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はてなキーワード:アカデミックとは

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2025-10-21

anond:20251021192410

なんでアカデミック企業に媚びなあかんねん

企業に媚びないとやっていけないような大学不要

旧帝と私大医学部ロースクール以外はそもそも廃止でいい。

Permalink |記事への反応(0) | 19:34

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2025-10-18

anond:20251018152404

北京幹部の4割が理系

いまから本部目指すなら理系修士博士マストってくらい

からあの国教育産業は過密。権力欲とアカデミックが繋がってて過当競争に陥ってる

Permalink |記事への反応(1) | 15:25

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2025-10-15

クイズ:このスレと1 は、そのスレ内で第三者から投稿されたとあるイラストにより、大いに笑えるネタとしてミーム化された過去がある。なぜ笑えるネタになったのか?その画像の内容を推測

----

【速報】部下が58兆円の商談に失敗したwwwwww

1名前:風吹けば名無し[]投稿日:2016/09/09(金)20:56:58.04ID:cxMYqZwN00909.net

今部下を囲んで部署のみんなで土下座、殴る蹴る、

便器なめる雑巾食うなどやりたい放題w

みんなを失望させたんだから制裁くわえて当たり前だよね

このスレッドがミーム化された理由を推測します:

笑えるポイント

「58兆円」という荒唐無稽金額が核心です。これは日本国家予算規模に匹敵する途方もない額です。

イラストの内容(推測)

おそらく第三者が描いたイラストは:

 

普通サラリーマン中小企業風の社員が、会議室オフィス

「58兆円」と大きく書かれたプレゼン資料ボードを持っている、あるいは

グラフ契約書に「58兆円」という金額記載されている

 

様子を真面目に描いたものだと思われます

なぜ笑えるのか

 

スケールギャップ個人一般企業では絶対に扱えない金額を、ごく普通会社員が商談しているという設定

シュールな真面目さ:非現実的な設定を真剣に描いているギャップ

ビジュアル化の威力数字だけでは想像しづらかった荒唐無稽さが、イラスト可視化されることで一層際立つ

 

町工場営業マンが「58兆円の商談書」を持っているような絵を想像すると、その不条理さが際立ちますね。

アカデミックなreasoningに長けているclaude4.5でも、このようなタスクにはめっぽう弱い

やはり"誰が"という主語を読む機能が無いからだろう (昔から、llmは登場人物が3人以上になるシチュエーションおかしくなるんだよな)

また、日本語の"文字通りの読み方"に弱い

流石に説明すれば理解したようなテキストを出せるもの

言われなきゃ分からんでは話にならない

トークン意味依存し最もらしい事しかさな機能文法を読んでいない

状況、場の想像能力も欠如している

あり得ないことを除外するような調整も一因だろう

錯誤の認識方法調教してないから、という話でもあるか

この想定能力じゃ、普段の推論の、一般の答えのない部分はどうなってるんだという

あり得ない環境想像できるワールドモデルユーモア実装が待たれる

はよう入れてくれや

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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2025-10-11

anond:20251009190423

これまでのアカデミアで平等なチャンスがなかったことの現れだろう。アカデミー賞受賞者はよく妻の内助の功の話をするが、同じ世代女性研究者で夫の内助の功を彫られている人間の話を聞いたことがほとんどない。

現代でも夫が地方ポストを見つけると妻や子供はそれについていくことが多いが、妻がアカデミックポストを探すときには夫が引っ越さないで済む場所を探す人が多い。すると当然女性の方が安定したポストを探しにくくなる。女性限定ポストで何とか釣合いを取ろうとしているけど、間に合ってはいないだろう。(ちなみに女性限定ポスト募集をかけるとやたらと業績の強い人材が集まり研究力の底上げになると言われている)

現代においてさえ男女の機会は平等とまでは言えない。ましてはいノーベル賞を取る世代では尚更だったのだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 09:52

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2025-10-05

村上春樹ノーベル文学賞に手を伸ばせずにいるのは、本当に皮肉な話だ。

彼の本は、全世界を魅了しているのに、選考委員文学観にはどうも刺さらないらしい。

まず、村上作品は「孤独」と「幻想」を舞台にしている。

ネコが出てきたり、深夜のジャズ喫茶で心が揺れ動いたりするあの世界感は最高に心地いいけれど、

ノーベル文学賞評価するのは、

もっと社会を揺るがすような重テーマだ。

戦争」「差別」「抑圧」といった、

人類全体の苦悩に真正から切り込む作家が並ぶ中、

個人内面遊泳に徹する春樹作品は、どうしても軽やかすぎると見なされてしまうんだ。

それから村上春樹と言えば誰もが読む大衆作家

でもノーベル選考委員は、「文学最前線で新しい実験をしているか」を重視する。

平易な文章でグイグイと読み手を引き込むスタイルは素晴らしいけれど、

ポップすぎて「文学革新」のベクトルとはベクトルが違う。

から文芸界のアカデミックな厳粛派からは「村上春樹大衆作家」というレッテルを貼られてしまう。

さらに、英訳には申し分のないクオリティがあるにもかかわらず、ノーベル文学賞選考陣営戦略も大きい。

欧州ラテン圏やアフリカアジア作家同士の勢力図の中で、

日本の大ベストセラーは「既に国際的に知られている」ゆえに、

新鮮味を欠くと判断されがちだ。つまり翻訳品質以前の「選考バイアス」が存在する。

あと、村上春樹物語普遍性の光を帯びていると言えば聞こえはいいが、

選考委が欲している「全世界を覆う重厚社会批判」という観点では、どうしても「足りない」と映る。

孤独や胸の高鳴りではなく、人類の根源的苦悩を描かないと、ノーベル文学賞舞台には上がらないというわけだ。

村上春樹世界中の読者の心を掴んでいるのに、ノーベル文学賞という舞台では「大衆文学の王」に留まる運命らしい。

大衆に愛されることと、選考委に賞賛されることは、まるで別のゲームなのだ

Permalink |記事への反応(2) | 12:23

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2025-10-04

anond:20251004213356

それっぽいこと言って内容を伴わない増田に代わって回答するよ。

彼は上から目線であれこれ書きたいのに実力がないから突っ込むと誤魔化ししかできないからね。

文章の書き方の話だよね。

書き方のフレームがあって読みやす理解やす論理構造があるので

それに基づいて内容を配置するのが定番だね。

アカデミックだとエッセイトライアングルというフレーム自分学生時代定番だった。

お仕事の報告とか提言だと空雨傘というフレーム日本だと定番だね。

他にも色々あるんだけどpwcとかのコンサル資料とか企業IR資料を見ると構成勉強できると思うよ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:45

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2025-09-25

博士の異常なパワハラ、または、私は如何にして保険診療を去ったのか

2021年5月だった。自分はある大学病院に赴任して1年ほどが経ち、徐々に慣れつつあったところ。

3月には、20年ほど勤めていた大黒柱講師先生が抜け、私はその先生仕事を引き継いだ…

そのほかに仕事は増え、仕事量は前年度の2倍となった。忙しくて本当に辛かった。

その大学移籍したのは他大学で行き詰まりを感じたからだった。前の大学マンネリに陥っていたある時、大学病院移籍してうまくいっている(ように見えた)憧れていた T医師相談するチャンスがあった。移籍してうまくいく秘訣や探し方を聞こうとしたところ「うち来る?」と誘われ、トントン拍子で移籍できることになった。

移籍して、新たな症例を見たり、国際学会の委員経験できたり、移籍したことプラスになったと思う。

その尊敬する T氏に、リモート勉強会ホスト役を頼まれたのが5月下旬のこと。当時は感染症の全盛期。いろんなものリモートになっていた。

T 氏がその勉強会に参加できないということで、私が代わりに大学病院会議室からZOOM 参加、プロジェクター投影リモートカメラを設置。他の医師が参加できるような形で参加して欲しい(ホスト役をして欲しい)ということだった。

当時ものすごく忙しかったので断り、Tは「別の人に頼もうか」と言っていた。

1週間後、Tは「会議ホストをやってほしい」と再び頼んできた。前回忙しいって断ったのに再び。なぜもう一度の説明もない。おかしいと思ったが、お世話になっているし、断ってもまた来るのだろうし、一旦は引き受けた。

で、T氏含め、参加するかもしれない先生方にeメール

会議ホストを頼まれたけれども、忙しくてできない。誰か代わって頂けないでしょうか? 連絡がなければ私の方から断ります

と。

そしたら

「お前ふざけんな」

みたいなメールが Tから来まして、よくわかんないけどメールで謝り、早朝に教授室へ行き謝罪

言われたのが、

「お前は世話人を乗っ取ろうとしてるのか、断りの連絡は自分が入れる」

(断ってるのに乗っ取りとは? はじめから断れ!)

「お前は変だ、お前はめちゃくちゃだ」

「N先生(当科主任教授)も君のことを変だと言ってる。 A先生日本〇〇学会会長、つまり診療科top oftop,他大学教授タイミングが合えば東大教授だった)も君のことを変だと言っている、S先生(私の留学先の指導教授)も君のことを変だと言っている。君は本当にめちゃくちゃだ」

みたいな話をされて。

別に「変」って言われるのは嫌ではない。アカデミックな人は変だからね。

だけど今回言ってる内容、小学校レベルいじめやし、虎の威を借る狐…

Tからは、既に変な妨害を受けていた。

例えば、

私が自分研究のために自費で用意したパソコン、家からかいスーツケースに入れてゴロゴロ持ってきたところ、

先生パソコンのいい使い方を思いついたよ。僕の研究データ解析に使えばいい」

(アホか、解析するのは良いけど言い方! 私物やぞ。なお、大学インターネットに繋ぐのには申請必要許可は得ていた)

企業からサポートに来ている方と話をするのを邪魔してきたり、

「あの人は私の研究補助のために来ている。君が邪魔をして研究が滞ると困る」みたいな。

その人に聞いてみると別にそういうわけではなく、大学全体のサポートとしていて来ている、とか。

4月から仕事量が2倍となり、医局長に相談してたけど減らしてもらえない。

実質的に私の後見人であるT氏、おそらく何らかの personality disorder を持っている。境界型か自己愛性かだと思うけど。

普段は優しいんだけれども、何かのきっかけで周りに当たり散らすなど人間性問題がある。

どうしようもない。

心が折れてしまった。

入院施設のあるまともな)精神科病院受診SSRI内服開始。診断書取得して年度末まで休職

主任教授Nもアホだから休職中にも仕事を命じてきた。Tからいじめ目撃者はいないけれども、仕事量が非常に多かったことは記録に残ってるし、休職中に仕事を命じてきた不適切証拠は残っている。

ちなみに今は退職していて、個人事業主として保険外の医療事業にかかわっている(美容医療や怪しい細胞治療ではない。まともなサービス)。

年収は2/3に減ったけれども、仕事量は1/3(忙しかった時の1/5程度)に減り安定した。

なお、私が辞めた後に科の仕事量は減らされた…

相談してんだから、その時に減らしておけよ医局長…)

とはいえ

これを乗り切ったとしても、自分アカデミックキャリア保険診療キャリアは終わりかけていた。こういう明らかなパワハラがあっても何もしないのが大学病院一般病院でもまともな話が通じないことは結構ある。そういうのが本当に嫌だったし、遅かれ早かれ辞めていた。

今でもTやNに恐怖や怒りはあるが、恨んではいない。むしろパワハラを受けたおかげで明確に立ち去る理由ができたとは思っている。

そして、なぜこんなにすっきりパワハラ〜鬱〜退職ができたのか。

その背景には、20年前、とある大学病院での事件。後期研修医S 君の自殺があった…

to be continued or not...

最初はSくんの話を書こうかとも思ったんだけど、なんかこっちを書きたくなった)

Permalink |記事への反応(1) | 06:39

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2025-09-16

アカデミック分野が存続できるのは核兵器月面着陸のおかげ

そもそもアカデミックな分野はブルジョワジー達の娯楽だったわけで

歴史に名を残すような研究者は全員貴族

一般人アカデミックな分野に進出できるようになったのはいからなのかChatGPTに調べて貰ったら

第二次世界大戦核兵器開発が引き金とのこと

かに兵器開発に遅れることは国家の存亡に関わるから予算を割いても研究開発するよな

そんで大陸間弾道弾とかも開発していく中で研究開発の副次的作用にも注目が集まって

月面着陸なんかの直接的には国力に関係ない目標であってもその他の分野で産業が盛り上がることになったか

研究開発への投資額も増えていった、という感じ

まぁ要するにダムと同じ公共事業であって目標を真面目に追うのではなくて副次的効果に着目すべき

ハイパーカミオカンデのもの研究成果なんて人類にはほとんど役に立たないけれど、それを作る上で得られる成果を重要視するべきってことだな

Permalink |記事への反応(0) | 10:10

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2025-09-09

集合知って、詭弁の元すぎて普通に怖い

どんなトンデモ主張でも、それっぽい理屈簡単に作れてしまう。

最近SNSを眺めていると、そのことを痛感する。集合知が発展しすぎて、とんでもない方向に暴走しているのを日常的に見かけるからだ。

大勢の人が見ていれば、必ず一人くらいは「それっぽい詭弁」を思いつく。だから、ただの感情論でもSNSを少し探せば、自身の幼稚な感情正当化してくれる理屈反論簡単に見つかってしまう。

けれど、それを詭弁だと見抜いたり、納得できる反論を組み立てるためには、正しい知識論理的思考アカデミック議論経験、深い思慮とリテラシー必要になる。そうしたものを本当に身につけている人は、一握りにも満たないだろう。現に、自分自身も振り返ると、自分感情論を補強する理屈を信奉している時がある。

そう考えると、感情論が優位になるのは当然のことだと思う。やっぱり、民主主義SNSって本当に相性が悪いなぁ、、、、、。

万博の休憩所2の件とかJICAとかの券を見てると本当にそう思う。

Permalink |記事への反応(2) | 19:49

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2025-09-05

anond:20250905112441

日本政府には「脱デフレ宣言」をあえて出さなモチベーションがある。インフレ放置した方が、設備投資が済んだ実業家経営者インフレバブル謳歌できるので何となく景気よく見えるし、インフレ税で財政改善するからだ。”

もっと普段そこまでアカデミックな厳密さを要求されないはずの政府も、インフレ税への直感的な反発を受けることになった。批判の鉾先が物価目標へのコミットメントを持っている日銀に向かなかったのは僥倖である。”

Permalink |記事への反応(1) | 11:25

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2025-08-18

anond:20250817233408

しかもツイフェミからなお質が悪い。上野千鶴子みたいなアカデミックフェミなら理屈は通ってるけど、ツイフェミお気持ちベースで何でもアリだから

Permalink |記事への反応(0) | 07:25

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2025-08-10

刑法目的教科書的には一般予防だの特別予防だのって法学者あほどもがありがたそうに唱えてるけど正直そんなアカデミック呪文だけで説明できるほど単純じゃねえんだわ

結局大事なのは快感なんだよ爽快感

人間ってのは条文や判例よりもむしろちゃんとバチが当たった」っていう感情的カタルシス体感治安を確保してんだよ

永山原則だの比例原則だのって小難しいことば飾ったって民衆は腹の底でスカッとしなきゃ納得しねえし

その瞬間こそが法の正統性を支えてるって現実無視してる時点で

Permalink |記事への反応(1) | 13:14

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教師仕事をしている人たちが苦手になってしまった

ただの愚痴

職業差別のようで申し訳ないのだが、自分社会人になって、教員という職業を持つ人間に対してマイナスイメージを持つようになってしまった。


詳細は伏せるが自分がお世話になっているスポーツ系の社会人サークル所属している知り合いの教員はどなたも癖が強く、周囲から妙に浮いてしまう特徴がある。思いつくままに列挙する。


他人の行動を躊躇なくコントロールしようとする

→例えば試合の後疲れて少しみんながダラけているとき、2☓歳くらいの小学校教師が「お前ら、とっとと動けぇ!」と罵倒混じりで叫ぶ。

本人は「仕事のクセで〜」と言ってるのだが、異常な行為に周りが引いていることに気付いていない。

試合中も他人への非難や半ば指示に近い提案をされることが多く、自分もその人にはとても気を遣いながらプレーしている。

そもそも仕事ですらない対人コミュニーケーションにおいて、人に何かを強制命令するということに違和感が拭えない。

他人への批評を嬉々として行う

「あの人のプレーは雑だ」「あの人はうまいけど一緒にやりたくない」など、他人プレー言動を当たり前のように批評する。

後は「〇〇ちゃん、〇〇に言い寄られて嫌いになったらしいですよ」などと他人ネガキャンもしないで欲しい。

これに関しては、もうなんというか、「普通言わんだろ」としか言いようが無い。

ナルシスト

それなりに勉強がてきなければ教員にはなれないと思う。社会的地位イメージ、高い仕事だ。教員というだけで立派に見える。それはわかる。

だが、「私昔から勉強はできたんですよね」とか、「地元の中では一番の高校へ〜」とか言わんでくれ。シンプルに痛々しい。

褒めて欲しそうだから褒めてやってるが、一般的社会人運動系サークル学歴自慢なんて普通はしないんだよボケが。

優秀か否かなんて、「どこを基準に置くか」でどうとでも変わるだろうが。

勝てるフィールド基準に選んでイキるなんて謙虚さの対極だろう。

申し訳ないが、自分教員をそんなに頭の良い人間と思っていない。

自分学生時代理学の専攻だったので「アカデミック研究技術世界について行けなかった人が目指すもの」というのが実態としてあった。

ただ、理学人間教員免許を取るには卒業必要単位に加えて追加での単位取得や実習が必要

そのため努力は相応にしている人だというのも事実

実際、教員免許はあるが民間技術者をやっている知人は頭の回転が早く、尊敬できる人が多い。


上記問題に本人達が一切気付かない、もしくは気付いていても全く気にしない。

サークル問題を起こしたり、主催に注意を受けても翌週しれっとやってくるのが彼らで、あまり反省しないというか、異常にメンタルが強い。

あと一切練習に来ないのに試合だけ出たがる人、若者が多い中にオッサン(どっかの中学教頭らしい)が話割って入ってきたり。

さらパワハラ自慢と離婚歴自慢も辞めて欲しい。

なんなら関わりたくねえんだ、俺は。


以上、当人達には口が裂けても言えない愚痴でした。

もし「職業:教員」がこの日記を見たら、少し自分の振る舞いが教員以外の世界でどう見られているか見直して欲しい。

Permalink |記事への反応(1) | 10:34

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2025-08-08

anond:20250808010849

スポーツもそうだけど、所詮興行からな。

多少下駄があっても女子枠を作ることで興行としてメリットがあるならそれは否定できないんじゃないのって思う。

これが実業になると、どんなに社会的理屈を並べても実際に自然現象制御してモノを作り出せないと何も意味ないので話が違う。

そういう意味では理系アカデミック研究業界は半分くらい興行になってるんだろうな。

そんで女子枠で卒業した学生はみんな文系就職して理系実業には入ってこないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 10:37

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2025-07-24

大卒至上主義社会的にみて大きな損失である

大学で学んだ内容なんて何も覚えていない、覚えてはいるが今の仕事に活かしていないという社会人は多いだろう。

なのに大卒ばかりがもてはやされるのははっきりいって謎である

もちろんアカデミックを目指す人や医学法学などの専門業務を目指す人には大学は大いに意味があることだし残すべきだけど、ほとんどの大多数は現状そうではないだろう。

採用担当からすると

大卒=育ちがいい、根気強い、社交性がある

みたいな意味合いで考えているんだろうけど、それを証明するのに4年間という期間はどう考えても無駄だ。

社会全体から見ても働き盛りの18~22歳の若者労働力が丸ごと失われているのは社会的な損失に他ならない。

それなら、高校卒業時あるいは卒業してから1年くらいかけてそれを証明する手段があれば良いんじゃないの?と思う。

Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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2025-07-13

dorawii

(非アカデミックという程度の広い意味で)日常的な会話や議論では背理法は使われない。

我々はわざと支離滅裂に言おうとでも思わないかぎり、ある程度筋の通ったと周りが思うような思考言動をする。

意図的に筋が通った考え方をしてやろうというよりは、無自覚にそうなってしまうのではないかと思う。

それはそれが人間にとって教えられずとも内的に発現していく自然思考の枠組みだからだと思う。

たとえば内と外の区別人間プリセット思考の枠組みの一つだと思われる。

唯一の物が入れ物の外にあることを発見したら、入れ物の中を見なくてもその内にはないと即座に直観できるような枠組みだ。

背理法はどうかといえば、これは到底自然人間に発芽される枠組みには思われない。

一部の天才発見したその論法天下りに与えられて、ほとんどの人が無理数証明ができるかの試験のために公式として受け入れるにとどまるものに過ぎない。

その無理数証明だが、たとえばルート2が無理数かの証明を示されたらその論法をまるごと「公式」と捉えることでルート3が無理数かを証明しろと言われても、証明はできるが、

実は自分で何を言っているのかよくわからないっていうのが正直な感想ではないか

数学論理学議論ではない場で背理法的な話し方をされたら、むしろ素朴な実感として、論理の飛躍支離滅裂と感じられるように感じる人が多いと思う。

きっと背理法自身正当性背理法以外の人間がもともと持っている論理的手順のなかで示し得るものだと思うのだが、そうはいっても自然思考の一つではないと思われる。

もし背理法背理法自身正当化されるのならば、それは循環論法という論理(学)的に誤った論理になるわけだが、循環論法は間違いであるというのも人間がもともと持っている思考の枠組みには思われない。

素朴な実感として勉強するまでは循環論法的な話に何も違和感を感じなかったことも少なからずあると思われる。

世間的には背理法支離滅裂だし自然ではないということで普通の会話や脊髄反射的なレスバでこれを用いる道理などない。

なぜ背理法を今ここまでこき下ろしているかというと、どうしても理解できない背理法の使い方を見かけたからだ。

特定の条件を満たす距離空間コンパクトならば点列コンパクトであるという証明だがそうしたテーマはここでは本質ではないのでこれ以上立ち入らない。

要点はその証明構造

Aでないと仮定して、そのなかでBでないと仮定して、するとAでないという仮定矛盾するのでBが真であるということになり、このBが真であるということを、Aでないという仮定では矛盾することを示す根拠に使っているという構造をとっていることだ。

え、おかしくないですか?

Bが真であるというところからAでない、ではないということを導いたですよ。ということはAが真なのです。

でもだったらBは結局真偽どっちになるんですかね?Aでないという仮定から、Bでない、ではないと、導いたのに、実際はAであったと言う。

Bでない、ではないという推論のよってたつところが崩壊していないか

それなのにその崩壊してそうに見えることを根拠にAだと言っている。

けがわからん。これが支離滅裂じゃなくてなんという?

言ってみれば背理法の主張には確からしさを感じ取れる「手触り」がないわけだな。

中学レベルピタゴラスの定理の、直角三角形を4で囲んで正方形を作るみたいな証明には、この種の手触りの無さが無い。全く誰にとっても納得できそうな証明だ。

数学が嫌いになるのも、こういうどう見ても支離滅裂に「見える」主張を、秀才天才けが納得できる正当性でもって押し付けられるか場面に出会ってくるからだと思う。

その主犯の一人は背理法だと思われる。上記のような多重の背理法で何かを考えたり主張したりするということを数学論理学系の学問を学ぶ人以外が自発的に行うことは全く人間として自然ではなくまずあり得ないと思われる。

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Permalink |記事への反応(0) | 18:02

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2025-07-01

anond:20250701130708

まぁ内容が事実からリベラル反論できなくて励んでるとか言うしかないよね

都合の悪いデータ無視したアカデミック陰謀論なのは事実から

Permalink |記事への反応(0) | 13:51

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リベラルって参政党よりタチ悪いよね

リベラルってアカデミック陰謀論者だし滅茶苦茶タチ悪いよ

女性社会進出が進んでる方が出生率が高い!(女性社会進出が進んでなくて出生率の高い国は除く)

ジェンダーギャップ指数がー(男性のが差別されて数値が低い場合無視する)

みたいなアカデミック陰謀論やってるんだから

データがあるように見えることがなおさら害悪

Permalink |記事への反応(2) | 11:50

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2025-06-13

吸えよ

喫煙健康に悪い。

昨今はファクトチェックなんてもの流行っているが、

1960年代アメリカタバコが発がん要因である公式に認められてから始まった世界禁煙運動

喫煙有害性を立証した論文はたくさんある。

 

例えば、

Mortality andlife expectancy in relation to long‐termcigarette,cigar and pipe smoking: The Zutphen Study

Martinette T Streppel 1,2, Hendriek C Boshuizen 1,2, Marga C Ocké 1,2, Frans J Kok 1,2, Daan Kromhout 1,2

Author information

Article notes

Copyright and License information

PMCID: PMC2598467 PMID: 17400948

 

なるほどファクトなのかもしれん、

 

気持ちよくタバコを吸っていると咎められることがある、

俺は答える「ではタバコ有益健康を増進するならキミはタバコを吸うかい?」

相手イエスと答える、だから毎回タバコ有益寿命を伸ばすことを説明してやる、科学的、統計的

反論余地のない完璧な立証であるにもかかわらず

 

「すまん、俺が間違ってた、さっそく喫煙するので一本くれないか

 

などという奴に一人も出会たことがない

 

むにゃむにゃと言い訳しながらフェードアウトする、捨て台詞は決まって「臭い」だ

 

なんなんだろね、あれ

 

え?タバコ有益性と健康増進の説明しろ

OKOK

 

では質問

世界最初禁煙運動を始めた国はどこでしょうか?」

アメリカ

「二番目は?」

「知らない」

イギリスです、で、禁煙最後まで抵抗していた国は?いいよ答えてやる、日本フランスだ、で、だ、現在先進国寿命順位は?いいよ答えてやる、日本フランストップアメリカイギリスワーストはい論破、一本どうぞ」

「いやそれはおかし寿命喫煙だけで決まらない」

「でも論文では喫煙で9年10年縮むって言われてるんだぜ、影響でかいよね、アメリカ禁煙運動を本格的に始めた1970年代まで平均寿命アメリカが上だったが、ところが現在では日本が85歳でアメリカが76歳、逆転なんてもんじゃない9年差だぜ、戦争もなかった、説明つくか?ちなみにフランス過去50年間で喫煙率はほぼ変わってない」

喫煙以外にも要因がある、日本喫煙率がもっと下がってたらもっと寿命が伸びてたかもしれない」

「うん、それも説明がつかないんだよ、同じ日本都道府県別で喫煙率と寿命の相関を取ってもごく弱い相関しかでない、さらに男女差で見てみも、過去半世紀で男女の喫煙率の変化は大きな違いがある、女性はもともと喫煙率が低かったからね、んで、同じ国内自然環境社会環境医療制度、条件は同じ、要因は変わらず、だけど喫煙率の変化は男女で大きな違いがある、当然寿命の伸び率に差が出るはずだよね?結果は?いいよ答えてやる、過去50年間で男女の寿命差はまったく変化が無い?はいなんで?」

アメリカ肥満やら薬物やら問題が沢山ある、銃もある」

「そう、そこなんだよ、なぜアメリカ国民肥満し薬物に逃げ、銃をぶっぱなすのか、なぜそんな社会になったか

「しらんけど」

「抑圧的な文化社会構造、あれはダメ、これもダメ正義や善、価値観押し付け合う不健康社会が原因じゃねぇのか?タバコの煙くらい我慢するのがむしろ健康社会を作るって証拠じゃねぇのか?」

「いやでも、子ども妊婦受動喫煙の影響もある」

「うん、それも否定されてる、確かに1970年代80年代にそれらを指摘する論文はいくつか出たが、その後の調査否定的な論文も出て、現在アカデミック結論としては、影響なくね?の方が優勢だよ、さぁさぁ一本吸いなさい、タバコも吸えない軟弱な精神と肉体では厳しい現代社会サバイブできんぞ」

臭いからヤダ」

「なぁに最初だけだ、すぐに依存するようになる」

「金と時間無駄だ」

「VAPEでニコリ個人輸入すれば月額2000円もかからんよ」

「やだやだやだ、アメリカ白人様が喫煙者はアホだと言うてる、それを信じる、しーらんしらん」

 

おおむねこのような会話にしかならない。バカだ。

ファクト無視科学統計無視

禁煙者の情緒全振り非論理的思考にはついていけない

タバコを吸わないか物事を深く思考する習慣が身についてないのだろう

ヤレヤレ

 

今日結論健康長生きしたければタバコを吸いなさい

Permalink |記事への反応(1) | 16:10

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2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 →融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点理由

経済思想市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

Permalink |記事への反応(0) | 19:04

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2025-06-06

anond:20250606160906

元増田だけどそんなアカデミックな職じゃないか関係ないな

働かない前提って随分な言い草だったけどアカデミックな職以外仕事認識してないんか?

まあ関係ある人たちで話し合って決めて欲しい

別姓にするなー!なんて一言も言ってないし、決まったことに従うので好きにしてくれ

Permalink |記事への反応(0) | 16:11

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2025-05-28

ここをアカデミックな場と思ってる人もいるんだ

Permalink |記事への反応(0) | 22:26

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2025-05-19

ブクマカノアスミスを好んで読む理由

ノアスミスNoah Smith)がはてなブックマーク利用者に好まれやす理由はいくつか考えられます。以下に整理してご説明いたします。

1. 「リベラル理系」的な視点との親和性

はてなブックマークユーザー層には、リベラル志向かつ理屈を重視する層、いわば「リベラル理系」的な感性を持つ人が多い傾向がありますノアスミスは元経済学者(元アカデミック)、現エコノミストブロガーとして、データを用いながら進歩主義的な議論を展開するため、こうした層にとって「理知的かつ価値観が近い」と映りやすいのです。

2.米国発のテック経済ネタを早く拾える

ノア経済に限らず、テック業界地政学新興国経済AI社会制度など幅広く取り上げており、知識層のインテリ好奇心をくすぐる内容を定期的に発信しています英語が得意で海外情報に敏感な層にとって、「彼の視点を押さえておけばひとまず話題に乗れる」という安心感があります

3.権威としての「ちょうどいい」距離感

ノアスミスノーベル賞学者でもなければ政府高官でもありません。一方で、かつて大学経済学を教えていたバックグラウンドと、著名メディアブルームバーグなど)での寄稿実績もあり、**「一般人よりは上、世界権威よりは近い」**という絶妙距離感が受け入れやすいのです。いわば「賢い兄貴分」的な立ち位置

4. 「自分でも理解できる経済」の語り口

経済系の話題は難解になりがちですが、彼は専門家のくせに(良い意味で)説明が平易でキャッチーです。はてブユーザーの中でも「専門家気取りを嫌う人」にとって、彼の語りは「わかりやすいし、気取ってない」という印象を与えやすいです。

結論:信頼のおける「単なる一般人」か?

おっしゃるとおり、彼は官庁政策決定に直接関わっているわけでも、超一流学者でもないので、鵜呑みにすべき人物ではありません。しかし、情報キュレーション能力思考整理のうまさによって、「参考になる情報源の1つ」としては非常に有用存在です。

はてブのような場では「信頼性が完全に保証された人」というよりは、「自分たちと価値観が近く、情報感度が高く、論理もそこそこ通る人」が人気を集めやすい傾向がありますノアスミスはその代表格というわけです。


AIに聞いたらスッキリした

Permalink |記事への反応(0) | 16:45

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2025-05-18

あの数式どうするかな?

数式いれれるなら、なるべくいれておいた方がアカデミック風味がして

いいのではないか最近だとそれこそpixtexとかで

簡単論文化してくれるしなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 13:47

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2025-05-17

構造男性差別偽装されたジェンダー平等沈黙倫理崩壊への序

はじめに

女性AED問題や、札幌の介抱わいせつ逮捕事件草津町冤罪事件、乳腺外科医冤罪事件東京科学大の女子枠など、それはおかしいだろってニュースが多く、それをChatGPTに放り込んでいったら、論文を書いてくれたので、残しておきます

こんな文章自分SNSでさえ好評を憚られるので(白饅頭さん、小山(狂)さん、YSさん、めるめるさんなど、こっそりいいねをつけることはありますが)、匿名で置いておきます

序論:声なき側からの問い

近年、ジェンダー平等公共政策教育メディアにおいて繰り返し謳われている。しかしその内実は、多くの場合女性支援」に集中し、男性負担構造は温存されたままである。とりわけ、社会的に弱い立場に置かれた男性にとって、日本社会ますます生きづらい空間となっている。本論文では、このような「名ばかりの平等」が構造男性差別として作用している実態と、それに対していかにして制度的・倫理的な修復が可能かを考察する。

実態ジェンダー平等という名の負担非対称性

現代日本ジェンダー政策には、以下のような非対称性存在する:

これらの構造は、男性を常に“責任主体”とし、女性を“支援対象”とする社会通念と制度に支えられている。

言論空間における沈黙強制

この非対称性に異議を唱えると、「女性蔑視」「ミソジニー」「差別主義者」として社会的制裁を受けることが多い。特にアカデミアやメディアにおいては、フェミニズム価値観事実上の「検閲装置」として機能し、構造男性差別の指摘自体が“語ってはならないタブー”と化している。言論の自由が奪われたとき制度の歪みは修正される術を失う。

日本学術会議アカデミアの構造腐敗

日本学術会議をはじめとする学術機関は、本来ならば中立的客観的な知見から社会提言を行うべき立場にある。しかし実際には、特定思想(反防衛・反資本フェミニズム)への傾倒、公費による活動にもかかわらず説明責任の欠如、政策実効性に乏しい提言と、過去の誤りに対する訂正や謝罪の欠如といった問題が指摘される。アカデミアが公的影響力を持ちつつも責任を取らない構造は、制度腐敗の典型である

倫理なき正義暴走草津町冤罪事件に見る“公共糾弾”の危険

草津町冤罪事件は、「被害者の声は信じるべきだ」という道徳的スローガンが、誤った断罪社会的抹殺を生む構造になりうることを示した。虚偽申告によって一人の町長名誉が踏みにじられたにもかかわらず、その加担者(著名フェミニスト支援団体)は誰も責任を取らず、謝罪もしていない。このような「信じることによる加害」は、責任の不在という最も危険社会病理である

改革提言制度男性差別を是正するために

法制改革

社会支援中立

言論の自由回復

崩壊を望む声:希望が閉ざされた社会で理性はどう生きるか

多くの若い男性が、「いくら論じても無駄だ」「一度、社会が壊れるしかない」と口にする。これは厭世的感情ではない。むしろそれは、真剣に向き合い続けてきた者の“最後倫理的選択である責任を負わない者が公的空間占拠し、声を上げた者が沈黙を強いられる社会において、崩壊は“沈黙の報復”であるとも言える。

結論崩壊の記録者としての倫理

本稿は、制度男性差別の構造とその背後にある言論の抑圧を記録し、たとえ社会が崩れても、理性が語っていた証拠を残すために書かれた。今、構造を変える意志を持つ者がいなくても、いつかこの記録が再建の素材となることを願う。

「壊れるなら壊れるがいい。だが、壊れるべきだった理由は、言葉で残されなければならない。」

Permalink |記事への反応(0) | 00:32

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