
はてなキーワード:オフィスビルとは
美咲が異動してきて三ヶ月が経った頃、課長の田中が毎朝決まったように声をかけてくるようになった。
美咲は二年前に一度この会社を辞めて、別の会社で働いていた。けれど事情があって戻ってきた。それは事実だ。誰も否定できない、紛れもない事実。
最初の一週間は我慢した。二週間目には、胸の奥が重くなるのを感じた。三週間目には、朝出社するのが憂鬱になった。
「え? 何が?事実じゃないですか。木村さん、一回辞めて戻ってきたでしょう? 俺、何か間違ったこと言いました?」
美咲は言葉に詰まった。そう、事実だ。間違ってはいない。でも、何かが違う。何かが、とても間違っている。
「でも、毎朝わざわざそう呼ぶ必要は...」
「いや、だから事実ですよね? 本当のことを言って何が悪いんですか」
田中は肩をすくめて、そのまま自分の席に向かった。周りの同僚たちは気まずそうに視線を逸らした。
その日の昼休み、美咲は先輩の佐藤と食堂で向かい合っていた。佐藤は美咲が最初にこの会社にいた時からの付き合いだ。
「あのさ、佐藤さん」美咲はテーブルの上で箸を持つ手を止めた。「田中さんの言ってること、間違ってないんだよね。私、実際に出戻りだし」
「木村さん、田中さんは毎朝、何のためにそう呼んでると思う?」
「え?」
「情報を伝えるため?木村さんが出戻りだって、誰も知らないから教えてあげようとしてる?」
美咲は首を横に振った。「みんな知ってる。私が戻ってきたこと、みんな知ってるよ」
「じゃあ、何のため?」
「...私を、傷つけるため?」
「それだけじゃないかもしれない」佐藤は優しく言った。「でも、確実に言えることがある。田中さんは、その言葉を口にすることで、木村さんとの関係をどういうものにしようとしてるんだろうね」
美咲は息を飲んだ。
「言葉って、情報を伝えるだけのものじゃないんだ。言葉を発するたびに、私たちは相手との関係を作ってる。尊重し合う関係か、対等な関係か、それとも...」
支配する関係。見下す関係。相手を尊重する必要がないと思っている関係。
「でも」美咲は言った。「それを指摘しても、また『事実だから』って言われるだけだよ」
「そうだね」佐藤は頷いた。「『事実かどうか』っていう土俵に引きずり込まれると、反論できなくなる。だって、事実なんだから」
「じゃあ、どうすればいいの?」
その夜、美咲は一人で考えた。
田中は「事実」という盾を持っている。その盾の後ろに隠れて、美咲を傷つけ続けることができる。そして美咲が反論しようとすると、議論は常に「その言葉が事実かどうか」という次元に固定される。
でも本当の問題は、そこじゃない。
本当の問題は、田中が毎朝その言葉を選んで発することで、美咲を「尊重する必要のない存在」として扱おうとしていることだ。
そして美咲がどんなに傷ついても、「事実だから」という論理の前では、その痛みを正当化することすら難しい。
なぜなら美咲は、田中と同じように振る舞うことができないから。同じように相手を傷つけることができないから。
「ああ、これが非対称なんだ」美咲は呟いた。
相手を尊重しない人は、相手の尊重する態度を利用して、一方的に攻撃できる。そして攻撃された側は、自分の倫理観のせいで、同じようには反撃できない。
翌朝、美咲が出社すると、またあの声が聞こえた。
今までとは違う目で。
それは、田中を許すことでも、田中の行為を正当化することでもなかった。ただ、事実として認めること。田中が今どういう態度で自分に接しているか、それを田中自身の選択として認めること。
田中が何を言おうと、それは田中の問題だ。田中がどういう人間関係を選択するか、それは田中の責任だ。
「おはようございます」
美咲は短く挨拶をして、自分の席に向かった。心臓はまだドキドキしていたし、完全に平気なわけではなかった。でも、何かが違った。
田中の言葉は、もう美咲の中核には届かなかった。それは田中の選択として、田中のところに留まった。
「なんか、雰囲気変わったね」
美咲は微笑んだ。
「うん、少しだけ。境界線っていうのかな。相手の問題と、自分の問題の」
「難しいよね、それ」
「うん、すごく難しい」美咲は正直に言った。「毎日できるかどうか分からない。でも、少なくとも今日は、できた」
佐藤は優しく笑った。
美咲は窓の外を見た。秋の陽射しが、オフィスビルの間から差し込んでいた。
相手を変えることはできない。相手が何を言うか、どう振る舞うか、それは相手の選択だ。
でも、自分がどうあるか。自分がどう応答するか。どこに境界線を引くか。
美咲は小さく息を吐いて、また仕事に戻った。完璧ではないけれど、少しだけ軽くなった心を抱えて。
数週間後、田中の呼び方は変わらなかった。でも、美咲の受け止め方は変わっていた。
「うん、そうだよ」美咲は自然に答えた。「一回辞めて、また戻ってきたの」
「へえ、それってすごいですね。どうして戻ろうと思ったんですか?」
美咲は少し考えて、答えた。
「いろいろあってね。でも、戻ってきてよかったと思ってる」
そして、相手の心持ちは相手のもので、自分の心持ちは自分のものだと、ようやく腑に落ちたから。
昨日は桜木町で人と待ち合わせの予定があって、ちょうど昼頃にみなとみらいのクイーンズスクエアという商業施設を一人でぶらついていた。
東横線みなとみらい駅に直結するエスカレーターのあるあたりは、5,6フロアぶち抜きの吹き抜けになっており、
また、付近にはイベントステージもあって、ちょうど3連休ということもたって、子どもたちによるダンスイベントがあり、
様々なチームが賑やかな音楽とともに踊りを披露しているようだった。
それを横目に通り過ぎながら、人と会うまでの時間、どこかで軽く飯でも食うかと考えて、
マークイズという別のビルに向かおうとしていたとき、ダンスの曲の最中にもかかわらず、
「ダーン」という非常に大きな、爆発音といってもいいくらいの、大きな音がした。
最初には、なにかイベントの設営のパネルかなにかが倒れた音かな?と思った。
しかし音があまりに大きかったのと、かなり近くから聞こえてきたため、尋常ではないと感じて、
ついその音のする方に足を向けてしまった。
すると、その例の吹き抜けや、吹き抜けを通り抜けるエスカレーターに乗っている人々が
皆一様に吹き抜けの下の方に目を向けていて、異様な雰囲気が漂っていた。
なかにはなにか電話で必死に話しているひともいて、「あれ?これはなにか事故が起きたのかな?」と感じた。
そして自分もその視線の先を見てみたいと思って、本来の通り道から1つ2つ階段を降りる必要があったものの、
すると、下にあるものが目に入るよりも先に、一部には上を見ている人もいて、
浮き抜けの最上部の渡り廊下に「黒いトートバッグか、リュックのようなカバン」が置かれているのが目に入った。
しかもそれが、ガラスでできた渡り廊下の柵の「外側」に置かれていて、ひと目見て異様に感じたし、
そして先程の爆発音は、人があそこから落ちてどこか下に叩きつけられた音なんだと理解した。
ということは今から目にするものは間違いなく、落ちた人の姿になることも理解して、
一瞬躊躇した、見ないほうがいいし、見たら今日一日、暗い気持ちになるかもしれないし、
なんなら一生のトラウマになるかもしれない と思った。
が、単純に好奇心のほうが勝ってしまい、そのまま歩を進めて、吹き抜けの底が見える位置まで来てしまった。
そこから下を覗き込むと、彼がいた。
彼だと思う。Xでは「女性」という情報もあるが、それは最初にそこに到達した警備会社の方が
彼の服をまくってAEDを装着しているところをみて、なにか勘違いしたものと思われるが、
ほぼ間違いなく、彼は男性だったと思う。
あまり彼の情報を詳しく書くのは良くないように思うが、自分からは20-30代くらいに見えた。若いという印象。
ひと目見て、彼は意識はないようだった。
遠目には大きな外傷はないようだったが、目は開かれたまま、ピクリとも動かなかった。
そして彼の頭の周りには、血溜まりが出来ていた。
完全に事切れているように見えたため、周りの人々の雰囲気も、
彼を早く助けなければというよりも、起きてしまったこと、終わってしまったことを遠目に眺めているという状態だった。
ちょうど落下先が普通の人の歩く場所ではなく、吹き抜けの最下層にある店舗(ゴディバのカフェとのこと)の天井の上になっており、
だれもそこに近づけない状況であった。
そのため彼のその姿はおそらく20分程度は、完全に周目にさらされていた。
人と会うまでの時間がまだまだあったことから、ひどい表現をすれば暇つぶしとして、事の顛末がどうなるのか、みたい気持ちになっていた。
もちろん彼の姿がそのままになっているのは何かよくない気がして、
例えばダンスのイベントに来ていた子どもたちなども、無邪気な好奇心からその姿を見てしまった子もいるようで、
あまりそういうのは良くないし、
周りにはスマホで写真や動画まで取っている人もいて、現に私のとなりの女性もそうしていたと思う、
やっぱり良くないような気がした。
肉眼で見ている自分と、カメラで撮影する人と、別に同じ穴のムジナであるとは思うものの、
それをしない自分、してもシェアなんか絶対できないし、という道徳なんだか、炎上対策なんだかわからないが、
ともあれ彼の姿がそのまま衆目にさらされ続けるのは良くないと思って、
なにか大きな布やブルーシートでもあれば彼の上に掛けてあげたいと思ったが、
なにしろ場所が店舗の屋根の上にあり、そこに行くには通路の柵を乗り越えて、そこそこの高さを降りなければならないので、
いくらなんでもそれは出来ないと思った。
またそもそも布なんて持っていない。周辺の商業店舗に駆け込んで「布ありませんか」と聞けばあるいはと思ったが、
そこまでは出来ないなと思った。
そして他の方が警察や消防にはいの一番に電話していたようで、もうすぐそういった専門の方々が到着すると思っていた。
果たして20-30分もすると、大量の消防や警察の方々がやってきて、
初動の対応をしていた、おそらくクイーンズスクエアの警備会社の人と交代して、長いハシゴなどをかけて集団で対処が始まり、
また吹き抜け最上部においてあったカバンについても、そちらは警察の方々が黄色いテープを貼って立ち居入り禁止にして、
この吹き抜けの上部はオフィスビルになっており、そのカバンのあった通路はオフィスビルへの渡り廊下である。
ここからは完全にただの憶測にすぎないし、書かないほうが良いことはわかっているのだが、吐き出させて欲しい。
私ふと、彼はそのオフィスビルに入っている会社の社員だろうか?と思った。
そして賑やかな商業施設でみんながハッピーに休日を楽しむ、ダンスイベントの賑やかな音楽を横目に、
でも人が通るような場所は避けて、誰にもぶつかることのない店舗の天井めがけて。
3連休も出社しないといけないような何かがあったのだろうか?
それともまったく関係なく、どこかからやってきて死に場所としてここを選んだのだろうか?
関係ないとすると、随分と目立ちたがりだなと思うし、
衝動的に仕事の途中に、お昼ごはんを食べに出てきて、嫌になってしまったのだろうか?
などと、本当にしょうもないことを考えていた。
で、彼のことがニュースになれば、消防などの様子からも残念ながら無いとは思うが、
彼が一命をとりとめた可能性もあるし、ニュースになるのを昨日は一日待っていた。
私は、もし彼が過労自殺で、その会社への当てつけというか抗議というか、衝動的に身を投げてしまったのだとしたら、
彼のその行動が全くニュースにならず、また今日も3連休最終日としてあの商業施設に賑やかな日常が戻っているとしたら、
もちろん商業施設の方々も生活があるし、良くないイメージがつくのは避けたいというのもわかるが、
ちょっと可哀想というか、だれか彼の行動をどこかに残しておいて、供養してあげたいと思って、
ここに書いた。
まったくこれは自分勝手なことで、彼も誰も望んでなんかいないので、
100%自分のためになんだけど、吐き出させてもらった。
ごめん。
自分が派遣社員をしていた時の過去日記を発掘したら出てきた話。
(その1)
派遣社員たちは、オフィスビルの下にある高級スーパーで飲料水を汲んでくる係をしていた。(専用ボトルを買っておくと汲めるやつ)
が、一番水を飲む子は汲みに行くとなぜか40分くらい戻ってこない。
それを阻止するため自分が先回りして汲みに行っていたが、水の消費量が激しいので2回に1回は水道水で済ませていた。
(その2)
あまり真面目でなくぼっち行動が多かった派遣社員の子が結婚することになり、急に部署内の人々を招待しまくった。
誰も出ないのも可愛そうなので、部長と派遣社員数名が参加することになった。
よく勘違いされてるんだが、DCは直営というか強力な主管企業が運営する限りは問題にならない
企業の看板背負って進出するんだから地域住民と喧嘩するメリットがないし、可能な限り調整を実施する
問題は非直営というか、箱だけJVで建てるけど中身の募集や管理運営は委託しまっせ、という場合
この場合は責任が分散するというか建物の建設に携わる企業が運営に関わらないので、中長期の見通しが立ちにくいというか、なんなら知らないこともある
件の場所もまさにこれで、地域住民の回答に誠実に対応できてない
いまどき工場でも倉庫でも商業施設でもオフィスビルでもそんなのは通らない(マンションは強行される場合が多い。諸行無常)訳で、よく行けると思ったなってレベル
セキュリティガーは通用しない
https://togetter.com/li/2573472
大気中の二酸化炭素と、水を還元して発生する水素とを原料とする合成燃料(炭化水素)、e-fuelは既に一部のモータースポーツで使用されています
泉大津市のアレが主張する、空気と水と太陽光から合成燃料を作ることは、ニセ科学とは言えません
空気と水と太陽光から燃料を作ること自体は科学的におかしなことではありませんが、義務教育の範囲は当然として高校化学の範囲でも理解は難しいと思います
詳しく見ると、泉大津市のアレは光触媒を使うようですが、二酸化炭素の還元に光触媒を使うのは効率の低さから現在ではメインストリームとはいえないものの、低コストが期待できるため現在でも研究されています
大気からの二酸化炭素回収に引っかかる人も少しいるようですが、それもよくあります
効率的に二酸化炭素を回収するために工場から排出されるものを使うとか、面白いものだと人が多く二酸化炭素濃度が高くなりやすいオフィスビルの換気から回収する研究もあります
例えば泉大津市庁舎の換気で排出された空気から二酸化炭素を回収し、それと水と太陽光から合成燃料を生成することは、(可能か不可能かで言えば)可能だと思います
じゃあ、泉大津市のアレはニセ科学じゃないのかというと、ニセ科学でしょう
少なくともデモンストレーションは
何人かが指摘しているように、二酸化炭素の回収が効率的すぎるのと、二酸化炭素の還元反応速度が極端に早すぎます
反応速度については義務教育や高校の化学でも感覚しにくいものなので、騙されても仕方がないのかもしれません
常識があればおかしいとわかるという意見は、常識のレベルを高く見積もりすぎじゃないかと思います
もう一つの疑問点はガソリンではなく軽油を作るところです(ガソリンと軽油の扱いやすさは別として)
バイオディーゼルは軽油と同等の税金が課せられるのですが、ガソリンに混ぜるバイオ燃料は税金が減免されます
泉大津市のアレは論外として、炭化水素の合成燃料は世界で期待されています
しかし合成に必要なエネルギーが大きすぎて、炭化水素の合成に使わずにEVを走らせる方がずっと効率がいいです
トヨタが研究している水素エンジンも同じで、水素を燃やして走るより燃料電池で走らせたほうが3倍くらい効率的です
リフレ派山形浩生(がリフレ派であるかここでは議論しない)は「デフレマインドを吹き消すために消費税増税しろ」と言ってたよ
https://cruel.org/hotwired/hotwired01.html
〜天下のまわりもの高座〜
〜天下のまわりもの高座〜
日本はいま、とってもとっても不景気だ、なんてことはぼくがいまさら言うまでもあるまい。企業倒産、就職氷河期、銀行もばたばたつぶれ、もうお先真っ暗なのに、いつまでたっても出口が見えない。わーん、どうしたらい? もはや矢弾も兵糧もつきた。あの戦争からはや50年、この神国日本もはやこれまでか! かくなるうえは……
「いやいや殿。おそれながらあきらめるのは早いですぞ。聞き入れられるはずもないがゆえこれまでは黙っておりましたが、実はこの風来坊めに、景気回復の奇策がおじゃりまするのじゃ。かの匹楠導師が戯れに編み出したる外道の邪法ではございまして、よもやこれを使う日がくるとは思うておりませんでしたが……」
「ええい、茶坊主どもめが控えおろう、このお国の一大事に身の程をわきまえるがよいぞっ!」
「あいや家老、しばし待たれよ。ほほう、奇策とな。句留愚庵に日和庵とかもうしたか、このたわけどもめが、おもしろいことをぬかしよる。よし、言うてみぃ。ただしふざけた代物であれば、即刻斬って捨てるぞ! してその奇策とは?」
「はあ、それは……」というまえにそもそもお殿様、不景気ってなんだかおわかりでしょうか? 今回はそこからはじめよう。
不景気ってなに? みんなもちろんわかってるつもりでいる。でも聞いてみると、ちゃんと説明できる人はほとんどいない。株価が下がってるとか、失業が増えてるとか、倒産が増えたとか経済成長率が低いとか、すぐそういう話をしたがる。でもそれは、結果として生じる現象でしかない。不景気そのものではないんだ。不景気が何か知らなければ、不景気対策の話もできないだろう。
世の中には、ものを作る人と、それを買う人がいる。つくるほうが供給で、買うほうが需要だ。これはいいね。
さて、その両者がものを売買するのが、市場ってところだ。両者はおたがいに相手の足下と自分の在庫をみつつ、お値段の交渉をする。人気が高いブツは値段があがる。売れないブツは、売れるまで値段が下がる。いい、今の分をもう一回読んで頭に叩き込んでね。売れなければ、売れるまで値段が下がる。そしてブツがはける。それが市場なの。
ところが、何かのきっかけで、これが機能しなくなることがある。たとえば、ブツが売れないときに、売り手が値段を下げようとせずに、いっせいに「もうちょっと様子を見ようか」と思ったら? そのブツはいつまでたってもはけずに売れ残ることになる。
そしてもう一つ。この世では、極端なガキと年寄り以外はみんな働いてる。つまり、みんな働いてるときはつくる人で、働いてないときは買って使う人になる。そしてある人が買えばそれはつくった人の儲けになって、その人はその儲けをもって、こんどは買う人になるわけだ。
さてここで、世の中の人がみんないっせいにちょっと多めに貯金しようと思ったら? 「山一や拓銀が潰れるようじゃ、将来がちょっと不安だな」とか言って、みんな使うのを控えたりするわけだ。ところがみんなが同時にそれをやると、だれもモノを買ってくれなくなるので、売り上げが減る。すると思ったように貯金が増えない。これはまずいと思ってみんなもっと買い物を控える。するとさらに収入が減って・・・こうしてモノがどんどん売れなくなる。
不景気ってのはそういう現象だ。経済全体としての需用がいっせいに下がって、供給がだぶついちゃうことなんだ。そしてそれを市場と価格メカニズムがちゃんと調整してくれない。それが不景気ってことなんだよ。人は失業し(つまり労働力っていうブツが余ってる状態だ)、店には売れない商品がならび、工場は開店休業。オフィスビルは空室まみれで住宅も売れ残り。株も売れずにどんどん値下がり。ね。まさにいまの日本の状態。
すると、不景気はどうすれば回復する? 供給をいくらいじってもだめだよね。みんながお金を使おう、買い物しようと思わなきゃいけない。
じゃあまず、ものの値段を下げたら? でも自由主義経済では、値段を下げろと命令するわけにはいかない。
それ以外の方法は? まず、金利を下げることだ。するとみんな、貯金しても大して利息がつかないし、じゃあ買い物しようという気になって、需要がふえる。ローンとかも気軽に組めるようになるしね。
次に、公共投資ってのがある。政府が、道路をつくろうとか学校をつくろうとか、とにかくでかい事業を借金してまでやらかす。すると工事を請け負った建設屋さんがリッチになって買い物して、はずみがついてみんな買い物するようになる。
減税してもいい。税金が減ったら、その分みんな使うかもしれない。
そしてもう一つ、お金をいっぱい刷るという手がある。そうすると、そのお金がまわりまわって(ここの仕組みは面倒なのでまたいずれ)みんなの懐に入り、みんな太っ腹になっていろいろ買い物をするようになる。
いや、全部やってるんだ。まず金利。これまでも金利はどんどん下げてきている。こないだも、日銀が金利を0.25%下げた。でも、もう金利はゼロに近いんだ。だからもうあとがない。でも効果なし。
減税。これもそこそこやってる。恒久減税だの一時減税だの、流派はあるんだけどさ、でもまあやってる。効果なし。じゃあ公共投資。これもあわてていっぱいやってる。それなのに効果がない。財政赤字ばかりがふくれあがって、「きみたち借金返せるの?」と信用もなくなりだしてる(格付けが下がるってそういうことね)。
そしてお金を刷ることだけど、日銀はお金をいっぱい増やしてるんだ。
つまり手は尽くしてるのに、効果がぜんぜんない。それぞれの手口にはそれぞれシンパがいて、みんな「いやまだ公共投資/減税/資金供給が足りない」と叫ぶんだけど、じゃああとどれだけあれば十分なのか、だれもわかってない。みんな、現状をちゃんと説明できるモデルがなくて困ってるんだ。でも、そう認めるのが恥ずかしいから、わかったような口をきいてるだけなの。
さて、ここで新聞をよく読んでいる人は、首を傾げるだろう。景気対策という話で、構造改革とか不良債権処理とか出てくるじゃん。あれはどこいった?
うん、どっちも必要だしどんどんやってほしいんだけど、でもどっちも景気対策とはあまり関係ないんだ。構造改革ってのは、つくる人がものをつくりやすくしましょうって話でしょ。需要を増やす役にはたたないもの。不良債権処理も、まったく無関係じゃないけど、あまり歯切れのいい理屈じゃない。「風が吹けば桶屋が」式のずいぶんまわりくどい話で、やたらに「かもしれない」が多い議論だったりする。それで景気が回復するかどうか、実はぜんぜん怪しいんだよ。とりあえず他にすることがないので騒いでる、というのが実状に近いんだ。
もううつ手はないんだろうか。なんとか需要が回復する手はないんだろうか。もうあとは神頼みしかないのか……
3打つ手はある! 句留愚庵のとんでもない奇策
ところが1998年5月、何のまえぶれもなく変な論文がインターネット上にあらわれた。いいや日本くん、うつ手はある。金利をもっと下げよう。いまの金利がゼロなら、金利をマイナスにしよう。そして実質的に金利をマイナスにするには、インフレ期待をつくれ! 政府・日銀が、これからインフレを起こすと宣言しろ! そう論じたのがMITのポール・クルーグマン「日本のはまった罠」(原文はココ、邦訳はココ)だった。
インフレ期待があると、なぜ需要が増えるのか? インフレだと、手持ちのお金の価値はどんどん下がる。だからはやくモノに変えたほうが得なんだ。昔のインフレ年率40000%なんていう南米やドイツだと、一日でお金の価値が半分になったりするから、もうみんな金を手にした瞬間にモノを買おうとした。つまり、インフレが長く続くと思ったら、みんなどんどんお金を使うようになる。だったら、インフレが長く続くと思わせようよ。そうやって需要を増やせばいいじゃないか。クルーグマンの議論は、基本的にはそういうことだ。そしてかれは、この方法がよくてそれ以外の方法がなぜダメかを、とってもきちんとしたモデルを使って理論的に説明している。いまの日本の不景気をまがりなりにも説明した、数少ないモデルだ。
さて、かれの議論はどう受け取られただろうか。
みんなひっくり返った。怒る人さえいたくらい。インフレというのはこれまで、とっても悪いものだというのが常識だったからだ。インフレ→物価高→生活圧迫。よってインフレは地獄の使い。それを政府・日銀が旗振って起こせ? ふざけるな! というのがほとんどの人の反応だった。
でも批判は山ほど出てきたけれど、不思議なことにかれの理論そのものに対する反論は一つも出ていない。少なくともぼくは見たことがない。これまで出ている反論はすべて「でも、インフレには副作用もある」と言っているにすぎない。「円安で銀行が困る」とか「インフレは劇薬だ」とかね。でもそういう連中も、かわりの理論は出せていない。「不良債権処理」とか「土地流動化」とか繰り返してるだけ。なぜか?それは、クルーグマンの理論が基本的には正しいからなんだ。理論的な可能性としては、インフレ期待ってのが効くかもってことをだれも否定できないからなんだ。ただ、前例がない。インフレは悪いものだとさんざん叩き込まれてるし、失敗して収拾つかなくなったら何言われるかわからない。まして、そうでなくても付和雷同の好きな日本人。だから政府・日銀がこの政策をためすことは、当分ないだろう、と考えられてる。バカだな、小渕政権なんてどうせ何も失うものはないんだから、ばーんとやっちゃえばいいのにぃ、とぼくは思う。それに、クルーグマンは各種の副作用批判に対して反論を行ってて(原文はココ、邦訳はココ)、これまたかなりの説得力なんだ。
よろしい。インフレ期待ってのがあまりに無茶だと思うんなら、もしだれもやったことがなくて怖いっていうんなら、ぼくに別の案がある。需要を回復できて、みんなが経験済みで、さらにとってもすぐれた副作用もおまけでついてくる妙案だ。耳の穴かっぽじってよくききやがれ。
消費税を7%にあげよう。
さっきぼくの景気対策の説明を読んだ人は、アレ、と思っただろう。景気対策には減税してみんなの手持ちのお金を増やすんじゃないの?
そしてそこで爆笑してるか絶句してるあなた。うん、あなたはわかってる人だ。あなたが考えてるのは、こういう話だろう。1996年には、景気が上向いてきてた。なのに、1997年に消費税が導入されたので消費者が買い控えに走って景気がまた冷え込んだんじゃなかったっけ? だから共産党は、消費税を3%に戻して景気回復、なんて口走る。それなのに、そこで消費税をまたあげたら、さらに景気が悪化するに決まってる!
でもそれはちがうと思う。それは因果関係が逆じゃないだろうか。1996年当時、あなたのまわりで家や車を買おうとしていた人はいなかった? 思い出してよ。みんなもう、9月までに買えば消費税が3%というので必死こいて駆け込みで買ったでしょう。だから消費が上向いたんだ。このケチなぼくですら、3月にコンピュータを(中古だけど)買い換えたもの。だから景気が上向いたんだよ。増税したせいで景気が下がったんじゃない。増税期待のせいで景気があがったんだ。
だったら、それをもう一回やろうよ。いますぐに税金を引き上げるって話じゃない。将来それがあがるという期待をつくるんだ。「2000年元旦に消費税を7%に上げまーす」とアナウンス。するとかけ込み需要がたくさん発生して、景気は盛り上がるだろう。さらにそのままだと、増税した時点で1997年4月みたいに消費が冷えこむので、そうならないように、あげたその日にもう一発増税をアナウンスしておけばいい。来年には10%にするよ、と。
これはある意味で、クルーグマンの議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレも消費税アップも同じこと。いずれにしても、いまの手持ち現金の使いでが減るってわけだ。だから、はやく金を使おうとする。それで需要は上向く。
さて、クルーグマンはインフレ期待を盛り上げろとは言ったけど、じゃあどのくらい盛り上げればいいかはまだ詰めていない。でも、ぼくの案はなにせ前例があるもので、効果が試算できるのだ。1996年の日本の実質経済成長は3.6%。このすべてが消費税効果ではないにしても、たぶん2%くらいの押し上げ効果はあったはず。1998年の日本はマイナス成長だよ。GDP成長率が2%アップっていったら御の字だ。
そしてこの案のすばらしいところ。まず、やりやすいってこと。これからインフレにしまーす、といって国民を納得させるのは、こりゃ至難の技だ。それが景気対策だってことを納得させるのは不可能といっていい。しかし消費税アップは経験があるから、やりかたはわかる。そしてそれを国民に納得させるのも簡単だ。やっぱり景気回復には財政再建が必要なんです、と言えばいい。「ごらんなさい。財政出動ばっかして赤字国債だしまくったら、格付けが下がってジャパンプレミアムで、ボロボロでしょう。やっぱ国の財政がしっかりしてなきゃ景気なんか戻りませんや」とキャンペーンを張るんだ。
もう一ついいこと。インフレは、手におえなくなる可能性はある。目標どおりにおさめるのはむずかしいかもしれない。でも、税金は7%と決めたらその率で決まりだ。さらにとってもすばらしい副作用。財政再建は方便にしても、これをやれば税収は確実にアップする。万が一需要が上向かなくても、とりあえず財政赤字は減る。それはそれで悪いことじゃない。なーに、どうせいつか消費税はあげようと思ってたんでしょ、みんな。それを来年やって何が悪い?
さて、このアイデアを友だちに話したところ「でもそれって、1回2回は使えても、3回目あたりからみんなひっかからなくなるでしょう」と言われた。ぼくも一瞬そう思ったんだが……そうか? 「ひっかかる」ってどういう意味? 別にだますわけじゃない。税金をあげるよ、といってあげるだけだ。待てば待つほど税金は高くなる。なんのひっかけも隠し事もない。なんなら「今後10年で消費税を15%まで上げます」と宣言しておけばいい。
そしてこれは、需要を前倒しにすることになる。消費税があがるぞ、とおもって、来年家を買う予定だった人が無理して今年ローンを組むわけね。だから、だんだん後がなくなるような気もするんだが、一方でその一時的にしても上向いた分の需要がどっかでまわってくるから、また新しい需要も出てくるはずだ。1997年だって、住宅需要は1995年並に戻っただけで、それを割り込むようなことはなかったんだよ。
タワーマンションの景色に3日で飽きるという人はうんざりする程沢山いる。
しかし私は仕事柄タワマン住民と会う機会が多く、景色に飽きないという人の意見をたくさん聞く。そこで今日は飽きない人の特徴を書きたいと思う。
タワマンの景色飽きる問題についてここまで詳細に書いた文章は無いと思う。
まず階数の話から。景色に飽きない人たちに共通するのは「30〜40階」に住んでいることだ。
20階以下だと、正直普通のマンションの上層階と大差ない。車や人の動きは見えるが、「タワマンの景色」という特別感はない。一方50階を超えると、今度は高すぎて人や車が米粒のようになってしまう。建物の細部も判別できなくなり、ただの箱庭を見下ろしているような感覚になる。
30〜40階だと絶妙なのだ。人の動きはギリギリ認識できるし、建物の用途や構造も推測できる。この「ちょうど良い距離感」が重要らしい。
飽きない人たちの最大の特徴は、景色に物語性を見つけられることだ。
「あのビルの12階、毎日昼休みになると必ず一人の男性がベランダでタバコを吸いに出てくる。きっとオフィスビルで、彼はそこで働いているんだろうな」
こんな風に、見える範囲の人間ドラマを想像し続けている。単なる風景ではなく、そこに住む人々の生活を感じ取っているのだ。これができる人は確実に飽きない。
飽きない人のもう一つの特徴は、見えるものを徹底的に調べることだ。
変わった形の建物を発見すると、すぐにGoogleマップを開いて正体を突き止める。「あの尖った建物は何だろう」「向こうに見える街はどこの駅の周辺か」そんな疑問を放置せず、地図アプリで永遠に検索している。
さらに実際に足を運ぶ人も多い。ランニングや自転車で「上から見えていたあの場所」に行き、地上からの視点と比較して楽しんでいる。用途地域の境界線まで調べて「あの辺りから商業地域になるのか」なんて分析している人もいた。
この探究心があると、窓から見える景色が巨大な立体地図になる。ただ眺めるのではなく、常に新しい発見がある状態になるのだ。
朝の通勤ラッシュ時の人の流れ、昼間のオフィス街の静けさ、夕方の帰宅ラッシュ、夜の繁華街の輝き、深夜の静寂。同じ景色でも時間によって全く違う表情を見せる。
飽きない人は「今日は普段より遅い時間に人が動いている」「あのエリアの電気の点き方がいつもと違う」といった微細な変化まで察知している。彼らにとって窓からの景色は、24時間365日変化し続ける巨大なライブ映像なのだ。
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結局のところ、タワマンの景色に飽きるかどうかは「受動的に眺めるか、能動的に観察するか」の違いかもしれない。景色を単なる背景として捉える人は飽きるが、そこに人間ドラマや地理的な謎解きを見つけられる人は飽きることがない。
タワマンを検討中の人は、まず自分がどちらのタイプかを見極めてから決めた方がいいだろう。
Permalink |記事への反応(16) | 17:38
新築されたオフィスビルの内覧会があって、そこには案内役の女性がいた。
まだ20代前半くらいの人だった。
その人相手に聞く必要もないようなくだらない質問をエラそうにする奴が多くてびっくり。
「この床の重さはどれくらいあんの?え?」とかアホすぎる。
そしてそれをやるのは100%、60歳以上くらいの高年男。
女性は真面目そうな人でそれがまたそういう輩をより調子に乗らせる。
ところが。
交代でゴリマッチョな男(次長と呼ばれてたから上司だろう)になった途端、
誰一人何も口を開かなくなった。
本当にダサすぎる。
イオンあたりで買って何年も着倒したヨレヨレの服着て見るからに何にもなれなかった弱々しい風貌で
若い女を見るやイキり倒して強そうな男見ると気配を消す。
超絶ダサすぎる。
たとえ負け組だチー牛だ言われたとしても、
アレだけには絶対ならない。
うちの会社の役員会議、繰り広げられるのは血気盛んな50代以上の重役たちによる言い争い。
話し合いっていうより、もはやバトル。唾飛ばしながら怒号が飛び交うレベル。
そんな地獄みたいな会議に何を間違えたか私(20代、正確にはアラサー)がファシリテーターとして参加してる。いや、マジで何で私が?って毎回思うけど断れるはずもない。
もちろん舐められてる。
口を開いても、「ま、若いからね」とか「経験不足だよ」みたいな感じで流される。でも場は収めなきゃいけない。じゃないと、議事録すら取れないまま2時間経過する。
ほんと、胃が痛い。
会議の日が近づくたびに胃がキリキリするようになって、もう嫌で嫌で、どうにでもなれって思って前日に馴染みのバーに駆け込んだ。
カウンター越しにマスターにグチってさ、「もう無理、マジで全員子ども、しかも年季入ってるから余計タチ悪い」って。
「サボテンの花、流してみたら?」
……は?
というかサボテンの花って何?ていうレベルだったんだけど、そのあと邦楽だってことを教えてもらった。
昔、そういう名曲があったらしい。
意味が分かってもはぁ??ってなったし、いやいやそんなことで収まるか?って半信半疑どころか1%も信じてなかった。
だから会議の日、こっそり会議室にBluetoothスピーカー持ち込んだ。
机バンバン叩く音、声を張り上げる重役たち、何度も止めに入るけど誰も聞いちゃいない。
「えっ…?」みたいな顔して全員がスピーカーを見るの。
怒鳴ってた専務も、ずっと眉間にシワ寄せてた常務も。え、何? って思ってたら、そのままみんな黙って聞き出したの。
サビが近づく頃には目を潤ませてる人もたくさんいてさ。
気がついたら、ひとり、ふたりと涙を拭ってて、そのうち誰かが小さく口ずさみ始めたのよ。
それが伝染するように、みんなが歌い出してさ。
気づいたら会議室の中、都内のオフィスビルの一室で、重役たちが全員揃ってサボテンの花を合唱していた。
異常だしシュールだし、心底なんだよこれ?って思って見てた。
でも、なんか感動的だったんだよ。
曲が終わると、静かに誰かが言った。
「……すまなかった」って。
それを皮切りに、あちこちから「ちょっと言い過ぎた」とか、「反省してる」って声が上がってさ。
さっきまで口角泡を飛ばしてた人たちが、今度は申し訳なさそうに頭を下げてる。
私は呆然としながら、マスター、マジですげぇよ…って心の中で何回もつぶやいてた。
というかサボテンの花って、すげぇな。