
はてなキーワード:オオワシとは
2025年5月2日金曜日 雨のち晴れ(午前雨 - 午後晴れ)
事前情報では「万博参加へ多くの人はあまり積極的ではない」と、特にはてなブックマークではそういう情報が出回っていたが、入場ゲート前は自身の記憶上で東京ディズニーランドの「美女と野獣魔法のものがたり」公開初日のTDL入場ゲート前の待機列や、ユニバーサルスタジオジャパンの「スーパーニンテンドーワールド」公開初日のUSJ入場ゲート前の待機列よりも人口的な意味で大規模な待機列が形成されていた。
万博会場への入場は入場予約時に設定される入場時刻を1つの団体ブロックとして管理しており、これはつまり早めに現地へ着いても早めに着いた分だけ待機させられる事を意味するので、幼い子供を連れていたり心身に障害を抱えていたり日本語を解する事が困難な外国人などなど、様々な諸事情で時間管理が曖昧になりがちな家庭は入場時刻の調整に関して万博側へ融通を効かせて貰う事は難しいと思われるので、時間管理がおろそかになりそうな家庭ほど時間管理に関してはしっかりとした対策を各々の事情に合わせてした方が良い。
なお、「入場へ大幅に遅刻した場合はどの様な処理になるか?」は子供達が移動を頑張ってくれたお陰で自分達は未確認。
前述の通り、5/2(金)の午前中の天候は雨であり4月13日の万博初日が雨だった事もあり事前に雨天の対策をしている来場者が多く居たのか傘をさしている人が非常に多かった。同時に雨傘使用者よりも少なくはなるが雨合羽レインコート使用者も居り、我が家もレインコートの選択をしたが、雨天の場合は傘よりも雨合羽レインコートの選択の方が待機状況を考えると適していると感じた。
特に子供は長い待機時間で傘をさしていると傘で遊び始めたりしてしまう子が多く居た為、周囲へ迷惑をかけるどころか最悪の場合は周囲へ怪我をさせてしまう可能性もあるので幼い子供連れの場合に雨天対策をするのであれば雨合羽レインコートをオススメしたい。抱っこを望むくらい幼い子供であるのならば親の両手が空くので雨合羽レインコートの方が一層良いだろう。
なお、足元の舗装面の排水状況に関して問題無いがマンホールなど一部の箇所は水深5〜10mm未満ほどの水たまりが出来る箇所はあるので、雨天時はサンダルやクロックスで来場しない方が良い。
入場時の荷物チェックでは空港の方式が採用され、鞄の中身を「X線手荷物検査装置」と「ゲート型金属探知機」「ハンディ金属探知機」「ボトル内液体物検査装置」で行う。
実はこの「入場時のチェックがどうなるのか?」が自分としては大阪万博2025では気になっていた関心事の1つであり、スタッフには申し訳ないが「幼児のいる家庭の荷物チェックはどの様に行われるのか?」を無断で確認させてもらった。用いたのは未開封のペットボトルと複数のプラスチック製幼児用飲料マグを複数用意。飲料マグは空のものと中身に水が入っている物だ。
その結果として、水の入った飲料マグは「親が飲料マグに口をつけられるか?」のチェックが行われた。流石にスタッフも抱っこされている幼児にチェックを求めない様だが、それはそれとして入場マニュアル通りに幼児用飲料マグもチェックする事はしっかりと行い、一般的なペットボトルや水筒と大きく形状の違う幼児用飲料マグはボトル内液体物検査装置が使用できないので、荷物チェック時間を短くしたいのであれば哺乳瓶や幼児用飲料マグなどは空の状態で持ち込んだ方が良い。
これは一部の職業というかガジェットファンに向けた物だが、入場ゲートでラップトップPCやタブレット端末は荷物から出してX線手荷物検査装置を通す事促されるのでラップトップPCを持ち込む際は直ぐに取り出せる様にしておいた方が無難だ。様々な事情からラップトップPCが手元に無いと落ち着かない人は直ぐに取り出せる様にしておこう。
なお、スタッフへ直接確認したがモバイルバッテリーや電子機器類のバッテリーに関して容量制限は目安として100Wh(≒27,027mAh)らしく、それ以上の容量に関しては事前連絡をされた方が無難との事。ただし、バッテリーが搭載される電動車いすなど歩行補助機器に関しては国の安全基準に適合する製品であればその限りではないとの事。
ただ、一眼カメラに挿入していたバッテリーは確認されなかったのであまり厳密なチェックがされるわけではない様だ。予備バッテリーはチラ見していた。
この入場が最も批判されがちだったので「何か起きるか?」と正直言って下世話な期待感がわずかでもあった事を告白したいが、5/2(金)の時点でスタッフも入場処理に慣れたのかTDLやUSJなどと比較して肩透かしと思うほど何もなかった。逆に言えば大阪万博2025入場時に起きる問題はTDLやUSJでも起きるだろうと思えるほど。
東ゲートから入場後すぐに目の前へ広がるのは東ゲート広場であり、この東ゲート広場の面積は前述の「入場時刻団体ブロック」を処理し切る程の面積容量がある。おそらくは開幕ダッシュをする来場者がゼロであっても処理できるであろう程の面積容量だ。時系列は前後するものの、退場時に入場者とかち合ってもすし詰め状態にならない程の面積容量があり、おそらく「入場時刻団体ブロック」はこの東ゲート広場がキャパシティオーバーフローしない様に設定されたのではないか?と思われる。
大阪府内の小中高生が無償招待された事によって、この東ゲート広場では学校の学生管理にありがちな列形成をさせ人数が揃っているか?の確認を様々な学校がいたるところで行っていたが、その列形成が邪魔と感じない程に広い。比較するならば野球場やサッカー場のプレイフィールドがすっぽり収まる程度に東ゲート広場は面積容量があるので、東ゲート通過後に人口密度によって混乱が起きる事は特別な事例を除いてほぼ無いと感じた。
あまりにも広すぎるので子連れ家庭は興奮した子供が駆け出して見えないところまで走っていって人混みに紛れてしまう事にむしろ注意した方が良い。
様々な来場者が同じ様に高く評価しており、みんなが同じ様にレビューしているが子連れにマスト。
日本の科学館・博物館やアミューズメントパークにある様なゲーミフィケーションを用いた体験型アトラクションで、国籍を問わず小学生程度の子供なら楽しすぎるパビリオン。小学生程度の子供ならば大阪万博2025へ行く最大の理由と言ってよく、我が子が口にする万博の思い出の大半の内容がこれ。
つまり、親の視点では小難しい展示の多い大阪万博2025で子供へ対する切り札の1つなので使い所を慎重に選びたい。
こちらも様々な来場者が同じ様に高く評価しており、みんなが同じ様にレビューしているが子連れにマスト。
大前提となる注意点としては体験するのに7歳以上という年齢制限があるので、1時間以上の待ち時間からやっぱりダメでしたとならないよう気をつけたい。
内容はXRゴーグルを付けた体験型アトラクションで、小学生向きの内容ではあるものの中高生でも十分に楽しんでいる雰囲気はあるので、前述した電力館の対象年齢よりは少々上の子向け。小学校高学年からといった感じか。
これも対子供向けの切り札なので親はいつこの札を切るか慎重に選びたい。
電力館やガス館と比較するのであれば大きなお友達のためのパビリオン。体験視聴型アトラクションでこれも国籍を問わず大きなお友達であるならば楽しめる。
個人的に笑ってしまったのが、このパビリオンはあれだけ学生が無償招待され大阪万博2025には学生が溢れかえっているのに、このパビリオンは平均年齢がグッと上がる事に笑った。国籍は問わないが中年男性率が非常に高い。むしろ小学生は親父に付き合ってあげている感じである。
アラブ系民族衣装トーブを纏うThe中東みたいな男性でもガンダム語ると同じ顔になるんだなというのは新たな発見だった。言葉はわからんのに何を言ってるのか大体わかっちゃうの本当に面白かった。
ちなみにガンダムの体を取っているものの、紹介されている一部の技術は実際に研究がなされているもので宇宙応用科学に知見をある程度持っているのであれば、子供にあーだこーだと説明することは可能。
子供に格好つけるのであればシリンダー型スペースコロニー(オニールのスペースコロニー)に関しての情報は事前に調べておきたい。
おすすめのパビリオンと言いつつ実はパビリオンじゃない。大阪万博2025で本当に重要なのは足元にある。
入場ゲートやらガンダムやらと上記までは多少ふざけていたが実は筆者、海運や海洋土木や海洋応用科学系専攻の技術者で、その観点から大阪万博2025を真面目に語ろう。他の様々なエントリで大人向けのパビリオンは紹介されているので気になる人は他のエントリで調べたら良い。自分は自分の得意な分野を語ろうじゃないか。
実は足元の件について来場していた海外の方々の視線によって恥ずかしくも気付かされたのだが、大阪万博2025では日本がこれまで培った強力な土木技術が発揮されている。海外の方々が気付いてくれたからこそ自分は技術者として絶対に紹介しなくてはならない。
5/2(金)は前述の通り、午前中雨天で午後から晴れたという状況から午前中は万博会場内の舗装路は水浸しになったが外国人はその水浸しの舗装面へ対し指をさし興味津々で見ていた。この舗装路、日本では近年当たり前となりつつある有孔舗装で、水はけが非常によく雨がどんなに降っても水たまりができにくい舗装なのだ。
日本は過去の日本列島改造で全国津々浦々にまで舗装道路が敷設された事により、コンクリートやアスファルト舗装に関して非常に長い期間と膨大な敷設量、様々なシチュエーションのノウハウがあり、梅雨のある日本では舗装路の水たまり問題を何度も経験してきたが、そこで舗装路の水たまりを防ぐために生まれたのが有孔舗装であり、万博会場内はこの有孔舗装と石畳タイル舗装の2種類が主に採用されており、偶然の雨天時に有孔舗装と石畳タイル舗装の2種類を比較する事が可能になった。
石畳タイル舗装では水たまりが出来ているものの有孔舗装には水たまりが出来ていない。この点に面白さを覚えた観光に来ているであろう外国人同士がしきりに地面へ向かって指を差し会話しているのだ。
そして更に面白くなったのが午後の晴れである。雨天時に石畳タイル舗装では水たまりが出来てダメだと思われていたところに晴れになると一気に石畳タイル舗装が乾き始めた。もう目で見て判るレベルでスーッと水が引いていく。実はこの石畳タイルもまた目で確認するのが困難なレベルの微細有孔処理がなされており、雨天の間は表面張力などの力によって水たまりが出来てしまうが、雨が止めば一気に水が引いていくという石畳タイルだったのだ(お風呂用のいわゆる珪藻土マットに近い)。
スーッと水が引いていく様を見た外国人は「おい!見ろ見ろ!」と海外言語理解が出来なくても言っている事が日本人の自分へ伝わる程のリアクションをしていた。これが日本の技術力なのだと誇るつもりは毛頭ないが、この有孔舗装は驚いていた国々では需要があり、この技術が売れる可能性が高い事は間違いがない。世界ショーウィンドウとして万国博覧会の本来の機能が発揮されていた瞬間だった。
日本の在来工法を応用した大屋根リングの建築は非常に素晴らしいものだが、重要だったのはその足元、海岸線が隣接する軟弱地盤を強固に改良し、改良した地盤であっても水はけが損なわれない事に外国人が非日常的であるであると気付いて大きなリアクションを取ってくれたからこそ自分も気付く事が出来た。
地盤改良というものがどの様に行われているのか?を知らない人も多いだろうが、正確性を横に置いてわかりやすく伝えるならば、セメントと砂を混ぜてモルタル舗装をする様に、地面へ大穴を掘った後に超巨大重機の先端に巨大なミキサーを付けて、掘った土を戻しつつセメントなど地盤改良薬剤を混ぜて巨大ミキサーで撹拌し、1つの強固な大岩盤や大柱を地中に形成するのだ。
そのため軟弱地盤が強固になる代わりに密度が高くなり水はけは悪くなるのだが、舗装面の最表層へ有孔舗装材を採用する事によって、舗装面自体へ保水能力を持たせ、実際に人々が足で触れる部分には水たまりができにくいという舗装技術だったのだ。
大屋根リングの様な巨大建築物が海岸線近くの軟弱地盤へなぜ建っているのか?各国パビリオンをなぜ建てる事ができたのか?そしてそれが出来るほど地盤改良されたはずなのに水はけがなぜ失われていないのか?
それは大阪万博2025会場自体が日本の隠れた超巨大土建パビリオンであるからだ。
大屋根リングのスロープには花壇が設置され様々な植物が植えられている。
これを地面と捉えると結構な傾斜角のある地面だが、雨が降った事によってスロープ最下段からは花壇から滲み出た水がどんどん流れ出てきていた。これはつまり花壇は間違いなく保水をしており、花壇を地面と捉えると水分に晒される傾斜のある法面(のりめん)であるという事だ。
目で見てわかるほど法面から染み出す水。土木にちょっとでも知識ある者であるならばわかるだろう。この環境は地すべりが起きる可能性がある。が、しかし全くと言って良い程その兆候がない。実際に植物へ手を触れて軽く引っ張ってみたがしっかりと根がはっており植物の根がその法面を支えている事がわかる。
これは紛うことなき土建技術の賜物である。花壇スロープを地面と仮定したが実際は大屋根リング上に非常に大規模な形で設置されているのだ。すなわち花壇スロープは日本の土建技術はこれが出来るとそこにあるだけで我々に訴えてきている。
子供なら気付かないだろう。電力館やガス館やガンダム館で興奮するだけだ。あまりにもわかりやすいものでしか興奮できない。
でも我々大人は違う。今まで学んできた知識と経験があり、それによって万博の非日常的な光景が技術によって成立しているのに気がつく事が出来る。すごくないかコレ?と今まで学んできた知識と経験で興奮する事が出来る。
実は筆者、愛知県民で、愛・地球博開催の2005年当時に多くの大阪府民が愛・地球博へ参加してくれて楽しかったというレビューをしてくれた事を未だに強く覚えています。
愛・地球博は開催前に様々な妨害に遭い、未だその当時の妨害内容を当人達が記録を公開しているわけですが、特にオオワシの巣を理由とした妨害によって撤回された愛・地球博会場の宅地転用計画は、トヨタ自動車や関連サプライヤーが点在している三河地方において地価高騰を招いて工場で働く多くの若者の住宅購入を阻害するという社会問題が20年たった今まさに起きている状況。この責任はいつ取ってくれるのでしょうか?
当時は日夜テレビや新聞などで愛・地球博の問題点ばかり取り上げられていましたが、そんな妨害に対抗する形で大阪府民だけでなく、多くの皆さんがインターネットを中心に「前評判よりも意外と面白いぞ!」と好評レビューをしていただいたおかげで、大きなメディアもそういった声が無視できなくなり、手のひらを返して好評な形で紹介する様になり、最終的には2200万人を超える来場者数を記録し約65億円の剰余金を残すほど成功した万博となった。
大阪万博2025へ参加して実際に自分の目と知識と経験で良いものは良いと紹介する事が大阪府民の皆さんへ恩返しとなると思い、今回エントリを書かせて頂きました。
以上
日付の誤り指摘ありがとうございます。恥ずかしい。
Permalink |記事への反応(19) | 15:29
TravisJapanの主演舞台が決まって、しかもそれが3年も続いてて、幸せなことだな、って思っています。本当にその気持ちは、嘘偽りなく、あって。「約束された現場があるありがたさ』、そのことには本当に感謝しています。
けどね、さすがにちょっとだけ、わがままも言いたくなってきました。人って贅沢なので。あと、普段、ジャニーズ舞台に愚痴をいうのは、時間の無駄だと思ってるので、ぼんやり見るように心がけてるのですが、
11/30締め切り案件(*1)があって寝不足なので、暗闇で眠くならないように、でもトイレも行きたくならないように、カフェインのタブレット飲んで行ったら、頭がさえちゃって、考えなくていいことを考えながら、舞台を見てしまった。
ということで、ここから2021年版の愚痴です。読みたくない方、ネタバレ踏みたくない方は、ここから先、読まないでください。
***
虎者に関する愚痴は、もう基本的に「脚本」もうちょっとなんとかならない????です。そこに尽きます。
2019年も、2020年も、そして2021年も、虎者の感想として「お芝居部分はショータイムを見るための、壮絶なじらしプレイ」として認識してました。だって、ショータイムの方が楽しいんだもん。どう考えても。
2021年は、お芝居シーンのラストで、「俺たちの育ての親の朱雀が闇の帝王だったなんて、とんだ災難だったよな。」と七五三掛龍也が言うセリフがあります。その時、客席で思ったのが、「そのとんでも設定の舞台、見せられてるこちらも、とんだ災難だけどね」ってことです。
でも、今日は頭が冴えてたので、これ、演じている方はもっと「とんだ災難」じゃない?ということに気がついてしましました。この、セリフがほとんどなく、うっすい内容の舞台の中で、Travis Japan もImpactors もすごく頑張ってるな、と気づかされる部分があります。(「のえる」と「かいと」以外は舞台中で役名がでてこないので、フルネームで記入します。)
例えば、松田元太は最初に「まだ力が足りない気がする」って言っていた通り、ずっとちょっと周りを警戒してるちょっとビビリな感じを出しているし、中村海人は、自分が「のえる」を置いていった判断をずっと引きずっているのを全面に渡ってだしています。2人とも、ちょっとしたセリフをきっかけにして、なんとかキャラを作ろうとしています。一見、セリフが多く、キャラクターを作りやすく思える「川島如恵留」と「宮近海斗」は、きっかけセリフを言わされすぎてて、実は逆にキャラクター作りづらそうだなぁと思ってみています。そもそも、一回完全に舞台上で死んでから、特に何の説明もなく復活するなんて役、やり易いわけないです。今回、川島如恵留は物語のひずみをすべて受けとめる役になっていますが、それをなるべく自然に見せようとすごく頑張っていると思います。
Impactorsでは、オオワシ(影山拓也)、ハヤブサ(佐藤新)が、もともとキャラクター性を与えられているのに加えて、武器も違うのが強いです。他はみんな、武器が刀だけれど、全幕、逆手で通してる基俊介も、キャラ立ちしてるな、って思います。逆手持ちは自分で決めたのでしょうか。すごい工夫です。せっかくならみんな武器を変えるだけで、バリエーションだせると思う。
そして、カゲロウ(松井リマ)、朱雀(長谷川純)の2人。カゲロウは、前半は虎者の敵のフリをしているが、実際には虎者を味方にしたいと考えていて、朱雀は前半は虎者のボスですが、実際には虎者を使い捨てようとしています。2回目以降の観劇でそれを知って見ると、2人とも、ものすごく密かに持っている本心の芝居をしていて見応えがあります。でも、初見だとその演技の意図がわからない。虎者ーNINJAPANーは、古典演目ではないので、さすがに初見では気がつけない演技を強いる脚本はどうなんだろうと思います。(*2)
クイズ番組で、クイズが「1+1=?」みたいなものだけだったら、どんなに知識のある人でも、ポンコツ回答できそうな人でも面白くならないと思います。舞台において、「脚本」はクイズ番組のクイズと同じ。「ホン」が不在に等しいこの舞台を、必死に面白くするように頑張ってる7人(+7人+1人+1人=16人)、の努力、ほんと凄まじいです。
お芝居の最後に、中村海人が、如恵留に対して、置いていったことを謝り、それに対して松倉海斗が「もういいじゃないか。2度はくどいぞ。」という箇所があります。東京公演では、ここのシーンにおいて、2人がアドリブで遊び始めたのですが、11/21くらいからかな、アドリブはなくなり、元に戻りました。想像ですが、きっと、「ここは、最後のシリアスなシーンとして演るべきでは」と大人からアドバイスがあったのだと思います。
確かに、お芝居全体からしたら、ここはシリアスに演じるべきかもしれない。でも、観客としては楽しみにしてたアドリブでした。だって、もう他に虎者同士の関係性がでる箇所が少ないから。
1人1人のキャラがなく、ということはキャラ同士の関係性もない虚無のお芝居のあとにある、ショータイム。ショータイムになった瞬間、重たい鎖かたびら脱いだ?ってくらい、自由にいきいきと踊り始めるTravis Japan。
2019年に屋良くんが教えてくれた通り、本当にたくさんアイコンタクトを取りながら、楽しそうに踊っていて、だから見ていて、とても楽しいです。虎者の無味乾燥な実体のない「役」を脱いで、本来のTravis Japanになったから、みえる関係性があるんですよね。はぁ全幕、ショータイムやってて欲しい。
***
とまぁ、ここまでツラツラ愚痴を書いてきたのは、単に憂さ晴らしをしたかったわけではなくて。あと、チケット代返せ、とか、もう観に行かないぞ、とかいう話でもなくて。来年以降も虎者があるとしたら、こういう要素ちょっと入れてくれたら嬉しいのにな、的な妄想話がしたかったからです。(*3)
2019年、2020年、2021年と毎年脚本が変わっているのは、しっくりきていない、という考え自体は共有されているのだと思います。私が2021年版で一番気に入っているところは、謎の家族設定がなくなったところ。でもそのせいで、物語が薄味になったのも事実だと思います。(設定なくしたら、足さないと)
舞台見ながら、考えていたのは2つ。(カフェインって怖い。こんなに普段ポンコツでも、頭の中がデュアルコアになる。)
1つは、せっかくTravisJapan と Impactorsが 7人同士なので、1人の人間の中の「善」と「悪」を描くスタイルにして、最後、清濁併せ吞んだ形の「真の虎者」になるタイプ。(Impactorsの名前が影虎軍団ならちょうどいい。)朱雀は父で、カゲロウは(魔法で年をとらない)母で、それぞれ戦っているみたいな感じ。
これだと、どういう悪の心と戦っているかで、ダンスバトルだったっり、殺陣だったり、戦いのバリエーションできそう。(去年のバトン対決のやつ、楽しかった。)
ちょうど7だし、「七つの大罪」とか、ちょうどいい具合にハマりそう。(日本だと、ほんとは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の方が、ハマりがいいような気もするので、朱雀とカゲロウ巻き込んでもよいかも?)
宮近海斗(赤):炎系の術を使う
川島如恵留(白):風系の術を使う
吉澤閑也(黄):毒術を使う
中村海人(緑):木の葉の技を使う
とか。
いま、適当に書いたので、ほんとはもっと良いのがあると思いますが、まぁそんな感じ。(『伊賀の影丸』読みたくなってきたな笑)
それぞれ、得意な術の情報とかあるだけでも、トランポリンとかトランポリンとかトランポリンとか、映像ももっと作りやすいと思うし、楽しめると思います。俊足の七五三掛!とかキャッチフレーズがあっても楽しいし、松松の分身の術もみたいです。(そろそろ、脳内で「千年メドレー」は踊れる気持ちになってきたので、分身の術も習得したいなと思ってます。)
もうね、ほんと素人の思いつきなんで、別にただ書いて、昇華したかっただけなのですが、できたら来年は、少ないセリフを手がかりになんとか舞台を成立させようと努力しているTravis Japanじゃなくて、
私が、普段、舞台を観に行くのが好きな理由は、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」です。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクします。役名と、実際の名前が一緒のジャニーズの舞台においては、少し変わる部分もあると思うけど、光一さんと「コウイチ」が同一ではないように、やっぱり「役」の仮面というのは存在するのだと思います。来年こそは、重たい鎧ではなく、つけるに足る仮面をつけた舞台がみたいです。
と、ここまで、全て、来年も虎者ーNINJAPANーがある前提で書いてきてますが、そして、今のところ、あると確信していますが、まず、ありますように!!!
*0:あえての〜を仕込んでみました。(言わなくていいことをいうスタイル)
*2:複数回見ることが前提なんだとしたら、それはそれで、事務所にもっと言いたいことがあるよ。笑
1人で動物園に行って来た。
友達がいない結果の1人なのだけど、感想日記でも書いておかないとこの体験が簡単に真っ白になりそうなので日記を書こうと思う。
まず、入り口のゲートが改装中らしく、えらく曖昧になっていた。券売機に並んでいる際に1人は自分だけだったので若干の恥ずかしさを覚える。
で、そんな曖昧なゲートを通ってまず初めの動物がゾウだ、と思っていたけど少し前に死んだらしい。介護施設で働いてた時に何度か行ったことのあった動物園だったので、一抹の寂しさがあった。このガラスのとこでゾウを背景に皆んなで写真撮ったなぁ、そういえば、あの時の利用者さんも数名亡くなったと聞いたことを思い出してより寂しくなってしまった。
それから、記憶が少し曖昧だけど、オランウータンを見た。見た目と動きはもうほぼ人間だ。これと障害者を見世物にすることにどの程度の差があるんだろうと思っていたら目が合った。自分が見られていることで気持ちが通じたように思うのはアイドルのファンと同じだろうか。地べたにどかっと座る仕草があまりにも人間らしく、動物園という檻と介護施設に閉じ込められる高齢者の類似性を感じてしまった。皆んな、外で放し飼いにできたらいいのに。
そこからは何を見たっけ。。あ、そう。カワウソだ。たしかコツメカワウソだったかな。ツイッターでも話題になっていた紐にぶら下がってグルングルン回るカワウソがいた。動画でも撮ろうかと思ったけど、ツイッターに動画は上がっているし生で見るとそもそもそんなに魅力的でも無かったので撮らなかった。
それから、ヒョウや顔の中央がオレンジがかったクマを見ながら進んだ先に、トラとライオンがいた。どうやら、トラも一頭死んでしまったらしい。人間よりも短いスパンで死ぬ動物の世話をするのはわりとしんどそうだなぁと思いつつ、トラとライオンのデカさに驚く。こんなに顔デカかったっけ、これは勝てない簡単に殺される、ネコの仲間でも可愛くはない、怖すぎると思った。
と、この辺で動物園に1人で来るのは変わり者というか、1人で来ているのは自分とカメラを持ったおじさんしかいないことに気づく。変わり者だから友達がいないのか、友達がいないから変わり者なのかは分からないけど、1人で動物を見に来る人がもう少しいても良い気がした。
そして、ここらは順序が曖昧だ。タカとオオワシが凄くでかかったのと、牛の仲間の動物がいるところでは他とは違う田舎の匂いがした。バクもいたな、何で黒と白の変な色なんだろう、ゲームの中で殺して皮を剥いでいたやつよりは2倍くらいデカかった気がする。
あと爬虫類コーナーも小さいけどあった。小さくて可愛い。ほとんど寝てたけど。
このくらいだろうか。あとは、見たという記憶だけで特に感想はない。
【追記】
仕事終わりました。
人間が檻に入れられるやつはとある動物園に現代アートのできそこないみたいな感じで置いてあったよ。誰でも入れる檻に看板だけ置いてあって「人間:非常に残忍。同じ種類で殺し合いをする」みたいな。
今地下鉄なんだけど、これも檻みたいなもんですね。それでは。
ズルいとは思わないが、イライラする。「相方」呼称の何が俺をイラっとさせるのか。
邪気眼が疼いて疼いて仕方が無いので書く。
複数の問題がクロスオーバーしているため、分解してみる。
なお、俺は同人もツイッターもブログもやらないので同人文化あるいはインターネット文化から来る由来は知らん。只々、リアルの会話で恋人・配偶者を「相方」と呼ぶ人達への苛立ちを分析。
この愚痴では、「伴侶」「恋人」「配偶者」等の意味で、一貫してパートナーという言葉を使ってみる。
ジェンダー、フェミニズムは意識し過ぎるとドツボにハマる。結局のところ、女として生まれた以上女として生きていかなければならないし受け入れなければならない。逆もまた然り。
男が赤ちゃんを産んでみたいといくら願っても届かない。逆もまた然り。
俺はオオワシのように空を飛び、悠々と獲物をハントしながら暮らして、最終的には冬に飢えたり狩られたりして死にたかった。
しかし人として生まれた以上、人としての空虚な文明社会に溶け込み自意識に雁字搦めで暮らしていかなければならない。
これを「配られたカードが不公平で問題だ!」と叫ぶのは傲慢。賭場にいるウルサイおっさん、パチスロ店にいる強打おばさんと同じ。
本人たちの本意の不平不満ならまだしも、枠外からの哀れみによる問題提起はもってのほか。
つまり、男側からのフェミニズムによる「相方」呼称はちゃんちゃらおかしい。
「障碍者」、「ハンディキャップ」等の呼称強制の馬鹿らしさにも似ている。
ミゼットプロレスラーの悲劇を繰り返すだけだ。詳しくはググれ。
自分の世界で正しい呼称を信じることは構わないが、他人に理解を強要するな。
隠したいなら隠せ、パートナーが男でも「彼女」、女でも「彼氏」と説明し続けろ。
嘘をつくのが耐え難いのならば早々にカミングアウトすべし。
それで友人が去っていくのならそれまでのこと。マイナーセクシャリティーは「不細工」「低身長」「ワキガ」「口臭」くらいのマイナスでしかない。
制度は改正されるべき。寛容になるべきだ。
いや、カードにも文句は好きなだけ言えばいい。
「男(女)に生まれたかったー!」とか「ノンケに生まれたかった−!」「金持ちの家に生まれたかった−!」とかなら、いくらでも叫べ。
麻雀で「配牌が悪い(俺は悪くない)!」、ポーカーで「イカサマだ(俺は悪くない)!」と叫ぶ人が惨めなのと同じように悲しく哀れだ。
知るか。
「彼氏と呼ぶにはセックスはご無沙汰だし、だけど現状、彼と別々に暮らしていくことは考えられない、意味として一番正しいのは相方かなー。」
知るか。
「他人がパートナーをどう呼ぶかなんてどうでもいいだろ」以上に、あなたにとってのパートナーとの「正しい」関係性はどうでもいい。
パートナーであることが最も容易に理解できる言葉は現状「彼氏」「彼女」「妻」「旦那」等だ。
単語が性別と結びついている、あるいは恋愛感情があることが大前提。
「ダァ」でも「ハニちゃん」でも構わない。これはノンヘテロでも一緒。
恋愛感情が枯れていたとしても、そういう表現が他人からしたら(現状は)最も理解が容易い。
「うちの相方がさー」と言われた側としては「彼氏?彼女?配偶者?浮気相手?」と相手との関係性がいまいち掴みづらい。
「文脈で判断云々」ではない。「相方」呼称の人は文脈なしに使う(ソースは俺)
説明・理解のコストが大幅に増える呼び方をあえて使う必要がどこにあるだろうか。
セックスご無沙汰だけど同居人ならとりあえず彼氏・彼女と言っとけ。
浮気を隠したいなら「友人」で貫け。
「他人がパートナーをどう呼ぶかなんてどうでもいいだろ」以上に、あなたにとってのパートナーとの「正しい」関係性はどうでもいい。
他人を気遣え。
「言葉の意味」への過剰な執着はコミュニケーションの相手側へも負担を強いるのです。
「最もそれを指すのに一般的で最大多数が不快ではない言葉」にはいつだって、社会的には問題はないと思います。
自意識的には問題があるかもしれませんが、過剰な自意識は控えていただければ幸いです。
あとなんだ、良く分かんないけど「ブーメランw」とか言われるかもしれないけど知るか。
俺の母ちゃんはよく言っていた。
母ちゃん「あんたなんか産まなきゃ良かった!」
俺「お前に似たんだよ、遺伝だよ。」
母ちゃん「知るか!」