
はてなキーワード:なっちまうとは
ガラにもねぇことを考えちまう夜があるんだよ。
鏡の中の、すっかりくたびれた自分と目が合った時とかな。
若い頃は、何かデカいことを成し遂げて世界を変えてやるなんて息巻いてた気がするが、気づけばどうだ。
毎日同じ時間に起きて、変わり映えのしない仕事をこなし、くたびれた靴を履いて家に戻る。
誰がやったって同じような仕事、俺がいなくても回り続ける世の中。
そう思うと、ふっと自分の輪郭がぼやけて、どこにも居場所がないような、スカスカな気分になっちまうんだ。
だけどよ、ふとした瞬間に思うわけだよ。抽象数学とか超弦理論とかやってる時、その瞬間だけは、最高だなって。
世界を救うヒーローにはなれなかったが、俺がここで不器用に生きてることで、ほんの数人くらいは「ああ、こいつも生きてるな」って安心させてやれてるのかもしれない。
立派な看板も、誇れる功績もねぇけれど、俺が俺として飯を食って、クソして、たまにため息をつく。
その積み重ねこそが、俺という人間のたった一つの存在意義なんだろうな。
答えなんて出ねぇまま、明日もまた、腰を叩きながら満員電車に乗り込む。
それでいいんだよ。それが俺なんだから。
おい、そこのお兄さん。
そんなに眉間にシワ寄せて、スマホの画面と睨めっこしてどうしたんだよ。
誰がどこで成功しただの、若くして何億稼いだだの、そんな毒にも薬にもならねえ情報ばっかり食ってるから、顔がどんどん不味そうになっていくんだぜ。
いいか、よーく考えろ。人間、どれだけ偉くなっても、一日に食える飯の量なんてたかが知れてる。
一晩に寝られる布団の広さだって、畳一枚あれば十分なんだ。
それなのに、なんでみんな「何者か」っていう、実体のねえお化けになりたがるのかねぇ。
世間が言う立派な人なんてのはな、結局のところ、他人の期待に応えるのが上手な奴ってだけのことよ。
誰かの期待に応えるために、自分の本当の腹の声を無視して走るのが、そんなに尊いことか?
冗談じゃねえ。俺に言わせりゃ、仕事で大失敗して上司に怒鳴られた帰り道に、スーパーで半額になったコロッケを買って、「これ、ソース多めにかけると最高なんだよな」ってニヤついてる奴の方が、よっぽど人生の達人だよ。
何も成し遂げてない、何も手に入れてない、自分は何者でもない。
最高じゃねえか。空っぽなら、これから美味いもんも、いい夢も、いくらでも詰め込める。
何者でもないってことは、何に縛られることもねえってことだ。
形のあるもんなんてのは、いつか壊れるし、肩書きなんてのは会社を辞めればただのゴミだ。
でもな、腹いっぱい食って「あー、食った食った」って腹を叩く時の満足感や、日向ぼっこしててウトウトする時のあの多幸感、あれだけは誰にも奪えねえ、お前だけの真実なんだよ。
いいんだよ、志なんて低ければ低いほど、幸せのハードルは下がるんだから。
朝起きて、息が吸えて、腹が減ってる。それだけで、その日はもう百点満点よ。
あとは適当に働いて、適当に笑って、最後に布団に潜り込む時に「今日はいい一日だった」って自分を騙せりゃ、お前はもう人生の勝者なんだ。
何者かになる必要なんて、これっぽっちもねえ。お前はお前のまま、今日を全力で甘やかせばいい。
ほら、酒が温くなっちまうぞ。御託はこれくらいにして、さっさと飲んじまえ。
自分、なんというか、絵が「そういう人」が描いたようなのにどうしてもなっちまうんだよなあ
原色は使いすぎないとか、そういう最低限見せるためのルールを調べたり、模写とかして練習したんだが、それでもなんか「そういう人」感が出てしまう
(と言うか実際、「そういう人」なんだと思う。親から喋り始めるのが遅かったみたいなこと言われたし。)
それで、何個か創作企画に参加したんだが、その絵のせいで避けられてる気がするんよね。(もちろん、感想の送り合いとか、他の人のキャラの使い方とか、そういうコミュ力センスの問題もあるかもだが)。例えば、大抵キャラ描いてメンションしてるのにはRTしてくれる人が、自分だけ「いいね」だけだったり。
それで妙な孤独感を感じることがある。
だったらゲームとか推し活とか別のコミュニティに所属すりゃええやん、と思う人もいるだろうし、創作企画でも他の人にキャラシ描いてもらって小説書く、とかやりようはあるのかもしれんが、それでも絵を描くという形で繋がれないのはどこか寂しかったりする
いや、ねーんだろうけどさ、残念でならないよ。
夢を売る仕事がある。まあなんでもいい。側から見て「楽しんでやってそう」と見える仕事だ。
普通じゃ到底手の届かない仕事でもいいし、まあ普通の人でも何かしらのチャンスだったり、好きが高じてでもいいがそういう仕事をしている人に
「楽しそうだね」
と声をかけようものならきっと口を揃えてこう返すだろう
「いやいや、それがそうでもなくて…」
聞けば楽しそうに見えるのはほんの一部でその実、辛いことばかりだと。
中には親の仇かのように「楽しそうに見えるだと?舐めるんじゃねえ!」とまで言われてしまい、いかにその仕事が辛く苦しいものであるか、楽しそうなのはほんの表面的なものでしかないと説かれることもあるだろう。
おいおいおい、楽しそうに見える仕事が楽しくないんだったら一体なんの意味があるんだ。
夢を売っておきながら辛さを力説されたらどうすりゃいいんだ。
仕事ってのは大抵は辛くて楽しくないもんだろう、でも生きるためにやらなくちゃならないことだ。
そんな仕事をさ、楽しそうにやっている人たちが、本人たちが楽しいと感じてなかったらもうおしまいじゃないか。
極端に遡れば自然と立ち向かう必要があって生きることすら難しい時代だってあっただろう。それに比べれば今はまだまだマシだろ。より快適に、楽に生きることができるようになってるはずだ。
それなのになんでか大半の人間は自分自身の首を絞めながら必死に生きているんだ。いや生きなくちゃならないんだ。もっと上手いこと出来なかったのかよ。
でもきっとこうも思うだろう
「楽しく仕事やって生きてる奴もそりゃいるよ」
その通りだ、絶対にいる。ここまで出した話だってただの例示に過ぎない。けど、もっとそういう奴がいたっていいと思わないか。
今18万ぐらいで買えるパソコンでCPUもGPUも10年戦えるレベルだと思うが?
これ以上のスペックが要求されるのって「最新のVRコンテンツをその時の最高画質でプレイしたい!」ぐらいだと思うんだけど、それはもうPCの買い替えについての需要とは切り離して考えるべきじゃないのか。
なんで「このままだと3年後にミドルエンドに買い替えるときには40万円になっちまうぜ」みたいな話をしてるんだ?
もうここまで来たらローエンドぐらいでいいじゃん。
それで全然戦える。
もうPCのスペックをいくら上げてもゲームの画質を滅茶苦茶アップさせるぐらいしか差が出なくなってると思うんだよな。
むしろ聞きたいんだけどさ、なんでこれ以上のPCスペックを求めようとしてるの?
一つ言っておくが、「仕事で使ってる」なら会社の経費で買ってもらえばいいかだけなんだから今回はその回答を飲み込んでね。目に入れるだけ時間の無駄。
話題になってたので観てきました。
・予習としてハムレットとダンテの神曲のあらすじを頭に入れて挑む。物語の下地にはなっているのだろうけど、個人的には知らなくても問題なかったな。
・ハムレットからの換骨奪胎ぶりが面白いとの評判だったが、個人的にはそもそも悲劇を描こうとしてないしハムレット派生作品として見るもんではないなと思った。単純明快な勧善懲悪の作品に思った。細田守らしい子供向けを意識する。ハムレットとしては、王様が意地悪に叔父に殺されて復讐心に燃えるハムレット、毒で殺すつもりが毒で死ぬ叔父、まぁ様々イベントは似たことが起きる。が、知ってても知らなくてもどうでもよく思う。レアティーズいないし。
・神曲への解像度は私は低い。世界文学的にものごっつい大事な作品で、地獄から煉獄、天国への長い旅を、様々な著名キャラと出会い別れながら進む神聖なる喜劇、的な理解。あんまり知らない。スカーレットでは舞台としては準えてるけど、下地として何か作用しているようには感じなかった。棺桶のシーンとかは関係してそうに思ったけど、それは神曲を知ってないといけないかと言われるとそうは思わなかった。それともそれは重要なシーンを無理解に進んでしまった私の不甲斐なさかもしれない。
・時をかける少女が宣伝に持ち出されたのは、まさに時をかけていたから、かな?安直だけど。
・一つ一つのシーンの絵作りは前評判通り、どれも美しく素晴らしい。
・特にスカーレットが可愛すぎる。表情ひとつひとつが愛おしい。
・シーン一つ一つが夢の中って感じ。私は村上春樹の世界の終わりとか、海辺のカフカとか好きなので、こういうの好きぃ…ってなった。
・現代に生きる私を写像した先のスカーレットが写像する世界ってのは、ナーロッパ的な中世であって、銃が存在し、僧がおり、アフリカとか南米とか、色んな文化が表層的に混じり合う。作中では、過去も未来も生も死も混じり合う世界とわかりやすく何度も表現される。細田守最高だぜ。こういうファンタジーへ大衆を入門させてくれてありがとうだぜ。私はこういうのが好きだ。
・服飾考証しっかりしてるとの事前情報通り、私はよく知らんけど多分しっかりしていたと思われて、その解像度のおかげで、地獄の狂い具合が鮮明で面白い。混じり合って混沌としている。
・産業革命以降の武力が作中に存在しないのは、それが我々にとっての現実の脅威だからだと思う。この作品はファンタジーなんだ。力強い線引きを感じた。
・渋谷ダンスシーン、きたきたぁ!!ってなった。幾原的な心象風景かと思ったら丁寧に前段から渋谷という箱の舞台を歪にチラ見せしたりしてて、思ったより浮いてはいなかったかな。いや画としてはバチクソ浮いてたけど。まぁ意図はかなり明快に伝わった……と思ってる。でも現代の子どもがこの渋谷や踊りを自分ごととして捉えられるかというと疑問よなぁ。現実を描写できない制約の中でのスカーレット心象の箱庭、非現実の作中での現実としての非現実としては面白い画だった。私→スカーレット→聖→スカーレット→渋谷。クール。
・宿の主人、てのが登場人物紹介にいたが、作画として特徴的だなと思ったが映画の中では短いシーンだった。でも重要な役割だったんかなぁ。
・スカーレットの成長を見守るおじさんの気分になった。私も歳をとったなぁ。
・聖、なぜお前は矢を放った……?抑止力はその装置を発動させてしまったら終わりだ。それはお前の思想と矛盾しないのか。観終えた後、ダンテでいうと七つの大罪のシーン中だと振り返ってみるが、結びつけるには苦悩する。いやこんなん結びつけなくてええかってなった。……いやでもまじで意味わからん。知りたい。
・雑魚雑魚悪役にレアティーズとかいう名前が付けられてるのも何か関係あるんか……?
・ハムレットにおけるクローディアスの懺悔は本物の神への懺悔。現代日本では神への信仰が薄く、物語でもあまりに薄情。
・最後のキスと涙が商業的すぎて泣けなくて泣いた。しかし世の中の大衆はそれが好きなのだろう。届ける先のニーズに応えようとする様はえらい。これを描くには時間が足りない。
・争いよりも友好を、憎しみよりも愛を。これはもっともっと丁寧に描いてほしい。もう1時間割いていい。3時間でいい。…でも忠実に2時間に収めて偉いなぁ。細田守はすごい大衆作家だ。
文学的な作品として観たら不評の嵐になるのはなんとなく感じるが、私は素養がないのでその辺はノータッチで。
芝居も映像はやっぱ最高のクオリティだ。映画館で観て良かった。地上波でも家でも観たくない。
価値観も好きだ。物語の壮大さも好きだ。でも、ラストだけはちょいと心残りだなぁ。
オマツリ男爵もだけど、細田さんはラストへの拘りや興味があまりない……?
作家をメタれば、前半の苦悩や憤怒の感情はきっと描きたいものであったとは思う。
でも作品として本来目指す描きたいものは、それなりに人間の根源的なもの、思春期の頃に精一杯みんなが考えて悩んでほしいことで、大人になっても向き合って向き合って考えていきたいことだとは思う。
その勧善懲悪は良いが、憎しみへの向き合い方としての成功例としてこのように描くにはご都合が良すぎるように思った。特に聖の矢とクローディアスへの天罰。
現実でいうと、例えば中共がオラオラしてるのを武力を持ってやめろやめろと脅すまではいいけど実際に刃を抜いたら戦争なっちまうやん、対話で友好を目指そうぜっていう作品にしたいのにさ、殺しちまったらそれは勝てば官軍ストーリーやん。現実では為政者が落雷で都合よく命を落とすわけないやん。殴ってきた相手を殴り返してはい終わりになるわけないやん。スカーレットが殺してなくても、殺す味方が代わりに殺してくれたありがとーは、私は、同罪だと思う。目を逸らすな。私はそれは嫌いだ。
利己的な活動と、利他的な活動のバランス。攻撃性と社会性のバランス。自己家畜化した我々が、より家畜化できる先を目指したいんだ。攻撃すんなと説くだけでは、攻撃的な人間が独裁的に得をするゲームバランスは崩れない。我々は山上を生まないですむ社会にしなければならない。そういう思想のもとで、細田守は何をどう伝えたかったのだろう?だから、聖が矢をもって暴力を振るったことへの解説をまじで教えてほしい。教えて!!
「付き合ってた相手と別れて次に交際した相手と結婚」なんてのはノンケが異性を相手によくやることなのに、それが「同性と別れて異性と結婚」だったら同性への思いが「気の迷い」扱いされるのは如何なものか
「生まれつきで、矯正しようにも無理なんです!」つって反差別とか訴えて、今じゃLGBTイコール圧力団体みたいになってるのに
そこがグラデーションだかなんだかでフラフラしてたら、アイデンティティもクソもあったもんじゃねえんだから
これが野球なら、今まで阪神ファンだった奴がいきなり巨人ファンに、なんてまずあり得ないわけで
「じゃあ彼らの方がよほど強固なアイデンティティしてますね」ってそういう話になっちまうだろうが
そもそも女さんってレズに限らずアセクだのアロマだの、男の中二病みたいなノリで隙あらばセクマイ自称しようとするし
単なる女子校の機会的同性愛、というかそれ以前に執着と区別すらついてないような代物をエモいとか変に持ち上げすぎなんだよ
まあ、フェミさんも気に食わない男に「お前ら同士ホモってればw」ぐらいのことは気軽に言っちゃうんで