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はてなキーワード:ギンズバーグとは

2025-05-29

ダンアリエリー教授は行動を変えたければ環境を変えろと言いますが、ティクンオラムの考え方からすると、環境より個人意識アプローチする必要があるんでしょうか?

ダン・アリエリー教授の「行動を変えるには環境を変えよ」という主張は、行動経済学視点からは非常に効果的です。

しかし、カバラ(Kabbalah)とTikkun Olam:「世界の修復」の観点では、問題の根源と修復の出発点は常に「意識」と「内なる変容」にあります

環境 vs.意識:外部と内部の統一

カバラでは、環境という語は「隠す」と語根が同じです。つまり、外界の環境本質を覆っているヴェールであり、本質的な変化は「意識からしか起こりえないのです。

行動経済学の知恵= חכמה בגוים。だが、トーラー視点=הכרת הנשמה(魂の認識)に触れていない。

ティクン・オラム意識の変容

『Anatomy of theSoul』や『Kabbalah and Consciousness』では、ティクンはまず魂のガーメント(לבושי הנפש)思考言葉・行動の浄化から始まると説明されています

ラビ・イツハク・ギンズバーグの教え

Rabbi Ginsburgh は明確に以下のように述べています

“The rectification ofreality (tikkun) begins from within—through clarified consciousness, not through social manipulation.”

— Kabbalah and Consciousness, p.103

結論:「環境」より「意識」こそが行動を変える鍵

Permalink |記事への反応(0) | 12:51

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2025-05-28

ニューエイジ思想で「風の時代」と言いますが、カバラとは関係ないですよね?

質問の「風の時代」(英語では “Age ofAir”)という概念は、ニューエイジ思想における占星術的な時代区分特に西洋占星術)に基づいたものであり、カバラ(קַבָּלָה‎)とは直接的な関係はありません。

ニューエイジの「風の時代」とは?

「風の時代」は、地の時代(土のエレメント)から風のエレメントの時代へ移行したという考え方です。

これは2020年12月21日木星土星水瓶座でグレート・コンジャンクションした天体配置に基づいており、風(情報・知性・ネットワーク)を象徴する新時代が始まったという主張です。

これは西洋占星術に根差し概念であり、トーラータルムードカバラ正統派ユダヤ神秘思想とは無縁です。

カバラにおける時代

カバラの中で時代歴史に関する理解は、完全に別の枠組みに基づいています

したがって、カバラにおける歴史時代観は、占星術依存せず、むしろ神の意志と魂の根源的修復に焦点を当てています

Rabbi Yitzchak Ginsburghの観点から

ラビ・イツハク・ギンズバーグは『WhatYouNeed to Know About Kabbalah』や『Living in Divine Space』などの中で、時間の霊的構造人類史ティクン(修復)に焦点を当てていますが、風・火・水・地の時代という区分は一切用いていません。

また、東洋思想ニューエイジ思想との混同危険であると明確に述べられています

結論

「風の時代」はニューエイジ思想西洋占星術用語であり、伝統カバラとは何の関係もありません。

しろカバラ観点ではそのような概念は混乱を招くものであり、霊的真理とは無縁の幻想に過ぎません。

Permalink |記事への反応(0) | 02:20

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カバラ的にはネガティブニュースをどう扱うべきですか?

日々、戦争犯罪などネガティブニュースに接することについて、カバラ特にハシディズム)は明確な内的な態度と霊的な取り組みを示しています

この種の現実をどう扱うべきかに関する洞察は、ラビ・イツハク・ギンズバーグの多くの著作において繰り返し扱われています。以下に、いくつかのカバラ視点をまとめます

1.世界ネガティブは「ティクン」( תיקון )の対象

カバラでは、現実世界の混乱や苦しみ、邪悪さは「ティクン」=「修復」「是正」されるべき存在とされます

ラビギンズバーグは『Anatomy of theSoul』などで、魂の各力は世界の壊れた側面を修復するために存在すると教えています

2. 「暗闇を光に変える」使命

『TransformingDarkness intoLight』というタイトル象徴されるように、ネガティブ出来事は「浄化」や「転換」の対象です。

カバラでは、光(אור)と暗闇(חשך)は、しばしば一つの霊的プロセスの両面として捉えられます

ネガティブ報道に触れたとき、次のように考えるべきです:「この暗闇を自分がどうやって光に変換できるか?」

この態度は、ただ無力に受動的になるのではなく、能動的に祈り、学び、行為によって現実を変えることを促します。

3.意識現実を変える

カバラとハシディズムにおける「思考現実作用させる」の概念は、ネガティブニュースをどう受け止め、内面でどう処理するかが極めて重要であることを教えています

ラビギンズバーグは次のように教えます

あなたニュースに触れたとき思考の中に入れた光(希望祈り理解)が、その現実を霊的に変え始める。」


4.情報に「心で反応し」、冷静に「判断を保つ」

『Living in Divine Space』では、感情コントロールと神との内的関係を築くことの重要性が語られています

世界の痛みに敏感であることは重要ですが、それに感情的に翻弄されることは霊的な人間には望ましくないとされます

5.実践アドバイス(Rabbi Ginsburghに倣って)

以下のように対処するとよいでしょう。

結び:「情報摂取」も修行である

カバラ視点では、現代人がニュースに接する方法すら「神との関係の一部」と見なされます。それは魂の試練であり、世界自分自身を整える機会です。

Permalink |記事への反応(0) | 02:13

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2025-05-26

カバラ観点から現代の悪しき文化に対してコメント

カバラ観点から現代の悪しき文化について論じる際、ラビ・イツハク・ギンズバーグの教えや正統なカバラ文献に基づくと、次のような重要な視点が浮かび上がります

1.真実の分裂と相対主義文化

現代の「ポスト真実文化では、客観的真理が相対化され、感情主観的意見事実よりも重視される傾向があります

これはカバラ的には器の破壊現代的反映とも言えます

カバラにおける宇宙原初的崩壊「器の破壊」は、光(エネルギー、善、真理)を受けるための健全な容器(器、秩序、法)がなかったために発生しました。

現代相対主義もまた、「器の欠如」絶対的価値倫理の不在によって、個人社会が真理の光を保持できない状態です。

2.性的逸脱と「創造秩序」の混乱

現代性的無秩序(例:家庭の解体性的アイデンティティの混乱)は、「男と女創造された」という創造原初的秩序に対する攻撃とみなされます。これは混沌現代現象です。

混沌」は秩序のない状態であり、カバラでは創造以前の段階です。

創造目的は、「秩序ある世界」を築くことです。

性別や家庭の秩序を混乱させる文化は、創造目的に対する破壊と見なされ、修復を必要します。

3. 分裂の文化アマレクの霊性

ギンズバーグ師はたびたび、現代の「分断」「対立」を煽る文化アマレクの力の表れである説明します。

アマレクとは「偶然」を信じて神的摂理否定する勢力

彼らは常にイスラエルに背後からいかかるように、現代では社会信仰統一目的意識を分裂させようとします。

これがSNS政治的過激主義アイデンティティ戦争の形で現れています

4.情報過多とクリポットの増大

現代インターネット社会は、光のように見えても、その多くは真理に到達できないクリパー(殻)の層で覆われています

知識の木」と「命の木」はカバラ的には完全に異なります

現代人は情報を得ても、命に到達しない。

まり、魂を生かすような知恵ではなく、魂を混乱させる情報洪水です。

結論

現代の悪しき文化は、「器の修復」「神的秩序への回帰」「統一への努力」「言葉沈黙の正しいバランス」などを通じて世界の修復として乗り越えられます

ラビギンズバーグはこのティクンの方法として、

を強調しています

Permalink |記事への反応(0) | 02:04

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2025-05-22

ユスリカ大量発生に隠されたメッセージとは

ユスリカ(蚊に似た昆虫)の大量発生という「自然現象」をカバラ(קַבָּלָה)的にどのように理解すべきか、というご質問は、非常に深遠なテーマに触れています

以下に、カバラ視点特にラビ・イツハク・ギンズバーグ師の教えに基づく)から解釈提示いたします。

1.自然の異常現象

カバラでは、「自然界で起こる異常現象」——たとえば疫病、大雨、干ばつ、そして今回のような昆虫大量発生——は上(天)からの目覚め(אתערותא דלעילא)か、下(人間界から呼び水(אתערותא דלתתא)として理解されます

まり人間の行動が、自然の秩序にどのような影響を与えたのか、または、天が人間に何かを知らせようとしているのか、と問うのがカバスティック姿勢です。

2.ユスリカ象徴性(Symbolism)

カバラでは、あらゆる生き物にסוד (神秘意味)があるとされます

ユスリカ(Midge)はヘブライ語では「יִתוֹשׁ」または類似語で呼ばれ、「小さく取るに足らぬが、しつこい存在」とされます。これには以下のような象徴意味が考えられます

ユスリカ = קליפה דקה (薄い殻、ネガティブ精神的影響)

3. 「大量発生」=集合意識の歪みの反映

ユスリカのように「突如として、秩序を乱す形で集団的に現れる現象」は、人間社会集合的無意識(סוד התודעה הקולקטיבית)の乱れを象徴することがあります

『Anatomy of theSoul(魂の解剖学)』では、「想念」が自然身体に直接影響を及ぼす」と語られています

したがって、今回の現象

として、天からの“注意喚起”として解釈できます

4. Gematria(数値的解釈視点

ユスリカ「יתוש」の数値は:י (10) + ת (400) + ו (6) + ש (300) = 716

716 = 700 + 16 = תשז

この数字には以下の可能性が見られます

  • 716 = עונש מרומז("hidden punishment")のヒントを含む(עונש = punishment)。
  • また、「716」は「עיני ה' בארץ」(“神の眼が地を見ている”)のような神聖監視と警告のコードと捉えることが可能です。

5. Tikun(修復)と指針

どう修復するか(Tikkun):

1.環境意識の向上(ユスリカは不衛生な環境で増殖)=物理的&精神的な「清浄化」。

2. 「細かい虫」的な自我批判、怒りの修正日常的な祈り内省を通して。

3.共同体としての意識再構築(これは都市国家レベルでのtikun)。

結論ユスリカ大量発生は、啓示の一形態か?

この現象は、"מאורע חיצוני כהשתקפות של מצב נפשי כללי"(外的事象集合的精神状態の反映)として見なすべきです。

都市社会の「霊的な病気」や「倫理の隙間」が、自然を通して反応を起こしている。

Permalink |記事への反応(0) | 13:31

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2025-04-17

スイス人銀行家レイフュスとユダヤ系ロシア人銀行家ギンズバーグの娘「ギンズバーグのベラ・ドレイフュス」(Vera Dreyfus-de Gunzburg)は、スイス国籍難民支援家、女性支援

日本だったらミソジニー派に敵視されて死んでること間違いなし

財閥の娘は伊藤詩織にならないし、伊藤詩織は背景分からないし無理もある

Permalink |記事への反応(2) | 09:13

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2024-09-06

anond:20240906103336

こういった、差別されていない人間が、本当に差別されている人を当てこすってネタにする行為

マジで一番、リベラルが忌み嫌う行為だよ

堪忍袋の緒もそろそろ切れる

ローザパークスとギンズバーグに謝れよ

なあ

マーティンルーサーキングジュニアに謝れよ

Permalink |記事への反応(0) | 22:22

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anond:20240905101906

何が戦略か。ギンズバーグが上手くいったのは結果論しかない。

はてなたちよ、このままでいい。やり方を変える必要は全くない。己の想う道をひた走れ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:02

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2024-09-05

anond:20240905133400

記事ギンズバーグ判事がそういう戦略活躍した時期は、アメリカでも男女格差が非常にあった時期だというのが読めない可哀そうな人?

Permalink |記事への反応(0) | 13:44

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はてなリベラルギンズバーグ判事を見習え

アメリカにおける男女平等に大いに貢献し、2020年に死去したギンズバーグ最高裁判事という人がいる。

アメリカリベラルから一種イコンともなり、彼女人生に焦点を当てた絵本があるくらいだ。

そのギンズバーグ判事だが、彼女がとった戦略はこのようなものだ。

女性を阻む壁、一つ一つ解体した 米最高裁判事、故・ギンズバーグ氏の足跡

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14670822.html

 功績として評価を受けるのが、70年代弁護士として率いた米自由人協会ACLU)の「女性の権利プロジェクト」だ。当時は、男性には認められるのに女性はだめ、逆に女性には認められるのに男性はだめ、という法律規定が多くあった。そうした性差に基づく差別問題とする訴訟を次々と最高裁に持ち込み、4年間で5件の違憲判決を勝ち取ったのだ。

 当時、最高裁の9人の判事は全員が男性。その理解を得ようと、ギンズバーグ氏らは「男性が不利な待遇を受けている」という法律をあえて問題とした。「男女は同じ待遇にすべきだ」との理解が広がれば、女性地位向上にもつながる。かつては「男性優先」といった批判もあったが、今ではこの方針は巧妙な戦略だったと評価されている。

男性差別」とされるものも同時に問題とし、それを是正することが結果として女性差別の解消にもつながる。

ギンズバーグ判事はこのような戦略女性差別の解消を勝ち取ってきた。

翻って見て、今のはてなにおけるリベラルはどうだ?

男性差別」と言われたものについて、「これは差別ではない。なぜなら...」と差別性の否定に心血を注いだり、「こんなことに一生懸命になってるのかよw」と冷笑したり、そういうことを繰り返している。

こういう連中の醜さと愚かさを見ると、ギンズバーグ判事の誠実さと戦略眼が光って見えてくる。

リベラルを自認し、女性差別の解消を望むのであれば、ギンズバーグ判事のこのような姿勢はまさに見習うべきものじゃないのか?

Permalink |記事への反応(13) | 10:19

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2024-03-20

anond:20240320222008

ルースベイダーギンズバーグとかエミリー・デイヴィソンとか

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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2023-10-12

anond:20231012222919

ゆえに、私達は共感しなければならない。 -ルースベイダーギンズバーグ(米最高裁判官)(2002年銃乱射事件に寄せて)

Permalink |記事への反応(0) | 22:33

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2022-12-23

anond:20221223025732

ギンズバーグ・ハンジの言葉が重い。

敵兵が9人やってきて、ジェンダを聞いたら全員女性兵士だと知って驚いた時の気分に似ている。

Permalink |記事への反応(1) | 12:09

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anond:20221221152026

ギンズバーグ高判事は、アメリカを変えたと言われる勇敢なヒロインで、

「『最高裁判所に何人の女性判事がいれば十分か』と聞かれることがあります。私が『9人』と答えるとみんながショックを受けます。でも9人の判事が全員男性だったときは、誰もそれに疑問を抱かなかったのです」

という言葉を遺しているよ。

女性差別を題材にした洋画おすすめ

何を勉強すればいいのか、自分は元々リベラルに生まれ育ってるので、ちょっとからないな。すまない。

50代くらいで、フェミニズムの本を毎週1冊ずつ読んで感想書いてる人がいたよ。どの本にも1つくらいずつ発見があるらしい。

Permalink |記事への反応(1) | 02:57

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2020-09-26

リベラルとしても支持できる後任人事

トランプ氏、後任の最高裁判事に48歳女性指名へ 人工中絶反対の保守派

https://www.bbc.com/japanese/54306061

リベラルから批判され続けるトランプ氏も、今回ばかりはルースベイダーギンズバーグ判事の遺志を引き継ぐことにしたようだ。

女性地位向上に努めたギンズバーグ判事の後任に、まさに母親としてのみならず法曹としても活躍する女性を選ぶことにした。

さら

夫はインディアナ州の元連邦検事で、7人の子供がいる。そのうち2人はハイチ出身養子。夫妻の間に生まれた一番下の子供は、ダウン症候群を患う。

出身地の面でもステップファミリーという面でもダイバーシティ体現する家族を持つ。

女性以外のマイノリティに対してもフェアな姿勢を示してくれるだろう。

自身の子の疾患のこともあり、アメリカをはじめとする先進国蔓延する新優生思想と正面から戦い、人工妊娠中絶に反対する姿勢にも共感できる。

当事者団体などダイバーシティ尊重する立場から中絶に反対するリベラル派の支持も得ることができるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 19:39

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2018-11-17

https://anond.hatelabo.jp/20181117160701

行を使い切ってしまった。

その他有望そうな作品


メリー・ポピンズ リターンズロブ・マーシャル監督

シカゴ』でアカデミー賞作品賞さらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルディズニー伝説的名作の続編を制作

エミリー・ブラントベン・ウィショーこりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダメリル・ストリープといったミュージカル定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の体制を敷いた。

あらすじ的には『プーさん大人になった僕』みたいな「少年時代から数十年後……」なやつで正直芸がないなという感想だが、やはり布陣の豪華さで眼を惹いているのか、各種オスカー予想サイトでも好位置につけている。


On The Basis OfSex(ミミ・レダ監督

リベラル派の英雄ルースベイダーギンズバーグ最高裁判事の伝記映画

正直、作品としての評価はそこそこ止まりなのだが、題材のタイムリーさで群を抜いている。

ここ一二年の受賞傾向から読み取られるように、オスカー政治の場でもあるので、政権へのメッセージとして名誉枠的にどこかしらの部門ノミネートを受ける可能性はある。


バスターバラードコーエン兄弟監督

アカデミー賞常連コーエン兄弟の最新作。元はネトフリのドラマ用に書いた6つの短篇をむりやり一本の映画にまとめたオムニバス西部劇

ヴェネツィアでは好評を得て脚本賞を受賞したものの、ネトフリ映画オスカーでは弱い。ROMAとは違って長編でないことも致命的。

脚本賞ノミネートされるかどうか、というところか。

ちなみに日本のネトフリではもう見られるようになっとるぞい。観よう。


クレイジーリッチジョン・M・チュウ監督

オールアジア系キャストボックスオフィス第一位におどりでてハリウッドに衝撃を与えた金持ちラブコメ

多様性という観点でいけば黒人映画LGBTより恵まれていないアジア系英語映画も推されてしかるべきだと思うが、「内容的にはありきたりのロマコメなんで」と言い訳されて回避されそう。

去年の『ビック・シック』のクオリティでさえ作品からは外れたしな。


TheHate U Give(ジョージティルマンJr.監督

ヤングアダルト向け小説原作ながら人種差別に関しての深い洞察話題を読んだ伏兵作品

裕福な白人の子弟が通う高校自分も「白人的な振る舞い」をしながら友達付き合いをしている黒人少女主人公彼女は幼馴染の少年警官から理不尽に射殺される場面に出くわしたこときっかけで、自分の置かれた状況と社会に対して疑問をいだき始める。

ちなみにタイトル引用元はトゥーパックだとか。


Leave NoTraceデブラ・グラニ監督

批評集計サイト RotttenTomatoes.com で195名の批評家が軒並みポジティブスコアを与えて支持率100パーセントを記録した作品。去年の『レディ・バード』を彷彿とさせますね。

PTSDを抱えるイラク帰還兵の男が幼い娘と森の奥で世捨て人のような生活をしていたら案の定福祉局に見つかり、真人間として暮らすように強制されるとかなんとかで始まるヒューマンドラマ

こういう「ロトゥン・トマト・パーフェクト」なインディー映画は『レディ・バード』みたいに配給によほどに力がないかぎりは作品ノミネートまでこぎつけられないが、一方で最近オスカーインディー作品に対して温かいのも事実

監督は『ウィンターズ・ボーン』でそれこそインディー予算映画作品賞にねじこんだ経験があるだけに、ありえない線ではない。

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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今年のアカデミー賞作品賞にひっかかりそうな映画たち

自分ブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。

本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。


BlacKkKlansmanスパイク・リー監督

今年のカンヌで『万引き家族』の次点グランプリを獲得した、黒人映画永遠トップランナーの最新作。

黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。

スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。

公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラックリブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。


ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督

解説不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画

アメリカ国内外黒人問題歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。

まだまだ白人男性・おじいちゃん大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。

余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門ブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。


CanYou Ever Forgive Me?(マリエルヘラ監督

落ち目ライター有名人手紙文章捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ

日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。

夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴーストバスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。

そんなマッカーシーが一転してシリアスブラックコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。

演出したヘラ監督の手腕も高く評価されており、初の監督ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。


Eighth Grade(ボー・バーナム監督

インディーからまれた今年最大のダークホース

とある気難しい現代っ子少女中学生最後の一週間を描いた青春コメディ

中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュローティーンライフ描写が広範な支持を集めている。

監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている

オスカーコメディ敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか


女王陛下のお気に入りヨルゴス・ランティモス監督

ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツ作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇

アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。

すでに巨匠地位確立したランティモス監督過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースももちろん名前を連ねている。

今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。


ファースト・マンデイミアン・チャゼル監督

ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルライアン・ゴズリング

そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長スポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。

企画段階から作品ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。


グリーン・ブック(ピーター・ファレリー監督

オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品オスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。

黒人差別が法的に是認されていた時代アメリカで、自分ちょっとレイシスト入っている用心棒白人男が南部コンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。

ほろ苦くもユーモアメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。


If Beale Street CouldTalkバリージェンキンス監督

ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。

原作は今年日本でもドキュメンタリー映画私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズボールドウィンによる短篇濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦お話

テーマ重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。


MaryQueen of Scots(ジョージィ・ルーク監督

互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。

脚本担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。

いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティ保証されている。同じくイギリス舞台にした時代劇である女王陛下のお気に入り』がライバルか。


ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督

世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。

1970年メキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家ドラマモノクロで撮る。

評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロン知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。

まずスペイン語映画であること。長いオスカー歴史のなかでこれまで十作品外国語映画作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。

次にNetflix映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。

いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。

ちなみにNetflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。


アリ― スター誕生ブラッドリー・クーパー監督

ショービズ映画古典リメイク。この八十年で三回目の映画化です。

本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドル突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパー演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。

監督役者脚本、成績と四方に隙のない完璧映画に見える。

だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。


Widows(スティーブ・マックイーン監督

2013年アカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。

シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人ヴィオラ・デイヴィスエリザベス・デビッキミシェル・ロドリゲスシンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画

マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビ鉄板の出来。

そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。


Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督

厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイ少年ルーカス・ヘッジス)が教会同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョンセラピー)に放り込まれセラピストとバトルする青春ドラマ

近年では『ダラスバイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTもの俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBT俳優LGBTの役を演じることに倫理的非難が高まりつつあるにしても)。

批評家から評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。

トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。


Vice(アダム・マッケイ監督

GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー副大統領クリスチャン・ベール激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。

他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムスラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレルGWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。

題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネーショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミーノミネートまで行ける。

同じく政治ネタでライバルだった『フロントランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料


The OldMan and theGunNow(デイヴィッド・ロウリー監督

名優にして名監督ロバート・レッドフォード引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ

作品ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。

ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『AGHOSTSTORY』は今日から封切り。観に行け。

一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『TheMule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。



その他有望そうな作品

メリー・ポピンズ リターンズロブ・マーシャル監督

シカゴ』でアカデミー作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルディズニー伝説的名作の続編を制作

エミリー・ブラントベン・ウィショーこりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダメリル・ストリープといったミュージカル定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全のPermalink |記事への反応(3) | 16:07

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2016-04-17

「これはフェミニズムの歌じゃありません」(Not a Feminist Song)

This Is Not A Feminist Song - SNL 2016 - YouTube


すべての女性をたたえる歌が必要だわ

この世を糺すために戦っている女性たちのための歌が

からペンを持って夜通し書き続けた

フェミニズム賞賛するための美しいオードを

でも繊細なテーマだし一曲に収めるのは大変だし


からこの曲はフェミニズムとは関係ありません

頑張ろうとしたけど無理だった

これはフェミニズムソングじゃございません

間違えてしまうのが怖かった

女性のためのアンセム必要だと思う

でも書き終えずに家に還ってしまった


女性は誰でも悩みを抱えていて どの悩みも本物

でも女性全員のぶんは一曲じゃ語りきれない

から代わりに リリックに乗せて走りだす女性たちのMVを撮った

レンズフレアと年老いた女性の手のドアップのカット

おばあちゃんだからって どうこう言いたいわけじゃない

手だけ映すのも 正しくないと分かっている

まんまと罠にはまってしまったわ

デリケート話題はいつも面倒


からこの曲はフェミニズムとは関係ありません

ポリコレも考えなくていい

これはフェミニズムソングじゃございません

ずいぶん長く歌ってる気がするけれど

戦ってきた女性たちに曲を捧げたい気持ちはある

でもこの曲は違うから よそをあたってね


曲とは無関係だけど感動的なフッテージを入れましょう

ララマヤ・アンジェロウ それにマデレーン・オルブライト

ギンズバーグ判事女性の強さを示してくれた

この曲を歌わない権利女性は選べるんだってことをね


からこの曲はフェミニズムとは関係ありません

私たち女性が歌っているというだけのこと

でも、そういうのがフェミニズムソングなんじゃないの?

そうだ、これはフェミニズムソングだったのね

から、これはフェミニズムソング 

ハッシュタグをつけて拡散して

「男は出てきちゃいけないの?」

そういうことよ どっか行って

この曲を聞いてるみんなも歌ってね

そして、私達が間違ってるなら教えてね


複雑で手強い 地雷のようなテーマの歌だから

Permalink |記事への反応(0) | 22:07

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2011-06-13

「二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか」に対して

どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職です

で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257

なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。

今日結構真面目に書くので文体は素で。ネタ無し。

二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590

で、これ読んで思ったんだけれども。

ぼくが思うに、現代日本若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。

いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。

既存価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。

むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。

「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。

もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。

ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。

ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。

でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。

だって椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから社会には一定水準の競争が必要である、という

命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。

それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。

やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。

社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。

どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。

デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄り大分前に失敗した」としか思えない。

カウンターアクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。

少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか

ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。

今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。

少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、

与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、

それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる

ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味大学名前以上に。

この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。

価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、

実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。


ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても

負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。

かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活バカヤロー」よりは

スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会モデルすらない状態で、

価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか

そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。

まりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。

テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な

「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど

それを差し引いても、既存価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。

ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。

我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。

じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。

とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。

世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。

ぼくはかつて、ものすごく貧乏大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、

その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか

僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。

例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には

一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。

じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。

とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。

こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。

「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。

もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。

そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか

そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。

官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき価値観を共有出来るつながりがあることは

何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。

仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。

それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは

就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。

確かに、マクロ的に考えると我々は既存価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。

しかし新しいマクロ価値観ライフスタイル創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。

その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、

既存価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。

ダンスパーティー台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。

やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで

クソじゃない社会青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。

から、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。

そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?

ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。

悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。

その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。

人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機ビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。

まー、なんというか。

これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想から、なんのあてにもならないけれど。

とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。

個人の内面ナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。

これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。

まだまだやれることあると思うんだよね、実際。

ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観クラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。

不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。

エクストリーム世代」とかなんかそんな感じの新語を誰か考えるべき。

Permalink |記事への反応(0) | 19:16

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2010-09-14

作家になりたいとあがき続けて12年目の俺が読書暦を語る。

http://anond.hatelabo.jp/20100913002509

まぁ、小説書こうなんて奴は大抵の場合友達が少ない。

小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。

そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。

そして大方の場合小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。

グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。

そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?

そんな風にして小説を書き始めた。中学校一年生のときだ。

書きはじめてすぐにわかった、全然面白くない。

そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーSFラブロマンスも特に好みではない。

なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。

そうして本屋に行ってみた。まぁ、太宰とか三島が有名だよね。

とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。

仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。

おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは

中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。

さて、高校生になった俺の心を捉えたのは海外文学だった。

もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。

言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生谷底へ落下していく感覚学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。

この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケットクノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験数学は4/200点だった。

そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明ストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋テリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。

大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:14

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2007-02-12

わるい子

単にオイラの読解力が無いだけかもしれない、という言い訳から入るけど。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070211/p1

別に『賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ。』って部分にそんな文句はないけど、とにかく煽りすぎだろこれwwwww

前回述べたように、こうした企業が高い生産性を実現できるのは、その他の人々の支えがあればこそ、ではある。そうはいっても、やっぱり肝心なのはすさまじい労働生産性を達成している製造業なんだよ。

とりあえずこれを信じることにして(http://anond.hatelabo.jp/20070212044554って意見はあるけど)、これと

実はサービス業の多くは、あまり生産性が高くないんだよ。(中略)でも、だからこそ第三次産業/サービス産業雇用吸収力がある。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070204/p1

これで、何故

人は仕事がないことに耐えられるか、一パーセントに養われる存在に甘んじられるか、という問題設定はそもそもがナンセンスだ。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070204/p1

になるのかさっぱり分からん。教えてエロイ人

はてなに巣くうお気楽大学生どもが、バイト途上国高級官僚の何倍ものお金を稼げるのも、究極的にはシャープソニースズキのおかげなんだよ。腐ったアーティストだの、エコロジストだの、勉強不足の新聞記者だの大学教師だのが高い給料をもらってのほほんとして、大企業批判にうつつをぬかしていられるのは、実はかれらが往々にして忌み嫌う大企業大量生産システムのおかげなんだ。2ちゃんねるに巣くう(一部の)くされニートどもだって、その安楽な生活はかれらがとかく批判したがる大企業が高い生産性を実現している余剰にたかっているだけなんだよ。

んじゃもう、生産性的に(比較的)労力の無駄食いが多い部分なんてゴリゴリカットして、99%ってのは多少言いすぎにしても、これからは大企業様の恩恵を賜りながら僕ら皆でニートしてりゃいいんじゃね。マジで。出来ればその方がシアワセだと思うよ、僕は。

後どうでもいいかもしれないけれど

もっと卑賤なほうへ! メイド喫茶の女中さんがいる。日本の女中どもは、やはりメイド喫茶のあるタイの女中さんの数十倍の時給だ。どうして? 日本の女中さんはなんか手際がいいの? 目にもとまらぬはやさでオーダー取るとか? 「お帰りなさいませご主人様」というのを 100 倍の速度で言えるとか? 日本ならタイ女の子の 100 倍の媚びを売って、萌え度 100 倍、タイの女中喫茶なら平気なキモヲタくんが、アキバの女中喫茶だと店に入った瞬間に萌えオーラでいきなり射精とか? ねーよ。

ここの小見出しが『生産性の国際比較――サービス業は世界的に大差ありませんわよ』なんだが、サービス業をこんな感じで比較することに意味があるのか?よくわからん。タイでティーポット傾けられても、日本のご主人様のティーカップには一滴たりともお茶は入ってこねーべ。

「ゴッドランド経済学」で生産性の話を書いて、インドから戻ってきてみると反応がいろいろついてた。

ではワタクシはしばらくガーナにいってきますので、みんないい子にしているんですよ。

あー、感覚的に世界を縮めまくってるとか?

それなんてストレイト・クーガー。

たとえば、ぼくは先日、ウィリアムバロウズアレンギンズバーグ麻薬書簡』という本を訳した。所要時間は一日半。しかも品質最高。一方、この本には既訳があって、某大学先生がどっかに缶詰にされて「たった二週間で仕上げた」と自慢し、しかも「やっつけ仕事だ」と自負なさるとおり、目を覆うばかりのまちがいだらけ。この場合、ぼくの生産性と、この大学先生の生産性のちがいは簡単に計算できる。時間だけで見ても、ぼくの翻訳の生産性はこの先生の 10 倍弱。品質を考慮すれば 20 倍以上だろう。

どれだけ数量作れたって、価値が無けりゃ意味が無いんじゃないんですか先生(いや、別に翻訳本に価値が無いって言ってるわけじゃないです)。生産性って生み出した物そのものによるのか?生み出した価値によるんじゃないのか。

上のメイド喫茶の話でもそうだけど、なんかこの辺りが(主に僕の中で)よく分からんことになっとる気がする。タイで「お帰りなさいませご主人様」って言われても、その笑顔も見えなきゃ声も届かない日本のご主人様にとってはほぼ無価値だもんなぁ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:53

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