
はてなキーワード:エガリテとは
ただし、ここで重要なのは「平等(Equality)」と「公平(Equity)」の区別だね。
AI時代において、AIを戦略的に活用する能力を持つ人材は平等に評価され、逆にその能力を持たない人材も平等に評価される。
しかし、その結果が「公平(Equity)」かと言えば話は別。
AIに適した能力がない人が満足のいく結果を得られないのは「平等」な競争の結果に過ぎないが、それが「公平」かというとそうじゃない。
人間は様々な能力を持ち、それぞれが等しく尊い。すべての人が公平に評価されるべきよね。つか、AIの活用能力だけが特別に価値を持つ社会になると、不公平感が半端ない。
「あとかつてないレベルで平等でフラット」と言ったけど、これは完全な平等を意味するわけじゃない。エネルギー資源の偏在など、地域や国による構造的な格差は引き続き存在する。
ただ、真の才能と情熱があれば、これらの障壁は乗り越えられる範囲に収まるんじゃないかな?
(一方で、電気さえ満足に使えない地域の人々は、テクノロジー先進国の恩恵から取り残される可能性が高いかもね・・・)
その他に驚き屋が唱えがちなものに、AIとロボによるデストピアがあるよね?
確かに、ロボティクスの技術は飛躍的に発展し、機械学習の効率化によって精度は向上、IoTやエッジAIの普及により、あらゆるモノがデータベースやAIと連携する世界がますます当たり前になると思う。
でもさ、AIやロボットには明確な制約が存在することを忘れちゃダメだよね?驚き屋の展開するデストピア論は、だいたい現実的制約を無視して展開されているので、めっちゃウンザリする。
AIモデルの性能は学習データと目的に応じたカスタムに強く依存するし、ロボットには物理的な耐久性や安全性の限界があり、人間の柔軟性を完全に再現するには至っていない。
さらに物理法則による制約もあって、無からエネルギーやパーツを生成することは不可能だ。
驚き屋さん、同じファンタジーを前提にするなら、ハッピーなやつで頼みますわ。
あと、多くのAIは無料または格安で利用できる。AIパワーそのものよりも、戦略や業務分析、あるいはタスク分析の方が遥かに重要よ。
AIを単なる自動化ツールとして使うだけでは限定的な成果しか得られず、本当に価値を生み出すのは「どのように使うか」の部分。
高額なAIエージェントは確かに利便性を提供するが、それだけで万人のタスクを解決する魔法の杖にはならないし、戦略を示してくれるわけでもない。
結局、AIの価値を引き出すのはユーザー自身のカスタマイズや戦略的思考であり、それがないなら高性能なAIに課金してもあんま意味がない。
(それに時間が経てば経つほど勝手に便利になっていくし、急いで課金する必要性は別に無い)
学位が社会選別の道具になって久しいが、現代では学位ではなく、ビジネスやAIに必要な知識ならインターネットを通じて誰でも取得可能になっている。
AIが無料または低コストで使えることを考えれば、学習の助けになる可能性も大きい。
つまり、AIを活用するスキルは「学歴」よりも「AIを戦略的に活用する能力」によって決まる部分が大きくなり、知識を得ること自体のハードルは劇的に下がっている。
お仕事の観点から見ると、単純なプログラミングスキルだけのIT技術者が厳しい状況に直面するのと同様に、技術理解のない経営陣の時代も終わりを迎えつつある。
現在でも簡単なコード作成はAIがやった方がいいし、財務・経営判断においてもAIの方が合理的な選択をできるケースが増えているからね。
つまり、技術的理解と業務理解に基づくAI戦略を構築できない経営層は不要となり、多様な能力を持つプレイングマネージャーであることが経営層にも求められる時代が来たワケよ。
これは能力主義に基づく平等・・・革命的な意味での"エガリテ(égalité)"の具現化と言えるんじゃないの?知らんけど。
ちなみに、組織においても、基盤整備なしのAI導入はいくら課金しても限定的な効果しか生まない。
なお、2025年の現実では、多くの企業が社内に「安全なAI」(オプトアウト済みAIやオンプレAI)を提供しているにもかかわらず、社員がそれを無視し、より高性能な商用AIを使って情報漏洩かましてるのを日常的に見かけるよね。これはAI導入戦略の不在と、組織全体のITリテラシー欠如の証明でしかないんですわ。
どう考えても技術の進化よりも、こうした適応力のない会社や組織が淘汰されて、浪人(無職)になる未来の方が先に来るんじゃないの?
驚き屋が唱えるファンタジーデストピアよりも現実的な懸念事項だと思うやで。