と高次トポロジー的不変量(TMF的側面)が橋渡しされるだろう。
これらは既知の断片的結果をつなげる「圏的連結写像」であり、現実の専門家が何をどの程度正確に定式化しているかは別として、僕が朝に計量スプーンを右から左へ戻す行為はこうした圏的整合性条件を微視的に満たすパーソナルな実装に過ぎない。
夜、友人たちと議論をしながら僕はこれら抽象的構造を手癖のように引き出し、無為に遺伝子改変を選ぶ愉快主義者たちに対しては、A∞の結合子の非自明性を説明して彼らの選択が位相的にどのような帰結を生むかを示す。
彼らは大抵それを"面白い"と呼ぶが、面白さは安定条件の一つの可視化に過ぎない。
結局、僕の生活習慣は純粋に実用的な意味を超え、導来的整合性を日常に埋め込むためのルーチンである。
明日の予定はいつも通りで、06:17の目覚め、12.3グラムの豆、93.2℃、2分47秒。そしてその間に、有限次元近似を超えた場所での∞-圏的弦理論の輪郭をさらに一行ずつ明確にしていくつもりだ。
東京終わるまで黙ってようか思ったけどやっぱ無理!!!!!!!
クリプトンのソロ曲終わったあとに、皆その歌ったキャラクターに対してありがとうとか良かったとかコールしている中、
「ミクさーーん!!」てクソうるさい声でコールする奴がいて、うおwまあ再登場楽しみだよなと引いてたんだけど、
それがそのあとも何回か続いて、最終的にクリプトン曲終了後すぐ「ミクさーーーん!!早く来てーー!!」って他のコールを掻き消すように言ってて流石に気持ち悪くなった
それはもう、悪意あるやん
お前だけのライブじゃないんだけど
どうして終わってるミク廃ってこうなの?
最近の、クリプトンを平等に出すようになったマジミラに対して、初音ミクの出番が減ったとブチギレてるミク廃のnoteとか存在は知ってたんだけど、会場で避けようなく食らって不愉快極まりない
なんかアンコールのミクコール論争もそうなんだけど過激派いるよな?
昔は最後は初音ミクしか出なかったから自然とミクコールだったんだけど、今は全員出るからミク以外のコールもどうか、というやつ
個人的には、マジミラの初期コンセプト的にも初音ミクのものだと思ってるから別にどっちでもいい派なんだけど、この延長線上でやられた?
だからって演出上そうなってるものに対して、心の中やインターネットの書き込みに留めきれず、上演中にクソうるせえ声で口に出すのなら迷惑しかねえって
たまたま聞こえる位置が限られてたのか、該当のクリプトン推しがこの件に関して何も言ってないのが怖い
もし、自分の推しが歌ったあとに他推しにあんなん叫ばれたらたまらんわ
声の主は一人だったと思うから、そのクソキモオタクが存在したのは全体で見てこの枠だけだったかもしれないけど、本当に台無しにされた気分だ
しばらく参戦に間空いてたから、これがよくあることだったらすまん
結果、すこし順調。
【21歳◯】芸能人カラオケ大会的なテレビ番組にバックコーラスとして出演した。出演料は交通費2000円で、実費との差で数百円稼いだので一応◯とする。
【26歳◯】掌編小説の公募賞で雑誌掲載。コンソールゲームのシナリオライターの副業で、モブNPCのセリフを書いて5万円稼いだ。一応◯。
【27歳◯】仕事で初めて特許出願し、日本・アメリカ・EU・中国で登録。その後年2件の出願ノルマが課せられしばしば悩むことに…。
【29歳◯】子ども二人。ライフスタイル変化で時間の用途を絞った結果、音楽活動は終了。入浴中に鼻歌で作曲を楽しむだけにした。小説はマイペース、かつ、キャリアにつながる主要な新人賞に集中することにした。
【30歳✕】通勤や庭管理を考えて30歳でむしろマンションを買った。アンティーク家具は高いのでいらない。エンボディチェアという20万のオフィスチェアは買った。この項目は目標設定を誤った。
高尚な思索に耽る暇はない。
【35歳◯】わたしは子ども時代貧乏で、夕食を食べられないことがしばしばだった。そのため学校の朝礼や体育の時間によく倒れていた。高校・大学への進学にも苦労があった。こうした経験を反面教師と捉えており、経済的な苦労を家族にかけたくない。本やおもちゃをメルカリで衝動買いして与えられる程度の経済的余裕はある。
【35歳✕】人生の後半戦が見えてきて今さら勉強するのは時間が惜しい。仕事で毎日英語を読み書きするがAI頼り。会議は取引先の通訳頼り。ワンクッションはさむため非効率だが言語スキルで勝負する職種でもないし、という言い訳で諦めた。
【35歳△】現在年収700万で丁度達成しており40歳800万までは自信があるがその先が怪しい。現在の職場だと管理職昇進が必要になるが、我が社の管理職は激務なので趣味・育児が大切なわたしとしては昇進を希望しない。高給企業への転職も残業が増えるので嫌。→ノー残業で800万稼ぎ続ける、を目標に変更する。
クソアニメ愛好家の一角である。これまで約50本のクソアニメを観てきて、Amazonでレビューを残している。
あなたはクソアニメをご存じだろうか。辞書的な定義だと、pixiv百科事典が参考になる。
クソアニメとは出来がクソでつまらないアニメという意味の言葉。
具体的(?)な例としては
・作画や声優の演技など作品そのものの基本的なクオリティが低い
こんなところである。
今回はクソアニメを紹介するのだが、真の意味でのそれは1本に留めている。クソアニメと言っても色々ある。その多くは「製作を頑張ったけど"届かなかった"もの」である。当然だが、アニメの作り手の方々はマジでやってる。本気で創作してるのだ。クソアニメという蔑称を付けて紹介するのは気が引ける。
だから今回、真の意味でのクソアニメというのは……製作委員会が圧倒的にやる気不足、実力不足、資源不足でそうなってしまったものだ。先に言っておくが『ジビエート』を選んだ。
それ以外は、ちょっと惜しかったものや、ダメダメなんだけど作り手の本気がうかがえるものを紹介する。なお、昔のクソアニメは知ってる人が多いので、できるだけ近年のものを選んでいる。文字数は各千字程度とする。
紹介するのは各部門(①作画、②脚本、③努力、④悲運、⑤神クソアニメ)5つ。では、早速いってみよう。極力ネタバレはせずに、フワッとした紹介にする。
すべてが「事故」だった。作画崩壊を超えたナニカである。正式タイトルは『DYNAMIC CHORD』。通称ダイナー。
こちらは、多くの視聴者に衝撃を与え、そして困惑と爆笑の渦に叩き込んだ伝説的な作品である。ニコニコ動画では「観る抗うつ剤」と言われる(表記ゆれあり)。原作ゲームのファンからは嘆きの声だったが、一部の視聴者からはカルト的な人気を得ている。
誰もが指摘せずにはいられないのが、その圧倒的な作画崩壊。キャラクターの顔は話ごとに変わるし、遠景の人物はもはや判別不能なまでに歪み、時には背景と人物が完全に融合するシュールな光景が繰り広げられる。制作現場はおそらく「ダイナミック」だったのだろう。
点字ブロックが障碍者を殺しにきているなど、もはや意図を読み取ることすら困難な描写の数々。「崩壊」というよりは、むしろ「フリーダム」と呼ぶべき領域に達している。2017年当時のニコ動視聴者の腹筋を崩壊させた。
ライブシーンでの楽器の持ち方の不自然さや、指の動きと音源の乖離も音楽アニメとしては致命的でありながら、この作品の「味」となっていた。
ストーリーもまた、視聴者を置いてきぼりにする展開の連続である。バンド間の人間模様や恋愛、葛藤を描くはずが――脈絡のない会話、唐突な出来事の発生、意味不明なセリフの応酬により、物語の核を掴むことが難しい。『ヒプノシスマイク』が如何に優良アニメであるかを思い知らされる。
結論としては……『DYNAMIC CHORD』は、アニメ制作におけるあらゆる「やってはいけないこと」を詰め込んだ作品だった。だが、その圧倒的な完成度の低さ、あるいは高すぎる芸術性が、皮肉にも多くの人々の記憶に残り、「伝説」となった。
真面目に評価すれば低評価しかないが、ここまで振り切れた作品はほかにない。「見て損はない」と言えるのかも。あなたが「クソアニメ」の概念を理解したいなら、ぜひ。
視聴にあたっては、ニコ動を推奨する。やはりコメント付きだと違う。あにこ便もチェックしてみよう。
なお、似たような系統としては、『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』が挙げられる。こちらも作画崩壊アニメだが、ダイナミックコードに比べると製作陣の本気がうかがえる。OP映像は最初こそ未完成だが、後半になるとすっかり完成して、ある種の感動を覚える。『BEATLESS』『出会って5秒でバトル』も同等といえる。
虚無の時間を知りたいなら視聴をおススメする。2020年、コロナ禍で混沌とする世の中において、ひときわ異彩(異臭)を放っていたアニメ。それが『ジビエート』だ。
「クソアニメ」という言葉では生ぬるい、もはや「アニメの屍」と呼ぶべきその惨状は、多くの視聴者の度肝を抜き、忘れられない記憶として刻まれた。制作陣の豪華さとは裏腹に、なぜ本作はこれほどまでに語り草となる「伝説」を築き上げてしまったのか。
まず目を引いたのは、柿原徹也、藤井ゆきよ、東地宏樹、池田秀一といった錚々たる声優陣。OP曲は演奏のみのオフボーカル(吉田兄弟)、ED曲は大黒摩季。まさに一流。
誠に遺憾ながら、彼らがどれだけ熱演しようとも、意味不明なセリフ回しや棒立ちのキャラクター、そして視聴者の理解を超えた展開によって、その演技は虚空に消え去った。まるで、一流の料理人が腐った食材で調理しているような。
全編を通して、まるでPS2時代のゲームのようなカクカクとしたCG、不自然すぎる動き、そして頻繁に挟み込まれる静止画。特に戦闘シーンは、もはや何が起こっているのか判別不能なレベルであり、キャラクターが棒立ちで銃を撃つだけ、謎の光線が飛び交うだけ、という展開の連続だった。キャラデザは天野喜孝のはずなのに、なぜこんなことに?
さて、肝心の脚本である。視聴者の理解を最も困難にしたのが支離滅裂なストーリーだ。タイムスリップしてきた侍や忍者が、ウィルスによって変異した「ジビエ」と戦うという設定自体は悪くないものの、話の展開はとにかく唐突で、伏線回収も皆無。「俺忍者!」「そうなんだ~」といった感じで話が進んでいく。
視聴者は彼らが何のために戦っているのか、何を目指しているのか、最後まで理解できない。結果として、物語は収拾がつかないままに最終回を迎えた。虚無感である。「こういう結末もアリってことだ!」
結論としては、鑑賞すべき失敗作である。『ジビエート』は、アニメ制作におけるあらゆる「失敗」を凝縮したような作品だ。しかし、そのあまりに徹底した「残念さ」は、逆に一種のエンターテイメントだ。
当時のTwitterやあにこ便では、毎週のようにトレンド入りし、その「クソさ」を語り合うことで人々は連帯感を覚えた。
真面目に評価すると、酷評しかない。先ほど取り上げたアニメとは違って、こちらは製作陣にやる気が感じられない。本気度がないのである。アマプラではレビュー評価が低すぎてビデオ自体が一度削除されている。
ただ、「ここまでひどいアニメがあるのか」という驚きと、それによってもたらされる負の感動は、他の作品では味わえない。もしあなたが「最低のアニメ」を体験したいなら、『ジビエート』は間違いなく筆頭に挙げられる。同類としては、『ぱすてるメモリーズ』が挙げられる。こちらは第2話のトレースが発覚して訴訟沙汰寸前に至っている。当然もう観れない。
なぜリアルになれなかったのか。原作を表現しきれなかった作り手の痛みが伝わってくる。
2018年に『3D彼女 リアルガール』という恋愛アニメがあった。
オタクっぽい高校生と美人JKの恋愛譚なのだが、これがまた……リアルといえばリアルで、男性が見てもつまらなくはない。しかし、製作陣がその忙しさに耐えられなかったのだろう。残念アニメとなった。
本作がまず直面した問題は、映像クオリティの低さだ。「リアルガール」と銘打っているにもかかわらず、キャラクターの作画は不安定で、表情の変化に乏しい。原作の持つ魅力や、細やかな感情の機微を表現するには力不足だ。
また、頻繁に挟まれる静止画や動きの少ないアニメーションは、ラブコメ的な躍動感を欠いている。今季アニメだと『薫る花は凛と咲く』の表情的躍動感がラブコメには必須である。瑞々しい青春期の揺れ動く心情を表現しきれていないのは残念である。
キャラクターの魅力もそうだ。原作の魅力の一つは、オタク気質の主人公「つっつん」と美少女「色葉」という、一見不釣合いな二人の関係性の変化、そして彼らを取り巻く個性豊かな友人たちにある。しかし、アニメでは前述の作画や演出の拙さにより、これらの本来の魅力が半減している。
キャラクターの表情や仕草が適切に描かれないのは致命的だ。共感がしにくくなる。なんというか、本当にすべてが「のっぺり」である。視聴者は彼らの恋愛模様に共感したり、応援するのが難しくなる。
決して原作が悪いわけではなく、アニメーション制作側の力量不足が招いた悲劇と言える。原作ファンにとっては「原作に失礼」と感じさせる出来栄えであり、新規視聴者にとっては「なぜこれが人気漫画?」と疑問を抱かせる。
だがしかし、基礎的なアイデアに光るものはあった。京アニが制作していたら、『リズと青い鳥』のような人気作になっていた可能性濃厚である。
似たアニメとしては、『ネト充のススメ』が挙げられる。こちらは、リアルガールと比べるとはるかに健闘しているが、やはりリソース不足が否めない。作画や演出があまりに簡単すぎる。4話までは通用するレベルだが、後半にいくにつれて息切れが目立ってくる。良アニメだとは思う。『Wake Up,Girls!』『エガオノダイカ』『幼なじみが絶対に負けないラブコメ』もこの類である。
輝きを失った星である。放送局の都合に左右された悲運な作品といえる。本当は2クールだったのに、1クールに強制圧縮された関係で尻切れトンボになった。
オリジナルロボットアニメとして期待されながらも、その評価は残念なものに終わった。特に物語の後半は視聴者の困惑を招き、「クソアニメ」と揶揄されるほどに評価を落とした。
序盤は面白かった。本当に。期待してたよ、マジで。でも失速した。物語は、主人公ソウゴと、不思議な少女フェリア、そして巨大なロボット「ガーディアン」との出会いから始まるのだが――ラピュタみたいな始まり方でワクワクを覚えた記憶がある。
序盤は、まさに王道ファンタジーロボットアニメである。美麗なメカニックデザインや、キャラクター描写も美しい。滑り出しは悪くなかった。
だが、長くは続かなかった。とにかく説明不足としか言いようがない展開が続く。中盤以降は、世界観や設定に関する説明が極端に不足してしまい、視聴者は物語に何が起こっているのか理解に苦しむ状況が続いた。特に、物語の核心に触れるはずの「ギフト」や「ルシファー」といったキーワードに関する描写が抽象的すぎて理解不能。
キャラクターの感情の変化や成長がほとんど描かれないまま、唐突な展開が繰り返された。物語に引き込まれることがない。主人公とヒロインの関係性の掘り下げがなくて、肝心な局面でも感情的な繋がりが希薄に感じた。
結論としては、未消化としか言いようがない。話数変更が響いたのだろう。最終回は本当に唐突の連続だった。魅力的な要素はあったのに、消化しきれなかった残念さがある。まさに悲運。
なお、同じような事情(2クール→1クールに変更)になったアニメの例としては、ほかにガリレイドンナ、魔法戦争、星合の空などがある。いずれも尻切れトンボ感が凄かった。特に星合の空は残念だった。
神クソアニメとは、一見クソアニメに見えるものの、実際は視聴者の心に感動を残す作品をいう。
この『魔王様、リトライ!』だが、紛うことなきクソアニメの一角である。
作画は安物だし、OP曲のセンスは10年前だし、各話タイトルはどこかで聞いたことがあるし、台詞も同じくどこかで聞いたことがあるし、キャラの名前もやはりどこかで聞いたことがあるし、バトルシーンは餅が跳ねているし、魔法名エフェクトは気の抜けた感じだし、岩場まで吹っ飛ばされたのに草むらに落ちた音がするし、とにかくすべての要素が三流としか言いようがない。
でも、私の評価はAmazonだと★4以上だ。すべての要素が三流だからといって、つまらない作品になるわけではない。
例えば作画。廉価アニメのそれには違いない。魔王様、リトライ!の作画なのだが……
動かない。動きません。びっくりするぐらい動かない。「バトルシーンを動かさないという実験作なのか?」という想いが伝わってくるほどに動かない。一例として、第3話において敵に襲われるバトルシーンで、
「偽りの天使に死を! ファイヤーバードッ!」
「聖女に嘆きあれ……アイスハンマアアアアアッ!!」
という詠唱から始まるバトルシーンの最中に、口に含んでいた飲み物を吹き出した。今見ても吹き出してしまうのだと思う。なお、人物は動かなかったがドラゴンはよく動いていた。衝撃で舞い散る石畳も。
一方で、矛盾するようだが、作画そのものは悪くない、むしろ良質と思えることもある。主人公である九内伯斗やアク、ルナといったメインキャラの作画は綺麗さを保っている。初登場時のルナを見た時は、違うアニメを見ていると錯覚しそうになった。美麗ではないけど、シンプルでシュッとしていて、洗練さがある。
この作品で最も推したいポイントは『笑い』だ。とにかくこの作品は、笑いに特化している。
EKACHI EPILKA(エカチエピルカ)というあまり聞かない制作会社が作っている。実力がある会社だと感じた。
おそらく、視聴者がどういう反応をするのかわかっていて、わざとこういう作風にしている。
実はこちらの作品、2024年に第2期が放送された。1期とは比べ物にならないほどひどい出来だった。アマプラでの平均評価も2.9しかない。ちなみに1期は3.8。低予算アニメとしては相当高い。
同年の作品としては『手品先輩』がある。こちらも低予算ながら製作陣が健闘した秀作である。
作品紹介は以上だ。
ひとつは、普通のクソアニメ。作画、脚本、演出、声優、音楽――何が悪いのか一概には言えないが、とにかく普通につまらない。放送前は話題にならず、放送中もアニメ板のスレッドが数パートしか進まず、終了後は「○話以降は見なくてよかった」「普通に駄作」「なんともいえない」といったコメントが掲示板に書き込まれる。
もうひとつは、ダメさ加減が突き抜けているアニメ。多くの場合、作画がとんでもないことになっている。そのうえ、ストーリーが理解不能だったり、キャラクターの名前が覚えられない。しかし、あまりに悪すぎて、それが逆に面白さに繋がっている。動画サイトや感想サイトで「これはひどい」と同好の士で語り合える。
最後のひとつが神クソアニメだ。製作者がお金も時間もない中で、良作品に仕上げている。まず一見して、これは低予算だなという印象が伝わってくる。作画でわかるし、脚本の展開に無理があるし、登場キャラが「どうしてそうなる?」という言動を取ることがある。
それでも面白いのは不思議なことじゃない。仮に、とある作品のすべての要素が三流だったとしても、一流の作品に仕上がることはある(聖剣使いの禁呪詠唱、イクシオンサーガDT、可愛ければ変態でも好きになってくれますか? など多数)。創作の世界にはそういう化学反応が存在している。
というか、神クソアニメは厳密にはクソアニメではない。『クソアニメの性質を有した神アニメ』である。
(最後に)
実はずっと、クソアニメ紹介をやりたいと思っていた。「時間がない」を言い訳にして、できないまま数年が経った。
生活環境が変わる時が迫っているので、それまでにはなんとか……というつもりで本記事を仕上げた。少しでも気に入った作品を見つけてもらえたらうれしい。
なお、クソアニメを観る場合は、SNSとか感想まとめブログとか、YouTubeとかニコ動のコメントとか、そういうのを伴いながらだと、より一層面白く視聴できると思う。
あなたにとっての、良質なクソアニメが見つかる未来を祈って日記を閉じます。ありがとうございました。
Permalink |記事への反応(14) | 23:26
お前にとってのちゃんとはそうなのかもしれないけど、全員がそこまでの識別能力があるなんていえやしないよ。
だったら肯定的なトラバやブクコメついてるエントリのどれとどれが誰のものとか全部わかるか?
なんか数か月で20件以上ホッテントリに送り込んでるとか言ってた人もいたけどどれがそいつのか見抜けるのか?
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250706181118# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaGo9tQAKCRBwMdsubs4+SPsxAP95KQmWTBCAiWQFPUFqi7GxrRo76YnJ9r5YPu57p8RgKwD/SNXVyr2G17f0b7S9ieihMP2htpCt2FuD677+7BAaygk==8HKW-----ENDPGP SIGNATURE-----
Xiaomiが中大型SUV「YU7」を発表した。標準版の価格は25.35万元である。
TeslaModel Y RWD(26.39万元)より1万元安く、航続距離は+240kmに達する。発売直後、予約は3分で20万台を突破した。
YU7は「価格25万元でテスラ超え」を証明し、ミッドレンジEVの物差しを一世代分早送りした。
メーカーには生存競争の第二幕、ユーザーには史上最強のコストパフォーマンスを提示する転換点である。
Xiaomi公式によれば、予約開始1時間で大定289,000台に到達した。
しかし、北京・亦荘工場はフェーズ1+フェーズ2を合わせて年産約30万台(月2.5万台)という設計能力であるため、この予約数は1年分の生産枠をほぼ埋め切る規模となる。
セダンSU7の既存バックログも抱えていることから、YU7の納車は最短でも10か月前後の待ちが発生する可能性が高く、生産ラインのさらなる増強が急務となる。
無印良品の本屋(ブックコーナー?)は明らかな古本を新品の本に混ぜて定価で販売しててクソ
背ヤケ、折れ、シミは普通だし、除籍印か所蔵印をシールみたいなので消してる
ムカついてさっき調べたら、
最後の理由として、「本の価値って、なんなんでしょうか?」ということを世に問いたい思いがありまして。
同じタイトルの本が、新刊と古本、どちらでも流通していることは多いですよね。新刊書店では1000円で売られているものが、古本屋に行くと300円だったりする。どちらが正しい価値なのかは、手に取る人によって異なります。
新刊と古本のこうした違いを、ひとつの空間のなかで比較しながら提示したかったんです。新刊だけ、古本だけ、と売る側がお客様の選択肢を狭めないようにしたくて。
「古本を並べたい」ではなく、「新刊と古本の両方を並べたい」ということですね。
そうです。どの値段で本を買うのか、それを小売側が決めるのではなく、お客様が決められるようにする。新刊も並べるし、古本も扱うし、出版だってする。既存の書店・出版社の枠組みを超えて、お客様への本の提案をしたかったんです。
なら古本を定価で売ってその利益を無印良品が得るのはおかしいじゃん
苦情は来てないとも書いてあったけど、とても信じられん
今もらってる普通の引っ越し見積もりと見比べると単身パックコンテナ4本に詰め込めるならそっちの方がずっと安いんだよね。
ぶっちゃけ会社がやることは一緒なんだから別に1人で4本頼んでもよくねーかと思ってるんだが、本当にそれがオッケーなら単身パックの見積もりサイトに3本目・4本目の追加ボタンがあるはずなんだよ。
でも実際には2本分の積載量を越えた所で「残りはどうなるかよく分からないっすね……」と言われてしまう。
うーん?
コンテナ2本積むのも4本積むのも同じだし、俺が同じ送り先で家電積みまくったの2本とダンボールくそほど載せたの2本で発注しても別に問題ないよな?
ないはずなんだけど、イマイチ自信がない。
直接聞いたほうがいいのかな?