
はてなキーワード:オオカミ少年とは
「オオカミ少年の物語」を「信念(belief)」の哲学的観点から考察すると、これは単なる「嘘をつくと信用を失う」という教訓話以上の意味を持ちます。以下でその分析をしてみます。
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🐺オオカミ少年とは?
羊飼いの少年が「オオカミが来た!」と嘘をついて村人をからかう。
村人は最初は助けに来るが、次第に信じなくなる。
本当にオオカミが来たとき、少年が叫んでも誰も助けに来ず、羊が食べられてしまう。
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🔹 「他者の信念は、どのように形成され、どのように維持・失われるか?」
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哲学では、「信念(belief)」は、以下のような構造を持ちます:
1. 信じている(Belief)
3.正当化されている(Justification)
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村人の視点:
2回目 また来たのか!過去の実績あり→反応 偽(嘘)
3回目 どうせまた嘘だろ 嘘を2回経験→無視 真(今回は本当)
→ 村人は「本当のことでも信じなくなる」=真実でも信念が形成されない
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• 信念の形成は、単なる情報の内容だけでなく、**話者の信頼性(credibility)**に大きく依存する
•オオカミ少年の話は、「信頼性の損失によって、真実が信じられなくなる」という、知識の伝達における根本的な問題を描いている
✍️ 例:「誰が言ったか」が「何を言ったか」と同じくらい大事
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🧩哲学的含意(まとめ)
観点 内容
正当化少年の叫びが「根拠(Justification)」だったが、嘘で崩れた
信頼性の崩壊 発信者の信用がなくなると、真実さえも信じられない
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この寓話は、現代の**情報社会(SNS、政治、報道)**にも通じる警告です:
• 嘘や誤情報(Misinformation/Disinformation)を繰り返すと、真実ですら信じられなくなる社会が生まれる
•哲学的に言えば、「信念形成の環境が腐敗すると、真実が見えなくなる」
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「信頼されること」は、真実を語ることと同じくらい、信念の形成にとって不可欠である。
嘘をついた少年がオオカミに食べられてしまったという話が知られているが、本当にオオカミが来たことは少年だけが知っているのだから、少年が食べられてしまったという結末に持っていくのは不自然。本来は、村の羊がオオカミに食べられたという話になってる。
内容羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が来た」と嘘をついて騒ぎを起こす。騙された大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられてしまった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%98%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E5%AD%90%E4%BE%9B
明治時代にイソップの話とは別に、嘘をついた少年が狼に食われるという訓話が、文部省の小学読本に存在している。『小学読本二之巻』(田中義廉 明治7年8月改正 文部省、初版明治6年)では、狼が少年を襲う挿絵とともに「狼のために、噛み殺されたり」となっている。
警告を受けて何事もなかったからといって、警告してきた人を嘘つき呼ばわりしていると、いつか本当に問題があったときに対処できない。
すごくお腹が痛いといって吐き気がして痙攣もするということで救急車を呼んであげても
来るまでの間にほとんど治ってしまうから呼んでるこっちは恥ずかしい。
母は恥ずかしいからとより丈の長い服を要求してくるのだが、その時点で「そんなの気にする余裕あるほど回復してるのかと救急隊員にも内心呆れられそう」と思ってしまう。
実際の救急現場ではどんなに服がラフだったり裸だろうが関係ないだろう?自ら不自然を演出してるんだよなあ。
家庭ごとオオカミ少年と思われてそうでやだよ。
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オオカミ少年の話から、嘘をついた奴が信頼されなくなるというところまでは理解できる奴が多そうだけど、必要以上に危険を煽ると発言が嘘ばかりになって信頼されくなることまでは考えが及んでいる奴は多くなさそう。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250627004053#
おぼんにマグカップ2個乗せて流しに向かってたんだが流しのシンク周りの空きが少なくて、そこにおぼん置いても傾いて落っこちそうだから、流しのなかでおぼんを傾けることで流しの中にマグカップを転がり込ませようとしたんだが、取手が一つ取れちゃった。
また親戚に怒られた。
両手が塞がってるからこれしか方法がないと言ったら、お盆をさっきいった空きスペースに置いてスペースからはみ出たお盆の端を片手で支えてもう片方の手でのっかているものを流しの中に移すデモンストレーションを見せられて呆れられた。
なんだろう。視野が狭いんだよな。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250707180157#
こっちの声は聞こえてるのかと聞いたら今は聞こえないようになっていると言うから、今日あったことを話し始めたら「ミーティング中なんだけど」ときつく言われた。
いやこっちの声聞こえてないってことは今は会議に参加してないってことでしょ?何がダメなん?
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250717163738#
すごくお腹が痛いといって吐き気がして痙攣もするということで救急車を呼んであげても
来るまでの間にほとんど治ってしまうから呼んでるこっちは恥ずかしい。
母は恥ずかしいからとより丈の長い服を要求してくるのだが、その時点で「そんなの気にする余裕あるほど回復してるのかと救急隊員にも内心呆れられそう」と思ってしまう。
実際の救急現場ではどんなに服がラフだったり裸だろうが関係ないだろう?自ら不自然を演出してるんだよなあ。
家庭ごとオオカミ少年と思われてそうでやだよ。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250730035301#
いろいろ食べ物あるから冷蔵庫から取ってとだけ言われたから行ってみたら袋にアナゴ丼とか海鮮丼とかあってその日はなんとなくアナゴ丼の気分だった。
普通焼いてあるアナゴ丼の方が日持ちするから海鮮丼から食べるとさ。
言われればすぐに理解できる理屈だけどそれをその理屈が活用すべき場面でちゃんと浮かんでくるかっていうのとはまた別の話しなんだよね。
何か忘れてませんか?→何も忘れてないよ→いや〜忘れてるじゃん←忘れているという事実を突きつけられれば納得できるが自分の認識力ではその事実が常に死角に入ってる感じ
あとは沸騰した鍋の蓋を自分では普通に裏返しにして置いたつもりなんだけど、その蓋が表側の取手を軸にバランスの崩れたコマのような動きをする勢いで裏側の縁とかにたまった水が溢れて置いてあったカウンターが結構濡れてたらしく「何も考えてないのか」と言われた
マジでなんも考えてなくて草
倫理上の問題はあまり深く考えれてないんだけど、それを抜きにしても、アメリカが日本を守るかどうかのリスクは大きくて、その解決策として持つしかないと考えてた。
でもね、核兵器を持ったとして実際に戦争(日本どこかの島が責められる)しても、きっと日本は核を使えないんだろうなぁと想像してしまった。ここどう思う?
アメリカなら否応なしに、必要な場面がくれば核兵器は使うだろうし、だからこそ核保有の価値は十二分にあるけど
どうせ日本は使わないよね?と見られている場合の核保有って防衛上そんなにプラスに働かない(もちろんしっかりプラスなんだけど、それで防衛できるかというと疑問があるの意味)と思うようになってきた。
ロシアもオオカミ少年のように感じてきてて、核の脅威は前ほど薄まってるように思う。
核兵器さへ持てば高いレベルで解決できそう・・から、それは答えじゃないかもって思ってきたって話なんだけど、それじゃどうやって防衛問題に対策するのが良いんだろうね。
あれの男性版が「深夜に一人で残業中にカップ麺を食べる」というシチュエーションなのに対し
女性の方は「推しの?映画を観ながら楽しむお供としてカップ麺を食べる」というシチュエーションだった事
暗に男=仕事で多忙、女=夜に余暇を楽しむ(余裕のある)、といったイメージが描かれている事
そして恐らく少数派ではあると思うけど、「深夜に一人で残業しながらカップ麺食べてた」自分の存在を
透明化されている様に思えたのが悲しいなと思った
隙あらば自語りだけど、20代の頃はそんな感じで仕事ばかりしてた
月~土は仕事で、22時過ぎて帰れれば早い方、大体終電間際まで仕事して土曜日も仕事
日曜は溜まった家事を何とかこなしてから寝て、それで一日が終わる
それでも「女の子だから」と終電までには帰らされていたからまだマシで
男性陣はそのまま泊まりで仕事で次の日おはようございます、なんてのもザラだから、文句も言えなかった
マジで仕事以外何も出来なかったし、今でこそ当時の蓄積で、ゆるく働いてもそれなりに稼げる様にはなったけど
好きで選んだ仕事だったのもあって、愚痴る事も辞める事も出来ず、辛かった思い出
そんな自分が、自分で言うのも何だけどそこらの男性よりよっぽど働いてきた自分が
何となく透明化されている様に思えたのが、例の炎上CMで気になった所だった
(勿論ネットで一々叩いたり公式に凸したりして、CM止めろとまでは全く思わないけど)
あと個人的雑感としては、あのCMや企業を叩いたり、絵師個人を中傷している人のプロフ見ると
「また」腐女子がコンテンツ炎上させてると思われるし、実際そういう事を言っている人も見かけてしまっている
そういう事をするのはごく一部の、言っちゃ悪いが界隈でも過激で嫌われてる様な人が大半なんだよ~
ってなるけど、ごく一部の主語がデカい人に限って声が大きいんだよなぁ……
(売れないレディコミ作家もけしからん派に参加してたみたいだけど、あれもあれで女性や男性を性的搾取しているだろうに)
件のCM、内容自体は君の名は的なアニメの三番煎じぐらいのよくある感じで
あんな程度で(当事者は大変かも知れないけど)クレーマーみたいな事をしていたら
いつか本当に酷い表現があった時に声を上げても、それすらも悪質なカスハラを思われて
人が怒っているのが好きだ
僕は軽めの手帳持ちだった人間(更新忘れた)で他人の気持ちなんてわからなくて、唯一他人が怒っている時だけわかりやすくて気持ちがわかった気になるから嬉しく思う
その人が世間体なんて気にせず僕のことで頭がいっぱいになって感情をあふれさせる姿はとても見ていて心地がいい
だから人が怒るように設計してコミュニケーションをとることがあるんだけれども、自分の身になって思うと怒るって結構カロリーが高くてまあいいかなんて諦めたりするから、怒ってくれるような関係性を作って怒らせるようなことをやって怒ってもらったりしていると何やっているんだろうなって思う
結局構って欲しいだけの寂しい人間なんだよなって思って悲しくなるんだけれど、まあ僕には身の丈に合った生き方かってあきらめてる
まともな人になりたかった
まともな人ってなんだろうか、まともな人っているんだろうか、定型発達の人間も結構おかしいとこあるよなみたいなこと思うと人間正しいなんてないんだろうななんて思うし、結局コミュニティとして正であるかどうかなんだろうなって考えると宗教とか共産思想とかわからなくもなかったりもする、一員であるっていうのは人間失格には結構嬉しい
こういうこと思ってる人が結構まわりにいて結局みんな誰かに正しいって認めてもらいたがってるんだよななんて最近よく思うから、周りにいる人のことを少し過大評価して認めてみたりすると案外喜んでくれるのはおもろい
でもこういうことをするから他人から認められた時に本心だと感じれないのオオカミ少年っぽくて愚かだと思う
だからやっぱり人が怒ってるところが一番好き
俺は小説で飯を喰っている。最近、年収が三千万超えになるのが確定した。
元々何かを書いていたとかはなく、というか書き始めのきっかけはここ、増田なんだ。
いつもはROMっていて、でもあるときふとその場の思い付きで書いてみた。そしたら5ブクマついてさ、凄く嬉しかった。
その後ちょくちょく投稿するようになって、でもそれは短篇というより掌編で、戯言みたいな内容のもの。でもそうやって書き続けていくうち、次第にブクマされることが多くなった。
調子のいい時期なんかは自分の投稿したものが毎日人気エントリしてさ、正直自信がついた。そこで本格的に小説を書いてみるかってなって、半年かけて一つの小説を書き上げたんだよ。
まだまだ拙さが残っていたけど、運が良かったのだと思う。マイナーなコンペにいくつか送ってみたら、なんと受賞した。驚いたよ。本当に。そんなふうに物事が進むとは思っていなかったけど、意外とトントン拍子でデビューが決まった。
ありがたいことに今ではそれなりに名前を知られるようになったんだ。
でもね、今でもたまに思うことがある。
嘘っていうのは、基本的に無価値だってことを。嘘は本当のことじゃないから、金にならない。
俺は昔から嘘が好きだった。いや、正確にはホラ話が好きだったんだよ。
友達に「ありえねえだろ!」って言われながらも、ゲラゲラ笑いながらよくホラ話をしてた。でも、それが許されたのは学生で、友達相手だからだ。
友達は冗談半分で聞いてくれたし、俺のキャラとしてホラ話も受け入れてくれた。
だけど、大人になると、そうはいかない。当たり前だけど、社会人にとっては嘘よりも真実の方が重要だってのが常識になる。
もちろん真実だけに価値がある、とまではいかないけど、嘘を嘘として大いに受け入れてくれる人はそう多くない。大抵の人は「嘘はただの無駄話」として受け取るんだ。
俺はその考えを否定する気はないよ。だって、真実には確かに重みがあるし、価値がある。
でも、面白いことに、人は金になる嘘なら話が変わるんだよ。
俺はそうした人間たちを何度も見てきた。普段は「嘘なんて無価値だ」なんて顔してる奴らが、俺と会うと「素晴らしい小説ですね」とか、金を出してくれたりする。
嘘が肯定される瞬間を、俺は何度も目の当たりにしてきた。
金って、一体何なんだろう?ってね。
確かに俺の嘘は金になった。
でも嘘は嘘で、嘘には変わりなく、嘘の中で嘘を吐いたところでそれはただの嘘だ。
俺はそれなりに小説を売りはしたけど、俺はただのオオカミ少年…じゃなくて今はもはや、ただのオオカミ中年だ。
そこで寄ってくるお金を、俺は実際、嘘だと思っているんじゃないか?ってことに最近気が付いた。
なんてことを思いつつ、とりあえず目標にしていた三千万越えを達成したので近日中に何か美味しい物でも食べに行こうと思います。