
はてなキーワード:まだ子とは
おっちゃんは父に会いにいつも突然やって来るのだった。父は一般人だが、おっちゃんとひょんなことで知り合い、以来おっちゃんは父を「先輩」と呼んで慕っていた。おっちゃんは大酒飲みの父にとってタメで飲める数少ない友人で、いつも夕食時にやってきては、既に飲み始めている父と一緒にガンガン飲むのだった。
おっちゃんはその世界では大物らしかった。子分のような男を連れてきていたが、母が激しく嫌がって以来、目立たないようにいつも一人でふらっとやってきた(子分は途中で帰らせていたのだろう)。必ずみたらし団子を持ってきて、「〇〇ちゃん、お土産や」とまだ子供だった私に渡すのだった。私はこの団子が大好きで、いつもどこで買えるのか尋ねたが、おっちゃんは決して教えてくれなかった。
父はおっちゃんにうやうやしく酒を注がれても偉そうにすることはなかった。おっちゃんとの関係を何かに利用するということもなかった。ふたりはたわいもない話をしながら、いつも気持ちよく大酒を飲んでいた。ただひたすら楽しい飲み友達だった。
成人して自分も酒を飲むようになってから、不機嫌な母に変わって私がおっちゃんにお燗をすることもあった。ある時、いつものようにみたらし団子を渡すおっちゃんの顔を見て驚いた。白目が濁っているのである。
「おっちゃん、具合悪うない?」と私が尋ねると、父が横から「辛気くさいこと言うてんと、早う酒持って来てぇや」と言った。私は甘いホットミルクを作っておっちゃんの前にデン、と置き、「おっちゃん、黄疸出てるやん。病院行ってるんか。私はもう、お酒は出せへん。」と宣言した。「かなんなあ、〇〇ちゃんは」と大男のおっちゃんは言い、「甘ぁ」とホットミルクをちびちび飲んだ。
それから私は何度かおっちゃんにホットミルクを出した。そのうちおっちゃんは来なくなった。肝臓癌で死んだと聞いた。父はそれ以来、一人で晩酌するようになった。
何年か経って公園でくつろいでいると、年輩の女性が近づいてきた。おっちゃんの伴侶だった。女性は私に突然「ありがとうな」と言った。私がきょとんとしていると、「いつもいつも家で心配して待っててんけど、〇〇さんとこ行く言うときだけ安心してた。ホットミルクしか出されへん、言うてたさかい」と言った。
この人も亡くなった。いま思えば、あのみたらし団子がどこで買えるのか聞ける最後のチャンスだった。
エンターテイメントサービス精神旺盛のジェームズ・ガン映画だった。84点
この映画は失敗作といっていいと思う。
いろんな要素はあるけど根本は2つ。
1について。
これら2つはレックス・ルーサーが糸を引いているのだが、映画内では特にコネクトしない。
1は「現代のスーパーヒーローが本当に救うべきなのは誰なのか」という問いかけ。
2は「スーパーヒーローがスーパーパワーで世界の危機を救う」というお約束。
そしてこれらをうまくコネクトできていないことで、作中でこの大きな2つの主題を別々でこなす必要に迫られている上に、SNSでの攻撃、陰謀論、現代にスーパーヒーローが考えるべきこと、移民問題と現代映画で語るべきことをすべて盛り込んでいるので作品がめちゃくちゃ忙しくなっている。
2について。
ガンは露悪の作家であり、チームの、最低でもコンビの作家である。
その特性はスーパーマンと食い合わせがすごい悪い。スーパーマンは完全に善意の人だし、一人で戦う。
そこでガンはスーパー犬のクリプトとジャスティスギャングを投入した。
おそらくクリプトだけならまだ大丈夫だっただろうけど、露悪でチームの作家であるガンのよさを一番引き出せるジャスティスギャングを出さないということはガン的に難しかったのだと思うのだが、その結果、彼らの見どころをちゃんとたっぷりつくらないと行けなくなった。
実際彼らはめちゃくちゃ魅力的だ。ガイ・ガードナーは下品でバカだけどナイスガイだし、ホークガールはイカれてるし、テリフィックは天才不憫で着てるジャケットに「FAIR PLAY」とデカデカと書かれているのもイカす。そして全員めちゃくちゃ強いくて格好いい。
だが、その結果、やっぱり映画がめちゃくちゃ忙しくなっている。
2つの問題の共通点は「作品がめちゃくちゃ忙しくなっている」ことだ。
特にこれは冒頭40分くらいに顕著で、
・スーパーマン談義
とこれだけで十分映画一本撮れるだろ!という内容がギュッとされている。
実際、トレーラーに出てくる「面白そう」なシーンはほぼここに全部入ってる。
その結果、全てのシーンにタメも余韻もなく「スーパーヒーロー映画RTA」のようになってしまっている。
エンタメ要素だけ見れば十分満足できるんだけど、サクサクすぎて印象に残らない。
コース料理食べに行ったら5分毎に次の料理が出てくる感じ。急ぎすぎィ!まだ子供が食べてるでしょうが!
まぁ大バッシング後からちょっとずつ話が落ち着いてきて最終的にはいいテンポになるんだけど、この序盤は面白シーン連発のはずなのに全然アガらず、逆になんか盛り下がってしまった。
皆様ご存じ系ヒーローのオリジンどうする問題を今回は「冒頭3分で全部ナレーションでやる」という力業で解決しているのだけれど、それでも私たちは「今回のスーパーマンはどんな人なの?」ということはわかんないわけ。初戦でボコボコにされてそれをタコス屋のおっちゃん(後にキーマンになる)に助けられる展開がある。トレーラーでも印象的に扱われていたシーン。そこで、この人は前に助けた人なんだよと説明があるんだけど、そのシーン見たかったわ~説明だけじゃ感情移入できないわ~ってどうしてもなっちゃう。
登場人物を増やしていろんな設定を盛り込んで全部消化しようとした結果、どれも美味しいはずなのにちょっと食い足りない感じになってるのはスゴイもったいない。やっぱりジャスティスギャングは次回以降か、SVBのワンダーウーマンみたいに最終戦で助けに来るみたいな感じでよかったんじゃないかと思う。
後はトレーラーでも印象的に扱われていた少年がスーパーマンの旗を掲げるシーン。あそこで初代スーパーマンのテーマが流れて流石にエモすぎるだろ!となった結果、どうなるのかというところ。あそこはガンによる「世界をスーパーマン一人に背負わせない」というポジティブなメッセージとDCUの世界観説明として完璧に機能していると同時に、さすがにあのエモさでガン特有の「ズラし」をするのは違うんじゃないかという両面でモヤモヤした。
今作ではスーパーマンの真の使命として「地球で愚かな民を支配し、種付けしまくれ!」と両親が言っていたことが明らかになりこれによってスーパーマンはバッシングされ収監されることになる。しかしスーパーマンはそのことを知らず「自分は確かにエイリアン(移民)だが、この国で育ってこの国を愛している。誰から生まれてそいつがなにを言ってるかなんか関係ないんじゃないか」という移民バッシング批判とガンの命題である「家族という呪いからの脱却」へのアンサーを出していて、これ自体はガンらしくてよかった。
SNSでスーパーマン批判キャンペーンを展開しているのがガチのおさるさんだというのもSNSでディズニーを一度は追い出されたガンらしい皮肉が効いていてよい。
あと、やっぱクリプトね。スーパーマンレベルの力を持った犬なんだけど、マジで犬。しかもバカな犬。かわいいバカ犬。クリプト見るためだけにこの映画見ていいまである。クリプトをこうしたのガン天才やと思うわ。
そしてレックス・ルーサーとかいうめちゃくちゃ一般人な天才。増田やってそう(ヘイトスピーチ)。今作では基本的にスーパーマンを圧倒する頭脳を見せるのに、ウルトラマンの操作をコマンド式にしたり、国を買い取って自分の王国を作ろうとしてたり、ブロンドで乳がデカいバカ女ばっかりと付き合ってるし、スーパーマンを憎むのは「あいつばっかりちやほやされてムカツク」という承認欲求から。そして最終的にクリプトにボコボコにされて泣き出しちゃう。か、かわいい。ニコラス・ホルト天才やな。
ガン映画の一番の魅力である登場人物のすばらしさに関しては言うことなし。満点。
GotGで見せたアクションの面白さも健在だし、エンタメ映画として必要なものは高い水準で全部入ってる。
この映画は俺は失敗だと思ってるけど、面白い映画を見たいなら絶対に見るべきだと思う。
なんか失敗扱いになっちゃったけど俺はDCEUも好きだったし、DCUも応援したい。今のところ全部面白いし。
今作はDCU最初の映画ということでいろいろ無理やり詰め込んだ結果こうなっちゃったのかなとも思うし、今後しっかり腰を据えた映画がこのクオリティで作られていくことを期待したい。
「ハイスクール!奇面組」が来年1月にノイタミナでTVアニメ化され、時代設定や声優が新たになるらしいが。
https://natalie.mu/comic/news/644527
それはいいんだけど、「イメージMVには旧アニメーションの主題歌「うしろゆびさされ組」を、キャストの白石と長谷川がカバーしたバージョンが使用された。
楽曲はNightTempoの編曲により現代風にアレンジされている。」
……って事は、あの気持ちの悪い歌詞の数々はそのままなのかな。
当時まだ子供だったので気にしていなかったが、今見ると歌詞がモロそういう意味にしか見えないんだよね。
「バナナの涙」とか、「象さんのすきゃんてぃ」とか、そういう意味にしか取れないじゃん。
こんな歌詞の歌を小さい子供も見るようなアニメに平然と使っていたのが信じられないし、過去の事はまだしもとしても現代にわざわざ蘇らせる意味がわからん。
今現在のパパ達は子煩悩だし育児参加率が高いから必然的に「ママ化」してるので好感度もそれなりに高いだろう
そして子供の反抗期も減り気味だろうから「親父うぜえ」ってのが無い可能性も高い
昭和生まれの父親はマツコ有吉が言う様にほぼほぼ嫌われてると思うわ
(「母親が異常で、父親が人としてマトモで子供に対する愛が深く面倒見も良い場合」は別だが)
そりゃあ「育ててくれてる」のが母親なんだから、子供がなつくのは母親になるよな
マツコが「父親は家に居なかった」「居てもほぼ口もきかない」と言っていたが、コミュニケーションも取れない人間を好きになるわけないよな
おまけに「父親・夫」というだけで威張り散らしてる様な男を好きになるわけがない
(ましてや金も稼いで来ない様な男とか人間としてだらしない男だったら、「世界一嫌いな人間」になるよな。他人より悪い)
母親が子供に対して「お父さんは外で一生懸命働いて、この家を支えてくれてるんだよ」と洗脳教育してくれてれば「尊敬」とかはあるかもしれないが「好き」とは違うよな
現代のパパ達はそんなクソ親父の孫世代になるのかな?(団塊の孫だとまだ子を持つに至らない年齢かなあ。昭和10年代生まれの孫とかが親になってるかね)
隔世の感じゃないけど、クソ親父の子供がクソ親父を反面教師として、自分が親になった時に多少マシになり、その子供は更にマシになった感じか
良かった良かった
https://anond.hatelabo.jp/20250928215209
まずはじめに、私の個人的な一例なので増田姉にピッタリ当てはまらないと思う。妄想だと思う。だから「こんな人もいる」ってことにしてくれ。
吐き出したくなっただけだから。
母親が「あんたたちきょうだいなんだから仲良くしなさい」ときょうだいに責任投げしているあたり、なんとなく察する。
この二つだけでも「あ~もうダメだ~」って感じ。
何で『普通に幸せそうな家族』を築いた姉さんがグチグチ言うのか。そりゃ自分の家族を見て、実家がいかに自分を苦しめていたかわかったんじゃない?
実家の中では「お姉ちゃんだから」と言われ続けていたんだろう。まぁ弟さんは記憶がないかもしれない。0歳~小学生くらいまでの記憶はあんまりないだろうし。
でも弟さんが自覚できる程度には「「お姉ちゃんなんだから」的な育て方」をしていたんでしょう?
親に「お姉ちゃんだから」と言われたら反論できない。弟は自分より年下だから、親の手伝いが必要だし、自分も大人にならないといけない。
って言われたら何もできない。私の経験だから増田姉さんがそうかわわからん。
そして親の中ではずっと弟が年下だから、弟はずっと子どもと思っている。大人になってもやっぱり末っ子は子ども。しかも長男。「お姉ちゃんに比べて面倒見ないと…」と無意識に思う。
しょうがないんだよ。しょうがないことだが、姉からすれば「私の面倒を親がみなくて済んでいるのは、あんたらが放置したからなんだよ」と怒りになる。自活したのは私の努力!だから褒めてほしいのに、「お姉ちゃんなんだから当然」なんて言われる。
6歳差だと弟さんが一番大変な2~5歳(幼稚園児くらい)の時、姉さんは8~11歳だよね。思春期に入る女子が親から「お姉ちゃんだから(我慢しなさい・やりなさい)」って言われるの苦痛でしかないんだよね。
だって自分の好きなことを自分の意思でようやくできそうな時期なのに、家では弟が~弟に~と親は言い、「私だって親に頼りたい・甘えたい」なんて言えば「お姉ちゃんなのに」「お姉ちゃんでしょ」と言われる。私の経験だから、増田の姉が実際そうなのかはわからない。でもこういうパターンもある。
大学受験なら17歳、で弟さんは11歳。まぁ親は弟さんの面倒を見るよね。むしろ姉さんには「あいつは大人だから自分でやるだろう」と放置されてたんじゃないの?
それか今まで弟ファーストだったのに急に大学進路に口出してきたとか。
部屋に納得いかない事を今言うのもわかる。だって当時言ったところで「お姉ちゃんなのに文句言うなんて…」とか言うんだろう。
父親と喧嘩していたってことだから、きっとお姉さんは昔から文句は言っていたんだと思うよ。
でも全部、親は心の中で「お姉ちゃんなのくせに」って思っていた。それを姉さんは感じていた。
だから自分が姉と言うポジション決めをした弟である増田も憎いわけ。
「弟に来させる」って言ったら「お姉ちゃんなんだから」とか言われる。だから我慢したのでは?
私の母もガンで入院していた時、「他のきょうだいに来させていい?」と言ったら「あんたお姉ちゃんなんだから」とか「女同士仲良く…」とかぬかす。いまさら。病人と喧嘩なんてしたくないし、親だから少なからず情があるのでその時は何も言えない。どうせ反論しても「お姉ちゃんなのにきょうだいの悪口を!!」って言われるから。
(というか増田は見舞いの頻度は姉と比較してどんなもんだったんだ…?)
ここで「気にせず弟にやらせればいいじゃん」とも思うんだけど、やっぱり親に怒られるって嫌なんだよね。だから我慢する。せめて愛情を貰おうとする、でも辛いから憎い。
増田、弟さんよ。これはもう積み重ねが爆発したんだ。噴火したものだから、もう収まるのを待つしかない。更年期だねはいはいで終わらんよ。
姉さんは新たな家庭という味方を得たから、実家家族がますます許せないんだ。
新しい家族で過ごしているうちに「なんで私は過去にあんな我慢させられたんだ!?」ってなったんだよ。
増田は「一番困りそうなのは今は元気な親に何かあったとき…」「うっすらしか覚えてねーよ」と思い、
父親は「そんな話今更されてもなんなんだよ今更…」と姉を避け、
3人とも「なんだこいつ」って目で姉さんを見ている。それが更にムカついているんだと思う。
いじめっ子に「過去に私をいじめていた!」って言ったら「はぁ?そんな過去の事」「と言うか覚えてねぇし」「私じゃないし、あいつが謝ればいい」って言われているようなもん。現に「更年期障害か、はいはい」となっている。
家族の中で姉なんていなくてもいいと言う感情が見え透けている。
だから姉さんは腹が立つ。そして新しい家族と言う味方ができた今!お前らに強く出れる!私は自分の子どもにはできた!できなくて私の人生を苦労させたお前らが憎い!せめて言わせろ!は?知らないわけないだろ!こんな苦労したのにまだ私を認めないか!となるわけ。
もう言わせておくしかないんだ。「受け入れろ」っていうコメもあるけど、そんなのはいらない。ただ増田や両親が自分の言葉でしゅんとして、ちょっぴり自分より不幸であればいいだけ。もうそれしか思っていない。
私はいえるもんなら家族に言いたい気もある。でも過去のことだから言っても無駄だと思って言っていない。(怒るのも面倒だし、今は仲良くやってるし)
でも増田の姉さんの気持ちはすごくわかる。姉さんの味方にはならんが、原因が全て姉さんにあるとは思えん。
カウンセラーなんて勧めたらもっと怒ると思うよ。「お前らのせいでこうなったのに、私が頭おかしい認定かよ!!誰のせいだよ!!!!!」って。
放置かもう会わない事だ。
別の解決方法なんて介護・親の面倒は全て愛情を貰った増田がやるしかない。ちゃんと相続は姉さんにもしたうえでな。子どもってのはいつまでも親の愛情が欲しいんだ。でも姉さんに愛情をあげるにはもう遅い。手遅れ。この年だと愛情=金でしかないんだ。
大体きょうだい間のいざこざは親起因が多いけど、増田を見ただけでも親から姉へ対する無関心さがそれを表しているよ。増田も両親に文句を言うんだ。
3人兄姉。
8歳上の姉と6歳上の兄がいる。
自分(28)には妻と二人の子供がいる。兄弟の中で最初に結婚したのも自分だった。
なぜ自分が早く結婚したかというと、早く親に孫を見せたかったからだ。
親はもう70代。自分が大学生のころ、実家に集まると「高齢の両親+大人になった姉兄+まだ学生の自分」という構成で、家族が増える気配がなく、このまま縮小していくような感覚に違和感を覚えていた。
両親はしっかりしていて老後も安心、姉は外資系でキャリア志向、兄は獣医、自分は旧帝大の学生と、世間からは「安定した家庭」に見えるかもしれない。
でも、集まったときの会話はどこか物足りなく感じた。親は良い人たちなので頑張って話題についてこようとするが、どうしても世代の差は埋まらない。親戚や友人からは「孫自慢」も聞こえてきて、親もどこか寂しそうに見えた。
振り返ると「結婚そのものをしたい」という気持ちがまずあって、その上で妻と出会い、結婚を決めたのだと思う。もちろん妻のことは大切に思っているが、動機としては「親に孫を見せたい」という気持ちも大きかった。
さて、本題。
自分は今、二人の子供に恵まれ、両親は孫に夢中だ。姉兄も子供好きで、自分の子をすごく可愛がってくれる。
ただ、姉兄にはまだ子供がいない。
自分の一人目の子供が生まれる頃に兄が結婚し、その半年後に姉も結婚した。それなのに、二人目が生まれた今でも姉兄には子供がいない。
「結婚や出産の順番」を大事にする雰囲気が、家族や社会の中に少しはあるのかもしれない。実際、弟である自分が先に子供を持ったことで、姉兄としては何とも言えない気持ちになるのではないか……と思ったりもする。
もっとも、姉兄は大人なので一切そんな素振りは見せないし、自分の子が生まれるたびに一緒に喜んでくれる。そのおかげで、家族が集まる機会も増え、にぎやかになったのは事実だ。
ただ、自分は完全に末っ子気質なので、姉兄の心情が本当のところどうなのかは分からない。
年下の弟だけに子供がいる状況を、姉兄はどう感じているのだろうか。
結局のところ、家庭によって受け止め方は違うんだろうな……と思っている。
あのリビングと薄い可動仕切りで区切られてるスペースを1部屋とカウントしてるやつね。
「開けるとリビングを広く使えますよー!」って説明されるけど閉めたらリビング狭すぎるのよ。閉めて暮らす前提になってない。
で、子ども2人産まれたとしてこのタイプだと詰むんだよね。寝室、子の部屋、子の部屋でどれかひとつがここになるんだけど、薄い仕切りだからリビングの音が筒抜けで子どもの勉強の邪魔になっちゃう。年頃の子どもの個室がリビング隣接ってのも落ち着かなくて嫌だろうしね。
かといって閉めっぱなしで親の寝室にするのも違うじゃん。さっき言ったように閉めてると4人が暮らすにはあまりにも狭いし。
まぁ同性兄弟なら相部屋2段ベッドもなくはないけどさ。
親のリモートワークのスペースなんて消えて無くなるよね。
そんな感じで、子どもが産まれるタイミングでこの手のマンションを買って、今はまだ子どもが小さいから大丈夫だけど、10年以内に買い替えないといけないと思う、という友人を複数知ってる。
薄く湿った風が、夕暮れのアスファルトをそっと撫でていく。数日前までは日没を待たず、コンクリの照り返しにじりじりと焦がされていたのに、いまはまだ陽があるうちから肌にひんやりとした予感が宿っている。
自転車を漕ぎながら見上げる空は、夏の蒼さから少しずつ色褪せて、淡い鉛色の雲にほのかな黄金を帯びている。あの入道雲はもう遠い日の記憶で、今は高いところを渡る雁の群れが、秋の訪れを告げに来たのだろう。
帰り道にある公園では、蝉の声が徐々に減り、代わりにひぐらしが一声、二声と鳴く。真夏の間は地響きのように賑やかだったのが、いまや呼吸のように間を置いて静かに響く。滑り台の鉄網が、まだ熱を帯びているけれど、触れればもう「焼けた」痛みではなく、肌に寄り添う温もりへと変わっている。
家へ戻ると、窓辺に置いたガラス瓶の中でミントの葉が色を濃くし、夏に吸い込んだ陽光を抱えたまま秋を迎えているようだった。明かりを点けると、その緑はほんのり翡翠色に光り、部屋の薄暗さをほのかに照らす。僕は書きかけのノートを前に、指先でページを撫でる。まるで時間の糸をたどるように、字の隙間から季節の匂いが立ち昇る。
足元には去年の秋に拾った赤い葉が一枚、乾いてカサカサと音を立てている。あの日、福島の山道を歩いていると、突如ひらりと舞い降りてきたものだった。自分がこの街を出る日を想像もしていなかった頃の、ほんの小さな偶然だったのに、それがいまでは胸の奥で鮮やかに疼いている。
窓の外を見れば、商店街のアーケードの明かりが柔らかく灯り、夜の帳がゆっくりと広がっていく。夏の終わりは寂しいと言う人もいるけれど、僕にはこの「終わりの始まり」がいちばん好きだ。終わるものへの惜別と、始まろうとする何かへの昂揚が同居しているから。
明日はもう9月の下旬だ。仕事帰りの道で見かけた栗のイガが、そっと落ちていた。掌に包むと、まだ子供のように固く、尖っている。触れているうちに、心のどこかで「次へ進め」と囁かれているような気がした。そうか、僕はまだ旅の途中なのだろう。
窓の外では、夜風が窓枠をかすかに揺らし、遠くで何かが鳴っている。秋の虫が、まだ旅に出る僕を見送るように――静かに。
この部屋の明かりが灯るころには、もう秋の匂いが深まっているだろう。夏をつかみ損ねた僕の胸の中にも、ゆっくりと色づく何かが流れ込んでくる。風が変わるたびに、その鼓動が確かな存在として胸奥で響き、僕はまた一歩、季節の旅を続けていく。
病院で検査してたらさ、いきなり医者が真顔で「あなたは弱者男性です。手術が必要です」って言ってきたんだよ。
マジで意味分かんなくて「は?」って声出たけど、医者の顔があまりにもガチだから冗談じゃないのが一瞬で分かった。
しかも追い討ちで「このまま放っておくと余命は半年です」って宣告されてさ。頭の中で鐘が鳴ったみたいに一気に真っ白。
正直ドラマの中でしか聞かないようなセリフだと思ってたから、自分が当事者になるとか想像すらしてなかった。
そのあと冷静に「手術すれば延命はできるけど、完治する保証はないです」って言われて。
選択肢があるように見えて、実際は「やるか死ぬか」しか残されてなかった。
家に帰って嫁にそのまま話したんだよ。
最初は「また冗談でしょ」って笑ってたけど、俺が本気だって分かった瞬間、崩れるように泣き出した。
「まだ子供小さいのに…どうするのよ」って。あのときの顔、忘れられるわけない。
子供たちにも伝えなきゃいけなくて、言葉を選びながら「パパちょっと病気でしばらく入院するんだ」って言ったら、上の子は泣きながら「死なないで!」って叫んで、下の子は状況分かんないのか、ただぎゅって抱きついてきた。
あの瞬間、胸が締め付けられて、本当に自分がどういう立場に置かれてるのか思い知らされた。
「余命半年だって言われた」って伝えたら、しばらく黙ってから「バカ野郎、まだ死ぬなよ。今度酒でも飲もうぜ」って。
泣かせにきてんのかよって思ったけど、その一言で少しだけ救われた気がした。
結局、手術を受ける決心がついたのは、嫁や子供の顔が浮かんだからだし、親友が背中押してくれたから。
弱者男性として人生の終わりを迎えるにしても、せめて家族の記憶の中に「最後まで生きようとした父親」として残りたいと思ったんだ。
子供に携帯電話持たせてみたら、電話番号の前の持ち主があれな感じだったのね。
いろんな電話番号からばんばんお金貸せます!ってメッセージが届く。あと怪しい国際電話がもりもりかかってくる。
でも電話番号がきれいな番号かって契約してみるまでわからないし、手数料払って番号変更してもそれも汚れた番号じゃない保証はないし⋯
って考えた結果、povo使うのがよかったのね。
2. しばらくギガも購入せずにほっといて、迷惑電話とか迷惑SMSが届かないか見極める(届くようなら解約して1.からやり直し)
病院で検査してたら、医者にいきなり「あなたは弱者男性です。すぐに緊急手術が必要です」って真顔で言われたんだよ。
は?って思ったけど、医者は淡々としてて冗談じゃないのが伝わってきた。
さらに追い打ちかけるように「このまま弱者男性を放置すれば余命は半年です」って宣告された瞬間、頭の中でカーンって鐘鳴ったみたいに真っ白になった。
余命宣告ってドラマの中だけの話だと思ってたのに、まさか自分が言われる側になるとはな…。
「手術すれば延命はできますが、完全に治る保証はありません」って冷静に説明されて、選択肢はあるようで全然なかった。
家に帰って、嫁にそのまま話したらさ、最初は笑って「また冗談でしょ?」って言ったんだけど、俺の顔が真剣なの見た瞬間に泣き崩れたんだよ。
「まだ子供小さいのにどうするのよ」って。
あのときの泣き顔は一生忘れられない。
子供にも伝えなきゃいけないと思って、言葉選びながら「パパ、病気でしばらく入院するんだ」って言ったら、上の子は泣きながら「やだ、死なないで!」って叫んで、下の子は何も分かってないのか、ただ俺に抱きついてきた。
胸が締め付けられて、ほんとに思い知らされた。
「余命半年って言われた」って打ち明けたら、しばらく沈黙の後に「バカ野郎、まだ死ぬなよ。酒でも飲みに行こうぜ」って。
泣かせる気かよって感じだったけど、その言葉で少しだけ救われた。
手術を受けることにしたのは、嫁と子供の顔を思い浮かべたからだし、親友の背中を押す言葉があったから。
座席に座ってる男がスマホで誰かと通話してて、声がやたらでかいから会話の内容が丸聞こえ。で、こんなことを話してた。
「今さ、少子化って騒がれてて、お金がないから子供作れないって言うだろ?けどさ、金持ちは作ってるんだよ。こういう現象、なんて言うか知ってるか? “淘汰”だよ。現代じゃ金持ちが強者で、貧乏人が弱者。なら淘汰されるのも自然の摂理なんだよ」
私、結婚してるけど共働きで、収入も貯金も正直まだ十分じゃない。
だから夫と話し合って「今はまだ子供は作らないでおこう」って、ついこの間決めたばかりだったからその言葉が胸に刺さって苦しかったし、悔しかった。
同じ車両に居る人みんなが同じ思いだったと思う。
その男は不意を突かれたみたいにびっくりして、それから「…居ませんけど」って不機嫌そうに答えた。
それに対してご婦人が「じゃああなたも淘汰される側なのね」と言ったら男は顔を真っ赤にして怒りでプルプル震え出して、次の駅に着くと飛び出すようにして降りて行った。
その瞬間車内は拍手喝采だった。
テレビで俳優がパートナーと映画に行って映画の内容が不満で自分だけ途中退席した事があるというエピソードを語って夫がそれに賛同していた。
その俳優の行動は、夫から実際された事はないが、まるで夫みたいな考え方だな、と感じた。
ちなみに、番組内で100名にアンケートしたところ、そんなことをしたことがあると答えた人は0%だった。
私
こういう人は結婚しない方がいい。相手が可哀想。(実際私も寂しい思いをしている)
夫
だからいつも好きにすればいいって言ってるじゃん。
私
好きにしたいなんて言ったことない。
たまには2人の時間が欲しいって言ってる。
結婚前はそんな事なかったのに、結婚後にそうなるのはずるい。今更仕方ないけど。
夫
だまる。
こんな感じ。
夫は友人とは積極的に出かけるし、自分の趣味には私を誘わない。
夫が変わることはない。私は残りの人生を一人で楽しむ為には何をしたらいいんだろう。
子供も成人したので、本当は、夫婦でカフェに行ったり、旅行に行ったり、色々お出かけしたかったが無理そうだ。
友人はまだ子育てで忙しそうなので頼りたくない。