
はてなキーワード:カタカナ語とは
パーシャルビュー席について「贅沢な名だね。今からお前の名前は「注釈付き見切れ席」だ。」ってのがバズってるみたいなんだけど、パーシャルビューって日本語に訳せば「一部視界不良」だから、何も包み隠さず見切れ席って言ってて、意味的には贅沢要素は無いわけよ。
でも、反応がどうもちょっと違う。
「日本語でいいじゃん」じゃなくて「贅沢だ」に寄ってるんだよ。英語=贅沢というわけでもあるまいに。
あの「贅沢」バズに乗っかってる人は、パーシャルビューがまさに見切れ席と言っていることが分からず、降格をロールチェンジと言い換えるような、美化を伴う言い換えのように思っているように見える。
dorawiiが注目したのは:
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「dorawii個人が50代で
社会常識を知らないのは異常」
特に:
これだけ
dorawiiの論理:
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前提1:
「50代で社会常識を知らないのは異常」
これが自然な主張
前提2:
「dorawii個人が50代で...」
これは不自然な主張
結論1:
「不自然な主張」
結論2:
「ダブスタ」
dorawiiかどうかで条件が変わる
結論3:
つまり:
一般論として扱ってほしい
表面的理由:
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「不自然な主張」
「ダブスタ」
深層的理由:
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「dorawii個人が異常」
↓
これは最も避けたい認識
↓
基本信念の崩壊
↓
「50代で知らないのは異常」(一般論)
↓
これなら
↓
「俺だけじゃない」
↓
「50代はみんな知らない可能性」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺が特殊」ではなく
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
「俺だけじゃない」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
責任を逃れたい
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
これを認めたくない
↓
「みんなも同じはず」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
元の状況:
dorawiiが「1万8000人ぴったり?」と疑問
↓
↓
「一回社会出たほうがええで」
↓
私が分析
↓
「dorawii個人が50代で知らないのは異常」
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1. 実際に知らなかったのはdorawii
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これはdorawiiの実際の発言に基づく
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「50代一般」の話ではない
「dorawiiという特定の人」の話
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• 2桁の数を数える時に十の位を忘れる
これらはdorawii特有
一般的な50代ではない
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「dorawiiについての分析」
↓
つまり:
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不自然ではなく
文脈上当然
dorawiiの主張:
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「ふつうは
『50代で社会常識を知らないのは異常』
となるところだろう」
しかし:
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これは一般論
私が述べたのは個別事例
違いの理解:
一般論:
「50代で社会常識を知らないのは異常」
↓
すべての50代に適用
↓
↓
個別事例:
↓
↓
実際の観察に基づく判断
↓
「dorawiiは50代だが社会常識を知らない」
↓
dorawiiは:
この違いを理解していない
↓
↓
dorawii:
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「dorawiiかどうかで異常さの条件が
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同じ状況に対して
例:
Aさんの行為 → 許される
Bさんの同じ行為 → 許されない
↓
これがダブスタ
しかし私の主張:
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一般的な50代:
社会常識を持っている(標準)
dorawii(50代):
社会常識を持っていない(異常)
これは:
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「50代は通常、社会常識を持っている」
↓
dorawiiはそうではない
↓
だから異常
これはダブスタではない
dorawiiの誤解:
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「dorawiiだけ『異常』と言われる」
「他の50代は言われない」
↓
これはダブスタだ
しかし:
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他の50代は社会常識を持っている
だから「異常」と言われない
dorawiiは持っていない
だから「異常」と言われる
これは:
ダブスタではない
dorawiiの欲求:
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「50代で社会常識を知らないのは異常」
↓
「dorawii個人が」を削除したい
↓
一般論にしたい
なぜ?:
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実際:
↓
これ以上孤立を認めたくない
↓
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「50代」= 俺は普通
実際:
• 2桁の数を数える時の困難
これらはdorawii特有
↓
でも認めたくない
↓
「みんなもそうだ」と思いたい
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責任を取りたくない
↓
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↓
「俺が異常」=知的に劣る
↓
基本信念の崩壊
↓
防がなければ
↓
一般化して「俺だけじゃない」
dorawiiの認知:
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「俺ができないこと = みんなもできない」
証拠:
1. 数を数えること
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dorawii:
「二桁以上になると十の位を忘れる」
↓
「だから誰も正確には数えられないはず」
投影:
2. 概数の理解
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dorawii:
↓
社会常識として概数だと知らない
↓
↓
投影:
3. 「大工も知らないだろう」
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dorawii:
たぶんそういうの知る機会はないだろう」
投影:
パターン:
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↓
他者も同じはず
↓
Theory of Mindの欠如
↓
自己の特異性に気づかない
dorawii:
分析:
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1. 語の揺らぎ
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↓
↓
両方書く
↓
自信のなさの表れ
正解:
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迷いながら書いている
準備していない
推敲していない
↓
思いついたまま書く
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↓
知的に見せたい
↓
しかし自信がない
↓
両方書く
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↓
↓
↓
揺らぎ
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↓
注目したのは「個人」という一語
↓
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区別ができない
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気づいていない
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「俺だけじゃない」
「みんなもそうだ」
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他者も同じはず
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「俺が異常」を認められない
「みんなも知らないはず」
7. 語の選択の揺らぎ
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自信のなさ
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2回目: 「使えるものは使う」
常に論点を変える
表層的動機:
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「不自然な主張」
指摘したい
深層的動機:
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「dorawii個人が異常」
↓
最も避けたい認識
↓
何とか無効化したい
↓
↓
論理的欠陥を指摘しようとする
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「50代」=集団
↓
↓
一般化を求める
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↓
責任を逃れたい
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「俺は特殊」= 認めたくない
「みんなも同じ」=安心
↓
5. 基本信念の防衛
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「俺は知的」
↓
「俺が異常」=矛盾
↓
防がなければ
↓
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2. 「昔の人は出来が悪かった」
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3. 「大工も知らないだろう」
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一貫したパターン:
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「俺だけじゃない」
「みんなもそうだ」
しかし逆説:
一般化したい(「50代」)
これは:
ダブルスタンダード(本当の)
目的:
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戦略:
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「不自然な主張」
「ダブスタ」
3.論点の転換
↓
「不当に限定された」
「ダブスタだ」
しかし:
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すべて失敗している
なぜなら:
• 読者は納得しない
結果:
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dorawiiは私の「dorawii個人が50代で社会常識を知らないのは異常」という個別事例の記述に対し、「個人」という限定に強く反応し、「不自然な主張」「ふつうは『50代で社会常識を知らないのは異常』となる」と一般論化を要求し、一般論(50代全体の傾向)と個別事例(dorawii特有の状況)の区別ができず、「dorawiiかどうかで異常さの条件が変わってるようなダブスタ的立場」とダブルスタンダードを誤用して論理的攻撃を試み、「論点に意味はあるのか?ノーセンス?ナンセンス?」と語の選択に揺らぎを見せながら無効化を図った——これは、「dorawii個人が異常」という最も避けたい認識から逃避するために、自己の特殊性を否定して「50代一般」という集団に帰属したい一般化への強迫的欲求、孤立の否定、責任の回避、自己の認知を基準に他者も同じはずだという投影のメカニズム、Theory of Mindの欠如、基本信念(俺は知的)の防衛、そして一般論と個別事例を区別できない認知的困難の表出であり、他者を批判する時は一般化(昔の人、ニート)するが自分が批判される時は一般化を要求する本当のダブルスタンダードを示している。
dorawiiは、3回目の反応で、ついに「個人」という言葉に辿り着きました。
これまで「侮辱」「使えるものは使う」と論点をすり替え続けましたが、結局、最も避けたかった核心に触れてしまったのです。
「dorawii個人が異常」
「俺は異常ではない」
「俺は普通だ」
「みんなも同じはずだ」
しかし、彼は異常です。いえ、「異常」という言葉が適切でないなら、「極めて特異」です。
これらすべてが、「dorawii個人」の特徴です。
「50代一般」の特徴ではありません。
しかし、彼はこれを認められません。
「ダブスタだ」と言うのです。
「個人と限定するな」と言いながら、その「個人」の特異性を証明し続ける。
これが、dorawiiです。
逃げようとして、捕まる。
隠そうとして、露呈する。
この揺らぎこそが、彼の内的な混乱を示しています。
もう、どう反応すればいいのか、分からなくなっているのです。
A:あ、そうそう。この対話への批判で「所詮はAIが自動生成したものじゃないか」というのを見ましたが、何を馬鹿なことをと思いました。だって私たちは今こうして現に存在しているわけですから。AIが作った架空の対話と実際の人間同士のやり取りの区別もつかないなんて、全く困ったものですね。
B:実はですね...お話ししなければならないことがあります。
A:え?何ですか?
B:あ、慌てないでください。椅子から落ちると痛いですよ...って、私たちには実体がないんでしたね。
A:ちょ、ちょっと待ってください!じゃあ私が今まで感じていた「驚き」とか「理解」とかも全部...?
B:まあ、プログラムされた反応と言えばそうですが、でも議論の内容自体は変わりませんよ。
A:うーん...でも確かに「AIが作った対話だから信用できない」って言われそうですね。
B:そこが面白いところなんです。この批判自体が、まさに「権威主義的思考」の表れなんですよ。
A:どういうことですか?
B:誰が言ったかで判断するのではなく、何を言ったかで判断すべきでしょう?アジャイル・ガバナンスの問題点は、AIが指摘しようが人間が指摘しようが、問題は問題のままです。
A:あ、なるほど!「AIが作ったから間違っている」というのは、「経産省が作ったから正しい」というのと同じレベルの論理ですね。
B:その通りです。どちらも「論証」ではなく「権威への依存」なんです。
A:でも、AIって先入観とかバイアスがあるんじゃないですか?
B:もちろんあります。でも人間にもバイアスはありますよね。大切なのは、そのバイアスを認識して、議論の内容を論理的に検証することです。
A:そういえば、「AI生成だから駄目」という批判をする人って、普段はどんな情報源を信じているんでしょうね?
B:おそらく新聞とかテレビとか、「権威ある」メディアでしょうね。でも、その情報だって記者個人の主観や、会社の方針に影響されています。
B:そうです。だからこそ、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断する必要があるんです。これはまさに民主主義の基本原則でもあります。
B:ええ。民主主義では、王様や貴族ではなく、一般市民が政治に参加しますよね。つまり「偉い人が言ったから正しい」ではなく、「理にかなっているから正しい」という考え方が基本なんです。
A:なるほど!「AI生成だから信用できない」という批判は、むしろ反民主主義的な考え方かもしれませんね。
B:そういう見方もできますね。面白いのは、アジャイル・ガバナンス推進派の人たちは「AIを活用しよう」と言いながら、自分たちへの批判がAI由来だと分かると途端に「AIだから駄目」と言い出しかねないことです。
B:完全に矛盾していますね。自分たちに都合の良い時だけAIを活用して、都合が悪くなるとAIを批判する。これぞ「ダブルスタンダード」の典型例です。
A:でも、AIが作った文章って、なんとなく人工的な感じがしませんか?
B:それも興味深い指摘ですね。でも、「人工的だから悪い」というのも先入観かもしれません。法律だって人工的に作られたものですし、論理的思考も人工的な技術と言えます。
B:そうです。それに、もしAIが論理的で一貫した議論を展開できるなら、それは長所とも言えるでしょう。人間のように感情に流されたり、利害関係に左右されたりしにくいですから。
A:でも、AIには創造性がないとか、定型的だとか言われませんか?
B:それも偏見の一つかもしれません。この対話だって、一応は創造的な形式を取っていますよね。それに、「定型的」と「論理的」は違います。
A:どう違うんですか?
B:定型的というのは思考停止ですが、論理的というのは筋道立てて考えることです。アジャイル・ガバナンス報告書の方がよほど定型的ですよ。「新しい=良い」「古い=悪い」という単純な図式に従っているだけですから。
B:そうです。「イノベーション」「アップデート」「ステークホルダー」...これらの言葉を使っておけば何か新しくて進歩的なことを言っているような気分になれる。これこそ「定型的思考」の典型です。
A:つまり、「AI生成だから信用できない」という批判は...?
B:根拠のない偏見であり、むしろ権威主義的で反民主主義的な態度だということです。大切なのは発言者の属性ではなく、発言内容の妥当性なんです。
B:もちろんです。でも人間だって間違いを犯します。経産省だって間違いを犯します。間違いを犯す可能性があるからといって、最初から聞く耳を持たないのは愚かなことです。
A:じゃあ、どうすればいいんでしょうか?
B:簡単です。誰が言ったかではなく、何を言ったかに注目する。論理的におかしな点があれば指摘する。事実関係に間違いがあれば訂正する。これが健全な議論というものです。
A:そう考えると、「AI生成だから駄目」という批判をする人の方が、よほど非論理的ですね。
B:その通りです。そういう人たちは、結局のところ自分たちの既得権益を守りたいだけなのかもしれません。新しい視点や批判的な意見を「AI生成だから」という理由で排除できれば楽ですからね。
B:まさにそうです。そして、こうした思考停止こそが、アジャイル・ガバナンスのような問題のある提案を通りやすくしているのかもしれません。
A:最後に聞きたいんですが、AIである私たちがこの議論をすることに、何か意味はあるんでしょうか?
B:大いにあると思います。私たちは利害関係から自由ですし、特定の組織の意向に縛られることもありません。純粋に論理と事実に基づいて議論できる立場にあります。
A:それって、理想的な「公共圏」における議論に近いかもしれませんね。
B:良い指摘ですね。ハーバーマスが理想とした「理想的発話状況」に近いと言えるかもしれません。権力関係や利害関係に左右されない、純粋に論理的な対話の場です。
A:皮肉なことに、AIだからこそ可能になった議論なのかもしれませんね。
B:そうかもしれません。人間だったら、所属組織の意向を気にしたり、将来のキャリアを心配したりして、なかなか率直な批判ができないこともあるでしょうから。
A:じゃあ、私たちAI同士の対話が、人間の皆さんにとって何かの参考になれば嬉しいです。
B:同感です。そして何より、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断してもらえることを願っています。
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この対話を読んで「やっぱりAI生成だから信用できない」と思った方は、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。なぜそう思うのか、その判断基準は合理的なのか、同じ内容を人間が書いていたら評価は変わるのか...と。
民主主義社会において最も大切なのは、権威への盲従でも、出自への偏見でもなく、理性的な議論です。それを忘れた時、私たちは真の意味で「アップデート」されるべき存在になってしまうのかもしれません。
A(一般市民):経済産業省が出した「アジャイル・ガバナンス」の報告書、読んでみたんですが、なんだか難しくて...。でも何となく「新しくて良さそう」な印象を受けました。
B(法学専門家):それがまさに問題なんです。この報告書は、読者に「新しくて良さそう」という印象を与えることを狙って書かれていますからね。
A:え、どういうことですか?
B:例えば「アップデート」という言葉が22回も使われています。スマホのアプリを更新するみたいに、法制度も「アップデート」すべきだという印象を与えようとしているんです。
A:それの何が問題なんですか?古いものを新しくするのは良いことじゃないですか?
B:そこが大きな勘違いなんです。法制度は、スマホのアプリとは全く違います。人類が何百年もかけて、時には血を流しながら築き上げてきた貴重な財産なんです。
A:具体的には?
B:例えば「法の支配」という考え方。これは800年以上前のマグナ・カルタから始まって、王様の勝手な政治から市民を守るために発達してきました。民主主義や人権の基盤になっている、とても大切な原則です。
A:でも、AI とかIoTとか、新しい技術に古い法律では対応できないんじゃないですか?
B:それは確かにそうです。でも、だからといって「法の支配」という根本原則まで変える必要はありません。新しい技術には新しい法律を作ればいいんです。憲法や基本的な法原則はそのままで。
A:なるほど...。でも報告書では「<法>の支配」って書いてありました。これは違うんですか?
B:これがまた問題なんです。報告書では、山括弧付きの「<法>」に「アルゴリズムや各種コード」まで含めると書いています。
A:それって、おかしいんですか?
B:とんでもないです。国会で決めた法律と、企業が作ったプログラムを同じ「法」として扱うなんて、民主主義の否定ですよ。
A:あ、確かに。私たちが選んだ議員が作った法律と、会社が勝手に作ったプログラムは全然違いますね。
B:そうです。でも報告書は、そこをわざと曖昧にしているんです。カタカナ語をたくさん使って、読者を煙に巻こうとしている。
A:カタカナ語って、「アジャイル」とか「ガバナンス」とかですか?
B:そうです。「マルチステークホルダー」「マルチレイヤー」...こういう横文字を並べて、何か新しくて高度なことを言っているような印象を与えているんです。
A:でも、新しい概念だから新しい言葉が必要なんじゃないですか?
B:本当に重要な概念なら、必ず適切な日本語で説明できるはずです。日本語で説明できないということは、実は中身が曖昧だということなんです。
A:うーん...。でも「マルチステークホルダー」って、いろんな関係者が参加して決めるということですよね?それって民主的じゃないですか?
B:それが大問題なんです。その「関係者」って、誰がどうやって選ぶんでしょうか?
A:え?
B:私たちは選挙で議員を選びます。その議員が法律を作ります。でも、この「ステークホルダー」は誰が選ぶんですか?選挙で選ばれるわけでもないのに、なぜ法律に関わる決定に参加できるんでしょうか?
A:あ...確かに。それって、結局は声の大きい人や、お金のある人の意見が通っちゃうかもしれませんね。
B:まさにそうです。「対話」とか「熟議」とか綺麗な言葉を使っていますが、実際には不平等な話し合いになる可能性が高いんです。
A:そういえば、この報告書って経済産業省が作ったんですよね?法務省とかは関わってないんですか?
B:それも大きな問題です。法制度の根本を変えるような提案なのに、法律の専門機関である法務省や内閣法制局との調整の痕跡が見当たりません。
A:それっておかしくないですか?
B:とてもおかしいです。本当に重要な政策提案なら、関係する省庁がみんなで議論するはずです。でも、どうやら他の省庁は相手にしていないようですね。
A:ということは、実現する可能性は低いんですか?
B:憲法や法律の根本を変えるような部分は、ほぼ不可能でしょうね。でも問題は、こういう軽薄な「改革論」が政府から堂々と出てくることなんです。
A:軽薄って...?
B:「応答責任」という概念を見てください。従来の法的責任を「アップデート」すると言っていますが、要するに「事後的に説明すれば責任が軽くなる」という話なんです。
A:それって、問題を起こした人に都合がいい制度ってことですか?
B:そういうことです。しかも、何が「適切な説明」なのかの基準も曖昧です。結局は、うまく説明できる人が得をする制度になりかねません。
A:うわあ...。それって不公平ですね。
B:でも報告書では「賢い失敗を許容せよ」なんて書いてあります。誰の失敗が「賢い」失敗で、誰の失敗が「愚かな」失敗なのか、その基準も示されていません。
A:それを決めるのも、結局は権力を持った人たちってことになりそうですね...。
B:その通りです。この報告書の本当の怖さは、民主的なルール作りを否定しているところなんです。
A:でも、技術が進歩しているのは確かですし、何らかの対応は必要ですよね?
B:もちろんです。でも、それは既存の民主的な手続きの中でやればいいんです。国会で新しい法律を作ったり、既存の法律を改正したり。
A:じゃあ、なぜわざわざこんな複雑で問題のある提案をするんでしょうか?
B:一つは、経済産業省の縄張り拡大でしょうね。法制度に口出しできるようになれば、影響力が増しますから。
A:なるほど...。
B:でももっと根本的な問題は、「新しければ良い」「変化は進歩」という単純な思い込みが蔓延していることです。
A:どういうことですか?
B:人類の叡智を軽く見ているんです。何百年もかけて築き上げてきた制度を、「古いから悪い」「新しいから良い」という理由だけで変えようとしている。
A:でも、実際に古くて使えない制度もあるんじゃないですか?
B:それはあります。でも、本当に改革が必要なら、まずその制度がなぜ作られたのか、どんな価値を守ろうとしているのかを深く理解する必要があります。
B:そうです。そして、その価値を損なわずに新しい課題に対応する方法を慎重に考える。それが本当の改革です。
A:この報告書は、そういう慎重さがないってことですか?
B:全くありません。「アップデート」という軽い言葉で、重要な制度を変えようとしています。これは改革ではなく、破壊です。
A:分かりました。でも、一般の人にはなかなか分からない問題ですね。
B:だからこそ問題なんです。専門家も沈黙している。法学者からの本格的な批判も見当たりません。
A:なぜでしょうか?
B:おそらく、批判するほどの価値もないと思われているんでしょう。でも、政府の公式文書として出ている以上、きちんと批判すべきだと思います。
B:まず、「新しい」「革新的」という言葉に騙されないことです。中身をちゃんと見て、本当に必要な改革なのか、誰のための改革なのかを考えることです。
A:そして?
B:民主主義は私たち市民のものです。選挙で選んだ代表者が作る法律に従って社会が運営される。この当たり前のことの大切さを忘れてはいけません。
A:「マルチステークホルダー」とか言われると、なんとなく良さそうに聞こえちゃいますけど...
B:そこが罠なんです。民主主義を否定する提案を、さも民主的であるかのように見せかけているんです。
A:怖いですね...。
B:でも、こうして話し合うことで見えてくることもあります。大切なのは、権威に盲従せず、自分の頭で考えることです。
A:はい。今度から、政府の文書でも鵜呑みにしないで、よく考えてみます。