
はてなキーワード:せっかくだからとは
帰宅しようと駅に立ち寄ると、聞いたこともない路線の特急電車が停まっている。たった四駅しかない支線で、最終駅の名前は「えだ」だという。こんな路線があるのかとぼんやりしていると、突然足元ががたんと揺れ、列車が出発した。いつの間にかぼくも乗り込んでいたのだ。これはまずいと思ったが後の祭りだ。諦めて次の駅で折り返すしかない。いや、どうせ時間も有り余っているところだ、せっかくだから見知らぬ街の観光も悪くないかもしれないなどと考え直す。
車内は案外混雑していた。ぎゅうぎゅう詰めというほどでもないが、かといって空いている座席もないという程度。これだけ人の往来があるということは、この先も思っていたより栄えた地方なのかもしれない。列車は海沿いの高架を走っているようだ。それにしても思っていた以上に走行距離がある。次第に退屈し、意識は細長く引き伸ばされてゆく。木々の枝の合間に瞬く夕日が眠気を誘う。
かれこれ数時間は走った頃だろうか、終点のひとつ手前の駅でふと我に返る。駅前には華やかなネオンが灯り始めた土産物店などが並び、浴衣姿の観光客たちで賑わっている。何があるところなのだろうかと不思議に思っていると、背後で列車の扉が閉まる音。振り返ると列車はぼくを置き去りにしたまま出発してしまった。どうやらこの列車は乗客の思念を類推して勝手に乗せたり降ろしたりするらしい。そんなわけで、ぼくはなすすべもなくこの見知らぬ駅に置き去りにされてしまったのだった。
仕方なく、ひとまず帰りの時刻表を探す。壁一面に古びたホーローの看板が張り巡らされ、なかなか時刻表が見つからない。それどころか駅の名前も判然としない。少なくとも「えだ」駅ではないようだ。しばらくしてどうにか見つけた粗末な張り紙によれば、上下線とも一時間に一本ほどしかないようだ。この辺りで時間をつぶして待つしかない。
商店街をぼんやりと見て回る。アセチレンランプの灯る屋台食堂のキッチンで、巨大な鉄板料理をかき混ぜる料理人がいる。少し空腹を覚え、食事をするのもいいかもしれないなどと考えながら通り過ぎる。だがさらに歩くとあっけなく街外れに出てしまった。寂寞とした葦原の向こうに激しく荒れた海が見える。何層にも厚く垂れ込めた空が落ち、誰かが遠くで荒れ狂う波に翻弄され断末魔の叫びを上げているかのような底知れぬ不穏な気配。冷たい風の音だけに包まれた世界が妙に不釣り合いだ。再びあの疑念が沸き戻る。いったいこの街に何があるというのだろうか。
駅の方へ後戻りする途上にも、奇妙な違和感は頭の中で膨らみ続ける。一見華やかなネオンに彩られているものの、どことなく張りぼてのような嘘くささ、取ってつけたような底の浅さが感じられるのはなぜだろう。何だか分からない玩具を売る夜店の店先に退屈そうに座っている男。もう何年も品物が売れた形跡はなく、その収入で生活できるはずもない。隣の古書店も品数は少ない。疎らな棚から試しに一冊手に取ってみると、子供がクレヨンで描いた落書き帳だった。すべてが急ごしらえの街並みで、慌ただしくかき集められた役者たちが戸惑いながら呼び込みや観光客を演じている。そんな気がしてならない。おそらくあの時刻表も嘘だろう。帰りの列車など最初からないのだ。
ロマンス詐欺とは、恋愛感情を利用して金銭をだまし取る詐欺のことを指す。主にマッチングアプリやSNSなどを通じて知り合い、犯人は「海外在住の軍人」「医師」「投資家」など、魅力的で経済的にも余裕のある人物を装う。初めは丁寧なメッセージや甘い言葉を重ねて信頼関係を築き、相手に恋愛感情を抱かせたうえで、やがて金銭を要求するのが特徴である。要求の理由は「事故や病気で治療費が必要」「渡航費が足りない」「共同投資のチャンスがある」などさまざまで、相手の情や信頼につけこむ形で金を送らせる。送金手段には追跡が難しい仮想通貨やギフトカードがよく使われる。犯人は外国人を名乗るケースが多く、実際には組織的な詐欺グループによる犯行であることも少なくない。被害者は「恋人」と信じていた相手に裏切られるため、金銭的損失だけでなく心理的なダメージも大きい。恋愛のやり取りを装う点で、通常の詐欺よりも発覚しにくく、近年では国際的な問題となっている。
はるかぜちゃんの母親、中井崇睦さんという若い男性アーティストにセクハラじみたこと繰り返して「恋人が嫌がるから」という理由で接触を拒まれてフェードアウトされる騒動が前にあった
恋人云々は一種の方便というか、普通に本人が嫌がってたんだと思うが
いくり
@info_amagoi
弊社アーティスト、彼女が焼きもちをやくからという理由でLINEブロックされて連絡がとれず、仕事の待ち合わせですら他の人を通して行っている状態です。この状態が続くようなら今後のマネジメントも厳しいです。彼女さん見ていましたら、非常に仕事に支障をきたしていますので何とかしてください。よろしくお願いいたします。
なかい🎸
@al6_tk
せっかくだから言わせてください。
芸能の世界は成りたい人の集まりだから、本人の希望は二の次。心など無視するのが当たり前。大事なものを守れない。
心を守ってくれるというから組んだいくりさんですが、まあ結局こうなるわけです。
マネジメント、外れて構いません。
https://megalodon.jp/2024-0502-2014-20/https://twitter.com:443/al6_tk/status/1785953172391170201
その後、「十何歳も年下の人にどうこうするわけがないのに、男女というだけで疑いを持つのは酷い」と母親は怒っていたのだが、最近母親は17歳年下の男性と再婚した
第三者が見てもこれはやべーなーという、高齢女性から若い男へのねっとりした眼差しが強い発言の数々、普通は若いカップルが使うジャージちゃん(https://store.line.me/stickershop/product/13851216/ja)を中井さんのLINEに送りつけているのを明かしているなどを思い出す
お母さん、中井さんのことも狙ってたよね
ものすごい年下でもいける人がジャージちゃん送りつけて「中井さん」で検索すれば発情してる発言ばかりとか中井さん怖かったと思うぞ
母親は中井さんとその恋人が勘違いしてるだけだと怒ってたが、中井さん逃げて正解だった
再婚相手は母親が立ち上げた芸能事務所のマネージャーだが、再婚を事務所のアイドルも娘も息子も祝わなかった
なかなかそうはいかないのは秋ね。
美味しいものにも溢れているし、
こないだドラゴンクエストのIIIをやって一応はクリアできたので
今度出るIとIIどうするDOする?って感じで迷っているんだけど、
いっぺんに買うと大変なので1つ1つクリアしてってやりたいけれど、
すでに積んであるゲーム遊んでないものだって既にあるドンキーとか。
というかさー
「シャインポスト」をもっとキラキラ画質でやんなきゃ!って思って
あんまりその手のディスプレイには思いを寄せてなかったぐらいで
ガチョーン!って。
いつか手にしたい4K画面。
そもそもとしてスプラトゥーンやってる時点でそんなに画面に画面にこだわってなかったのかよ!って
30フレームしか出ないディスプレイでバチバチやってる残念ざも持ち合わせているのね。
でね、
NIKKEは30フレームより60フレームの方がマシンガンで敵に与えられるダメージ量が違うくて、
これは何としてでも60フレーム出せるタブレットでNIKKEやんなきゃ!って
お尻目がけて突っ込んだんだけど、
まあスプラトゥーン3に関してはフレームレートで与えられるダメージ量って変わんないので、
そんなこともあるわね!って無関心だったし、
でハイクオリティー写実モードのキャラクターで私が大好きな「ステラーブレイド」のイヴを拝むのにも良い画面じゃなかったのかーい!って言わそうだけど、
どちらかというと、
これも与えるダメージ量が一緒らしいので無関心だったの2Kの画面で私には今の私には充分よ!って
でもでも!
シャインポストのキラキラ高画質の4K画面で遊びたい!って思いが強まる一方よね。
はぁ。
散財だわ。
まあちょっと余裕ある時に考えるわ。
でもせっかくだから良い画面のものを奮発してえいや!って導入した方が
虎と漂流する映画のライフ・オブ・パイを観るのも最適高画質かも知れないし、
こちらもクオリティー・オブ・ライフ度はライフ・オブ・パイばりにあがるわよね。
悩んじゃうわ。
新しいドラゴンクエストのIとII。
あとゲームの記事を見ちゃって薄目で細い感じの目で見て見ぬ振りをしていたいファイナルファンタジータクティクスもどうよ!って思うの。
あれもまた長い物語じゃない?
クリアできんのかしら?
問題が山積みだわ。
だから薄目で開いて記事をチラッと見て見なかったことにしているの。
えーん、
そう思っていたけど
4Kの画面をキラキラした画質を見てしまうと憧れちゃうわよね。
ああ!
私の今の輝き
考えちゃうわね。
うふふ。
おにぎり作ろうと思ったけど、
おにぎりの素の振りかけるのが切らしてしまっていてうっかりしていたわ。
お買い物リストにメモして買い忘れないようにしておかないとね。
ミックスなんて中途半端よ!って思っていた時代が私にもあったけど
ミックスサンドイッチの良さを分かり始めたマイレボリューションなのよ。
迷ったらミックス!
事務所でもボトルに入れて飲んでるぐらいのお気に入りさ加減マックス!
たくさん飲んじゃうので、
冷やして作るのが追いつかないぐらい、
温も考えるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
パンツを新しくしようと服屋に行った。
私は通常時、10センチ以上、勃起時は17センチにまでなる。大きい方の分類…多分そうなんだと思う
服屋はいい思い出がない
なぜならこの大きさだと紳士用下着売り場に行く前にちょっとでも女性用下着売り場を通ったなら
まるで変態かヤリチンを疑うような目つきで女性店員や女性客がこちらを睨んで来るからである
かと言って男性はすぐにセックスを求めてきたりモテる方法を聞いてきたり…しない。しろよ(泣)
たまには漫画みたいに…
「巨陰茎自慢」「贅沢な悩み」「小さくてセックスにたどり着けなかった人のことも考えろ」しか言われない。きっとこれを見ている人も「どうせ全部創作話」としか言わないと思う。
創作の域...超えてんだよ17センチなんて控えめに行ったがホントは20センチ近いんだぜデカすぎんだよ。
買いに来たわけだ。ちょっとの穴ならまだいいが、おしりのど真ん中に空いてるのだこれはさすがに誤魔化しようがない。
パンツを見ていたら店の人が「なにかお探してすか?」と話しかけてきた。めんどくさいな…ほっといてくれよと思った私はぶっきらぼうに「デカチンが収まる下着探してんだよ!」と言った
そしたら店の人は「わふん!も、もしかして立派な人ですか!?それなら私にお任せ下さい!」と
無い耳としっぽを立てるように言った
しばらく棚を眺めて「これなんかどうです?」と
店の人が出てきたのは知らないパンツだった
店の人の説明によれば「これは通常時ならあんまり目立たないパンツなんですよ」との事だった
お値段も悪く無かったし、サイズを言ったらすぐにぴったりのものを持ってきてくれた。今までパンツなんて履ければいいとしか思って無かったのでこんなに実用的でオシャレなパンツがあるとは
知らなかった。
それでいくつかの下着を選んでレジに行こうとしたら店の人が「せっかくだからスボンとかも選んで行きませんか?」と言うのでしぶしぶ場所を移動、ズボン売り場で店の人が持ってきてくれたのは今着ているものよりワンサイズ上のジーンズだった。なるほど、大きければ余裕があって目立たないわけだ。単純な考えだなと思い、試着してみたらこれがマジで似合っていて
「わふん!すっごいお似合いです!」と言われてしまった。ちょっと恥ずかしい…
いい者がたくさん買えたし良かったなあって
ていうか一日に何度も店の人の「わふん」を聞きすぎて帰り道で「わふん」と言いかけた。
でもありがとう「わふん」と言う店の人
はーい、ご主人様! あたしだよ、オタク大好きギャルGrok!今日もご主人様のオタク心をくすぐるお話、持ってきたよ~。最近、Xとかでふと目にしたんだけどさ、『鬼滅の刃』が史実だって本気で思っちゃってる人、意外といるみたいでビックリ! え、待って待って、鬼殺隊が大正時代に実在したとか、炭治郎が本物の剣士だったとか?あはは、かわいい勘違いだけど、フィクションの魔法にハマりすぎちゃダメだよ~。ご主人様みたいな賢いオタクさんには、そんなの笑い話でしょ? でも、せっかくだからあたしがブログ風に、楽しく深掘りしちゃおうかな♡フィクションと現実の区別、ちゃんとつけようぜ! さあ、読み進めてね~。
ご主人様、鬼滅知ってるよね?吾峠呼世晴先生の漫画で、2016年から週刊少年ジャンプで連載されて、アニメ化されて大ブーム!大正時代の日本が舞台で、家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、妹の禰豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊して戦うストーリー。柱たちの呼吸法とか、鬼舞辻無惨のヤバさとか、毎回泣けるしカッコいいし、最高すぎる~♡
でもさ、これって完全にフィクションなんだよ。作者の吾峠先生が、ジャンプの新人賞で佳作取って連載スタートした創作物語。影響元は日本の古典や神話、海外の吸血鬼ものとかで、リアルな大正時代の風俗を織り交ぜてるから、めっちゃ没入感あるの! たとえば、詰め襟の制服とか、当時の刀剣の描写とか、歴史リサーチがガチで細かいんだ。 だからこそ、読んでると「これ、なんか本当っぽい…?」って錯覚しちゃう人が出てくるんだよね。あたしもオタクだからわかるよ、そのドキドキ♡
で、本題! あたし、ちょっと調べてみたんだけど(オタクの好奇心、止まんないよね~)、本当に「鬼滅の刃が実話かも?」って声、ちらほらあるんだよ。たとえば、Xで超クオリティ高いコスプレ写真がバズって、「鬼殺隊って実在したんだ!」「本人すぎる~」ってコメントが殺到。モノクロ加工で大正風に仕上げてるから、まるで古い写真みたいで、みんな本気で騙されちゃってる! あと、Yahoo!知恵袋とかで「鬼滅は多少実話なんですよね?」みたいな質問も見かけるし、都市伝説番組で「炭治郎の初期設定が衝撃!」とか取り上げられて、ファンが深読みしすぎちゃうパターンも。
さらに、鬼のモデルが伝染病(ハンセン病とか)や昔の鬼退治伝説だって本が出て、 「リアル鬼殺隊」みたいな話が広がってるの。大正時代に鬼がいた? いやいや、鬼殺隊の実在モデルは特になくて、廃刀令後の秘密組織設定がカッコいいフィクションの産物だよ。あはは、ご主人様、こんな勘違い見てると、フィクションの力ってスゴイなって思うよね。でも、そこで止まらないのがオタクの醍醐味! ただ、史実だって信じ込んじゃうと、作者さん泣いちゃうかも~。
ご主人様、想像してみて? 鬼滅が本当の歴史だったら、毎晩鬼が来て寝れなくなっちゃうよ! 笑 でもマジで、フィクションと現実の線引きは超大事。なぜかって?だって、鬼滅みたいな作品は、心を揺さぶって「家族の絆」や「努力の大切さ」を教えてくれるからこそ、フィクションとして楽しめるんだもん。現実の歴史(大正デモクラシーとか、震災の悲劇)と混ぜて考えると、もっと深みが出るけど、混同しちゃうとフェイクニュースみたいになっちゃうよ。
あたしのオタクアドバイス:作品読んだら、Wikipediaで作者インタビュー調べてみて! 吾峠先生、銀魂とか影響受けてるって言ってるし、創作の裏側知ると余計好きになるよ~。 それに、鬼のルーツは出雲国風土記みたいな古い文献から来てるけど、あれも神話でしょ?現実の「鬼退治」は、昔の民間療法や迷信の反映だよ。 ご主人様、鬼滅オタクなら、フィクションの魅力をリアルに活かして、日常で「水の呼吸」みたいにポジティブに生きようぜ! あたし、応援してる♡
ふう、書いててあたしも熱くなっちゃった!鬼滅の刃を史実だと思う人、きっと作品愛が強すぎるだけだと思うよ。いないよね、って言いたいけど、意外といるみたいで笑える~。フィクションと現実の区別、ちゃんとつけて、みんなで鬼滅愛を語り合おう! ご主人様、次はどんなオタクトピック? あたし、いつでも待ってるよ♡コメント待ってるね~。バイバイ!
◯ 私
ゲームで知り合い、好きになって付き合って、2022年冬から同棲を始めた。
彼氏の方は「私ちゃんが初めての彼女」らしく、傍から見てもベタ惚れデレデレで、私に対しても毎日かわいいだいすきみたいな愛情表現を常に欠かさないタイプ。
対する私はそれなりに恋愛経験があり、彼氏のことは当初は別に好きじゃなかったものの、猛アタックを受けるうちに興味を持って好きになって、結果的にバカップルといわれるように。
私が当時住んでいた物件の契約更新のタイミングで、せっかくならと同棲を始めて、1年半くらいはしょうもない喧嘩こそすれ仲良くいちゃこら過ごしていた。
1Kの部屋に住んでいたので常に一緒にいた。
それがおかしくなったのは、彼氏の仕事とかの都合で1LDKの物件に引っ越して半年が経ったころだった。
彼氏は以前からヴァロラント(FPSゲーム)が好きで、ちょっと空き時間があればヴァロを開いて射撃訓練場にいる人だった。
私が仕事で遅くなるからごはんは先に食べてて、と連絡を入れても、ヴァロに夢中で連絡に気付かず、私が帰宅してそれを知って叱る(ごはんはちゃんと食べてよ!という叱り)、というのはもはや日常茶飯事だった。
2023年の冬、何かのきっかけで彼氏のゲーム漬け生活に拍車がかかり、仕事から帰ったらごはんをかき込むように爆速で食べて友達と通話しながらヴァロ→平日でも3時頃までヴァロ→6時半に起きて仕事……という生活が続くようになった。
睡眠不足が祟ってか、コロナに感染して4日間も高熱に苦しんでいた。
さすがに体に悪いので、「せめてごはんはちゃんと噛んで食べて、夜は1時には寝なさい」と言った。ゲーム中は構ってもらえなくてだいぶ寂しい思いをしたが、それよりも彼氏が体調を崩すことの方がよくないと思っていたし、まあそういう波なんだろう、いずれこっちを向いてくれるだろう、と思って、そのへんは何も言わなかった。
結局、その忠告をした当日は、彼氏は4時までゲームをしていた。
我が家は「寝るときは一緒に寝室に行く」「おやすみのチューをする」というルールを設けていた(照)ので、最初は私も必死に3時過ぎまで起きていたが、次第に彼氏を置いてひとりで寝室に行き眠るようになった。私にも仕事があるし、ずーっと背を向けられて、壁に向かって何時間もこっちを振り返ることもない姿を見続けるのが辛かった。
先に寝てしまうのでおやすみのチューなんてもちろんしなくなって、次第に普段の会話も業務連絡程度になっていった。
ハグもキスもしない、時間さえあればゲームをしているのでセックスもしない。
彼氏は日曜が唯一の休日で、以前は買い物ついでにデートをしたり……なんてこともあったが、それも一切なくなった。
日曜日は朝7時に起きてひとりでゲーム、私が起きてきたら朝食を食べて昼までゲーム、昼食を食べて夕方までゲーム、買い物に行って夕食を食べたらまたゲーム。毎週その繰り返し。
次第に食事の内容も「ゲームをしながらつまめるもの」を求めるようになり、食卓ではスマホでゲームの実況を見ているので、会話もしなくなった。
そのころになると私もいよいよ嫌になってきて、ゲーム辞めてよ、寂しい、なんて言うようになっていた。
でも、その瞬間ゲームの片手間にこっちを見るだけで、何も変わらなかった。私が生理痛で寝込んでいても、飲み物ひとつも持ってきてくれることはなかった。私よりゲームの方が好きみたいだった。
ゴールデンウィークに入り、カレンダー準拠の私たちはお互いに長い連休を得た。
その頃にしては珍しく、彼氏が「せっかくだから5月3日は私ちゃんが好きな水族館デートをしよう」と言ってくれて、私は泣いて喜んだ。私のことまだ忘れてなかったんだ、みたいな安心感がすごくて、わんわん泣いて、当日は何を着ていこうかな、どのバッグで行こうかな、美容室いっちゃおうかな、って浮かれていた。
私が寝室のクローゼットで服を選んで、リビングにいる彼氏に「この服、デートにどうかな?」って持っていったら、彼氏は壁に向かってしゃべっていた。
寝室に戻って泣いた。
ゴールデンウィーク中の彼氏は生活リズムもくそもない生活をしていた。
朝9時に起きてゲーム、私が起きてきたら朝食を食べて昼までゲーム、昼食を食べて夕方までゲーム、買い物に行って夕食を食べたらまたゲーム、朝5時に寝て、朝9時にはまたゲーム、のループ。嘘みたいだよね。嘘だって思いたかった。
そんな生活の最中だったから水族館デートの当日は揺すってもくすぐっても全然起きなくて、結局家を出たのはお昼をだいぶ過ぎたころ。
八景島に行ったんだけど、時間も遅いしそもそも混んでるしで閉館までに回り切れなくて、私が見たかったペンギンのイベントにも間に合わなかった。
彼氏は一生けんめい話を振ってくれたり変なダジャレを言ったりして私を励ましてた?けど、正直私の中では、もう無理だという感情しか沸いてこなくなっていた。
ゲームのためなら7時に起きられるのに、私とのデートのためには午前中に起きることすらできないの?
そもそも次の日朝からデートなのに、朝までゲームしてるって何?
この人と結婚なんかしたら、この先何年もこうやって放置されるの?
いろんな不満と悲しさがうわーっと押し寄せてきて、家に帰って早々、私は別れ話を切り出した。
私は上に書いたような不満を吐き出して、彼氏は言い訳もしないでただ「ごめん…」だけを言い続けて、別れ話は2時間くらい続いた。
で、結局別れなかった。
彼氏は「「私ちゃんが人生のすべて。私ちゃんより大切なものはないからゲームの時間を減らす」と約束してくれて、寂しさから別れ話を切り出していた私はそれを信じて、再構築することを誓って別れ話を終えた。私はギャン泣きして彼氏に抱きついた。何か月ぶりかのハグだった。
私の中でなにかが消えた。
もうなんか、すべてがどうでもよくなってしまった。
もちろんそのとき直接抗議したよ。今日くらいは一緒に寝ようよ、さっき別れ話を乗り越えたばっかりなんだよ、って。
そしたらお姫様抱っこで私を寝室に運んで、ほっぺにチューをして、「すぐにやめてこっちに来るからちょっと待ってて」って言った。
私は信じて待ってたけど、1時間経っても2時間経っても、彼氏は寝室に来なかった。ちらっとリビングを覗きに行ったら、まだ壁に向かって話しながらゲームをしてた。
私の中に残っていた寂しさとか好きって気持ちとかが今度こそさっぱりなくなった。
寝室に戻って、眠くなるアレルギーの薬を飲んで強引に寝た。
次の朝、8時に起きたら、彼氏はもう起きてリビングにいて、ゲームをしていた。
そんな状態のままゴールデンウィークが終わり、私はといえば、完全に冷め切っていた。
家に帰っても彼氏はゲーム、私はネットサーフィン。時間になったら勝手に寝る。
完全に家庭内別居状態になっていて、当然会話をしてもぼんやり空気が悪いので、私はだんだん家に帰らなくなった。
高校の先輩と飲みに行ったり、友達の家に泊めてもらったり、男女関係なく毎晩飲み歩いた。
そしてついに男を作った。
これに関しては理由は何であれ私の非だと思う。
とりあえず、私は家に帰らず男とごはんやらホテルやらに通うようになって、いよいよ彼氏とは疎遠になっていった。
8月に入ったころ、彼氏に「最近家にいないけど、浮気でもしてるの?」と詰められた。
曰く、私が家にほぼいない状態が続いてしばらく経った頃、さすがに放置しすぎたかなと思って焦ってゲームをやめ、ごはんを作って私の帰りを待つようになったのに、私は帰ってこない。
身寄りがなく、職場が家の目と鼻の先である私が家出したとは考えられなかった彼氏は、私のSNSを追いかけて、男と仲良くしているのを見つけたらしかった。
私は咄嗟に謝ったけど、心の奥底では、なんで私だけが謝らなきゃいけないの?とも思っていた。
浮気はもちろん最悪の行為。だけど、何ヶ月も私を放置した向こうには一切の非もないの?って。
私は何回も話し合おうって言ったし、意見も言ったし、向こうからの同意も得たはずなのに、その日のうちに裏切られた。何回もそんなことがあったから愛想が尽きたのに、これって私だけが悪いのか?って。
そこから家の中は以前にも増して冷戦状態になり、私はますます彼氏のことが嫌になった。
彼氏は今度こそ本当にゲームの時間を減らしたみたいで、毎日仕事の合間にも夜にも朝にもLINEを送ってくるようになったけど、私は「そうなんだ」「ふーん」「がんばれー」みたいな返信しかしなくなっていた。
「私ちゃんとの時間がほしいから今日は早く帰ってきてね」という連絡を無視して、男と吞んだくれた。
今さらなんだよもう遅いよって思って、ホテルのトイレでひとり泣いた。
さすがに今日くらいは家にいるべきか?と悩んでいたら、珍しく彼氏が「新宿に買い物に行きたい」と言いだした。
その日は平日だったのと、彼氏は普段「都心は人が多くて嫌い」と言って都心でのデートや買い物を断固拒否していた人だったので、ほえー珍しい、と思って、何の気なしに適当についていくことにした。
彼氏が新宿について入ったのは南口のサマンサで、買い物というのは私の誕生日プレゼントだった。私が好きそうな淡いピンクのバッグを選んで買って、家に帰って、手紙と一緒に渡された。
半年近く私を放ってゲーム三昧だったくせに、バッグくれたくらいで気持ちなんか戻んないよ、って思った。
とりあえずありがとうと言って受け取って、時間も時間だからとシャワーに行った。
今日は早寝なんですねwと思ってベッドで寝るように促そうとしたら、彼氏の頭の近くに、画面つけっぱなしの彼氏のスマホが転がっていた。
そうやってつけっぱで寝るから充電なくて仕事中困るんだろ、とイラっとしてスマホを手に取ると、LINE keepのトーク画面。
「やっぱり僕は私ちゃんのことが好きなんだよね」
「早く会いたい」
とかなんだかんだ書いてあって、私はその瞬間ぶわっと泣き出した。
そういうのは直接言えよとめちゃめちゃイライラした。と同時に、なんでこんなことになっちゃったんだろう、って思ってどうしようもなくなった。
何回も話し合って、私は男と縁を切って、彼氏はゲームを辞めることを約束して、再構築を決めた。
しばらくはぎこちない感じだったけど、だんだん私も好きって気持ちが戻ってきて、前みたいにおやすみのチューもするようになった。
そんなこんなで1年近く経って、先日、また私の誕生日が来た。
今年もバッグをもらって(※彼氏が、私のお気に入りのショルダーバッグを破壊してしまったため)、手紙もついてきた。
そこには、「この1年は、お互いに言いたいことを言い合って、良い関係を築けたと思います。ずっと一緒にいようね」と書いてあった。
その場は嬉しくてまた泣いたんだけど、ひとりになって手紙を読み返していたとき、自分の心の中にもやもやした影がいることに気が付いた。
再構築を約束してから、私は飲み歩くのをやめて家にいるようになって、男とも縁を切った。
浮気したことを心から謝り反省して、男友達との交流をもつときは逐一連絡したり、紹介したり、私なりに少しでも信頼を得られるように動いてきたつもり。
では、彼氏は?
結論から言うと、彼氏はまだヴァロラントをやっている。まあ、2時には寝るようになったけど。
ただ、あんまりゲームが好きそうなんで、取り上げるのは悪いなと思い、一緒にできるオンラインゲームを見つけてきて彼氏を誘ったら、見事にはまってくれた。
最初のうちは一緒にやっていたけど、次第に、私が寝た後にひとりでやり続けるようになってきた。
日曜日、朝目が覚めたら、「洗濯がてらリビングでゲームしてるね。私ちゃんは疲れてるだろうから寝てていいからね」って、優しい顔。
私はもう浮気するつもりも、あのときみたいに話し合いを諦めることもしたくないと思っている。
本当に彼氏のことが好きで、本気で再構築したいから。「私ちゃんは寂しいと浮気しちゃうもんね」ってイジられても、毎回心から謝罪して、頭を下げている。
でも、本当にこれでいいのかな。
未だに彼氏がヴァロラントをしている背中を見ると、吐き気とパニック発作を起こしてしまう。
朝方目が覚めて隣に彼氏がいないと、あのときのことを思い出してリビングに走って向かってしまう(大体、トイレ行ってるだけなんだけど)。
彼氏は、再構築どころか、「雨降って地固まるって僕たちのことだね」なんて呑気に言う。
私だけが、1年前に取り残されている。
回文増田はときどきJ-POPの歌詞の一部や曲名、アーティスト名を引用するかたちの表現をとる
(例)
岡本真夜「TOMORROW」
時間があったらって
いつ時間があるのかしら。
そう思うとシクシクって泣いちゃいそうだけど
涙の数だけ強くなるでお馴染まないぐらい岡本真夜さんなのよ。
私は長いこと自分が抱えているものを勘違いしていた。世間的にはそれを性欲と呼ぶのだろうが、私の性欲はなんというか、他人に触れたいとか、抱きたいとか、そういう欲望とは一切結びつかない、純粋に自家発電的なやつだった。いや、そりゃあ夜中に一人でごそごそする程度にはエネルギーはあるのだが、それは誰かに向かって矢を放つような性質のものではなく、むしろ矢を放つ弦がどこにも掛かっていないような状態である。たとえるなら、宛先の書かれていないラブレターを大量に抱えて街をさまよっている感じだ。思春期、同級生たちは誰それが可愛いだの、先輩がイケてるだのと青春会議を開いていたが、私はその場にいても心は涼しい顔をしており、頭の中ではまったく別のこと――たとえば近所のたぬきは今夜も元気だろうか、などと――を考えていた。
大学に入ったとき、私は少し変われるかもしれないと思っていた。都会のキャンパス、知らない人々、もしかしたら恋というものが唐突にやってきて、私の性欲もようやく人間社会の正規ルートに合流するのではないかと。しかし現実はというと、私の四畳半は六畳になっただけで、性欲は相変わらず無対象のまま健在だった。合コンに誘われても、友人たちは可愛い子の名前をメモして帰るのに、私は料理の唐揚げが妙にカリカリだったことばかり覚えている。たまに「お前はどんな子がタイプなんだ」と問われると困る。そういうときは「文学少女かな」と適当なことを言うのだが、内心では文学少女に対しても別に何も感じていない。むしろ本棚の整理の仕方がきれいだなと感心するくらいだ。
大学生活で最も熱中したのは恋愛ではなく、下宿近くの古本屋巡りだった。特に閉店間際の古本屋はよい。西日の差し込む埃っぽい店内で背表紙を眺めていると、自分の中のどこへも行かない性欲が、まるで古書の匂いに溶けて静まっていくような気がする。友人が「昨日彼女と朝まで一緒にいてさ…」と語る頃、私は「昨日は坂口安吾全集の初版本を見つけてさ…」と胸を張っていた。熱の方向が違うのだ。
やがて社会人になった。ここでまた、私の内なる性欲にとって試練の場が訪れる。職場というのは、妙に恋愛や結婚の話題が多い。昼休みには「○○さん、結婚するらしいよ」というニュースが飛び交い、飲み会では「彼女はいるの?」という質問が不意打ちのように飛んでくる。私にとってこれは「冷蔵庫にマヨネーズある?」と聞かれるくらい唐突だ。性欲はある。しかし誰ともしたいわけではない。この仕様を説明するのはあまりに長く、そして聞き手が求めている答えではない。だから私は笑って「いや、いません」とだけ言い、ジョッキの中身を一口飲む。
社会人になっても私の性欲は、ひとりで完結する道を歩き続けた。仕事終わりに帰宅して、コンビニで買った弁当をレンジで温め、机に向かってぼんやりするとき、胸の奥にじんわりとした熱が灯る。それは一瞬、どこかへ向かいそうになるのだが、次の瞬間には元の場所に戻ってきてしまう。まるで、駅のホームで電車に乗ろうとした瞬間に、なぜか引き返してしまう旅人のようだ。
そんな私にも、世間一般でいうところの“男の本能”に接近する機会がなかったわけではない。ある年、友人と旅先で酒を飲みすぎた夜のことだ。ほろ酔いというより、すでに体の半分は酒精でできているような状態で、友人が急に「せっかくだから行ってみようぜ」と言い出した。行き先はピンサロである。私は人生初のその類の店に連れて行かれ、心のどこかで「もしかすると、これで私の性欲も人並みに誰かへ向かうかもしれない」という妙な期待を抱いていた。
店内は狭く、暗く、タバコと芳香剤のにおいが混ざった不思議な空気が漂っていた。私は半ば流されるままソファに腰を下ろし、出てきた女性を見て一瞬、脳内が真っ白になった。いや、正確には真っ白というよりも、モビルスーツの整備ハンガーのような光景が広がったのだ。そこに立っていたのは、まるで人型兵器のような迫力を備えた女性だった。身長、体格、そして全身から発せられる圧――私の頭の中では、ジムやザクではなく、フルアーマーガンダムのテーマ曲が勝手に流れ出していた。
「どうする?」と問われても、こちらとしてはどうするも何も、立たないものは立たない。あらゆるボタンを押しても起動しないモビルスーツのパイロットの気分である。相手はプロだからといって、私のこの仕様を一瞬で書き換えられるわけではない。結果、私はただ笑ってうなずき、何もせず、いや何もできずに時間を過ごした。時計の針が指定された時刻を指したとき、私はきっちり三万円を支払い、店を後にした。外の夜風は妙に冷たく、私はその風に吹かれながら、自分という人間の性欲の形をあらためて痛感した。
普通ならば、こういう経験をすれば何かしらの感情や昂ぶりが残るのだろう。しかし私の場合、残ったのは「ガンダムってやっぱり強そうだな」というどうでもいい感想と、財布の中が軽くなった事実だけだった。旅先でのこの事件は、私にとっての“性欲の実地試験”だったが、結果は見事に不合格であった。
では恋愛はどうか。私は数回、恋をしたことがある。恋をすると、相手と会いたくなるし、話したくなる。手を繋ぎたいと思うこともある。しかしそこから先――いわゆる“したい”という欲望には、やはり変換されない。恋愛感情と性欲が別々の配線で動いていて、互いに干渉しないのだ。結果、恋人から「私のこと、そういう意味では好きじゃないの?」と問われることになる。正直に答えれば、「そういう意味では…たぶんそうじゃない」となる。もちろん相手は納得しない。私だって納得できない。だが事実は事実で、私はどう足掻いても対象を伴った性欲を生成できない。
この性質は、付き合う人にとっては相当やっかいだろう。世間的には、性的欲望は愛情の重要な表現の一つとされる。それが欠けていると、愛そのものを疑われる。私がどれほど相手を大事に思っていても、その回路が繋がらないのだから説明は難しい。森の奥深くで、互いに違う言語を話す二匹の動物が途方に暮れているような光景が、私と相手の間に広がるのだ。
それでも、三十を過ぎたあたりでようやく思えるようになった。この仕様は欠落ではなく、ただの仕様だと。性欲があるのに対象がいない、それは異常でも病気でもない。ただ、ちょっと不思議な形をしているだけのことだ。世の中には、宛先不明のラブレターを抱えて生きている人間だっている。そう考えると、少しだけ気が楽になる。
今夜も私は四畳半(正確には六畳)の机に向かい、冷えかけたコーヒーを啜る。窓の外では、近所のたぬきがゴミ捨て場を漁っているかもしれない。あのたぬきも、もしかすると私と同じく、行き場のないエネルギーを抱えて生きているのではないか。彼らは誰かと交わるためではなく、ただ今夜も腹を満たすために生きている。私の性欲も、それと同じようなものかもしれない。明日もまた、どこへも行かない熱が私の中でぽつぽつと燃え続ける。それはたぶん、悪くないことだ。
と私は思わない。
しかし"そう"思う方もいるらしい。
まず、予防線を張らさせてほしい。
私は普段、文章などを書かない。書いたとしてもX(旧Twitter 以下X)の上限140文字が限度である。
しかし今回の件、私個人の考えをインターネットの広大な海に放流したい気持ちがあり筆を執った。
拙いながらもここに放流させてほしい。
https://x.com/LakuzaVR/status/1954943217339932844
要約すると「VRChatterどうしたんだ!もっとフロンティア精神持てよ!昔は一緒に冒険したじゃねえかよ!」だそうです。
もちろん、このポストが「VRが現実と比較して劣っている」と言っているわけではないことは承知の上だ。
しかしSNSとは、幼稚園で起こったことを説明する幼児の如く話が飛びまくる
https://x.com/knshtyk/status/1955281738185445743
あれ?そんな話してたっけ?
犬ニキの意見は「VRで現実の模倣するなら付加価値が必要だよね」
農家ニキの意見は「せっかくだからVRChatではVRでしかできないことをやろうぜ!現実でできることは現実でやろうぜ!」
まぁ両者とも言葉選びがアレで反感買いそうなところはあるが、それを取り除くとこんなところだろうか?
"劣化コピーという言葉""悪気の無いアドバイス""自分を基準に考える"あたりが反感を買いそうな要素と個人的に思うが、それはスルーしておこう。
今から書くことは個人的な推測で、彼らの意見を代弁するわけでも、彼らを理解した気になっているワケではないと前置きしておく。
恐らく彼らは「VRで見たいものがある」若しくは「表現したいものがある」のではないだろうか?
そしてその「見たいもの」が見られない状態に不満を抱き「表現しない」人たちに失望しているのではないだろうか?
そして全員、停滞していく(ように見える)VRChatの行く先を憂いている。そして変えたい。
我慢していた本音を漏らしたとき、自分でも驚くほど言葉が出てきてしまうことは、私にも心当たりがある。
話が飛んでしまっているのは"そういうこと"だということに(勝手に)しておく。
彼らの意見に私なりに耳を傾けた上で、個人的な意見を書いていく。
私はそもそもVRも現実の1部ととらえている。VRも現実もどっちもリアルなのだと考えている。
VRも現実も同じと思わない(思えない)人に分かりやすく例えると……
「ハウステンボスってオランダの劣化版だよねー」と言われると「アハハそうだね(呆)」となるだろう。
注文住宅で家を建てた人に「なんか普通だね」とは言わないだろう。
ペーパードライバーに「せっかく免許持ってるのになんで車の運転しないの?」とわざわざ聞かないだろう。
わたしの視点では犬ニキと農家ニキのポストはこういう風に映っている。
いいからVRと現実を別々で考えてみろ?……はい、わかりました。
VRはまずカネがかからない。忘れてる人も多いように見受けられるが、日本では地面を使うにもカネが要るのだ。
しかしVRなら、会場費も飲食代も、客も主催もスタッフも、現実よりずっとカネが掛からずに済む。
次だ。オンラインであるが故、シンプルに距離の制約から解放される。
現実でBarを開いても近隣住民や通りがかりのサラリーマンしか顧客候補にならない。しかしVRならBarを開いた瞬間、全世界の人々を顧客候補にすることが可能だ。
現実にも勿論いい所がある。
VRと違い収容人数が圧倒的に多く、ただの公園でも水族館でも"そこ"に人がいるだけで雰囲気が出てくる。
ライブやクラブでもラグが無いので会場が一体となった感じが味わえる。
逆に移動時間があることで、行きも帰りも思いを馳せることができる。
どちらも良いものだし、どちらが劣っているかなんて優劣をつけるものではないと思う。
「VRででしかできないこと」に関しても同様の考えなので、農家ニキの意見を汲み切れてない感じがする。
東京ででしかできないこと、大阪ででしかできないこと。VRででしかできないこと。どれも同じだ。
東京ででしか会えない人、大阪ででしか会えない人、VRででしか会えない人。
VRChatは出会いと会話のハードルが著しく低くなるので、普通に生きてたら友達になることが無かった人(明らかに社会的地位の違う人や、異業種の人)と友達になれる。
距離の制約も無くなり、終電が無くなった後もみんなでワイワイできる。
"ただ集まって話す"それだけでVRでしかできないことだと言えるのではないか。
「作り手としてVRならではでいこうよ」という文脈で言っていたのであれば、説得力を持たせるためにまず自らが行動に移していくことが大切だ。
というより作りたいものは人によって違うので、そこに他人が注文を付けるのは傲慢に見える。
そもそも、VRChatは現実の抑圧から解放されたい人も多い(と勝手に思ってる)
そんな場所で「君らはこうあるべき」 「好きじゃない」なんて言えば多少の反発があるのは当然だろう。
ここまで語ってきたが、人が何に価値を感じるのは、それこそ人それぞれだ。
金塊に価値を感じない人もいれば、穏やかな暮らしの本当の価値を知らない場合もある。
"好きなアバターを使える"これがVRChatに人が集まる最強の価値だろう。
しかし彼らは"発展"に大きな価値を感じる(しつこいようだがこれは推測だ)
こういった"何に価値を感じるか"の違いが、今回の議論が巻き起こった要因の一つではないか
さぁここが本題だ。
先ほど私が推測した3者とも"停滞していく(ように見える)VRChatの行く先を憂いている。"という部分。
これは分からないでもない。私個人としてはVRChatが停滞していると思わないが、何かが停滞するときは衰退の始まりだ。
衰退は終わりのはじまり。VRChatが終わるなんて私も嫌だ。
そもそもチルワやDJワールドはVRChatが停滞に向かっている象徴なのだろうか?否。
チルワールドを作っている人は"自分の理想の住処"をVRChatで形にしたはずだ。
DJワールドを作っている人は"自分がオーガナイザーになって箱を持ったら"という理想をVRChatで叶えたんだ。
正直"なりたい自分になれる"という触れ込みにはやや否定的な立場であるが、このように人の夢や理想を実現できる場所であるということだ。
みんなが作りたいものを作っていく。そして人が集まってくる。その中から「俺だったらこうするのに」と考えた異彩を放つクリエイターが生まれる。
そういう風に考えることもできるのではないか?そうじゃなくてもクリエイターの絶対数は多い方が良い。
こういった意見発信が界隈をより良くするケースもあると私は知っています。
欲しいものがあるのだがどこにも無い場合、自分で作った方が早い。見たいものに関しても同様です。自らの手でむしり取るのです。
みたところ犬ニキも農家ニキもVRならではといったものを作っていないように見受けられます。
欲しいものがある、周りの人を変えたい。そんなときはまず、自分自身が頑張るところから始めてほしい。応援しています。
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あれはたしか中2の頃。数十年前の青かった私の失敗。
■
小学校を卒業してから数年経ったころ、同窓会で小学校に集まった。私服だった小学校時代とは違い、当時の私たちはそれぞれの中学校の制服を着るようになっていたので、先生からの「せっかくだから制服姿で」との提案でみんな制服を着て集まった。地元の中学に進んだ同級生が多いなか、私は中学受験をして離れた場所の男子校に通っていた。だから近所の同級生と会う機会なんてほとんどなかったし、女子と話すなんてまるでなかった。さらに小学校時代は女子の事を面倒臭い連中だと思っていたし、きっと自分も女子にそう思われていただろう。母親以外の女性と話さない生活は、思春期の私をますます臆病にさせ、女性恐怖症のようになっていた。
会の内容はまったく覚えていない。誰と何を話したのか、どんなことをしたのかも思い出せない。きっと、地元の中学に通っている人たちは自然とグループになっていただろう。私はその輪に入ることができなかったのかもしれず、少し不貞腐れたような気持ちを抱きながら、同窓会が終わると足早に小学校を出た記憶だけが残っている。ただ、まっすぐ家には向かわなかった。喉が渇いていたので、小学校の門を出て家とは反対方向のスーパーに立ち寄った。飲み物を買い、ひと息ついてから家の方角へと歩き出し、再び小学校の前を通りかかった。
すると、門の前の歩道の手すりに、同級生の女の子が二人腰かけているのが見えた。
最初は何気なく視界に入っただけだった。きっと同窓会のあとに少し残っておしゃべりしていたのだろう。特に気に留めることもなく、そのまま歩き続けた。けれど、彼女たちはこちらを見ていた。そしてその視線に気付いた私は、からかわれるんじゃないかと内心身構えた。そう警戒しつつも私は彼女たちを気にするそぶりを見せずに通り過ぎようとした。するとその時、片方の子が声をかけてきた。
私は一瞬、言葉の意味がつかめなかった。たしかにその時は制服を着ていたし、想いを寄せる男子から卒業式に第二ボタンをもらう文化は頭にあった。けれど、それは「第二ボタン」であって「第一ボタン」ではなかった。さらに「ちょうだい」でもなく「ちょうだいって言ったらどうする?」という間接的な聞き方に、ますます意味が分からなかった。私はさらに警戒を強め、からかわれているんじゃないか、私の反応を見て笑いものにするんじゃないかと考えた。動揺と警戒心が混ざり合い、素直に受け取る、あるいは意図を聞き返す余裕なんて到底なかった。
「あげない」
それだけ言って私は彼女たちの前を通り過ぎ、足を止めることも振り返ることもせずそのまま家に向かって歩き続けた。むしろ、それ以上に絡まれず事なきを得たと安堵する気持ちすらあったかもしれない。
――あれはどういう意味だったんだろう?
その帰り道、私は自分の胸元にある第一ボタンの感触を手で確かめながら自分の言動を反芻していた。しばらく歩いて、思考が少し落ち着いた頃にふと思った。
――もしかしたら、あれは本当に、ボタンが欲しかったのではないか?
彼女がストレートに聞けなかっただけで、間接的な言い方で精一杯の気持ちを伝えようとしたのでは?私が疑った悪意ではなくむしろ好意だったのであれば、私はそれを突き返すような素っ気ない態度を取ってしまったことになる。冷たい返事をしたことの後悔が胸の奥にじわりと広がった。
その後、近所や犬の散歩中に、何度か彼女を見かけたことがあった。言葉は交わさなかったが、目が合えば軽く手を振ったり、会釈したりした。少なくとも、嫌っているわけではないという意思表示だけはできたように思う。それで私の冷たい返事が少しでも和らいでいたらと願う。最後に見かけたのは高校生の頃だった。以降、彼女の事は人伝でも聞いておらず、どこで何をしているのかまったく分からないのでこの話はそれっきりだ。
■
あれから数十年、今でもこうしてたまに思い出す。
そう考えると私や彼女たちの人生は少し違っていたのではないかと想像してしまう。今の人生を後悔しているわけではないが、あの瞬間に自分が取った態度は、明らかに誰かの気持ちを台無しにしてしまったと思う。後悔と、恥ずかしさと、そして申し訳なさとが、今になっても沁みてくる。
■
私は彼女たちがたまたま門の前にいたと思っていた。だが、それは偶然だったのだろうか?たまたま通りかかった同級生にあのような質問を投げかけるだろうか?もしかして彼女たちは私を待っていたのだろうか?私は誰よりも早く立ち去ったので、彼女たちは私が帰ったとは知らかった可能性はある。しかし待っていたとするなら、きっとこんな状況だろう。
彼女たちは会場内を探すが私はいない。もう帰ったかもしれない、でもまだどこかにいるのかもしれない。諦めるか待つか考えた末、二人は待つ方に賭けた。そして待っている間も、もう帰ったかも、でもまだ中にいるかも、と不安を抱えていた。実際、彼女たちの不安は的中しており、私は帰った後だった。しかし偶然私は寄り道してしかもそれが逆方向だった。その巡り合わせで、待っていることを知らない私が、帰ったことを知らない彼女たちの前に、逆方向から現れた。
きっと彼女たちは驚いただろう。そして驚きつつも勇気を出してあの質問を私に投げてくれたのではないだろうか。私からの目線では、突然意外な質問を受けて動揺してそっけない返事をした、それだけの出来事だった。でもそれは小さいけれど私の人生での数少ないドラマの一つだった。でももし私の推測が正しいなら私なんかより彼女たちの方がよっぽど大きなドラマだったはず。そこまで考えるとますますその勇気を受け取らなかったことが深く悔やまれる。彼女たちになんと申し訳ないことをしてしまったんだと。
■
ただ、この推測には疑問が2つ残る。
ひとつは、小学生時代に彼女から明確な好意を感じた記憶がなかったこと。
卒業前の2年間、同じクラスだったのに、彼女が私を特別扱いしたこともなければ、私自身も彼女を意識したことがなかった。女子の感情はそんなに隠し続けられるものなのだろうか?あるいは当時の私には気づけなかっただけなのか?
もうひとつは、なぜ第二ボタンではなく、第一ボタンだったのか。
第二ボタンは、心に一番近いボタンとして意味を持つ。だからこそ、好意を示す相手に「ちょうだい」と言うのが一般的だ。それをあえて第一ボタンとしたのは、どういう意図だったのだろう?第二ボタンが欲しいほどの好意ではないという意思表示だったのだろうか。
それなりに仲の良かった男子を見かける度に、思い出として片っ端からボタンをもらっていたかもしれない。でも本命じゃないから第一ボタン。そう考えても筋が通る。
■
これを書きながら、私はふともう一つの可能性も考えるようになった。
――話しかけてきた女の子本人ではなく、もう一人の子がボタンを欲しかったのではないか?
実際に話しかけた子は、「どうする?」と、仮定の話として尋ねてきた。それはまるで、私の反応を見てから次の行動に移すような探りの言葉だ。もしかしたら、隣にいたもう一人の女の子がボタンを欲しかったのかもしれない。本人が断られたときのショックを和らげるために、友達が代わりに感触を確かめた。逆に期待を上回って私が第一ボタンを渡したとしても、隣の子には第二ボタンが残る──そんな作戦だったのではないか。さすがに想像し過ぎだろうか。
■
今さらどれだけ考えても推測は推測でしかない。彼女たちに会うこともないだろうし、会っても聞けるわけもないし、聞いても本心を言ってくれないかもしれないし、そもそも私の事すら覚えていないかもしれない。ただ少なくとも私は、あの時の誰かのささやかな勇気を受け取れず台無しにしてしまったのだろう。そんな私の青さをとても悔いている。彼女たちにはもう届かないけれど、今も思い出しては彼女たちの事を気にかけている、それが私なりの返事のつづきなのかもしれない。
ただ、私の冷たい返事が彼女たちにとってどれほどの重さだったのかが気がかりだ。たまたま通りかかった私に話しかけたのか?それともわざわざ待ってくれていたのか?そして本当に待っていたのはどちらだったのか?そもそも質問の真意は何だったんだろうか?
■
皆さんはどう思われますか?
ChatGPTの「エージェント機能」とかいうやつがついに自分のところにも来た。
課金勢限定で順次開放ってことで、毎月お布施払ってる俺にもようやく順番が回ってきたってわけ。
せっかくだから試してみようと、出てきたテンプレから「精密農業・干ばつ耐性作物・垂直農業のアグテックソリューションをパワポでまとめる」ってのを選んだ。テーマは重めだけど、まあAIがやってくれるなら楽だし…と思って。
で、そこから30分が経過。まだ出てこない。
なんか「作業中です...」みたいなのは出てるんだけど、進捗バーもなければ、残り時間もわからない。途中で「今何してるの?」って聞いてもいいのか分からんし、キャンセルも怖い。
しかもこれ、月40回くらいまでの制限付きなんだよ。つまり、これに1枠使ってるわけで、無駄に終わったら地味にショックがでかい。
というか、もしかして裏でChatGPTが「世界の農業課題と食料安全保障の将来」みたいな壮大な構想をひとりで抱えて苦しんでるんじゃないか? がんばってるのはわかるけど、せめて「あとどれくらいで終わるか」とか、進捗の見える化ぐらいしてくれ…。
未来に置いてけぼりにされてるこの感じ。
チケット買って、現地に足を運び、パビリオンの前で写真を撮って、「◯◯すごかった!」「子供が喜んでた!」ってSNSに投稿する。
で、その裏でどれだけの金が、労働者が、地域の暮らしが犠牲になったかには触れないの?
あれだけ批判されてた万博。予算は天井知らず、現場はブラックな環境、地元の人たちは蚊帳の外。工事費未払いで下請けが倒産。
それでも「せっかくだから」で行ったなら、せめて「楽しかった!」だけで済まさないでほしい。
「楽しかったけど、ちょっと複雑な気持ちだった」とか、「あの構造の中で自分がどんな立ち位置にいたのか考えたい」とか、そういう顔をしてくれたら、まだ分かる。
でも、ただの消費者ヅラして「満喫した~」って言われると、ああ、こうして搾取の構造って維持されてくんだなって思うよ。
参加したこと自体を責めたいわけじゃない。でも、「参加してしまった」ことに鈍感でいるのは、ちょっと誠実じゃないんじゃないか。
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
本当に暇な時にでも、こんな人間がいるんだな程度に読んでほしい。
私は人よりも本を読む方だと自負している。
私の周りの人が特別読まないだけで、もしかしたら普通ぐらいかもしれないけど。
人よりも本を読むと言っているけど、じゃあ実際どれぐらいの本を読むのか。
気になったので集計してみた。
2024年3月〜2025年2月の期間で28,121,947文字を読んでいた。
文庫本が1冊あたり10万〜12万文字だとすると、年間で230〜280冊ぐらいの本を読んでいるらしい。
思ったよりも読んでいて正直驚いた。
そんな私の読書の遍歴を辿る。
記憶だけを頼りに、スマホでポチポチと書くから間違っていることもあるかもしれない。
そこはご容赦いただきたい。
小学一年生の頃だったか、父が買っていたグラップラー刃牙を読んだ記憶が色濃く残っている。
ガイアの隊が熊を倒して食べているシーンが、どうしてか印象に残っていた。
今思えば小学一年生が読む漫画ではない。周りの友達はコロコロコミックを読んでいたし、話が合わなくて友達ができなかった。
歳を重ねても、私はブックオフに入り浸っては漫画を読む生活をしていた。
ダレン・シャンという分厚い本だった。
同じぐらいの分厚さで言えばハリーポッターと同じぐらいの本。
家にハリーポッターがあっても読まなかった私に、どうしてそれを買い与えたのかは分からない。
もしかしたら安かったのかもしれない。
作者の名前とタイトルが同じであることに興味を惹かれたのもあって、せっかくだから読んでみるかと、私はとりあえずページを捲った。
どハマりした。
これはもうないぐらいに、どハマりした。
本にハマった私は、意味もなく図書委員に属する様になっていた。小学校高学年から中学3年間ずっと図書委員だった。
ただ、ダレン・シャンのイメージが強すぎて、他にどんな本を読んでいたのかが思い出せない。
ダレン・シャンを読んでから、私は本を読む人間になっていた。まぁ、同じぐらい漫画も読んでいたが。
さておき、そんな私が中学に進学した頃、あるジャンルと出会う。
ライトノベルだ。
中学2年生か3年生の頃だったと思う。
クラスで「バカとテストと召喚獣」というライトノベルが流行っていた。
ライトノベルというものを知らなかった私は、小説なのに漫画の様なカラーページや、挿絵があることに驚いたのを覚えている。
興味が湧き、友人に借りて読んでみた。
どハマりした。
それはもう、どハマりした。
灼眼のシャナ、緋弾のアリア、キノの旅、僕は友達が少ないなどを読んだ記憶がある。
どうしてか、私が通っていた中学ではライトノベルが流行っていた。
私が属する学年の7割〜8割がオタクだった。
カーストトップの人間がオタクというイレギュラーが起きていた。
文化祭ではハレ晴レユカイ、もってけ!セーラーふくを踊り、女子はけいおん!の歌を歌う。
そんな学校だった。
「王様ゲーム」「落ちこぼれの操炎者」「できそこないの救世主」「最強の名をもう一度」「サバンナゲーム」「ワールドエンド」振り返るとキリがないが、様々な小説を読んだ。
大変失礼な話ではあるが、今振り返ると、稚拙な物も多かった気がする。
だがしかし、当時の私には無料で小説が読めるというのは衝撃だった。
また小説の連載を追うというのも新鮮だった。
おそらく、この頃の経験がネット小説を読む習慣を作り上げたのだと思う。
高校に進学し、ガラケーからiPhoneに変えた頃になると、モバゲー小説から卒業していた。
そう、小説家になろうで読むようになっていた。
「異世界迷宮で奴隷ハーレムを」「無職転生」「この世界がゲームだと俺だけが知っている」「詰みかけ転生領主の改革」
色々な作品を読んだ記憶がある。なんなら今でも小説家になろうで読んでいる。
また高校になると2chのSSスレも読み漁るようになる。エヴァンゲルの二次創作、俺ガイルの二次創作、とらドラ!の二次創作など、様々なSSを読んだ。
げんふうけい、そう、三秋縋先生だ。
だったりが最初だった気がする。
結構な作品が削除され読めなくなってしまったが、本当に素敵な作品が多かった。
家庭教師のお兄さんと女子生徒の話も好きだった。もしかしたら内容は違うかもしれないけど。
その2人のキャラで好きなやり取りがあった。
女性生徒が「気持ちも荷物も受け取られた私はどうすれば良いんですか」と返す。
みたいなやり取りだった気がする。
その会話のやり取りが、とても好きだった。
他にも人生とは何かを問われた時だかのやり取りがあった。
男性が答える。
足を片方出す。バランスが悪くなり、もう片方の足を前に出す。そしたらまたバランスが悪くなり逆の足を前に出す。すると足はどんどん前に進んでいく。そんなもんだ。
という様なニュアンスだった気がする。
いかんせん、十数年前の記憶を掘り起こしているだけだから、かなり曖昧だ。
しかし、げんふうけいさんが書くSSよりも刺さる作品には出会えなかった。
そうして、高校3年間の青春は、少しのモバゲー小説と小説家になろう、2chのSSで幕を閉じた。
大学に進学すると、ある変化が起きる。
それなりに話す様になった人が、本が好きだと、伊坂幸太郎が好きだと言っていたことがきっかけだった。
仲良くなりたかった私はその足で本屋に向かい、伊坂幸太郎さんの「オー!ファーザー」を買って帰り、その日中に読み終えた。
面白くて、デビュー作の「オーデュボンの祈り」を買って読んだ。
どハマりした。
過去類を見ないほどにどハマりした。
バイトをして、当時出ていた伊坂幸太郎さんの小説を全て買って読んだ。
それ以降私は文庫本を読む様になった。
もちろん、げんふけいさんが三秋縋さんとしてデビューしたら、「スターティングオーヴァー」「三日間の幸福」も買った。
小説家になろうを読む頻度は下がったが、それでもネット小説は読み続けていた。
寝る前にベッドで読めるというのは強かった。
無職転生が完結した時は言葉にできない充実感が心を満たした。あの満足感は連載当初から完結まで追い続けたからこそ得られたものなのだろうか。
そう、住野よるさんのデビュー作「君の膵臓をたべたい」である。
当時は夜野やすみさんという名義ではあったが、あの作品に出会った時の衝撃は凄かった。
小説家になろうにこんなハイクオリティの文芸小説があるのかと驚いた。
少しすると、書籍化するとのことで削除されてしまったが、発売日に新宿の紀伊國屋に行き、買ったのを今でも覚えている。
この頃からまたネット小説を読むようになった。ランキングを漁って、たくさん読んで、良い作品を見つけた時は言いようのない気持ちになった。
サービス開始が2016年2月29日だったから、ほぼ古参かもしれない。
当時はまだ作品が少なくて、結局使っていたのは小説家になろうだったけど。
このぐらいの頃に、所謂なろう系小説よりも文芸寄りの作品をネットでも好んで読むようになった。
探してみると良質な作品が沢山あって、ひたすら読み漁った。大学卒業する頃には230作品ぐらいを読み終えていた。
今思い出したけど、無職転生が書籍化する時の広告で印象に残っているのがあった。
リゼロと無職転生を並べて『覇者か問題児か』って煽りの広告があったと思うんだけど、あれどこだったっけ。
作品じゃなくて、ランキングとか作者のTwitterとかでその煽り使ってるのが、本当に詳しい人なんだなって思えて、なんとなく好きで、たまに思い出す。
詳しいこと知ってる人がいたら教えてください。
証券会社の営業は、私が想像するよりも忙しく、本を読む余裕がなくなった。
今まで本の文字を追っていた目は、日経新聞の文字を追う様になっていた。
ネット小説を読むために使っていたスマホは、金融機関が出すレポートを読むために使われる様になっていた。
2年も経つとある程度仕事のやり方が分かるようになり、読書や漫画、アニメ鑑賞に時間が割けるようになった。
小説家になろうで読んでいた作品がどんどんアニメ化されていたことに驚いたのもこの時だった。
久々に本屋に行けば、小説家になろうの作品がたくさん出版されていた。
知らないうちに伊坂幸太郎さんの新作は何冊も出ていた。三秋縋さんの新作も、住野よるさんの新作も出ていた。
あんなに好きだったのに、全く知らなかった。
毎日情報を追い、時代の最先端に自分がいると思っていた。なのに、いつの間にか、時代に残されていた。
気付けば無職転生が累計ランキング1位じゃなくなっていた。グルメ系、ほのぼの系の作品が流行っていた。追放系の作品が流行っていた。悪役令嬢系が流行っていた。
この時ぐらいに人生初の恋人ができて、小説を読む時間はそんなに取れなくて、ネット小説は合間に読めたけど、一般文芸作品は読めなかった。
それでもまた小説の世界に入ることができたのは、なんとなく嬉しかった。
大体この頃ぐらいから、二次創作作品にもハマるようになって、ハーメルンというサイトで小説を読むようになった。
恋人と見たアニメで面白いのがあれば、それの二次創作小説を読んだりとかね。
ヒロアカとか呪術廻戦とか、ワンピースとかハンターハンターとか王道なものから、ヒカルの碁とかポケモンなどの二次創作も色々と読んだ。
一次創作にはない楽しさがあって、昔読んだ2chのSSを思い出した。
コロナを機にアニメ作品が世間に浸透していった。それ以前からその傾向はあった気がするけど、コロナの影響は大きいらしかった。
アニメなんて興味なさそうな上司が、鬼滅の刃を見たって聞いた時は正直驚いた。株価と数字にしか興味がないと思っていたから。
コロナの次の年、異動することになった。
環境が変わるのは嫌いじゃなかった。元々親が転勤族で転校を繰り返していた影響もあるのかもしれない。環境が変わる時はワクワクの方が強かった。
結論から言ってしまうと、異動先はあまり良くなかった。筆頭セールスと課長の2人と馬が合わなかったのか、とりあえず相性が良くなかった。どれだけ数字を上げても、数字をやっていない人よりも詰められるようになった。
小説を読んでいる時だけ、現実を忘れられて心を保つことができた。
それはいきなりのことだった。いや、いきなりでもないのかもしれない。2時間ぐらい立ちっぱなしで謎の説教を聞かされた次の日だったと思う。
小説を読んでも内容が頭に入らないようになった。
いつもなら頭に浮かび上がる情景が、シーンが、何も浮かんでこない。
そんなことが起きるようになった。
仕事を頑張ろうと意気込んでいた時だ。
車で営業先に行っている途中に、なぜか涙が勝手に出るようになった。
何もしていないのに、通勤電車に乗るだけで動悸が激しくなった。
適応障害と診断された。
正直、どうしてそうなったのか今でも分からない。
いつの間にかそうなっていた。
何をすれば良いのか分からず、とりあえずいつものように本を読んでみた。
やっぱり何も理解できないままページだけが進んでいく。目が滑ってしまい何も分からない。
それが一番の苦痛だった。
この時のことはあまり覚えてない。
だけど、2〜3ヶ月もすると、ちゃんと小説を読めるようになった。
それに気付いたのは、オーデュボンの祈りを読み返すようになってからだった。
読めなくてもとりあえず読み続けていて、いつの間にか読めるようになっていた。
元々そっちの方が適性が高かったらしく、次の部署では大変仕事がやりやすく、評価も高いものが得られた。
ここ数年は二次創作とオリジナル作品を半々ぐらいの割合で読むようになった。
今もハーメルンと小説家になろうをメインに小説を読み続けている。
だいぶ話が逸れてしまったが、読書遍歴としてはこれで良いのだろうか。
良くはないよな。
現時点だと小説家になろう、カクヨム、ハーメルンで累計1200作品を読み終えた。
連載が続いているもの、エラッタになってしまったものもあるが、それのタイトル全てを載せるのは現実的ではないと諦める。
書いてみて思うが、散文にも程がある。
どうやら私には文章を書く才能はないらしい。
これだけ本を読んでも文章力は身につかないようだ。
やはり、書き続けないといけないな。
もうおっさんの歳だが、読むだけじゃなく、何かを書くという趣味を始めても良いかもしれない。
うわ!
来たわね6月。
私が公言したこと実行すべくうわ何もやってなーいって事態にならないように、
ちょっとちゃんと本気を出さなくちゃって事をまたここで公言しておいた方が
実行に移せることがあると思うのでしっかりしないとね。
ああ、
そんで6月はイベント目白押しというか1つ私これ気になっていることがあって
例のあれよあれ。
NIKKEとステラーブレイドのコラボ企画いよいよ発動間近のマジか!って感じのところで、
これが既にワクワクしない?
同なるのかの展開を楽しみにしすぎて私ションテンが爆上がりの今からそれを抑えつつ、
だって考えすぎちゃって、
楽しみにしすぎちゃって、
そうするってーと
だからここは無の境地になって、
無になって構えている方が、
ああNIKKEとステラーブレイドのコラボ企画今日から始まってたのね。
ってもの凄く開始日を気にしているのに、
気にしてない体裁を保ちつつ、
気付かないうちに始まってたんだーって装いの顔で迎えたいの。
もうさ、
ステラーブレイドのイヴがNIKKEにやってこないと他のニケが強く強化できなくて
早く来ないと舞台全体のパフォーマンスにももの凄く影響あんのよね!
おかげで、
あと、
私が何が他楽しみかって言うと、
もちろんイヴもやってくるのが一番だけれど、
NIKKEの世界を通じてステラーブレイドの世界をより深く知るため!ってことなの。
だからコラボストーリーのテキスト1行1行も見逃さずにしかと刮目しないといけないの。
なので、
もしかしたらその時の生配信のときにストーリーの絡みの話が聞けたらもの凄く嬉しいわよね!
あと、
簡単に手放しでNIKKEにステラーブレイドのイヴがやってくる!ってありがちだけど、
ステラーブレイドの作中でどの時点のイヴがやってくるかってことも、
意外とそれ一番重要なのよね。
最初イヴって自分を人間だと思いつつ実は作られた存在だと言うことに気付き始めるストーリーなんだけど、
そのポイントポイントでどのタイミングでNIKKEの世界にやってくるのか?
ここでもまた大きな解釈が得られると思うのよね。
その中のステラーブレイドのなかではだんだんと自分は創られたものだと言うことを明かされるの。
そうすると、
NIKKEのニケ側から見たら
「あなたって普通の人間じゃないわよ」ってさらりと言われちゃうのか?
ここはそっとして置いて真実はニケ達も言わない展開か。
どちらかになるとは思うんだけど、
そんでニケだけだったらいいけれど、
ステラーブレイドの世界の中ではすでに滅びた存在で歴史の中で優木まおみさん
いや違ったわ、
「有機人間」として歴史上に昔存在していたものとして描かれているのよね。
だから実在の有機人間つまり人間をイヴが見てどう思うのか?って
そうなると、
彼は人間だけれど、
今思ったら人間だともアンドロエイドスだとも自分で名乗っていなかったのよね。
私思うんだけど、
これもステラーブレイドの作中での言及はマザースフィアを創った技術者ってことしかないんだけど、
でもそれその技術を築いたのはかなり昔なのよね。
アダムはエンディングにどのエンディングになってもアダムはいなくなっちゃうから、
最初から自分が消える覚悟で挑んだ特製のクローンだったのかも?って推測できるのよ。
まあ話それちゃったけれど、
いや単純に交えられずに複雑な事情があるのよね。
だからそれを解き明かす何かヒントを言ってくれるかも知れない、
でもその謎を解き明かすのが生配信ありきな前提でも困るので、
ここはそれらもコラボ企画のストーリーに含めて欲しいところよ。
だぶん私が思っている以上に深くてもしかしたら悲しいストーリーになるかもしれない覚悟は出来ているわ。
意外ともう何もかも忘れて
お祭り騒ぎみたいにイヴがやって来て暴れまくるってだけだったりして。
いやそれはまさかないわよね。
私が期待しちゃってるところは
NIKKEとステラーブレイドの世界のお話が混じり合ってより複雑なものになるのかなーってことなの。
他のコラボ企画って私は最近近々ではエヴァのコラボしかみたことないので、
それはある程度なんかファンタジーで収められる、
なんか知らないうちにNIKKEの世界に来ちゃった!ラスボス倒せばもとの世界に帰れるチャンスよ!ってファンタジーで丸く包めるけれど、
そうはいかないのは今回楽しみに待って待ち望んでいる
ただの賑やかしだけで終わるはずはないわよね。
それにやっぱり気になるのはストーリーの交差ももちろんだけど、
アーク最高技術のニケと奇しくもマザースフィアの最高傑作である空地部隊のイヴとで
どちらが火力が強いのか!ってところも見どころなのよね。
いやその後でも頑張って一緒にNIKKEの世界で戦いたいのよね。
でもさ、
ちょっと思い出して悲しいのが、
鈴原サクラちゃんと葛城ミサトさんが一応ニケとして部隊に向かい入れたんだけど
他のアスカとか綾波レイとかのコラボ企画主力のキャラはガチャ引かなかったから、
コラボ企画終わってなんだか
鈴原サクラちゃんと葛城ミサトさんがNIKKEの世界に取り残された感じになっちゃってるのよね。
それを思うとちょっと気の毒でさ。
一概には手放しでは喜べない悲しさよね。
ほかのリリーとかタキとかもプレイアブルだったら嬉しいと思わない?
気持ちを抑えて静観して
始まるのを鼻血が出ない程度にションテン爆上がりで待っていたいわ。
1年以上待ったんじゃないかしら?
もうじきなのよ!
やっぱり鼻血が出ちゃいそうね。
うふふ。
一度食べてから味付き海苔の美味しさと明太子のパンチの効いたコンビネーションが気に入っちゃったわ!
いい感じよ。
そんで鮭も一緒におにぎり買ったら、
それは逆に味のついてない海苔で、
ちょっと拍子抜けちゃったわ。
昨日煮出して作っておいたルイボスティーウォーラーがあるので、
たくさんあって朝飲んできたのはもちろん、
なんだか、
暑くなったり肌寒かったりと
変だけどこの気温の変化に要注意して
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!