
はてなキーワード:アメコミとは
「アンパンマン」が「マーベル」より売上が高いというのは事実です。その理由は市場規模の違いや、売上の源泉がグッズを中心とした“キャラクタービジネス”によるものだからです。
世界キャラクタービジネスの総売上ランキング
キャラクター名 累計売上(ドル) 世界順位 主な売上源 ポケモン 約921億 1位 グッズ、ゲーム、カード ハローキティ 約800億 2位 グッズ アンパンマン 約602〜660億 6位 グッズ、飲食、テーマ施設 マーベル 約291億 11位 映画、グッズ、コミック なぜアンパンマンがこれだけ大きいのか
つまり、アンパンマンの“キャラクタービジネス”は商品の種類と浸透率の圧倒的多さと、乳幼児マーケットに特化した“毎日消費される商品”への展開力によって、マーベルの映画・グッズビジネスを上回る市場規模を実現しています。
ホンマかいなこれ
完全に的外してて草w
IMAXの画面専用に作られてないからIMAXを不当に占拠してるかのような枝葉のイチャモン&ケチつけてるだけw
画面比がどうのとか額縁がどうのとか技術論っぽいウンチクでコーティングしてるが自分が気に食わない内容の作品が映画館で人気なのがムカツイてるという自分の感情を押し通したいがためのエセ理論武装なのが見え見えw
最後に”「一番売れているもの」が、少なくとも「自分にとって一番いいもの」とは限らない” とか誰でも知ってる当たり前のことをあらたまって表明する時点で終わってんのよw
結局お気持ちで〆るなら途中で技術論とか臭えことやってんなよw
IMAXにあわせて画面作りした映画がIMAXにふさわしい映画だと錯覚してるかもしれんが単に画面に合わせて表面上の画作りしてるだけで映画の中身がしょうもなかったら意味ねーだろうがよw
直近でも宇多丸とかいう人のいうようなIMAXにバッチバチに合わせて作られた「画」の某アメコミ映画が肝心の中身がスッカスカでお得意のはずのVFXもダルい有様の駄作で失敗したばかりだろうがw
画面がデカくて音がいいだけで一段階上のクオリティになるんだからIMAX専用とか額縁がとかシケたウンチクのことなんか一切考慮しなくても「いい映画がよりいい画になる」だけで
逆を言えばつまんねー映画がIMAXにどんだけ合わせて作られても「つまんねー映画はつまんねー」だけだろうがよぉ!
んで答え合わせだがハリウッド映画が低調なこの時期に世界中のIMAX劇場の救世主になってんだわ鬼滅がw
韓国なんか動員数3位なのにIMAX、4DXの比率が高すぎて興収は1位だぞw
みんながIMAXで見たくてみんながIMAXで感動してみんながIMAXで何度も見てるわけw
これが「ふさわしい作品」でなくてなんなんだよ?
たとえばtwitterがイーロンマスクに乗っ取られて代替サービスが盛り上がってるときに
アメリカはblueskyだったりthreadsを作るんだけど
じゃあTwitter最大利用者の日本人は何を作るかとおもったらMisskeyなんだよね
ぜひトップ画面だけでも見てほしい
世界で使ってもらおうっていう意識が希薄、いや世界どころか国内のさらに特定の層に向けてる
日本のサイトデザインって、お風呂には入りません、髪の毛セットしません、でもそんな俺を愛せ!みたいなオタクのわがままみたいな感じだよね
ニコニコ動画もそうで、世界に開かれていなくて他者不在って感じ
くっせー
これサブディレクトリわけわかんねーってうちの会社でクッソ評判悪いんだけど
それとは別の問題で、開発者の趣味とかの自我出してて「臭い」んだよね
https://ja.wikipedia.org/wiki/TOMOYO_Linux
にも同じことを感じてたな
“開発者の1人である半田哲夫がこよなく愛するカードキャプターさくらの登場キャラから拝借したものであることのほうが今や良く知られている。”
くっせー
実はイーロンマスクにもそれを感じている。
そしてイーロンは大の日本びいきでオタクでアニオタなんだよねぇ
日本の気質がアメリカのナードと共鳴してしまったのは複雑な心境だw
そんなイーロンマスクは僕の考えた最強のXにしようとして出会い系にしたいらしいw
くっせー
なんでこうなったのかって
50代くらいのIT技術者は、学校で居場所がないような陰キャ連中が多いんだよね
逃げ場所としてパソコンやネットにハマって、その流れでIT技術者になったパターンが多い
「僕の世代とか上の世代は、アニメが好きだからアニメオタクになったけど、下の世代はアニメを見るくらいしか趣味がない人がアニメオタクを名乗ってる」
みたいなニュアンスのことを言っていたんだけど、この話はITにも言える
ITをおもしろいと思ってIT技術者をやってるというよりも、ネット見るかゲームするかしかやることがない陰キャどもが、ほかに得意なことがないからパソコン使う仕事してますって感じ
生き物として弱いんだよね
思うのは、興味がないやつに強制的に知識を提供する事がいかに大事かって事
興味があることを伸ばしましょうみたいなのも大事だけど、興味がなくてもとりあえずやれも大事だよな
普通の人にITを教えて、臭くて弱い人だらけにならないようにするために公教育はある
同質化を防ぐために学校でIT教育をするというのはかなりいいと思う
上でも言ったけど、今までのITはとくに50代くらいのひろゆき世代の日本のIT人材は陰キャの残飯処理部門だから
GIGAスクールで、いわゆる文系も理系も体育会系も情報を学ぶことになる。
この辺でいろんなタイプの人がITを知って「IT面白いじゃん」となってIT業界に進むようになったら、日本のITは多少はまともになると思う
医学部に行ったけどプログラミングできます、小説家だけどプログラミングできます、サッカー選手だけどプログラミングできます
そうなったら強いし、なにより臭くない
簡単にいうと2chがそうで、日本のネット全体がアングラのような感じだった
ゲーム情報サイトでもはちまやjinみたいな臭いサイトしかなくて地獄だった
それがスマホの登場でガラケーにいた陽キャ界隈とPC陰キャ界隈が混ざり合い始めて
ようやく日本が2ch的なアングラ世界から脱出できたと思ってる
そんなアングラ時代を代表する臭い代表のwinny()なんかを持ち上げてたりするし
winnyの作者を逮捕したかた日本のITは遅れたんだとかわけのわからないことを言い出す
GAFA生まれないのはwinnyつぶしたからだっていうのはまじで草
ん〜
あと、
全部が売れるように売れるように漫画原作の良いところをボキボキ折っていったら、不格好で魅力のない作品しか出来なくなるよね?
君の言うように、確かに既存のフォーマットを使った、何度目?という凡百アニメはたくさんあると思う
でも原作の良さをすくい上げてアニメにしてるからある程度配信で見られてペイ出来てるところもある
アニメがこれほど多く作られるようになったのも、当てようとして色々力を入れるあなたの方向と、手数を増やして当たる確率を増やそうという私の考えの先にある動きがあって、
質が良くなった(鬼滅)のがあなたの方向
数が多くなったのが私の方向だと思う
しかし当てようと思って当てられるものではない(怪獣8号)し、当てようとして当たったけど、その過程で原作の良い部分かも知れなかったところを削るようなことが行われていた(ぼっち)しそれ以外のアニメでも裏では色々と同じようになっていると思う
資本主義の弊害で大規模でやろうとするとそういう意見の集約、マス層に向けた最大化の作業(上に上げたようなもの)をしなくちゃならなくなるんだけど
それは海外のアメコミ等の制作に近くて、海外の人は"作品の中で"多様性を実現しようとされて辟易して、日本のアニメは多様性があって良い!と人気になっている、と考えているよ
アメコミもリトル・マーメイドも白雪姫もポリコレ爆死してるからな。ポリコレは事実としてつまんない。だからポリコレは嫌われてるし、好き勝手やってる日本のアニメにはポリコレに染まらないでほしいって思われてるんやろ
ビキニアーマーって聞いて、どこかバカっぽいエロ装備だと思ってるやつ、まずは歴史の深みを舐めるなと言いたい。あれ、実は1930年代のアメリカのパルプ・マガジン――SFやファンタジーの雑誌の表紙に最初の金属ブラジャーが現れたあたりから始まってる。女性戦士の象徴として、剣と盾を持ったビキニ姿の美女が「異世界の強さと色気」を全力でアピってたわけだ。
そもそもビキニそのものの命名は1946年に水着として誕生した後なんだが、それ以前から露出度高めのツーピース鎧はイラストで描かれてたらしい。レッドソニアなんてアメリカン・コミックの女戦士は、1973年初めて登場した時は普通にチェーンメイル姿だったけど、すぐ翌年にはスケイルアーマー型ビキニになって伝説化。
実際の歴史には半裸で戦う女戦士はほぼいなかった(残念)。でも古代ローマにはビキニパンツだけで戦う女剣闘士像まで残っていて、そっちの方がリアル感あるってのもポイント高い。そこから時代を経て、1970~80年代のファンタジー、アメコミ、そして日本のゲーム「ドラクエ3女戦士」や「幻夢戦記レダ」なんかで完全に“色気と強さ”の象徴として定着した。
要するに、ビキニアーマーは「女戦士最強」のアイコンとして、時代ごとに進化してきた。実用性?そんなもん、ファンタジーに野暮な話。露出と非現実が混ざりあった世界――それが、ビキニアーマーの歴史の真髄なんだよ。
元ヒーロー戦隊のレッドはアル中で日雇い生活。ある日グリーンが死んだことを知り、俺たちも死ねるんだと他の戦隊メンバーへの贖罪(殺害)する旅に出るって話なんだけどさぁ!
監督本人が「ウォッチメンが好きでそういう映画日本にはないよね~ってところから始まった」的なこと言ってるから、そこをつついてもしょうがないんだけど、ぶっちゃけ感想としては何年遅れのウォッチメンやってんだよって感じ。イカ怪人出てきたところで逆に笑っちゃったわ。
しかもウォッチメンの後にはザ・ボーイズもやってるわけだしさ。
はいはい、ヒーローとして持ち上げられてる奴らの中にも人間性が未熟な奴らもそりゃいるよね。っていつの話しとるんや。
アメリカ作品と違って見るべき点があるとすれば、日本のヒーローってめっちゃ若い20そこそこの若造がなることが多いけど、じゃあそいつらが訓練を受けてるとしたら幼少期~少年期だよね。少年期のガキなんて尊大で傲慢だろうし、性欲猿だろうし思春期だろうし感情のコントロールもできないよね。
そんな奴らがヒーローパワー持ってるの怖くない?っていう日本特有の(まぁアメコミとかでもスパイディとかは若いけど)ヒーロー事情を汲んだ脚本になってること。まぁ怪人と戦ってる時に仲間同士で揉めて仲間(ブルー)に大けがを負わせて、ピンクをレイプするってそんなわけないやろ強引すぎんかって感じだけど。
結局「精神性が未熟なヒーローって怖くない?」「ヒーローのその後が落ちぶれてたら面白くない?」っていう、ウォッチメンの何番煎じorヒーローオタクが何億回妄想した同人誌だよって感じの作品で、これを今更映像化する意味って何なんだろうなって感じだった。
実はどんな無限でももはや集合という枠組みで定義不可能な「クラス」のほうがある意味大きな概念とも言える。
数学の概念を使った方が効率よく強いものを表現できると感じられているのかアメコミではヒルベルト空間とかが設定に出てくるし。
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アバター、アメコミ、スターウォーズ……とCG盛り盛りのアニメみたいな映画ばかりなのよね。もちろんディズニーアニメも強い。
つまりアニメーション的な意味での凄い映像が好まれるのは全世界的傾向であって、日本では予算か技術か文化によってかは知らないが実写+CGではなく手描きアニメによってそれを実現しているというだけのことだと思う。
人々が映画に求めるものって、まずド派手な映像や美しく魅力的なキャラクターであるわけだから、絵として作り込めるCGやアニメの方が有利なのはまあ当たり前ではある。実写が凋落したというより、そもそもみんなが観たかったのは絵だったという一面もあるのではないか、どうか。
同じ映画を映画館で2回見るのに妙にワクワクするのは人生で初めての経験だ。これが自分でも不思議で仕方がない。
思えば、自分は映画にあまり興味がなかった。映画館に初めて行ったのは小学生の頃だ。親に連れられてクレヨンしんちゃんとポケモンの映画を見に行った記憶はあるけど、内容までは覚えてない。
次に映画館に行った記憶として残っているのは、中学生の頃、映画好きの友達に誘われて見た『ロード・オブ・ザ・リング』の時だ。それ以降、映画館というものからはすっかり縁遠くなっていたし、テレビでやっていても特に見ることもなかった。自分には、映画というフォーマットそのものが合っていなかったのかもしれない。
転機になったのは、彼女(妻)と付き合い始めてからだった。彼女はアメコミファンで、付き合いたての頃、一緒に見に行ったのが『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』だった。それから、映画館で映画を見る体験は悪くないな、と思い始めた。それでもまあ、一つの作品は一回見に行けば十分という感じだった。
妻は映画館で同じ映画を何度も見る種類の人なんだが、そんな妻に誘われて私が初めて2回目を見に行った映画は『ゴジラ-1.0』だった。ゴジラの視聴体験はすごく良かったんだけど、2回目を見にいくのは妻の付き合いという側面が強く、まあ1回目の体験を超えることはないだろうな、という気持ちがあったし、実際その通りだった。
そして、今回の鬼滅の刃だ。なぜか、2回目なのに「また見たい」って心から思ってる。しかも今回は、IMAXだ。大画面で、あの映画をもう一回見られると思うだけで心が踊る。
自分が鬼滅を見始めたのは、前作の劇場版が話題になっていた頃からだった。原作未読勢で、アニメで追いかけてるので、自分の中ではまだ完結していない作品だ。そういう意味でも映画への期待感が大きかったのだが、しかしながら、最初からそんなにハマっていたわけではなかった。序盤はあまり真面目に見てすらいなかった。
この作品にハマるきっかけとなったのは、累との戦いで炭治郎がヒノカミ神楽を使うシーンだった。映像もすごく格好良かったのだが、バックグラウンドの炭治郎のうたも良かったし、セリフも良かった。すべてが完璧に噛み合っていて、文字通り鳥肌が立った。
それ以来、鬼滅の刃という作品は、自分の中でちょっと特別な作品になってしまったらしい。
どこがどう良いのか、うまく説明はできない。自分の言語能力では、この興奮を正確に言語化するのは無理だ。でも、とにかく今、自分はすごく楽しみなのだ。2回目だというのに、あのスクリーンでまたあの作品を見られると思うと、楽しみで仕方ない。
1回目は昼間に見たのに、夜になっても興奮がおさまらなくて、なんだか寝つきが悪かった。ちなみに、冨岡義勇の出番も多く、櫻井孝宏推しの妻もさぞかし満足したことだろう。
正直、これが完全にマーケティングに踊らされてる感情だとしても、それでもいいと思ってる。踊らされてるとしても、こんなにワクワクできるなら、それは価値があるだろう。
『ビッグバン★セオリー』でレナードたちがスターウォーズの新作を見た後に絶頂に至っていた気持ちが、今は少しだけわかる気がする。
アメコミファンだしファンタスティックフォーは(原作含めて)特に好きだけど、もうアメコミ映画で昔のような興行収入は無理だろうなとも思ってる。とにかく一時期の粗製濫造が酷かった。ドクターストレンジとかソー:ラブアンドサンダーとか何あれって感じよ。ムーンナイトとかアイアンハートみたいな面白いのもドラマにしちゃうし、自社ストリーミングに篭って何やってんのって感じ。まぁファンタスティックフォー明日観に行くけどな。
スーパーマンはあのタイツマントをなんとかしないと無理だと思うけど、あのタイツマントじゃないとスーパーマンじゃないというジレンマを抱えているのよな。
移民とは違うけれども、X-MENもミュータントたちの「親にさえ自分の本当の姿を打ち明けられず、孤独感や疎外感にさいなまれる姿」は
ミュータントたちは新人類として、旧人類とは比べ物ならないスーパーパワーを持つ存在なのもスーパーマンとかぶる。
なのに社会から受け入れられないから「本当の自分を常に偽り続けなければならない」疎外感と孤独感が常に描かれる。
戦いのテーマが「それでも世界を信じようとする」側と「世界を信じられず自分たちの安全のために旧人類を排除しようとする」側の間なところが
単体のスーパーマンとの違いでもある。