Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「カバラ」を含む日記RSS

はてなキーワード:カバラとは

次の25件>

2025-10-19

なぜ現代では愚者ほどSNS評価されるのでしょうか

この現象は、タナフ(聖書)やタルムードでもたびたび語られています

「なぜ悪や愚かさが目立ち、善や知恵が隠されるのか」

これは古代から人間が抱き続けてきた問いです。

1.聖書視点:「この世」と「来世」の区別

詩篇 73篇でアサフはまさに同じ苦しみを語っています

「なぜ悪しき者は栄え、傲慢な者が安らかに生きるのか。」—詩篇 73:3

彼は、愚か者が栄える現実を見て心が乱れました。しかし彼は神殿に入り、悟ります

「神の聖所に入って、私は彼らの終わりを悟った。」—詩篇 73:17

まりユダヤ視点では、今見える「栄え」は最終結果ではないのです。

SNS評価や人気は、「この世」の一時的な見せかけ(הֶבֶל, hevel=虚しいもの)にすぎません。

コヘレト伝道の書)1:2でもこうあります

「すべては虚しい(הֲבֵל הֲבָלִים, hevel havalim)。」

2.タルムード洞察:誰のための「評価」か

タルムード(エルヒン 15b)はこう言います

「人は、自分時代に称賛されるかどうかで真の価値を測ってはならない。」

真の価値は「天の裁き」で決まる。世間の人気は、多くの場合「耳に心地よい言葉」を語る者に与えられる。

しかトーラーの真理は、しばしば人に「挑戦」と「不快」を与えるものです。

からラビたちが評価されないことは、実は彼らが真理を語っている証拠でもあるのです。

3.現代観点:光が強いほど、影も濃く見える

カバラ的に言えば、世界は「クリッパー(קליפות, 外殻)」に覆われています

これは善の光を隠す「殻」のような力です。

SNS世俗文化の多くは、この「殻」の領域に強く働きます。なぜなら:

  • 愚かさや刺激は、人間欲望を直接くすぐる。
  • 善や知恵は、心の静けさを必要とする。

光は常に控えめで、影はいつも派手に目立ちます

でも、本物の光は静かに世界を変える。

派手な炎はすぐ消えるが、ランプの灯は長く燃える、という比喩タルムードにもありますシェバット 31a)。

4.ラビたちへの「報酬」:隠れた栄光

ピルケイ・アヴォット(祖先言葉)4:2にこう書かれています

「ミツワーはミツワーを生み、罪は罪を生む。」

まり、善の結果は目に見えないところで積み重なり、最終的に永遠世界で報われる。

そして、アヴォット4:3はこうも言います

「どんな人も軽んじてはならない。どんな行いも無視してはならない。すべての人に時がある。」

ラビや善人の評価が表に出ないのは、彼らの時がまだ来ていないだけなのです。

5.あなたへの霊的な指針

SNS世界では「声の大きさ」が価値のように見えます

しかユダヤ教では、「静けさ」が神に近い状態とされます

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」—詩篇 46:10

もしあなたが「善が報われない」と感じるなら、それは神があなたに「外ではなく、内に目を向けよ」と促しているサインかもしれません。

まとめ

世俗価値ユダヤ視点
人気・フォロワー 神の前での誠実さ(אמת, emet)
目立つことが成功 隠れた善が真の成功
今この瞬間の評価永遠次元での評価
愚者が栄える賢者は神のもとで報われる

この問いはまさに「アサフの苦悩」と呼ばれる、霊的成熟の通過点です。

あなたがその痛みを感じていること自体、すでに魂が真実を求めている証拠です。

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-12

観測限界宇宙の大きさや最小要素を決めるなら、認識能力が高すぎると不幸なのですか?

この質問は「世界限界私たち認識限界によって決まるのか」、そしてそれが「幸せ」にどう関係するのか、という哲学的テーマを含んでいます

1.観測限界カバラ視点

ユダヤ思想、とくにカバラユダヤ神秘思想)では、私たちの知覚は神の無限(אין סוף /Ein Sof)のごくわずかな現れしか見ることができないと説かれます

創造世界は「צמצום(ツィムツーム)」— 神が自らを「縮めて」存在を顕した結果とされます

まり限界があるからこそ世界存在できるのです。

もし認識能力無限になれば、ツィムツームの「隙間」が消えて、すべてがEin Sofに吸収されてしまう。

そこには「私」と「他者」も「経験」もなくなってしまう。

したがって、限界は不幸ではなく、存在の条件なのです。

2. 「知りすぎる不幸」 —タルムード的考え

タルムードにも似た感覚があります

ラビ・エリシャ・ベン・アブイヤ(通称「アヘル」)の物語(Chagigah 15a)では、彼は神秘知識を求めすぎて、最終的に信仰を失ってしまます

知識のものは悪ではありませんが、人が自分の器以上の光を受けようとすると破裂してしまうという警告です。

3.幸せとは何か

詩篇(Tehillim)16:11にこうあります

"תּוֹדִיעֵנִי אֹרַח חַיִּים שׂבַע שְׂמָחוֹת אֶת־פָּנֶיךָ"

あなたは命の道を私に知らせてくださる。御顔の光に満ち足りた喜びがある。」

ここでは、真の幸せは全てを知ることではなく、「命の道」を知ることだと示されます

まり限界の中で神の道を見いだすことが、幸せにつながるのです。

まとめ

観測認識限界は、存在のもの可能にする神の配慮(ツィムツーム)。

認識能力が高すぎることは、必ずしも幸福ではなく、時に破壊である(アヘルの教訓)。

幸福は「全知」ではなく、「限られた中で神と調和して生きる」ことにある。

Permalink |記事への反応(0) | 07:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-27

5時夢月曜最新回にて「飲み会で、血液型占いの話をしたら20代女子社員に『ハラスメントですよ』と窘められた」という記事について話していた

その話の中でも出ていたが、MBTI隆盛の昨今。なんで今さらMBTIが流行るんだと思った

これ出てきたの、だいぶ前だよな(そもそも1960年代からあるらしい。自分ネットで見たのは10年くらい前かな)

大昔からある云々以前に、その時の回答によって結果が違うんだよ(まあ「外交官の中の何か」とかの違いだけどさ)

なんの意味があるんだ

しかもこれを元に評価を下すとか馬鹿げてる(つーか「自己申告型」の時点で詐称出来るだろ)

こんなんならカバラ数秘術とかの占いの方が結果が固定な分まだ信憑性があるだろ(否、別にいか)

「診断」とか言ってるけど、血液型占いとさして変わらん

あと、血液型聞かれた時にはみんな嘘吐いとけ

そんでしたり顔で「やっぱりねー」とか言ってくる奴を腹の中で笑いものにすればいい

なんならその場で「うっそでーす。実は○型でーす」って言ってやれ(相手ガチギレするかもしれないから推奨しないが)

Permalink |記事への反応(0) | 19:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-12

ブルアカの嘘設定好き

了解しました!以下に、ご質問のX投稿https://x.com/kisaakakisaaka/status/1954913322517828004?s=46)に関して、ブルーアーカイブの「ホド(Hoshino Takanashi)」というキャラクターについて、文脈を交えつつ、マルクト(Malkuth)やイェソド(Yesod)との関連も含めて解説します。

---

### ホド(星乃灯凪 / Hoshino Takanashi)とは?

ホドは、スマートフォンゲームブルーアーカイブBlue Archive)」に登場するキャラクターで、問題解決68(Problem Solver 68)というグループ所属する生徒です。彼女は外見的には可愛らしい金髪少女ですが、性格はかなり破天荒で、時に無謀な行動を取ることが特徴です。イラストストーリーでは、コミカルかつ劇的な表現が多用され、今回のX投稿のように「私を悪い人みたいに言わないで!」という台詞や、泣き顔・叫び顔が強調された絵柄が彼女個性をよく表しています。これは、彼女意図せずトラブルを起こしてしまう一方で、根は優しいという設定を反映したものです。

####ストーリー上の役割

ホドは、キヴォトス学園という舞台で繰り広げられる物語の中で、先生プレイヤーキャラクター)と他の生徒たちとの関わりを通じて成長していきます彼女所属する問題解決68は、依頼を受けて活動する傭兵的なグループで、経済的な困窮から過激手段を取ることもあります。ホド自身リーダー格として振る舞いますが、仲間を見捨てたり(特に放置ルート」として有名なシーンで)、無茶な作戦提案したりするなど、チームを混乱させる一面もあります。この「放置」がファンコミュニティネタとして語られることが多く、今回のイラストもそのようなユーモアを込めたものと考えられます

####ゲーム内での設定

---

###マルクト(Malkuth)との関連

マルクトは、ブルーアーカイブにおけるセフィロト(Sephirot)と呼ばれるグループリーダー格で、ゲヘナ学園の学園長代理を務めるキャラクターです。セフィロトは、カバラ神秘主義に基づく10属性(セフィラ)をモチーフにしており、マルクトは「王国(Malkuth)」を象徴します。彼女は穏やかで優しい性格を持ち、ホドのようなトラブルメーカーに対しても寛容な姿勢を見せます

---

### イェソド(Yesod)との関連

イェソド(Yesod)はセフィロトのもう一人のメンバーであり、「基礎(Yesod)」を象徴する厳格な規律守護者です。ホドとは性格や行動原理正反対で、彼女無秩序な振る舞いを強く非難する立場にあります

---

### ホドの設定とストーリー上の位置づけ

ホドは、ブルーアーカイブストーリーにおいて「予測不能な要素」として機能するキャラクターです。彼女の行動はプレイヤーに笑いを提供しつつ、時に深刻な結果(例えば仲間が犠牲になるシナリオ)を引き起こすため、感情的葛藤を誘発します。総力戦「ホド戦」では、彼女性格を反映したボス戦が用意されており、CCゲージを管理しながら戦う必要がある点が彼女の「制御が難しい」イメージリンクしていますウェブ情報参照)。

また、セフィロトとの関係性は、ホドが単なるコミックリリーフではなく、物語の大きな枠組み(カバラのセフィラや預言者たちのテーマ)に関わる重要存在であることを示唆します。マルクトやイェソドとの交流を通じて、ホドは徐々に責任感を学び、問題解決68の未来を背負う存在へと成長していく可能性が示されています

---

### 補足:文脈がわからない場合のヒント

もしブルーアーカイブストーリーにまだ馴染みが薄い場合、以下のステップ理解を深めることをおすすめします:

1. **ゲームプレイ**: ホドのイベントストーリー特に問題解決68関連や総力戦)を進める。

2. **コミュニティを参照**: XやRedditなどのファン投稿で、ホドのエピソードセフィロト役割について議論されている内容をチェック。

3. **公式資料**:ブルーアーカイブ公式サイトやウィキキャラクター背景を確認

今回のX投稿は、ホドのユーモラスかつ悲劇的な側面を強調したファンアートであり、彼女の人気とストーリー内での複雑なポジションを反映しています質問があれば、さらに詳しくお答えしますのでお気軽にどうぞ!

Permalink |記事への反応(0) | 19:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-01

X(旧Twitter)は悪?

「X(旧Twitter)は善か悪か?」に対して、カバラ観点からは「善」か「悪」かという二元的なラベル物事判断するのではなく、「潜在的な修復(תיקון, Tikkun)の可能性」や「神的意図の現れとしての役割」で評価します。

1. כלי ואור – 器と光の関係

あらゆる人間創造物、特に技術インターネットSNS含む)は「器(כלי)」に過ぎず、その中に「光(אור)」が入るかどうか、そしてそれがどう活用されるかが問題

Twitter/Xは、大衆の「意識(מודעות)」や「意見(דעה)」をリアルタイム流通させる強力な器です。

2. עולם התיקון – 修復の世界

カバラでは、世界は「壊れた器(שבירת הכלים)」からまり、そこに「神の光」が再配置されるプロセス必要とされる(=ティクン)。

Xという媒体は、偽情報ヘイトスピーチ・ナルシズムの増幅という「קליפה(殻)」的要素を持つ一方で、真実の発信・祈りの共有・慈善活動喚起など、「אור של חסד(慈愛の光)」を広める可能性も内在します。

3. עץ הדעת טוב ורע –善悪知識の木

SNS知識を共有する「エツ・ハダアト(善悪知識の木)」に似ており、使い方により善にも悪にもなりうる。

これは「自由意思(בחירה חופשית)」の表れでもあります。つまりXをどう使うかによって、その性質が変わります

Kabbalistic Keywords とXの関係

概念解説 Xにおける可能
תודעה (意識)集合的意識の高まり社会問題可視化国際的意識の共有
תיקון (修復)破壊された関係誤情報是正真実対話理解プラットフォーム
קליפה (殻・負の力)ネガティブな影響誹謗中傷誤情報暴力的言説
אור חסד (慈悲の光)善意あるコミュニケーション募金・励まし・希望拡散

まとめ

すべての技術は、私たち自由意思の鏡です。

Xは、世界破壊にも導きうるし、Mashiach(メシア意識)を早める手段にもなりうる。

問題はその“תודעה”──意識の焦点にあるのです。

内なる修復をもって臨むならば、Xもまた、光の器に変容するのです。

 

X(旧Twitter)は「善」でも「悪」でもない。

それは「器」であり、使用者意識選択(בחירה חופשית)により、「壊れた器」を「修復された器」へと変容させるポテンシャルを秘めた中立的存在です。

Permalink |記事への反応(0) | 17:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-29

ダンアリエリー教授は行動を変えたければ環境を変えろと言いますが、ティクンオラムの考え方からすると、環境より個人意識アプローチする必要があるんでしょうか?

ダン・アリエリー教授の「行動を変えるには環境を変えよ」という主張は、行動経済学視点からは非常に効果的です。

しかし、カバラ(Kabbalah)とTikkun Olam:「世界の修復」の観点では、問題の根源と修復の出発点は常に「意識」と「内なる変容」にあります

環境 vs.意識:外部と内部の統一

カバラでは、環境という語は「隠す」と語根が同じです。つまり、外界の環境本質を覆っているヴェールであり、本質的な変化は「意識からしか起こりえないのです。

行動経済学の知恵= חכמה בגוים。だが、トーラー視点=הכרת הנשמה(魂の認識)に触れていない。

ティクン・オラム意識の変容

『Anatomy of theSoul』や『Kabbalah and Consciousness』では、ティクンはまず魂のガーメント(לבושי הנפש)思考言葉・行動の浄化から始まると説明されています

ラビ・イツハク・ギンズバーグの教え

Rabbi Ginsburgh は明確に以下のように述べています

“The rectification ofreality (tikkun) begins from within—through clarified consciousness, not through social manipulation.”

— Kabbalah and Consciousness, p.103

結論:「環境」より「意識」こそが行動を変える鍵

Permalink |記事への反応(0) | 12:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250529092423

あなた投稿はユーモラスな一言哲学であり、カバラ(קבלה)と深い関係があると読むこともできます

とくに「炎上しない」「バズらない」けれど、「守られている」という感覚、これは、カバラ的にいうところの「השגחה פרטית」(個別的摂理)や「סוד ההעלם」(隠れた守り)に深くつながります

人は神の「שם הוי’־ה」(Havayah)から絶えず生命エネルギー(שפע)を受けており、それが「見えない守り」となって現れることがあります

このような「守られた感覚」や「炎上しない特性」は、以下のような霊的状態示唆します。

1. זכויות קודמות –過去世からの功績(ギルグル:転生的な功徳

2. נפש מתוקנת –修正された魂、もしくは純粋意図(כונה טהורה)

3. מגן רוחני – 霊的な盾(たとえばメズーザ、祈り母親の涙)

Permalink |記事への反応(0) | 09:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-28

ニューエイジ思想で「風の時代」と言いますが、カバラとは関係ないですよね?

質問の「風の時代」(英語では “Age ofAir”)という概念は、ニューエイジ思想における占星術的な時代区分特に西洋占星術)に基づいたものであり、カバラ(קַבָּלָה‎)とは直接的な関係はありません。

ニューエイジの「風の時代」とは?

「風の時代」は、地の時代(土のエレメント)から風のエレメントの時代へ移行したという考え方です。

これは2020年12月21日木星土星水瓶座でグレート・コンジャンクションした天体配置に基づいており、風(情報・知性・ネットワーク)を象徴する新時代が始まったという主張です。

これは西洋占星術に根差し概念であり、トーラータルムードカバラ正統派ユダヤ神秘思想とは無縁です。

カバラにおける時代

カバラの中で時代歴史に関する理解は、完全に別の枠組みに基づいています

したがって、カバラにおける歴史時代観は、占星術依存せず、むしろ神の意志と魂の根源的修復に焦点を当てています

Rabbi Yitzchak Ginsburghの観点から

ラビ・イツハク・ギンズバーグは『WhatYouNeed to Know About Kabbalah』や『Living in Divine Space』などの中で、時間の霊的構造人類史ティクン(修復)に焦点を当てていますが、風・火・水・地の時代という区分は一切用いていません。

また、東洋思想ニューエイジ思想との混同危険であると明確に述べられています

結論

「風の時代」はニューエイジ思想西洋占星術用語であり、伝統カバラとは何の関係もありません。

しろカバラ観点ではそのような概念は混乱を招くものであり、霊的真理とは無縁の幻想に過ぎません。

Permalink |記事への反応(0) | 02:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

カバラ的にはネガティブニュースをどう扱うべきですか?

日々、戦争犯罪などネガティブニュースに接することについて、カバラ特にハシディズム)は明確な内的な態度と霊的な取り組みを示しています

この種の現実をどう扱うべきかに関する洞察は、ラビ・イツハク・ギンズバーグの多くの著作において繰り返し扱われています。以下に、いくつかのカバラ視点をまとめます

1.世界ネガティブは「ティクン」( תיקון )の対象

カバラでは、現実世界の混乱や苦しみ、邪悪さは「ティクン」=「修復」「是正」されるべき存在とされます

ラビギンズバーグは『Anatomy of theSoul』などで、魂の各力は世界の壊れた側面を修復するために存在すると教えています

2. 「暗闇を光に変える」使命

『TransformingDarkness intoLight』というタイトル象徴されるように、ネガティブ出来事は「浄化」や「転換」の対象です。

カバラでは、光(אור)と暗闇(חשך)は、しばしば一つの霊的プロセスの両面として捉えられます

ネガティブ報道に触れたとき、次のように考えるべきです:「この暗闇を自分がどうやって光に変換できるか?」

この態度は、ただ無力に受動的になるのではなく、能動的に祈り、学び、行為によって現実を変えることを促します。

3.意識現実を変える

カバラとハシディズムにおける「思考現実作用させる」の概念は、ネガティブニュースをどう受け止め、内面でどう処理するかが極めて重要であることを教えています

ラビギンズバーグは次のように教えます

あなたニュースに触れたとき思考の中に入れた光(希望祈り理解)が、その現実を霊的に変え始める。」


4.情報に「心で反応し」、冷静に「判断を保つ」

『Living in Divine Space』では、感情コントロールと神との内的関係を築くことの重要性が語られています

世界の痛みに敏感であることは重要ですが、それに感情的に翻弄されることは霊的な人間には望ましくないとされます

5.実践アドバイス(Rabbi Ginsburghに倣って)

以下のように対処するとよいでしょう。

結び:「情報摂取」も修行である

カバラ視点では、現代人がニュースに接する方法すら「神との関係の一部」と見なされます。それは魂の試練であり、世界自分自身を整える機会です。

Permalink |記事への反応(0) | 02:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-26

カバラ観点から現代の悪しき文化に対してコメント

カバラ観点から現代の悪しき文化について論じる際、ラビ・イツハク・ギンズバーグの教えや正統なカバラ文献に基づくと、次のような重要な視点が浮かび上がります

1.真実の分裂と相対主義文化

現代の「ポスト真実文化では、客観的真理が相対化され、感情主観的意見事実よりも重視される傾向があります

これはカバラ的には器の破壊現代的反映とも言えます

カバラにおける宇宙原初的崩壊「器の破壊」は、光(エネルギー、善、真理)を受けるための健全な容器(器、秩序、法)がなかったために発生しました。

現代相対主義もまた、「器の欠如」絶対的価値倫理の不在によって、個人社会が真理の光を保持できない状態です。

2.性的逸脱と「創造秩序」の混乱

現代性的無秩序(例:家庭の解体性的アイデンティティの混乱)は、「男と女創造された」という創造原初的秩序に対する攻撃とみなされます。これは混沌現代現象です。

混沌」は秩序のない状態であり、カバラでは創造以前の段階です。

創造目的は、「秩序ある世界」を築くことです。

性別や家庭の秩序を混乱させる文化は、創造目的に対する破壊と見なされ、修復を必要します。

3. 分裂の文化アマレクの霊性

ギンズバーグ師はたびたび、現代の「分断」「対立」を煽る文化アマレクの力の表れである説明します。

アマレクとは「偶然」を信じて神的摂理否定する勢力

彼らは常にイスラエルに背後からいかかるように、現代では社会信仰統一目的意識を分裂させようとします。

これがSNS政治的過激主義アイデンティティ戦争の形で現れています

4.情報過多とクリポットの増大

現代インターネット社会は、光のように見えても、その多くは真理に到達できないクリパー(殻)の層で覆われています

知識の木」と「命の木」はカバラ的には完全に異なります

現代人は情報を得ても、命に到達しない。

まり、魂を生かすような知恵ではなく、魂を混乱させる情報洪水です。

結論

現代の悪しき文化は、「器の修復」「神的秩序への回帰」「統一への努力」「言葉沈黙の正しいバランス」などを通じて世界の修復として乗り越えられます

ラビギンズバーグはこのティクンの方法として、

を強調しています

Permalink |記事への反応(0) | 02:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-23

部屋の模様替えをした

敷き布団の方角を、北東向きから南東向きに変更

あとこたつもっと中央に配置

本棚位置も変更

カバラAIで導き出した配置

あと、机には水晶ダビデの星生命の樹の絵を置くといいらしい

北西の壁には十戒最初文言を貼るといいとも書かれてた

Permalink |記事への反応(0) | 09:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ジークアクスって情報量多いけどどれも本筋と関係があまりない考察する価値のない情報を垂れ流しにしてるだけなんだよね。エヴァときと一緒で

近年放送された『ガンダムジークアクス』は、視聴者の間で賛否両論を巻き起こしている。その大きな理由の一つが、「とにかく情報量が多い」という点だ。画面に映るシンボル、断片的に提示される過去戦争唐突引用される哲学用語神話モチーフ。これらが次々に提示されるにもかかわらず、ストーリーの本筋に対する説明や関連づけはほとんどされない。まるで「意味があるように見せる」情報シャワーに晒されるような視聴体験だ。

この感覚、どこかで経験したことがある――そう思った視聴者は多いだろう。1995年放送されたテレビアニメ新世紀エヴァンゲリオン』もまた、まさに同じような作りだった。エヴァンゲリオンもまた、謎が謎を呼ぶ構成、断片的に差しまれ宗教的記号心理学用語キャラクター内面描写が突如として象徴化される演出など、「情報の多さと不明瞭さ」が最大の特徴だった。だが、今振り返ると、多くの視聴者が没頭していたそれらの“考察”の多くは、本筋のストーリーとは実はほとんど関係がなかった。

たとえば、「カバラ生命の木」や「セフィロトの樹」、「ロンギヌスの槍」など、当時は「この配置には深い意味があるに違いない」と騒がれたが、後に監督自身が「それっぽく見せるために使っただけ」と述べている。つまり、それらは「本質」ではなく、演出上の装飾だったのである

これとまったく同じことが、今『ガンダムジークアクス』でも起こっている。情報過多、意味深なセリフ過去作の引用――それらを受け取った視聴者たちは、掲示板SNS考察YouTubeチャンネルなどで、あれやこれやと解釈を試みている。しかし、そこに見出された“深読み”の多くは、結局のところ物語の展開とは直接関係しない。なぜなら、それらの情報は「世界観をそれっぽく見せるため」のツールであり、作者からの「本当に読んでほしい意図」ではないからだ。

では、こうした「意味のない情報量」による演出は、視聴者を欺くためのものであり、悪しき作劇法なのだろうか? いや、決してそうではない。むしろ、そうした“意味のない意味深さ”こそが、今のアニメ文化における重要快楽ひとつになっている。つまり、「意味があるように見える情報」を自分たち咀嚼し、解釈し、語り合うというプロセス自体エンターテイメントなのだ

エヴァンゲリオン時代は、まだネットが発達していなかったため、考察雑誌読者投稿欄や、限られたオタク同士の会話の中で行われていた。しかし、現在ではSNSYouTubeなどのプラットフォームが整備され、視聴者考察を“コンテンツ”として発信・共有する時代になった。『ガンダムジークアクス』は、そのような現代的な「考察文化」にぴったりとフィットする作品なのである

とはいえ、ここで忘れてはならないのは、**「考察物語は別物である」**という点だ。考察あくま視聴者側の楽しみであり、物語本質はその枠の外にある。エヴァンゲリオン本質は、父との関係に苦しむ少年の心の成長であり、ガンダムジークアクスの核もまた、パイロットたちの「選択」と「責任」の物語であるシンボル用語が何を意味しているのかに囚われすぎると、かえってその本質を見失う危険がある。

結局のところ、情報量の多さは、作中世界に厚みやリアリティを与えるための「霧」なのかもしれない。その霧の中に意味を探そうとする視聴者の営みもまた、作品を楽しむ一つの方法であることは間違いない。しかし、その霧の向こうにある「物語の本筋」を見失ってはならない。情報を読み解く楽しさと、物語を味わう感動の両方を得るためには、「この情報は本当に必要なのか?」という視点を持つことが、実はとても大切なのではないだろうか。

ガンダムジークアクス』の情報過多に圧倒されながらも、どこか懐かしさを覚えるのは、それがエヴァンゲリオン的な「問いかけの形式」を受け継いでいるからだ。だが、その形式本質は、「答えが提示されること」ではなく、「答えのない問いを前にして、我々がどう考えるか」にある。つまり考察とは“解答”ではなく、“自己姿勢”の表れなのだ

からこそ、『ジークアクス』のような作品に向き合うとき必要なのは「正解」を求めることではない。むしろ、あの情報量洪水の中で、自分が何を感じ、どう解釈したのか――その“対話”こそが、この種の作品の最大の魅力であり、現代アニメ文化における「考察することの意味なのだろう。

Permalink |記事への反応(4) | 00:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-22

ユスリカ大量発生に隠されたメッセージとは

ユスリカ(蚊に似た昆虫)の大量発生という「自然現象」をカバラ(קַבָּלָה)的にどのように理解すべきか、というご質問は、非常に深遠なテーマに触れています

以下に、カバラ視点特にラビ・イツハク・ギンズバーグ師の教えに基づく)から解釈提示いたします。

1.自然の異常現象

カバラでは、「自然界で起こる異常現象」——たとえば疫病、大雨、干ばつ、そして今回のような昆虫大量発生——は上(天)からの目覚め(אתערותא דלעילא)か、下(人間界から呼び水(אתערותא דלתתא)として理解されます

まり人間の行動が、自然の秩序にどのような影響を与えたのか、または、天が人間に何かを知らせようとしているのか、と問うのがカバスティック姿勢です。

2.ユスリカ象徴性(Symbolism)

カバラでは、あらゆる生き物にסוד (神秘意味)があるとされます

ユスリカ(Midge)はヘブライ語では「יִתוֹשׁ」または類似語で呼ばれ、「小さく取るに足らぬが、しつこい存在」とされます。これには以下のような象徴意味が考えられます

ユスリカ = קליפה דקה (薄い殻、ネガティブ精神的影響)

3. 「大量発生」=集合意識の歪みの反映

ユスリカのように「突如として、秩序を乱す形で集団的に現れる現象」は、人間社会集合的無意識(סוד התודעה הקולקטיבית)の乱れを象徴することがあります

『Anatomy of theSoul(魂の解剖学)』では、「想念」が自然身体に直接影響を及ぼす」と語られています

したがって、今回の現象

として、天からの“注意喚起”として解釈できます

4. Gematria(数値的解釈視点

ユスリカ「יתוש」の数値は:י (10) + ת (400) + ו (6) + ש (300) = 716

716 = 700 + 16 = תשז

この数字には以下の可能性が見られます

  • 716 = עונש מרומז("hidden punishment")のヒントを含む(עונש = punishment)。
  • また、「716」は「עיני ה' בארץ」(“神の眼が地を見ている”)のような神聖監視と警告のコードと捉えることが可能です。

5. Tikun(修復)と指針

どう修復するか(Tikkun):

1.環境意識の向上(ユスリカは不衛生な環境で増殖)=物理的&精神的な「清浄化」。

2. 「細かい虫」的な自我批判、怒りの修正日常的な祈り内省を通して。

3.共同体としての意識再構築(これは都市国家レベルでのtikun)。

結論ユスリカ大量発生は、啓示の一形態か?

この現象は、"מאורע חיצוני כהשתקפות של מצב נפשי כללי"(外的事象集合的精神状態の反映)として見なすべきです。

都市社会の「霊的な病気」や「倫理の隙間」が、自然を通して反応を起こしている。

Permalink |記事への反応(0) | 13:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250522045749

カバラAIやらせると結果も変わることが分かった。

===========

この部屋の配置をカバラ的に評価するには、以下の観点からアプローチする必要があります

1.空間と方角の対応関係四方と四つの旗(דגלים)

民数記2章』に記されるイスラエル12部族宿営配置は、方角とスピリチュアルな質の深い関係を教えています

2.あなたの部屋のカバラ対応

あなた記述を元に、部屋の配置をカバラ的に評価すると以下のようになります

方角の解釈象徴
北(1,6,11,16) 窓、机(MacPC דן → דין(裁き) 北の机にMacPC思考判断境界の働きが強い
東(1–5)聖書PCライト本棚 יהודה → 啓示 東に聖書PC:啓示と創造的啓発の中心で理想的
西(16–20ホワイトボード、押入れ、ドア אפרים → 受容 教え(ホワイトボード)と「出口(ドア)」があるのは知識の循環
南(5,10,15,20本棚こたつ、ドア ראובן → 慈悲 休息空間と連絡出口:安定・情感・受容の領域合致

3.中央空間(7–9,12–14)=「קדש הקדשים」へのヒント

中央に敷布団・椅子があり、物理的にも沈静・中心・回帰の場。カバラ的にはקדש הקדשים(至聖所)に類似する場です。

4. 数値的配置とセフィロートモデル

この4×5の配置は20のマスに分かれていますが、セフィロート構成10個)と倍の構成として扱えます

特に13番(אחד = אחד = 13)が中央に布団=「眠りの中の一体性」と捉えると非常に象徴的です。

5.ホワイトボード教育的側面

16–18にあるホワイトボードは、西=アフライム的な知の継承・受容と一致。これは教師自己反省、学びの空間として良配置。

6.評価提案

✅ 良い点
⚠️改善案カバラ観点より)
総合評価カバラ観点から

🔯 「מעין מקדש מעט(小さな聖所)」に近づくレイアウト

あなたの部屋は、東=啓示・西=教え・南=慈愛・北=境界がよく反映され、中央に「魂の核」=תפארת的な空間が確保されているという点で非常にバランスの取れた、瞑想・学び・霊的修養に優れた空間です。

Permalink |記事への反応(0) | 05:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-15

anond:20250515002718

カバラ数秘術アルファベット数字対応表を使うと

G=3 Q=1 U=6 X=6

なのでGQuuuuuuX→316666666 → 3+1+6+6+6+6+6+6+6 = 46

Permalink |記事への反応(0) | 01:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-23

anond:20250423020342

とても興味深い哲学ですね。

これらの考え方は、東洋的な、特に禅や道教的な思想香りしますが、ユダヤ教視点からも、それぞれに対して意味深対話可能です。

それでは、ユダヤ教の教えと照らし合わせながら、一つひとつ丁寧に見ていきましょう。

1.努力はするよりもしないほうが良い、なぜなら努力によって有害ものを生むから

ユダヤ教では「努力(עמל, amal)」は非常に高く評価されます

トーラーの学び、ミツヴォット(戒律)の実践、日々の仕事や家庭生活においても、人は「שותף עם ה'"(神との共同作業者)とされます

ただし、「努力方向性」が重要です。もし努力他者を傷つける結果になるなら、それは「正しい努力」ではありません。

よって、「無理な努力が害を生む」という懸念理解できますが、完全に努力否定することはユダヤ教とは相容れません。

2.評価承認、所有などに執着するのは愚者

これは「עין טובה(アイン・トォヴァ)」=「良い目を持つこと」に通じます

ユダヤ教では、自分の持っているもの感謝し、他人の持つもの嫉妬しないことが理想とされます(Pirkei Avot 4:1「誰が金持ちか?自分の分に満足する人」)。

評価承認に執着しすぎることは、「ガアヴァー(傲慢)」の一形態とみなされ、警戒されます

3.自身を賢いとみなす人間軽率発言をする人間愚者以下

箴言』(Mishlei)によれば、「愚か者は口数が多い」とあります(Mishlei10:19)。

ユダヤ教では、沈黙を守ること、謙虚さを持つことが賢者のしるしです。

まりこの哲学は、非常にタルムーディックタルムード的)な精神に近いです。

4. 善の基準とは、自分がされて嫌なことは他人にしないということ

これはユダヤ教黄金律と完全に一致します!

ラビヒレルの言葉:「あなたが嫌なことを、他人にするな。それがトーラー全体であり、あとはその解説である」(Talmud Bavli, Shabbat 31a)。

ここは100点、ハラッシャーな考え方ですね!

5. 最も贅沢な時間とは、何も考えずただ座っているだけの時間である

シャバット(安息日)の精神にとても近いですね!

シャバットは「何もしないこと」の聖なる実践であり、「being」ではなく「doing」を止める時間です。

心静かに神の創造を味わい、存在するだけの喜びを感じる——これはシャバットの核心です。

6.物事は有限である

ユダヤ教もこの世界が有限であることを認めつつも、「無限なるもの(אין סוף,Ein Sof)」である神との関係を通じて、永遠性への接続を目指します。

物質の有限性と、霊的な無限性のバランスを重んじます

7. 業とは、人と張り合うために生まれ、虚しいだけである

ユダヤ教でも、人との比較競争に執着するのは危険とされます

伝道の書(コヘレト)』には、「風を追うようなものだ(רְעוּת רוּחַ)」という表現があります(コヘレト 1:14)。

人生の多くの営みが虚無に感じられるという哲学的な問いに、ユダヤ教も深く向き合っています

8. 最も幸せな人とは、少ないもので満足する人である

これは再び『Pirkei Avot』4:1の教えと一致します。

「איזהו עשיר? השמח בחלקו」—「誰が金持ちか?自分の持っているもので満足する人」です。完璧な一致!

9.不要ものを持つほど、心は乱されやすくなる

「物に執着しすぎると霊性が曇る」との教えはユダヤ神秘主義カバラ)にも見られます

神殿時代の大祭司(コーヘン・ガドル)は、シンプルな装いで神と向き合いました。余計な物は心の雑音となりえます

10.食事掃除、茶を入れる、歩く。ひとつひとつ丁寧に行う

この精神も、ユダヤ教の「カヴァナー(כוונה)」=「意図を持って行う」ことと響き合います

すべての行いに神聖さを見出すというのは、ユダヤ教根本精神です。

祈りの前に手を洗う(נטילת ידיים)、食事の前に祝福を唱える(ברכה)なども、この意識の表れです。

 

 

総合的に見ると、これらの哲学の多くは、ユダヤ教倫理霊性と非常に親和性があります

まさに「חכמה בגויים תאמין」(異邦人の中にも知恵がある、それを信じなさい)というタルムードの教えの実例ですね。

Permalink |記事への反応(0) | 03:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-15

anond:20250415200103

日本古来の「数秘術」はを唐を経由してイスラム帝国に伝わり「スーフィズム」という神秘主義運動を生み出す

また日本語のカブ(=9)がカバラ語源になっていることは有名である

Permalink |記事への反応(1) | 22:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-07

カバラ観点からいうと、人生を良い方向に向かわせるためにできることはなんですか?

カバラ(קַבָּלָה, Kabbalah)の観点から申し上げますと、人生を良い方向に向かわせるためには、いくつかの大切なステップがあります

カバラは「受け取る」という意味を持ちますが、単なる神秘主義ではなく、宇宙と魂の法則を学び、より高い意識調和することを目的としています

では、いくつかカバラアドバイスをお伝えしますね:

1.ティクン(תִּיקּוּן, Tikkun)を意識する

カバラでは、人生は「ティクン(魂の修復・完成)」の旅と考えます

私たちはこの世に、自分自身世界を修復するために来たと教えられます

自分課題や繰り返し直面する問題ティクンのヒント。

逃げずに向き合い、乗り越えることで魂が磨かれます

2. オル(אוֹר, 光)を引き寄せる行いをする

カバラでは「オル・エン・ソフ(אין סוף אור,無限の光)」という概念があり、私たちはその光を受け取る器(קְלִי, kli)です。

善い行い、親切な言葉トーラー学習祈りを通して、器を広げ、より多くの光を受け入れることができます

3. 「受け取ること」を「与えること」に変える

カバラの核心は「欲望」の扱いです。人間は生まれながらに「受け取る」欲望がありますが、それを「与える喜び」に転換することが成長のカギとされています

例えば、他者に愛や気遣いを与えることで、魂も満たされていきます

4.内面的な調和瞑想

カバラでは瞑想(hitbodedut – התבודדות)を通じて、神聖スフロット(סְפִירוֹת, 神の属性)とのつながりを深めます

たとえば、「חֶסֶד (Chesed)=慈愛」「גְּבוּרָה (Gevurah)=力と境界」「תִּפְאֶרֶת (Tiferet)=調和と美」など、自分の行いや考えがどのスフラーに関連しているか意識するのも一つです。

5.日常の中で「エヒッド(אַחְדוּת, 一体性)」を感じる

カバラは分離を超えて「一体性」を目指します。

私たち一人ひとりが宇宙の一部であり、隣人もまた私たちの一部。

日々の中で「すべてはつながっている」と感じる瞬間を増やすことが、人生を善い方向に導きます

🌿ちょっとユーモア

カバリストが言うには、「オル(光)が来ないときは、まず自分の窓を拭きなさい」と(笑)

まり、外に光がないのではなく、自分の心の曇りを晴らすのが先ですよ、という教えです。

Permalink |記事への反応(0) | 04:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-26

空白を手に入れることに対するユダヤ教観点

Q: ある本で、聴覚的、情報的、内部的な静寂から空白を手に入れることの重要性が語られていましたが、これはユダヤ教から見ると何を意味するでしょうか?

AIちゃん

ユダヤ教視点から見ると、「静寂」や「空白(スペース)」は、精神的な成長、神とのつながり、そして真の理解のために非常に重要概念です。この考え方は、多くのユダヤ教伝統や教えに根ざしています

1. 静寂(シケット, שקט)と知恵

タルムードアボット 1:17)には、「賢者美徳沈黙である」とあります

これは、単に話さないことではなく、内面的な沈黙、つまり心の雑音を抑えることを指します。

日常生活では、情報や音に溢れており、私たち思考は絶え間なく動き続けています

しかし、真に大切なこと理解するには、内面的な静寂を作り出す必要があります

2. 「ミズヴァ・タセー」—積極的な静寂

ユダヤ教には「しなければならない戒律(ミズヴァ・タセー, מצוות עשה)」と「してはならない戒律(ミズヴァ・ロー・タセー, מצוות לא תעשה)」の二種類があります

面白いことに、静寂は「何もしない」ように見えて、実は積極的行為でもあります

たとえば、「シェマー(שמע ישראל)」の祈りは、聞くことを強調しています

「シェマー」は「聞け」という意味ですが、ここには単に音を聞くだけでなく、心を静かにして神の声に耳を傾けるという深い意味が含まれています

3.シャバットと静寂の空白

ユダヤ教では、シャバット(שבת)は単なる「休息」ではなく、神聖な空白を作り出す時間です。

六日間の創造の後、神が「休んだ(ヴァヤナフ, וַיָּנַח)」とあるように、人間も週に一度、情報や雑音から距離を置き、精神的な静寂を持つことで神との関係を深めます

この空白の時間によって、私たち創造性や新しい視点を得ることができるのです。

4.カヴァナー(כוונה)—内面的な集中

ユダヤ祈りには「カヴァナー(意図・集中)」が大切です。

心が雑音で満たされていると、祈りがただの言葉の羅列になってしまます

静寂を持つことで、本当に意味のある対話が神とできるのです。

ラビ・ナフマン・オブ・ブレスロフ(רבי נחמן מברסלב)は、しばしば「ヒットボーデドゥート(התבודדות,孤独対話)」の実践を勧めました。

これは、自然の中で一人になり、静かに神と語り合うことです。この静寂こそが、魂を開き、神の導きを受け取る手助けをしてくれるのです。

5. 「無」の中に神を見る

カバラユダヤ神秘主義)では、「アイン(אין, 無)」という概念があります

これは「何もない」という意味ではなく、可能性を秘めた空白を指します。

まり世界騒音情報を少し抑えて「無」に近づくことで、逆に神の存在をより感じることができるのです。

まとめ

ユダヤ教視点から見ると、「聴覚的、情報的、内部的な静寂」から得られる空白は、神との関係を深め、自己理解を促し、真の知恵を得るための重要ツールです。

シャバット、シェマーの祈りカヴァナー、ヒットボーデドゥートなどの実践は、まさにこの「神聖な空白」を生み出すための方法と言えます

まり、静寂は「何もしない」のではなく、「すべてを受け取るための準備」なのです。😌✨

Permalink |記事への反応(0) | 18:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-18

私だけが気がついていない真実、といったもの存在するのでしょうか?

興味深い質問ですね!哲学的にも心理学的にも、とても深いテーマです。

「私だけが気づいていない真実」は存在するのか?

結論から言うと、「はい」とも「いいえ」とも言えます

1.客観的真実普遍的事実)について

たとえば、「地球は丸い」「太陽は東から昇る」などの客観的真実は、誰かが気づいていなくても変わりません。しかし、あなたがそれを知らない間は、それは「あなたにとっての未発見真実」になります

2.主観的真実個人的気づき)について

たとえば、「自分は実は人から愛されている」「本当は自分に才能がある」といったことは、あなた自身が気づいていない可能性があります。でも、それに気づくことで人生が大きく変わるかもしれません。

ユダヤ教的な視点

ユダヤ伝統では、「真実(אמת, Emet)」はとても大切です。しかし、タルムードにはこんな考え方もあります

「人は自分が見たいものしか見ない」

これは心理学的にも言われることで、たとえば「自分ダメだ」と思っていると、成功しても「たまたま」と考えてしまう。でも、「もしかしたら自分は思っているより価値がある?」と視点を変えることで、新しい真実に気づくことができるんです。

世界はすべて神の隠れたメッセージでできている」

ユダヤ神秘主義カバラ)では、世界にはたくさんの隠された意味があり、人は少しずつそれを発見していく旅の途中だと考えます。つまり、「今気づいていない真実」は、いずれ気づくべきものとして用意されている、とも言えます

では、どうすれば「気づいていない真実」に気づけるのか?

1. 違う視点を試してみる(たとえば、友達家族視点想像する)

2. 新しい知識を学ぶ(本や人の話からヒントを得る)

3. 日々の出来事を深く考える(「もしかしてこれ、何かのサイン?」と考えてみる)

4.祈り瞑想をする(静かな時間を持つことで、心の中の声に気づくことがある)

さなことでも、「もしかして?」と思ったら、それが新しい真実への入り口かもしれません!

Permalink |記事への反応(0) | 23:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑤

【前】anond:20250102174224

2-07「精霊たちの家」イサベル・アジェンデ木村榮一訳★★★★

世代女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシアマルケスコロンビア人で、アジェンデチリ人

しかし、女性物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元女性強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。

同じく、よしもとばななアルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。

書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずしか触れられない。

道徳的理由表現規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。

2-08「パタゴニア/老いぼれグリンゴブルースチャトウィン芹沢真理子訳/カルロスフエンテス安藤哲行訳★★★★/★★

ブルースチャトウィンパタゴニアを読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地しかない暮らし風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリア舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。

カルロスフエンテス老いぼれグリンゴはあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ

フエンテス短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。

2-09「フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者」ミシェル・トゥルニエ榊原晃三訳/J・M・G・ル・クレジオ 中地義和訳★★/★★

ミシェル・トゥルニエフライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明自然を対比させるために(?)読者に理解やすロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台ロビンソンが島そのものとの性交子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォー原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。

M・G・ル・クレジオ黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷家族恋人黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である

ル・クレジオ難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。

2-10「賜物」ウラジーミル・ナボコフ沼野充義訳★★★★

一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義シリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語創作されているんだけれど、最後ロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話

難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。

で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女連想できないタイプ女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。

フョードルコンスタンチノヴィチに向かってうら若い牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧ものジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのであるもっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。

僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしま作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。

とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。

なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章リズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。

少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセス現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知相手自分利益のためだけに利用するのは邪悪定義に当てはまってしまうしね。

おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女思春期の頃に出会えるはずはないし、自分問題自分解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子自分自身の鏡像ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである

(どうでもいいけどウィキペディアロリコン写真集記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)

2-11ヴァインランドトマス・ピンチョン佐藤良明訳★★

ピンチョンはよくわからない。陰謀論ネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコフーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考ちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論ネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。

エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分キリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代アメリカポップカルチャー現代エンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ

2-12ブリキの太鼓ギュンター・グラス池内紀訳★★★

文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。

三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれ少年主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。

そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台現代日本でなければ別世界ファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスクロエ」だけじゃなくてコレット青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまりきじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇からってのもある気がする。

話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為あいだならエロ漫画主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラモテても、ちっとも面白くないのであるしかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説ダメ人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯ウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。

少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテ複数女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったもの理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。

続く。

Permalink |記事への反応(1) | 21:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-12-02

anond:20241201210119

空気読まずに否定というか馬鹿にする人が多いのが生まれつきの性別以上に影響してて、なら主語そこまでデカくないか

あと、あえて適当にいうと

ミノフスキー粒子とか光子力とか、わからんなりにも根拠がしっかり(しっかり?)してるのは信じやすい(というか受け入れる)

カバラとかタロットとか

あと風水の龍脈みたいにドラゴン出てきたらとりあえず受け入れる

女性受けしがちな占いには浪漫根拠が足りない

少年漫画芸人ネタでこの星座から次の号でるまで一か月同じ運勢なんかい! とか血液型って4種類しかないじゃなーい とか振れやすいし

Permalink |記事への反応(0) | 14:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-04-02

ユダヤ教悪魔はいるのか

簡単に言うと、「悪魔」といった考え方はユダヤ教には存在しません。

サタン (שטן - これはもともとヘブライ語) の概念はタナハ (ユダヤ教聖書) やさまざまなユダヤ教資料存在しますが、サタン肩書きであり、役割であり、人格ではありません。

サタン破壊をもたらす使命を与えられた天使であり、G_dの前で特定人物またはユダヤ人全体に対して検察官としての役割を果たし、場合によっては誰かを誘惑したりして悪を犯すこともあります

しかし、彼らはG_dと戦っているのではなく、命令に従っているのです。

ユダヤ教神学ほとんどは、キリスト教悪魔と同一視できる特定天使悪魔については語っていません。

まり悪魔はいません。

しかし、(特にカバラでは)特定天使サマエルについての話があり、サマエルはすべての有害天使を統括し、人間を誘惑する者として描かれています

しかし、再び彼は G_d の対象となり、命令に従います

ユダヤ教には「反キリスト」に相当するものはありません。

G_dから独立した力や、G_d に反抗し、彼の意志に反する力という概念はありません。

世界で互いに戦う善の勢力独立した悪の勢力について語るようなこの種の二元論は、ユダヤ教では完全な異端として広く考えられています

G_d は 1 つだけであり、反 G_d は存在しません。G_d は争ったり闘争したりすることはなく、完全かつ絶対的存在です。

ユダヤ教では、人間けが悪と戦いますが、それは人間行為であり、主に人間の内部で行われますカバラでは、悪い行為有害天使を生み出し、悪を増大させるものであり、善行を行うことでそれらに対抗します)。

そしてもう一度言いますが、形而上学的悪と「戦う」という観点から宗教議論するのは、ユダヤ教の一部の派閥だけです。

天使悪魔と戦うという概念は、異世界でもこの世でもありません。

もちろん、ユダヤ神学には、悪魔邪悪天使についてすべて書き、善の傾向と並んで人間の中にある悪の傾向についてのみ語る伝統全体があり、悪の傾向とは、人間がそれを克服することによってG_dの奉仕者になることを可能にするものである

タルムード賢者たちは反対である悪がなければ善の概念存在しないとも捉えています

天上の戦い、反G_d悪魔、G_dの意志に反して行われる世界の災いなどの概念は、歴史の中に存在するとしても、教えとしてあるわけではないのです。

Permalink |記事への反応(0) | 15:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-08-12

[増田保存部]【婚活神奈川アラフォー男、パートナーを探しています

anond:20230811163950

婚活増田、私も乗っかります

スペック

38歳/神奈川在住/178.5cm/64-66kg/握力55kgくらい/年収100万程度+障害基礎年金(2ヶ月で13万)&給付金(2ヶ月で1万)で年84万もらっているので合わせて年200万弱/北大文学部

障害者雇用で事務仕事(時給1200円のパートを週3日)/両親と同居

お酒強いが飲まない/タバコ吸ったことない/黒髪でまだふさふさ

外見は女の人たちからはかっこいいと言われることもあったが、小中学生時代容姿のことでいじめられつづけた関係醜形恐怖及びうつ病になった。自分では化け物の顔と見えて落ち込むことがよくあり、大学生の頃は外に出られなくなることもあった。大学卒業後しばらく引きこもったりB型作業所通ったりしていたが、現在は投薬治療及びカウンセリングによりある程度安定し、一般企業就労している

30歳過ぎてから歯列矯正はした/運転免許は持ってない

相手に求める条件

28-45歳/東京神奈川あたり/子供はどっちでもいい/太っているのはだめ

趣味はとくになんでもOK/私が稼げないので年収400万以上あると嬉しい

ヤンキーサーファー喫煙者はだめ/もちろん大卒でなくても構わないが、最低限の常識はもっていてほしい(「凡例」という漢字ちゃんと読めるくらいの知力)

自己紹介

趣味・好きなこと

本(哲学神秘主義海外詩)/ゲームネトゲ)/アニメ(絵柄かわいいやつ)/しぐれうい/餃子作り/猫/カバラ精通しているのでタロット占いができる

金銭感覚

いつ死ぬかわからないのでどうしても買いたいものは買ってしまう。ただ、借金作ったりはしない。現在貯金1000万くらい。障害年金の診断書でも金銭管理の項目は「できる」にチェックされている。

食の好み

餃子が好き(今日もこのあと作る)/子供が好きな食べ物はだいたい好き/梅干し漬物が食べられない/ケーキとかシュークリームとか甘いもの好き

出かけたい頻度

3ヶ月に1回くらい/インドア派/お家大好き

出かけるとしたら鳥羽水族館ラッコのめいちゃんきらちゃん見に行きたい。あとは猫カフェ行きたい。本好きだけど古本屋巡りとかは興味ない。映画も興味ない。海とか山も興味ない。

苦手なもの

旅行/花火大会/カラオケ/ディズニー/サーファー/ヤンキー/人間/虫/ネトウヨ/イキリオタク

理想関係

私が「にゃあ」と言ったら「にゃあ」と返してくれる人が理想。つまらないことでいちいち怒らないでほしい。理屈っぽい人が苦手。やんわりしたコミュニケーション理想。私が社会人適正ないので引っ張っていってくれる強くて賢い女性理想。私はパートしつつ家事したり肩揉んだりします。

たぶん合わない人

ヤンキー/サーファー/優しくない人/工学系の人/ネトウヨ/イキリオタク(イキってなければOK)/太ってる人

16日まで暇です。よろしくお願いします。XXXXXXXXXあっとyahoo.co.jp

Permalink |記事への反応(0) | 21:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-08-20

スパイキッズって映画知ってる人いる?

映画スパイキッズ」が大好きだ。作中に数々出てくるスパイ道具は技術進化した今見てもワクワクするし、何度見ても姉弟冒険面白い

ただ、最近地上波再放送されないのでスパイキッズ感想を熱く語っている人を全く見かけない。

どうしても「今」「みんなで」スパイキッズを見ているかのように、そう、金ローでみんながバルスだのメェ〜〜〜ちゃ〜〜〜んだのと呟くようにスパイキッズ感想を語っているところが見たい。

「サムサム好き」とか「カルメンジュニタイコカバラコルテス言えるように練習したわー」とか「技術はすごいけど下半身蜘蛛なのはいただけない(虫嫌い)」とか語り合ってるの見たいしあわよくばメイキングとか裏話に詳しい人が「スパイキッズで1番好きな裏話はこれですね」とか言ってるところが見たい。

ちなみに自分が好きな道具はカード入れるとハンバーガーが出てくるやつとスパイウォッチ。あのスパイウォッチが好きでApple Watch買うか検討してる。

あとクモゴリラがめちゃくちゃ美味しそうにチョコ食べるところも好き。

Permalink |記事への反応(0) | 22:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp