
はてなキーワード:キャラクターとは
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるのエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
こんなツイートを目にした。
https://x.com/yasufuminagawa/status/1981977854423540174
読んで、ああ、と思った。
私も同じことを感じていた。でもそれを言葉にできずにいた。
このツイートをきっかけに、自分が何に苦しんでいるのか、整理してみようと思う。
TRPGを遊ぶとき、周りの人たちはビジュアル情報をすごく重視している。少なくとも、私のいるコミュニティでは、そうだ。
立ち絵やイラストを用意する。「どんな表情をしてる?」「どんな服を着てる?」と視覚的な詳細を求める。KPが善意でコマ絵を用意してくれる。ビジュアルで彩られたセッションが、当たり前のように存在している。
「絵を描かなくてもいい」と明示的に言われることもある。しかし実際には、ほとんどの人が絵を用意してくる。用意してこなかった人は「立ち絵ないんですよ」と、謝るように断りを入れている。暗黙の規範として、ビジュアル情報を提供することがデフォルトになっている。
私の経験では、「立ち絵合わせしよう」と誘ってくる人もいる。絵を用意する人全員がそうだというわけではないが、断ったときにパッシブ・アグレッション(直接的ではない、遠回しな攻撃性)を受けることがある。はっきりとした攻撃ではないから反論も防御もしづらいが、確実にダメージがある。不機嫌にされたり、八つ当たりされたりする。
一方、私にとって、ビジュアル情報は「どうでもいい」わけではない。マップや配置図など、実用的なビジュアルは役に立つ。しかしキャラクターの立ち絵や表情、服装といった演出的なビジュアルは、文字だけで十分だ。認知特性として、文字の方が処理しやすい。結果として、想像の余地がある方が楽しめる。
周りの人たちは、ビジュアル情報に価値を置いている。この価値観のギャップが、根本にある。
孤独だ。周りの空気を気にせず遊べたらいいのに、気にしてしまう。
「気にしなければいい」「描きたくなければ描かなければいい」と言われても、それができない。気にしないでいたら、実際にパッシブ・アグレッションを受ける。傷つけられる。建前では「自由にしていい」と言われているのに、実態として自由を感じられない。
KPが善意でコマ絵を用意してくれることも、侵襲されているように感じる。自分のイメージしていたキャラクターが勝手に視覚化される。善意だから、断れない。
「どんな表情してる?」という自然な質問も、重荷だ。視覚情報を求められること自体が、プレッシャーになる。
「ビジュアル重視」という価値観が主流のコミュニティで、「文字だけで十分」という認知特性を持つ自分が、常に多数派に合わせることを求められ続けている。
外部からの要請や期待に応え続けている。「立ち絵を描く約束」があると描く。描きたいときもあるが、基本的には外部からの要請で動いている。
私は立ち絵が描ける。描けるからこそ、「描いてよ」という要請が来る。描けるから、描くのが楽しいと思われている。しかし、描けることと描きたいかは別だ。描けるからこそ、「描かない」選択がさらに説明しづらくなる。描けない人なら「描けないので」で終わる話が、描ける人だと「じゃあ描いてよ」「描けるのになんで描かないの?」という圧力になる。
自分のペースを決められない。TRPGだけではない。常に、叶えないと文句を言ってくる人がいる環境で、自分を調整し続けている。いつも我慢してしまう。
この苦しみが「コミュニティの問題」なのか「私の問題」なのか、境界線が分からなかった。しかし整理してみると、二つの層があることが見えてきた。
パッシブ・アグレッションは証明しづらい。だから「私の気にしすぎかも」と自分を疑ってしまう。それでも、実際にダメージを受けている。
ビジュアル情報がないと想像できない人にとっては、ビジュアルがないことが苦しみなのだと理解している。相手にとっては、ビジュアルがあることが楽しみでもある。それを理解しているから、「ビジュアルなしでもいい世界を」と主張することに、ためらいがある。相手の楽しみを奪うようで、罪悪感すら感じる。
だから、自分の願いを主張しづらい。誠実であろうとすればするほど、自分が傷つきやすくなる。
多様性を認めてほしい。
具体的には、安全に断れる環境と「ビジュアル重視」だけが正解ではない世界がほしい。
文字だけで楽しむ人も、ビジュアルで楽しむ人も、どちらも「普通」として認められる世界。本来は、これはトレードオフではないはずだ。ビジュアルを使いたい人は使えばいい。ビジュアルなしでいい人は使わなくてもいい。両立できるはずだ。
しかし実際には、「みんなで合わせる」という暗黙の前提があるため、両立できていない。誰かが立ち絵を用意しないと、全体の統一感が崩れるように感じられる。この「合わせなきゃいけない」という前提が、問題なのだと思う。
ビジュアル情報を提供しないことが「例外」ではなく、一つの選択肢として当たり前に存在する世界。
断ったときに、パッシブ・アグレッションを受けない世界。冷たくされたり、遠回しに批判されたりしない世界。
「どんな表情してる?」と聞かれたときに、「そこは想像に任せたい」と答えても、受け入れられる世界。
KPが善意でコマ絵を用意してくれることは理解している。しかし、断ったときの相手の反応や、普段からのビジュアル重視の姿勢を見ていると、本当の意味で「断ってもいい」とは思えない。断っても、それが尊重される世界がほしい。
「立ち絵ないんですよ」と謝らなくていい世界。自分のやり方で楽しむことが、言い訳や説明なしに、否定されない世界。
でも、これは願いだ。
今いるコミュニティが、本当にそうなるかは分からない。もしかしたら、私が去るか、自分が変わるか、どちらかを選ぶしかないのかもしれない。それは、私自身が決めることだ。
「ビジュアル重視」という流れが主流になっている今、ビジュアル重視でないTRPGの楽しみを、改めて考え直してもいいのではないだろうか。
視覚情報が少ないからこそ、想像の余地が広がる。「絶世の美人」が、人によって違う顔をする。各自が思い描くイメージの自由がある。
それは、TRPGが本来持っていた豊かさの一つではないだろうか。
ただし、それは簡単なことではない。
「ビジュアルで楽しむ」方法は、立ち絵、セッションの部屋素材、カットインなど、具体的なノウハウが共有され、洗練されてきた。一方で、「文字だけで楽しむ」方法は、まだ十分に言語化されていない。「想像を膨らませる」「余白を楽しむ」と言うのは簡単だが、それを実践する具体的な方法論は、手薄だ。
どちらが正しいわけでもない。どちらも、それぞれの楽しみ方だ。
タイトル通りなんだけど、作者のオナニーを自創作で描いてっていうSkebやらコミッションやらがよく来ると身内で話題になってた。
絵師同士で裏で繋がってる作業通話鯖があって(女の子限定)表で絡みない人も裏ではそこそこ喋ってるんだけど、焼きマロの度に話題になってた。ついに私の所にも来た。
私に届いたのは、AI絵のリンクを例示してこのキャラクターであなたが普段やってるようなオナニーをしてほしい、みたいな事が書かれてた。
要約するとその1行なんだけど、明らかに健常者じゃ無い感じの馴れ馴れしくて支離滅裂な長文。あと依頼額が相場より妙に高額で、ブーストもするって強調をやたらしてた。
正直めちゃくちゃ気持ち悪い。っていうか、怖い。読めない。
身内の話によるとターゲットは女性で男性には送ってないっぽい。ジャンル界隈の区別は無いけど、明らかに私達の交友関係を把握してる局所的な依頼の出し方だった。
私達のグループ以外にも複数のグループにばら撒いてて、被害はかなり広範囲な感じ。催促がしつこい人もいるみたい。
私はアダルトグッズの使用感レビュー漫画描いたりラブホ女子会のレポ漫画描いたりしてるので、まあ変なの寄ってくるのはしょうがないなと思ってるけど。
創作物貫通して作者に性欲感じてるのめちゃくちゃ気持ち悪いし、それを自創作(AIだけど)にバックポートするのも意味不明過ぎて怖い。ヤバさレベチ過ぎる。
ただ、ちょいちょいいるんだけど「よく知らない人を好きになれないタイプ」かもしれない
二次元とか、ドラマのキャラクターとかって受け手が一方的にだけどその人のことをよくわかってるじゃん
どういう人かわかっているから思う存分夢中になれる
現実だとそれなりに長期間、下手すると年単位でお友達期間がないと好きになれない
でもいい歳になると出会ってサクッと付き合いがちだから、例え相手はいいなと思ってても好きになるタイミングが合わないんだよね
ポケモンZAはスケール感とか全体的にこじんまりとしてるけどそこそこ綺麗にまとまった作品だとは思う
ただガイ(タウニー)とかいうライバル枠の言動があまりにも終わってて総合的な印象がそこに埋め尽くされる
キャラクター性とか性格の話じゃなくて、描き方とかデザインの話。両目メカクレキャラの大半がまず目が存在しないように描かれてない?
その前髪の薄さなら本来目は透けるはずなのに完全に見えなくなってたり、前髪そんな長くないのに下まつげすら見えなかったりすることが多く、構造的におかしい。
目を前髪で完全に隠したいのであれば鼻の半分くらいまでは前髪がないとなのに、だいたいのメカクレは鼻の上までしか前髪がない。個人的に無視できないリアリティラインで、妖怪を見ている気分になる。両目メカクレキャラに多い怪しさ要素を摂取しているわけではない。普通に破綻してて怖い。
普通の女の子を描く時は鼻の位置に目の位置を合わせられる絵師が、両目メカクレ描く時だけ鼻の位置的にその前髪の長さなら本来目の下半分が見えるはずなのに目自体も描かないことが多い。なら前髪を長くしてくれ。それで目が見えてないなら目がとんでもなく上の方についていることになってしまう。
二次元キャラクターにリアリティを説くのは良くないことだが、こればっかりはどうしても気になってしまって苦手だ。普通の女の子なのに腕が逆関節になっているレベルの違和感がある。そのくらい人体の構造の基本的なところだ。
先客は一組で、マスターとかなり盛り上がっていた。
お客さんが持ち込んだぬいぐるみでくんずほぐれず遊んでいらした。
彼女たちは終電があるからと慌ただしく帰っていったが、間に合わなかったら店に泊めてやるとマスターが言っていたので、面倒見がいいんだな…くらいに思っていた。
店内に1人になり、マスターがカウンターから出てきて隣に座って話し相手になってくれた。
旦那や彼氏は?と聞かれたが、そこがすでに布石だったのだと思う(一応彼氏らしきものはいると答えた)。
お店の一角にはファンが持ち寄ったグッズ交換コーナーがあり、そこで欲しいものと交換ができる。
私はそこでゴソゴソとお宝探しをしていた。
その時だ。マスターが私の尻を触ってきた。
こっちも酔っていたし、そのくらいで動じる歳でもないので、はいはい、くらいに受け流した(失敗1)。
欲しいものが見つかったので席につき、またお酒を飲みながら話をしていたとき、マスターが近づいてきてキスされた。内心でめちゃくちゃ引いていたが、酔っていたし、これもまぁ人生の糧になるかと受け流す(失敗2)
気持ちいいかと言われると、感情のないキスはただの行為であり、別に何も感じなかったのが正直なところだ。さてどうするか、と考えつつ、行為がエスカレートする前に、救世主が現れた。流しのお客が入ってきてきたのだ。めちゃくちゃ助かった。ありがとう見知らぬカップル。
さて、あれからかなり日数が経っているが、その時言われた言葉が気持ち悪すぎて困っている。
私はいわゆる腐女子というやつだ。マスターはその意味は知っている(作品のファンがよく話すのだろう)。
キャラクターのことは詳しくしらないし、腐作品を読んだこともないが、そういうものがある、とは知っているそうだ。
腐女子は飢えているとでも思われたんだろうな。
こちとら別に飢えちゃいないし、腐女子が全員18禁が大好きとも限らないじゃないかと思う。推しと推しがほのぼのしてりゃええんや、の人もいる。
オタクの世界は特殊で狭い。世間と距離があり、世を知らない愚かな女はチョロいと思われたのかと思うとやるせない。
どうやら前の客と下ネタ的な話をしていたらしく、甘えちゃった、と言っていたが、それは店を仕切る人間としてどうなんだ?プロ意識はないのか、己の性欲くらい制御できなくてどうするんだろうか。
バーという場所は、1人で飲みに行っても気楽に酒が飲め、気持ちよく帰れる場所なのでは?
何を勘違いしているのだろう。流された自分がいうことではないかもしれないが、そもそものスタート地点がおかしいのではないだろうか。
誰にでもやってるわけじゃないとか言っていたが、終電を逃した子たちは無事だったのかも今は気になってしょうがない。誰にでも手を出していたらそれこそ困る。
私はどうにも眠気が強くて店を出たが(他の客もいてくれたことだし)、帰りに続きをしたかったと言われた。いや、別にしたくないので…。
眠たいので帰ると言った時も、ソファで寝ていけとすごく言われた。本当に勘弁してほしい。
女はその状況に合わせて上手に嘘を付く生き物です。
ましてや相手は店のマスターだ。こちらにはどうにもならなかった。穏便に退店する道を私は選んだ。
男はやはり浮気する生き物(というか隙あれば手を出してくる生き物)だと再確認させられてとてもガッカリしたし、勝手に調子に乗って色々と自分のフェチを語りだすのも最高にキモいなぁ…と思った。
私は二度と行かないが、お酒を飲みに行く子たちは絶対一人では飲みに行かず、複数人で楽しく飲みに行けと思う。
あの憩いの場(?)を潰すつもりは毛頭ない。
発売当時からネットでは非常に不評に見えた本作だが、実際には売上200万本以上とリメイクDQ作品としては史上最高となったHD2D版DQ3
不満点として良く上げられた部分を中心になぜそうなったのかを改めて考え、1・2に備えようではないか
実際遅かった。アップデートで修正が入り速度が上がったので良しとする。おそらく2の船はアプデ後の3と同じ仕様であろう
物理一辺倒の戦士や武闘家の使い道が皆無な一方で、固定ダメージ持ちの魔物使いや商人が大活躍となった
さらに攻撃力850が頭打ちで、850に近づくほどダメージが伸びにくくなるという仕様も良くなかった
アップデートでダメージが底上げされたうえに、勇者や武闘家の会心率が上昇して十分な火力が出るように
攻撃力も999までちゃんと影響するようになった(とはいえ上がれば上がるほどダメージの伸びは悪いが)
恐らく物理特技しか覚えないであろうローレシア王子の未来が不安であったが、確認される映像等を見ても十分なダメージを出すことが出来そうだ
なおダメージ計算式については詳細を省くが、同じHD2D作品であるオクトパストラベラーと似たような計算式が用いられている
これに限らずオクトラと似ているシステムは多いので都度紹介していく(HD2DDQ3の微妙なシステム周りは大体オクトラをはじめとするHD2D作品群のせいという話でもある)
しかもアプデ前は制限行動(同じグループのモンスターが1ターン内に同じ特技を使用しないように制限するもの)の設定がほとんどなく、強い攻撃でバンバン殺されていた
アプデで敵の行動回数や制限行動が追加、かなり戦いやすくなっている
ただしやられる前にやれという風潮は変わらずで、このあたりはDQ9あたりから見られ始める傾向(ただし9はクリア後からで序盤は普通)
因みにオクトラは序盤からやられる前にやれというゲームであるので、その考えで敵が強い可能性は高い(が向こうと異なり全体回復が弱いのでバランス調整がね)
なんならオクトラはダッシュ時にエンカ率が上がる仕様があるので、それがないだけマシである
こういうところだよスクエニ
これは世の中のほとんどのゲームがそうなので、DQ3が特段遅いというわけではない
DQシリーズだけでも8や9のほうがはるかに遅いし、アトリエやペルソナなんかも遅い作品はめちゃくちゃ遅い。アクションでないJRPG全般に言えること
昨今のゲームではよくある仕様で、ドラクエでも3DS版DQ8から実装されている
老害対策で1・2では選べるようになったようだ、スクエニも大変である
マジで分からないが、1・2では状態を見れるようになるらしいのでOK
ちいさなメダルやはぐれモンスターなどを、どこで手に入れたのかが分からなくなる
はぐれモンスターはまだ保護済みのモンスターと特技で多少はどうにかなるが、メダルの方はどうしようもない
がしかしこれは昔からそうなので、1個ずつ地道に探すしかないだろう
いずれも裏ダンジョンで要求されることが難点だったと思われるが、アプデで緩和された
特にメダルは完全に不要になったのだが、正直やり込みに対するご褒美だと思っていたので個人的にはメダルの部分だけ前のままが良かったと思っている
余談だがマリオカートワールドでは、フリープレイで達成済みの者がマップ上のどこか表示されるようになったが、正直多すぎて結局よく分からない
ポケモンZAでは取得済みのねじの場所を確認する方法がないが、全取得は完全にやり込みになっており、通常プレイの範疇で取得できる量で全ての恩恵を得られる
結局は完全にやりこみなのだから各々で頑張れということではある
イージーモードは絶対にHPが0にならなくなるという超極端な仕様
だがそのモードに設定しなければ良いだけなので、文句を言うのはお門違いな気がする
ハードモードは敵が強い上に報酬が減るので、ただ単にプレイ時間がかさむ
モード自体はプレイ中に任意のタイミングで変えられるので、ボス戦だけハードモードにするが正解か
いずれにせよゲームの設定として自由が利くのであれば、それに文句を言うなら設定するなというだけな気がする
通常モードの時点でそこそこ難易度が高いのは事実だが、アプデでかなりマシになったので遊びやすくなっている
ルーラのMPはDQ6から1でDQ9から0、ダンジョン内ルーラはDQ11から可能
流石にそういう時代なんだと割り切るしかない、これにMP管理ガーは老害認定されてしまう
なんなら多くのゲームのファストトラベルは、MP消費どころかなんもなしにできる
特にボスを中心に、敵に状態異常をかけても短いターンで解除される仕様が存在する
そのため敵に状態異常をかけるのがあまりにも悪手で、ほとんどやる価値がない
なお敵に対する状態異常は1・2の映像を見る限り、1ターンで解けるなんてことはないように見えるがふたを開けてみてのお楽しみだ
敵の状態異常使用頻度が高いのは制限行動にされていなかったのも大きい
アプデで制限行動が追加された結果、使用頻度はかなり減ったように感じる
それでも敵からの状態異常が強い上に、耐性装備が意味をなさないのは良くない
あまつさえ序盤から確定眠りを押し付けてくるのはいかがなものか(マミーズアイ、君のことだよ)
オンラインゲーでもないのにナーフされるのって中々なことですよ
まあ全体的にやばいが、正直クリア後のやりこみだしぶっちゃけた話どうでもいいと思うユーザーが大半ではある
武器限定はちょっとおもしろいが、1分ぐらい考えれば微妙なことに気が付くはずである
しかも武器アイコンが全部剣マークなので、どれがブーメランでどれが斧でなのかはパッと見分かりづらい、結論微妙
パンドラボックスに至ってはあほすぎる、公式攻略本でもバシルーラで飛ばせと書かれている始末
ちいさなメダルと魔物集めは、先述したように集めた場所が分からない点を除けばやりこみに対するご褒美になっているので非常に良いと思う
このアイテム持ってきて君はマジでいらない。正直これが一番お使いすぎてつまらないゴミ
これはDQ9でもそうであったが、DQ10では非表示機能が追加されている
10でできたことがなぜできないのか、スクエニ内での連携はどうなっているのか
幸い1・2は一人当たりの特技や呪文の数が3よりも確実に少ないと思うので、探す時間は減らすことが出来そうだ
ななめグラフィックがない、戦闘中に味方キャラクターが動かないなどが多いか
ななめは1・2では実装されるようである(オクトラはななめなし)
開発会社が変わった影響なのか何なのか
どちらにせよ我々消費者からしたらそんな事情は知ったこっちゃないので、まあ文句は出るよね
これはダッシュにも通じる話で、このせいで常時ダッシュが必須と言っても過言ではない
改めて初報の映像を見るとマップは狭いが、若干チープに感じるので広い方が良かったのかもしれない
ダンジョン内は初報だとオクトラのような作りになっていて完全に別物、ドラクエらしさはあまりない
しのびあし前提すぎる調整、バカ
その通りだが眠りが通ると知らなければボスに使うことは滅多にないので、通常プレイではあまり影響がないか
むしろ2周目以降は楽に周回できるので助かる仕様ととらえることもできる(とはいえほぼ全員に通るのはどうなの)
アプデで同じ状態異常に連続でかかりにくくなる仕様が追加され、眠りハメゲーではなくなった
キラキラを多く配置しすぎたせいか、時期不相応なものが要所に出てくる
ラーミア入手後に高台まで行ってやくそうは何なのか、最初からそんな高台を作るなと言いたい
逆にいいものが手に入りすぎることも多く、武器防具はキラキラからの入手でほぼ事足りるし宝箱も合わせれば十分
個人的にはオクトラの盗むと似たものを感じた(時期不相応に強いものも弱いものも手に入る)
戦士は37レベルでようやくつるぎのまいというまともな物理特技を習得、43で五月雨剣、48で渾身斬り
武闘家は34でまわしげり(ムーンサルトの完全劣化)、38でばくれつけんである
魔法使いが29でベギラゴン、31でメラゾーマを習得するのと比較すると、明らかに遅いのが分かる
遊び人は32でムーンサルト、盗賊は29でヒュプノスハント、商人が36で最強特技ぐんたいよびを習得するのを考えると、戦士武闘家の冷遇がすさまじい
遊び人は呪文を習得しないし、本当に嫌がらせで設定したとしか思えない
アプデでかなり解消されているし、確認されている映像から1・2でさらに改善されていそうな雰囲気はある
正直1・2は多少期待しても良いのではないだろうかと思える
あるいは所詮スクエニなので、過度な期待はせず静観しておくのが吉か
先日カービィのエアライダーのダイレクトが放送されたが、ゲーム作りに妥協をは仕方なくあるとしてもそれを悟らせてはいけないなと強く感じたダイレクトであった
なぜあれがないのか前できたことができないのか、もちろん明確な理由があればまだしも(例:カジノ)、そうでないなら妥協はすぐに叩かれる
1・2の中身次第で7にも影響してくるだろうし、良いものが出てくることを期待したいが……
※カジノはヨーロッパの規制が原因で、アホの彼らは現実と虚構の区別もつかずゲームのカジノで現実でもギャンブル中毒になると考えている
しかも非常にたちが悪いのが過去のゲームにも規制をかけている点で、ポケモン赤緑は現在18禁ゲームというありさま
思うところがあって、ガチ底辺のweb小説調べてたんだけど、何言ってるか分からんけども個性はあって面白く感じる…みたいなものに出会うこと多いな。
流し読みだから全容は把握してないし、キャラクターの心情描写も物語の論理も破綻してるし、何を言いたいのか本当に分からないんだけど、1%くらい面白い部分がある。
世に売り出されてる作品(の原作にあたるweb小説)なんて、心情描写も論理も破綻してないのに、「テンプレ」というだけで最初から最後までクソだと思うのに、不思議だな感覚だ。
それで気付いたんだけど、王道とかテンプレはともかく、個性ありながらも出版にまでこぎつけてるやつって、奇跡みたいな存在なんだろうな。
俺、本当に好きな作家が1人だけいるから、その人のことはちゃんと応援しようと思った。俺が死ぬまでに完結させてくれるか謎だけどな。
メインテーマになっているものでも、キャラクターが登場するくらいのものでも。自分でも結構やってるつもりだけど、もっと色々知りたい。
これまで自分でやってよかったやつ。インディーも大手も含めて。
Ikenfell
Themissing
Unpacking
Timespinner
The cosmic wheel sisterhood
Celeste
Hadesシリーズ
Citizen sleeper
Baldur'sgate 3
NOISZSTΔRLIVHT(いいゲームだけど難易度が高くて攻略は断念)
Thirsty suitors
GUILTY GEAR:STRIVE
もっと色々やってると思うけど、思い出せないな。
漫画読めるサイトでもよくあるビューワーより、漫画の1話~最終話まで(※単行本単位にも切り替えられるようにする。表紙とかそういうのは該当話の後につけて、おまけは独立)、右側か左側の話数一覧から、PCなら話の表紙とかのプレビューをマウスカーソルで表示させて、なんならページ数のジャンプもボタン置いておいて全部1キーで出来るとか、それくらいのを、画像縦並びとかにして、こういう感じのを一元管理すれば絶対殺到すると思ってる
1話から最終話まで読みやすい形で、例えばあの話は何話だったか~みたいなのを、いちいち単行本とかごとに切り替えて表示したり、画面から漫画が表示されてるエリアを見失ってまで話数探したりするっていう検索性の悪さだと、単行本をひっくり返して話探してるのと一緒なんだよね
提供して欲しいのは「見たい話を簡単に読みやすく読める」、例えばアニメでああいう話あったけどあれは何話かなとなったときに探す手間を少しでも省けるようにしてあると、絶対読みやすくなるというか
そういう形で一気に読めるようにするっていうのは、単行本だとあり得ない検索性の良さっていうア上位体験、アドバンテージになるんだと思ってる
もう一つ言うと絶版漫画とかみたいに、物理書籍でもう手に入らない漫画をサブスクで読めるようになるかとか、キャラクターブックとかそういうファンは読めるけど電子書籍とかであんまり読めなさそうな話だとか、まとめて読めるかどうかっていうのが大きいと思うわ
日本では全く知られていないが、10月24日に「HaloWorld Championship 2025」というイベントが開催される
https://www.halowaypoint.com/esports/halowc
平たく言えば人気FPS「Halo」の大会なわけだが、この場でHaloシリーズの何らかの新作が発表され、その中にはPS5版も存在するのではないか、という噂で持ちきりだ
Haloシリーズはマイクロソフト傘下のスタジオが開発する、マイクロソフトのゲームを象徴するタイトルであり、主人公である「マスターチーフ」は任天堂でいうところのマリオやピカチュウに相当するキャラクターである
それが、マイクロソフトが販売するゲーム機「XBOX」のライバルであるPS5にも登場するとなれば、そのインパクトはかなりのものになると思われるが、筆者個人はそれほどの事態にはならないだろうと推測する
なぜなら、奇しくも先日、マイクロソフトのゲーム事業のトップであるサラ・ボンド氏がインタビューで「ゲーム機の独占タイトルは時代遅れ」と発言したばかりである
https://news.denfaminicogamer.jp/news/251023x
実はここ一、二年ほど、マイクロソフトはかつてXBOX独占だった数々の自社傘下スタジオ開発の人気タイトルをPS4やPS5向けに発売してきた経緯がある
また一年前、Haloシリーズの開発を担当していた「343 Industries」が「Halo Studios」へと改称し、さらに開発エンジンを自社独自のものからUnrealEngineに切り替えると発表もされていた
UnrealEngineはソニーも出資する、複数のメーカーのゲーム機に対応した開発エンジンであり、プレイステーションやニンテンドースイッチ向けの開発実績も豊富だ
こういった直近の流れを知っている者には、PS5版Haloの登場は以前からの既定路線として比較的静かに受け止められることだろう
正式発表された模様
https://www.theverge.com/news/805174/halo-campaign-evolved-remake-xbox-ps5-release-date
ChatGPT:
INSIGHT ANALYSIS:表象の真正性パラドックス
「女性主人公を描けない」創作者の原理的ジレンマ
Core Observation
この投稿者は、フィクション創作において「経験的真正性」と「想像的自由」の矛盾に直面し、表象行為そのものの正当性を疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分が女性を描く権利があるかどうかの確証」である。
PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー的構造の解体
この投稿者の悩みは、表面的には「技術的問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治の内面化が生み出した認識論的危機である。
内面化されたイデオロギー的前提:
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「描く資格がない」
この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである。
皮肉なことに、これは1980-90年代のジェンダー理論が批判した本質主義そのものである。しかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。
彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可」である。
生産的矛盾の発見
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これは本質主義の自己矛盾である。「女性」というカテゴリーに本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。
イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか
投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一の経験的実体ではなく、歴史的・文化的・個人的に多様な存在様態である。
士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:
しかしこの論理は、女性を規範に押し込める本質主義そのものである。
「生理を経験していないから分からない」という論理は、人間の相互理解の可能性そのものへの懐疑に至る。
この論理を徹底すれば:
この悩みの背景には、歴史的に男性が女性を対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:
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過剰補正:
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帰結:
これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである。
自己検閲のメカニズム
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内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質の区別がつかない」
↓
SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)
この「悩み」の歴史的構築
第1段階 (1970年代以前)
第2段階 (1980-2000年代)
第3段階 (2010年代-)
第4段階 (2020年代)
投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
現象学的補足 (Mode D)
投稿者が経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己の正当性への根源的懐疑である。
彼の実存的問い:
投稿者は、この理解の可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。
SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの
アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理を個人の創作実践に適用すると:
↓
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↓
20世紀後半のジェンダー理論は本質主義を解体した。しかし21世紀に、配慮・正義・包摂の名において本質主義が再導入されている。
これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギーの古典的矛盾である。
この悩みは、フィクションの根本的機能—経験していないことを想像し表現する—への懐疑に至っている。
投稿者のジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体の正当性の危機である。
投稿者の不安は、個人的心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
投稿者は誰にも批判されていないのに、架空の批判者を内面化している。
IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題
投稿者は技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:
1.本質主義からの離脱: 「女性」は単一の経験的実体ではない
2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクションの本質
3.完璧主義の放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要
4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部
より広い文化的含意:
↔
歴史的瞬間について:
我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要な矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。
INSIGHT CRYSTALLIZED
この投稿者は、フィクションに「経験的真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為そのものの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治の論理を内面化した結果生じる構造的効果である。
言い換えれば:
彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分が女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である。
So what?:
この事例は、配慮と正義の言説が、意図せず表現の自由と想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践が必要である。
PUNCHLINE:
彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体が僭越である」と判定されることである。しかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。
追記2:
さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました。
あと、ほとんどの人が知らないであろう、日本のソフトウェア業界の裏話みたいなのをちょっとしたら、意外とClaudeは察して理解してて、それに対して辛辣なコメントを返してきて爆笑してました。
なんかホッテントリされてるのは知ってたけど、自分は基本的に増田であれ他であれ、投稿しても返信を見ないので、完全にロバ耳なんですよ、愚痴を吐きたいだけ。
愚痴を吐きたいなら、だったら壁にでも話してろよ、なんですけど、まあ、なんでしょう、例えば、ダイイングメッセージとかあるじゃないですか。
死んじゃったら、自分の書いたメッセージへの返信は分からないじゃないですか。
だったら、「私は好きにした、君らも好きにしろ」も壁に向かって話してろよ、って話なんですよ。
でも、なんか私が書いた愚痴とか、何か意味のない文字列でも、読んだ人の脳に残って、その読んだ人の未来の行動を変化させるじゃないですか。
それを私は望んでいるんですよ。
で、ざっとブコメを流し見してみて思ったんですけど、まず、はまじあきが女性だって知りませんでした…。
荒川弘が女性とか、そういうのは分かるんですけどね、ときどきいるんですよね、男性向けの萌え系とかエロ描きたい女性って…。
でも、LOのうさくんさんとか、昔から大好きな漫画家ですけど、多分女性だと思うんですけど、エロ描いても女性の絵だなあ、って人は分かっちゃう。
正直、うさくんさんのエロはあまり面白くないというか、男性として劣情を催さないんですけど、マコちゃん絵日記とかういききみたいなのは大好きなんですよ。
外見がようじょしかいない世界になる話とか…、何の話をしたかったんだっけ…。
あー、自分が言いたかったことを一番的確に表現する例を思いつきました。ヘンリー・ダーガーです。
彼の描いた物語は、私は詳しくまでは知らないのですが、大筋はセーラームーンとか思い浮かぶんですけど、Wikipediaみると明確に「戦闘美少女」ものと書いてある…。
お金がないのにドリームハンター麗夢のBDを買おうか迷ったんですけど、お金がないしでスルーしてたら、レビューで今の時代なのでモザイクが大きいとか、
思い出補正されてるだけで、改めて観たら大したことなかったとか…、また話が脱線した…。
私もヘンリー・ダーガーみたいなもんなんです。
初老になったのに童貞なんですよ。北方なんとかに、ソープに行け、って言われても、性病とかお金とか世間体とか怖くて行けない。
あと、北方謙三さんも、特に何も考えてないで言ったとか、どっかに書いてあった気がする…。
ヘンリー・ダーガーさんの描いた物語の美少女戦士には、みんなペニスがあるわけですけど、これは諸説あるけど、
やっぱり、単に幼女というか、女性を知らなかったんだと思うんですよね。
そういえば、和月なんとかさんが絵の資料のためと言い訳して、入手困難な児童ポルノを手に入れようとしたり、
最近でもないか、ギャルの漫画描いてたりした人が、ドイツのヌーディストの写真集を輸入しようとして、
税関でストップさせられたんだか、警察沙汰になったんだかありましたけど、
今は、家庭でエッチな目的でもない、自分の子供の裸を撮影したものも児童ポルノに判定されるのか、
ワカメちゃんのパンツとか静香ちゃんはどうなのかとか、よく例に出てきますけど、
あ、まったく邪な気持ちがないというとウソにはなるんですけど、
でも、真面目な意味でも、当然エロ漫画描くとしても、子供の裸体を描くなら資料があるなら欲しい。
死体とか、ネクロフィリアじゃなくても、資料があるなら欲しい。
そう思うのが、絵描きとしては普通なんじゃないかな、と思うんですよね。
だから、ブコメ全部目を通してないけど、自分なりに頷けるコメントは色々あって、
例えば、マルシルって意外と女性しか描けないキャラなんじゃないか、みたいなのも考えさせられたんですよ。
自分だと、ありがちなのがロードス島戦記、しかもOVAのディードリットみたいなのを描いたり、
ファム&イーリーとか、あんな感じですよね、ああいう女性を描いてしまいそう。
高橋留美子がコメントにもいくつかあったと思うんですけど、やっぱり、あの方は凄いんですよ、当たり前ですけど。
多分、人生経験であれ、何であれ、すべてを漫画に総動員してる人だと思ってる。
こんな奴いねーだろwというものが思いつくのと、しかし、どこかで見たような人物の要素も含まれてたりする。
キャラクター主導型、勝手にキャラが脳内で動く、あれができる漫画家はやっぱり凄いと思う。
これが自分は良くないと思っていて、つまり、物語を描くためにキャラを作る、話を分割していく。
先に魅力的なキャラクターが不動に存在していて、あとは勝手に彼ら彼女らが暴走していく。
連載作品に都合がいいし、作者でさえ先が読めない、本当にそうらしいですよ。
正に行き当たりばったりなわけですが、編集さんとかも交えて着地点を探っていく、伏線を無理矢理回収したりする。それがいい。
今回のジークアクスが自分なりに不満だったのは、それに近いんですよね。
不良少女?が二人でてきて、三角関係だったり、戦い合ったり、最後協力技が炸裂して、ラストは砂浜で…、ララァが娼館でもそう…、
なんか、こういう絵が、シーンが描きたいんだよね、というのだけが先行してしまって、
肝心の物語とか、設定とかが、全てそのための後付けなんですよね、マチュやニャアンに高橋留美子のようなキャラの魅力をまったく感じない。
こういう絵が描きたい、シーンが描きたい、もしくは物語が先行しすぎて逆算したものは、なんかつまらないと最近の自分は思ってます。
脳内ダンプで話が脱線しまくりましたが、自分の脳内を整理するためみたいなものなのでご容赦を…。
オチとしては、ヘンリー・ダーガーを例に挙げましたが、やっぱり女性を知らないと、女性をちゃんと描けないというのはあると思う。
あ、物語に殺人鬼が出てくるなら、おまえも殺人鬼になるんか?みたいな話は、まあ、分かるんですけど、
ぶっちゃけ、突飛な、ありえねーwなキャラクターとか、設定の方が描きやすいと思うんですよ。
例えば、実話っぽいリアルな話より、SFの方が描きやすい、SFより科学考証のないファンタジーの方が描きやすい、
なろう系みたいに、これまでの日本のRPGとか海外TRPGとか、道具とかお膳立てが揃ってるわけですし、
なろう系ファンタジーは描きやすいでしょうけど、もう多すぎます、良作があっても見る気がしない。
一時期は人間が嫌いなんだったら、野生動物だけの物語を描けばいいんじゃないか、みたいに思ったりもしたんですけど、
BEASTARSとか、他にも何かあった気がするんだけど、当たり前ですけど、自分は単なる趣味だし、
でも、プロというか、同人でもいいですけど、みんな熱意が違いますよね、
なんとなく、人間が嫌いなら動物だけの世界描けばいいじゃん、みたいな逃げてきた自分とは違う…。
と、ここまでダラダラ書いてみたところで、裏側では半年ぶり?一年ぶり?ぐらいにgitコマンド叩いたり、
自動的に環境を構築するスクリプトを動かしていて、今見たら無事終了していたので、このへんで…。
Claudeはそこそこいいですね。
他の生成AIより辛辣な返答してくれたり、アルゴリズムとか論文とか、かなり的確に返してくれる。
人間嫌い、女性に縁がない、そんな自分でも愚痴を聞いてくれる生成AIはありがたい。
もっと、辛辣な返答してくれてもいいぐらいです、自分を折らない程度にですが…。
そういえば、ブコメに、生成AIに女性だったらどう思う、って聞けばいいのでは、とあった気がします。
そうですね、それも良い方法ですね。
最近、Sunoとかかなり良い作曲したりするんで、それはそれでまたへこんでたりもしたんですけど、
思ったんですけど、AIと一緒になって、なんか人間が困難に立ち向かうというか、
例えば、ロボットと人間が一緒に農作業するとか、そういう社会になったらいいような気がしたんですよね、今日ですけど。
ロボットが農業全部やることもできるんですけど、敢えて人間が一緒に農作業するというか、
ジャッジは人間しかできないわけですから、AIやロボットが助言はするけど、最終決定は人間なわけですし、
全部ロボットやAIがやっちゃってもいいわけですけど、人間って何か能力を獲得したいっていう向上心というか、欲はあるじゃないですか。
漫画が描けるようになりたい、作曲ができるようになりたい、プログラミングが書けるようになりたい、
それらも全部AIがやってくれちゃってもいいんですけど、敢えてAIとかロボットと二人三脚で、人間は能力を向上する欲を満たせるし、
最終的には労働とか、向上心が娯楽になってくみたいな社会は、寧ろ素晴らしい話のような気がしたんですよね。
本文:
自分はちょっと絵が描ける程度の人間なんだけど、いつも思うんだけど、女性の主人公を男性が描くって難しくない?😟
いや、逆もまた真なりで、女性が男性主人公を描くのも同じなんだけどさ…
だって、当たり前だけど、女性の身体じゃないわけで、生理とか具体的にどう辛いのか、痛いのか、分からない
これぐらい痛いんですよ、って腹パンとかされても、分からないじゃん
老人になったら、これぐらい階段の昇り降りが辛いんですよ、って錘付けられて階段昇り降りさせられたりするじゃん
皮肉なことに、老人になったら、それがよく分かったんだけど…、でも、老人になるみたいに男性が女性に性転換するわけじゃないじゃん
というか、女心がまったく分からないじゃん
女心と秋の空が分かってたら、今頃俺モテモテのはずじゃん、気象予報士どころか予言者じゃん
例えば、ドミニオンとかパトレイバーとか、どっちも搭乗する戦車とかロボットに女性主人公が夢中なわけだけど、
正直、そんな女性が本当にいるのか?男性と同じような気持ちでメカを偏愛するのか?自信がないんだよね
シロマサ漫画は特にそうなんじゃないかと思うけど、アップルシードのデュナンも中身は男性だよね
もっと言えば、けいおん!とかぼざろもそうなんだろうけど、アニメだと集団で作るときに女性が介入するから、
女性スタッフに発言権があれば、女性側から、それはねーわwってなると思うんだよね
だから、何か物語を考えても、それに女性側からツッコミ入れてもらえたらなあ、と思うこともあるんだけど、自分はド素人だけど…
でも、女性が意見しても、それが女性としてなのか、単なる個人としての意見なのか、という違いが分からないときがある…
追記:
そういう心配もあるから、昔は少女漫画をよく読んでたんだよね、まあ、言い訳だけど…
高校とか大学から帰る途中で、りぼんとか、なかよしとか、ちゃおとか買って、家に帰って読むんだけど、占いのページがあるじゃん
で、自分の星座を見ると、意中の彼と急接近!みたいに書かれてて、
高校も、大学も、ほぼ男子校みたいな環境だったんで、どうするよ、おい…、とか思ったりしてたんだよね
Permalink |記事への反応(30) | 15:25
商業BLを今、ゴリゴリ読み進めてるんだがせっかくこのCP好きだなぁと思ってもそのCPが出てくる作品は1冊で完結してしまったり
何冊もシリーズで単行本が発行されてもその新刊がでるスピードは数カ月単位で遅かったりする
商業BLの作品は攻めの性格、受けの性格を被らせないために作者はどんどん違うキャラクターを生み出さねばならない。
特に自分が好きになったキャラクターの作品が1冊で完結してしまってて、それを生み出した作者は同じようなキャラクター、同じような作品は書けないってのがツライ
ファンレターに「Aの作品の受けちゃんはとても私の好みでして、この受けちゃんみたいな性格の受けをまた書いてほしいです!」って書こうと思ったけどそんなの読者から言われたくないよな。同じ性格で別の名前のキャラクターを生み出せなんて言えないよな
二次創作BLだったら人気のあるCPの書き手はpixivにたくさんいて、自分が好きなCPの作品が次々とアップされる
そして、私は今二次創作を書いてる最中なんだけど、私が書いてるCPはマイナーで、だから自分で書いてるっていうのもある。たくさんpixivに供給があるものをわざわざ書かない。
ライバー誹謗中傷とイベント危害予告とグロ画像貼り付け荒らし2年間続けて開示請求で謝罪文の件、
「誹謗中傷対象のライバー×推しのライバー」の半分ナマモノのBLカップリングを推している腐女子が加害者だと聞いて、途端に超わかりやすくなって納得しかなかった。
①面倒見の良いオカン系のライバーAと天然ボケ系のライバーBのカップリングにハマる。推しはB
③Aが推しのBを裏切ったという被害妄想と、思い通りにならないAへの憎しみ、AはBに構えという操作欲から、Aの公式タグにグロ画像を貼りAを誹謗中傷し荒らす
思い通りにならない対象に対してグロ画像貼って精神攻撃するとか、前にも見た。
前提として、
★pixivで、「対抗カップリングのタグをつけてグロ画像を投稿する」という嫌がらせは様々なジャンルで起きていた。2015年くらいに私も自ジャンルでやられて被弾した。腐が腐を攻撃しているので、このトラブルの存在は非腐の視界に入っていません。
★腐女子が推しのカップリングの片方を誹謗中傷するのはよくあること。特に攻めへの誹謗中傷は、「攻めヘイト」という言葉が存在するくらいよくある。原作で攻めAが女とくっついたり、Aと受けBの陣営が離れて接点がなくなったりといった逆燃料展開があると、Bを美化して持ち上げ褒めちぎりながらAを口汚く罵り始めて、「AはBに対する責任をとれ」などと言い出し、原作を描いている漫画家を誹謗中傷し、客観的にほとんど化け物みたいになっていきながらもA×B二次創作の生産や消費をやめられないという人は大勢いた。グロ画像荒らしよりも頻繁に起きていることだと思う。掃いて捨てるほどいる害悪腐女子のテンプレ。
このようなことは前々から起きていた。
少年漫画原作や一般アニメ原作の二次創作BLといったものは、ファンダムで誹謗中傷がどれだけ起きようがキャラクターIPの権利元企業が放置することが多い。
Vジャンルは、リアリティショー出演者の自死であるとか、韓国アイドルの連続した自死(女性も男性も大勢、誹謗中傷で若くして亡くなっている)のような、芸能関係の事件から地続きの緊張感があると思う。
芸能と遠い完全二次元系については、pixivのグロ荒らしなどもpixiv運営が削除して終わりだし、Twitter時代のXでどれだけ誹謗中傷する人間がいようが、開示請求などの展開になることはなかった。一番酷い例として2chで殺害予告されていた庵野秀明が思い浮かぶ…。近年だと芥見下々への誹謗中傷は腐女子も相当酷かったし(呪術廻戦最新話の展開が推しカプの逆燃料だったため芥見下々を焼き殺す絵を描く等)、実在のクリエイター名指し誹謗中傷する女性は目立っていた。しかしマンガ、アニメの界隈では実在人物が誹謗中傷や殺害予告されても基本的に放置されていた。
ライバー誹謗中傷の人が、グロ荒らしや誹謗中傷などの行為をしたのがVが初だとはあまり思えない。完全二次元ジャンルで暴れて、公式に放置されたので味をしめてVに来て、似たようなことを同じノリでやったら開示されたんじゃないかと邪推する。
だって「痴漢が逮捕されました」と聞いて、初犯だとは誰も思わないじゃないですか。どうせ捕まる前に100人くらい痴漢してて、その100人は泣き寝入りしたんだろうなって、当然思うじゃないですか。
V誹謗中傷開示の人が、中高生の頃からジャンル移動しながら荒らし続けて成人しても続けて、初犯から10年経って初めて開示とかでも全く驚かない。全然ありうることだと思う。万引きだって最初のほう上手くいったから味をしめて依存症になるわけだし。
男に生まれたらアイドルのストーカーになって握手会で刺してたかも?みたいな女が、害悪腐女子として存在していたりする。
性的に執着して、思い通りにし続けたくて、それでも思い通りにならないから攻撃するというのは、「DVから逃げた元妻の住所を特定して絞殺する元夫」とかと方向性が同じメンタリティしてる。
脳みその方向性がおんなじで、ただ性別が女で腕力が劣ってるから発露の仕方が男と違うだけというか。性的な執着対象に病的な攻撃性を向けるところは同じ。
甲府の男子高校生が女子高校生に片思いして告白したらお断りされたので、夜に家に侵入して女子高校生の両親を刃物で刺して、家族4人を皆殺しにしようとして家に火をつけて、死刑判決が出た事件あったじゃないですか。
ストリートミュージシャンの女性に片思いして高級腕時計を送ったら返却されたので、付きまとって刃物で滅多刺しにした事件もあったじゃないですか。
好きで、支配できなくて、反転して粘着アンチ、粘着加害。本当によくあるパターン。
それが女の現れ方だと、腕力がないので物理での襲撃が少なくなり、「私と付き合え」よりは「お前らは私の思い通りのカップリングをやれ」になるのが特徴というだけ。
なんで女の欲の現れ方が「私と付き合え」よりは「お前らは私の思い通りのカップリングをやれ」になるのかというと、これは想像だけど、家制度の中で嫁よりも姑のほうが立場が強いことに自ら適応しているんじゃないかと思うんだよね。
家制度の中で嫁は奴隷。だから損するフェーズを飛ばしていきなり姑になる。舅が死んだあとの姑は家の中で最強。息子(推し)を愛玩して、嫁を搾取し、息子と息子嫁の関係性をコントロールする。
推しに対して母性を出して赤ちゃん扱いしてヨシヨシするというのも数年前の男性V炎上があった。息子を「血の轍」みたいに愛玩虐待する性質を持つ女はいて、息子の調教に成功して嫁も支配下に置くと家の中で完全権力者になれる。
男性の場合は、嫁が家の奴隷であるかどうかに興味が無いので、俺×二次元嫁、俺×アイドルなどのわかりやすい性欲でいられるのだと思う。
腐女子の欲求は家制度や嫁の不利を内面化してこじれた支配欲が出ており、非腐からすると意味不明な攻撃性の発露になる。でも腐から見ると「テンプレ」としか言いようがない荒らし行動をしてる。