
はてなキーワード:のりをとは
期待に違わぬ丁寧な回答ありがとうございます。よくわかりました。
戦犯という言葉を、カジュアルに使う人もいれば、増田のように非常に重たい言葉と受け止める人もいると。
それなら、大東亜戦争という言葉を、歴史的に正確な用語として使うべきだと思う人もいれば、日本の侵略を正当化するように聞こえるとか、正当化したい人々に濫用された結果そういう言葉になってしまったとか、そう受け止める人もいるだろう。
もちろん、増田のような地道な啓蒙によって、少しずつ少しずつ、500年後の未来には大東亜戦争という言葉が世界各国の共通歴史用語として使われる日が来るかもしれないけど、それが大変険しい道のりになることは確かだろう。その道のりを切り拓く努力って、必要なんかね?
少なくとも、私は日本が少なくとも建前の上で崇高な理想を掲げたことは知っているし、いっぽうで「大東亜戦争」という表現が、人によって非常に重たい言葉と受け止めることがあることも知ってるので、必要がない限り、カジュアルに大東亜戦争と表現することはない。そんな私レベルの理解が広まっていさえすれば、なにも今「太平洋戦争」と呼んでいる場面場面で、それを「大東亜戦争」に置き換えていく必要はないと感じる。
観る将歴30年(観る碁歴は15年くらい)になります。よろしくお願いします。
例の件について初めに自分の意見を述べておくと、「白玲通算5期のフリークラス編入には賛成。ただしアマチュア強豪(元奨励会員含む)にもアマ全国大会優勝回数等を条件に同等の門戸を開くべき。本制度の導入に伴って棋士数が増えすぎる等の懸念があるならフリークラス在籍年限の調整で対応。」です。
今回話題となっている棋士編入についてだが、まず将棋棋士には大きく分けて2種類ある。「棋士」と「棋士(フリークラス)」だ。
簡単に言うと、「棋士」は順位戦という全棋士の格付け的なリーグ戦に出場でき、一定の対局数(=報酬)が確約される。羽生や藤井聡太はこっち。
今回案で規定を満たした女流棋士が編入可能となるのは後者の「フリークラス」で、こちらは順位戦に参加不可(=対局数が確約されない)となる。
また、他棋戦で一定の成績を挙げることで順位戦へ昇級することが可能だが、これを10年以内に達成できない場合は強制引退となる。いわば「時間制限付きのプロ」だ。
https://www.shogi.or.jp/match/junni/rules.html
編入した女性棋士がいきなり羽生藤井と肩を並べて戦うと思っている人もいるようだが、それはとんでもない勘違いだ。棋士とフリークラス棋士は全く立場が異なる。
で、例えば白玲通算5期を獲得してフリークラス編入した女性が一定の成績を挙げて順位戦に昇級したのなら、彼女の実力に異議を唱える人はいないだろう。
また、10年間で順位戦昇級規定を達成できず強制引退になったのなら、それは正しく実力主義の結果だ。
つまり、今回の案はフリークラスを実力を見極める場として位置付ける施策だと思う。
加えて私はアマチュア強豪(元奨励会員含む)にも同様にフリークラスで戦う機会が与えられるべきだと思う。
「そもそも棋士になる時点で実力主義に則るべきでは?」という意見は理解できるが、私の意見はそもそも現状の奨励会ベースの棋士採用枠が少なすぎるという点に端を発している。
現状のアマチュア全国大会を見ても元奨励会員たちの活躍が目覚ましく、フリークラスに編入しても十分戦えるレベルのプレイヤーが複数いると感じる。
また女流棋士に関しても、西山・福間(旧姓里見)らトップ女流は現役棋士に対してこれまでに十分な勝ち星を挙げてきた。トップ女流の証明として白玲通算5期は決して軽くない。
「白玲通算5期」というのは所謂「クイーン称号」という各タイトルごとにある名誉称号のことだが、参考として1990年以降クイーン称号を達成した女流棋士はわずか5人(林葉・中井・清水・里見・西山)しかいない。
更に白玲戦は順位戦と同じ昇降級リーグ戦方式を取っているため、他のクイーン称号と比べ格段に達成が困難だ。
一部の人が危惧するような、達成者が続々と現れて将棋界のレベルが格段に落ちるというような事態になるとは考えにくい。
問題は女流棋士全体のレベルを維持・底上げできるか(本件で言う「担保」の話)という点だが、これについては引き続き普及や育成を頑張っていくしかない。ただ女流棋界全体の実力が確実に向上しているのは多くの棋士が認めるところだし、現状のまま少子化や人口減少、棋戦メインスポンサーである新聞社の衰退を指をくわえて眺めているよりは、制度を整え順位戦への道筋を作って未来の才能に懸ける方が希望はあるだろう。
各編入試験制度の導入は将棋界としては大きな前進だったが、正直言ってこれも厳しすぎると感じている。
「対棋士10勝以上かつ勝率6割5分を挙げた上で三段リーグ抜けたてピチピチの四段5人と3先」は三段上位、何なら平均的な棋力の現役棋士でも困難だろうし、三段リーグの18局と比べると編入試験の5局は判断材料として少なすぎる。公式戦の棋譜を大量に研究される女流棋士なら尚更だ。
よって、強制引退のあるフリークラス枠を拡大し準棋士程度の扱いにすることで、より長い目で実力あるプレイヤーを見出す方が良いと考えている。
要するに、アマチュア強豪・女流強豪・奨励会三段と「棋士」との間にフリークラス棋士というバッファを設けようというのが私の意見だ。
個人的には三段リーグの昇段枠を広げたいが、難しいなら次点付与条件を増やす施策だけでも取れないかと考えている。今期竜王戦の山下三段のように奨励会員が棋戦本戦まで勝ち上がるなど、下が詰まっているのは明白。下の詰まりが女性棋士への道のりを更に困難にしている面もあるだろう。
機会均等という意味ではそうだし、かつては私もそう思っていたが、現状圧倒的に男性多数の環境で10〜20代の女性が十全にパフォーマンスを発揮できるかは疑問が残る。
女流棋士から奨励会各段級へ編入する制度も作られたが、女流棋戦とのスケジュール両立や公式戦の棋譜が残って研究されやすいなど不利な要素は払拭しきれない、というのが今の私の意見。
それをやったら最後、本当に女性棋士誕生の目は消失する。女流棋士の存在がどれだけ多くの女性への普及に貢献したかがあまりにも過小評価されている。
よって女流棋士をなくすことはできない。だが奨励会コースの不利も払拭しきれない。ならばそれ以外のコースを緩和しよう。実力不足ならフリークラスというバッファで選別しよう、という理屈。たとえ先人がバッファを抜けられなかったとしても、その姿を見て研鑽した人が後に続くと信じて。
ヒューリックの会長が将棋好きな縁でCSRとして各種プロ棋戦やアマ大会を主催・協賛していて、千駄ヶ谷の新将棋会館はヒューリックのビルに入居している。
そして白玲戦の主催者として賞金を大幅増額した上での今回のクイーン白玲編入案なので、まあ彼らの意向が入ってないわけがない。
ただその案が棋士総会で可決されたという事実も重くて、人口減少が顕著な中で女性プレイヤーも増やさなければ将棋界は早晩先細りしていくだけという危機感は当事者の棋士・女流棋士たちも共有しているところではあると思う。
実を言うと女性棋士について今回の将棋のような「優遇制度」を取っているのが囲碁界。
日本棋院を例に挙げると、毎年の「正棋士」採用に加え「女流特別採用棋士」という女性枠がある。これは女性のみの総当たり戦で決められ、将棋の三段リーグのような男女混合の選別を経ることなくプロになれる。加えて2018年からは「女流特別採用推薦棋士」という推薦枠も作られた。今の多くの女性囲碁棋士はこれらの女性枠からデビューしている。
一般枠を勝ち取った女性棋士もいるが、その数はこれまでにわずか4人。この手の話題になると「囲碁は男女差がない」と言う人が少なくないが、実際のところ将棋よりは差が小さいものの普通にゴリゴリ男女差はある。(ちなみにチェスもゴリゴリ男女差ある)
そうして女性枠で入段した人の成績が振るわないケースも珍しくないし、女性枠の棋士は対局料や給与も正棋士より低い(何度か昇段を重ねてようやく正棋士になれる)。
ここまで読んでもまだ「囲碁は男女平等」と言えるのであれば、あなたと私とでは少し平等の定義が異なるかもしれない。
ただ、そういう「女性枠」で入段した棋士たちの中から近年藤沢里菜(若鯉戦で女性初の優勝)や上野愛咲美(竜星戦で女性初の決勝進出・新人王戦で女性初の優勝)ら逸材が現れているのも事実。
将棋に関しても、挑戦する機会を今よりも増やすことが女性プレイヤーの成長・発見に繋がると思っている。
(藤沢里菜は囲碁界のサラブレッドなのでここで挙げるのはちょっと違うかもしれないが)
まあ昔は女性が棋士や奨励会員の研究会に参加しづらかったりそういう格差はあったと聞くけど、その頃に比べたら研究環境の格差は縮まっていると思う。
ただ、人間と実際に盤を挟んで何局も指すという実戦経験はAIでは補填できないものだから、そんなに単純な話でもないと思う。
この辺の空気感が変わってきているのは遠山六段のコラムからも垣間見える。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/061ebf2664a536eb2417e5097468dc4a772f4af8
じゃあ現女流棋界の2トップを張る西山と福間の、一般棋戦女流参加枠での直近5年の戦績をhttp://kishibetsu.com/ で見てみよか。(更新再開ありがとうございます)
これはNHK杯女流予選の勝敗も含まれるしあくまで参考記録だけど、対局相手のレベルはフリークラスに編入した場合のマッチングとさほど変わらないはず。
| 年度 | 勝敗 |
|---|---|
| 2020年度 | 13勝9敗 |
| 2021年度 | 8勝8敗 |
| 2022年度 | 3勝9敗 |
| 2023年度 | 10勝7敗 |
| 2024年度 | 9勝7敗 |
43勝40敗(0.518)
| 年度 | 勝敗 |
|---|---|
| 2020年度 | 6勝8敗 |
| 2021年度 | 10勝7敗 |
| 2022年度 | 11勝10敗 |
| 2023年度 | 6勝9敗 |
| 2024年度 | 4勝3敗(出産に伴う不戦敗2を除く) |
27勝37敗(0.422)
追記:すまん集計間違えてた!
正しくは37勝37敗(0.500)や!
勝率5割と十分戦えてはいるが、フリークラス脱出にはもうひと頑張り必要になってくる。とはいえ実現不可能なラインでもない。西山さんはそれなりに可能性があるけど福間さんは結構大変かなといった印象。
ただフリクラになると参加可能棋戦が増えるのでスケジュール的に女流棋戦との両立が課題になりそうかな…。
この辺の女流棋戦と一般棋戦の両立の難しさを以前からどうにかできないかと思っているのだが、なかなか良いアイデアが浮かばない。女流棋戦でフリクラシード枠でも作る?
しかし彼女たちが一般棋戦でも普通に勝つようになっていちいちニュースにならなくなったな。何しろ今の女流棋界は元奨励会三段が3人いるからね(福間・西山・中七海女流三段)。隔世の感がある。
昔は清水会長が一発入れるだけで大いに盛り上がったもんじゃ…ホッホッホッ(観る将老人)
・今の将棋界、下が詰まってんねん
・クイーン白玲だけでなくアマチュア強豪にもフリクラチャレンジの機会を作ろう
・フリークラスをバッファにして奨励会で掬いきれない才能を見出そう
・私が30年愛した将棋が安易な男女対立煽りのおもちゃにされることについては極めて遺憾でありf*ckの意を表明します
以上
Permalink |記事への反応(11) | 17:56
日本人があんな中華ファースト通り越して中華オンリー政党支持するとかマジで終わってる
自民らしさって何だろ
とりあえず今の自民だけど、別に2000年あたりから25年は変わってなくね?
以下のような政治を良しとする人たちが多いってことでしょ
どれどれ?
こんな政治してて投票するやつって、裏金もらってるか、開票不正くらいしかありえなくね?
まとも???
増田は、20代。精神科の診察室に座っていた。これまで自分が他人と同じように生きていないこと、周囲とどこか違うと感じ続けてきたことは、もう誰にも説明できないほどの負担となっていた。やっとの思いで精神科を訪れ、知能検査を受け、軽度知的障害の診断を受けた瞬間、私は一瞬の静けさを感じた。診断結果を受け入れるまでに少しの時間が必要だったが、次第に納得が湧いてきた。「なるほど、私はずっとこうだったんだ」と、自分の中で何かがつながったような感覚に包まれた。その瞬間、ふとした希望も感じた。「これで療育手帳が取れたら、障害者雇用やいろんな福祉支援サービスが受けられるかもしれない」と、わずかながらの期待が胸に湧き上がった。自分が今まで経験してきた苦しみや不安が、少しでも軽くなるかもしれない、そんな思いが増田を包んだ。
しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。
増田は療育手帳の申請を行い、知的障害者更生所で再度知能検査を受けた。その結果、精神科での診断と同様に軽度知的障害とされる数値が出た。しかし、それでも結果は「非該当」となった。理由は「18歳以下で知的障害の状態だったことを証明する資料が不足している」というものだった。私はその理由に愕然とし、困惑した。過去の自分を証明する手段がほとんどなく、結果的にそれが障害者としての支援を受けるための唯一の鍵だと思っていたのに、最初の申請は却下されてしまった。
過去の知能検査結果について、病院に行ったことはないため通っていた学校に支援者が問い合わせると知能検査は行われていたが5年で廃棄処分していると言われ、入手することはできなかった。他には、テストの結果や成績表、担任の証言書を集め、再度申請することを決意した。これでなんとかなる、そう信じていた。
再申請が受理され、知的障害者更生所で再度話し合いが開かれた。支援者も同行し、増田は自分の過去を証明するために、何度も何度も訴えた。
「私は、子供の頃に診断を受けなかっただけで、今でも支援が必要だと感じているんです。過去の成績や担任の証言で、私がどれほど苦しんでいるか分かってほしいんです」
増田は何度も言葉にしようとしたが、結局うまく伝えることができなかった。コミュニケーションが苦手で、他人に自分の気持ちをどう伝えるべきかが分からない。増田が言葉を選び、伝えようとするその過程は、いつも思うようにいかない。判定職員には、私の苦しみがどれだけ深いものであるか、どれだけ長い間その苦しみに耐えてきたのかは、うまく伝わらなかった。
支援者は、増田がこれまでどれだけ真剣に証拠を集め、過去の困難に立ち向かってきたのかを理解し、判定職員にそれを伝えようと尽力した。しかし、何度も話し合いをしても、その答えは変わらなかった。
「証明が足りません」「18歳以下の証拠がありません」「過去の成績や担任の証言だけでは、交付することはできません」
その言葉が、再び私の心を冷たく締め付けた。必死に集めた証拠や証言が、すべて無駄に終わった。再申請しても、結果は同じだった。増田はその現実に愕然とし、次第に、自分がどれだけ過去を証明しようとしても、全てが無駄なことだと感じ始めた。証拠が足りないという一言で、過去のすべてが無視され、再び壁にぶつかっているような気がした。
増田は、この世界において自分の声が何も届かないと感じていた。過去を証明する手段が限られていて、いくら努力しても結果に繋がらない現実、どんなに訴えても理解されないという事実に直面し、深い絶望に陥った。自分の気持ちを他人にうまく伝えることができない。これまでの人生でずっとそうだった。学校でも、職場でも、自分の思いをうまく言葉にできず、苦しんできた。支援者にさえ、心の奥底にある本当の苦しみや切実な願いを伝えることができなかった。たとえうまく伝わったとしても、その後何も変わらなければ意味がない。私の中で、無力感が膨れ上がっていった。
「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう…」
過去を証明する手段が限られていて、結局それが自分を助けるための唯一の鍵だと思っていたのに、それすらも認めてもらえない現実に、増田は深く絶望していた。自分が子供の頃は助けを求めることさえできなかった。大人になった今、勇気を出して助けを求めても、誰も相手にしてくれない。耐えられなくなった。
話し合いが終わり、再び私と支援者は帰路についた。途中、私は無言で歩いていた。支援者が少し間を置いて、静かに口を開いた。
「増田さん、もうこれ以上頑張っても、無駄だってこと、分かってるでしょ?」
私はうつむきながら歩き続けた。支援者は少し間を置いて、さらに言った。
「いくら証拠集めて頑張ったって、あっち側の決まりがあるんだから、どうにもならないんだよ。この現実を受け入れるしかない。あなたがどうしたって、この社会は理不尽だらけでできている。このことを受け入れなきゃ、あなたはこれから働くことも、生きていくこともできない。」
私はその言葉を耳にしながら、心の中で反発していた。どうしても受け入れたくなかった。けれど、支援者の言葉が、どこか冷たく現実を突きつけてくるのを感じていた。
納得するしかない。唯一の味方だと信じるしかなかった支援者から何度も繰り返される説得に、次第に身体が重くなっていくのを感じる。
「受け入れるしかない…」
その言葉が、増田の頭の中で何度も響く。これまでの人生を振り返ると、どれだけ努力してきても、結局は何も変わらなかった。学校も職場も、適応できなかった。自分が他の人と同じように生活することなんて、どうしてもできなかった。
「療育手帳があれば…」
福祉支援を受けられれば、少しでも楽になれると思っていた。けれど、その希望も絶たれた。自分がどれだけ証拠を集め、努力しても、結局は非該当のままだ。どうしてこんなに頑張ったのに、何も変わらないのだろう。
歩きながら、増田は心の中で叫んでいた。自分の声がどこかに届いてほしい。誰かに理解してほしい。でも、どんなに叫んでも、届くはずもないということを、もう増田は知っていた。
やがて自分の実家が見えてくる。家に帰るたびに感じる、親の無関心が、彼の心に重くのしかかる。
自分の悩みや障害のことを話そうとするたびに、面倒な顔をして避けるような態度をとる。どんなに傷ついても、親にはその気持ちを伝えることはできない。
知的障害者更生所の職員が「担任教師から聞き取り調査を行ったところ当時あなたの様子から親に養護学校を勧めたと言っていた。でも、養護学校を勧められた程度では療育手帳を取得できる根拠にはならない」と話していた。増田はそのことを当時親から聞いたことはなかった。長年隠されて、なかったことにされていたのだ。さらに知的障害者更生所の嘱託医は「子供の頃に検査してるか、実際に養護学校に行ってないとダメだよ」と主張する。
病院の主治医に相談しても「療育手帳は県が決めることだからこちらはどうしようもできない。」という考えで、深く関わろうとしない。
「どうして…」
私は床に座り込み、ただぼんやりと天井を見つめていた。支援者が言っていた「受け入れるしかない」「あなたは運がなかったね」という言葉が、どんどん増田を圧しつける。受け入れることなんてできるはずがない。受け入れて生きることなんて、考えられない。
「このまま、ずっとこんな人生が続くんだろうか。」
心の中でその問いが繰り返される。周囲と適応できず、苦しみながら生きてきた自分を、誰も理解してくれなかった。過去は変わらない。障害があることも変わらない。療育手帳を取って、少しでも支援を受けることで、この人生が変わることを期待したけれど、その望みすら叶わない。
私はその道のりを、自分の人生そのものとして感じていた。どれだけ頑張っても報われることはない。過去の出せる資料は限られているし、結局は認められないという現実。
そして、私はその夜、自分の中でひとつの決断を下した。絶えることのない無力感、療育手帳を手に入れることができなかった希望に対する苦しみが、増田を追い詰めていった。
ここ数回の『ブラタモリ』は江戸時代に盛んだった“大山参り”の道のりをたどるという企画で、都内から大山街道を巡り、昨日はいよいよ最終目的地、大山阿夫利神社を目指すという回だった。
江戸時代の浮世絵もみながら、いかに“大山参り”が盛り上がっていたか、なんて話もしながら、大山ケーブルに乗車。
途中、日本のケーブルカーでは唯一という“離合ポイント”(ケーブルの両端で繋がってる2台の車両が丁度すれ違うところ)に駅があるという“大山寺駅”で一旦降車。
車両のすれ違う様子をみたり、急斜面にある駅のベンチにすわってみたりして、そのまますぐまたケーブルカーで移動して、大山阿夫利神社の下社に参拝。
さらに登った山頂にある本社にはさすがにタモリを歩かせるわけにもいかず、スタッフと中継でつないでいた。
さて、なにがスルーされたのか。
タモリ一行が神社に参拝するシーンで、唐突に隅の方にテロップがでた。
日本の歴史ある寺社の多くがそうなのだが、大山というのも江戸時代までは神仏習合の山岳信仰の対象で、大山参りというのも、今でいう“神社にお参りする”という感覚とは少し違った。
現在、大山阿夫利神社の下社がある位置には、「石尊大権現・大山寺」があり、不動明王も祀られていたのである。
大山参りとは、仏教とも結びついた“権現さまとお不動さまへのお参り”だったのである。
だが、そんなことは全く触れないので、なんだか今も昔も神社へのお参りをしてたような印象になっていた。
明治の廃仏毀釈で、大山阿夫利神社と大山寺は完全に分離された。
“幕末の大火と廃仏毀釈により廃寺の危機に陥ります。神道による祭政一致の王政復古を目指す明治新政府にとっては、江戸幕府が保護した仏教寺院は旧体制の象徴にほかなりません”
”廃仏毀釈により数多くの寺宝が失われ、堂塔が破壊される中、ご本尊の鐵不動明王だけは地元住民の篤い信仰に守られ、山外退去を免れて現在地に本堂が再建の後、遷座しました”
と記されている。
タモリが途中下車した“大山寺駅”は、この寺の最寄り駅だったのだが、寺には寄らず。
江戸時代に賑わった大山も、神道を中心にした“祭政一致”を目指した明治政府のせいで、なかなかに激動の一時期があったはずなのだが、そのことはテロップ一行でスルーされたのである。
断片的な記憶だが、以前、高尾山にいったときには、神仏習合の名残が色濃く残る様子をみながら、“ここは廃仏毀釈を免れたんだねえ”なんて話をしてたように思う。
だからタモリも廃仏毀釈とか、そのへんの知識がないわけ無いし、番組としてそのへんの話を絶対にさけるとかいうことではないのだと思うが、ま、今回は案内役が大山阿夫利神社の権禰宜の方だったので、“実は、昔はここは神道の神社じゃなくて不動明王さまが祀ってあったんですよ”なんて話はするわけないか。
明治維新は、日本の伝統をいろいろ破壊したけっこう過激な運動だったはずなのだが、どうもそのへんはあんまり知られてないように思う。
せっかく大山いったんなら、そのへんももう少し突っ込んだ番組にしてほしかったけど、ま、紀行バラエティにそこまで求めるのは無理か。
やはり阿夫利神社の権禰宜の方に出ていただく手前、大山寺の不動明王と、阿夫利神社と、両方お参りするとかは無理?
ところで、さっきwikipediaを見たら、大山阿夫利神社、戦後、神社本庁の傘下(宗教法人法でいうところの被包括宗教団体)にはならず、単立でやってきたのが、今は神社本庁の下にあるという記述があった。
どういう経緯があったのだろう?
そこそこ参拝客いそうだし、単立でもやっていけそうだけど。
Permalink |記事への反応(19) | 15:33