
はてなキーワード:エジプト人とは
手堅い佳作だけど座組に求められる期待値は超えてこなかったかなって感じで63点。
マイアミ市警の麻薬取締チームの警部が殺され、その後任にマット・デイモンが就任。警部の死や市警に蔓延する汚職についてベン・アフレック含む部下とともにFBIらに詰められてしまう。その後、マットが得たというタレコミ情報に基づき、地元の地味な家を探索すると屋根裏部屋から2000万ドル(30億円)が発見される。警察ルールによってその金をその場で数えることになるが、マット含むチーム全体の空気がだんだん変な感じになるし急になんか汚職警官はやってくるしでてんやわんやに。私たち一体どうなっちゃうの~!?
というお話。
まず、ちょっとヴィジュアルに物申したくてぇ。え、お前アラブ系やったっけ?っていうか最初「FBI:特別捜査班」のエジプト人とマジで見間違えた特大髭面のベンアフはまぁベンアフっぽさはないけど意外に似合ってるからまだマシとして。今回、マット・デイモンも白髪交じりのチリチリの全面髭面で信用できないコワモテを演じてるんだけど、マットにそれは無理だよ。だってもう誠実でかわいい顔してるもん。それがハマるのは絶対にディカプリオだよ!ってなった。
まぁベンアフとマットって幼馴染でけっこう定期で一緒に映画作ってて賞ももらってるし、この映画も2人で立ち上げた会社で作った奴だから2人でこんなふうにやろうねってキャッキャしながら作ったんだろうから、まずこの2人ありきだとは思うんだけどさ。実際、この2人の絡みはシーンデザインの妙も合って見応えがあったしすごいよかった。
で、ストーリーとしては30億円、しかも外部には漏れてない金が急に目の前に現れた時に人はどうなってしまうのかっていう、実際にあった事件にインスパイアされて作られた作品で実際の事件では30億円も現場で数えるの超大変だった(精神的だけじゃなくて物理的に)ってだけだったのを、警察内部での汚職やチェイスっていうエンタメ要素を追加した結果、ちょっと作品として変な感じになってる気がする。
この映画には融合しているようで実は溶け合ってない2つの要素があると思ってて。
1つ目は元々この事件を知ったときに考えたであろう「30億急に目の前に出てきたら正義も揺らいじゃうよね」っていうメンタルサスペンスという側面。急に手に入った財宝をめぐって仲間割れが始まっちゃうやーつね。
で、2つ目は「もともと組織内にいる裏切者を探し出す」という一般的な炙り出しミステリサスペンス。
これって「後から壊れちゃう話」と「元から壊れてる話」だから接続って意外に難しい。
この映画は元々警部が殺されるところから始まるので2つ目なんだろうなって感じで始まる。で、途中で急に1つ目が始まるんだけど1つ目の途中でどんどん2つ目の要素を消化していくからすごいゴチャゴチャしてくる。
マットがなんかどんどん強権的に場を支配しだしたかと思ったら、通報もしてないのに汚職警官がやってきたり、部下の生活に困ってる女性警官が10万ドルくらいパクってもバレないよねって話をし出したりする裏側でベンアフはマットを疑ってたりするのとは別に向かいの家からは誰かが監視してるし、その一方でアジア人はどっかに謎の電話をかけてる。
実際のところそれぞれの要素は脚本的にしっかり回収されるのでサスペンスっていうよりはミステリとしてはなるほどねってなるようにはなってるんだけど、それぞれの要素が本来持つジャンルとしての緊迫感は細切れにされちゃった感じでどこにノレばいいのかよくわからない座りの悪さを感じた。
ただ30億円が発見された家とその周辺で起きる謎と人間不信と緊張感という部分に関してはやや「緊迫させたろ!」っていう製作者側の気迫が見えすぎてウッってなる部分はありつつ、見応えはある。
特に好きなシーンはアジア人とマットが向かいの家に向けて歩いてて、警官ってだけで相手が緊張しちゃうよねみたいな世間話をしつつアジア人がマットをちょっと疑う発言をしてマットがそれを咎めて緊張が走る。で、アジア人だけ元の家に戻るように言われてアジア人にカメラがフォーカスしてアジア人の後ろにぼやけたマットがチラチラ映ってて、え?これ後ろから撃たれる展開?え?ってこっちもなるし、アジア人の顔もどんどん強張っていく。そして気付くとマットも背を向けて家に向かって歩いている。ってシーンがあってココ白眉。
ミステリとしても、いやそれカナリアトラップやないかーいって割と早い時期に割れちゃう可能性があってそうなると後が全部茶番になっちゃう危険性はありつつ、マットが金をパクろうと人によって別々の額を言っていると見ていて思えるように話は作られてるのも悪くない。
途中で銃撃を受けた時に銃撃にあわせてカメラがガクガク揺れる(部屋全体を映す固定カメラが銃撃を受けるたびに揺れる)演出はこれ何年の映画やねんって正直ちょっと笑っちゃったし最後のチェイスは作風から考えたら正直、別にそうじゃなくてもっと知的な解決でよかったのではと思わんでもない部分はありつつ、この手のジャンル映画として手堅く作られてるなって感じ。
あとメッセージとしてマットの腕には「俺はいい奴?」というタトゥーと「ずっといい奴」というタトゥーが彫られていて、ベンアフの腕には「俺たちは善人か?」というタトゥーが彫られている。全編見てから見返すと、最初から最後まで徹頭徹尾そういう話だったなって、マットのタトゥーの本当の意味も含めてちょっとしんみりしてしまった。
とはいえあんま予算感もないしベンアフとマットが組んで2026年に撮った映画としてはもっと大規模に面白いものを期待していたのでそれに比べるとこんな感じなのかってのは否めなかったかもしれない。アマプラとかで3.5くらいの評価で期待しなくて見てたら+5点くらいつくかもしれない。
なぜいつの時代も若い世代が叩かれるのかわかった。おっさん(30歳以上)になるとあらゆる能力が老化し始めて新しい時代の流れについていけず不安になるからだ。そしてその不安を紛らわすため、時代の流れについていけない自分は悪くないと正当化するためにその時代の代表である我々若者様を叩く。みっともないよね、己の衰えから目を逸らして現実逃避してるあたりまさに弱者男性って感じがする。いい歳して結婚できてなさそう。仕事もできなさそう。
まあそれはそれとして、上司でもないただの歳とっただけの無能がネットとかで偉そうにしてるの笑えるよね。大した肩書きも実績もない、下手したら非正規や無職の負け組が未来ある若者に楯突いてるんですから笑。我々若者の方が底辺弱者男性より社会的地位上なのにね(((笑))).
こいつ嘘だわ
俺が知ってるエジプトを紹介するな
サハラ砂漠とかっていうラクダとサボテンと蜃気楼とオアシスがあるとこな
そして近くにはスフィンクスがあって
なんかなぞなぞしかけてきて間違ったらくいころそうとしてくんの
だけど正解すっとスフィンクスはしぬの
その奥に行くと金銀財宝があってうはうはなの
かわりに夜は-273℃くらいらしいけど
まぁ実際マミーとかいう包帯ゾンビがたくさんいるから怖いんだけどよ
ああピラミッドの地下には黄金のトライフォースってのがあるんだ
あと石板もあったかな
これがうまい
こんなん
これが正しいエジプトだ
嘘はおしえねーでくれや
思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。
そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。
大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。
(いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。
シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。
また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。
ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)
先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。
イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。
お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。
日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。
何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。
(お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです)
一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。
ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。
外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語とフランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。
話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。
キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。
現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。
英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。
特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。
クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。
音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。
またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。
こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。
この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。
わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。
良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。
余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。
カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。
「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。
では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。
英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。
ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントのイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。
実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。
別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。
同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。
あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。
これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。
その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。
では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。
色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。
キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。
この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。
大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。
そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。
まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。
そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。
人生、旅じゃないですか。
書いたら色々思い出したので、言語に関する単なる思い出語りをちょっとメモさせて頂きます。別に面白くないと思います。
わたしが滞在していた時はアラブ革命の前後だったので、段々シリアの方が物騒になってきて、シリアにいた外国人留学生がエジプトに逃げてきました。
それで何人かの子と同じフラットで住むことになったのですが、シリアで勉強していた人は当然シリア方言です。そしてエジプト方言に馴染んだ日本人から見ると、シリア方言を話す青い目の西洋人がめっちゃかわいくて上品に見えました。
前提のお話をすると、アラブ世界というのは中世ヨーロッパみたいな感じに、「正式な言葉」と「普段使う言葉」がかなり乖離しています。フスハーと呼ばれる「正式な言葉」は、書き言葉のほか、宗教関係や法曹関係、演説やテレビのニュースなどで話し言葉としても使われます。テレビのアニメも教育目的でフスハーが使われていたりします。このフスハーはアラブ世界共通です。
一方、アーンミーヤは地域差が激しく、それぞれの方言があります。
で、日頃この方言で話している場で急にフスハーで喋る人がいると、日本で言えば「ござる言葉」で話す人みたいで滑稽で、なんか可愛い感じもします。
シリア方言はエジプトの感覚からすると少しフスハーに近いというか、古くて伝統的な感じがするのですが、外国人が喋っているとそれも相まってめっちゃ可愛いのです。まぁ、わたしがエジプト方言を喋るのもエジプト人からするとかわいかったのかもしれませんが。
これも単なる自分の思い出語りですが、わたしは元々ずっとフスハーを勉強していて、アラビア語愛が高まりすぎて仕事を辞めてエジプトに行ってしまった人間なので、エジプトに行ったばかりの頃は、「あの美しいフスハーを喋らない現代エジプト人は、なんて堕落しているんだ!」「エジプト方言はイーイー言ってる感じで下品!」と思っていました。
アニメがきっかけで日本語を勉強した外国人が、実際に日本に行くと誰もナルトとか悟空みたいな喋り方をしていなくて愕然とする、みたいな感じでしょうか。
最初の頃はひたすらフスハーを学び、関わりのあるエジプト人もフスハーで喋ってくれていました(教育水準によりますが、なんちゃってフスハーでよければ皆んな多少は喋れます)。
でもしばらく暮らしていると、買い物をするのにも不便だし、その辺の無学なおっちゃんの喋っていることは全然わからないし、普段周りにいる人達の会話に入っていけないのはすごく辛いです。
で、途中からエジプト方言も積極的に学ぶようになり、エジプト人同様に二刀流になりました。
フスハーはクルアーンの時代の言葉をベースにかなり無理して人工的に保存している言語なので、純度が高いですが、アーンミーヤには前のエントリで書いたようにトルコ語とかアラブ化以前のコプトの言葉、古いイタリア語由来らしい言葉などが結構混ざっています。もちろん現代語彙では英語やフランス語由来のものもあります。その辺のごった煮な感じに現代方言ならではの魅力があります。
ちなみに文法の超絶難しい正則アラビア語に比べると、現代方言は簡略化されていますが(ラテン語とフランス語くらいの感じ)、その分不規則要素が多くなり、なんというか、英語みたいに「ノリ」で話している感じがあります。
これも余談ですが、アラビア語とヘブライ語は兄弟言語なので、会話などはまったくわからないものの、古い言葉はなんとなく類推で意味がわかるものもあります(そもそもアラビー=アラビア語とイブリー=ヘブライ語は同じ子音の順番を変えた言葉で縁が深い)。
ヘブライ語ではなくアラム語みたいですが、イエスが最後に言った「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」とかも、アラビア語風にカタカナ表記をすれば多分「イラーヒー、イラーヒー、リマーザー、タラクタニー」(إلهي إلهي لماذا تركتني)で、すごく似ています。tとthが入れ替わったのかなぁ、とか想像が膨らみます。アラビア語訳の聖書とかも重々しい感じでジーンと来ますよ!(もちろん、本当はヘブライ語やギリシャ語で読むべき)
この辺は言語の本物の研究者の方たちがめっちゃ深堀りされているでしょうね。自分は中途半端にかじったレベルなので、本物に色々教えてもらいたいです。
とても面白かったです。
当方、結構前ですがエジプトに計2年くらい滞在(アラビア語目的留学)、多少アラビア語を話しエジプト人と交流のあった人間ですが、イラン人(ペルシャ人)がアラブ人を嫌って見下している感じはわかります。まぁ実際、歴史的に見るとイランは先進的文化的な国で、人も繊細な感じがします。
それに比べるとアラブ人はイスラーム以降にイケイケで拡大しただけで田舎くさい感じがするし、特にエジプトは「アラブの大阪」という感じでコテコテだから、水と油かもしれません。言語もまったく違いますしね。
そして多くのエジプト人(もちろんすべてではない)はイラン人、シーア派の人を蛇蝎の如く嫌っています。無神論者とか共産主義者と同じくらいイメージが悪い感じです。キリスト教徒のことはそんなに嫌っていないし、エジプトには1割くらいコプトの人がいますから、まぁ宗派対立がないとは言いませんが、割と知っているしそれなりに共存しています。(追記:当方はイスラームへの関心もありアラビア語を学んできたので、イスラームにシンパシーがあるのですが、エジプトにいると正直、コプトの人の方が上品で話が通じる確率が高い感じです。ただ、少数派はどこでも品が良い=そうでないと生き残れない、ということかもしれません。ハーリド・アル=ハミーシーの『タクシー』という小説を勉強用に訳したりしていたのですが、この中でも、イスラーム的に非常に尊敬できる態度を取っていたタクシー運転手が実はキリスト教徒とわかり、語り手が恥じ入り、多数派エジプト人のだらしなさを嘆く下りがあります)
「同じイスラームの中の異端こそが憎い」わけですが、この「全然違うと許せるけど、ちょっと違うと許せない」という感情は一般によくあることでしょう。日本と韓国だってよそから見たらめちゃくちゃ似ていますが、だからこそ変な悪感情を抱く人たちもいます。隣国なんてそんなものかもしれませんね。
ちなみにカイロの町には稀に観光客のイラン人もいますが、服装などの違いで一目でわかります。特に女性はアップにした髪で後ろを盛り上げて前髪チラッと見せる感じが独特ですよね。顔つきもイランの人はシュッとしている印象。もちろん、嫌っているからといって道を歩いているとボコボコにされる、とかいうことはありません。
エジプト人から見た隣国のイメージについては、個人的に気になったので結構多くのエジプト人に聞いてみたことがあります。
あくまで個人の観測した範囲ですが、サウジやイラクなどの湾岸諸国についてはとりあえず「金持ち」。サウジにはエジプト人が大勢出稼ぎに行っています。
エジプトは地域大国で、アラブ諸国の中では人口で突出していますが、逆に人間以外なにもないので、サウジにはエジプト人が教職などでたくさん入りました。エジプトには世界最古の大学・アズハルがあります。その教師たちの一部が極端なサラフィー思想をサウジに持ち込み、それが後の過激派組織を生む一契機になった、とかも言われています(まぁ色々な要素があると思いますが)。
シリアについては、上品なイメージ。エジプト方言から見るとシリア方言はフスハー(正則アラビア語)に近く、なんか「京言葉」みたいな感じがします。時代劇のセリフを敢えてシリア方言でやっていることがあります。エジプト人はうるさいけど、シリア人は物静かな感じがします。
アルジェリアとかモロッコとか、いわゆるマグリブ地方については全然別世界という感じでよくわかりません。この辺は方言も非常に異なり、エジプト人でもよくわからないようです。湾岸、パレスチナ、シリアあたりの言葉はエジプト人的には慣れれば問題ないようですが、マグリブはフランスの影響も強く難しいようです(エジプト方言に親しんだ一ポンコツ外国人的には、パレスチナ、シリアくらいでギリなんかわかる程度、湾岸でもうわからないです)。
ここまではアラブですが、トルコについてはイランのような悪感情は持っていないですが、文明的、支配者層のイメージ。そもそもエジプトは元々オスマン帝国の版図にありましたし、あの辺りは日本のようにネイションの区切りがわかりやすくなく、例えばエジプト人なら「エジプト」「アラブ」「ムスリム」と複合的なアイデンティティのあるものですから、割と連続的なのだと思います。トルコ系の血の入った人は沢山いて、トルコ語由来の言葉も多いです。
エジプトに行くと「旦那!」「ミスター!」みたいに呼びかける「バシャ」という言葉をよく聞くと思いますが、これもトルコ語です。ケマル・パシャとかの「バシャ」。アラビア語はPとBを区別しないので(日本人にとってのRとLみたいな)、「バシャ」みたいに発音します。
話がズレますが、イタリアとエジプトは地中海を挟んで目と鼻の先なので、イタリアとも言語的に被るものがあるようです。アレキサンドリアなんて地中海文化で、大昔はローマ帝国の一部でしたからね。
こういう風に色んな支配者が入れ替わってきた地域の歴史を考えても、アラブの拡大があくまでイスラームの拡大であったのに対し、イランはイランで割と確固としてあり続けていますよね。イスラーム化することでアラブ化した地域と、ムスリムにはなっても自分たちの言語や文化を維持した人たちがいるのだと思います。
サウジアラビアのイスラム教聖地メッカにある聖モスクのカーバ神殿(2024年6月17日撮影)。(c)FADELSENNA /AFP 【6月20日AFP】サウジアラビアにあるイスラム教の聖地メッカ(Mecca)への大巡礼「ハッジ(Hajj)」中の死者が、1000人を超えた。各国の発表に基づいたAFPの統計で20日までに分かった。アラブ外交筋によると、20日に新たに報告された死者にはエジプト人58人が含まれていた。またエジプト人の死者658人のうち、630人は巡礼者として正式に登録されていなかった。サウジの国立気象センターによると、メッカの聖モスク(Grand Mosque)では17日、気温が51.8度まで上昇した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3525283