
はてなキーワード:アニメ声とは
先日、来日してるアメリカ人の同僚を家に呼んだんだ。で、うちの猫見た瞬間、そいつが「OH MYGOD!!」って言って固まってんの。
あまりのリアクションにこっちも驚いて「な、なんだよ」って聞たら、「日本の猫……なんて可愛いんだ…!!」って筋肉質の大男が頭かかえて言うんだよ。
いや猫だぞ?世界中におるやん。
でもどうやらアメリカの猫は、もっとこうガタイが良くて、顔もワイルドで、声も低めらしい。
「うちの猫はGRRRAAAって鳴く」って言ってて思わず草だった。
一方うちの猫は「にゃ~」ってゆるい声で鳴く。
そこでも同僚、「KAWAI!!」と大絶叫。
「まるで声優みたいだ!なんてこった!!日本は猫までアニメ声なのか!!」ってもう大興奮。
いやいや声優みたいって…そこに来るとは思わんやん。
でもなんかその瞬間、妙に納得もした。
日本ってアニメとかアイドルとか、かわいい声を文化にまで昇華してる国じゃん。
同僚はうちの猫とたっぷり戯れた後、「This catiskawaiivoice culture!!」って叫びながら写真撮って帰ってった。
日本の猫って、すごいんだな。
Permalink |記事への反応(17) | 21:13
じゃあこいつらがそう言って採用したタレントが主演したアニメ映画、耳をすませて声の違いを聞き分けてみろよ
マジで全部同じに聴こえるゾ
俺もそんな事はないだろと思ってたけど目を瞑って耳だけに頼ってやってみたけどアニメの本職声優さんと違って抑揚もハリもないから全部同じ人が演じてるのかって位棒に聴こえるのよ
アニメ声はキャピキャピしてるからイヤだ!と毛嫌いするアホ監督いるでしょ、パヤオとか細田とか新海とかな
じゃあどうしてサブ、脇役に本職のアニメ声優さん起用しまくってるの?って話
監督本人も分かってるよね、主役のタレントさんたちの区別出来てないでしょ?
このイメージだったつってるアホ監督もいたけど、例えば僕街のTVアニメ版主人公満島真之介起用した時言ってたんだけど
声すっごいボソボソでとてもこれってイメージじゃなかったゾ
映画の打ち上げ花火も菅田将暉だったけどめっちゃボソボソだったわ
俳優としての評価ならともかく声優としての評価はお世辞にも良いとは言い難いのよね
なのに言い訳がましくアニメ声優はキャピキャピ声で不快だとこあ抜かす
四十絡みの年季が入ったボッチの俺は、金曜の夜に予定がないことなどザラである。
大抵は近くの焼き鳥でお気に入りのセットを買って、キムチとレモンサワーのマリアージュに満足する。
だが、それでは乾きが満たされない夜もある。
そんな日は、愛車(レンタル・シティサイクル)に乗って夜の街に繰り出す。
酒は厳禁だ。飲酒運転はまずい。
音楽を聴きながら飯を食べられるところへ行こう、金曜の夜とはそういうものだ。
会社帰りの人、遊びに行く人、すでに飲んで出来上がっている人、観光客、これから旅に出る人、ランニングをしている人、とにかく色んな人がいる。
知らない道を選ぶから、だんだんと不安になりつつも、さすがにこんな街中では迷うまいと、知っているビルの方に進む。
自転車を停めていると、子どもが奇声を上げながら突っ込んでくる。
まだ8時過ぎくらいか。
子どもの後ろから、もう少し大きい子どもたちがダボダボの服を着て歩いてくると思ったら、やけに背が低めの4人組で、やけにアニメ声ではしゃぎながら通り過ぎていく。
訳がわからない。
目的の店に着く。
広いスペースに複数の店舗がまたがり、DJが音を流し続けている。
ファンキーなシティポップ、1970年代後半のバカテクなバンドグルーヴ。
突然盛り上がるサックスのソロを聴きながら、ハンバーガーを食べる。
喉が渇いた気がするが、酒は飲めない。
本当はハイボールが飲みたい。
目についたかき氷でも食べようと思いたつ。
500円くらいかと思って注文しようとすると、1500円くらいする。
しまった高級品だと思いながら、せめて渋い感じのやつにするかと抹茶なんとかみたいなやつを選ぶ。
注文した後に、抹茶だとカフェインが入ってるかと思い、またしまったと思う。
さっきの席に戻ると、他の人が座っていて、さらにしまったと思う。
入り口付近の席に座って、入り口をまっすぐ見ながら、抹茶なんとかのかき氷を食べる。
友達と来ていたら、まずはその映える姿を写真に捉えていただろう。
その山嶺を切り崩し、黙々と口へ運ぶ。
濃厚な抹茶の味わい。
四重くらいの構造。
一気にいきすぎて、頭が少しキィンとする。
前来た時は、孤独とフロンティアと心の葛藤、クロスオーバーな音の世界旅行を味合わせてくれた。
湿気が少しマシになっている。
自転車を借りて、少し遠回りして帰ることにする。
頭の中にかかるのは、ウェイン・ショーターのナイト・ドリーマー。
この辺の道は、いやに曲がりくねっている。
川から離れすぎないようにしながら、裏道を通り抜けて行く。
同じレンタル・サイクルのサラリーマンと並走し、LUUPを追走する。
俺たちは自由だ!
足元をドブネズミが駆け抜けていく。
”中身だけ見る”なら尚更顔を出すリアルな人間と対峙して中身だけ見ればいいし、男性Vtuberで面白い人がいるならそいつがVtuberであることを強調する理由もないし。
そもそも面白い配信だからそいつはそれを楽しんでるわけでVtuberのファンであることを意識する理由なくねーか。
中身を見てると言いながら自分はVtuberを応援してることをに拘る時点でただのアニメ声好きとかVtuberをやってるおじさん好きじゃん。
Vtuberをやってるおじさん好きもおじさんを応援する純粋な人じゃなくてVtuberで頑張るおっさんが好きなだけの変な人じゃん。
人間の中身を見てるなら普通に顔出しとか手だけ映すような一般のおっさん配信見ればいいじゃん。Vtuberに拘る理由無いじゃん。
マイナーVtuber好きって単に地下アイドル時代から唾つけてか弱いアイドルを支えてる自分に酔いしれてる根暗メンヘラでしょ。
https://anond.hatelabo.jp/20250709232014
またVtuberは面白い的なホットエントリーが話題になっていたのでVtuber配信見たこと無い人に現実を教える。
この文章だけ読むとVtuberは人間的に魅力がありそうだし面白そうだと納得しかけるけど実際の配信は酷いもんですよ。
例えば格闘ゲーム配信でいい歳(たぶん)したアニメ声のオバハンがやられた時に「はにゃ!!」「ぐぎぎぎ!」とか叫ぶのをいい歳したおっさんがコメント欄で楽しむ地獄絵図が展開されます。
中身が魅力的な人間が残るというのはほぼ嘘ですね。あいつらアニメ声ならなんでもいい人種なんで。あとVtuberのオバハン達喫煙率高すぎ。これでどんな層がVtuber移行してるのか察してください。
あと外見関係無しで中身で判断するならVtuberじゃなくて現実の糞ブサイクだけど性格良いおばさん(おっさん)と付き合えよ笑
どんなに遊ぼうが一人の人間としての視点には限界があるため、行く場所も趣味も大体似たようになってしまう
例えば公園一つとっても何がどこにあるかを把握するようになる
あの公園は遊歩道ですぐ行けるとか、この遊び場は治安が悪いとか
動物一つとってもどういう生き物でどこがおもしろいのかを必死に考えるようになる
何にもわからない子供に対して「象さんかわいいね」って普通に言うようになる
自分一人ならそんなこと絶対に言わないし思わなくとも、子供がいればなんか心の枷がどんどん外れていく
安全性というものにも気を配るせいか、各種のアトラクションがどれほどファミリー層を意識して楽しませて安全に気を配っているのかがわかり始める
お姉さんのキンキンとしたアニメ声も子供にとっては安心できる友達であり、親からすれば保育士のような存在だ
西松屋にいけば、外から入るのは簡単でも内部からは自動ドアではなくタッチ式のドアになっていたりする
例えば我が家のドアには鍵が2つあるが、3歳くらいなら普通にどちらにも手が届いてしまう
あと駅の手すりも子供の身長に合わせて作られているところもあれば、明らかに上り下りの際に足を踏み外しやすい色彩になっているものもあって、千差万別なんだなって思う
うーん……なんか声が微妙だな
オーラがなくて特徴もない
キャラデザにも言えるけど
平凡な上ずり声の元気っ子的な
というか学マスが全体的に、無名若手声優のサルベージって感じで
ざっと見た感じ惹かれる声の人がいない
狙ってやってるのかってくらい全員が没個性というか「よくあるやつ」感がする
もちろんデレマスみたいにクセ強の奇人変人ばかりにするべきとも思わんけど
強いてあげるなら篠澤 広ってキャラの声がややユニークで残る可能性あるかな
まあでもああいう演技を求められるキャラは珍しくないし似た声を出せる声優も多いから
キャラゲーとしては全体的にパッとしない布陣だなという印象は変わらない
だよね
友達にも居るから生まれ持ったものを偽物と否定されてるみたいで不憫
こういう生きた年数だけ多いジジババに限ってアニメ声の人間なんて居るわけないみたいに確信してて頭固いんだよ
言いたいことはわかるし賛同するという前提で、一つ視点を追加したいのは
今元増田は、
への影響ルートが見えることが凄く良くて
の内部の影響が回り過ぎてることが、その良いルートを潰しているのではないかという気付きを得たわけだけど
たぶん現実には更に
アニメみたいに喋る奴は居ない、という元増田と宮崎監督の主張は、もっともであると同時に誤っており
まあ居ます。そういう奴。そういうコミュニティの奴ら。最近は。
若い陽キャたちは、ウェーイとか言ってテレビでしか聞いたこともなかったわざとらしい盛り上げをする。
オタクたちはアニメ声で喋るVたちをもてはやし、現実の存在として扱う。
これは良いとか悪いとかではないわな。単純に昔からそういうものである。ゲーテが自殺する男の小説を書いたら自殺が増えるもんなんだ。
当時は笑っちゃってさ。棒読み過ぎだろwって。
声は堅いし、感情の起伏もよく分からんし、いやいやプロ使えよ…と、本気で思った。
そしたらめちゃくちゃ良かった。なんだこれ?って思った。
庵野の声が完全に堀越二郎になってて、ああ、これはこれ以外あり得なかったなって自然に腑に落ちてしまった。
風立ちぬの制作現場に密着したやつで、そこで宮崎駿が声優について話しているシーンがあった。
曰く「みんな相手を慮った声を出すんだよ。慮ったふりをして、自己満足してるんだ」と。
なるほどな、と思った。
ネットでは今でも風立ちぬに対して、「声が合ってない」とか「やっぱり声優を使うべきだった」なんて意見が散見される。
でも、それは違うんだよ。
だって考えてみろよ。リアルな表現をしたいと思ったとき、現実にアニメ声で喋ってる人間なんているか?
居ねえよ。居たら「ぶりっこ」とか「声作ってんじゃね?」って思われるし、下手すりゃ気持ち悪がられるだろ。
俺たちが一般的に想像する“いい声優”ってのは、感情表現が豊かで、発声が明瞭で、抑揚も完璧で——要するに、ドラマチックなんだよ。
でも、その“ドラマチックさ”って、実際の人間の会話にはほとんど存在しない。
むしろ現実の人間は、モゴモゴしてるし、言いよどむし、感情だって隠す。
だから庵野のあのぎこちない、感情が伝わりそうで伝わらない、でも心の奥底に火がついてるような声はめちゃくちゃリアルだったんだ。
それに比べて今のアニメってどうだ?
声優ブームでアイドルみたいな扱い受けて、イベントやラジオに引っ張りだこ。
それ自体を否定するつもりはないけど、声の演技としてのリアリズムはもう置き去りなんだよ。
声の芝居が記号化してて、「怒りの声はこう」とか「泣く演技はこう」、「好きな人にはこういうトーンで話す」っていうマニュアル的な表現ばっかり。
それを俺たちは迫真の演技だ!ってもてはやしてきた。
でもそれはリアルじゃない。
「いやいや、アニメってのはそういうもんだろ」って言う人もいるだろう。
でも俺は、そうじゃないと思ってた。
アニメっていうのはもっと現実寄りで、地続きで現実の彼方に存在してるって、そういう可能性を信じていたんだ。
その境界線があいまいだからこそ、時に心を撃ち抜かれる瞬間があった。
そういう何でもない場面が、アニメの中にあるとき、現実とつながった気がして嬉しかったんだよ。
空気の揺らぎや、無言の間や、感情の曖昧さ、そういうものは排除して、”見やすく”、”分かりやすく”、”飽きさせない”、ものになってる。
あとは””の部分に定番の美少女やら世界観を当て嵌めてやればいい。
風に吹かれて何かを悟るあの表情は、もう地上波アニメには戻ってこない気がする。
42になって、ようやく気づいた。
俺はアニメが好きだったんじゃない。
でももう駄目だ。
その勢いは近年になって、さらに加速している。
そのことに42の俺は気付いてしまったのだ。
Permalink |記事への反応(53) | 11:05
わかりやすく書くと、加害者が女性だった、もしくは被害者が男性だったというケースなんだけど、このケースで経験したことのある人はどのくらいいるんだろう。
もし経験があるなら「ある」だけでもいいから反応がほしいところ。
というのも、ここ数年のネットを見ていて、男性と女性は分かり合えないとはよく言うけれど、男性寄りの男性と女性寄りの男性でも分かり合えないのではないかと思ったから (女性の場合でも同様) 、予備調査としてまずは上記に該当する例がどのくらいあるのかというのを知っておきたかった。
現状は生物学的な理由というのもあるけれど、男性が加害者で女性が被害者であることがおおく、ネットでもそのようなユーザーからの投稿が目立ちやすいというのがある。
でも、まれに存在する加害者側の女性が男性側の投稿に共感できるのか、もしくは被害者側の男性が女性側の投稿に共感できるのか、というのを調査してみたいところなのだが、そもそもユーザーが減りつつあるはてなでは十分な量のデータを取れるとは思わない (Xなどはアカウントを持っていないため調査しようがないが数万人規模で本格的に調査するのであれば取ったほうがいいんだろうな...) 。
性被害にあった経験がある人は、加害側の性別を強く嫌ってしまい、それによって当たりも強くなってしまうということがあるが、生物学的には仕方がないと思う。
※ ただ単にアニメ絵・アニメ声が嫌いだからというケースもあるが、これは性被害の有無というより30年ほど前の報道の影響によるもののため。40代以上におおい。
それでも個人的には、性に関する問題は特に、男性はこうだとか女性はこうだとか否定ばかりだと話がまったくすすまなくなるから (全員がそうだとも限らないし) 、人それぞれの意見があるということを理解して、おたがいを尊重しあえるようになれば一番いいのだが。
自分は表現規制を強めるべきという声も、いや弱めるべきだという声も、どちらも中立的な目線でみている (おそらく会議とかだと司会とかでもない限りいちばん嫌われるタイプ) 。まあ以前からモザイク脳チェック (自分が男女どちらの考えかたをもっているのかを見ることができるテスト / 問診票を除いて英語のみ対応) をやったらどっちつかずの結果が出てしまったので、そういう影響もあるのかもしれないが...。
余談だが、15年ほど前にニンテンドーDSで「大人の常識力トレーニングDS」というソフトがあった (DSやWiiのころはトレーニング系とかゲーム性のうすい もしくはそもそもゲームではないソフトがおおかったよねスマホにぜんぶ取られたけど) 。このなかにはDVに関する問題も収録されていたが、そこにある解説では男女別の被害者の割合が記載されており、男女ともに割合が低かった。
その程度の差しかないんだとも思った一方、言いたくても誰にも言えない人 (暗数) もおおいのかなとも思った。
赤いきつねのアニメCMがXの一部ユーザーから問題定義されている。
子どもの頃からオタクだった私は今でもジャンプ系、悪役令嬢もの、異世界転生もの、BLなどジャンル関係なく多数のアニメを見ている。
つまり女性キャラクターが頬を染めたり胸を揺らしたり、そういう描写には慣れっこ。
その作品を楽しむターゲット向けなのだから、深夜アニメの創作として問題ないのでは、というスタンスだ。
しかし、食品CMとして今話題になっているアニメを見ると、そんな私でも批判されていることに「ああ、なるほどな」と思った。
日ごろから「女らしさとはこういうものだ」というバイアスを押し付けられたり、女性という存在が性的アイコンにされてきたことを心の底で嫌悪してきた女性は多いと思う。
(もちろん「男らしさとはこういうものだ」というバイアスに苦しめられてきた男性も同じように)
そういう苦しみや鬱憤を抱えてきた女性が、食品を売るためのCMで女性を殊更色っぽく描かれることに不快感をおぼえるのは無理もないこと。
ただ、いろんな批判や意見を見ていくうちに違和感を覚える批判内容も増えてきた。
「リアルな女は一人で食べる時に髪を耳にかけたりしない、結ぶかヘアバンドをする」
いや、私ズボラだから結ぶのもヘアバンドも面倒で普通に髪を耳にかけてるけどな……行儀悪いかもだけどそれこそ一人の時だから放っておいてほしい
カップ麺食べる時は眼鏡曇るのが嫌で眼鏡外すけど……眼鏡外しても意外と見えるからテレビもそのまま見ちゃうことあるし
「箸置き不要」
私は箸置き使わないけど、別にカップ麺食べる時に箸置き使う人がいてもよくない??お気に入りの箸置きがあって使うと気分が上がるのかもだし
「唇でお揚げをはむってしたら火傷するよ、こんなことする人いない」
確かに熱そう、でもフーフーした後にお揚げに染みたツユを吸う派の友だちいるからな……
声優さんのほとんどはアニメ向けの演技だと思うけど、現実にもいわゆるアニメ声って言われる声や喋り方の女性はいるよ?
中にはわざとそうしている人もいるかもだけど、本人にそのつもりはなく個性なのに「媚びてる」とか思われているのだとしたらそれは最早ただの偏見では
何か、こういう批判の方向性になったら「こんな女リアルにいないよ」って言われていることをリアルでやっている女性の存在を否定することになっちゃわない?
何だろうこのモヤモヤ、と考えていて思い出した。
小学生の頃、クラスメイトに「〇〇ちゃんピンクが好きってぶりっ子みたい」って揶揄われた時のモヤモヤに近いんだ。
「女の子はピンクが好き」っていうバイアスは良くないって分かるのに、「ピンクが好きな女の子」をちょっと見下してくるあの感じ。
当時は特に気にせずピンクが好きな自分を貫いたけれど、今こうやって思い出すということは同性からちょっと馬鹿にした感じで揶揄われたことは思っていた以上に傷になっていたのかもしれない。
「女性らしさ」というバイアスや性的アイコンにされることに息苦しさを感じるのと同時に、「こんな女性リアルにいるわけない」という「決めつけ」に息苦しさを感じている人がいることも知ってほしい。