
はてなキーワード:キャサリンとは
元スレは /r/mildlyinteresting/comments/1jvvs4e/section_of_banned_books_in_a_barnes_noble/ ですが、残念ながらポストが削除されてしまったのでその解説コメントの方を転載します
古典的名著や絵本、有名SF作品、人気映画化作品が多くて驚きます
→LGBTQ+をテーマにしており、特にトランスジェンダーのアイデンティティを扱っている。複数の州で発禁。
→LGBTQ+のテーマと性別の不一致。子どもたちに「混乱を招いた」と批判される。
→検閲そのものについての物語。禁止された本のテーマが含まれているとして批判されている。
→ LGBTQ+ の回想録が、露骨な内容とアイデンティティのテーマで批判を浴びる。
アンジー・トーマス著『ザ・ヘイト・ユー・ギヴあなたがくれた憎しみ』
→ LGBTQ+ をテーマにしており、保守的な地区では異論がある。
→フェミニスト的な内容が「過激」または破壊的であると見なされる。
→ あまり禁止されていないが、監禁とアイデンティティに関するディストピアのテーマ。
→ディストピア的なテーマ。パンデミックや崩壊に関する内容が問題視されることもある。
注:これらの禁止措置や異議申し立てのほとんどは、米国の学区や公共図書館で発生しており、政治的圧力や保護者からの圧力が背景にある場合が多い。よく挙げられるテーマには、性的指向、人種、暴力、言語、宗教、政治批判などが含まれる。
ロマンシングサガ2リメイク(以下リベサガ)を先日クリアした。すごくオモロだったので、感想と史書風のプレイレポを残しておく。自分はサガシリーズ自体はぼちぼち遊んでいるけど、ロマサガ系列は初めてなのでヘンなところがあってもご容赦を。
なお難易度については、七英雄のヤバさを聞き及んでいたのでノーマルにした。何十時間もかけて詰むのは面倒と思って……。ファイアーなんとかさんに何度も運ゲーでリセットされたり、クソつよ卵に強制二周目を余儀なくされた過去のゴーストが「やめとけ」って囁いたんや。
あんまり長々と書いても他のしっかりしたレビューのn番煎じになるので、感想を三行で要約すると
ちなみにこれを書いている人は、仕事のためにツナギとかエプロンとか華美さがない実用性重視の服装をしている職人気質女子(さらに赤毛でポニテで元気っ子だと言うことなし)がめっちゃ好みだということを宣言しておきます。
憎きクインジーは討たれた。敬愛する兄王子、そして偉大な父王の無念は果たされた。しかし未だに残り6人の七英雄がこの世界のあちこちで暗躍していることだろう。その野望を砕くため、アバロンの皇帝が今立ち上がる。
チュートリアルのクインジー撃破から水上要塞攻略まで。素直にキャットに協力を仰いでほぼ戦闘をせずに要塞を攻略した。ライトボールばっかり使っていた印象がある。難易度がノーマルではありながらボスが結構強かった思い出。とくに攻略情報などは見ていなかったため、いきなり50年もジャンプしてびっくりした。
アメジスト帝を一言で言い表すならば、ひたすらに南を目指した皇帝であった。
ジェラール帝から帝国領土の拡大と七英雄の撲滅という使命を引き継いだアメジスト帝は、帝国にケンカを売ってきた格闘家を討ち滅ぼし、モンスターに支配された宝石鉱山を開放し、ルドン高原を乗り越え、辺境である南方の地に覇道を突き進む帝国の風を吹き込んだ。また皇帝は出会ったサイゴ族を大いに助け、彼らと帝国の間に友誼を結んだ。
南下の途中、とある洞窟で七英雄の一人であるダンダークと出会ったアメジスト帝は、死闘の末に多大な被害を出しながらも七英雄が一の強敵を打ち破るという大金星を上げた。挑むのは時期尚早と諌める臣下の声は、先代から引き継いだ七英雄への衝動に支配された皇帝の耳に入ることなく、その怒りに燃える橙の瞳は佇む七英雄にまっすぐ向けられていた。
ダンターク撃破後、余生としてトバでツバメの巣を漁ったりと漫然と暮らしていたアメジスト帝であったが、最後はサイゴ族の南大陸への移動を見届けて皇帝の座を退いた。
二代目皇帝は宮廷魔術士を選択。理由は魔術系の陣形があったほうがいいんじゃないかと思ったから。男ではなく女にした理由は火術が攻撃系っぽかったから(あとデコルテとヘソが眩しかったから)。
難易度はノーマルにしたんだから、リセットしたり厳選したりせずにフィーリングで皇帝を選んでもなんとかなるんじゃないかと思って、他のキャラクターについてはどんな陣形を持っているかは調べなかった(この出たとこ勝負はとある七英雄と戦うまで続く)。
アメジスト時代は結構長かった。そのせいか、最後の方は敵の強さに味方側のパラメータ(特に装備)が追いついておらず、かなりキツイ戦いが多かった。この時代が一番LPがボロボロだったと思う。
特に実質的に最初の七英雄戦であるダンタークとの戦いは何度も全滅する激戦になった。術技も武具も揃っていないため、ダンタークの攻撃はほとんど致命傷(ふみつけを喰らえば即死)となり、こっちの攻撃は、物理の最大打点が気弾(体術)と切り落とし(大剣)の600、術がフレイムウィップの800。気合とお祈りでなんとか勝てたけど、正直時期尚早だった気がする。実際、ダンターク戦はリベサガで二番目にキツイ戦いだった。
火術を期待して抜擢したが天術(太陽光線、月光Lv2)の方がメインだった。アンデットがやたらと出てくる洞窟が多くて、一人だけ太陽光線で1000近いダメージを叩き出していた。
体術の鬼。カウンター、ジョルトカウンター、コークスクリュー、気弾などなどをひらめいた。あと初期装備のヒールサンダルから繰り出されるふみつけがやたらと強かった。
大剣技をよくひらめいてくれた。ダンダーク戦では流し斬りまで閃いたが幻になってしまった(全滅した)。頼りになるV系のイケメンだった。
ダンターク戦において回復が追いつかずに急遽ヒーラーとして投入。意外と打たれ強かった。
火術の人。ファイアウィップオンリーでほぼ戦い抜いた。ダンターク戦では盾持って防御するという、なぜかタンク役になっていた。ファイアウィップがダンタークに刺さりすぎるせいか、ヘイトを買ったかのようになぜか狙われまくったことが原因。
アルゴルくんと愉快な仲間たちは滅亡したカンバーランドを走り回り、表ではレジスタンス活動をしていたホーリーオーダーを援助しつつ、裏では武装商船団の頭領を強請って強引に不平等同盟を結ばせた。
バレンヌ帝国の皇帝としては、ヴィクトール運河に橋をかけたり帝国大学を作ったり公共事業に力を入れ、後世への礎を築いた。
プライベートでは、(ネレイドに水をぶっかけられたりしたが)マーメイドにて出会った踊り子と親密になり、魔女に人魚薬を作ってもらうため東西奔走したが、サイゴ族の子供(と子ムー)を助けに洞窟に入って、うっかり年代ジャンプをしてしまった。
三代目皇帝は、なんか面白そうだしという理由でフリーメイジ♂を選択。ゲットした陣形は多分一回も使わなかったと思う。もろもろのイベントでエビス顔皇帝がいろんな顔をして面白かったので元は取った。このとき格闘家が皇帝候補に出てきたのだけど、仲間になってなくても出てくるもんなんだと思った。まあ滅ぼした相手だから皇帝には選ばなかったのだけど。
カンバーランドイベントで幽霊の兵士がうろついている城があって、割と稼ぎスポットな匂いがしたけど死者を冒涜すのはなあと思って隣を通ったら念仏を唱えるだけにしておいた。仲間が増えてきたこともあり、訓練場であーだこーだやって閃き適正がある仲間を見つけ出すのが楽しかった。
ファイアボールLv2とフレイムウィップ、そして前皇帝から引き継いだ太陽光線と月光をメインに戦っていたはず。そこそこ杖に閃き適正がありいろいろと閃いた(削岩撃までだっけ?)。「ひょっ」とか「ふよっ」みたいな掛け声が可愛かった。
槍と大剣を修めた。大剣と槍使いが他に居ないからと正直それほど期待していなかったけど、水流剣や無無剣など便利な大剣技、一文字突きなどの強力な槍技を閃くいぶし銀の活躍だった。
クラスとして小剣が得意と言いつつ全く閃き才能が無くておいおいとなった男の子。ただその分、剣の才能にあふれており次々に強力な剣技を閃いた。特にみじん切りと濁流剣は中盤まで便利だった。
才女。小剣も剣も弓も閃き適正があり、めっちゃ閃きまくってくれた技のデパート。この時に閃いた技で後世まで含めて一番使ったのはマリオネットかな。
カンバーランドが帝国に下った証として傘下に入った大型新人。仮にも皇帝であるアルゴルよりも高い魔力を持ち、サイクロンスクイーズで敵を蹴散らしていた。実はアルゴルと同じくらいの杖への閃き適正があった。
カンバーランドを拠点とするホーリーオーダーがバレンヌ帝国の臣下となり一世紀、新たに帝国を率いる待望の次期皇帝はこのホーリーオーダーから誕生した。
新皇帝のアガタ帝は前皇帝の志を引き継ぎ、領土拡大のため草原地帯であるステップに進出した。そこで出会った草原の民ノーマッドから、七英雄が一人ボクオーンが地上戦艦でこのステップを荒らしていることを聞き、七英雄滅ぼすべしと帝国大学の軍師に協力を仰いで史上最大の囮作戦を敢行すると、親衛隊と共に帝国最強の突撃隊として戦艦に潜入した。
七英雄が一の策略家であるボクオーンとの戦いは苛烈を極めた。操り人形との同時攻撃をなんとかしのいだとしても、底力を出したボクオーンの悪夢のような波状攻撃に次々と仲間が倒れてゆく。だが、七英雄許すまじという意志の元で団結した帝国突撃隊の鉾は、最後にはボクオーンの人形の体を貫いた。
ステップを開放したアガタ帝は、続いてアリの被害に苦しむサバンナをも平定し、その歩みを止めた。ステップを平定する前にはメルー地方の各地に脚を伸ばし、退陣までの稼ぎをするかのように東西へ奔走したと伝わっている。せっかく作った人魚薬を試してみることができなかったのが心残りだったと臣下に漏らしていたと伝わっている。
四代目皇帝は妥協の上でホーリーオーダーを選択。皇帝選択でリセットしないという縛りをしていたのだが候補にろくなクラスが出てこず、三連続で術士系になってしまうのはマズいなーとは思いつつもまあいいかと。
アガタ帝時代の印象は、とにかくボクオーンがキツかったこと。後少しで勝てるというところまで行くのだけど、どうしても最後まで体力を削ることができない。これを十数回繰り返したと思う。ここまで厳しかった理由は複数ある。
1. ボクオーンの強冥地相を解除する手段がとにかく乏しかった。せっかく第二形態まで追い込んでも地相を解除できずに一気に回復されて詰みになることが多発。あっちは終わりなき人形劇を連発するだけであっという間に強冥地相にするのに、こっちは解除手段が気弾と太陽光線しかなかった。
2. オートセーブを信用しすぎて地上戦艦から外に出られないことに気が付かなかったことに起因する準備不足。ロケハンをしようと思ったのに、いろいろと術技を閃いたせいで引くに引けずとなった。一回アバロンに戻れば月光Lv.2があったので地相解除手段が増やせたのだが。
3. 見切りもパラメータも陣形も足りなかった。水鳥剣で後衛が薙ぎ払われ、マリオネットで鈍足キャラが利敵させられ、終わりなき人形劇で次々に低HPキャラが倒れる。地獄絵図だった。ちなみにこの戦いでアガタがソードバリアを修得した。
攻略中は何回も、なんでデカブツが三回も行動するんですかその細足じゃ折れるでしょ!とか、なんでたった二回ぽっち暗黒タコヤキアタックしただけで強地相になるんですか!とか叫んでた。突破するまでリアル数日かかったはず。一回敗北して新皇帝になったほうがアタッカーと月光ヒーラーに役割分担できてもっと勝率は良かったように思う。
高い魔力を活かしてとにかく魔法をぶっぱしていた。各地で合成術を発見したので様々な術を駆使していた。基本はサイクロンスクイーズ。ボクオーン戦では太陽光線でがんばって地相を解除していた(ただ解除できたかと言うと……)。フルフラットを閃いた武闘派。
ちなみにホーリーオーダー♀の見た目では、モニカみたいにお下げを肩に垂らしている方が好き。
前任者と異なり大剣に閃き適正がなかったものの、斧と槍に才能があった。特に斧技の閃きは抜群であった。対ボクオーン戦では大木斬、チャージ、稲妻突きなどでひたすら攻撃していた。最終的に高速ナブラを閃く偉業を見せた。
前世代が見事な体格に反して体術の才能がなかったのだが、今世代はいろいろと体術に閃き適正があったので採用した。ボクオーン戦での貢献およびとある技を閃いたおかげで本世代のMVPかもしれない。その技とはベルセルク。バーナルがタンク役をしてたおかげでソーモンの指輪を着けていたので、ベルセルク後に急に火力が上がってびっくりした思い出。ボクオーン戦ではタンク(ベルセルク)、火力(マシンガンジャブ)、地相解除(気弾)に大活躍だった。というか仕事が多すぎた。
ボクオーン戦では幻惑剣で人形のスタンを取り続けていた。意外に弓の才能もあったけど地上戦艦内でエルダーボウを取るまではずっとダートを使っていた。なお顔採用。
火・地術の使い手が欲しかったために採用。ボクオーン戦では金剛力でシーシアスのサポートやアースヒールで回復を担当していた。長期戦には何よりも優秀なクラスアビリティが必要であると教えてくれた人。
後半に前衛枠が空いたので投入。真空斬りを閃いた。予想以上にクラスアビリティが優秀で、後世でも何度もダメージコンバーターを使うこととなった。
砂漠攻略時に投入。見事バラージシュートを閃いた。クラスアビリティである撹乱の優秀さにこのとき初めて気が付いた。影ぬいとフェイントの成功率がエグく、ボクオーン戦でこれがあれば……と思った。
BP回復の強さをボクオーン戦で思い知ったのでアビリティーマスターのために投入。ストーンシャワーを閃いた。この術は貴重な地属性の全体攻撃として最後の方まで使うこととなった。
昔のヨーロッパの王族や貴族の中で、白雪姫のお話と同じように、美しいことで嫉妬を買い上位の親族など(特に継母)から迫害、排斥、暗殺などの被害にあったケースを挙げてください。
ヨーロッパの歴史において、容姿の美しさが原因で嫉妬を買い、特に継母などから迫害されたという歴史的な事例をいくつか紹介します。
- アグネス・ソレル(15世紀フランス) -フランス王シャルル7世の公式な愛人として知られ、その美しさは有名でした。王妃マリー・ダンジューの嫉妬を買い、複数の歴史家はアグネスの突然の死(1450年)が毒殺であった可能性を指摘しています。
- エリザベート・フォン・ヴィッテルスバッハ(シシー) -オーストリア皇后として知られるシシーは、その美貌で有名でした。義母のゾフィー大公妃との確執が知られており、シシーは宮廷内で孤立させられ、子どもの教育権も奪われました。
- アン・ブーリン -イングランド王ヘンリー8世の2番目の妻。彼女の義理の娘メアリー(後のメアリー1世)から激しい敵意を向けられました。メアリーは実母キャサリン・オブ・アラゴンが王妃の座を追われた原因をアンの美しさと魅力に求めていました。
- マリー・アントワネット -フランス王妃になる前、オーストリアからフランスに嫁いだ際、その美しさからルイ15世の愛人デュ・バリー夫人の嫉妬を買いました。また義祖父にあたるルイ15世との間で複雑な関係があったとされています。
- バイエルンのイザベラ - その美しさで知られたイザベラは、フランス王シャルル6世に嫁ぎましたが、宮廷内で義母や義姉からの嫉妬と迫害に苦しみました。
- サラ・チャーチル(マールバラ公爵夫人) -アン女王の側近として権力を持ち、その美しさと影響力でアン女王の従姉妹であるアビゲイル・マシャムの嫉妬を買い、政治的陰謀によって宮廷から追放されました。
これらの歴史的事例は、白雪姫の物語のように美貌が嫉妬を生み、迫害につながる要素になっていたことを示しています。ただし、多くの場合、政治的な権力闘争や王位継承の問題なども複雑に絡み合っていたことを理解しておく必要があります。
日本では2017年に公開された映画『ドリーム』の主人公として、ご存知の方も多いかもしれません。まだコンピュータが一般的でなかった時代、NASAの宇宙開発に必要な高度な計算は「人間コンピュータ」と呼ばれる計算手たちによってなされ、そのほとんどが女性でした。そのなかの一人であったキャサリンは、たぐいまれなる計算力を買われてアメリカ初の有人宇宙飛行を目指すチームに抜擢され、男性ばかりの職場で、自分の能力を最大限に発揮できる条件を求めて奮闘しました。まだ人種差別も根強く残っていた当時、黒人のキャサリンには性差別以外にも苦労が多かったことでしょう。しかしキャサリンは困難に打ち勝ち、マーキュリー計画をはじめ、アポロ計画、スペースシャトル計画、火星探査計画など、数多くの宇宙開発事業に多大な貢献をしました。
2016年にムサ・アル・ガルビがニューヨークに初めて来たとき、彼が最も気づいたのは「人種化されたカースト制度」の存在でした。その制度のもとでは、「使い捨ての召使い」が「あなたの家を掃除し、あなたの子供の世話をし、あなたの犬を散歩させ、調理済みの食事を配達する」のです。
この「使い捨ての召使い」は、その仕事に対して「わずかな報酬しか得られず」、ほとんどが黒人やヒスパニックで構成されており、サービスを受ける側はほぼ白人ばかりでした。しかし、誰もこのことに言及せず、「これが普通の社会のあり方だ」と考えられていました。
アル・ガルビが描写しているのは、超富裕層の集まるアッパー・イーストサイドや、億万長者たちのたまり場であるスカーズデールではありません。彼が在籍していたのはコロンビア大学であり、「人種カースト制度」で利益を得ていたのは同級生たちでした。その多くは社会正義について声高に語っていましたが、自分たちの生活を支えている社会階層の底辺の人々のニーズにはほとんど無関心でした。
4年後、同じ学生たちの多くがBlack Lives Matterの抗議に参加しました。アル・ガルビは、彼らがニューヨークのアッパー・ウェスト・サイドのブロードウェイで、同じ場所を共有している「靴も持っていないホームレスの黒人男性たち」に気づかないままデモをしているのを見ました。抗議者たちは「Black Lives Matter」と主張しながら、ホームレスの人々が使っていたベンチを占拠していて、どうやら目の前の「黒人男性たち」には関心がないようでした。
このように、社会正義を求めて活動するリベラルな学生たちの信念と、周囲にある現実の不正義への無関心を示す行動との間にある絶え間ない不一致により、アル・ガルビはその矛盾を理解するために本を書くことを決意しました。『We Have Never Been Woke』はアメリカで出版されたばかりで、間もなくイギリスでも出版される予定です。アメリカの選挙の背景を理解するための有用な出発点の一つとして、この本が挙げられます。なぜなら、選挙の物語は、アル・ガルビが感じた不一致に気づく人々と、それに気づかないか、気づこうとしない人々の分裂という観点からも見ることができるからです。
コロンビア大学の活動家たちが周囲の目に見える不正義を無視している中で、なぜ彼らは社会正義の言葉を採用したのでしょうか?言い換えれば、現実の不正義や不平等が無視される世界で、その言葉はどのような役割を果たしているのでしょうか?これらは、学生時代のアル・ガルビが悩んだ疑問であり、その本の核心をなしています。
彼の答えは、社会正義の言葉、すなわち「ウォークネス」は、実際には社会正義を目的としたものではなく、むしろ特権の階段を上り続けたいが、自分たちがエリートであるとは見られたくないエリート層を結びつけるイデオロギー的な接着剤の役割を果たしているというものです。
「ウォーク」という言葉自体は、あまり有用な言葉ではなく、分析よりも軽蔑の意味で使われることが多いものです。アル・ガルビはこの点を認識しており、侮辱として使われることを避け、定義することさえ拒んでいます。彼にとって重要なのは、この概念が実際に支持者や批判者によってどのように利用されるかです。
アル・ガルビは、「象徴的資本家」の闘争こそがウォークネスを理解する鍵だと主張しています。「象徴的資本家」とは、シンボルやレトリック、イメージやナラティブ、データや分析、アイデアや抽象概念を扱う専門家、つまり作家や学者、芸術家や弁護士、美術館のキュレーターや技術専門家を指します。この社会階層は、エリートの中で自身の地位を固め、すでにそこにいる他者を押しのけるために、社会正義の言葉を利用して地位と「文化資本」を蓄積しようとしています。彼らの闘争は、貧しい人々や弱者のためにエリートと戦っているように見せかけながら、実際にはエリートの内部での闘争なのです。
これは単なる皮肉や偽善ではないとアル・ガルビは主張しています。象徴的資本家たちは、自分たちの社会的役割についての神話を構築し、それによって不平等や不正義を助長しながらも、公正や平等を信じていると本気で思い込んでいます。この神話は多くの社会機関や権力者によって受け入れられています。その結果、社会正義の言葉は「不平等を正当化し、覆い隠す」ことに役立ち、エリート層がそのエリートとしての地位を強化し続けるのを可能にし、それはしばしば本当に脆弱で、疎外され、貧困に苦しむ人々の犠牲の上に成り立っているのです。
この議論の多くの側面は、例えば文化理論家のキャサリン・リウや哲学者のオルフェミ・タイウォによって以前から表現されてきました。リウは、プロフェッショナル・マネジャー階級が自らの自尊心を高めるため、そして「普通の労働者階級の人々に対する揺るぎない優越感」を正当化するために、「美徳を貯め込んでいる」と主張しています。また、タイウォは『Elite Capture』の中で、異なる視点からではありますが、エリートが急進的な政治を自分たちの目的のために取り込んでいると述べています。
これらの作品は現代政治の不条理を理解するのに重要です。例えば、アメリカの民主党(および多くのヨーロッパの社会民主主義政党)が次第に富裕層と高学歴者のクラブと化している理由、そして多くの労働者階級の有権者がそれらを見限るようになった理由を説明しています。また、象徴的な表現や言葉の取り締まりには熱中しつつ、現実の物質的な不平等には関心を持たない私たちの文化の執着も浮き彫りにしています。
しかし、これらの議論には、注意しなければならない落とし穴も存在します。社会正義の活動家が物質的改善のための闘争を放棄し、文化的エンパワーメントを目指すようになったのと同様に、多くの批評家もまた、新たな「文化的エリート」を主要な問題とみなし、私たちの社会における真の物質的な権力の根源を無視するようになっているのです。
今日の社会活動の質が低下した背景には、歴史的な変化があることを見失う危険もあります。アル・ガルビは、現代の「ウォーク」政治の盛り上がりは、一連の「覚醒」の最新の段階に過ぎないと主張しています。これらの「覚醒」は、1930年代に学生たちが共産党や他の急進的組織を支持したことから始まりました。
しかし、それでは変化の現実を見逃してしまいます。例えばアメリカの共産党は、1930年代のアメリカにおいて、彼らは反人種差別運動や労働者の権利擁護に重要な役割を果たし、他の急進派、社会主義者、労働組合員、黒人活動家と共に、戦後の公民権運動の基盤を築く助けとなりました。
特に、ジム・クロウ法が支配する南部のアメリカでは、彼らはシェアクロッパーや製粉工場労働者、ホームレスや失業者の組織化を支援しました。これらの活動家たちは、ブロードウェイで抗議していた人々のようにコスプレをしていたわけではありませんでした。彼らは自警団によるテロや警察の暴力に直面し、命を落とした者もいれば、多くが投獄されました。しかし、彼らは人種を超えた階級連帯の可能性を示したのです。
こうした連帯運動が崩壊したことが、社会正義運動の質の低下と労働者階級の利益の放棄を招いたのです。そのことを理解することは、「象徴的資本家」の役割を理解するのと同じくらい重要であり、変革のための運動を再構築するためには不可欠です。
被害者2倍!怖さも2倍!
というわけにはいかなかったね……残念。
今回の被害者は黒人少女のアンジェラとその友人で白人少女のキャサリン。
この二人がココット占いとかいう明らかにヤバい儀式を行った結果
悪魔に取り憑かれるという話。
キャサリンのバックボーンを完全にオミットしている点だと思う。
アンジェラは母親を妊娠中に亡くしていて父親との関係は友人のように好調。
ちょっとおませなティーンちゃんだけど、母の愛に飢えているといった風に
詳しく描写されているがキャサリンに関してはその描写がマジで一切ない。
なんでこいつがアンジェラの友人なのかも不明だし、なんで儀式をやろうとしたのかも不明。
一人娘が悪魔に取り憑かれて苦しむキャサリンの両親が描かれるけど
この作品では最終的に悪魔が「2人のうちどっちかを選べ。選ばれなかったほうを殺す!」と宣言。
全て悪魔の掌の上だったのだ!
という感じで終わるのだが、そもそもキャサリンに何一つ感情移入できる要素がないから
アンジェラが生き残ってキャサリンが死んでしまった!と言われても「でしょうね」としか思えない。
神父、牧師、祈祷師、医者、セラピストが集まって悪魔祓いに挑むのは
マイフェイバリットホラーの「来る」の除霊フェスを思い出して胸が熱くなった。
そんだけ集まってまったく手も足も出ないのも「来る」リスペクトを感じられてよい。
ハロウィンもそうだったけど、伝説的な作品の登場人物の「その後」を登場させて
正式続編ですよとするリブート作品増えてるけど、ハリウッドもネタないんだなぁ。
総じて60点くらいの映画だった。
○ご飯
朝:メロンパン。昼:イカフライ。たこ焼き。夜:コロッケパン。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
・はじめに
SCA-自、紺野アスタといった18禁美少女ゲーム界隈で著名な面々で座組された全年齢向けノベルゲーム。
全世界的に発生した海面上昇により社会基盤が大きく変化してしまった近未来が舞台。
右足を失う大怪我をしながらも優秀な頭脳から、エリートとして将来を期待され都会の学校に通っていた斑鳩夏生が夢破れて田舎に帰ってくる、そこで祖母が残した美少女ヒューマノイドことアトリと出会うことから始まるラブストーリーだ。
10時間ほどの文量になるのでストーリーはほぼほぼ一本道で恋愛関係を結ぶヒロインもロボットのアトリだけ。
とはいえ、世話焼き幼馴染の水菜萌、借金取りの怪しいお姉さんキャサリン、ヤンチャな悪ガキながら聡いところもある凜々花といったサブヒロイン達の見所も欠かせない。
所謂悪友ポジションになる竜司も忘れちゃいけない王道な立ち位置だ。
そして何より、そんなキャラクタ小説然としたエピソード群が徐々に舞台の島を全体を巻き込んだ大きくも小さいストーリーが面白かった。
・アトリが可愛い
本作最初の魅力はなんといってもメーンヒロイン、アトリの可愛らしさだろう。
等身大美少女ロボットを青春時代に刷り込まれたという贔屓目を抜きにしても、アトリのエピソードが中心になるので必然的に好きになっていく。
家事手伝いが仕事のはずがドジな挙動を繰り返す、何気なく与えられた物を大切に使う、ロボットだから人間の感情がわからない(わかる)などなどの美少女ロボット暮らす際のエピソードが次から次へと楽しめる。
王道の味わいながら独自のそれも勿論あって、特に良かったのがアトリがママ味を発揮するところだ。
主人公の斑鳩夏生は片足が無く義足もとある事情からあまり上等なものでないため日常生活に難儀している。
さらに脚を失うキッカケになった事故をフラッシュバックし精神が安定しないと、色々と辛い状況だ。
そのため、ドジながらも世界が海に呑まれる前の高度な技術力で作られたアトリは非常に役に立ち頼れる存在だ。
アトリは夏生の失った足の代わりを自称し、彼を支えることになる。
そんな大枠のストーリーと文量の制約があるとはいえ、年下の幼さが残るアトリに力いっぱいバブバブする甘えん坊な主人公の登場はかなり早い。
開幕早々、アトリの膝や胸に甘えながら泣く主人公へのファーストインプレッションはさておきつつ、アトリのママっぷりは堂に入っており、物語を終始支える良いものだった。
あくまで機械でロボットなので、同じ機械で意志はない義足に嫉妬するくだりなんかもあって、この辺は小ネタ感はありつつもサイエンスフィクションらしさがある、そういう方向の面白さもあった。
辛い過去と変えられない現状があるとはいえ、中々に情けない面が早々に目立った主人公の夏生。
しかし、彼が甘えん坊でアトリに子供っぽくなるのは彼らの家となる船内のベッドでだけ。
丘の上では彼の頼れる有能っぷりが物語をグイグイと引っ張っていく。
夏生は高校生ながらにしてアカデミーと呼ばれる研究機関に身を置く超エリート。
片足が無い障害をアトリが補助する途端に、スムーズに有能ムーブを次々と重ね様々な問題を解決していく。
なにしろ海面上昇で社会基盤がゆるゆるな本作の世界では、様々な問題が山積みなのだ。
これを夏生がハイスピードに解決していく展開は非常に面白く、中盤の大きな見どころになっている。
衒学趣味に寄りすぎない科学技術の解説も面白く、アトリ以外の面々が夏生を人間として好きになっていくのもうなづける楽しいパートになっていた。
・島を救う小さくも大きいストーリー
そんな夏生の活躍はサブヒロインや親友キャラと言った名ありキャラクタ達の問題をどんどん解決していく。
そして次第に島全体を巻き込んだ大きな計画が立ち上がる。
ここも面白いのだけれど、特にイイなと思ったのが、あくまで日本の小さな島一つに閉じた狭い達成感に過ぎず、世界を救うような大仰なことには直結しないと繰り返し語られることだ。
勿論だからと言ってそれに価値が無いというサゲではなく、そのような小さいことを繰り返していけばいつか大きなことが達成できるというとても前向きなメッセージがわかりやすくかつ情緒たっぷりに楽しめるのが、今作の最大の面白かった点だ。
その上で主人公夏生がエリートとして人の上に立つ上で自身に不足していたこと、そして海面上昇という未曾有の危機に彼が行う大プロジェクト、実に大きなサイエンスフィクションらしい展開でと、人間らしい小さな感情の変化がベストマッチに噛み合う本作の山場になるスチル絵のシーン。
主人公もヒロインのアトリも背中を向けており、背景絵が主役になっている美少女ゲーム然としていないスチル絵だが、とても寂しくてかつとても前向きな気持ちになれる素晴らしいイラストと文章だった。
・おわりに
面白かった。
一夏の物語として小さくまとめつつ、しっかりとその小さな一歩が大きな世界を動かす始めの一歩でもあると納得させられるくだりは、特に良かった。
を観てきた。
主演の伊藤英明のビジュアルと、数年前の大河ドラマ『麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである。
あらすじは公式ホームページにあるが、
https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge
ステレオタイプなジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン(福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟、マルコ(和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である。
で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。
冒頭は、狂言回しの弁護士(高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。
棒読みだ。
言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。
キャサリンは帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みのセリフが流れ落ちていく。
劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民の独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだ)であると言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。
高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラルな嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語の限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。
ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。
ロドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語の構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ。
しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪、困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。
そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇へなだれ込んでいく。
失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。
エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。
ただひとたびセリフを発すると、演劇空間の位相が容赦無くズレ出してしまう。
パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラーの脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題と女性の自立・連帯の問題をからみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。
ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士のモノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである。
繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。
そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである。伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚でしかないという不条理性はいや増していく。
そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。
それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。
あるいは、棒読みの彼こそがリアルな人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。
人間の感情を言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬、憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味で空疎な言葉でコミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚な言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。
この姿が、あらゆるイズムに囲まれた現代人の戯画でなくてなんだろう。
つまりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである。
幕が降りた後、私はいい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。
けっこうレアだと思うのでなんかある?
・KOFのヴァネッサ
・春麗
『Returnal』の主人公セレーネ・ヴァソス
ザ・サード・バースデイ主人公のアヤ・ブレアは39歳の女性だ、設定のおかげで見た目は若いのもポイントだ。
レイラ・ハサン(めちゃくちゃ異論ありそう)
クッキークリッカーをやれババアにもなんか愛着湧いてくるようになる めちゃくちゃバフ撒いてくれるし
たしかにグランマ年齢の主人公ゲーがここまで売れたのは史上初かもしれない。
主人公ではないけどキャサリン・マクブライド
格ゲーIdol Showdownのキャラは大半が三十路の女性よ
見た目どうみても十代なんだけどどーゆーこと・・・?と思ったらVチューバーの中の人のことでワロタ
ララ・クロフトならシリーズ長いから30越えてそう…と思ったら29歳まで行ってリブートしちゃったぽい
たしかに35くらいまでいってるのかなと思ったらそんなぽりこれてきにアレな分かりやすい判断だったのね
遺産目当てで家族に枯れ井戸に突き落とされたばあちゃんがカエルに助けられて復讐するゲームをRPGツクールで作ったの思い出した。
なにそれやりたい
リベレーションズ時点のジルやクレアは30越えてたはず
なんかこれ以上書き込めないので続きは下のツリーで
Permalink |記事への反応(20) | 17:02
民主党トップのトランスジェンダーの娘とかわめく嘘つきなドラ息子、警察官暴行で執行猶予付き
下院少数派のホイップ、キャサリン・クラークのトランスジェンダーの女性と言い張る嘘つきクズである D-Mass は、 1 月の暴力的な抗議行動での彼の役割に起因する彼が直面した多くの告訴に関して、ボストンの裁判所との合意に達した後、水曜日にわずか 1 年間の保護観察を宣告された.
編注)大甘すぎ
彼の娘の逮捕のニュースは、事件が発生した直後にクラークがソーシャルメディアに対処するために取ったときに壊れました. 「私はライリーが大好きです。子育ての喜びと痛みのサイクルの中で、これは非常に困難な時期です」と彼はツイートしました. 「これは法制度によって評価され、私はそのプロセスに自信を持っています。」
数日後のダウェルの罪状認否に続いて、クラークはボストンでの無関係なイベントでの警察に対する暴力を非難した. 「それが警察に対するものであろうと、コミュニティのメンバーに対するものであろうと、個人または政府機関の結果としてのすべての人に対する暴力を非難します」と彼は言いました.
編注)なに他人事みたいに言ってるんだこのオサイコ野郎が。それでも男か?
警察に対する暴力を非難したにもかかわらず、クラークが下院民主党の下院で第2位の地位に就く前に、公式ウェブサイトから反警察の記事を削除したことが後に明らかになりました。
「警察の弁護は一部の民主党員を不快にさせます。それがポイントです、活動家は言います」というタイトルの記事は、クラークの公式ウェブサイトの「ニュース」セクションの下に投稿され、2020 年 6 月から残り、2022 年12 月 9 日以降に消えました
マティアーッス
本日は世界野生生物の日、聖キャサリンドレクセルの日、日本においては上巳、桃の節句、雛祭りの日、耳の日、民放ラジオの日、オーディオブックの日、金魚の日、三十三観音の日、国際ペンクラブが定義する平和の日だったりします。
雛祭りといわれてもなんか女の子達がひなあられ食ったり着物着たりしてる奴だなぁという認識しかありません。
その分こどもの日もなんか新聞紙で兜作って被る日ぐらいの認識しかありませんが。
まぁその分楽しめばよいのです。
後はそういう装備をつけた状態で動いてることを理解しておくことだけ。
新たな装備を付けてる状態で動き回ると予期しないところで傷付いたり傷付けたりがありますからね。
気を付けていきましょう。
ということで本日は【大きさの把握よいか】でいきたいと思います。
大きさの把握よいか!大きさの把握ヨシ!
3時間の超大作インド映画、RRRを観てきたがとてもよかった。
事前にこのTogetterの記事を参考に大福を食べてトイレ対策をしており、何回もクライマックスが来る飽きない構成もあって3時間は全然長く感じなかった。
https://togetter.com/li/1971064
時はまだイギリスの支配があった時代のインド帝国。総督のスコットとキャサリンは、鹿狩りで訪れた村から気まぐれで村娘を連れ去ってしまう。
総督府から女の子を奪還すべくデリーに向かった、虎と戦える部族最強の不屈の男ビーム。
一方、内なる大義を秘め、インド帝国の警察官となり治安維持にあたる、暴動をほぼ一人で鎮静化できるほどクッソ強い男ラーマ。
政府への反逆者と警察官。相容れない立場のはずのビームとラーマが、たまたま居合わせた場所で起きた事件を一緒に解決したことをきっかけに親友になりーーーーー
お互いの立場の違いを知らないまま、インドを舞台に物語はどんどん動いていく。
・6話くらいの連続ドラマとしてやってもいいストーリーを、3時間で一気にやる構成だった。
長い分、登場人物の背景を丁寧に描写され、また伏線も全部きれいに回収してくれるので、「あっ!これあの時のやつ!」というカタルシスを感じる場面が終盤でたくさんあった。
特に、途中の大規模ダンスの時の曲は覚えておくと終盤で伏線になっていて気持ちいい。
・イギリス領インド帝国の総督スコットと、その夫人キャサリンがきちんと極悪人に描かれていたので、最後に倒されたときに心の底から「やったぜ!!!!」という気持ちになれた。
・ちょうど真ん中のハーフクライマックスくらいで「INTERRRRRRRBAL!!!」と日本で見慣れない休憩表示が出て笑った。海外の劇場だとここで休憩が挟まるんだろうな。
・吹き替えで見てたが、作中では3種類の言語があったように思われる。「英語」「現地語」ともう一つの言語。
英語がわからないはずのビームも、英語しか話さないはずの総督も両方聞き取れる言語があった気がしており、どうなのか教えてほしい。
・インド人俳優の顔を見慣れておらず、途中までダブル主人公のビームとラーマがどっちがどっちだっけ?と混乱した。日本人視点だと結構そっくり。
・エンディングはみんなで盛大に明るく踊るとてもインド映画的な感じだっだが、背景にインド解放の偉人っぽい人がたくさん出てきた。知識がなくてガンディーとラクシュミー・バーイーぐらいしか分からなかったので、誰かに解説してほしい。