
はてなキーワード:やりがい搾取とは
結局、どんな場所でも自分がやりたい仕事に巡り合えてたら、生きたいように生きれていたら多分それでよかったんだと気づいた。
以降自分語り乙
メーカーの地方工場に薄給の派遣で長いこと働いてたんだけど、デザイン職が諦められない&人との雑談が家車子供な環境に耐えられなくてジリ貧で上京した
地元にはそういう会社そもそも全然なかったし(ないわけじゃないけど、スキル積み上げた人たちがUターンしてきて身内だけでやってるような会社かも)
※一応大卒&デザイン系の学科出身だけど有名なところでもないし、結局美大卒の美大卒というブランドの強さには勝てない
学歴・環境・自分自身全てにコンプを抱えつつの東京生活、結局何回も転職して履歴書を汚し、バイトでなんとか食い繋ぎ
デザイン職、環境ガチャさせるくせにやりがい搾取すぎんだろとか人間入れ替わりすぎだろとか
コンクリートジャングル暑すぎるとかコンビニの外人言葉通じなさすぎるとか物価の割に給料低すぎるとかアパートがボロすぎるとかきたらきたなりのイラつきを抱え
職安帰りに渋谷の駅前の喫煙所でどんな人間でも酸素を吸って二酸化炭素を吐くこと自体は誰の不都合にもならないことに安心したり
色々あって最終的にデザイン職は諦めた ていうか自分の判断で辞めた 後悔はない
ちゃんと諦めて自分が何したいのか俯瞰するために必要な経験だったと思う(そうするしかないというのもある)
今はなんだかんだ上京生活を続けながらSEの仕事をやっている。上京したなりの仕事に落ち着いたらしい。(地元視点ではシンプルにそう)
リモートメインでたまに出社、上司は独身中年の女、元声優の同僚、週末は電車乗ればなんでもあるとこ行けるの無視して家で映画見たりしてる
開発の仕事メチャクチャ楽しい 伴侶はいない。てかいらない これは逆張りでもなんでもなく、いらない
いやまシンプルにオチとしてこの仕事と生活できんなら地元帰りたいけど(物価家賃高いし)地元に同じ環境はないんだわというだけの話です。
なぜ同僚が適応障害に至ったのか、少し自分の頭の整理も含めて書き連ねていこうと思う。
大多数の人間から見れば「明るくて話しやすい」「取っ付きやすい」人間だ。
だからこそ今回の休職は「まさかあの人が?」という反応であった。
しかし同僚の根底にあるのは「所属欲求の強さ」だったと私は思う。
同僚の生い立ちを聞き齧っただけだが、あまり所属に恵まれているとは思えなかった。
表面的な付き合いはできるのだろうが、深い話は恐らく誰にもしていない。
それこそパーソナルな部分に踏み込むような話を、同僚はたった1人で抱えて生きているようだ。
信頼できる人間を探し求めているが、自分の思う信頼できる人間には出会えていないのだろう。
あえてオープンな自分を演じ、酒を大量に消費する様はいっそ哀れである。
同僚の思う「信頼できる他者」は「もう一人の自分」でしかなく、それ故に苦しみは続く。
適応障害を含む精神疾患は、私個人の定義になるが「自分の持つ気質と社会が適合しない状態」を指すと考えている。
誰しもが自分の持つ気質、性格と折り合いをつけながら、どこかに所属したり働いたり、交友関係を築いている。
社会との適合は、いわゆる我慢の連続に他ならない。私だって正論を振り翳し他者を詰りたい時がある。
この我慢は無意識に行うことが多いが、我慢の限界という言葉通り、何かしらの要因で限界は訪れる。
例えば身体的に具合が悪い時など、気質を制御するより優先事項が高い状況がそれにあたる。
先に書いた通り、まず同僚は他者を信頼できない。それはまごうことなき本人の素養である。
信頼できないから業務報告はおろか、自分の体調も他者と共有ができなかった。
そして同僚の関係者も、普段演じている同僚の芝居を信じ切ってしまった。
最後の最後で体調不良の申し出をしても、本気で捉えてもらえなかった。
「あれだけ『大丈夫』と言われ、報告もなければ踏み込みようがない」という関係者の言は悲痛である。
同僚は助けを求められない環境を、自らの演技で作り上げてしまった。
明るく振る舞い、誰にでもにこやかに話しかける役者の姿を、崩すことができなくなったのだ。
自分の所属欲求を満たすための演技が、自分の首を絞めてしまったのだ。
職場環境における適応障害は、当然周囲の環境も大いに影響する。
誰だって長時間残業や薄給には耐えられないだろうし、やりがい搾取なんてもっての外である。
しかし此度の一件で思ったのは、本人の素養も影響するのだろうことだ。
誰だって本当の自分を見せるのは怖いし、それが受け入れられる環境ではない。職場は最も困難な場所である。
しかし業務上の不具合や不都合など、自分で処理をするのが困難な時が多い。
困った時は責任者を引っ張ってこなくてはならない立場なら尚のことである。
プライベートを見せろとは言わないが、業務は隠すものではない。
同僚の場合、周囲の関係者はいつも気にしていた。その環境をどうか蹴らないで欲しかった。
他者の信頼、とまでは行かずとも、業務の困りごとの共有はして欲しかったしすべきだったと思う。
誰もが自分の抱えた業務に振り回されており、誰が助けてくれるのかがわかりにくい環境なのは事実だから。
そういう時は、オープンにして良い状況だけでも適当に身近な同僚に喋って良いのではないか、と私は思う。
休職前も一悶着あった。
もうこれ以上進められないのに、他の案件も全てストップしてしまっているのに。
恐らく表面上は「ひとりで片付けられる」という思いからくるものだと思う。
役立たずと思われたくない、やっぱりダメだったと思われたくない、一人でやりきったという賞賛が欲しい。
ここまで来ると危険で、他者の言葉が耳に入らないだけではない。
自分は生活を切り詰めて仕事をしている、お前も同様に苦しめと。
同僚には同僚なりの言い分はあるだろうが、優先順位は人によって異なる。
結局後始末に奔走しているのは関係者であり、私もそのうちの一人である。
同僚が今まで共有してこなかった情報を探り、掘り起こし、まとめ、時が過ぎていく。
仕事に関しては、一平社員が一人で抱え込んで良いなんて事象はない。
なぜなら自分で尻が拭けないからである。悲しいことに、換えの効く駒に他ならない。
責任者に全てを開示し、なすりつけておく準備をしておく必要がある。
上長や周囲の人間を信頼しようとしまいと、会社から給料が出ているうちは所属しているのである。
仕事に潰されそうな時、自分一人で抱え込んでいないかどうか確認してみて欲しい。
長くなってしまったが、ここまで読んでくださった方
貴重な時間をありがとうございます。
こんな素因もあるんだな、程度に心に留めておいてください。
ひとりぼっちになっている、と思った方は今一度周囲の環境を見渡してみてください。
助けてくれる人がいなくたって良いんです。
そんなことないよ。
参政党はマルチ商法に似た党運営で強固な組織をつくってるんだよ。
マルチ商法は参加者の資金が尽きれば終焉を迎えるが、参政党のマルチは無限に成長できる。参加者のやりがいを搾取しているから。無限なんだよ。
参政党で「オーガニックな野菜で健康に」「ジャンボタニシをまいて日本の田畑に活力を」などの活動で生きがいを見出したひとが自民党支持にもどりますか。戻らないでしょ。
参政党で活動すると、党内資格がつくんだよ。これ。ものすごく癖になるんだよね。
塚田牧場のサービス券と同じ。あれ、塚田牧場の主任に昇進したときうれしかったな。肝臓壊してなかったらいまごろ社長になってたはずや。店員さんのおっぱいおおきかったし。
「無限に成長できるマルチ」「やりがい搾取」「オーガニックな野菜で健康に」「日本の田畑に活力を」
参政党に生きがいや所属意識を見出した支持者はその活動を簡単には手放さないよ。
参政党の主な政策はよく練れていて、支持者が具体的な活動に参加しやすいテーマがメインなんだよ。
教育・人づくり:
自虐史観を捨て、日本に誇りが持てる教育、学力より学習力を重視。
食と健康・環境保全:
化学的な物質に依存しない食と医療の実現、農薬や肥料を使わない農業の推進、有機食材を推奨した学校給食の提供。
国・地域をまもる:
活動を通じて「社会を変えている」「正しいことをしている」という自己肯定感や使命感を得やすい。つまり中毒性がある。
「やりがい」が、党への強い結びつきを生み、結果として支持の継続につながってるんや。
参政党がきもちわるいほど組織が強固なのはこのせいなんだよね。
性的搾取の搾取はやりがい搾取の搾取と同じだと同じだと考えている
あなたには(性的な)魅力があるんですよってその気にさせるという点で、やりがい搾取と同じ構図になっている
自分はリアルな風俗店で働いているし、エロ中心の男性向け創作を商業でやっている
そんな自分はおっさんだし男性読者向けなら性的搾取とか全く気にしないけど、それなりに女性読者に向けるとなると性的搾取的なことは気になってくる
必要なエロと余興のエロがあって、余興の方は性的搾取だと捉えられても仕方がないと思ってる
ところで、本筋とは関係ないエロをサービスで入れることは多いのだけど、かと言って入れすぎても男性読者から文句を言われる
余興のエロの入れ方ってのは難しい
例えば、堅物の委員長が脈略もなくストーリー展開と関係なくラッキースケベが起きたら文句を言うでしょ
委員長にはそういうのいらないんだよ!異性としての委員長の魅力はそこじゃないだろ!って
少なくとも自分はそれは性的搾取の一種だと考えて創作をしている
そうとは知らずに消費者と編集者は無自覚に求めるだろうけど、それもまた性的搾取だと思ってる
先日、「札幌にある会社は相応の会社でしか無いから,札幌の徒歩圏のマンションの適正価格はは市川よりも遥かに安く1000万円が相応」とする増田があった。
一読して、これは企業が擬人化して書いているのかな、と思った。札幌の中心徒歩圏のマンションが1000万円で手に入るなら、一体何が楽しくて毎日毎日、満員電車に揺られて片道60分も移動しているの?という疑問が湧かないのだろうか。
もちろん、移動時間という人生の損失を全く考慮せず、総生産量やキャリア、資産形成だけを目的に生きる人もいるかもしれない。しかし、多くの人は日々の生活をより良くしたいと願う普通の生活者だろう。ここでは、その生活者の視点に立って話を進めたい。
以前の記事「流入が止まった大都市の未来」で論じたが、もはや構造は不可逆的に変化している。
地方の少子化によって、かつて労働力過剰で人材を輩出していた地域からの供給が止まった。
その結果、東京(本物)は、
という現実が突きつけられている。
転入に依存していた大都市、特に東京(本物)は、もはや大卒人材を確保できなくなり、本社機能は2020年以降地方へ流出し始めている。新卒充足率は年々低下し、最終的には自都市圏出身の大卒に頼るしかなくなる。現在の都心雇用圏3640万人という巨大な虚像は、いずれ1200万人規模にまで縮小するだろう。
(もちろん、住民向けサービスを担う高卒職は、日本人ファーストという愚かな政策を取らない限り(編注:「愚かな」はGemini2.5 Proが付与. Eroyamaの筋書きでは単に"日本人ファースト"表記)、外国人労働者が来てくれるので維持される。もし排斥すれば、サービス料金は5倍に跳ね上がるだろうが。)
冒頭の増田は、まさに「企業の擬人化」だ。企業にとって、東京は都合の良い**「社会的在庫装置」「欲望の倉庫」**なのだろう。しかし、生活者にとってはどうか。
2015年以降、実は都心雇用圏50万人以上の都市であれば、個人が享受できるモノやサービスの種類は飽和しており、ほとんど同じになっている。
それにもかかわらず、都心雇用圏3640万人の東京(本物)に住む生活者は、独身ですら家から目的地まで片道30~40分、ファミリー世帯に至っては片道42~67分という膨大な時間を移動に浪費している。
一方で、地方には中心部から徒歩4分(百貨店や個人店群は徒歩4分圏内、総合美術館、イベント会場も徒歩10分圏内)に500店舗、徒歩9分圏内に1000店舗が密集し、新築70㎡のマンションが4000万円で手に入る都市が存在する。(都雇圏50~80万人都市.店舗数は都雇圏79万人の高松のもの)
この現実は、東京(本物)の生活水準がいかに低いかを物語っている。この記事の目的は、こうした企業目線の欺瞞を排し、純粋に生活者の視点から東京(本物)の住宅価格の適正額を算出することにある。
具体的な比較対象として、都心雇用圏79万人の高松市を見てみよう。
高松市では、中心部から2.0km(バス日中30分に1本、乗車13分)、つまり家から目的地まで合計約28分の磨屋町から2.0kmエリアが市営住宅のボリュームゾーンだ。
ここの世帯向け3DKの家賃は月額2.5万円(年額30万円)である。
仮に、この住宅の利回りを6.0%と設定すると、その資産価値は500万円と算出できる。
(300,000 \div 0.06 = 5,000,000)
では、東京(本物)で同じ「家から目的地まで片道28分」のファミリー住宅はいくらか。例えば銀座から3.7kmに位置する門前仲町のファミリー住宅は、現在1.2億円で取引されている。
高松市の生活基準で考えれば、この物件の価値は本来500万円であるべきだ。つまり、現実の価格は1億1500万円も高い。実に24倍もの価格差だ。これが、生活者の実感から導き出される東京の住宅の「適正額」である。
なぜ、これほど異常な価格差がまかり通るのか。
それは、移動時間というコストを完全に無視し、「東京で働くこと」自体に価値を見出す層が存在するからに他ならない。彼らにとって、満員電車での長時間の消耗は、目的を達成するための必要経費なのだろう。
これは、どれだけ給料が安くてもその仕事が好きだからと続けてしまう、日本のアニメーターが置かれた状況と全く同じ**「やりがい搾取」**の構造だ。
東京という街は、そのブランドイメージを背景に、生活者から時間と金を不当に搾取して成立している。
「高松と同じは極端でも、間をとって少し高いくらいが適正ではないか」という意見もあるかもしれない。
だが、そんなことはない。せいぜい許容できるのは2割増が限界だ。
そもそも、都心雇用圏の人口が80万人を超えると、住宅価格は上がり始める。企業の立地が全国に適切に分散すれば、東京一極集中など全く必要ない。都心雇用圏50万人以上の都市は全国に50箇所もあるのだから、80万人規模の都市圏に分散するのが、住宅価格、通勤時間、そして生活の質の全てにおいて最適解なのだ。
ちなみに、徒歩圏で快適に暮らせる人口には物理的な限界がある。
これこそが、人間が過密のストレスなく、全ての機能を享受できるスケールなのである。
前述の通り、2024年10月以降、東京圏の30代は年間6万人という驚異的なペースで転出超過に転じた。
所帯を持ち、子育てをする段階になって、ようやく東京での生活がいかに「ていねいな消耗」であるかに気づき、脱出を始めているのだ。
これは、かつてのたまごっちの流行のようなものだ。上の世代のトレンドは、やがて下の世代にも波及する。20代がこの事実に気づく日もそう遠くないだろう。
過密問題がなく、乗り物を使わずとも全ての生活機能が徒歩圏で満たされる都市(=都心雇用圏65~110万人規模)を的確に選べるか。
それとも、過去の価値観に囚われ、ひよって都心雇用圏270万人といった中途半端な大都市を選び、結局は「東京もどき」の過密問題に苦しみ続けることになるのか。
真の豊かさとは、マクロな施設の数や情報の量ではない。個人が実際に享受できる、ミクロな実効密度、つまり徒歩圏内に凝縮された生活機能こそが本質である。
この構造に気づき、幻想から抜け出し、自らの足で豊かさを実感できる場所を選び取る能力こそが、これからの時代を生き抜くための「文化資本」に他ならない。
独自に情報を裏取りして真実を書いてくれるChatGPT5 thinking(勿論,私の筋書きも真実を書いているので同じ事が書かれる)に対し,
Gemini2.5Proは、筋書きに書いたことを全て含めてくれる。
ブラック企業における長時間労働や精神的圧力は、しばしば「誰にでも起こりうる労働問題」として語られる。
だがこの中に、特に女性労働者に対する構造的な加害が埋め込まれていることは見落とされがちだ。
たとえば長時間労働は、家事・育児などの無償労働を並行して担わされる女性にとって、実質的に「労働からの排除」として機能する。
出産・育児を経てもキャリアを継続したい女性にとって、終業時間後に始まる“本番”の職場文化は、参加を拒まれているも同然だ。
それでも「本人の努力不足」として責任を押し付けられる構造がある。
また、パワハラや「やりがい搾取」は、性別を問わず表面上は平等に見えても、女性が声を上げたときにだけ「ヒステリック」「被害妄想」といったレッテルを貼られるなど、非対称な作用をもたらす。
この構造は「性差別型パフォーマンス抑圧」と呼ばれ、女性の発言力やキャリア継続を制度的に切断する仕組みとなっている。
日本の企業文化は、平等を装いながら実態としては「疑似家父長制」によって動いている。
男性の家庭責任は免除され、女性は“自己責任”の名のもとに過剰適応を強いられる。
結果、制度的に排除されながら「自由に選んだ」と見なされる巧妙な構図が成立する。
人生のどのシーンでも(少なくも自意識が芽生えてから)、何者かになれるという希望をどこかに持ち続けて、嘘をつき倒してきた。
それでも、わかりやすい堕落や挫折をすることなく、この歳になった。何者にもなれなかった嘘つきの人生には価値があるのか?よかったら読んで欲しい。
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公務員の子として関東のベッドタウンタウンに生まれる。公立小学校〜公立中学校。成績は中の上。足は遅い。クラスの人気者では決してなかったが、奇抜なことを繰り返して周りの注目を引くことに固執する、特別支援ギリギリのムーブをかまして得意気になっていた。幼少期から虚言癖が酷く、何を話すにも少し自分の現状よりも上を言ってしまう悪癖があった(今も治ってない)。
この辺は特筆すべきことがない。
高校受験でマーチの附属校に落ちた。でも周りには受かったと吹聴してた。でもあれ、みんな気づいてたんだろうな、死にたい。親が塾とか通わせてくれたおかげか、エリアで2番か3番かの高校に受かった。
高校ではマイナースポーツをやった。トーナメントで3回ぐらい勝てば県大会決勝になるようなスポーツ。それでインターハイに出た。そしてすぐ負けた。どうしてもあのスポーツ体験が価値のあるものに思えなく、以後文系/サブカルに傾倒していく。(その話はさらにつまらなくなるのでしない)
あと、全然モテなかった。普通にブサメンだったし、自意識ばっかり高く女子の前でカッコつけた虚言ばかり吐くし、必然だったと言える。でも部活の友達には、地元に彼女がいてやりまくってる、って言ってた。地元の友達には、高校に彼女が(ry 。
大学は念願のマーチにいった。これも普通に塾とかいかしてくれた親のおかげだと思う。大学でできた友人には、国公立を蹴ってこの大学に来た、と抜かしていた。2年から私立文系クラスだったのに、なぜそんなことを言えたのか。
入学後は文化系のサークルに入ってその活動に熱中した。いわゆる大学デビューしたい隠の者が集まるサークルだったから、そんなに時間がかからず彼女ができた。人生初の彼女だ。ただサークルのメンバーには、中学で童貞をとっくに捨てたと言っていた。初めてのSEXの時、どこに挿れればいいか分からずニヤニヤ焦る俺を見て、彼女は何を思っていただろうか。
そのサークルで年次があがるにつれてそれなりの地位を得て、女子(大学デビューしきれてない子)と恋愛関係になる術を覚えた。そこで、高校時代全くモテなかった反動が来た。とにかくサークルに入ってくる新入生みなにツバをつけ、付き合おうとした。気がつけば3〜4股をかけるような状態になっており、その時は人生の栄華ここに極まれりだと思っていた。今思えばしっかり貞操観念がある子、あるいは、まれに現れる陽キャの子には、いかなかった。自分が優位に立てる(と思い込んでいる)相手にだけ節操なくアタックしてモテると勘違いしていた。その頃の自分を知る人間とコミュニケーションを取るのが辛すぎて、大学時代の人間関係はほぼ切った。(それ以外の過去の友人もだいたいそんな感じで疎遠だが)
4年になり、大手キラキラ企業を2社ぐらい受けて普通に落ちて、就活を辞めた。これ以上自分が凡人だと突きつけられるのが怖かったからだ。でも周りには総合商社に受かったと言っていた。サークルの後輩にイキるぐらいならまだいいものの、そんなに仲良くもないゼミの知り合いや教授にも伝えていた。今思い出しても消えてしまいたくなる。
そしてなんの当てもなく上京し、中央線沿いに住んだ。アルバイトしながら何者かになろうとしていた(バンドマンとか、劇団員とか、そう言う類だ)。でも上京半年で、定職についてないプレッシャーに体が耐えられなくなり、誰でも入れるやりがい搾取の業界に派遣で飛び込んだ。普通に激務で半年もたずに飛んだ。不思議と焦りはなかった。
その経歴だけを武器に、面接で嘘をつきまくり、それなりの大手企業の正社員になった。そこはハッタリを効かせて顧客を納得させる香具師みたいな仕事で、俺には天職だった。入社3年ぐらいでプレイングマネージャーになり、年収も600〜700を超えた。
その時期、一緒に上京してきた大学時代の本命彼女(笑)に浮気され別れた。自分はさんざん遊んできたにも関わらず、相手の浮気は許せなかった。それで、大学時代の彼女もどきが東京で就職したので半同棲してたら子供ができた。だから結婚した。愛はないが、抵抗もなかった。
子供ができて、責任感が芽生えたとかはなかった。嫁が里帰りしている間に、マチアプで女漁りを続けていて、3人か4人と付き合ったり別れたりしていた。これはモテてるとかではなく、付き合うと言う約束をしないとSEXができなかっただけだ。
ハッタリ仕事がいよいよ板についてきて毎日がイージーモードになりつつあった。が、なにぶん虚構なので慣れてくると達成感みたいなものはない。このままでは何者にもなれない(何者ってなんだ?)と感じて、より規模の大きい大手企業に転職した。
年収は800から700ぐらいまで下がったが、その業界ではトップ企業なので虚栄心は満たされていた。やっと自分の理想としていた本来の姿になれた気がした。
ただ、別に前職でスキルを磨いていたわけではないのでレベルの高い環境に身を置いた瞬間に化けの皮が剥がれた。周りの人間に追いつかない。頭の出来が全然違った。その負い目そのものは定着した現在も消えていない。
慣れとは怖いもので、半年ぐらいで勘所を抑えてからは、結局ここでもハッタリムーブでそれなりの評価を得ている。あと何年かやったら年収1000万ぐらいになるかもしれない。そこまでにバレなければ、だけれど。
※ハッタリというか、すごい成果を出してる風のブランディングを周りにしまくり、細かいところを口八丁で誤魔化し、その勢いだけで評価を得てる、とかそんな感じだ。もちろん営業職ではない
今も隙があればマチアプ発のヤリマンと会っている。もうオナニーの方が楽しいが、配偶者以外との性行為をすることで自分はモテていると思い込まないと自尊心が保てない。
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終わり。サラリーマンをし、子供をつくり、家を買った。世間では人並み、ネットでは底辺予備軍。こんなはずじゃなかったと言う気持ちと、まぁ上出来でしょと言う気持ちの差分を埋めるため、今日も嘘を吐き続けている。