
はてなキーワード:たまたまとは
このあいだ彼氏とレゼ編観に行ったけどレゼが彼氏の周りに湧いているクソ女にそっくりでイライラしっぱなしだった
いや、レゼ並に可愛かったらまだマシだけど顔面も別に可愛くないんだよなそいつ
思い出すだけでイライラする
レゼ女は
・ボディタッチ多い
・距離近い
作中の衣装よろしくショーパン履いていたこともあったな、たしか
やっぱあいつ自認レゼか?
レゼ女、大学の必修で彼氏と同じ講義らしくてそのあと一緒に昼メシも食っていたらしいんだよな
たまたま昼メシ食ってる現場を見かけて牽制のために近づいたらそいつ「えぇ〜!〇〇くん彼女さんいたんだ! ショックかも…」とか目の前でほざきやがった
後で彼氏を注意してからは一緒に飯食べなくなったっぽいけどどーーーせ影で「えぇ〜、〇〇くんの彼女さんこわ〜い」「束縛激しいねぇ~」みたいなこと言ってんだろうなクソうぜぇ
篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンのモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンをモデルにしたことを否認しているという誤解が広まっているようだ。
「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンのモデル小説では無い。
なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚な読書家の感想文からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。
私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体の発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから、駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。
ラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではない、とはどういう意味か。
そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。
モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナルな定義だが、日本語の場合はある実在人物をテーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者の意味である。
モデル小説のテーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものだからだ。
篠田氏がラッセンのモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物の名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセンの人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。
なお、作中の登場人物が実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラのモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙にアントニオ猪木をモデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙はアントニオ猪木のモデル漫画ではない。
これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。
バブル後に一世を風靡し、印刷物を限定品と称して高値で売るエウリアンの悪徳商法が問題となって消えた偽ラッセン。
出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセンの風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。
そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセンの印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である。
出版社勤めの主人公はラッセンの大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島に暮らしているという偽ラッセンを訪問すべくハワイ島に飛んだ。
しかしそこで、偽ラッセンが10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。
と、ここまでがいわば出題編である。
10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。
現実のラッセンは存命だし、近年の再評価は2012年のラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである。
10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。
したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ。
ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品・作家を切り分け、その販売手法に言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品そのものを取り上げ、そこにある芸術と大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画しハワイに渡った。
しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアートの巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。
また、偽ラッセンの絵画は原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。
そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。
結局のところ、主人公はハワイに渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。
したがって、偽ラッセンがラッセンのモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。
少し前に寿司屋でアイスのパッケージを舐めた子供が具合を悪くしたニュースがあった。
それの原因は『たまたま店舗で洗剤がかかった』だったけど、普通にそれ以前の流通倉庫やオリコンが汚いから食品の外パッケージは舐めない方が良いよ。
そうじゃなくても不特定多数が触れている可能性があって、そいつがトイレで手を洗っていないかもしれない。
緊急入院するほどの中毒性は無いとは思うけど、風邪くらいは罹るかもしれない程度には汚いよ。
まあ免疫が付くのでヨシ!っていうんだったらそれはそれで良いと思うけど。
最近近所にオープンした(南アジア人がやってるタイプの)カレー屋に行ったがカレーが薄い。
スープカレーとしてみたらいいかもしれないがナンに付けるには明らかに味が負けている。
たまたまかなと思ったが、他の新しい店に行ったらまた薄かった。
最近の流行りなのか、それとも元々カレーはこういうもので、今までは日本人向けにローカライズされたものだったのか。
■司馬遼太郎風 改稿
人間というものは、しばしば自分の青春を他ならぬ自分の手で投げ捨てる。
それは他人に奪われるものではない。むしろ、他人のせいにできぬ種類の「敗北」である。
この国では、そうした人間が珍しくない。いや、むしろ今の時代、ネットという便利な井戸端ができてからというもの、その種の「自己廃棄型人間」は、どこにでも見られるようになった。
たまたま彼が自衛隊という特殊な組織にいたことで、周囲の人々は多少の情状酌量を与えるのかもしれぬ。
だが、職業が何であろうと、十代二十代を「捨てた」と言葉にする時点で、その人の人生観はすでに破綻している。
人は、自分の過去を呪い始めたとき、もうその呪いから逃れることはできない。
「お疲れさまでした」といった称賛の言葉は、慰めであると同時に、無関心の別名でもある。
三十を過ぎた男が、未だに己の人生に「物語」を求めて悩む姿は、滑稽といえば滑稽である。
だが、それもまた、この国の時代病の一つだ。
精神の成長よりも、感情の正直さばかりを美徳とし、成熟を「鈍さ」と呼ぶ。
したがって、彼のような男は、社会という大人の世界に出た瞬間、言葉の通じぬ異邦人となる。
しかし、それを離れたとき、人は初めて己の素肌を晒すことになる。
それは、冬の荒野に放り出されたような心地だろう。
そして多くの者は、そこで初めて「自由とは孤独である」と悟るのだ。
友を断つことは、己を断つことに等しい。
プライドは人を立たせもすれば、殺しもする。
古来より、この国の武士たちもまた、その誇りゆえに散っていった。
だが、戦場の死はまだ潔い。
自衛隊の中で鍛えられたはずの筋肉も、精神も、やがて脂肪のように弛んでいく。
彼は、今ようやく「市民」として生きねばならぬ段階に立っている。
それは決して容易なことではない。
だが、たとえどんな境遇にあっても、人間関係だけは切ってはならぬ。
人の生は、けっして理想や信念では支えられない。
孤高は人を導き、孤独は人を蝕む。
あなたが歩むべきは、前者の道だ。
世間は冷たい。
だが、冷たさの中にも温もりがある。
https://anond.hatelabo.jp/20251026193842
たまたま自衛隊や防大みたいな特殊な場所や職業だったからそこらへん割引いてもらえてるだけで、
これがどんな職業であれ、どんなものであれ何でもいいけどさ、自分自身で10代20代をドブに捨てたと思って言葉にまで出してるんだから、そりゃ10代20代をドブに捨てたゴミみたいな人生歩んでるね、としか言いようがないよ
まぁ、あんまり厳しい事言ったら可哀想だけど、これからそういう目で見られてそういう扱いを社会で受ける中で、働いて飯食って第二の人生歩まないといけないんだから、そりゃ物凄い苦労する人生にはなるわな。
内心、自分でもそう思ってるんでしょ?長い懲役の様だと形容してるけど、その認識正しいよ、みんな心の底で思っててお前さんには本当の事言わないから、あえて厳しい言葉で本当のことを親切心で言うのであれば
ガキん頃から世間と隔離された自衛隊という世界に身を置いて、これから身一つで生きていかないといけないのに、最後に頼れる友達を、チンケなプライドの為に縁切ってどうすんの?最後の最後に助けてくれるセーフティネット自分から断ち切って、縛りプレイなんかできる能力じゃないでしょ、そもそも、そんな能力あるのなら自衛隊辞めてないしな。
ここの増田やブコメの馬鹿共の心の内では嘲笑しながら、思ってもない慰めの言葉に縋り付いて、今のまま本当に心配してくれる自衛隊の友人たちとの関係を切って、あんなゴミ弱者男性や弱者女性の仲間入りしたいんなら、どうぞご自由にではあるけど
理由が「それはさておきわたしは草津が個人的に嫌いなので行きませんしお金を落としません」って理由は許容されるべきです
謝れない?なぜ?謝る必要がないのに?
謝れ?誰にですか?誰に謝るんですか?
昇進における構造的欠陥だね
昇進のタイミングで「たまたま育休だったから」外されたのは確実
上の連中は「増田が休んでいる間に、他の社員の実力が上がったのだから当然」と思っているはず
しかし、上の連中は見落としていることがある
「他の社員も育休を取る」ということだ
たまたま「昇進の前に」育休をとった増田に対して、育休を取らない「かもしれない」他の社員が「このまま1年分のアドバンテージを維持する」と評価したわけだ
例えば「他の社員も昇進直後に育休を取るかも?」という認識があれば、「このまま1年分のアドバンテージを維持する」とは評価しない
それこそ「同年代の他の社員もそろそろ育休で居なくなるか」と考え、たまたま育休中の増田も同等に評価しただろう
昇進直後に育休に入られる方が面倒だと思う可能性すらある
これは「誰もが育休を取る」という認識がないからこそ起こる「育休」の不利益であり構造的欠陥だ
「育休で不利益を与えない」を実現するには「育休取らない期間を利益にしない」も同時に必要になる
ブクマカはそれが分かっていない
https://anond.hatelabo.jp/20251025192647
ちなみに生涯独身で育休は絶対取らない人用に「育休権利の放棄」は用意する必要があるとは思う
ご指摘の通り、データの量や質、そして「似ている」ユーザーの定義によって、その精度と実用性は大きく左右されます。
ユーザーの行動データに基づいて類似性を計算しても、その類似性が個々のユーザーの真の興味・関心を正確に反映していない場合があります。
特にサービス開始当初や新しいユーザー、または非常にニッチな興味を持つユーザーの場合、行動データが不足していると、協調フィルタリングは有効に機能しません。
なんでおれが やらなあかんねん
なんでおれが しなあかんねん
なにもかくことがない
僕が考えた最強の人生
なにもかくことがない
なにもかくことがない
指針がない
なにもかくことがない
なにもいうこともない
指針がない
なんでおれが
なにもかくことがない
なにもかくことがない
なんでおれがしないとだめやねん
なんでいきないとだ
めやねんn
いやいきるけどさ
対話 じゃあ生きなくていいよ
選択制にしてほしい
それがクソゲー
しらねえよ 興味ねえよ うるせえよ
めんどいわ
いまどんな格好してるの ムラムラしてきた 一回切るわ じゃあね
言語化したくない
明言したくない
整合性とりたくない
生きるのつらい 死ぬのも怖い もうだめじゃん
私の下の子が最近元気がありません。どうしたらいいでしょうか?(しもねた)
明記せず のらりくらり生きていく
自己成長
このままでよくないですか
いまのままでよくないですか
実家でるとか昔強く思った気がするけど
この原田裕規って人のやってる事って
たまたま自分の同人誌に似た内容の他人の同人誌に対してパクリ呼ばわりして因縁を付けてるって事なので一部の理もなくない?
同じ原作を元にしている以上、内容が似通うのは当たり前だし
篠田節子のやった事が道義に欠けるとしてもそれに対して文句を言っていいとしたらラッセン当人やその代理人だけだと思う
ワイは本当に一瞬、たまたまTVをつけたタイミングでやってたのを2~3分しか見ていないが、
主人公らしき男(千歳君?)非リアっぽいメガネ男子に説教する場面で、
何も変わってねーよ、面白いくらいに一切何も変わってない
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
「端っこ」とは、単なる両端のイレギュラーではない。それは、必然されど意図せず生み出される最高の特等席であり、選ばれし者のみが手にできる栄光である。
食べ物の「端っこ」は、真ん中とは一線を画す特異な美味しさを持っている。
カリッ、ザクッ!焼き菓子やパンの耳は、熱に最もさらされ、その結果、他にはない香ばしい歯ごたえを獲得する。このカリカリ感こそ、端っこ好きの特権である。
濃厚な味わいの凝縮!カステラや羊羹の切れ端には、蜜や素材の風味がギュッと閉じ込められている。真ん中の上品さとは違う、力強い素朴な美味しさがある。
具材の氾濫!巻き寿司や卵焼きの端っこは、具がはみ出さんばかりに詰まっている。この「不恰好だけどお得!」という豪快さが、心を躍らせる。
「端っこ」には、金銭的な価値を超えた、精神的な豊かさが詰まっている。
ひそやかなご褒美!店頭に並ぶ「切れ端」「お徳用」の文字を見た時の、あの胸の高鳴り!最高品質のものを、こっそり安価に手に入れられる喜びは、何物にも代えがたい。
選ばれし者の特等席! 混雑する電車内でたまたま座席の「端っこ」をゲットできた時の、小さな勝利感!その場所が、あなたにとって最も落ち着くプライベート空間になるのである。
そして「端っこ」は、いつも私たちに安心と調和を与えてくれる。
集合写真で端に寄りがち、トイレの端の個室に入る、といった習性からもわかるように、人は「端っこ」に身を置くことで、世界と適度な距離を取り、静かな安心感を得る。
決して華々しい中心にはないが、中心もまた端っこがなければ成り立たない。世界を完成させるためには欠かせない存在。その謙虚な役割こそが、端っこの持つ最も奥ゆかしい魅力である。
端っこで嫌なことはこの世に存在しない!ときどき観劇やライブで見えにくい指定席に当たった時くらいである!
> 「AWSの運用の強みは、経験豊富な余剰人員によって築かれており、人員削減を行えば、基本的な機能が崩壊し始めます」
たいていの現場で、新入りのエンジニアが「ドキュメントが充実していてありがたいです」的なセリフを吐くことがあまりに多いんだけど、正直なところ、ドキュメントが大量すぎて、AI使おうが「これ」という情報が見つからない。いや、そもそも必要なドキュメントが存在しないことしかない(日本語が変なんじゃない)。
ドキュメントの書き方を、OJTで形式的にしか学んでいないんだろうと思う。
そんでもって書きっぱなしで、「あ、今はそうじゃなくて、こうなってます」って口頭で伝えられることがあまりに多い。いや、修正しておくか、削除するかしろよ。
って、そんなどうでもいい経緯なんていらんわ!
経緯が分かったところで、何の役に立つと考えてるんだよ?
昔、アホなエンジニアありき。って記録以上でも以下でもないだろ。
そんでもって、正しいドキュメントがあったとしても、読んでも大してプラスにならん。
なぜなら、ただの自分用の備忘録以上でも以下でもないものでしかないから。
誰に向けて、何を伝えるためのドキュメントか、ちゃんと意識して書かれた技術ドキュメントに、ほとんど出会ったことがない。
って、なぜそれがこのタイトル、この内容のドキュメントに紛れ込んでるんだよ!
みたいなことがあまりに多い。
しかも最新化されてない。
たいていムカつく東大の〇〇研究室の量産型卒業生なんて、「これくらいできて当然でしょう」的に他人を小馬鹿にしたような態度をとってきやがるんだが、そいつらも普通の人よりキャパが少し大きいだけで、色々積み上がってきて、見落としが増えてきたら誤魔化しまくって、誤魔化せなくなったら「新しいことをしたいので」とかもっともらしい言い訳してやめていきやがる。
おい、これ、どうすんだよ!
残ったエンジニアには、つくり散らされた無秩序なサービスを「運用でカバー」の日々。
こういうの、マジで普段使ってる単語の意味、理解してねぇんだな。
単語帳みたいに訳、定義を丸暗記してるだけなんだな、ってため息しか出ないんだが。
これ、その場その場の行き当たりばったりな設計実装を増やしてしまうと、今時の複雑化、成長し続けるWebサービスは、簡単に認知力の限界を超えてしまうから、いくつかのパラメータからどこでも同じルールが適用されている状態にして、認知負荷を下げるってのが、ここ10数年のシステム構築界の常識なんだわ。
KISSの原則も、認知負荷を下げる(上げない)って文脈の上にある。
他の、いろんな手法だなんだも、基本的にこれを前提にしている。
のに、いわゆる「識者」は、箔をつけようとしてるのか知らんが、毎秒いろんな要素を取ってつけて、ゴテゴテとした悪趣味な神殿にして、崇め奉る「信者」から金を巻き上げようと、勉強会開いてるだろ?
おいらに言わせれば、「認知負荷を下げられない手法はくそ。カーゴカルトだ」だ。
今の日本のどのWebサービスも、いつ大規模障害を起こしてもおかしくない状態だよ。
「今動いてるからいいっか w」
じゃねーんだよ。
Twitterで仲良くなった子で、Twitter上でもよく絡むしLINEも交換して結構仲良くしてた子がいた。仮にA子とする。私はA子のこと信用してたんだけど突然裏切られてショックで心身に異常が出るレベルで辛いから聞いて欲しい。
まず前提として、共通フォロワーが年齢に言及するポストをしたから嗜めただけなのに突っかかったとか言われて揉めたんだけど、それをA子に私は突っかかったんじゃなくてこういう思いでこれを言って、元々相手が勘違いさせるような言い方したのが間違ってるよねって話をしたのに、「相手は元々そういう意味で言ってない。責められない」とか言って私に寄り添ってくれなくてもうその時点でなんで私の意図を組んでくれないの?ってモヤモヤしてた。
以前から色々思うことがあって垢消したり作り直すことがあったんだけど、なんかもう揉めたこと含めて色んなことが限界でまた垢消しした。
そしたらA子からLINEで「垢消しちゃったの?」って聞かれたんだ。
私はそれにすぐ(10分くらいで)返信した。なのにA子は自分から質問してきたくせに30分も未読無視してきたんだ。
「未読スルーきついんけど」
と言ったら即既読になったから見ようと思えばいつでも見られたと思う。なのにあいつは白々しく
「通知気づいてなかった!30分くらいで未読スルーって言わないでほしい」
とのたまったのだ。さらに追い討ちで
これってつまり"あなたと違って私は仕事してるんだからさ…"って見下してるってことでしょ?未読スルー指摘されて逆ギレしたのかなんか知らんけど当てつけでいってんじゃん。本来なら私と同じ働けない立場(精神障害)のくせにたまたまできることがあったからって偉そうに。まともな仕事できずに自営業で低収入なのになんでそんな威張れるんだ?だからもうカチンときて
「嫌味言うけど、できる仕事があって出来てよかったね。羨ましい限り。今の何も出来ない、普通の生活もできない私にはきついわ。もういいよ、構わなくて。」
と言ってブロックした。
そしたらアイツTwitterで被害者ヅラして愚痴って同情集めていい気になってた。しかも見下してたのはあっちのなのに
「嫌味言うけどできる仕事あってよかったねって言われた。社不のくせにって見下してたのかな」
と白々しく言ってやがった。
は?????どっちがだよ😡😡😡
「私がいい人だと思ってるフォロワーさんから嫌われてるって言うからおかしいと思ってたんだよね」
しかも依存され気味で…とかも言ってた。「他の人と絡んでるの見るとモヤモヤするから距離置きたい」ってブロ解したんだけどその日のうちに「また繋がってほしい」って言ったこととか「執着とか束縛みたいだけどbioにID書いていい?」って聞いたから勘違いしたみたいだけど私は誰とでも距離近いだけで依存してないから。自意識過剰乙。普通に他にも友達いるし、自惚れんな!
ほんとになんなんコイツ?鍵垢とはいえ50人フォロワーいるのにさ、私はその界隈でやりたい事あるのに、私があちこちで嫌われてる事知ってるくせに更に悪評広めて気分いい?性格悪すぎない?
こいつは自分だけが可哀想で、どこまでも潰したいんだ。被害者ムーブしかしてなくてドン引きなんだけど。
どう考えても未読無視した上に逆ギレして当てつけに仕事アピールしてくるあっちが悪いのにね。
でもまあこんなやつ切れるべくして切れてよかったわ。
Twitterで仲良くなった子で、Twitter上でもよく絡むしLINEも交換して結構仲良くしてた子がいた。仮にA子とする。私はA子のこと信用してたんだけど突然裏切られてショックで心身に異常が出るレベルで辛いから聞いて欲しい。
まず前提として、共通フォロワーが年齢に言及するポストをしたから嗜めただけなのに突っかかったとか言われて揉めたんだけど、それをA子に私は突っかかったんじゃなくてこういう思いでこれを言って、元々相手が勘違いさせるような言い方したのが間違ってるよねって話をしたのに、「相手は元々そういう意味で言ってない。責められない」とか言って私に寄り添ってくれなくてもうその時点でなんで私の意図を組んでくれないの?ってモヤモヤしてた。
以前から色々思うことがあって垢消したり作り直すことがあったんだけど、なんかもう揉めたこと含めて色んなことが限界でまた垢消しした。
そしたらA子からLINEで「垢消しちゃったの?」って聞かれたんだ。
私はそれにすぐ(10分くらいで)返信した。なのにA子は自分から質問してきたくせに30分も未読無視してきたんだ。
「未読スルーきついんけど」
と言ったら即既読になったから見ようと思えばいつでも見られたと思う。なのにあいつは白々しく
「通知気づいてなかった!30分くらいで未読スルーって言わないでほしい」
とのたまったのだ。さらに追い討ちで
これってつまり"あなたと違って私は仕事してるんだからさ…"って見下してるってことでしょ?未読スルー指摘されて逆ギレしたのかなんか知らんけど当てつけでいってんじゃん。本来なら私と同じ働けない立場(精神障害)のくせにたまたまできることがあったからって偉そうに。まともな仕事できずに自営業で低収入なのになんでそんな威張れるんだ?だからもうカチンときて
「嫌味言うけど、できる仕事があって出来てよかったね。羨ましい限り。今の何も出来ない、普通の生活もできない私にはきついわ。もういいよ、構わなくて。」
と言ってブロックした。
そしたらアイツTwitterで被害者ヅラして愚痴って同情集めていい気になってた。しかも見下してたのはあっちのなのに
「嫌味言うけどできる仕事あってよかったねって言われた。社不のくせにって見下してたのかな」
と白々しく言ってやがった。
は?????どっちがだよ😡😡😡
「私がいい人だと思ってるフォロワーさんから嫌われてるって言うからおかしいと思ってたんだよね」
しかも依存され気味で…とかも言ってた。「他の人と絡んでるの見るとモヤモヤするから距離置きたい」ってブロ解したんだけどその日のうちに「また繋がってほしい」って言ったこととか「執着とか束縛みたいだけどbioにID書いていい?」って聞いたから勘違いしたみたいだけど私は誰とでも距離近いだけで依存してないから。自意識過剰乙。普通に他にも友達いるし、自惚れんな!
ほんとになんなんコイツ?鍵垢とはいえ50人フォロワーいるのにさ、私はその界隈でやりたい事あるのに、私があちこちで嫌われてる事知ってるくせに更に悪評広めて気分いい?性格悪すぎない?
こいつは自分だけが可哀想で、どこまでも潰したいんだ。被害者ムーブしかしてなくてドン引きなんだけど。
どう考えても未読無視した上に逆ギレして当てつけに仕事アピールしてくるあっちが悪いのにね。
でもまあこんなやつ切れるべくして切れてよかったわ。
最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。読んでくれたあなただけわかってくれたらもういいです。
Permalink |記事への反応(10) | 14:12
Twitterで仲良くなった子で、Twitter上でもよく絡むしLINEも交換して結構仲良くしてた子がいた。仮にA子とする。私はA子のこと信用してたんだけど突然裏切られてショックで心身に異常が出るレベルで辛いから聞いて欲しい。
まず前提として、共通フォロワーが年齢に言及するポストをしたから嗜めただけなのに突っかかったとか言われて揉めたんだけど、それをA子に私は突っかかったんじゃなくてこういう思いでこれを言って、元々相手が勘違いさせるような言い方したのが間違ってるよねって話をしたのに、「相手は元々そういう意味で言ってない。責められない」とか言って私に寄り添ってくれなくてもうその時点でなんで私の意図を組んでくれないの?ってモヤモヤしてた。
以前から色々思うことがあって垢消したり作り直すことがあったんだけど、なんかもう揉めたこと含めて色んなことが限界でまた垢消しした。
そしたらA子からLINEで「垢消しちゃったの?」って聞かれたんだ。
私はそれにすぐ(10分くらいで)返信した。なのにA子は自分から質問してきたくせに30分も未読無視してきたんだ。
「未読スルーきついんけど」
と言ったら即既読になったから見ようと思えばいつでも見られたと思う。なのにあいつは白々しく
「通知気づいてなかった!30分くらいで未読スルーって言わないでほしい」
とのたまったのだ。さらに追い討ちで
これってつまり"あなたと違って私は仕事してるんだからさ…"って見下してるってことでしょ?未読スルー指摘されて逆ギレしたのかなんか知らんけど当てつけでいってんじゃん。本来なら私と同じ働けない立場(精神障害)のくせにたまたまできることがあったからって偉そうに。まともな仕事できずに自営業で低収入なのになんでそんな威張れるんだ?だからもうカチンときて
「嫌味言うけど、できる仕事があって出来てよかったね。羨ましい限り。今の何も出来ない、普通の生活もできない私にはきついわ。もういいよ、構わなくて。」
と言ってブロックした。
そしたらアイツTwitterで被害者ヅラして愚痴って同情集めていい気になってた。しかも見下してたのはあっちのなのに
「嫌味言うけどできる仕事あってよかったねって言われた。社不のくせにって見下してたのかな」
と白々しく言ってやがった。
は?????どっちがだよ😡😡😡
「私がいい人だと思ってるフォロワーさんから嫌われてるって言うからおかしいと思ってたんだよね」
しかも依存され気味で…とかも言ってた。「他の人と絡んでるの見るとモヤモヤするから距離置きたい」ってブロ解したんだけどその日のうちに「また繋がってほしい」って言ったこととか「執着とか束縛みたいだけどbioにID書いていい?」って聞いたから勘違いしたみたいだけど私は誰とでも距離近いだけで依存してないから。自意識過剰乙。普通に他にも友達いるし、自惚れんな!
ほんとになんなんコイツ?鍵垢とはいえ50人フォロワーいるのにさ、私はその界隈でやりたい事あるのに、私があちこちで嫌われてる事知ってるくせに更に悪評広めて気分いい?性格悪すぎない?
こいつは自分だけが可哀想で、どこまでも潰したいんだ。被害者ムーブしかしてなくてドン引きなんだけど。
どう考えても未読無視した上に逆ギレして当てつけに仕事アピールしてくるあっちが悪いのにね。
でもまあこんなやつ切れるべくして切れてよかったわ。