
はてなキーワード:めちゃイケとは
ファンというわけでは全くないけど、昔は割と好きだった。
「めちゃイケ」の企画でひどい扱いをされたり、歌が下手なのをいじられたり、地元のヤバい友達をバラされたり、「いいとも」で絵が下手なのを笑われたりなど、SMAPのリーダーで芸能界のトップに君臨しながら、カッコ悪い姿を平気でさらして笑われる中居への好感度は高かった。他方で、ドラマや映画の演技は普段のキャラのイメージとは異なりかなり真剣で、一般的な評価も高かった。
振り返れば、SMAPが解散して以降の中居の仕事は、バラエティ番組のMCとゆるいトーク番組ばかりになっていた。絵や歌唱力をいじられることもなくなったし、最近はドラマや映画の仕事もほとんど受けていないようだ。他方、WBCのレポーターなど「美味しい仕事」には常に中居の顔があった。つまり、SMAP時代に蓄積した好感度とトークスキルだけで楽な仕事を選んでいる状態だった。
つまり、テレビ全盛期の時代は緊張感を持って体を張った仕事をしていたのに、テレビがSNSで叩かれるようなって衰退している時代にも関わらず、テレビの権威にぶら下がるだけの緊張感のない仕事をしていたわけである。その緊張感のなさはおそらく私生活にも影響していたと考えられ、不祥事が発覚するのは時間の問題だったのだろう。
増田はあまり知らなかったのだが最近ハマったので話をさせてくれ。
年齢層にもよるだろうが、リアルアキバボーイズ(RAB)について知っているかと聞かれたら
①知らない。
②昔ニコニコ動画のランキングに上がっているのを見たことがある。メンバー等までは知らない。
③メンバーの名前を知っている程度には見ていた。最近はよく知らない。
④ここ数年で活躍を目にした。
大体こんなもんに分類されると思う。
増田は昨年まで②であった。
しかしたまたまYoutubeに出てきたおすすめ動画を繰っているうちにあれよあれよとはまってしまった。
この記事は②および③の人に向けて、増田が「知らんかった…!」と驚いた内容をお伝えしたいものである。
保護者諸氏には物足りないかと思うが温かい目でご覧いただき、間違い等あったらご指摘いただけるとうれしい。
増田の記憶の中のRABは、ニコ動のランキングで見かける、5人位でコミカルなダンスの動画を定点カメラで撮ってる人たちであった。
2010年代前半までは、創始者1名(動画等にはあまり参加しない)+5名の、ブレイクダンスのチームだった。
生年は1983〜87年、ダンスを始めるきっかけはめちゃイケの岡村、涼宮ハルヒやらき☆すた、ナデシコやゼロの使い魔あたりがオタク活動の全盛期だった世代である。
それぞれブレイクダンサーとして活動し華々しい戦績を上げていたメンバーが、オタクという共通項を通じて結成したのがリアルアキバボーイズというチームだ。
2006年の結成からはダンスバトルに出たり、ブレイクダンスのイベントでアニソンダンスを披露したり、それで審査員にガチ怒られしたりしていたらしい。
2011年にスター☆ドラフト会議という番組に出てチェックシャツをタックインしたオタクという演出をつけられ(そして劇団ひとりがメンバーの私物のフィギュアを食うパフォーマンスをして2chで死ぬほど叩かれ)、その余波でなんかメジャーデビューしてみたり、
その後チェックシャツを継続したまま踊ってみた動画でニコニコ動画のランキングを席巻したりしていた。
彼らは2016年に、「アニメ化する」「武道館でライブをする」という目標を打ち立て活動を続ける。
生年でいうと1992〜96年。彼らはRABが開拓した「アニソンダンスバトル」のイベントで揉まれてきた世代である。
それまでブレイキンのチームだったRABだが、ここでそれ以外のダンス要素が加わった。
生年は2006年。RABが結成された年に生まれたそのメンバーは、加入時15歳にしてダンス歴12年。天才高校生ダンサー(今春卒業)とかダンス界の至宝とかの呼び声も高い。
アニソンダンスバトルにも小学生の頃から出場しており、小さな身体で圧巻のパフォーマンスをしている様子を、今もYoutubeで見ることができる。
最初にオタク文化が好きという理由で始まったRABが、約10年下の世代、さらに10年下の世代へとメンバーを増やしていることに、増田は個人的な胸熱を感じている。
それを実現したのは、ダンスパフォーマンスはもちろんだが、アニソンダンスバトルという「場」を作ってきたからだ。
2011年に彼らがスター☆ドラフト会議に出たとき、「オタクがこんなに踊れるわけねーだろ!」というツッコミが飛び交っていたのを覚えている。ストリートダンスとオタクなんて水と油だと思われていた。
けれども彼らはそれらを繋げた場を自分たちで作り、人を集め、大人から子供まで魅了している。
2018年、RABの主催する「アキバ×ストリート」は文部科学大臣賞を受賞したらしい。
2019年の新メンバー3名(ESPICE)加入以降、一つ重要な変化がある。
RABは、かっこつけるようになった。
悪い意味ではない。
もともと彼らはダンスの分野で世界一になったり日本一になったりした実力者揃いなので、そもそもちゃんとめちゃくちゃかっこいい。
だが、初期メンバー(ROOTS)の動画は「高いスキルを使ってふざけ倒す」ものが多く、カメラも固定がメインである。
はじめから終わりまでかっこいい振付の動画であっても動画終わりの「おまけ」でふざけたりする。
だが、ESPICEが加入し、彼らが動画の振付や監督をするようになると(RABは振付・監督をそれぞれが行う)、
アップやカット割、照明を駆使した凝った演出、チェックシャツ以外のかっこいい衣装の動画が増えた。
それがまじでかっこいい。
これは私見だが、ROOTSの世代が持ってるどこか古いオタクの恥じらいみたいなものの軛が、ESPICEの世代は比較的薄いんだろうなと思う。
オタクだろうと、がっちりきめてかっこよくしてかっこいい!と言われるのが不思議ではない世代。
そして、ESPICEの3人がROOTSを心からかっこいいと思っているのが見て取れる。
世界に誇れるスキルをもつかっこいい先輩をかっこよく演出したいし、自分たちのかっこいい姿も見てほしいのだなと思える。
また、メンバー加入によってダンスの種類が増えて見せ方が増えた。
ブレイキンの技だけではない、タット、アニメーション、ヒップホップなどさまざまなメンバーの特技を組み合わせた振付は常に目新しくて膨大な過去動画を見ても見ても飽きることがない。
歌手のバックダンサーとしてでなく、ダンスというコンテンツで武道館を埋めた。
武道館にはオーイシマサヨシ氏が応援に駆けつけた。彼のMVにRABががっつり登場しているためである。
なおかつて番組内でフィギュアを咥えて死ぬほど炎上した劇団ひとり氏からもからお祝いメッセージがきていた。いい話である。
YOASOBIの「アイドル」に「オイ!オイ!」の声としてレコーディング参加し、紅白でもオタ芸を披露していたし、
最近はSnowManの佐久間大介さんのソロ曲に振付・ダンサー・「オイ!オイ!」として参加している。
NHK「沼にハマってきいてみた」ではアニソンダンスバトルが特集された。
2011年にバラエティ番組で観客の悲鳴とともにメジャーデビューした彼らは、10年以上の時を経て、またメジャーの舞台に立ちかけている。
時代の変化もあるだろう。アニメやオタク趣味の立ち位置も、ブレイキンの立ち位置も、この10年で随分と様変わりした。
けれど、その時代の変化をただ享受したのでなく、変化の最前線で場を切り拓いてきたことに凄みがあると思う。
ここまで色々書いてきたが、大人が活動し続けるために必要なのは、金である。
いくら好きなことでも生活費が確保できなければ全力で取り組むことはできない。
RABの所属する事務所は、ROOTSの一人けいたんが経営している。
メンバーの一人が、事務所を立ち上げ、仲間に仕事をとってきて、給料を出しているのだ。
これは知ったとき本当に驚いた。
今でこそ、たとえばゲーム実況だとか、ボカロPとか、歌い手だとか、ネットで発表を始めたクリエイターがそのまま生業にするパターンは珍しくなくなった。
だが自分一人を食わすならまだしも、事務所を立ち上げて仲間まで食わすというのは尋常ではない。
「好きなことで生きていく」と言うのは簡単だ。
だがどこか大手の企業に所属するのでなく、自分たちで今までにないジャンルを作り上げ、大人が真剣に打ち込めるような経済規模に育て上げたのは、本当にものすごいことだと思う。
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いやほんとは、それぞれのメンバー語りとかダンスのすごいところとか好きな動画とか上げていくのが本道なのかもしれないが、まず大枠としてこのチームの物語が考えれば考えるほどものすごいな……と思ったのでまとめて書いてみた。
書きぶりから察されるかもしれないが、増田はROOTSと同世代の人間で、ジャンルは違えどそこそこオタクだ。
「好きなことで生きていく」のど真ん中は歩けないが、掠ってる業種で頑張って社会人にしがみついている。
現状に不満があるわけではないが、好きなことを極め、その結果自分たちでジャンルを作り、そこに人を集めて経済を回し、そして次の世代に居場所を与えていくRABはすごく眩しく思える。
過去のインタビュー記事で、ROOTSの一人であるDRAGONが
「ストリートダンスはどうしても勝ち負けを前提にした技術の判定に偏って、音楽の喜びが薄くなる傾向にある。でも、アニソンダンスバトルは音楽がかかった途端みんながのたうち回るくらい喜んだりして、ダンスのいちばん大事なものが集約されてる」
アニメだからとかオタクだからとかではなくて、好きなものを好きだ、楽しいと言い続けることでそんな場が作れて、それを下の世代に手渡せるなんて、大人として最高の仕事だなと感じているし、尊敬してしまう。
以上、アニソンダンスバトル「あきばっか〜のKIDS vol.1」の成功に寄せて。
「ねえ、お母さん。フジテレビってずっと記者会見してるけど、いつからやってるの?」
「ばあちゃんが子どものときは、はねるのトびらとかめちゃイケとか、バラエティ番組がいっぱいあってね…」
「本当だよ。他のテレビ局みたいにドラマやバラエティ番組をたくさんやっていて、『楽しくなければテレビじゃない』」なんて張り切ってた時期もあったけど…」
「ばあちゃんの若い頃にね、SMAPっていう人気のグループにいた中居君って人が不祥事を起こしてから…あんなことになったんだよ」
2100年1月27日、フジテレビが記者会見を始めてから75年が経過した。
その間に社長は4人変わり、港区台場のフジテレビ社屋は90年代バブル経済期を象徴する歴史的建造物として登録された。
以前はサザエさんやちびまる子ちゃんといった国民的アニメからバラエティ番組まで数々の人気番組を放送していた。
「私はフジテレビの会見を担当しているのですが、私でこの会見を担当するのは5代目になるそうです。」
「もともと、2025年に起きた中居正広氏の性接待報道に端を発する問題の会見だと聞いています。しかし、いつになったらこの会見が終わるのか全く分からないのです」
今、会見場にいる記者たちは皆中居正広の不祥事の後に生まれた記者たちである。
彼らは生まれたときから、フジテレビにチャンネルを回すと会見の映像が流れていることしか知らない。
もう、フジテレビ側も記者側も全く事件を体験していないのに、ずっと会見を続けているのである。
もちろん、それが何のためかは誰も知らなかった。ただ、社長一人を除いて。
長い会見の最中、時計が昼の12時を指したとき、社長が突如口を開いた。
「皆様にここまで長くお集まりいただいたのはこの日のためでした。ようやく、全てを終わらせるときが来ました。」
社長はこう記者に告げると、少し笑みをこぼしたかのように見えた。
その瞬間、フジテレビの社屋のあの球体がぼうっと空に浮かび上がった。
そしてある高さまで達すると、球体は強烈な光と爆音を発した。
アルマゲドンが来たのだ。記者たちはそれを悟ったときはもう遅かった。
眩い光線と爆風が吹き荒れる中、どこからともなく社長の声が聞こえてくるようだった。
「皆さん、覚えていますか。そうです『きっかけは、フジテレビ』」さようなら、さようなら……」
最後の言葉だった。社長以下フジテレビの取締役陣は爆音と爆風とともにどこへともなく姿を消した。
会見はノアの方舟だったのだ。このために記者たちは集められたのだった。
新しい世界の希望として。パンドラの匣を開けて最後に残るのは、希望なのだ。
残された記者たちは茫然と立ち尽くすほかなかった。
やっとのことで廃墟と化した社屋の外に出ると、見渡す限り人工物は消え去っているようだった。
景色らしい景色といえば、海中に突き刺さったレインボーブリッジの残骸と、遠くに望む富士山だけだった。
もう、生きている人類はいないのだろうなと記者たちが悟りかけていたとき、どこからともなく
という声が聞こえてくるようだった。
記者たちは即座にその声に耳を傾けようとしたが、すぐに風でかき消されて聞こえなくなった。
あれは冷笑系の極みだったよな。
感動ポルノっていう言葉もなかったけど、まあ24時間テレビのそういうとこが嫌いな人は確かにいた。
その層を突いた番組で24時間テレビの真逆を行ってやろうという企画だった。
めちゃイケメンバーが黄色いTシャツを着てエスパー伊東が馬鹿やるのを見てるっていうやつ。
まさに、逆張り。視聴率は24時間テレビに勝てるわけないし、所詮一部の少数派の支持を受けていた企画なんだけど。
まあ例のAプロデューサーはそういうタイプの人間だと思う。障がい者が頑張ってるのを応援している番組の裏で、エスパー伊東をそういう人として扱って笑いにしていた。毒があるといえば聞こえが良くなるが、十分悪趣味で、まっとうに頑張ることを腐していた企画がいろんな場面で多かった。冷笑系である。
めちゃイケって最初からそうだったのか?といえばAプロデューサーになる前は、そうではなかったと思うんだが、有識者に任せよう。
まぁその恨みなのかなんなのか、日テレは第三者委員会を置かないフジを攻撃している。
この際どうだろう。フジは今こそ冷笑系を復活させて「日テレは24時間テレビの横領問題も、セクシー田中さんの件でも内部調査で済ませて、第三者委員会設置せんかったやないか〜」的な番組を作ってもいいんじゃないだろうか。「アナウンサー部の悪印象は日テレのほうがありまっせ〜」とか。
一部の少数派の支持は受けると思う。
開局以来、日本のテレビ局として輝きを放ってきたフジテレビが窮地を迎えている。
どこか慢心もあったのかもしれないが、今は非常に胸が痛む思いもある。
ここまできたなら言わせてほしいと思う。
多くの人がフジテレビに言いたい放題だが、これまでの貢献を無かったことにするのは間違っている。
昭和の歌謡界を華やかに彩ったヒットパレードはフジテレビの番組だ。
また鉄腕アトムの主題歌を国民なら誰もが知っているが、あのアニメを放送したのもフジテレビだ。
国民的アニメのサザエさん、国民的バラエティのドリフ大爆笑もフジテレビが放送した。
我々のエンターテイメントの歴史はフジテレビと共にあると言っても決して過言ではない。
SMAP×SMAPやめちゃイケを毎週楽しみに見ていたテレビっ子なので、中居正広やフジテレビの性加害・性接待疑惑が残念でならない。
一連の報道を見るに引退は当然と思うが、あと1度だけでいいからSMAPを見せてくれという矛盾した感情がある。
SMAPはスーパースターで、中居正広はそのリーダーで、名司会者で、そして(報道が事実だとして)性加害者だった。
そのスーパースターへの過程で、ジャニー喜多川に上納された被害者の可能性もある。
幼い頃の思い出に雑音が混ざる。
エンターテインメント業界は膿を出しきり、浄化し、人権教育や性教育を徹底し、今の子どもたちが将来こんな思いをしないようにしてほしい。
増田本人が分かってるようにいいな、と思ってる女性には「好きバレしてもいい」覚悟で色々褒めたり「ここが素敵だね」と伝えてくのがいいと思うよ、でも女性って他の女性と態度をコロコロ変えるやつ嫌うから上手くやるんだよ
そもそも、同じグループ内(サークル、学校、職場等)で下心を隠しつつ君が素敵だと伝えつつ他の女子とバランスを取るのって、スゲーーーーー難しいことなんだよ。めちゃめちゃイケメンか、そういう人たらしスキルが異常なやつだけがグループ内での交際に漕ぎ着けるわけ。
難しいなと思うなら、出だしから「恋愛目的」の出会い(アプリ、合コン、街コン)で練習するのがいいと思うよ。ここは別に好きバレしてもいいんだからさ。
先日幼馴染の友人宅にお邪魔したら、お母様から「〇〇ちゃんも御夕飯、御一緒に如何かしら。」とおっしゃられるものですから、「ええ、喜んで」などと応えてそわそわしながらリビングの大きなテーブルに腰をかけておりますと、まあ美味しそうな料理が運ばれてくるのです。
その日のメニューは、ホッケの焼き物をメインとして、厚揚げの筑前煮風とほうれん草のおひたしに、じゃがいもの入った濃いめのお味噌汁。とても素晴らしいのですが、塩気が気になって、これは帰ったら水一升デトックスコースですわねなどと思いつつ、雑談しながら箸を運んでいたわけですが…
そうすると、友人(きよとと言います)に向かってお母様がやにわに「そういえば今日ちょっとひいてみたのよ。きよともどう。」といい、少々使い古して黄色くなったタッパーをテーブルの下から取り出してきました。
きよとは「お、いいね、くれや」とご飯の入ったお茶碗を差し出します。
一体何が始まるのやらと些か不審に思いながら観ておりますと、なんとタッパーから出てきたのはきな粉。そして、それをたんまりときよとのご飯の入ったお茶碗に振りかけたのです。
いや、きな粉って普通餅とか牛乳に入れるお菓子みたいな扱いじゃないですか。なんで夕飯、しかも塩気の強いメニューの時にそういうことをするんですかね。塩気には無地の白飯が一番合うしちょうど良いんですよ。この家庭おかしすぎるだろ、ちょっと距離置きてえな。
などと思考を巡らせていると、じっと観ていた私に気づいたお母様は、やおらこちらを向いておっしゃいますことには「あら、〇〇ちゃんも食べてみる?うちのきな粉は美味しいのよ。今日は奮発して琉球黒糖を入れてみたんだから」と。
もうブチギレ寸前です。マジでこの女、頭おかしすぎるだろ。味覚障害で手帳取れるわ。菓子用にカスタマイズしたあまあまきな粉を夕飯の飯にぶっかけて食わせる?白米にレ○プされたんか。その結果きよとが生まれたんか。もう御飯時にお邪魔することはないでしょうね。
きよとの親父もウンウン頷きながらにこやかにあまあまきな粉塗れのご飯にホッケの切り身を乗せて頬張っています。
今すぐにでもめちゃイケ加藤よろしくテーブルをひっくり返して一家全員ジャイアントスイングぶちかましたい衝動に駆られてしまい、思わずテーブルの縁をつかんでいました。
しかし、世間体を保ちたい、人間関係は誰とでもなるべく良くしておきたいという自分の中の見栄っ張りな悪い癖がその衝動を抑えます。無理やりにっこり微笑んで「ええ、では少し頂きまふね(原文ママ)」と、怒りで震える手を押さえながら半分近くからになったご飯茶碗を差し出します。
「あら、ご飯少ないわね。おかわりもいいのよ。」そう言うとあの女、茶碗を私の手から取り、炊飯器の蓋を開け、高安の妾の如き蛮行を以て茶碗の上に山の様な白米を盛りつけてきました。これに箸さえ突き刺せば、仏前に備えられそうな山盛りご飯。そこに黒糖で若干暗い色をしたきな粉が降りかかります。
山盛りの白米の、上から三分の一を浅黒く変色させた自家製きな粉。さながらそれは、世紀末の富士山の様相でありました。
漸く一言「ありがとうございます」と絞り出し、手をつけました、このきな粉のついたご飯に。
口に入れた途端、熱々の蒸気に誘われてねっとり広がる黒糖の甘さ。それに続いてきな粉の香ばしさとご飯の素朴な甘味が跡を追いますが、黒糖がタッパーの下に沈んでいたせいか、後ろの二者を琉球の風が吹き飛ばします。かける前に攪拌しておけよ。
きな粉おはぎを食べた彼岸を回想してみます。近所の婆さまがうちに持ち寄ったあのおはぎは、砂糖が入っているものの、甘すぎず、少し混ざった塩がきな粉の良さを全面に引き立てていて、おこわの真ん中に入った金時の粒あんとベストなコンビを成していました。和菓子に抵抗のあった私を魅了したのです。
その回想をぶち壊すかの如く、目の前に立ちはだかる呪物。徒に砂糖の量を増やして、薄っぺらいスイート感を厚塗りされたきな粉。そしてそれが山のように盛られた熱々の白米。これをどう片付けるかに全知全能をフルコミットする事を決めました。
まずは他のおかずと食べてみます。ホッケの切り身を一口分取り、すかさずきな粉ご飯を食べてみます。ホッケのジューシーな脂と香ばしい焼き魚の香りが、黒糖感強めのあまあまきな粉と絡むと一体どのような化学反応を起こすのだろう…緊張しながら口に運びます。
実験は大失敗。塩味と甘味は互いに旨さを補填しあうのはスイカに塩を振りかけるのでお馴染みですが、それにも限度がある。黒糖と焼き魚のどちらもフルスロットルでぶつかり合い、混ざり合いません。調和せず口の中に混在する様はさながら吐瀉物。ゆっくりと時間をかけて咀嚼して飲み込みます。
ほうれん草のおひたしや味噌汁も塩気が多いし、味噌の強い風味やおひたしの甘味が黒糖と混ざった時の反応は想像するだけで悍ましかった。
逆に筑前煮は味が薄すぎて各自醤油を足したりして食べていたので、これときな粉ご飯では負けてしまいそう。つまり、もう打つ手なしなわけです。
覚悟を決めた私は、きな粉ご飯だけを先に片付けることにしました。幸い米の山の上だけきな粉なので、この部分だけ風邪ひいた婆さまが作ったおはぎなのだと強く自己暗示をかけて食べます。
しかし、食べても食べても、きな粉の山がいなくなっても、ずっと甘味が続きます。ご飯も気持ちネバネバしています。そこでふと悟りました。ご飯の熱で若干黒糖が溶けて、茶碗底の飯まで浸透しているのだと。
これに気づいた時、ふと一筋の涙が目からこぼれ落ちました。
「ちょっとコンタクトが…」とそれっぽい言い訳をして洗面所に向かいます。ウンウンと悩んでいた時、ふと閃きました。お餅を食べる時に砂糖を混ぜた醤油に付けて食べることがあるじゃん!、と。
早速テーブルに戻ると、ご飯におひたしの鰹節をのせて、醤油をざっとかけます。そして、パック入りの温泉卵を勝手に拝借。ご飯にぶっかけて混ぜて食べます…ああ、美味しい。卵かけご飯をこんなにも甘美に味わったのは人生で初めてでした。醤油と砂糖がこれほどよく合うとは。さらにこの卵が味の濃い砂糖醤油を中和し、優しい味わいに…
かくして、無事に出されたご飯を完食し「ごちそうさまでした」と手を合わせ、対戦終了。
「〇〇ちゃんの食べっぷりが良くて嬉しかったわ、また夜に遊びにいらして」と、お母様もご満悦です。「いや、きな粉ご飯は初めて食べましたよ。あんな感じなんですね!」否定の色を見え隠れするレベルで薄めて笑顔で答えます
と言うわけで、相手の善意を断れない私の体験談でした。「好きなものは好きと言える気持ち」は持ちがちですけど、「嫌いなものを嫌いと言える勇気」も持ちたいものです。以上、チラ裏乙でした!