
はてなキーワード:もっととは
「〇〇の先生」として活動しててリアルとのギャップがすごすぎ。なんというか怖いもの見たさでそのアカを見にいくんだけど、SNSって虚構の世界だなあと。
いろんな分野で本名を名乗り組織名を掲げて発信してるアカウントがあるけど、この知人のお陰で全て信用できなくなった。組織の端っこでたいした実績もなくともSNSならもっともらしく振舞える。承認欲求を満たすにはもってこいなわけだ。
でも本物って承認欲求を満たすために活動してるわけではないのだよ。わが道を極めるために活動してるのだよ。正式なルートで自己表現しているのだよ。目的は真摯な活動、その結果、副産物として名が売れるのである。
これからはAIの普及で、ほぼ人は自分で文章を書くことはなくなるだろう。
口頭でざっくりとした内容を伝えて書かせる、いやそれ以上の発展を遂げて人が直接文章を打ち込むよりも遥かに優れたものが出来るようになるんだろうな。
ぶっちゃけ毒吐きネットマナーって腐女子個人サイトにあるルール()をまとめただけのやつなんだよね
あれは2007年だった。
働き始めて小銭ができた俺は、雰囲気で1550万円を株に突っ込んだ。
当時はネット証券が流行り始めた頃で、画面越しに良さげなものをポチポチ買った。
直後にリーマンショックがきて、俺の資産は速攻で半分になった。
それから19年。一回も売らずに気絶していた結果がこれだ。
外資の投信は中国株を直接買えない、なんてことも後から知った。
結局、4本は不人気で繰上償還(強制解散)。生き残った1本も+40%程度。
株価自体は自分が買った頃がここ20年の天井で、今でも評価損がマイナス100万円。
この19年のS&P500のパフォーマンスは約7倍なので、それと比べると随分ショボい。
もっと上手く立ち回った人もいっぱいいるんだろう。
市場は万能ではない。だが「万能ではない」という事実を、官僚と政治家が免罪符として濫用する国家は、例外なく自己放尿する。
市場は確かに失敗する。しかし、政府はもっと頻繁に、もっと大規模に、そしてもっと不可逆に失敗する。
問題は「市場か政府か」ではない。市場の失敗に対して、政府がどの程度の失敗を上乗せするかである。
ここでまず明確にしておく。規制は必要だ。必要なのはルールである。国家が担うべきは審判であって選手ではない。
審判はルールを固定し、プレイヤーが予測可能な環境で競争できるようにする。
審判が気分で笛を吹き、勝敗を演出し、人気チームを勝たせようとした瞬間、競技そのものが自己放尿する。
これが裁量行政の本質だ。つまり制度設計ではなく介入芸で国家が飯を食う社会は、資本主義をやっているようで、実態は準社会主義である。
市場に必要な規制は、所有権の明確化、契約執行の強制、詐欺・暴力等の排除が挙げられる。
これは国家のコア業務だ。これがなければ市場は単なる弱肉強食の縄張り争いに堕する。
だが、この最低限のルール整備と、「特定産業を救う」「特定企業を延命する」「特定地域に補助金を撒く」「特定価格を維持する」といった裁量介入を混同する国は多い。
これは知的に言えばカテゴリーミスであり、政治的に言えば利権の偽装である。
価格は情報である。価格は需給だけでなく、希少性、リスク、期待、技術、代替可能性、時間選好といった膨大な情報を圧縮したシグナルである。
政府が価格に介入するとは、情報伝達回路を破壊する自己放尿である。
価格統制、補助金、参入規制、護送船団方式、行政指導。これらはすべて、価格が発する「足りない」「余っている」「危ない」「儲かる」というシグナルを黙らせる。
すると市場は沈黙する。沈黙した市場では資源配分が劣化し、全要素生産性(TFP)が腐り、資本蓄積が歪み、イノベーションが死ぬ。
さらに致命的なのは、政府介入が単発で終わらない点だ。介入は次の介入を呼ぶ。
たとえば賃金や価格を政治的に固定すれば、需給の調整は数量制約として現れる。品不足、待ち行列、闇市場、質の低下。そこで政府はさらなる規制で対応する。
こうして政策は自己放尿する。これは政策のラチェット効果であり、政治経済学的には典型的な政府失敗である。国家は縮まない。国家は肥大する。
この肥大は、単なる非効率では済まない。合理的期待形成のもとで、民間は政策を学習し、適応し、回避し、ロビー活動に資源を投下する。
これがまさにルーカス批判の核心だ。政府が過去データを根拠に裁量政策を撃てば撃つほど、民間の行動規則そのものが変わり、政策効果は蒸発する。
蒸発するだけならまだ良い。現実には政策は不確実性を増幅し、期待を不安定化させ、投資を萎縮させる。これはマクロ政策が景気を安定化させるという幻想の裏側にある現象である。
裁量介入の害は、単なる資源配分の歪みではない。もっと深い。インセンティブ構造の破壊だ。
救済が予想されれば、経営者はリスクを過大に取る。モラルハザードが発生する。ゾンビ企業が生き残り、創造的破壊が止まる。
生産性の低い企業が市場から退出しないため、労働も資本も滞留し、新陳代謝が消える。これが日本型停滞の中核であり、成長率の天井を作る。
そして官僚機構は介入すればするほど自分の仕事が増えるため、規制の供給者として振る舞う。
つまり、規制は公益ではなく官僚制の自己保存のために生産される。
政治家も同様だ。補助金を配れば支持が得られる。規制を作れば仕事をした感を演出できる。
財政支出は可視化され、票になる。改革は不可視で、票になりにくい。
だから政治は短期主義に偏る。ここに「政府が市場を補完する」という建前の裏で、「政府が市場を寄生する」という自己放尿が成立する。
このとき国民がよく口にする反論がある。「でも市場には格差がある」「弱者が切り捨てられる」「外部性がある」。
もちろんそれは正しい。だがここで重要なのは、格差是正を口実に、政府が価格メカニズムを破壊してよい理由にはならないということだ。
外部性は存在する。だが外部性への対応は、原則として価格付け(ピグー税・排出権取引)で行うべきであり、官僚が恣意的に産業を選別して補助金を注ぐことではない。
格差問題も同様で、再分配は所得移転という透明な形で行うべきであり、特定業界保護という歪んだ形で行うべきではない。後者は効率性を殺し、利権を固定化し、結果的に貧困を温存する。
つまり、正しい政策はこうなる。市場を歪めない形での最小国家である。金融政策はルールベースで、予測可能性を最大化する。
財政は均衡を原則とし、例外を限定する。産業政策は基本的に否定し、競争政策を強化する。参入障壁を撤廃し、退出を容易にする。
倒産は悪ではなく資源再配分の装置として受容する。これが健全な資本主義だ。痛みはある。だが痛みを先送りして麻酔を打ち続ける社会は、やがて神経そのものが壊死する。
日本の病理は、成長戦略がないことではない。成長戦略を語りながら、同時に市場を信用していないことだ。
規制緩和を掲げながら、例外を大量に作る。競争を促進すると言いながら、既得権を守る。財政健全化を言いながら、政治的に都合のいい支出を増やす。
これは論理矛盾ではない。政治合理性としては整合的だ。だが経済合理性としては自己放尿だ。
成長とは何か。成長とは生産関数がシフトすることだ。TFPが上がることだ。
その源泉は技術進歩だけではない。競争、退出、資本再配分、価格シグナル、企業家精神である。
これらは制度の産物だ。制度が悪ければ、技術があっても伸びない。優秀な人材がいても伸びない。資本があっても伸びない。制度が良ければ、凡庸な国でも伸びる。
ここで裁量介入が入ると何が起きるか。投資家は経済性ではなく政治性で投資を決めるようになる。
これがレントシーキング経済であり、成長率が落ち、社会全体が官への依存で腐っていく。
これは文化の問題ではなく、インセンティブの問題だ。人間が合理的に振る舞った結果としてそうなる。
市場に規制は必要だ。だがそれは、競争を止めるための規制ではない。競争を成立させるための規制である。
市場に政府は必要だ。だがそれは、配分を決めるための政府ではない。ルールを固定するための政府である。
社会保障は必要だ。だがそれは、産業を延命するための社会保障ではない。個人を救うための社会保障である。
そして何より必要なのは、政治家と官僚が「景気を操作できる」「産業を育てられる」「成長を設計できる」という全能感を捨てることだ。
成長は、官僚のペン先から生まれない。成長は、無数の市場参加者が価格シグナルを頼りに試行錯誤し、失敗し、退出し、再挑戦するプロセスから生まれる。
国家がすべきことは、笛を吹くことではない。
チラシの裏代わり。
あとになって、そのとき、どう考えていたか分かるよう書き残しておく。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM027MH0S5A201C2000000/
すでに過去の話だが、2025年11月7日高市早苗による台湾有事発言を受けた在日中国大使の発言を受けて、ネットでは「では台湾の領有権は、未だ日本にあるのか」と嘲笑の声があがった。しかし、このような場違いとも思える発言が、現在の自民圧勝の鍵を解くヒントになるかもしれない。
55年体制は、1955年に始まった自由民主党の長期単独政権であり、93年に細川護熙連立政権が発足して、自民党が下野した地点で終了したとされている。
その成立の背景として、東西冷戦下、日本がソ連-中国という共産圏の防波堤となるため、保守政党の合同により、生まれた自由民主党の一党単独政権が望ましいというアメリカをはじめとした日本を含む西側国全体の思惑もあった、とのこと。
55年体制の前提が近隣諸国との関係にあったので、それが変化しなければ、根本的な変化はない、と考えられていた。実際、93年の自民党の下野は、ソ連の崩壊(89年)により、社会党の方向転換が可能性として見えてきたこともあったため、と言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3
そして今回の高市発言によって左翼・リベラル派の受けた打撃は、本質的なものであった。仮定の話とはいえ、中国との交戦の可能性が露呈してしまった。これが四半世紀ほど前、いや十年前でも高市政権は選挙で過半数とるどころか、苦境に立たされただろう。ただ現在は、左翼・リベラル的な主張のオールドメディアの後退、また中共が周辺諸国との間で抱える領土問題があり、高市首相を一方的に悪者にすることもできなくなっていた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202512010000150.html
ASEANの南沙諸島・南シナ海の周辺国ベトナムやフィリピンとの衝突(そのためフィリピンは、一次弱体化した米国との軍事同盟を再強化さえした)、インドとは長年にわたるラダック地域、その他の国境紛争があり、また10年以上も前からオーストラリアでの静かな侵略(サイレント・インベーション)、最近もダーウィン港の貸借も問題になっている。
左翼・リベラル側から、インターネットが浸透し、SNSのデマの拡散のせいで自陣営が苦境にあるとの意見を聞くが、インターネットの浸透で多くの人々の意識に政治的な主張とは別に、地味であるが影響を与えているのはデータへのアクセシビリティの向上だ。過去の新聞やテレビについて偏向報道が取りざたされるが、本質的な問題は、まともに報道されない事柄が圧倒的に多かったことだ。「報道しない自由」と揶揄されるが、これはイデオロギー云々以前のオールド・メディアの限界で、報道枠が決められているなかで、読者、視聴者の注意を惹きそうにない話題を報じるのは難しかった。報じられていたのは、主に北米、西欧というより米仏独、アジアでも中国、韓国がせいぜいであり、それも日本との関係する話題がメインだった。中近東、アフリカ等の地域,或いは近隣の国々でも日本と直接関係ない情報は少なかった。だが例えば、さきの記述で書き漏らした「アフリカ諸国での中国の振る舞い」も現在では、スマホでたちどころに知ることができる。
4半世紀前であれば、先述したテレビ「モーニングショー」での発言を信じる人も多かったかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/383704
先のロシアによるウクライナ侵攻、そして今回の中国の威嚇により、これで戦後、連綿と続いていた保守/革新、左翼、リベラルという対立軸が、ようやく完全に過去のものになったように見える。
日本国民は、先述の駐日中国大使のようにサンフランシスコ講和条約に引き戻された。そして、あの時の日本の「単独講和」をようやく国民が支持する結果を出した。即ち、皮肉にもこの単独講和に反対して全面講和を主張して平和憲法を護持した勢力=今でも護持し続ける勢力に対し、憲法改正が可能な議席数の2/3以上を与えられた自民党を突きつけた。
すでに国政政党となった "参政党”や "日本保守党”は、55年体制の対立軸の見直しを迫るものだった。
そして今回の選挙で "中道”の壊滅に次いで話題となった "チームみらい”の躍進。中国の手先だの裏に竹中がいるだの散々いわれているが、これは55年体制以降、これからの対立軸の濫觴かもしれない。
"チームみらい" のいかにも経済にも政治にも "しろうと" の政策。日本経済において、最大の問題は増え続ける厖大な社会保険料であり、とても消費税をさげられる状態にはないという前提は、平均的な理解能力を持つ経済の "しろうと" でも、調べれば分かることだ。しかしそれを政策に掲げるのは、理解能力が平均に届かない人々、実情を調べようともしない人々や国に対して「お客さま」として求めることしかしない人々も、イデオロギーの左右問わず選挙民の半数いることをわかっていない "しろうと" のやることだ。
このクレクレ民を育てたのは、視聴者に阿るテレビを中心としたオールド・メディアもあるが、やはり自民党の長期政権である。国民に信を問う代わりに、過半数を維持し続けることがその結党以来の至上命題であった。それは欠点なのだが、今回の大幅な議席増の要因にもなった。自民党はそのなかに、本来、対立すべき両陣営を丸ごと抱えこみ過ぎているのだ。それは、55年体制で日本民主党と自由党が合同してできた寄り合い所帯の宿命でもあった。55年体制の「一度目の」終焉の際、細川内閣発足や小泉政権での郵政選挙で、自民党を割る、あるいは党内の対立軸を明確にして選別するような施策も行われたが、時間が経つにつれ、元に戻ってしまった。
管理人としては、批判ばかりで国に求めることしかしない人々に対し、 "しろうと"目線とはいえ、国をよくするにはどうしていけばいいか、そのために自分たちは何ができるか考える人々が出てきたことは、( "しろうと" 考えだが)前進だと思う。少なくとも生き残りに汲々とする過去世代の"くろうと"たちよりも、これからの世代の"しろうと"を応援したくなる。今後、時代遅れの左翼・リベラル勢力が一掃されれば、国民にとっても、もっと現実を見据えた選択肢が増えるだろうと期待している。
チラシの裏代わり。
あとになって、そのとき、どう考えていたか分かるよう書き残しておく。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM027MH0S5A201C2000000/
すでに過去の話だが、2025年11月7日高市早苗による台湾有事発言を受けた在日中国大使の発言を受けて、ネットでは「では台湾の領有権は、未だ日本にあるのか」と嘲笑の声があがった。しかし、このような場違いとも思える発言が、現在の自民圧勝の鍵を解くヒントになるかもしれない。
55年体制は、1955年に始まった自由民主党の長期単独政権であり、93年に細川護熙連立政権が発足して、自民党が下野した地点で終了したとされている。
その成立の背景として、東西冷戦下、日本がソ連-中国という共産圏の防波堤となるため、保守政党の合同により、生まれた自由民主党の一党単独政権が望ましいというアメリカをはじめとした日本を含む西側国全体の思惑もあった、とのこと。
55年体制の前提が近隣諸国との関係にあったので、それが変化しなければ、根本的な変化はない、と考えられていた。実際、93年の自民党の下野は、ソ連の崩壊(89年)により、社会党の方向転換が可能性として見えてきたこともあったため、と言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3
そして今回の高市発言によって左翼・リベラル派の受けた打撃は、本質的なものであった。仮定の話とはいえ、中国との交戦の可能性が露呈してしまった。これが四半世紀ほど前、いや十年前でも高市政権は選挙で過半数とるどころか、苦境に立たされただろう。ただ現在は、左翼・リベラル的な主張のオールドメディアの後退、また中共が周辺諸国との間で抱える領土問題があり、高市首相を一方的に悪者にすることもできなくなっていた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202512010000150.html
ASEANの南沙諸島・南シナ海の周辺国ベトナムやフィリピンとの衝突(そのためフィリピンは、一次弱体化した米国との軍事同盟を再強化さえした)、インドとは長年にわたるラダック地域、その他の国境紛争があり、また10年以上も前からオーストラリアでの静かな侵略(サイレント・インベーション)、最近もダーウィン港の貸借も問題になっている。
左翼・リベラル側から、インターネットが浸透し、SNSのデマの拡散のせいで自陣営が苦境にあるとの意見を聞くが、インターネットの浸透で多くの人々の意識に政治的な主張とは別に、地味であるが影響を与えているのはデータへのアクセシビリティの向上だ。過去の新聞やテレビについて偏向報道が取りざたされるが、本質的な問題は、まともに報道されない事柄が圧倒的に多かったことだ。「報道しない自由」と揶揄されるが、これはイデオロギー云々以前のオールド・メディアの限界で、報道枠が決められているなかで、読者、視聴者の注意を惹きそうにない話題を報じるのは難しかった。報じられていたのは、主に北米、西欧というより米仏独、アジアでも中国、韓国がせいぜいであり、それも日本との関係する話題がメインだった。中近東、アフリカ等の地域,或いは近隣の国々でも日本と直接関係ない情報は少なかった。だが例えば、さきの記述で書き漏らした「アフリカ諸国での中国の振る舞い」も現在では、スマホでたちどころに知ることができる。
4半世紀前であれば、先述したテレビ「モーニングショー」での発言を信じる人も多かったかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/383704
先のロシアによるウクライナ侵攻、そして今回の中国の威嚇により、これで戦後、連綿と続いていた保守/革新、左翼、リベラルという対立軸が、ようやく完全に過去のものになったように見える。
日本国民は、先述の駐日中国大使のようにサンフランシスコ講和条約に引き戻された。そして、あの時の日本の「単独講和」をようやく国民が支持する結果を出した。即ち、皮肉にもこの単独講和に反対して全面講和を主張して平和憲法を護持した勢力=今でも護持し続ける勢力に対し、憲法改正が可能な議席数の2/3以上を与えられた自民党を突きつけた。
すでに国政政党となった "参政党”や "日本保守党”は、55年体制の対立軸の見直しを迫るものだった。
そして今回の選挙で "中道”の壊滅に次いで話題となった "チームみらい”の躍進。中国の手先だの裏に竹中がいるだの散々いわれているが、これは55年体制以降、これからの対立軸の濫觴かもしれない。
"チームみらい" のいかにも経済にも政治にも "しろうと" の政策。日本経済において、最大の問題は増え続ける厖大な社会保険料であり、とても消費税をさげられる状態にはないという前提は、平均的な理解能力を持つ経済の "しろうと" でも、調べれば分かることだ。しかしそれを政策に掲げるのは、理解能力が平均に届かない人々、実情を調べようともしない人々や国に対して「お客さま」として求めることしかしない人々も、イデオロギーの左右問わず選挙民の半数いることをわかっていない "しろうと" のやることだ。
このクレクレ民を育てたのは、視聴者に阿るテレビを中心としたオールド・メディアもあるが、やはり自民党の長期政権である。国民に信を問う代わりに、過半数を維持し続けることがその結党以来の至上命題であった。それは欠点なのだが、今回の大幅な議席増の要因にもなった。自民党はそのなかに、本来、対立すべき両陣営を丸ごと抱えこみ過ぎているのだ。それは、55年体制で日本民主党と自由党が合同してできた寄り合い所帯の宿命でもあった。55年体制の「一度目の」終焉の際、細川内閣発足や小泉政権での郵政選挙で、自民党を割る、あるいは党内の対立軸を明確にして選別するような施策も行われたが、時間が経つにつれ、元に戻ってしまった。
管理人としては、批判ばかりで国に求めることしかしない人々に対し、 "しろうと"目線とはいえ、国をよくするにはどうしていけばいいか、そのために自分たちは何ができるか考える人々が出てきたことは、( "しろうと" 考えだが)前進だと思う。少なくとも生き残りに汲々とする過去世代の"くろうと"たちよりも、これからの世代の"しろうと"を応援したくなる。今後、時代遅れの左翼・リベラル勢力が一掃されれば、国民にとっても、もっと現実を見据えた選択肢が増えるだろうと期待している。
推進派の人達は上手く言葉を使って回避するがまた新たな道徳観を持ち出されて批判される
永遠に終わらない
なぜならどうとでも言えるからだ
なんとでも主張できるんだよなぁこれ
傷つくかどうかは完全主観なわけで
嫌だから、どうにかしたい
でも力や頭の良さで戦えない
じゃあ世論を使おう
という思考流れが起きている
だが、この考え方は
ニーチェだ
著書「ツァラトゥストラはかくかたりき」ではルサンチマン思考、「奴隷道徳」が批判されている。
弱いですよ〜守ってね☆
みたいな人を末人と呼び批判した
ここで気をつけてほしいのが自覚がなくてもその論調を使った瞬間末人なのだ
「なんかこのままだと不安だ。キツイ。だからあの人が言ってたこれを使えばなんか良い気がする。」
こっちが重症
これがキッツい
やってる側もやられてる側も
AIに対する不安ってのは食い扶持が無くなるっていう不安に大体行き着くと思う
表現するための筋肉を鍛えてた人(絵や動画を手を使って作る人)、もしくは頭を使う仕事をしている人たちは軒並みAIを怖がっている
AIが発達する
↓
食えなくなる
↓
グエー死んだンゴ
↑
嫌だ
って感じ
この理論だと表現してないのに批判してるやつはどうなんだよって?
震えて眠れ
話を戻すと
金が貰えなくなって生きれなくなるのが嫌なんだろ!って話
『金はそいつのやった仕事が金を出した奴にとってありがたいから頂けるのである
お前が鍛えた高い能力を持って頑張ったから貰えてるわけではない』
今あなたが金貰えてる仕事はお金を出す人にとってありがたいから貰っていますか?
もしその仕事がAIが代替してもありがたいって思ってもらえる自信はありますか?
上の話からいくと
だが僕たちはわがままだ
そう思う人はめちゃくちゃ多いんじゃなかろうか
まあでも狭き門ではあるかもね
だって人が余暇に楽しむものってそんな種類ないよ?そんな時間もないよ?
今は無理やり楽しまされてるような状況が多いけど
不景気になったら消えるっしょ
頑張るしかねぇ
頑張れよ、人を楽しませるために
「彼らは無力であるがゆえに、その憎悪は恐るべきもの、不気味なもの、精神的で毒を含んだものとなる」
道徳は弱者が強者を引きずり下ろすための武器だからそんな物に頼るな
勝っても残るのは弱い自分だぞ
この記事を見て
せっかく論じるならAIについて論じてね
人に怪我させるとか殺すとかじゃなきゃお互い好きにすればいいのよ
あとは、下がるだけ。
どれだけ美味しいもんでも、
口に入れるほどに、
おいしさは下がってく。
だから、食べるのをやめることが出来ない。
それがわかれば、
一口で止めるのが最大の贅沢だし