はてなキーワード:エロイとは
そもそもなんだけど、国保って未登録期間全部埋めないと加入できないよね?
たとえば18歳以上で足りない分を全部払ってくれたらけっこうな額でありがたいんじゃないの??
教えてエロイひと
こんな話は表の垢では到底書けないのでここに放流する。
まずイラスト描きじゃなくイラスト作りってつい書いちゃった時点で既に人をモノ扱いしてる感じして興奮する。
最初に着手したのはオリジナルのエロイラスト生成だった。pcにローカルを動かすスペックはないので専らnovelaiである。
とりあえずスクリプトにnsfwとhentaiとanimeを入れてから思いつく限りのシチュエーションの英語表記をググって投入して生成を繰り返す。無限に出てくる。
リアル系もちょっと試したけどこらアカンと思ってすぐ戻る。気づいたら朝3時。
最初は取り留めもなく色んな体位で絡ませていたが、そのうちなんとなく簡単なストーリーが浮かんでくる。
危ない関係の相手と夜を営んでいたら妹がドアの隙間から覗いているのに気づいて招き入れ、姉妹レズでほぐした後挿入し、最後は3Pで夜を明かす、みたいなよくある感じで順に生成して並べてみる。
めっちゃ抜ける。
これpixivとかでまとめて公開してもいいのでは?とか思い始める。
しかし各シーンで生成数が多すぎて合計300枚くらいになってしまった。絞り込むのが大変すぎて興奮も収まってくる。
pixivとかでAI絵投稿してる人、だいたい一回あたりの投稿数が多すぎてもっと絞れば良いのにとか思ってたけど、理解できた。全部残したい。
気づいたらまたしても朝3時。
そしてここで、今まで注ぎ込んだトークンに支払った額に気づくのであった。
まあ作りたいシチュエーションはだいたい作ったし、そろそろ辞めどきかな……
とか思ってたらTLで見かけた他の人の絵がドンピシャで刺さり、推しキャラで再現したくなってまたトークンをポチるのであった。
けれど、他の人が言っているような、未知の扉を開いてハマるわけでもなく、美人局にも合うでもなく、ただいつもと同じようにご飯を食べて仕事をしてスマホをみてダラダラするような同じ日常が続いている。
振り返ると、高校生くらいの頃から、ずっと風俗への漠然としたドキドキした気持ちがあった。並外れた性欲があったわけでない。
男ならわかるかもしれないけど、時々無性にムラムラすることがある。そういったときには、AVを見たりエロサイトを見るかもしれない。そうしていわゆるオナネタを見つけて一発スッキリする感じだ。
そして出した3秒後くらいに正気に戻る。ああ無駄な時間を過ごしてしまったなと。逆に言えば出すまではちょっと正気じゃない。
だからといって性犯罪をするわけではなく、なんならしたいとも思っていない。
自分の場合はそんなムラムラした拍子に、風俗のサイトを巡回して妄想することが時々あった。エロいサービスを見たりしてドキドキするのだ。
とはいえ衝動的なものなので、予約するまでは辿り着かない。普通に90分3万くらいという数字を見て高いなーと思うくらいだ。でも数時間サイトをネットサーフィンなどはして費やしたりはしてた。
しかし、今回はついに思い切ってしまったというか、あるいは道を踏み外してしまったというか。予約をしてしまった。
自分で予約しておいてなんだが、10分ほどで若干後悔していた。エロいことは普通に嬉しいけど、高くない?何なら行ったことないので何が起こるか分からなくて不安でもある。美人局とかあるってネットに書かれてたし。本当か知らないけど。
ただ、予約をしたからには行ってみようと思った。キャンセル金と好奇心を天秤に書けた結果だ。
そして実際に店から連絡が来て、指定された方法でサービスをしてくれる女性と会って、実際にサービスを受けた。
綺麗ではあった。勃ちもした。なんなら出もした。
特に女性の手際に不備があったわけでもなく、違法なことも起こらなかった。風営法に詳しくないので多分だけど。少なくともホームページに書かれている通りだった。
ただなんだろう。こんなものか、とあっけない気持ちになってしまい、なにかが終わった音がした。
サービスを受けて10分くらいはかなりドキドキしたし、際どい格好や手際でギンギンになったりした。
でも、そこからはだんだんと冷静になるというか、ドキドキやワクワクが失われていったように思う。
トップレスの姿を見てて寒そうだなーと思ったり、人様にこんなことをさせてて申し訳ないな、という気持ちが湧いてきた。
思えば、漠然としたインモラル感や未知の快感への好奇心、自分が会ったこともないようなドエロイ美女という、ファンタジーにドキドキしていたのかもしれない。
気持ちいいことをされれば気持ちいいし、女性に触れられるとドキドキする。ただなんというか、普通に女性と付き合ってそういうことをするのとあまり変わらない感じ、あるいは延長線上にいる感じだ。
人によっては、気持ちを醒めさせないであったり、とんでもなく気持ちよく技術がなかった、いい風俗を紹介してやるよと言い出す人もいるかも知れない。それもひょっとしたら一理あるかもしれない。
でもなんというか、どれだけ探しても、所詮感度3000倍になるでもない。当然の話として手が2本生えていて、同じ考え方をする、人間が頑張ってできるサービスの域は出ない気がするのだ。
スッキリしたければトイレで一人ですれば良い、セクシーな美女を見たければYouTubeでも見ればいい、マッサージして欲しければ整体に行けばいい、体を洗って欲しければアカスリでも行けばいい。
そんな当たり前のことを、ああやっぱりそうだったんだな、と思った次第だ。
3万ほど払ってサービスをしてもらった女性にはこんなことに付き合ってくれてありがとうと申し訳なかったな、という気持ちを感じている。
自分にとって3万円という金額は、高すぎるほどでもないがちょっと高いな、というくらいの出費だ。
風俗に行ってしまったことには誇らしい気持ちはなく、ちょっとした後ろめたさはある。ただ、今までの人生の憧れやファンタジーが、そんなものはなかったんだよ、と知れたことにはスッキリした気持ちがある。たぶん自分には風俗にハマる才能がなかった。
言ってしまえば高校生からの夏休みの宿題が終わったような気持ちだ。汚すぎるしそんな綺麗でもないけど。
風俗にハマる人を見下すわけでもなく、好きにすればという気持ちではある。
ただ、自分の人生の今後の選択肢でムラムラした時に風俗のサイトを見る、風俗に行くといった選択肢は消えたと思う。
最近? 男性の音楽家? が「カワイイ」と言われるのが嫌だと表明。
ちょっと前にVtuberが「カワイイっていうな。母親面するな」とブチ切れて引退。
ただ女性にとって「カワイイ」は男性にとっての「カワイイ」と大分差があって、女性自身も男性もその辺理解できていないのでは? と知人男性と話をしていて感じたので個人的にまとめたもの。
まとめたのは女性であり、長らくオタクではあったものの、人生のあいまに推し活くらいの温めのオタクであることは記載しておく。
そもそも、極論を言えば女性は「カワイイ」モノ以外には大金を投じない。
以下の感情またはそれが混ざり合ったもの。他にもあるかもしれないが一旦以下に大別する。
②男性でいう「モテの手段」、女性でいう「身だしなみ」「常識」
例:最近の流行のアイシャドウはモテカワピンク、とかの「カワイイ」
憧れ、羨望
例も書いてみたものの、女性にとってこれらは混ざり合って存在している。
例えば男性は髭剃りを「カワイイ」と思って行っている人は稀だと思うが、女性は身だしなみの範囲での化粧と自分のテンションを上げる化粧は両立する。
化粧とかしなくて済むならしたくないけど、どうせするなら「カワイイ」ほうが評価も上がれば自分も気分がいい。
「しない」とまで社会的に割り切れない。じゃあなぜ一番安いもの(要件を満たす最小限)ではなくそれを選んだのか、といえば「選べる中ではそれが一番カワイイ」から
どちらかというとスーツに凝る男性とかもこれに近いのか? と推測する。
最初は仕事だからスーツ着てたけど、どうせスーツ着るならやっぱりいいスーツのほうがいいよね? 的な。
「舐められたくない」「せっかくなら取引先にいい印象を与えたい」とかも「どうせするならカワイイほうがいい」に含まれる。
「カワイイ」はわかりづらい
ざっくり言えば「子ども扱いされている」
下に見られている、なめられている、馬鹿にされている、といった感じ。
なんだったら「エロいですよね」とか言われるよりだいぶ下に見られている感覚なのでは?
今関係なくない? 侮ってるの? という感じ。
男性は自分基準の「性欲」には慣れていても、女性基準の「性欲」にはあんまり慣れていない。
・なんで「カワイイ」と言われるのかわからないので怖い。気持ち悪い。
下着や水着、裸が「エロい」のはわかるけど、「パイスラ」って市販の服だしそんなつもりで着ていない。
(ここは特に憶測)男性としては自分が馬鹿にされているとは思いたくないので、「技術的に優れているから、カッコいいから(羨望)金を払ってくれているんだ」と思っている気がする。
アニメとかならまだしも、男性アイドル相手に「この間のグラビアエロかったですね。何回もしこりました」とかいう奴は、女性社会ではほぼ許容されない。
もちろんいうやつもいるだろうけど、そういってると思われたくない人が多い。
だから女性向けは公式に捕捉されないように自治が盛んなのにつながると思う。
間に「自分」が挟まりたいわけでも「自分」が抱いたり抱かれたいわけでもない。
私見だが、「性欲を抱いている自分」は「汚い」ので見たくないのでは?
直接自分が絡んでいるわけではないから「関係性が好きなのであって、自分がエロイわけではない」という言い訳もたつ。
※「『夢女子』とかもいるじゃん!」
既存のキャラクターでは満足できないけど、情動としては上に近い。
乙女ゲーのヒロインが男性向けのギャルゲーやエロゲーに比べてキャラが立っているのは、この層が多いからだと思う。
一般に想像される「夢女子」。キャラクターと「自分」が恋愛をしたい。
昨今の分類としては「ガチ恋」が近いと思うけど、目立つだけで割合としては少ないのでは?
Vtuberが病むほど「カワイイ」と言った層とは別物だと考えているのでこれ以上の言及は避ける。
男性より女性のほうが「ワンチャン」層は少ない印象。見えている範囲が狭いだけかもしれないけれど……。
であれば加害できそうな存在にそれを乗せてしまえ、と無意識に思っているのかも。
Vtuberとかもまぁそうだと思う。
アイドルは歌もダンスも総合的にできる人の総称なので、すべての分野でその分野のトッププロには劣る。
いいとか悪いとかではなく、総合職のサラリーマンと伝統芸能の職人のような感じ。
端的に言えば、本当の「カッコいい/凄い」のが見たいなら売れてない音楽家や芸人は見ない。アイドルも見ない。
ミラーリングが難しいが、男性もパリコレモデルのような女性をカッコいいと思ってもなかなかそうなりたいとは思わないのでは?
「こうありたい」なら、異性ではなく同性の「カッコいい」方向を目指すと思う。
①の「カワイイ」はともかく、他の「カワイイ」は複合的なのでアイコン化されていない
水着でも着ているときに「エロい」のはわかりやすいけれど、話しててもゲームしてても「カワイイ」のは記号化されていない分どうしてそういわれるのかわからない。
今は名称がつくことで一般認知されているけど、普通に道端歩いてるだけで「エロいよね」とか言われても何がエロいかわからないし怖い。
女性にとって「カワイイ」はもちろん下に見ている意味を含む場合もなくはないけれど、同等以上の相手にも向ける言葉
特にデビューしたてのアイドルやVtuberは若くて未熟な子も多いので……。
男性(まして好きな相手)に加害していると認識したくないのかも。
どこがエロいのかわからないけどずっとそういわれていれば気持ち悪い。
庇護欲や羨望、承認要求もなくはないので、それにすり替えて反論してしまう。
男性が「グラビアアイドルはエロいからお金を払っている」のが自明であるのと同じくらい、女性は「男性アイドルやVtuberがカワイイからお金を払っている」ということ。
(一挙手一投足にエロいって思われて見られてるんだ、と思うことに耐えられるのであれば。)
個人的には女性も性的にオープンになって「エロい」とか正直に言うほうが将来的にはいいと思う。
ただ社会的抑圧とかもあるし、女性的に「エロい」って言われるのって加害性を感じてそんなにいい意味じゃないだろうから難しいかもね。
【追記】04/15 16:30
こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。
ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象そのもの以上に、そこで起こる人間の心理や価値観、欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。
そもそも価値観や人間の心理って、線形の延長線上にあるテックな未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間の心理は一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。
あと、下に書いてるけど、1994年発刊だけど、この小説の初出は1992年だからね。なのでパソコン通信である種の文化があったのはわかるが、インターネットはすでにあったみたいな指摘してる人は頓珍漢だからね。
とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います。
あたりがおすすめです。
僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦と万城目学のようなコンビのイメージなんですよ。
【追記終わり】
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
Permalink |記事への反応(10) | 02:25
(明らかに他人の著作物に寄せている場合、金銭が絡む、自作発言はNG、同様に手書きであろうとトレパクや同好の士へのシェアを超えた同人ゴロはNGと考える)
こんどは「修練」の定義を調べると「精神・技芸などを、みがききたえること」とのこと。
プロンプトを仮に修練の対象とみなすならばアイコン絵がぱっと見で指が6本ある絵の時点でみがききたえられていないので充分「修練」されておらず「芸」にあたらず、芸を祀る神社としては不適切である。
エロ自体が悪いかどうかについては神道では天岩戸のくだりなどからみるにエロ自体を悪という立場に置いてはいない。
ただし「狙っていなくて片側だけ服の境目が溶けてる」ようなエロイラストは上述の理論に則って決して芸術ではないため、それを良しとするのは芸事を祀る集団として決定的な自己矛盾をしている。
芸術に相当するエロならよいはずである。つまり、三峯徹である。間違いなく弛まぬ努力を続ける三峯徹にたいして「修練」が足りないと言えることはなく、ある意味で三峯徹という芸術であると認められてもおり、また、一部では漫画誌の守り神とする信仰が生まれており適切な対象ではなかろうか。
最近Xでは、男性向けに描いたエロ、微エロイラストへの当たりが強い。
当たりが強い、というかぶつかりにいく人が増えたように思う。
「この絵描いた人、彼女いた事ないでしょw」
「女の人のこと分からないエアプが描いた絵」
「チー牛が好きそうな絵」
そういう批判が多い。
特に多い批判は、女を知らないから変な絵になるんだねっていう見下し。
正直、気持ちは分かる。
おそらく批判してるのは女性が多いんだろうけど、絵の服のセンスも終わっててダサかったり、意味のわからない組み合わせでセンスのない絵に対しての評価はまじで女性の方がシビアである。
男側としては自分たちの妄想描いてるだけで、女向けに描いてなくても、Xは対戦型SNSなのでそうもいかない。
男の書く男性向けの絵への精子臭さと、チー牛臭さに対しての敵意だけ向けられていると一見感じるだろうが、実際はそうじゃない。
女同士でも、これはある。
人気ジャンルであればあるほど、女性に受けやすいコンテンツやキャラがいればいるほど、要は解釈違いへのアンテナがとにかく強い。
そしてそんなコンテンツに入り浸るような人達は、ほとんどが陰キャなので拘りやアイデンティティがより悪い方向に働いてゆく。
少しでも違和感があれば、影であれはないと陰口を叩いたり、お気持ち表明したりなどある。
依存先がそれしかないので、異なるものへの強い忌避感が常にある。
「私が正義で、他のみんなが間違ってる。」
「私悪くないもん、あいつが悪いんだもん。」
特に、まともに人とコミュニケーション取れず、ずっとカーストでも上位になれなかった、下位かつ孤独に生きた人は、自分の心を埋めるためにそのような傾向にある。
それを抱えて生きてるので、現実も燻りながら生きてる。
その中で「男性向けのありえないシチュ等の絵」に対して、いやいやこれは間違ってますよwとして沢山の反応を貰える(自分の発言によって上位になれたような錯覚を得れる)ことに気づいた人が増えてきた。
リアルじゃ何も意味をなさない性別というものを強いカードとして、ネットでは切れるのだ。
要はマウントができるのだ。
もうこれに気づいたら、あとはマウントと承認欲求の沼に沈んでゆくだけである。
リアルじゃ満たされなかった。
同じ女同士のコミュニティで上手く立ち回れず、マウントすることなど到底無理だった。
いつもされる側(と勝手に感じて劣等感を味わってるだけ)だった。
それが、ネットでは上に立てる。
だから辞められない。
自分の現実の位置が、何も変わっていないことに気づけないまま、今日も正義を執行できる対象を探している。
これ、本当に多い。
不満をぶつける先、努力をする方向間違ってると思う
俺が人妻キャラが好きなのもあって、なんか結構前からうさ耳つけた母親キャラのどすけべイラストがTwitterやpixivに流れてくんのよ
最初は「はえー、こんなエロいキャラおるんや」って割と好意的に受け止めてたんだけど、調べたらゲームやアニメのキャラじゃなくてホロライブのタレントの母親らしいじゃん
百歩譲ってそれがタレントの一人だったらまぁ企業側との暗黙の了解でセーフかもしれないけど、どうもその人マジでエイプリルフールにちょっと出演しただけの一般人らしいのね
いかんせんその時の立ち絵が良すぎたせいで性癖に刺さったやつが続出したらしく、それ以降その人のエロイラストが量産されてるっぽい
これってひょっとしなくても倫理観終わってね?
俺もフェミニストは嫌いだし架空のキャラに対して何文句言ってんだろと思うことは日々あるけど、これに関しては実在の一般人を無断で辱めてることになるよね?
それともVtuber界隈では架空の立ち絵だからセーフって倫理観なんかな(実際タレントに関してはそれで許されてる)
でも母親の立場になって考えると、もしネットで自分をイメージした絵のエロイラスト量産されてますなんて知ったら割とマジで吐くと思うんだよな
その人はおそらくネットに疎い方だから無事(だと思いたい)だろうけど、なんかVtuber界隈って絵師も含めてやっぱ民度終わってんだなーって思った