
はてなキーワード:エプロンとは
うけけけけけけけけけ。
タカイチョはついに決断した。外交の舞台で「倍返し」ばかり叫んでいては飽き足らぬ、実行あるのみだと。
彼の頭の中には、大きな地図と小さなゴムボートの模型がころがっている。
「先制だ! 先制の精神こそ我が国の花だ!」と叫び、補佐官たちはひれ伏してメモを取った(誰も逆らわないのがこれまた便利だ)。
だが戦術は斬新すぎた。
海辺にはゴムボートが並び、その中に押し込められたのは、重労働で痩せ細った国民たちである。
「義勇軍だ! 竹槍を持て!」と号令がかかる。竹槍は町内会の余り物、義勇軍の制服は古いエプロン。
ゴムボートはふにゃりと鳴り、出航の笛が鳴る。群衆の中で、少年カモノハシは目を見開く。母の肩は骨ばっている。
向かう先は架空のC国。国際舞台では眉をひそめる声が上がるであろうことなど、タカイチョは気にも留めない。
「外交圧力? くくく、屈するものか。倍返しだ!」と、出航する人々に向かってもう一度叫ぶ。
夜の海に小さなゴムボートがぽつぽつと浮かぶ様は、まるで貧弱な灯りの行列のようだ。だが灯りは虚しく、波はつぶやく。「これは戦争か、それとも見世物か」と。
「これを見よ、我が国の勇気!」と大声で説明するが、カメラの中の映像は誰のための見世物か分からない。
ゴムボートの中では、ある男が小さな紙飛行機を作り、それをそっと海に放った。紙飛行機は風に乗り、SSの帽子にひらりと当たって落ちる。帽子を拾った将校は一瞬考え込み、そして顔をしかめる。うけけけけけけ。
国際的な反応は物語の別章で語られるだろうが、ここでは民衆の目線が物語の中心だ。
義勇軍として送り出される人々の顔は、勇ましさよりも驚きに満ちている。彼らが持つ竹槍は、強さを示す武器というよりは、かつて祭りで使った棒切れの再利用に近い。
そして海の向こうで何が起きるかは誰にもわからない。だが確かなのは、この行為がタカイチョの満足を少しだけ膨らませる一方で、国民の疲弊と虚無を深めるだけだということだ。
結局、ゴムボートの行列はタカイチョの演出の一部として流れ、街ではまた「スマフォ供出デー」や「今川焼き推奨」が予定通り進行する。
一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである。
会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。
最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。
ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。
今はフリーランスの映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。
でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑
だから、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。
え、なに。守秘義務?エンタメ業界にそんなものはない。特定個人や企業の名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。
小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対ああいう面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生~中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。
勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学は早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)
就職活動の結果、テレビ局の内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生のピークだったかもしれない。
入ってみたら想像とは違った。
配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組の制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから。
自分はADとして入った。一般的なルートである。珍しい新卒だと、最初がカメラマンや大道具という珍しいパターンもあるにはある。
仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから、出演者から、下請けの制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代にイベント運営の仕事をしておけばよかった。
正式じゃない企画会議(デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。
ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分の仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。
それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……
「明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」
とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。
職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ、憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。
仕事ができる人でもそうだった。
疲労が極限に達すると、おそろしいくらい残酷になる。ある時、先輩ディレクターと女性ADが現場の配置関係で口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。
その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。
その女性があまりに文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具(ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。
自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。
案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。
男性ディレクターは、そんな様子をさらにからかっていた。これが、疲労が人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。
あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。
「バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか、増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」
何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。
この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンのタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。
そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディーの楽曲をテレビで披露していた。
性被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持である。アナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。
30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。
身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。
さて。この頃の俺は、ディレクターになる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的なディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。
だから、企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。
なんで、あんな会社で働いてたんだろう……と言うと、理由はひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。
ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけてしまおう。皆そういう認識だった。
今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間の本質の一部である。
人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会の矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである。
一度だけ、飲み会の場でそういう発言をしたことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。
自分らはテレビ局の奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である。視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。
そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。
地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社の作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。
その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』だった。
見たことある人がいるかもしれないが、世界のヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。
最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。
あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望と疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。
「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。
俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間の本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの。
画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。
自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。
上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ。自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。
テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。
退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。
でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。
そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑
最初は大変だった。フリーランスになったものの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃんと仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。
初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパートに引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。
後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。
今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画の仕事でも、ドキュメンタリーの編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。
特に大きかったのは、サブスクの動画配信サービスでの番組制作の仕事だ。2025現在、アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。
ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分の企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放もののストーリーである。社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。
その動画配信サービスのプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。
一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である。
朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。
テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。
今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。
年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である。結婚はできないかもしれない。
でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分が自分でないみたいで。
あのグルメリポートの番組に感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分に感謝してる。
不安でしょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分がいるから、足掻いていた頃の自分がいるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう。
もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。
Permalink |記事への反応(27) | 21:04
きっかけは『その着せ替え人形は恋をする』という漫画で、今アニメも放送している。
俺も一緒に観てるんだけど、これが思った以上に面白い。気づいたら夫婦で夢中になってる。
特に妻のほうがドハマりしちゃって、最近になって「私もコスプレしてみたい!」と言い出したわけ。
元々、裁縫とか好きな人なんだ。ミシン出して小物とかエプロンとか作ってたから手先は器用なんだよね。
それが今は「このキャラの衣装作ってみたい!」って熱量が爆上がりしてる。YouTubeでコスプレメイクの動画漁ってたり、通販で布を探してたり。なんかもう完全にやる気モードに入ってる。
ここまではいいんだよ。趣味が増えるのはいいことだし、衣装を作る姿は楽しそうだしパートナーとしてはぜひ応援もしたい。
問題…というか、その、なんだ…実は俺、昔からバニーコスが好きなんだ。
というかバニーガールの衣装に弱いんだよね。うさぎ耳と黒いボディスーツ、ストッキングにヒール。
なんかこう、理屈抜きで好きなんだ。だから妻が「コスプレしてみたい」って言ったとき、心の中では「バニーやってほしい!」と真っ先に思ってしまった。
でもさすがに言えない。いきなりバニーコスやって!なんて言ったら、なんかこう…ね?
妻は純粋にアニメキャラをやりたいだけなのに、俺だけ別の欲望で盛り上がってる感じがバレたら絶対引かれる。だから今はぐっと堪えてるわけ。
最初はアニメキャラをやるんだろうけど、それが終わったら「他の衣装にも挑戦してみようかな」ってなる気がするんだよな。
そのタイミングで「おすすめある?」って聞かれたら、さりげなくバニーを差し込む予定。今はただその時を待ってるけど…その時が来ても本当に言えるだろうか?
それなら今日にでも勇気出して言っちゃった方がいいのか?笑われるかもしれないけど、それで「じゃあやってみようか」ってなる可能性もゼロじゃない。むしろ妻の性格的には「えー面白そう!」ってノリで乗ってくれる気もする。
最近は時間に空きができると、このことばかりを考えている。そしてアマゾンと楽天でバニーコスを眺める日々。そろそろ卒業したい。
Permalink |記事への反応(12) | 19:35
https://comic-days.com/episode/3269754496607127115
第二次性徴期の敗北は、自制心の敗北であった以上に、私達の若い性癖力の敗退であった。
私達の性癖が市立図書館に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったのを、私達は身を持って体験し、痛感した。
まずオットリした秘書のお姉さんが登場する。
エッチすぎる。
この漫画の「意欲」が伝わってくる。
俺はホモじゃないからよく分からんが、不良少年や筋肉マッチョマンの変態もきっと誰かの性癖に向けて描かれている。
資料係の非正規職員今村さんは庇護欲と嗜虐欲を同時に掻き立てる超陰キャ。
資料係チーフの角野さんはバリキャリ系の頑固でメガネな委員長タイプ。
二人共極限まで空気抵抗を減らしたスレンダーボディーで摩擦係数は無いものとして計算できるぞ。
一方、児童係の朝野さんは脅威のデカパイの持ち主で誰もが「このマンガやっぱエッチじゃん」と確信する。
チーフの小池さんは若手ながらバブみばっちりの綺麗系で登場するコマ全部でオギャれる。
そして一般係が誇るメスガキ(成人済み)の茉莉野はやることなすこと高プライド系高学年女児すぎて最高に可愛い!!!
彼女に付き従う新人の山本ちゃんは信じられないぐらいに無垢で今どき素直な所がいっそエッチだ。
客や周辺の学校関係者も個性派揃いで顔がいいゴミ屋敷女、メスガキ双子、配信者系司書、もちろん普通(?)に本好きの女子も出てくるから安心だ。
う~~~むエッチだ。
あー!わかりますそれ!😆
お風呂の排水口とか、エプロン内部(浴槽の側面のカバーの裏)にある “横穴(オーバーフロー管)” に差し込んで、
シューッと洗浄液を押し込むと上からゴボゴボって汚れが出てくるCMのアレですね!
同じような仕組みで「パイプ洗浄スプレー」「バブルーン(オーバーフロー用)」といった名前で出てるやつです。
特にCMでよく見るのは、**ジョンソンの「バブルーン」シリーズ**の
先端を横穴に押し当てるとモコモコ泡が噴き出して、断面図で“ゴボボー!”って汚れが流れる演出、まさにそれです!✨
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増田さん、たぶん言いたかったのは **「バブルーン(オーバーフロー管クリーナー)」** だと思います!
もし「パイプユニッシュ」と混ざってたら、用途違いなのでどっちも候補ですね。
『推されていた数年間』
名前を呼ばれるのが、怖かった。
画面越しで何千回も呼ばれたその名は、もう本名より重く、苦しかった。
「しほたん」「しほぴ」「女神しほ」──
それは私の別人格。
きっかけはそれだけだった。
はじめは罪悪感があった。
──気づいたら、夜の8時から深夜3時までが“出勤”になっていた。
ありがたくて、嬉しくて、泣きながらお礼を言った。
「田坂さん、いつも来てくれてありがとう」
「本当に助かってます」
「しほぴは田坂さんの味方だよ」
1万円、3万円、5万円。
私が泣くと、金額は増えた。
「生きててくれてありがとう」
そう言われた時、私はもう戻れなかった。
“推される”というのは、祭壇に乗ることだ。
最初は暖かかった。
でもそのうち、皮膚がただれても気づかないようになった。
昼は眠り、夜は配信。
肌は荒れ、声は掠れ、視力は落ちた。
でも、金が入った。
月収は100万を超えた。
──そう信じていた。
でも、あの夏。
配信に現れなくなった。
DMの返事も来ない。
その夜、私は初めて吐いた。
自分が何者だったのか、思い出せなかった。
あれから7年が経った。
私は今、介護施設で働いている。
月給14万円。朝6時に起きて、腰を痛めて、排泄ケアと風呂の介助。
でも、不思議と不満はない。
誰も、私のことを“神”とは呼ばないからだ。
“しほたん”は死んだ。
その墓には、誰も花を供えない。
──田坂隼人。
見た目は変わっていた。痩せ、白髪で、目に深い傷跡があった。
でも、目が合った瞬間、わかった。
彼は、私を“見て”いなかった。
ただ、そこにかつての“偶像”がいるというだけで、心を溶かしたような顔をしていた。
「しほ……ですか?」
「はい、志帆です。介護スタッフですから、なんでも言ってくださいね」
私は笑った。
生きていれば、終わりはくる。
でも、ただ一つだけ信じている。
──これは愛じゃない。
でも、呪いでもない。
これは、“推された代償”の、静かな後始末。
そして私は、それを生きることにした。
〜恐怖は、隣で笑っていた〜
その明るさに、私は最初、救われたような気がしていた。
田坂さんの介助をする日々の中で、
──でも、気づいてしまった。
「今日も○○たんが来てる〜!ありがとねー!」
5000円、10000円、20000円。
彼女は笑っていた。まるで昔の私の声で。
そして言った。
「“推しに投げる瞬間”って、自分が神になれる感じしません?」
その言葉で、血の気が引いた。
あの子は、もう“あっち側”にいる。
何かが過剰で、何かが壊れている。
私はその時、
田坂さんと目を合わせるのが怖くなった。
私のスマホも、彼女のスマホも、画面越しに人間を崇拝する装置。
人の人生を狂わせる、神のふりをした呪物。
その怒りはどこへ向かうのだろう?
推しの彼か、
それとも、
今となっては“すべてが分かってしまっている私”に?
──私はもう、推されることも、推すことも、できない。
だからせめて、働く。
その恐怖から逃げずに、
この場所に、しがみついている。
時は令和、空前のレトロポップスイーツブームが最高潮!クリームソーダとか、プリンアラモードとか、みんなが「懐かしいのに新しい」ってSNSで叫んでた20XX年。そんな中、渋谷のスクランブル交差点に、マジで浮世離れした可愛い女の子が現れたんだって!真っ赤なリボンに、水玉のワンピース、そしてあのキュートな舌ペロ顔!「え?誰かのコスプレ?イベント?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「ペコ、お腹すいたぺこ~!」
え?マジで?あの不二家の看板娘、ペコちゃん!?日本の国民的キャラクターが令和に爆誕!?ってオタク系ギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶キュートなお方、もといペコちゃんは、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…不二家レストランではないぺこ…?ずいぶんと賑やかで、人がたくさんいるぺこね~!」って、マジでキャラクターが抜け出してきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その無邪気な瞳に、何かとてつもない可能性を感じてたらしい。
そんなペコちゃんに、恐る恐る話しかけたのは、渋谷でインフルエンサーとして活動してる、超絶トレンドに敏感なギャル、リナ。「あの…もしよかったら、何か困ってますか?」「う~ん、ちょっと迷子ぺこ…お家、どこぺこ?」って、マジで純粋!リナ、その可愛さにマジでキュンとしつつ、「アタシ、リナ!渋谷のことなら、何でも聞いて!ペコちゃん、マジで可愛いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、リナに連れられて、ペコちゃんは初めて現代の日本を体験!カラフルなスイーツショップとか、映えまくりのカフェとか、マジで全てが新鮮で目をキラキラさせてた!でもね、ペコちゃんが一番興味を示したのは、コンビニのレジ横に並んでた、昔ながらのあの飴ちゃん。「これ…ミルキーぺこ!ペコのおやつぺこ~!」って、マジ真剣な眼差し。リナ、まさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、ミルキーですよ!懐かしい味で美味しいですよね!」って教えてあげたんだって。
ペコちゃん、一口食べてみたら…「な、なんなのぺこ、この優しい甘さは!?口の中に広がるミルクの風味と、とろけるような口どけ…まるで、ママのぬくもりのように、安心する味ぺこ!これこそ、ペコが求める、真の甘さぺこ!」って、マジで永遠の6歳っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、ペコちゃんのミルキー愛がマジで爆発!毎日色んなお菓子屋さんやスーパーを巡って、ミルキー味のお菓子や、練乳を使ったスイーツを食べ比べまくってたんだって。「ミルクの種類、甘さの加減、練乳の配合…研究しがいがありすぎるぺこ!」って、もはやミルキーマイスターレベル!
でね、ある日、ペコちゃん、マジで天下取りの野望を語り出したの。「ペコ、このミルキーをもって、天下を…とは言わないけど、この甘味の世界において、誰もが笑顔になれる、最高にハッピーなパフェを創造してみせるぺこ!これこそ、ペコの『スマイルパフェ』ぺこ!」って!
え?ミルキーパフェで天下統一?しかも「スマイルパフェ」って!マジで壮大すぎる!でも、ペコちゃんの「不二家は、いつも、お菓子の夢、お届けします。」っていう魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってリナも思ったらしいんだけど、ペコちゃんの目はマジだったんだって。日本の国民的アイドルとしての使命感が、令和のミルキーパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、ペコちゃんのミルキーパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#ペコちゃんのミルキー革命」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶キュートで甘々なパフェの画像をアップし始めたんだって。その可愛すぎる見た目と、ペコちゃんの純粋なコメントが、一部のスイーツ好きギャルや、キャラクター好き、そしてファミリー層の中でじわじわバズり始めた!
SNSはペコちゃんのミルキー愛でじわじわ盛り上がり!しかも、ペコちゃん、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の新鮮な牛乳や、最高級の練乳を探し求めたり、ミルキーの味を最大限に引き出す具材を組み合わせたり、マジで研究熱心!「天下のミルキーパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!ペコちゃんは、渋谷のど真ん中に、自分のプロデュースするミルキーパフェ専門店「PEKO’SSWEETDREAMS -ミルキーの魔法 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、ミルキーのパッケージをイメージした、赤と白を基調とした、夢みたいに可愛いデザインで、ペコちゃんの世界観を表現。店員さんも、ペコちゃんをイメージしたエプロンとリボン着けてて、マジでキュート!
オープン初日から、スイーツ好きギャルや、インフルエンサー、そして親子連れまで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のミルキーパフェ、マジで挑戦してみたい!」「ペコちゃんって、なんか可愛い!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、ミルキーそのものなのに、パフェになってるとめちゃくちゃ美味しい!」「甘いけど優しいから、何個でも食べられる!」「ペコちゃん、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、PEKO’SSWEETDREAMS -ミルキーの魔法 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、ペコちゃん、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「夢」について語ったり、子供向けの「お菓子作り教室」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のペコちゃん」「ミルキーパフェの妖精」とか呼ばれて、マジで時の人!ペコちゃんの強烈な可愛さと、ミルキーパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!ペコちゃんのミルキーパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「ペコちゃん印のスマイルパフェ」が発売されるほどに!まさに、ミルキーパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、渋谷の街に静かに佇んでいた国民的アイドルが、令和の時代にミルキーパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、日本の国民的アイドルがスイーツ界の頂点へ、新たな伝説を創り出した瞬間!
リナも、「まさかペコちゃんが本当にミルキーパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
ペコちゃんは今も、さらなるミルキーパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「ペコの夢、まだまだ続くぺこ~!」って、マジでストイック!
こうして、ペコちゃんは、令和の日本で、ミルキーパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!ミルキーパフェ、マジ卍!
うちの場合、義両親はめちゃくちゃ良い人だし、7人目の孫で乳幼児の扱いに慣れてる方々なので安心して預けられるけど、実両親には写真も見せたくないって思うこと多々ある。
我が家では子育て世代御用達アプリ「みてね」にうちの子(3歳)のぷりぷりプリチー写真を毎日あげてるんだけど、写真を見た母親から「(散らかった部屋を見て)掃除しなさい」だの「(オムツを頭に被ってる写真を見て)そんなことしてかわいそう」だの「(ひなあられの写真をみて)大豆あげちゃだめ!」だの、他にも色々いちいち言ってくる。
部屋なんてすぐ散らかるし、オムツは自分で被って遊んでるのが可愛くて撮っただけだし、大豆を食べさせるわけないし、瞬間を切り取った写真だけ見てアドバイスしてくるのがかなりうざい。
相手するのがマジでだるいので最近は実両親を除いたグループを作って、突っかかられそうだなと思った写真は夫・義父母・妹にだけ共有するようにしてる。
これは実母だからグループ分け程度で済ませてあげてるけど、もし義父母だったらみてねから追い出してるかも。
「写真を見せたがらないのは異常」とかブコメついてたけど、こういう感覚が近いんじゃないかな。
例の増田の義父母はうちの母親みたいにいちいち言ってくるタイプではないだろうけど、育児方針や価値観が違ったりするとこの写真見せるとどう思われるんだろうって不安になったり、写真見せるのも嫌になる気持ちはわりと理解できるよ。
id:tune2011 「いや元増田の義両親は嫁よりアバウトなんだからそういう姑チェックは来ねーだろ」への返信
アバウトかそうでないかは関係なくて、価値観の違いが不安を生むよねってことが言いたかった。
元増田の母親は大雑把側みたいだけど、たとえばご飯を食べさせてる写真を見せて「わざわざエプロンなんかつけなくても、子どもは汚してナンボなんだから何度でも着替えさせればいいのよ〜」なんて言われたらウルセーよババア!って思っちゃわない?
過去に「預かった孫がギャン泣きしてたけど子どもは泣くのが仕事だからほっといたよ〜」なんてことを義母に言われたような経験があったら、子どもの写真を見せることで姑に何か言われる(または、思われる)んじゃないかって思ってしまうだろうし、不安になるのもおかしくないんじゃないかな。
でもまあ……今回のケースは、「大事に大事に育てているうちの子が泣いてるのを放っておいたクソ義母に、可愛いうちの子の写真を共有してあげる義理なんてないわ」って思考もありそうなので、元増田の嫁さんを全肯定するつもりはないけど。
さっきの夢
水の流れをどうするか、という課題があった
川つくろうぜ!川!
真ん中に川作ればいいじゃん!
と首領格が自信満々に言って
反対意見が出ず、それで進めることになった
航空地図を見ると
近くに綺麗なテニスコートがあったり
これを壊して川を作る?
「A社が5%、それ以外は知らされていないのさ」とおデブの部長が言う
この後すぐ行われる、会議でその辺が決まるらしい
しかも胸元がぱっかり空いただらしないエプロン姿で、仰向けのぐでたまみたいなだらしない体勢になっていた
ここファミレスだぞ!
目が覚めると実家の飼い猫3匹が僕のベッドで眠っていた
これも夢だった
この3匹が僕のベッドに来るのはエサが欲しいときだ
僕が起きたら猫達は
やっと起きよったわこいつ、と言わんばかりにあくびをした
僕の後ろをトコトコついてきてまるで冒険者パーティーみたいになった
ビンに入ったカリカリ餌をじゃらじゃら鳴らすと
はよくれや〜、と言わんばかりにニャア〜と鳴いた
たぶんもう試していると思うから、以下は蛇足。例の画像の作り方。
https://chatgpt.com/s/m_684b83c552ec81918c1dd3ca8d896092
元画像はこれ。
これに対して、「この女性のイラストをポーズ変更して、さらに修正を加えたイラストを作成します。詳しい指示はこれから行います。」と同時に指示を行う。
「彼女を台所のシンクで直立させます。この服装は基本的にはそのままですが、靴は脱ぎ靴下の下に踵のない茶色のスリッパを履かせます。さらに、彼女の肩から前面にエプロンを着せます。エプロンの色は薄いベージュとします。画面は台所のシンクを正面に捉え、彼女はそこに立ちますがこちらに向かって振り向いていてエプロンの前面が見えます。振り向かせるさいに脚をクロスさせてもかまいません。描画したオブジェクト以外の背景は透過とします。」
と指示する。
※実際には最初はもう少し短い文章で指示していたが、思ってたのと違う絵が出たのでそのたびにプロンプトを修正して再指示して最後がこれ。
男子学生は、これで女子学生の絵(アップしたやつ)が出来た後に、その絵に対して、
「このシチュエーションとポーズのまま、性別を変更します。女子学生を男子学生にしてください。身長はこれよりも10cmほど高くします。詰め襟で黒の学生服を着、黒のスラックスを履かせてください。髪は現在より短く黒。眼鏡は同じものをかけさせてください。」
と指示した。女子学生のポーズ変更でどこがひっかかるポイントかはなんとなくわかったのでこちらは一発生成で、あれに。
このへんかなぁ
給食エプロンにしか見えないイラストの横で、「か」から始まる5文字のことばを書きなさいってやつ。
全然わかんなくて最終的に「かっこいい」ってひねり出したけど正解は「かっぽうぎ」
小1の語彙にあるわけねーだろバカが。
漢字はどの学年で使っていいってのが多分学習指導要領で決まってるんだろうけど言葉ってねーよな
なんとなくでこの単語はむずかしいからやめとこうとか決めてんじゃねーのか?
挙げたやつはどっちも(ChatGPT的には)フリー素材だから適当にダウンロードして無料版にでもアップロードして、こなれてない感じのエプロンの画像もアップして「エプロンだけこっちに着替えさせろ」っていうとけっこうやってくれるよ。たぶん学ラン→ブレザーも同様の方法で出来る。
※ChatGPT的にはフリー素材:こちらからは文章だけで指示して先方が持ってるデータだけで作ったもの。少なくともこちらからは(ジブリ風に、みたいな)ロンダリング指示はしてないってこと。これに実物画像を混ぜるとこの意味でのフリーではなくなる。
そう!!そうなんだよ!男子版も作ってくれてありがてえ〜〜
ちなみに増田的にはブレザーが熱いんだけどこれは自分の学生時代の記憶に依存してるかもしれない
こんな感じかな。
https://chatgpt.com/s/m_684a9a8a3e60819183023fd3b655223d
「大きく振り向いてエプロンの前面が見えるように」って指示したけどこれ以上は振り向いてくれなかった。
どうでもいい話だが、元のフリー素材(ChatGPTに指示して作らせたイラスト)はローファー履いてて、「ローファー脱いでスリッパ履け」って指示したら「脱いで」がポリシー違反になったらしく1度作画拒否された。
いちおう男子版も。
制服エプロンというのは、学生服の上からエプロンを着用するスタイル、いわゆる調理実習の時のスタイルだ。
(※エプロンタイプの制服という意味ではないので、期待された諸兄には申し訳ない)
まず、中学生~高校生の活発で瑞々しい存在が制服というフォーマルな着衣に収まっているという「制服の良さ」。
これに加えてエプロンという「母性・家庭性」を感じさせるアイテムが重ね着されていることの良さ。
エプロンの形や柄は問わない。そこに本人の人間性(キャラクター)が出るのが良い。
しかし腰に巻くタイプはだめで、あくまで肩から胸、膝までを覆うクラシックなタイプでなければならない。
この状態でたどたどしく調理実習に励む姿もよし、手慣れた様子で家庭の夕飯を作る姿もよし。
いずれにせよ制服×エプロンという組み合わせには、それにしかない味わい深さがある。
腰の後ろでリボン結びされた紐の可愛らしさ、どこかスカート然とした前掛け部分の可愛さ。
あるいは慣れた手つきで扱われるフライパンや鍋。
エプロンの紐を解くときの、ネクタイをほどくのに似た優雅さとラフさの混合。
お気に入りのクロワッサンと、週替わりのスープを買うのが日課になっていた。
そのパン屋にいる店員さんが、なんというか、すごく感じのいい人で。
朝の挨拶も、パンの説明も、会計のときの笑顔も、全部がちゃんとしてる。
清潔感のある白いシャツと、コーヒー色のエプロンがよく似合っていて、
たぶん僕よりも年下で、言ってしまえば、ちょっとだけ「かわいい」と思っている。
それだけなら、よくある話だと思う。
「感じのいい店員さんがいて癒やされる」っていうやつ。
名札はついていない。
Instagramにも出てこない。
でも、名前を知らないままこのまま通い続けるのも、だんだん苦しい。
これが恋なのか、執着なのか、ただの現実逃避なのかは、わからない。
でもそれすら許されないのだとしたら、
いったい何のために、こんな朝を続けているのかわからなくなる。
たまに休んでいる日がある。
誰にも相談できないのでここに書く。
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