
はてなキーワード:インターンとは
正直さ、冠婚葬祭で休んだらペナルティになるのはおかしいって話、めっちゃわかるんだよ。
でもさ、よく考えたら「じゃあペナルティにならない企業って本当にあるの?」って疑問も出てくるんだよな。
だって休んだことによる「減点」が無かったとしても、その日出た人がもらえるはずだった「加点」は丸ごと消えるわけじゃん。
これって形式上ペナルティが無いだけで、実質的にはちゃんとペナルティなんだよな。
じゃあこのペナルティを完全に消す方法って何かって話になるけど、身内が亡くなった人に対して「採用試験で特別加点します」みたいな制度でも作らない限り無理じゃん。
でもさ、そんなの本当に正しいのか?
「身内が亡くなったら採用試験で加点します」って狂ってるだろ。
先日、とある用事で外出した際に、早く着きすぎてしまったのでカフェで時間を潰していた。
そのカフェはオフィス街にあったので、客の多くはサラリーマンのようだった。ノートPCで仕事の資料を作っている人や(余談だが、これはコンプライアンス上望ましくないのでやめたほうがいいと思う)、同僚と雑談をしている人などに混じって、少し目立つ4人組がいた。入社5、6年目らしき会社員2名と、真新しいスーツを着た学生らしき人物が2名。漏れ聞こえてくる話の内容から察するに、先輩社員とインターン生ではないかと思われた。
先輩社員が会社のことについて話し、インターン生がそれを聞く。こういう光景は割とよく見るが、今回は少しだけ様子がおかしかった。2名いる先輩社員のうち熱弁をふるっているのは片方だけで、もう片方の社員は退屈そうにスマホをいじっている。インターン生2人は一見熱心に話を聞いているように見えるが、「そうなんですか」という合いの手にはどことなくぎこちなさがある。
しばらく話を盗み聞きしていると、なんとなくヘンな空気になっている理由がわかってきた。先輩社員がランチなどの時間を使ってインターン生相手に会社での生活を語ったりすることはどの会社でもよくやられていることだとは思うのだが、その時先輩社員がインターン生に語っていた話の内容は「会社の話」というよりほとんど「自分語り」だったのだ。「俺は〜」から始まる話が異様に多く、しかも他人にとってはすこぶるどうでもいい話で、はっきり言って友人には絶対にしたくないタイプだ。もう片方の先輩社員がずっとスマホをいじっているのは、そんな同僚の態度に飽々しているからだろう。しかしインターン生2人はそういう態度を取るわけにも行かず、熱心に話を聞く「振り」をするしかない。
僕はこの光景を見て、「いやったらしいなぁ」と思わずにはいられなかった。世の中には「逆らうことができない立場」というものがある。たとえば、部下は上司には逆らえない。飲食店の店員も客には逆らえない。この場合で言うと、インターン生は先輩社員には逆らえない。先輩社員の「自分語り」に対して、あからさまに興味がないという態度を取ることは許されず、どんなに話がつまらなくても「熱心に聞いている」振りをして「参考になりました」とお礼を述べなければならないのだ。絶対に殴り返してこない相手をせっせと殴る光景を見せつけられたような、そんな気持ちになった。
これと類似の事象は、たとえば飲み会の席で上司が部下に対して行う説教であるとか、飲食店の顧客が店員に対してつけるクレームであるとか、「立場の違い」が存在する至るところで発見できる。立場が上の者は、その立場の分だけ本来の実力よりも余分に力を持つことができる。そしてより一層罪深いように思えてしまうのは、こういった立場の違いによるバイアスの存在に無自覚で、それを自分の本当の実力だと勘違いしてしまっている人たちがいることだ。こういうのはものすごくみっともないし、かっこわるいと思う。
今回インターン生相手にずっと自分語りをしていた先輩社員も、同じことを同期との飲み会でやったらおそらく誰も真剣に相手をしてはくれないだろう。飲み会でいつも部下に説教をする上司も、家に帰って息子に同じことをしたら煙たがられるに違いない。立場の違いによって得た一時的な力を、自分の本当の実力だと勘違いするのはみっともないことだと思う。立場に差があるときこそ、謙虚さを忘れないでいたい。
外国人規制強化を訴える高市早苗首相への国民の期待は大きいが、長引く経済低迷で日本は外国人に「選ばれない国」になりつつあるのも事実だ。
アジア各国から技能実習生を受け入れ、日本企業に紹介する協同組合(東京)の30代理事は匿名を条件に、「中国からの技能実習生が激減した。日本は魅力がなくなった」と明かす。
2015年には、特定技能1号ビザで就労する中国人労働者は38,327人でしたが、2023年には11,347人と3分の1以下に減少しました。対照的に、ベトナム人労働者は同時期に2倍以上の77,634人に増加しました。
日本で働いている場合、インターンは月収約17万円から18万円(約1,120ドルから1,200ドル)を得ます。寮費や保険料などの経費を差し引くと、手取りは約13万円から14万円となり、そこから数万円(600ドル未満)を母国に仕送りします。
「中国だけでなく、カンボジアなどでも、優秀な人材は母国で十分な収入を得られるようになりました。わざわざ日本に来て働く必要はありません」と彼は説明した。
〜以下省略〜
Japan losing attractiveness to foreign workers amid economic stagnation - The Mainichi
当該noteはこれです
https://note.com/hanamiya_note/n/n5e0aabfdf4e3?sub_rt=share_sb
これを読んで最初に思ったのは、「わかるーーー」という一言でした。
私はとある工業単科大学の情報系学生なので、同じ気持ちによくなります
(noteの方は京都大学らしいので全然違うかも、悪しからず。優秀だ)
あと、なんか説教くさくなっちゃったんですが、なんか自分もそういう時期あったのでその時の自分に伝える感じで書いたらこうなっちゃいました。
癪に触ったら、ごめんなさい。こういう考えもあるよってだけなので、なんやこの根暗インキャはと一蹴していただいても構いません。
率直に言って、最近のweb業界で何か成果を残すって本当にハードルが高い。AIも出てきて、文系にまでITが広がった結果、ありとあらゆるジャンルのプロダクトが、個人開発、スタートアップ、企業とかが出してきた。
前は、穴場の一つが防災だった。でも気がついたら広告打たれるくらい防災のプロダクトも揃ってきてるし。
本当に新規性を出すのが難しいと思う、捻り出しても結局、「発表して賞もらって、じゃサヨナラ」みたいな感じになっている。
ハッカソンとか出てると、それって意味あるんか?本当に必要?(笑)
という気持ちにもなるが、まぁ技術力をつけるノックみたいなものだろと思って前はよくやってました。
webがそんな雰囲気だからか最近は、web以外に行く人が増えた気がする。
組み込みとか、セキュリティとか、OSとかCPUみたいな低レイヤ、ネットワーク、プライベートクラウドみたいなインフラとか?
多分だけど、枯渇感はそういう未開の地に行くと、少し薄れると思いますよ。ライバルの絶対数も減るしね。生き残り戦略だよ
さて、話は逸れましたがそんな大学生がnoteを書かれた方へ一つお伝えしたい。
多分なんですが、この方はキャリアの考え方を「山登り型」ではなく「川下り型」で考えたほうがいいと思います。
多分そっちの方が性に合ってると思います。
この話は、私が尊敬してるbigエンジニアから伺ったのですが、いわゆるキャリア構築の話です。
キャリアには、「山登り型」と「川下り型」の2パターンがあります。
前者は、note筆者の方が言われてるようなbigな夢を追いかける、そんなキャリアの作り方です。
起業する!とか、世界から貧困をなくす!とか、〇〇を達成する!、GAFAに入る!みたいなね、大きな山頂を目標にキャリアを作っていくみたいな感じです。
でもそれって、難しいんですよね。私は諦めました。
何が難しいかって、そりゃ過酷なんですよ。山を登っているんで。
起業して失敗するリスクとか、シンプルに面白くないとか、嫌な分野も勉強しないととか(私は英語がこれです)
モチベーションが続かないとか。
そして、登る山がより高く、少なくなってしまった。
多分大昔は、東京で働くことは山の1つだったのではないでしょうか?大企業で入ることが山の1つだったのではないでしょうか?年収1000万が山の1つだったのではないでしょうか?
大手町をスタバ片手に社員証ピッとするくらいなら、大学生のインターンでもできちゃいます。メガベンが人気な就職先になって、新卒で700万出すところもあるくらいです。
起業も前はきっと、していることがすごかったのかもしれませんが、今は大学生起業家はわんさかいます。
そこからいかにシードから資金調達できるかとか、事業拡大して売却できるかみたいな点が問われているように感じます
(その点、GAFAはまだまだ身近な山かもしれませんね。)
山は高いし、より険しい、大学生の力ではきっと大文字山ぐらいで、そこからエベレストってどうやって登ればいいのかわからなくて当たり前です。
多分大多数は、向いてない。まぁ向いている人は着実に頑張ってきっと成功するけど、私じゃないな。
これは、明確な目標とかはなく、自分がやりたいこと、叶えたいことを目の前のものから1つ1つ丁寧にやっていく。しばらくして後ろを振り返ると、立派なキャリアができていると言ったものです。
なんでこれが向いているかって、このキャリアはある意味「他人に喜んでもらいたい人」に向いているからなんですね。
「自分が捻り出した工夫に「これ、すごく良かった!」と言ってもらえると震えるほど嬉しいんですよね。 」
という点。他人に喜んでもらいたいんだなという気持ち自分もそのタイプなのでよくわかります。
このキャリア形成のいいところは、別に山を目指しているわけではないので、全く過酷ではありません。
私はこの考え方を知ってから、無理してハッカソンとか短期のインターンを繰り返したりしなくなりました。
代わりに大事にするのは、自分がやりたいこと、叶えたいことを確実にやること。
例えば、私は、仲間を支えたい気持ちが強いので
「後輩が出るコンテストにサポートみたいな感じでチームに入ってみる」とか
「SNSで、技術系のイベントに参加して友達を作って、なんか作る合宿企画してみる」とか
私はそういう人を助けたり、なんか初めてを喜んでいる姿を見ててすごく嬉しいんですよね。
意外と、無理して山を登ってた経験がいきたり、逆に新しい技術に触れたりもできるのが、この考え方のいいところ。
でも、就活のタイミングではちゃんとガクチカになるような経験もできたし、色々な人脈も作れたし助かったなと素直に思っています。
さて、とっ散らかった文章ですが、まぁあとはググってくれ。
「川下り型、それは諦めと何が違うんですが?」って思いました?
まぁ諦めと同じっちゃ同じかも。でも川を下っていくのも別に大変なんですよ。崖から落ちるのとは違いますから、しっかりと今どこにいるのかどっちにいけばいいのか見定めないと、道に迷います。
今のはどうでもよくて、「山登り型」と「川下り型」別にどっちが正解とか上みたいなのはないです(正直山登りの方が上だろと思ってしまう自分もいるが)
山登りで挫折して、鬱になってらそれはそれで大変だし、川下りもじゃあやりたいことがゲームだから、ゲームばかりでいたら就活の時何も話せなくて詰むと。
私はこの問題で悩んだ時、年単位で歩みを止めてしまいました。楽しく友達と遊んで過ごしたりゲームしたり。
でも、今思うとちょっと勿体無かったなって。その時間、もう少しちゃんと歩いてれば、AI Codingをも少し使いこなせてたかも。
新しい技術が出ても、知らない領域でも、初めての場所、人間、コミュニティでも
その場で座らないで、引きずってでも歩きつづければ、いつか川を下って綺麗な街に出るかもしれませんし、山頂から綺麗な眺めが見れるかもしれません。
自分が今やりたいことを、確実にやる。そしてそれを積み重ねたら、自然と周りから立派に見えているようになる。
それくらいの温度感で生きることが、現代日本のエンジニアで大切な心構えなんじゃないですかね
あとは、AGIが現世の諸問題を全て解決し、ベーシックインカムでのんびり過ごせることに期待して
長々と書きまして、すみません。
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「My Job Went ToIndia」の改題改訂版が「情熱プログラマー」なんだ!ありがとう発注したわ。(たぶん達人プログラマーと混同して読んだ気になって読んでないパターンだわ)
俺の悪文のせいで意図が伝わらなかったであろうブコメがあったので、要旨だけ書き直しておくな。
ただ忘れないで欲しいんだけど、TerraformメンテしてAWSとかGCPで立ち上げてサービス公開するまでの速度は、相見積取って稟議通して部材調達から入ってた時代に比べると爆速だけど、人間の技術屋の需要は増えてる。
俺は、「マスタリングTCP/IP 入門編」を人間が読んで理解するのは古いよね、という時代にはならないと思ってる。
Slerが自前で手元で試すようになるから~ってのも懐疑的。SIerやメーカーが内製すると必ず子会社作って分離、ぼく発注者きみ受注者にしたがるので。これは技術じゃなくて感情とか経営の問題。
(ただし、Slerが7payみたいなことやらかすのでは?って疑問なら同意。たぶんそういう生成AIで俺たちでプロダクトなんか簡単に作れるじゃんよギークいらね(仕様バグあり)は一時は増えるだろうね)
追記ここまで
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VibeCodingでIT技術者は不要になるのか?という話題が花盛りなのは理由があります。
ギーク(現場でコードを書いていたい人)が分かる話から、スーツ(人を集めたりお金を集めたり営業をする)が分かる話になってきたからです。
具体的に言うと、OpenAI社をはじめ続々とTDD(テスト駆動開発)でやってますみたいな、具体的な開発スタイルの話が出てきたから。
そうすると、現場の座組チョットワカルという強めの経営者が理解して判断し始めるんですね。
でもね、その道はもう15年も昔に我々は通り過ぎました。前回のブームと何が違うでしょうか?
技術者なら電子も機械も強電も弱電もお世話になったことのあるオーム社が過去に出していた直球の本の話から。
「My job went toIndia :オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という書籍、何と発行年は2006年です。
かいつまんで話すと、インターネットが整備され、輸送コストがほとんどかからないソフトウェア開発では、アメリカのエンジニアは給与の面でオフショアに歯が立たない、だって、1/10の給与でインドのエンジニアは働くんだぜ?という本です。
そうした、価格競争力で負けるアメリカのソフトウェアエンジニアは、如何にして今後サバイブすべきなのか、という本になっています。
(普通に面白いしAIコーディング時代に通づるものがあるので復刊を希望したいところですが、まあ直球過ぎる題名を何とかしないと再販は無理でしょうな)
そして、JTCや外資問わず、過去にオフショア開発を経験された技術屋のみなさんははてブにも多く生息されているでしょう。
では、ジュニア開発者は不要になりシニア開発者のみになって、いまのソフトウェア開発は主に安い給与で働いてくれるところに遠隔で作業してもらって、レビューだけすれば良い環境ですか?
そうはなっていません。なぜでしょうか。
さて、今普通にXと連動する中古品売買プラットフォームを開発しようと思ったら、どうやってつくるでしょうか?
この文脈に埋め込まれたいくつもの情報「今」「普通」「連動」「中古品」「売買」「プラットフォーム」「開発」を解釈し、すり合わせ、未来の運営者も含めた全員に伝えるためのコストが、コミュニケーションコストです。
そうなると、「ちょっと良い感じにラフでいいからプロトタイプ作って持ってきてよ」で話が通じるのは、受注者マインドがしっかりした日本の受託開発現場の精鋭たちになるわけです。
テストケースだけを通過するように、内部テーブルを持たせた関数を大量に持ってこられてレビュー時に頭を抱えた経験が無いひとは、とても幸運なのです。
とは言え、これは何も文化の違いに起因するだけではありません。仕様とは、環境によって定まるものだからです。
例えば、うるう年判定の関数は、1581年以前をエラーにしますか?1873年以前をエラーにしますか?(ヒント:明治六年)
テスト駆動開発、古い言い方で言えばテストファーストの考え方は、成功したすべてのプロダクトで例外なく、ただの一つの例外もなく、必ず最初から取り入れるべきだったものです。
品質は最後に振りかける粉砂糖のようなフレーバーではなく、最初から設計に組み込むべきだからです。
ありとあらゆる趣味において、最初から良いものを使えば時間を無駄にせずに済んだ、と言われるような初期投資の大切さが説かれます。
果たして本当でしょうか?
そうです、その趣味にハマって生き残りサバイブした人から見れば、過去にその時点で投資をすべきだった、というのは正しいのです。
その趣味にハマれなかった人からすれば、少ない投資で自分に合わないことが分かったという合理的な選択であることと矛盾しません。
そのため、全ての失敗したプロダクトは、テストケースを書く時間でプロダクトを作り上げて、さっさと世に問うべきだったわけです。
少し昔話をしますが、オフショア開発において重要なのはドキュメンテーションとテストケース、それにレビューでした。
他の部署で失敗しつづけていたオフショア開発のやり方は、端的に言えば"教化"でした。
具体的には書けませんが、グッとお安い単価の国に出す仕事を、日本の会社に出すのと同じようにすべく、相手の会社のメンバーを教育して仕立て上げるブートキャンプの仕組みを作り上げていました。
発注側を変えずに済むように受注側を教育して、日本の会社に出すのと同じように単価の安いところに出せたらお得ですよね?でもこれは必ず失敗します。
何故か。だって、日本の会社と同じように働けるようになったら、日本の会社に就職するじゃないですか。少なくとも価値は上がったんだから単価を上げるように交渉しますよね?
結局のところ、当初言われていたような劇的な節約にはつながらないわけです。それなら下手に転職されるよりも自前で現地工場でも立てて地元に貢献しつつ雇用を創出した方が喜ばれるし持続可能です。
小なりとも成果が上がった方法は、フィードバックを相手ではなくドキュメントにした場合でした。
例えば先ほどの例で言えば、テストケースは通るが意図したコードにならなかったとき。
「普通はこういう意図でコードを書くから、テストケースを通るにしても、関数は次からこう書いて」というのが、相手に対するフィードバック。
「関数を書く前に、関数の意図をコメントで残して、レビュー時にはそれを見ましょう」というプロセスの修正が、ドキュメントへのフィードバック。
こうすると、担当者が退職していなくなっても、次の担当者はその方法を参考にすれば良いわけです。
これ、何かに似てませんか。現在のAIコーディングのベストプラクティスと呼ばれるものに非常によく似ているんです。
つまり、オフショア開発というのも、設計と実装が分離できるという前提に立って動いていたんです。
そして、実装しながら設計しても問題ないとする場合、それは「技術的な問題」ではなく「組織構造」に起因します。
つまり、プロダクトの構造を分割して、オフショア開発側に設計と実装とを委譲して、実装しながら設計を変えてもらうことが許容できるのは、契約や責任分界点、輸出入の法規を含めた法務の領域です。
少なくとも当時、諸々をクリアにして相手側にプロダクトの一部を荒い設計と共に切り出して、コーディングしながら再設計してもらい、テストケースを完備したコードとドキュメントを共に完成までもっていってもらったことは、大きな成果であったはずです。
(当時日本側と仕事をしたという実績があると大きな実力があるとみなされたと聞いたので、今はより良いところで良い仕事をされていると思います)
(あと、コミュニケーションコストと輸出入の関連法規が複雑だから)
少なくとも、納期までに契約したこれを納品してください、という枠組みの中では、実装作業だけ切り出すことはできない、というのが教訓として残ったはずです。
少なくともあと数年、場合によっては10年スパンで、日本ではほとんど変わらないと予想しています。
これは技術の話ではなく組織構造や、もっと言えばお仕事の進め方と契約の話だからです。
そうは言ってもジュニアエンジニアの簡単な仕事が減って成長機会が失われているのは事実では?と思うかもしれませんが、そもそもの前提が誤っています。
未経験(弱経験)者を雇って戦力まで鍛え上げる必要があるなら、AIに仕事渡してないでそのジュニアエンジニアにやらせるべきなんです。
ジュニアエンジニアとAIと両方にOJTさせて、その違いをレビューの場でフィードバックしてジュニアを育てるわけです。
もし、そんな時間は無いというなら、元々ジュニアエンジニアをOJTで育てていたというのは幻想です。
(たまに、失敗が経験になるとして、会社に損害を与える方法でジュニアを"教育"しようとする人がいますが、商習慣的にも信義則違反ですし言語道断です)
シニアエンジニアだけで事足りるとしてジュニアエンジニアを雇わなかった企業は、シニアエンジニアが抜けてガタガタになります。
これは中核エンジニアがゴッソリやめた会社が傾くなんて言う話で、昔からそうです。(たいてい、もっと人雇ってくれ待遇上げてくれみたいな悲鳴を圧殺した結果だったりします)
昔から、中堅がやれば手早い仕事を新入社員にやらせて鍛える、その代わり質は悪いし時間もかかるしフォローも必要だったわけでしょう。
AI時代が到来するとしても全く同じです。AIが出力するコードレビューで悲鳴上げてる場合じゃないんですよ。
レビューできるシニアエンジニアが足りなくなると予想されるなら、当然、ジュニアエンジニア雇ってレビューできるようにする必要があるんです。
そしてそれは、技術的な問題点ではなく、組織的・経営的な決断です。
国産LLM開発の文脈でもそうなんですが、ハードウェアの進歩を無視して話をする方が多いのが気になります。
現時点のコンピューターパワーは、10年後には手の届く価格になる可能性が十分高く、もっと言えば20年後には個人が所有する可能性すらあります。
いまから20年前の2005年は、Youtubeが誕生した年です。その時に、誰もがいつも手元にビデオカメラを持ち、即座に動画を世界に公開できるようになるとは思っていなかった頃です。
今もそうだと思いますが、ある分野で必要な性能にはもう十分という期待値があり、10年経てばある程度大きな会社の部署単位で現在最先端のコーディングAIがローカルで動くようになると想像するのは容易です。
そうなったときに、果たして営利企業が、エンジニアを育成するというコストを支払うかといわれると、疑問です。その時点で今後のリアルなコストと比較対象可能になるので。
だって、筆耕担当者とか、清書担当者を雇わなくなった企業って、多いでしょう?
My job went toAI として、じゃあ残るものは何?というのはオーム社の本を読みましょう。再販しないかなあ。
今後数年は変わらないでしょと書いたら今現在進行形で変わっとるわいと突っ込みが来そうなんで防衛的な意味で書いておくんですが、あなたは過去数年間同じ仕事してたんすか?
仕事のやり方とか内容とか、言語とかライブラリとか、毎年のように変わってたでしょ。
レビューの比率が多くなったとか、コード書かなくなったとか、そういうの、たぶん管理職になった人が嘆いてたのと同じっすよね?
少なくとも、ジュニアエンジニアが低品質なバイブコーディング結果を寄越すようになってレビューが大変とか嘆くのなら、まともなコーディング規約一つ作れていない組織の脆弱さを嘆くのが先では?
手癖でバイブコーディングしてヒットしたプロダクトに、あとから品質上げるように大工事するリファクタリングと言うよりリビルディングな仕事って、別に今もありますよね?
散々テストケースを書かなくて良いプロダクトなんて無いという講演だけ聞きに行って、自分とこでテストケースが自動で走るようになって無いなら、そこが問題でしょ。
企業は早めに取るインセンティブある以上それをどうにかできる組織がどうにかせんといかんよね
っていう話だと思うんすけど、いかがですかね。
僕は長いこと大学に学生として過ごし、非常勤として教壇に立つ側もやっていて、その過程身につけた感覚があるのよ。
それは教育って料理を食べさせるのに似てるなって。教える側としては、バランスを考えたり、食べにくい食材はなるべく食べやすくしたり、色々工夫して"身になる"ようにしてるつもり。外で食べてくるからいらない、といわれるのはまだしも、お宅の料理食べたのと同等の効果がある魔法のサプリをくれよ紛いのことを言われるのは作り手として納得いかないもの。この例であっても、栄養をとろうとしてる姿勢はあるので、まだましな方。実際問題なのは「お宅の料理で摂取できる栄養を摂った証明をくれ」なのでなおのことたちが悪い。
まあ教員側からは学生の行動の結果しか見えないので学生が悪く見えるのは仕方ない。ただ学生の方は、就職という現代ではすっかり一大事になってしまった物を人質にとられているので、それは学問の深遠さとか悠長なことを秤にかける時間すら惜しいのであって。
この問題の一番の責任は間違いなく企業側にあるよね。でも企業は利益を追求する組織だから、そり強い誰かがなんとかせんとどうにもならんですよね。
まず、学生は未熟なもので、言ってる要求がいかにちぐはぐで無茶なものであるかわかってない人もいることを把握せんとあかんね。教育者ならそれも教える必要があるんだと思う。あとは規定通り処理すればいいだけの話じゃないかな。
なんてことを思った。
昔インターン先の先輩が「世の中にはすごい人がたくさんいてキリがないから、俺はもう高みを目指すのは諦めて自分が楽しいと思うことをするようにした」ということを言っていて
そのとき学生だった私は「かっこわるい大人だな」と思ってしまったんよね
今はそれはそれでかっこいい生き方よなと思うんだけど
でも、なんつーかどちらにせよ、「若いときの自分から見た時に、ちょっとでもかっこいいと思ってもらえそうな生き方(考え方)」をしたいなとは思うのよな
で、そのためだったら、劣等感を抱えて生きるのもありだと思うんよ
劣等感を抱えてかっこ悪い大人もめっちゃいるけど、劣等感を抱えてかっこよく生きる大人もいると思わん?
「自分の生き方はちょっとでもかっこいいか」という視点を挟むことによって、「劣等感」一つとっても肯定できるような生き方を見つけられるようになると思うんよな
JICA は外務省所管の独立行政法人で、主にODA(政府開発援助)を担い、2025 年度予算は約 1 兆 5,122 億円規模。表向きは発展途上国支援(インフラ整備、人材育成)だが、移民利権の文脈では「アフリカ・ホームタウン計画」(2024 年開始)が焦点。TICAD9(アフリカ開発会議)で発表され、日本国内の自治体(木更津市、長井市、三条市、今治市)をアフリカ 4 カ国(ナイジェリア、タンザニア、ガーナ、セネガル)の「ホームタウン」に認定。目的は「地方創生とアフリカ開発の相互学習」だが、SNS で「実質移民受け入れ促進」と誤情報が拡散し、#JICA解体がトレンド入り、デモが発生。ナイジェリア政府の当初声明(「特別ビザ創設」)が訂正されたものの、JICA の説明曖昧さ(インターンシップ中心か、家族帯同・定住化含むか不明)が批判を招いている。実際の移民関連は、技能実習生管理や特定技能制度拡大(2024 年 14 業種追加)と連動し、失踪者 8 万人超の管理不備が人権・治安問題を生む。
この利権はODA予算の「タイド援助」(日本企業優先調達)で成り立ち、年間約 1.5 兆円が商社・ゼネコンに流れ、政治家・官僚の献金・天下りで還流。移民面では、経団連の賃金抑制目的の労働力確保と重なり、グローバル機関(国連 IOM、WEF)の圧力で推進。税金無駄遣い(年間 5 兆円規模推定)は、国内教育・医療放置の象徴とされる。
主に外務省ルートで移民・ODA 推進。石破政権の「レガシー作り」として批判。以下テーブル。
| 政治家名 | 所属・役職 | 関与内容 |
| ------------ | ------------------------ | ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
| **林芳正** | 自民党、元外相・官房長官 | JICAホームタウンで「移民促進否定」会見も、ビル・ゲイツ来日時にJICA理事長・武見氏と記念撮影。満州DS疑惑で移民推進の黒幕と X で非難。 |
| **武見敬三** | 自民党参院議員、元厚労相 | JICA 関連イベント参加、ワクチン利権(DS)と移民を「国際マネロン組織」の一環と批判。参院選落選推奨リスト入り。 |
| **岩屋毅** | 自民党、元防衛相・外相 | ODA・JICA予算増額推進。更迭要求の Xポスト多し(「移民政策の責任者」)。 |
| **石破茂** | 自民党総裁・首相 | ホームタウン計画の政治的後押し。売国政策の象徴としてJICA解体論で名指し。 |
| **村井嘉浩** | 宮城県知事、CLAIR会長 | JICA連携で外国人受け入れ推進。土葬・水道事業批判、企業献金疑い。 |
JICA は外務省OB の「優良天下り先」(3J:JICA、JETRO、JBIC)。理事長・理事・部長級を独占、年収 1,300 万円超・個室厚遇。退職公務員状況公表(JICA公式)でも、国際交流基金にOB参与 2 名。実態:政策立案外注(価値総合研究所)で影響力、責任回避。例:豊洲工事でゼネコンに17 人天下り。移民関連では技能実習管理の腐敗(監理団体癒着)、失踪者追跡不能を助長。解体論の根拠:国民メリットなし、税金バラマキ(2025 年アフリカ支援 810 億円追加)。
竹中平蔵(パソナグループ会長、慶應SFC竹中平蔵研究所所長)はJICA と**直接絡んでいる**。研究所がJICA と連携(アフリカ計画含む人材育成)、パソナが技能実習・特定技能で外国人派遣独占(仲介手数料巨額)。国家戦略特区で移民政策決定に関与、利益相反(審議会委員 →パソナ受注)。移民受け入れ主張(「高度人材は仕事奪わず」)で経団連と連動、賃金抑制・市場支配の黒幕と批判。YouTube暴露動画でも「ホームタウン真相」として名指し。
アイドル業界ドキュメンタリー映画。伝説的なアヴァンギャルドアイドルグループ「BiS」の第二期オーディションの様子と、そこから落選したメンバーで結成されたBiSの公式ライバルグループである「SiS」というグループのメンバーと関係者の顛末を描く。
面白かった。89点くらい。
もちろん映画としてお出しされており、さらに「アイドル業界」という何でもありの界隈から出てきた作品である以上、個々の映っていることのどこまでが「リアル」でどこからが「やらせ」かは不明ではあるのだが、ドキュメンタリー映画のジャンルの中でも珍しい「撮れちゃった」系の作品である。
姉妹作としてBiS側のドキュメンタリー映画として「劇場版BiS誕生の詩」が存在しているがこちらはいたって正常な異常なアイドルオーディションからデビューまでを描いた作品になっている。
BiSオーディション内で仕掛けられた様々な目を覆いたくなるような、フェミニストが憤死してそのまま灰になり朝焼けに溶けていくような企画の話はいったん置いておいておく。これはBiS誕生の詩と内容がほぼ同じなので。
簡単に言えばオーディション参加者とハメ撮りビデオ撮りたいAV監督にオーディション参加者が逆ドッキリしかける感じの企画である。これだけでうわああああって感じになる人も多いかもしれないけど、まぁ8年前の話だからね。
この作品の主役はアイドルたちではなく周囲を取り巻く大人たちである。
1人はBiS、BiSHなどの売れっ子アイドルをプロデュースしてきた渡辺淳之介。
1人は彼の大学時代からの友人で彼に誘われて同時期にアイドル業界に入った清水大充。
清水氏は渡辺氏がプロデュースするBiS二期の担当マネージャーであり、SiSのプロデューサーに就任する。
SiSのデビューに向けて準備を進めるも、元々抱えていた業務に忙殺されてSiSにリソースを割けない日々が続く。衣装も用意できなければ歌割りも決まらない。オリ曲も用意できずにライバルグループのプロデューサーである渡辺氏が気を使って用意してくれる始末。
そうしてなんとかかんとかデビューライブにこぎつけた前日。清水氏の過去の重大な背信行為が大きく発覚し、渡辺氏から清水がプロデュースしたというだけでもうSiSというユニットは続けられないと告げられてしまう。この背信行為が何なのかは結局作中では語られないが、その後、彼は全アイドルのマネジメントから外されていることからも、大まかな想像はつく。
しかし彼は周囲のコアな仲間にはそれを話すがSiSメンバーにはそれを告げずデビューライブを決行。
フサフサの頭で謝罪する清水氏に対して、彼を信じた俺が間違っていたと頭を丸めて登場する渡辺氏。
インタビューで「デビューライブやったことだけは俺がやったことで唯一の正解だった」と語る清水氏に対して、渡辺氏との食事会で「黙ってあれやったのだけは理解できない。頭おかしい」と語るSiSのメンバーとそれに同意する渡辺氏。
解散したSiSのメンバーを「他にやってあげられることはない」と自分がプロデュースする別グループに編入することを決める渡辺氏に対して、メンバーが結局渡辺氏を取ったことに「渡辺のところに行くのだけは絶対にないじゃん。勝手にやってろよ、ぜってぇ売れねぇよ」と罵倒し悔し涙を流す清水氏(頭を丸めている)。
元SiSのメンバーが「SiSを通じて渡辺さんと仕事ができるんじゃないかと思っていた」と語られるショットなども途中で入り、元々渡辺淳之介プロデュースのBiSのオーディション参加勢であるというところを考慮しても残酷な現実が見せつけられる。
そもそもこのSiSのプロデューサー就任もおそらく「同期の渡辺が有名プロデューサーとしてブイブイいわせている」ことに対する嫉妬の念もあったんだろうなぁと考えると非常に胸が痛い。彼が最も後悔している瞬間に「SiSやりますって言ってしまったこと」と語っていたのも、おそらくそういうことだと思う。
GANG PARADEに移籍した3人がライブ会場の階段で清水氏と再会するシーンがある。おどおどと敬語で活躍を祝う清水氏に対してメンバーの一人が「全然よくはないけど、結果的にこうなったのはよかったのかなと思ってる」と語る。こうなったのは、というのは憧れの渡辺氏のプロデュース下でアイドル活動できていることということだろうから、なかなかクリティカルな一言でぶっとんでしまった。
才能にあこがれて無鉄砲に飛び出して才能に焼かれて墜落した、イカロスみたいな話だなぁと思ってしみじみとしてしまった。
俺はこの映画の特にこの二人の対比がすげーよくてそこを中心に感想を書いたけど、このドキュメンタリーには山下百恵というレコード会社のインターン生が「アイドル業界のちょっと外から」オーディションから解散までの騒動を眺めるフレッシュな視線が盛り込まれていたり、この映画の監督がオーディション生を好きになっちゃって落選後にホテルでイメージビデオ取らせてと頼むも、彼女はオーディション同行していたAV監督とホテルに行っちゃってしょんぼりしてその辺の公園で飲んでたギャル2人のインタビュー動画を撮ったり(キモい)とか、当然前半のイカレオーディションパートも面白いし多面的な楽しみ方ができる作品になっている。
アイドル系のドキュメンタリーは結構見たけどその中でも「そのアイドルを知らなくても楽しめる」出色の出来だと思う。
JICA は外務省所管の独立行政法人で、主にODA(政府開発援助)を担い、2025 年度予算は約 1 兆 5,122 億円規模。表向きは発展途上国支援(インフラ整備、人材育成)だが、移民利権の文脈では「アフリカ・ホームタウン計画」(2024 年開始)が焦点。TICAD9(アフリカ開発会議)で発表され、日本国内の自治体(木更津市、長井市、三条市、今治市)をアフリカ 4 カ国(ナイジェリア、タンザニア、ガーナ、セネガル)の「ホームタウン」に認定。目的は「地方創生とアフリカ開発の相互学習」だが、SNS で「実質移民受け入れ促進」と誤情報が拡散し、#JICA解体がトレンド入り、デモが発生。ナイジェリア政府の当初声明(「特別ビザ創設」)が訂正されたものの、JICA の説明曖昧さ(インターンシップ中心か、家族帯同・定住化含むか不明)が批判を招いている。実際の移民関連は、技能実習生管理や特定技能制度拡大(2024 年 14 業種追加)と連動し、失踪者 8 万人超の管理不備が人権・治安問題を生む。
この利権はODA予算の「タイド援助」(日本企業優先調達)で成り立ち、年間約 1.5 兆円が商社・ゼネコンに流れ、政治家・官僚の献金・天下りで還流。移民面では、経団連の賃金抑制目的の労働力確保と重なり、グローバル機関(国連 IOM、WEF)の圧力で推進。税金無駄遣い(年間 5 兆円規模推定)は、国内教育・医療放置の象徴とされる。
主に外務省ルートで移民・ODA 推進。石破政権の「レガシー作り」として批判。以下テーブル。
| 政治家名 | 所属・役職 | 関与内容 |
| ------------ | ------------------------ | ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
| **林芳正** | 自民党、元外相・官房長官 | JICAホームタウンで「移民促進否定」会見も、ビル・ゲイツ来日時にJICA理事長・武見氏と記念撮影。満州DS疑惑で移民推進の黒幕と X で非難。 |
| **武見敬三** | 自民党参院議員、元厚労相 | JICA 関連イベント参加、ワクチン利権(DS)と移民を「国際マネロン組織」の一環と批判。参院選落選推奨リスト入り。 |
| **岩屋毅** | 自民党、元防衛相・外相 | ODA・JICA予算増額推進。更迭要求の Xポスト多し(「移民政策の責任者」)。 |
| **石破茂** | 自民党総裁・首相 | ホームタウン計画の政治的後押し。売国政策の象徴としてJICA解体論で名指し。 |
| **村井嘉浩** | 宮城県知事、CLAIR会長 | JICA連携で外国人受け入れ推進。土葬・水道事業批判、企業献金疑い。 |
JICA は外務省OB の「優良天下り先」(3J:JICA、JETRO、JBIC)。理事長・理事・部長級を独占、年収 1,300 万円超・個室厚遇。退職公務員状況公表(JICA公式)でも、国際交流基金にOB参与 2 名。実態:政策立案外注(価値総合研究所)で影響力、責任回避。例:豊洲工事でゼネコンに17 人天下り。移民関連では技能実習管理の腐敗(監理団体癒着)、失踪者追跡不能を助長。解体論の根拠:国民メリットなし、税金バラマキ(2025 年アフリカ支援 810 億円追加)。
竹中平蔵(パソナグループ会長、慶應SFC竹中平蔵研究所所長)はJICA と**直接絡んでいる**。研究所がJICA と連携(アフリカ計画含む人材育成)、パソナが技能実習・特定技能で外国人派遣独占(仲介手数料巨額)。国家戦略特区で移民政策決定に関与、利益相反(審議会委員 →パソナ受注)。移民受け入れ主張(「高度人材は仕事奪わず」)で経団連と連動、賃金抑制・市場支配の黒幕と批判。YouTube暴露動画でも「ホームタウン真相」として名指し。
タイトルの通り。
自民党に入りたいと思う人はめちゃくちゃ多く、実際の入党は思っているよりも狭き門だ。
規約や申込書は公開されているが、内部事情はなかなか外からは見えない。SNSや記事から断片的に推測するしかないのが現実だ。
私自身も最初に応募したときは情報不足で、何もわからないまま提出して落ちた。
そこで、自民党に入れなかった立場から、当時知っておきたかったことをまとめておく。
もちろんこれは自己満足で書いているだけで、参考にしてうまくいかなくても責任は取れない。最終的には自分で判断してほしい。
【経歴】
どういう人間が言っているかで信憑性は変わると思うので、経歴を簡単に。
私は地方出身で、大学時代から政治に関心を持っていた。授業やゼミで議論をしたり、学生団体で政策提言ごっこをしていた。
新卒で応募したが、特に後ろ盾もなく書類だけであっさり落ちた。
その後は地方議員の事務所で手伝いをしたり、市民活動団体で政策提案をしたりして経験を積んだ。
街頭演説の裏方やポスター貼りを何度もやったが、結局「推薦人がいない」という理由で門前払いをくらったこともある。
今は小さな地域政党に関わり、多少の実務経験は積めたが、全国区の自民党に最初から入れる人との差を痛感している。
自民党は「地域政党」としての側面が強い。履歴書や思想よりも「誰の紹介で来たか」が圧倒的に重視される。
地元の議員事務所でインターンやボランティアをするのが最短ルートだ。推薦人が現職議員なら入党はかなり通りやすい。
「政治に関心があります」だけでは相手にされない。地域行事の手伝い、選挙のポスター貼り、ビラ配り、街頭活動──泥臭い経験が評価される。
SNSで政策語りをするよりも、実際にどれだけ動いたかが見られる。
自民党は大きな組織なので、右から左まで幅広い人がいる。自分の意見を言う前に「その場の空気に合わせられるか」が大事。
極端な主張や独自路線をアピールすると浮くだけで、最初から弾かれる。
4.推薦人の有無が最大の壁
入党申込書には「紹介者」の欄がある。ここに現職議員や党関係者の名前がなければ、ほぼ通らない。
私もここで何度も落ちた。結局は「誰を味方につけられるか」に尽きる。
自民党に入れば選挙は日常。お金も時間もかかる。ボランティア感覚では務まらない。
「自腹を切れるか」「地元企業から寄付を集められるか」まで見られるので、その覚悟は必須だ。
政治の世界では「素の自分」より「キャラ」が重要。地元の人から見て“頼れる兄貴”“優しい姉御”“地道に働く若手”など、わかりやすいキャラが必要だ。
「本当の私は違う」と言い出す人はすぐに埋もれる。
7.党内でのポジションを考える
【結論】
正直、私は最初の応募時点では全然足りていなかった。推薦人もなく、実績も曖昧で、「政治に関心があります」としか言えなかった。
実際に入っている人は、人脈・お金・実績・運が揃っている。最初から完成していた。
「自民党を諦める」か「地域活動や他党で実績を積んで再挑戦する」か。
私は「入れなかったこと」を悪いとは思っていない。倍率が高すぎる以上、落ちるのは普通だし、別のルートを探すのも才能だ。
それでも諦められないなら、地元活動を何百時間も積み、人脈を広げ、資金を集め、推薦人を確保する覚悟を整えて再挑戦するしかない。
そして一度潜り込めば、その後は「経験者枠」として見てもらえる
子孫が今いる説
なるほど、膝を打つ部分もある
Y染色体は男から男にしか遺伝せずX染色体よりはるかに小さい情報量しかないから、XXより劣るXYが増えて今ココ日本なわけですね
実際、東大出官僚で自分を頭がいいと思ってる男と話して頭がいいと思ったことがない
スイスから東大院にきた20代男性とインド工科大学を出て日本へインターンにきた20代男性と話したとき
恐ろしく頭がいい、会話が通じる、人文系も理解できる、自分の考えを伝わるよう説明できる!これが知性!と驚いた
それなりの学歴と環境で生きてきたが、日本人男性はそのレベルの欠片にも達したことがない
わたしは1浪で入学した首都圏の医学部に通い、いま6年生になる。
あと半年で卒業するけど、医学部はわたしにはつくづく合わない環境だったなと思う。
医学部に入って低学年の時から、周りの人たちがみな「見えない枠を外れないように様子をうかがっている」ように見えていた。あたりさわりのない会話をして、うわべでは人のよさそうな笑顔を張り付けながら、仲良しグループではどぎつい悪口を言っていたりする。
そういう雰囲気が嫌だったので、人とあまりつるまなかったら、1年生のうちにあっという間に孤立した。そして、今もとうとう孤立したまま、医学部を卒業することになりそうだ。
わたしは哲学とか、医療や日本の社会がどうなるのかとかそういう話に興味があったけど、そんな話ができる人はほとんどいなかった。「意識高い系だね」と、鼻で笑われた。
みんな、誰が付き合ったとか別れたとか結婚秒読みだとか、だれが試験に受かったとか落ちたとかそんな話ばかり。
「医者は社会を知らない」と言われるのも、無理はないと思った。
世界が狭くなるのが嫌で、わたしは自分の居場所は学外に持とうと思った。
ボランティアやインターンに参加して医学部生以外のいろいろな人とかかわったことで、自分のいる世界が特殊なんだと分かって救われた。
その時出会った人たちは、自分の人生を自分で切り開こうとしている人たちばかりで、自分の視野も広がった。
高学年になってくると、医学知識を必死に詰め込んできた人たちの中で、能力至上主義・知識偏重主義的な雰囲気が色濃く立ち込めるようになった。
成績の良くない再試験常連の人や、口頭試問にスムーズに答えられない人を笑いものにしたり、なんなら明らかに見下していたりする人も多かった。
論理的によくわからないもの、あいまいなもの、すぐに役に立たないものは「無意味」としてそぎ落とされていった。論理的に説明できる医学知識がすべてだと言わんばかりに。
講義の時も、試験に出る話の時は必死にメモをとるのに、先生のキャリアの話や雑談になったとたんに態度が悪くなる人、「あいつ話長いんだよ、国家試験の勉強させろよ」と悪態をつく人の多いこと。名門高校出身で、成績も優秀、挫折せずに現役で医学部に入っている人のほうがこういうことを言う人が多かったような気がする。
勉強熱心なのは良いことだと思うけれど、知識や能力がすべてを測るものさしになってしまうと、人間的に大事なものがどんどん零れ落ちていくのではないだろうか。
「周りの人の動向から外れないこと」がモットーの多数派医学生たちの間では、こうした風潮に大勢の人があっという間に飲み込まれていった。
たとえば実習の最初、その科でお世話になる先生に挨拶するときに、出身高校まで発表させられること。
もう全員高校卒業して少なくとも5年は経つのに、まだ高校の話するの…?と正直違和感を隠せなかった。
首都圏の名門中高一貫校出身の人には先生たちもひとしきり絡む。もはや、「子供を中学受験させてその学校に入れたいけどどんな勉強した?」とかまで聞く。いやそれいま聞く必要ある?
わたしはそこまで知名度の高くない高校出身だったので、毎度微妙な反応をされて特につっこまれることもなく、虚無な時間をやり過ごした。
エリート選民思想が蔓延する空気の中で、どうにか息がしやすい場所を探しながら過ごした6年間は本当に息苦しかった。
医師国家試験の受験資格を得るためだけに、心を無にしてなんとか毎日学校に通った。
周りの人たちは、大学受験期と同じように、より知名度やレベルが高い病院、都会の病院を探し求めて就職が決まろうとしている。「成長という幻想」にとらわれているように見える。
わたしは東京出身だが、自分の意思で、あえてゆかりのない地域の、ほとんど誰も知らないけど、独特な取り組みをしていて面白そうな、自分の肌に合いそうな病院に就職することに決めた。
わたしは1浪で入学した首都圏の医学部に通い、いま6年生になる。
あと半年で卒業するけど、医学部はわたしにはつくづく合わない環境だったなと思う。
医学部に入って低学年の時から、周りの人たちがみな「見えない枠を外れないように様子をうかがっている」ように見えていた。あたりさわりのない会話をして、うわべでは人のよさそうな笑顔を張り付けながら、仲良しグループではどぎつい悪口を言っていたりする。
そういう雰囲気が嫌だったので、人とあまりつるまなかったら、1年生のうちにあっという間に孤立した。そして、今もとうとう孤立したまま、医学部を卒業することになりそうだ。
わたしは哲学とか、医療や日本の社会がどうなるのかとかそういう話に興味があったけど、そんな話ができる人はほとんどいなかった。「意識高い系だね」と、鼻で笑われた。
みんな、誰が付き合ったとか別れたとか結婚秒読みだとか、だれが試験に受かったとか落ちたとかそんな話ばかり。
「医者は社会を知らない」と言われるのも、無理はないと思った。
世界が狭くなるのが嫌で、わたしは自分の居場所は学外に持とうと思った。
ボランティアやインターンに参加して医学部生以外のいろいろな人とかかわったことで、自分のいる世界が特殊なんだと分かって救われた。
その時出会った人たちは、自分の人生を自分で切り開こうとしている人たちばかりで、自分の視野も広がった。
高学年になってくると、医学知識を必死に詰め込んできた人たちの中で、能力至上主義・知識偏重主義的な雰囲気が色濃く立ち込めるようになった。
成績の良くない再試験常連の人や、口頭試問にスムーズに答えられない人を笑いものにしたり、なんなら明らかに見下していたりする人も多かった。
論理的によくわからないもの、あいまいなもの、すぐに役に立たないものは「無意味」としてそぎ落とされていった。論理的に説明できる医学知識がすべてだと言わんばかりに。
講義の時も、試験に出る話の時は必死にメモをとるのに、先生のキャリアの話や雑談になったとたんに態度が悪くなる人、「あいつ話長いんだよ、国家試験の勉強させろよ」と悪態をつく人の多いこと。名門高校出身で、成績も優秀、挫折せずに現役で医学部に入っている人のほうがこういうことを言う人が多かったような気がする。
勉強熱心なのは良いことだと思うけれど、知識や能力がすべてを測るものさしになってしまうと、人間的に大事なものがどんどん零れ落ちていくのではないだろうか。
「周りの人の動向から外れないこと」がモットーの多数派医学生たちの間では、こうした風潮に大勢の人があっという間に飲み込まれていった。
たとえば実習の最初、その科でお世話になる先生に挨拶するときに、出身高校まで発表させられること。
もう全員高校卒業して少なくとも5年は経つのに、まだ高校の話するの…?と正直違和感を隠せなかった。
首都圏の名門中高一貫校出身の人には先生たちもひとしきり絡む。もはや、「子供を中学受験させてその学校に入れたいけどどんな勉強した?」とかまで聞く。いやそれいま聞く必要ある?
わたしはそこまで知名度の高くない高校出身だったので、毎度微妙な反応をされて特につっこまれることもなく、虚無な時間をやり過ごした。
エリート選民思想が蔓延する空気の中で、どうにか息がしやすい場所を探しながら過ごした6年間は本当に息苦しかった。
医師国家試験の受験資格を得るためだけに、心を無にしてなんとか毎日学校に通った。
周りの人たちは、大学受験期と同じように、より知名度やレベルが高い病院、都会の病院を探し求めて就職が決まろうとしている。「成長という幻想」にとらわれているように見える。
わたしは東京出身だが、自分の意思で、あえてゆかりのない地域の、ほとんど誰も知らないけど、独特な取り組みをしていて面白そうな、自分の肌に合いそうな病院に就職することに決めた。
そこで成果出してるのが一番いい
今は27卒の就活真っ只中のシーズンで、本当に早い人は内定を貰っていると思う。
大学院に進学して、4月から狂ったように就活サイトに登録し、自己分析・説明会参加・インターンの調査…そして何より将来の不安を抱えてスタートを切る。理系でこれだから文系はもっと大変なのだろうか?
普通の大学生であれば、同時に研究も進めなければならない(D進をするすごい人達は置いておいて)、m1の最後あたりで国際会議を目指すとなると、夏にはそれなりの成果が出ていないとダメだし、まとまっている必要がある。
就活の早期化によって、実質的な最初の選考は夏インターンとなり、その時点で面接や自己分析がしっかりできていないと、これがまた通りにくい。
そして、ガクチカ。これが厄介で、ボランティアやサークル活動なんかではあまりインパクトがないため、インターンや大学外の活動(バイト以外)が必要となってくる。オーナーシップを発揮した機会だとか、どんなスキルを身につけたのだとか。
つまり、就職のために夏インターンに参加する必要があり、その選考のためのガクチカ、のためのインターンに参加する必要がある。このインターンに参加するためには…
どこからが就活なんだろうか、性格や経歴も大事だし、バックグラウンドとして海外に住んでたとしたら、それもアドバンテージだ。さらには、学歴フィルターも少なからずあるはずだ。これらを得るためには、何が必要?語学スキル?コミュニケーションスキル?生まれつきの能力?環境?
ただ、内容によって今後の人生が左右される以上、とりあえず職を得るでは不十分で、自分に合った職(好きでは良くない気がしている)にたどり着くことが本当の目標になる。
自分の就活の結果は、自分の専門の研究内容とほぼ関係ないところになった。研究活動を通して得たものはサーベイの仕方や発表スキルなど色々あるが、専門で学んだ内容はあまり活かされないのかもしれない。それでも、自分がやりたいと感じたこと、得意だと感じていること、またその会社の文化を、見て・聞いて・触れて、選んだ。だから、全く不満は無いし、働くのがとても楽しみである。ただ、ここまでやってきた研究活動や学会発表、論文投稿で得た専門の知識はなんだったのだろうか、と思ってしまう自分もいる。
まだ自分は若造なので、もしかしたら歳食って振り返ってみたら色々と役立つところがあるのかもしれない。それだけなのだが、今までの研究活動での専門性はなんだったのだろう…と最近考えてしまう。寝るか。