
はてなキーワード:アカデミー賞とは
これまでのアカデミアで平等なチャンスがなかったことの現れだろう。アカデミー賞受賞者はよく妻の内助の功の話をするが、同じ世代の女性研究者で夫の内助の功を彫られている人間の話を聞いたことがほとんどない。
現代でも夫が地方のポストを見つけると妻や子供はそれについていくことが多いが、妻がアカデミックポストを探すときには夫が引っ越さないで済む場所を探す人が多い。すると当然女性の方が安定したポストを探しにくくなる。女性限定ポストで何とか釣合いを取ろうとしているけど、間に合ってはいないだろう。(ちなみに女性限定ポストで募集をかけるとやたらと業績の強い人材が集まり、研究力の底上げになると言われている)
米トーク番組打ち切り、「権力乱用」と民主党が非難-オバマ氏も言及
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-09-18/T2SHL0GP493600
「目覚めた人(Woke)」がその正義で屠った番組や著名人は沢山いると思うんだよな
その結果として、太った黒人がCMに雇用されて企業と関係ない黒人問題を訴えたりするようになった
といった条件を設定したのは記憶に新しい
こうしたことは「善い事」としてそれが排斥するものを許容してきたはずだ
「そうでない人」を排斥したはずだ
ところが、例えば「イーロンマスク」がTwitter を買い取り、結果として左派の社員が大量に解雇されると、彼らはSNSで人権問題だと騒ぎ立てた
今回の件でもそうだ
「民主党が圧力をかけた」という話は、実際に当事者が話しても陰謀論として処理され、アノンと呼ばれる
「共和党が圧力をかけた」という話は、陰謀のいの字も出さずに、今の政権は論外だとやりはじめる
実際に、取り扱ってた番組「羽鳥モーニングショー 」は酷かった
アメリカの右派と左派について普通に意見しようとしてるコメンテーターの話はあからさまに「あぁん?」みたいな空気になって
カットインして話を終わらせたりしてた
「もちろん、アカデミー賞は最優秀作品賞で締めくくられる。我々も最高の賞で締めたい。ムネノリ・カワサキでいることによるムネノリ・カワサキ賞だ。そうだ。この1年間、新たな手の動きによるシグナル、3Aでノーヒットノーランに喜び、マイケル・ジョーダンと自称しながらコーヒーを購入していることが明らかになった。ムニ(愛称)は常にカメラの前で最高を映し出す。いつだってそうだ」
https://news.livedoor.com/article/detail/10950986/
コレを見るとむにって発音だったっぽいな。
・ま…まあ
あんたほどの実力者がそういうのなら………
・でも映画に求めてる「新しさ」
初めて見る教皇選挙というシチュエーションと色合いと画面の俳優と建物の映し方の美しさはお出しして頂いたので観た事に後悔はしてない
・爆発以降は面白かった
最後の教皇になった人とのやり取りもすごい良かったし締めくくりも良かった
・選挙2回目位から意識が遠くなって摘発ターンになって起き「あーまた眠くなってきたナリィ…」からの爆発シーンで「ふざけんなよ!!!」ってなった
もう「ウトウト映画」として観るようシフト切り替えたのに無理くり起こすような音出すなや!!!という理不尽キレ テネットの時と同じや
・登場人物名多くて覚えきれてない内に話が進むし、「告発」なので言葉での情報が多いし、俳優さんの細かい演技から「意図」を汲み取らなきゃ話の筋が理解できないタイプの作品だし、白人男性全員同じに見えるし、そもそも宗教の価値観わかってないからワードもいちいち噛み砕かないときけないがその前に話が進むし、最後も(それを出したらもう何も言えない最強カードでしょう…!)ってなったけどとにかく演説がつど目茶苦茶良かったし映画に求めている「新しさ」は感じ取れたのでヨシ!
・人多いやで〜は裏切りのサーカスの人脚本と聞いて一瞬頭を過った+Twitterで「人物名を頭に入れておくといいよ!」画像が回ってきた→「映画と私のお互いしかいない空間に第三者が割入るな人物わかんなくなってもそれはそれで私の映画体験よ」とドンと構えてたけど即(寝)落ちだった
・チ。思い出した
迷いながら進めの感じ
・ひと席挟んで左隣にコンクラーベ1日目から入ってくるわポップコーン齧るわスマホ何度もチラチラするわ上映中に雑談かますゴミ客いたけど「(ムカつくのは大前提で)でも私も寝てて話わかんねえしビジュアルの美しさと言葉の良さを感じる映画で我を忘れて没入するタイプの映画じゃないからまあ…ええか…(よくない どういう神経してたら映画上映中に喋るのか一度聞いてみたい)」ってなった というかこの映画、特に喋ること無くないか
・監督、(私は寝てたけど)西部戦線異状なしからもう一歩進んだ感じする テーマを提示して「で、それからどうするの?」を亀ちゃんで提示してくれて、ネクストステージになっとる…(私は寝てたけど) 西部戦線異状なしは「戦争は、システマティックで悲しいものなんやで…」を引き千切られ床にポイーされたネームタグで表現…→おわり だったので…
・キリスト教のこと全然わかってないけど「教皇名どうする?」からのあの人の返答に対しての主人公のおじいさんの演技には「文脈をわかっていないが凄まじい感情の流れがある」のは伝わり鳥肌が立った 何だかんだいって教皇になるのは満更でもなかったという気持ちがないと言ったら嘘になるしだからヨハネ?ジョン?って答えたけどあの人の教皇名が何かその名前に何かしらの意味を持って対するもので何だかんだでピキりつつもいい人が教皇になってくれて良かったという喜びと安心感が広がっていくような感じ?ほんまにキリスト教わからんので映画みながらずっと「映画見終わったらインターネッツの詳しい人の解説読ーもおっと!」って何度も思った
・公開2日目
そうなんだよね
アライはガチ差別主義者のトランスすら批判できなくなってるからな
https://news.line.me/detail/oa-jiji/67lfdesl8mu2
第97回米アカデミー賞の主演女優賞候補で、スペイン出身の俳優カルラ・ソフィア・ガスコンさんが過去に行った差別的発言が露見し、批判を浴びている。出生時の性別と性自認が異なるトランスジェンダー女性として初めて同部門にノミネートされたが、自身で快挙に水を差した形。
ガスコンさんはイスラム教徒について「治療が必要な憎悪の根源」と主張。米中西部ミネソタ州で2020年、警官に首を圧迫され死亡した黒人男性ジョージ・フロイドさんを「麻薬中毒者の詐欺師」とも表現した。アカデミー賞の多様性批判も展開していすら
昨日の夜は日本アカデミー賞をなんとなく見ていて、ラストマイルが何かの最優秀賞を受賞してた。
世間の評価と異なって、自分は脚本家さんが過去にやってきたドラマが全て繋がっていると分かった瞬間に、
「ドラマファンに向けての映画かぁ」と思ってしまった。そこからは全然ストーリーが頭に入ってこなくなってしまったよ。
ドラマと映画のストーリーが同じ世界感を共有しているとなると、それはもう2時間スペシャルのドラマにしか成り得ないと思うんですよ。
映画館のスクリーンで公開している2時間スペシャルドラマでしかなく、純粋な映画じゃない。
でも、アカデミー賞で受賞をしているわけでね。
あと、通販や宅配ドライバー周りの問題をうまく落とし込んでいるんだろうけど、露骨に映画に入れ込みました!って感じがして、
なんか説教臭い感じがして、忌避したくなるあの感じがずっと続くのが中々にきつかった。
https://news.line.me/detail/oa-jiji/67lfdesl8mu2
第97回米アカデミー賞の主演女優賞候補で、スペイン出身の俳優カルラ・ソフィア・ガスコンさんが過去に行った差別的発言が露見し、批判を浴びている。出生時の性別と性自認が異なるトランスジェンダー女性として初めて同部門にノミネートされたが、自身で快挙に水を差した形。
ガスコンさんはイスラム教徒について「治療が必要な憎悪の根源」と主張。米中西部ミネソタ州で2020年、警官に首を圧迫され死亡した黒人男性ジョージ・フロイドさんを「麻薬中毒者の詐欺師」とも表現した。アカデミー賞の多様性批判も展開している。
芸術家が自分の特徴となる独特のスタイルを発展させると、そのスタイルが最も凝縮され洗練された形に達する点に到達することがよくあります。
この集大成の時点は、しばしば創造的な転換点となり、その後彼らの作品は新しい方向性を取るようになります。
押井守の「イノセンス」(2004年)は、彼の初期作品から発展してきた哲学的アニメ作品の美学の頂点を表しています。
現在、前作「GHOST IN THE SHELL /攻殻機動隊」と共に4Kリマスター版の劇場公開で20周年を迎えた「イノセンス」は、
—人間と機械の境界、意識の本質、そして技術的な世界における魂—
を最も凝縮された形で蒸留している点です。
映画の美しくも疎外感を与える視覚効果や濃密な哲学的参照は、同じフレームワークの中ではこれ以上進化できないところまで彼の特徴的なスタイルを押し進めました。
「スプートニクの恋人」(1999年)も同様に、村上の主題的関心を最も結晶化した形で表現しています。
小説は馴染み深い村上のテンプレートに従っています:男性の語り手(「僕」)、彼の片思いの女性、そして現実と自己についての疑問へと導く謎の『失踪』。
この小説には村上の典型的な要素—孤独、謎めいた失踪、片思い、そして現実の曖昧化—が全て、ほとんど自己参照的とも言えるほど凝縮された形で描かれています。
タイトル自体が村上の孤独への関心を反映しています;「スプートニク」はロシア語で「旅の同伴者」を意味しますが、衛星は一人で旅をします。
それはまさに彼の登場人物たちが、互いに隣り合いながらも分離されて人生を進んでいくようです。
「機動戦士Vガンダム」(1993-1994)は、クリエイターが確立したスタイルを限界点まで押し進めた最も劇的な例を表しているかもしれません。
当初は子供向けの「楽しいロボットアニメ」として構想されたこのシリーズは、代わりにガンダムシリーズの中で最も暗い作品の一つとなりました。
スポンサーからのプレッシャーと強制的な変更に直面した富野は、観客の期待を完全に打ち破るよう設計されたかのような、非常に暗く妥協のない作品を作ることで応じました。
このシリーズは前例のないレベルのキャラクターの死と深く悲観的な世界観を特徴とし、富野自身も後に「Vでガンダムを本当に破壊したかった」と認めています。
この意図的な極端さは富野の一つの創造的段階の終わりを示し、その後の作品では新しいアプローチが必要となりました。
「千と千尋の神隠し」(2001年)は、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」などを通じて発展してきた宮崎のテーマ的・視覚的な物語の集大成を表しています。
その細部まで行き届いた精神世界、成長物語、環境テーマ、そして強い女性主人公を持つこの作品は、観客が「宮崎映画」に期待するようになったすべてを統合しています。
日本で最も興行収入の高い映画となり、アカデミー賞を受賞するという前例のない成功は、実際、宮崎にとってジレンマを生み出しました。
彼のそれまでの傑作の複雑な世界構築とは異なる物語の語り方を受け入れました。
これらのクリエイターを結びつけるのは、彼らが集大成の地点に達したというだけでなく、この集大成が創造的な再生を必要としたという点です。
「イノセンス」の後、押井は「スカイ・クロラ」のような作品に移り、依然として哲学的でありながらも、異なる視覚的・物語的アプローチを取りました。
宮崎の「ポニョ」は、それまでの作品よりも意図的に単純で、より子供らしい美学を取り入れました。
富野の「Vガンダム」以降の作品は、トーンとアプローチの顕著な変化を示しました。
このパターンは創造的進化について深遠なことを明らかにしています—芸術家は時に、本当に新境地を開く前に、一つのスタイルの可能性を使い果たす必要があるということです。
彼らの特徴的なアプローチを論理的な極限まで押し進めることで、これらのクリエイターは本質的に、別の創造的章を開く前に一つの創造的章を閉じたのです。
アーティストの「特徴的なスタイル」を構成するものについての我々の認識は、避けられなくその作品に出会った時期によって形作られます。
これらのクリエイターをスタイルの転換点の後に発見した人々は、何が「押井的」または「宮崎的」な作品を構成するかについて、全く異なる概念を持つかもしれません。
この時間的な視点は、芸術的アイデンティティが静的ではなく進化するものであり、特定の作品がその進化における重要な変曲点として機能していることを思い出させます。
ここで説明された現象は普遍的ではありません—すべてのクリエイターがそのような劇的な集大成の地点やその後の転換を経験するわけではありません。
それにもかかわらず、これらの例は創造的発展における興味深いパターンを示しています。そこでは芸術家が真に新たな始まりを迎える前に、確立されたスタイルをその究極の結論まで持っていく必要があることがあります。
何が言いたいのか分からない意味深なセリフを編み上げられてもわからんしつまらんし
・ただ、逆転のトライアングルみたいな清掃業とか飲食業の下々の労働者がちょいちょい画面に映って存在分かってるよ…と一応視線を向けられていたり、嬢は嬢でそりゃ疲れるよな…という生活への疲労・摩耗がたまに映されるのはワースト1位にならないポイント(1位は老人が若い女に根拠なくモテるというご都合すぎる主義が延々と続いてきつかった)でよかった
・ほんまに主人公ちゃんのわめき声もわめいてる内容も己の許容限界を超え猿轡噛まされる5分くらい前から耳塞いで画面を見るくらい苦痛だった
ヒスすぎ〜口をアップにして「下層で生きる人々の普段押さえつけられた悲鳴…」とかそんなありきたりすぎる表現、今更しねぇよなあ!しないでくれよな!!ってなった
帯に短し襷に長し
・パラサイト配給のビターエンドだったので「これは期待できるかも?」と思ったがウン…
・陽キャラスベガスツアーのくだり、あと5分やってたら体調崩してた
後半の神描写のための布石や…!と思って我慢してたが後半もそこまで面白くならず というか面白いと面白くない以前に「わからない」で終わった
・よくわかんなかったし
面白くなかったし
うるさかったし
いつ面白くなるのか
フロリダプロジェクトの監督の作品だし、このままつまらないまま終わるなんて事は流石にない 流石に ラストにこう儚く瞬間的な安っぽい煌めきの美しさ 安っぽいものしか選べない 生まれついての選択肢のなさを噛み締めざるを得ないような閉じ込めたようなどうしようもない生まれついたままならなさを焼き付けてくれるはず…!と期待し→おもんない…を繰り返し義理両親対決パートで耐えきれず意識が何回も落ち
・イヴァン?が画面の端っこで金属バット持ってフラフラしてるところが一番面白かった
アノーラちゃんは雇用主の都合により乱暴にしないが別に穏やかな訳では決してなく日常に「暴」が普通にある人だ…というのがアノーラちゃん以外の友達聴取の場面のノンブレスで暴力行使するところからひしひしと感じられて「女はこういうの好きなやつだ…」ってなった偏見〜
・アカデミー賞レースに挙がってるしカリフォルニアプロジェクトの監督の新作だし、Filmarksで星4つだし、多分配信だとちゃんと見ないから…!と思って公開初日に観てみたがう〜〜〜ん???