
はてなキーワード:オンリーワンとは
木曜の夜、僕は渋谷のマークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託のデザイナーとの打ち合わせで、サイトのワイヤーフレームの修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。
自分の話をする。
僕は今、大学の四年生で、二年の終わりくらいからウェブのマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態はフリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアントは十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。
この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。
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インターン先の話をする。大学三年のとき、半年だけ、あるスタートアップでインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。
先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケの責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告のレポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。
三十秒。
僕は自分の二時間と川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。
川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業の柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケのことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアントと電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。
僕にはあれがない。
あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。
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ここで白状しなければならないことがある。
中学のとき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなものを想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEのグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。
いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。
僕はそれを自分に向けた。
高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分の会社を作った。それは全部、中学の教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。
復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。
川島さんや柴田さんのような人間を見てしまったから。僕が中学の教室の透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまったから。
同世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生で自分の会社を持っていて、クライアントが十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。
でもそれは同世代の話だ。同世代のトップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。
オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。
そう思うと、怖い。
今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと。
もっと。
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でも。
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でも、と僕は思う。
木曜の夜の渋谷のエスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う。
僕は、楽しんだことがあるだろうか。
人生を。
中学のとき、透明だった。高校のとき、復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。
友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。
二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。
旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画を最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。
Twitterを開けば、同い年のやつらがサークルの合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女の誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレームの修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。
僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。
でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。
僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。
もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。
友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとわからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。
だから僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアントの課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。
でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。
わからない。
もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷のエスカレーターの上で立ち止まっている。
ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。
こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人がいるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースがちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。
おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。
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金曜の朝。
特に何があったわけでもない朝だった。
僕はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分がちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。
メールを確認する。Slackを確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件のレポートへの反応だった。
小さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分でアクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告の設計と、LPの改善と、SNSの運用方針を整理することだった。
「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます」
僕はそのメールを読んだ。
二回読んだ。
三回読んだ。
そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。
「はじめて知らない方からの注文がありました」。
それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。
でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分の作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。
僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップの広告なんか、川島さんの世界には存在しない。
僕はなんでもやだ。
マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザインの方向性も考えるし、クライアントの愚痴も聞くし、請求書も自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在。
でも。
あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。
なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。
月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端な場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端だから、中途半端な場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。
それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。
僕にはこの仕事がある。
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これが何かの答えだとは思わない。
川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷のエスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。
ワークの問題は解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学の教室の透明な僕に戻ってしまう。
ライフの問題はもっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっと楽しまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。
全部、中途半端だ。
全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。
数学とか物理で歴史に名が残ってるレベルの人たちだと、そういう人たちが存命中でかつ複数いたときに、ある基準で比べたら定量化可能でそういう意味でどっちの方が賢いとか比べることもできたかもしれないけど、実際はそんなこと当時でもしてないだろうなって思うじゃん。それぐらい賢い人達になると「どっちもすごい。オンリーワン。」で終わる。
(といってもたとえばニュートンはドモアブルを数学において自分より優れていると認めていた話があるが)
んでひるがえって現代において東大に行くとだいたい必ず自分より上位互換がいて劣等感を持つって話があるじゃん?
つまりその程度の賢さだと自分や周りは「あなたはあなたでオンリーワンに賢いところがある」って認知ではなくあくまで比較可能だとみなされるってことだよね。
じゃあオンリーワンだと認識されるその下限ってどのあたりなんだろうって話なんだよ。
dorawiiより
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挑戦、挑戦、また挑戦。ひたすら新しいことに挑戦し続ける20代。無知で愚かだったから暗闇に向かって歩けただけ。
世の中には無責任に「死ぬ気で働け」「起業すれば?」「大学に入り直せばいいんだよ」などと言うやつがいる。じっさいは、個々に前提条件が異なるからうまくはいかない。つまり、私やアンタが死ぬ気でがんばっても大谷翔平になれない。がんばればなんでも叶うわけじゃないんだ。
むしろ、うまくいかなくて死んじまったやつもたくさんいるだろうな。
自分の持つ選択肢を整理するだけではなく、自分が選べない選択肢も可視化する。なぜ選べないのかを考える。何を選びたいのか考える。
大谷翔平になれないのはなんでだろう? 若くないし、金もないし、才能もないし、野球に関してあんなに努力もできない。
大谷翔平になりたいのはなんでだろう? 金持ちになりたいのか、トップアスリートになりたいのか、他の人間ができない「価値」を提供できるオンリーワンの人間だからか。
大谷翔平はすごいけど、大谷翔平になりたいわけじゃない。けど、他の人間にできない価値を提供できる人間にはなりたいものだ。オンリーワンでなくとも。
金持ちなんてゴロゴロいると思うし幸せを感じてる人も多いとは思うけど、ぼくはぼくで満足してるので誰かに聞いてほしてくて
当方、50手前の男
金融の投資は積立をする程度だけど、個人の資産はようやく億になったか、なってないかくらい
会社もそれなりに
資産の大半は仕事で出来て、無駄遣いが少なかったせいかそれらが大半残った
会社が急に失速する可能性は限りなく低いと思うから、大きなダメージを負うことなく逃げ切れるかな
起業した時、そんな大層なことは考えてなかった
まして、現役のうちに億が見えてくるなんて思ってもみなかった
ひとまず小金持ちにはなれたかなと思うと、それはそれで満足している
経営者界隈で話をすると「経営者の器」や「遠くへ行くならみんなで」という言葉が出てくる
正直、そんなことはどうでもいい
カネで苦労した・してる人を見たり、若い頃の苦労を避けた人の悲惨な末路を見てたら、そんな遠くに行く必要がどこにある?とすら感じる
ぼく(と会社)の持つ技術は誰もが欲しがるような、そんな技術だと思う
”教えてほしい”と言われることも多い
東京や大阪に行けば当たり前の技術かもしれないけど、地方で仕事をするのに、ここまでの技術はそもそも理解出来ないから、人徳ありきで出来る仕事なんだと感じる
自分のことを人徳あるとは思ってないけど、30半ばを過ぎてくると怪しさがある人や軽薄な感じがする人は避けられると感じる
つまり、結果として、「理解出来ないことだけど信用できそうだから任せてみる」というところから入って、それがそのまま継続的、かつ拡大していく感じで仕事になってきた
30半ばに差し掛かってから今に至るまで、ほとんどと言っていいほど苦労をしなくなった
一括りにするにはちょっと大きすぎるかもしれないけど、若い頃の苦労を避けた人は、例外なく苦しんでるように思う
人を見下したりしちゃいけないし、思い上がってはいけないと思うけど、明らかに辛そうな人の前で遜るには限界もある
自由主義というか、オンリーワンとナンバーワンが一緒になってしまった教育を受けたせいか、悲惨な末路を選ばざるを得ない人が多いように感じる
ぼくにしても遠くへ行こうと思えばきっと相応の苦労をすることになるとは思うけど、どうなんだろうね、それなりに覚悟は出来てるけどぼくはあまりそれは望んでなかったりもする
ただ、図らずも余剰が増えてきて、ちょっとした計画が出てくるようにもなっている
結婚はしてるから誰に自慢するわけではないけど、週に一度くらい、異性の友達とご飯を食べてお酒を飲むのが趣味みたいになってきた
もちろん、喜んで奢らせていただいている
3人いてちょうどいい
どこにでもいるおっさんの話だと思うけど、ここまで上手く回転してる人もそう多くはないんじゃないかなとも思う
どうなんだろうね
マジで要らない。使えない。 パワータイプで固定砲台タイプのキャラなんだけど他にも使えるキャラ沢山居るんでマリオごときで1枠潰されたくない。でも外せない。
これ開発でも議論になったんだろうな。マリオ使えないんで外せるようにしましょうよ!いや外したら任天堂の縁も外れちゃうだろいい加減にしろ!とか怒鳴られちゃったんだろうな。
マリオ外せないんだから他のキャラのスキルを全部使える様にして超優遇キャラにすれば良いのに、なんで外せないのにオンリーワンみたいな性能にしたんだろう。マジで意味が分からない。
オンリーワンにするなら外せるようにしてくんない?って感じだよな。続編まだやってないけどそこら辺解消されてると良いな。
>2作目の『マリオ+ラビッツギャラクシーバトル』では、この制限が撤廃されました。マリオをチームから外して、好きなキャラクター3人でチームを組むことができるようになっています。
サイコーじゃん。
なんか誰も言ってない気もするんだけど
AIってさ、見たことあるコードにはめっぽう強いんだけど、見たことないようなコードには割と弱いんだよね
まあ人間でも同じだけどさ
A:洗練されて、カスタマイズされた、職人芸とも言える見たこともないようなコード
B:陳腐で、ありふれた、面白みのない初級者が書いたようなコード
驚き最小の法則に従えって話でもあるけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%9A%E3%81%8D%E6%9C%80%E5%B0%8F%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%89%87
これまでも、AとBどっちが良いかって議論はあったと思うんだよね
なんかベテランほどBによるんだけど、イキリ散らかしたアラサーくらいの優秀なエンジニアはAだったりするよね
あとは、ありふれたサービス開発なのか、セキュリティとか金融とかハードウェアとか難しいオンリーワンのシステムなのかでまた変わると思うけど
これからAIを使うなら、AのプロジェクトとBのプロジェクトで天地の差が出てくる
よりBを保つように、仕様レベルでの調整ができるチームと、改修すればするほどAになっていくチームでは、どっちがどうなるか分かるよね
コロナで趣味にかけるお金が浮いたの&日本円で全部持ってるのが怖くなったのでちょこちょこ株を買いだした
確かきっかけは新NISAに切り替わって、枠を少しでも使おうと、ニュース(業績等ではなく地域貢献等の活動)で目についた企業を応援するつもりで始めたんだったと思う
その後、普段お世話になりまくってる企業(お世話になってても好きでなかったり、将来性が微妙と思ったところは避けた)
怪しい個人の株お勧め情報などで気になったところ などを買っていった
(枠が使えなかったかすっかり忘れてて普通の特定口座でも買ってる。絶対使い切らんのになんか使うのをためらってしまう)
付き合いで馬券買う時もSNSで検索してほんとに趣味でやってる個人垢の直前予想をベースにしてるのでその延長で。
競馬新聞などを見ても結局人気は偏るし、ひとりが×つけてるぐらいの人気ない馬さんまで手を広げないと3連単でも配当が付かないため
個別株はなくなってもいいやぐらいの感覚で買ってた。馬券と違ってゼロになることは少ないし
数字を見るのが好き。
宝ホールディングス バイオがよいらしいかなんかのニュース。最近呑んでるのはいいちこで関係ない。45%
エービーシー・マート 堅調みたいなこと書いてたがほぼ伸びてない
パルグループHLDGS なんの会社かわかってないがパナソニック系と誤解してた(パがついてるから)記事でみた
ポラリス・ホールディングス 星座だったっけ? これも記事で見た。10%ぐらい減った
日清食品HD 麺。-30%
SUMCO これとあと幾つかは無料キャンペーンで5年前ぐらいに1~数株貰ったやつ。半分くらいになった
環境フレンドリーHLDGS 他の株は100株なんて持てないが、安かったので頑張って買った。倍近くになった
住友化学 有名。30%ぐらい
タイガースポリマー タイガー魔法瓶がなかったので。猛虎魂。ちょいプラぐらい
メルカリ まだそこまで悪評が無かった時に(ずっとあったが)。微減
塩野義製薬 これも貰ったやつ。微減
ラウンドワン 株関係なしにアメリカで人気出たという記事を読んだ。70%ほど
LINEヤフー まあ固いだろうと。15%
楽天グループ 同上。65%
フマキラー 同上。-4%
ルネサスエレクトロニクス 20年ぐらい前に知ってずっと買いそびれを悔やんでた。-30%。復活はないのか
ソニーグループ 強い。今何が売れてるか知らないが。60%
TDK なんかの記事でみた。カセットでお世話になってた。3%
サンリオ 170%。よくわからず分割前にいっぱいモテると思って買った。多数の推しの推しがいる
ライフコ-ポレ-ション 実は近所にないのでほぼ使ってない。45%
NTT ここも分割前に買った。微減
KADOKAWA お世話になってる。25%
ニトリホールディングス ちょうど引っ越したとこだったのでヘビーユーザーだった。微減。
王将フードサービス 天津飯。近所の町中華が凄い美味い天津飯風丼売ってることを知ったので利用機会が減った。それまでオンリーワンだった。39%
数千~数万円分だけど、よく知らないとこでめっちゃ減ったのは恥ずかしかったりで書いてなかったりする。
その時の余剰資金だったり、キリの良いっぽい数字にしたかったり(2500円だったら4株買うとか)でそれぞれの金額はまちまち
計算合ってるかどうかわからないが、27%(NISA)よりは増えてる。なんなら倍近く。
過去に2度ほどFXで退場してるので、なんならその後仮想通貨でもお小遣い吹っ飛ばしてるので(そして今ほぼビットコイン持ってない)
先が長く順位はそれほど関係ないレース感覚で一応週3ぐらいで価格見てる。
インフレしてたり円安なったりで、実質的な価値はよくわからないが、NISAがあったおかげで、ギャーってなったときもマイナス域には突っ込まずあたふたしないで済んだ。
株もこれが吹っ飛ぶぐらいならそれ以外もどうしようもない状況ぐらいなので、実質的な価値としてはどうかわからないが円で持ってるよりも多少マシでリスク分散にはなてると割り切る所存。
自分とは違って体力お化けの人たちが毎日予定ギチギチで遊びも100、学びも100やってるとしんどいよな。
本当にうつのときはそんな人たちが目にもはいらない。生きるだけで精一杯。
でも、少し気持ちが上向いて1日数時間動けるようになったとき、彼らの眩しさが目にはいるようになってきついよな。彼らは自分たちが数週間かけて何とか腰を上げてやることを、1日でさらってこなす。そしてちょっと長い時間取れたら旅行とか行って。スケジュール密度の差が人生差みたいに見えてきてよ、嫌になる。
そこで何もない自分を見返して、心のどっかで思うんだ。「空いてしまった差はどうしようもない。でも、こんなしんどい経験をしてきた自分だからこそできることがあるんじゃないか」って。
自分の辛かった経験、そういうのを生かして何とかナンバーワンじゃなくてもオンリーワンになれるんじゃないかって、そうやって必死に前を向こうとする。
わかる、わかるよ。
そう思わないとやっていけないもんな。
でもな、そんなことないんだ。辛かったことを生かす?うつの経験を生かす? そんなことしなくても彼らはなんでもできる。
うつの経験がなくても、しんどい人に響く文章は書ける。しんどい経験がなくても、色々な人と仲良くなれる。闇属性のボカロでヒットを量産する人は、毎日曲が作れる人だ。しんどいマンガを描く人は、マンガを描いたから作品を作れたんだ。しんどい経験をしたからじゃない。
俺たちが死にかけて得た経験ひとつを、彼らは圧倒的な経験量と試行錯誤の回数でぶん殴ってくる。
どうしようもない、人生で起こした回数の差、人生の密度の差がある。
俺らにできること、俺ら「だから」できることなんて何もない。僕らはみんな、社会の大半の下位互換だ。
それを忘れちゃダメだ。僕ら「だから」できることがあるなんて思い上がっちゃダメだ。
歯をくいしばって、毎日布団の上でうずくまって、もがいて、泣いて、誰にも求められなくて。
これを忘れないで、僕らの人生をやっていこう。
この記事【anond:20250805040011】の続き。
オリジナリティとは一体なんなのでしょうか。芸術とは模倣から始まる、とはよく聞く言葉ですが、ならば模倣がその人特有のオリジナリティに変化するのはいつなのか。
先んじて述べさせていただきますが、生成AIイラストが著作権侵害にあたるのか否かということに関しては、一切議論しません。あくまで、オリジナリティとは? という追究の参考にとどまります。
まずは、生成AIか否かは置いておき、一般的な“著作権侵害”にあたる基準等について考えてみます。法律的な専門知識は薄いため、法律の解釈等についてはこちらのサイトの記事『著作権侵害とは?事例や罰則、成立要件などをわかりやすく解説』【https://kigyobengo.com/media/useful/2118.html】から引用・参考にさせていただきました。より詳しく知りたい方ははリンク先へどうぞ。
著作権侵害となるのは、以下の四つの項目を満たすときだそうです。
1.著作物性……侵害の対象となる、イラストや画像、映像などが『著作物』であること。オリジナリティ(創作性)が全くないものは通常は著作権の対象になる著作物にはあたらない。
2.依拠性……他人の著作物をもとに、そのコピー等が行われたこと(依拠性)。
3.同一性・類似性……既存のイラストや画像、映像に類似していること。
4.引用などの例外的に利用が許される場合ではないこと……他人の著作物を無断で利用すること。
困ったことにしょっぱなからオリジナリティ(創作性)とそのままの意味で出てきてしまいました。
こちらのサイト【https://www.jfpi.or.jp/webyogo/sp/index.php?term=4360】から引用させていただきました。
表現の創作性……著作権法で保護される著作物と認められるためには、思想又は感情の創作的な表現であること、すなわち創作性があることが必要で、事実の伝達にすぎないものや時事報道は著作物には含まれないとされている。創作性が認められる程度は「単なる事実を素材にした場合であっても、筆者の事実に対する何らかの評価、意見等が表現されており、何らかの個性が発揮されていれば足りる」とされている。
こちらのサイト【https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/93726501_05.pdf】からです。
「創作的」に……他人の作品の「模倣品」など(創作が加わっていないもの)が著作物から除かれます。
また、「ありふれたもの」(誰が表現しても同じようなものになるもの)も創作性があるとはいえません。
さらにもう一件。
こちらのサイト【https://www.weblio.jp/content/創作性#goog_rewarded】から引用。
創作性……著作物につき、著作権が発生するために必要とされる要件の1つ。創作性があるかどうかは、創作者の個性が著作物にあるかどうかで決まる。たとえば、だれが作っても同じ表現のプログラムになるのであれば、出来上がったプログラムには創作性がないとされる。極めて単純なアイコンなども同様である。つまり、もともと選択や組み合わせが限られているものは、創作性がないといえる。他の著作物についても同じように考えてよい。
ふんわりとしか概念ですが、おおよそとして、創作性とは、著作者本人の個性や独創性が発揮されているかどうかということですね。つまり創作性=個性や独創性である。
創作性ーーオリジナリティについて理解を深めたところで、本題へと戻りましょう。
オリジナリティとは、著作者の個性や独創性の発露と一旦定義しました。それでは絵描きと生成AI使いにおいてのオリジナリティはどの程度のものなのでしょうか?
絵描きに関しては特別考えるべくもなく、既存のイラストや創作物等をトレースしたものでなければ著作者それぞれで異なる独創性がありますね。
それでは生成AIはどうでしょう。こちらも与えるプロンプトによって出力が変わることを考えたら、全く個性がないとも言い切れません。たとえ絵柄が特定の既存著作者と同一だったとしても、法律や言葉上の概念からすればその著作者が生み出し得ない構図や色使いであればそれは“個性”と呼べるかもしれません。
超絶個人的な見解ですが、パッとみて一目で“生成AIイラストだ”とわかるということはすなわち、生成AIイラスト特有のオリジナリティがあるからだと思っているのですが、果たしてこれはオリジナリティといっても良いのかどうか。加えて、あくまでこれは生成AIのオリジナリティであって、もしこれが認められるとしたら、著作者は出力者ではなく“生成AI本体”、もしくは“生成AI自体を使ったプログラマー”になるという解釈もできますし。どうなんでしょう?
話を戻して、ではなぜネット上では“生成AIイラストにはオリジナリティがない”と言われるのか。
自分が思う最大の要因は、絵柄という最大の特徴を欠いていることです。
これまでに何度か出てきていますが、絵描きのイラストは“イラストから作者がわかる”が、生成AIイラストは“生成AIで出力されたイラストから出力者が特定できない”。この点が一番の要因ではないかと思います。
絵柄というのは強烈な個性ですので、それを欠いてしまうと一気にオリジナリティの喪失を感じるのかな、と。
生成AIは“既存のイラストデータの学習”と“より学習データに似た出力を求められる”という観点から、“学習データに似せないorないイラスト”の出力は難しいです。これは絵柄に限らず、構図や色彩についても同様です。つまり、どう頑張っても特定の生成AI使いにしかないオンリーワンの個性が薄くなる。よって“生成AIイラストにはオリジナリティはなく、ただの既存のコピーや模倣品、本物の劣化版でしかない”と言われるのではないかと思いました。
やはりクリエイティブの領域では“その人だけの”という唯一無二の個性や特徴が評価されて、作品のみでなく、著作者自身に価値が生じますからね。
長々と書いてまいりましたが、最後に改めて主題に対する個人的な見解をまとめさせていただきます。
主題:“絵描きが資料を見て描くことが、なぜ生成AIを用いてイラストを出力することと同義ある”とされるのか。また、そのことに対し、絵描きと生成AI使いで意見が異なるのはなぜか。
→“蓄積データ”を使って適切なプロンプトでイラストを生成する。
この時に、絵描きにとっては“蓄積データ”=“素材”≠“資料”≠“経験”という前提で考えているのに対し、生成AI使いは“蓄積データ”=“素材”≒“資料”≒“経験”という前提で考えている。
上記に付随して、絵描きと生成AI使いでは、素材や資料、経験、オリジナリティといった単語に対する解釈が異なる。そのため、それぞれの言葉に対して対応している範囲が異なるので、お互いに想定していない範囲の意見が特出して見えている。
要するに、絵描きに於ける“素材”の概念に比べて、生成AI使い側の“素材”に含まれる概念が多すぎるってことと、その噛み合ってない部分同士でずっと言い合いをしているということですね。
まとめてしまえばなんでことのない、面白みのないありきたりな回答です。
そも、対立が起こるのは意見や考え方の違いの衝突が起こるからです。なので、まあ、根本の考え方が違うからなんだろうなぁという一言で終わってしまうといえばその通りです。
終いに、もしここまで長々とお付き合いいたただいた方がいらっしゃいましたら、お疲れ様でした。
興味本位で調べてみたら、注意喚起の終わりから4.オリジナリティとはの末尾までで7500字を超えているらしいです。書いた本人が言うことではないですが、よくここまでお読みになられましたね。ありがとうございます。
少しはあなたさまの肥やしになりましたでしょうか?
もしも、そうなれたのならば嬉しいです。
こうして、答えでない考えるだけ無駄なことをぐるぐる考えるのは楽しいですね。
連日、酷暑が続いておりますので、みなさまも体調にはくれぐれもお気をつけくださいませ。
それでは、これにて失礼致します。
https://note.com/ipusiro/n/nd5010a494825
この記事。
最初読んだ時はそうだな、って思ったけどよくよく考えたらちょっと違わない?
そもそもこの写真の初出がどこなのか知らないんだけど、「comelのドレス着用してくれました」って書いてるってことは多分これcomelが投稿したんだよね?
comelは別に貸し出すだけで投稿する必要はなかったじゃん。この投稿はどう考えても有名人のバリューにのっかって自分のとこの宣伝したろって意図があるよね。
それは別にいいんだけど、「差別を超えて、人として正しいことをした」とかいうことじゃなくて単に商売として貸して宣伝してるだけだよね。
後から使う人が嫌がるかもしれないなって考えがもしちらりとでも浮かんでたら、こんな投稿はしなかったんじゃないの。別に黙って貸して黙って返してもらえばよかったじゃん。
投稿しなくてもオンリーワンなものをイベントで着てる以上、気がつく可能性はあるだろうけど、わざわざcomel側が宣伝したらcomelの利用者が気がつく可能性はダンチだわな。
あとパン屋が売ったパンはそいつが食べておしまいだけど、貸し衣装屋の衣装は他の人が同じものを着るじゃん。
汚い身なりをした少年に、ウエディングドレスを貸してそれを「こんな少年が着ました~」って投稿してそれを次に着せられる人どんな気持ちよ。イヤじゃない?
TWSか? 完全ワイヤレスは注意力の低い俺らには向いてないんだよな。
オーディオマニアではなく、耳を密閉するのは嫌だが、臨場感のある音がほしい人の場合、イヤーフック型で今はEarfunOpenJumpを選ぶのが一番オススメだな。
この人のレビューが参考になる。
https://www.youtube.com/watch?v=67jEDjJf5ek
音質にこだわるタイプの人なら、有線イヤホンで最近の優秀機種SIVGA Queを選び、
FIIO BTR13という定番メーカーの小型Bluetoothアンプにイヤホンをつなぎ、スマホとアンプ間は無線でつなぐことで
よほどコアなこだわりを持つ人でない限り、トータル2万少々で「ゴール」とも言えるポータブル音響環境を手に入れられる。
USBDAC機能もあるので、PCにBTR13をつないで聴きつつ、スマホを使うときはシームレスにそっちの音が入ってくる、という使い方もできる。これはBluetoothアンプの強みだ。
とにかくワイヤレスイヤホンに同額を掛けるより豊かな聴覚体験が得られるはずだ。
イヤホンは沼の深さでも有名だが、ここで満足できればイヤーピースを他の有名なモノに交換してみたりする程度の浅い沼しか存在しない。
ケーブルは標準装備が十分良いものなので取っ替え引っ変えする必要はないが、断線したときはAmazonでJSHiFiやTripowinやNiceHCKブランドから出ている2000円以上のものを選んでおけば問題ないだろう。
このQueはウッドパネルを利用した非常にユニークな個性を持っているので、レベルの高いオンリーワンという点で、各メーカーから新製品が絶え間なく出てくるイヤホン界隈にいても自制心を働かせやすいのも良いポイントだ。