はてなキーワード:さらだとは
私も同じような感じだった。お前ほんとうに鬱なん?甘えてるだけなんじゃ?つか鬱だったら家庭維持の努力一切しなくていいの?お荷物やん
で、どうしたかっていうと
病院についてった
んで一緒に診察室入って、診察後に先生と2人きりりで話させてください!って言って全部ぶちまけた
あれが本当にうつなの?甘えてるだけじゃないの?家だと元気なんですけど!って
先生は忙しいだろうに私の話をしっかり聞いてくれて、ちゃんとアドバイスをくれた
そのアドバイスを聞いてからは少しずつ当人に対する対応が分かった気がする
ちなみに事後に看護婦さんに言われたんだが、事前に家族が先生と話したいって言っとくと時間をあけといてくれるらしいので、その方がいいかもしれない。
そもそもさ、「生物学的に間違い!」って言うやつって、生物学の本質わかってないよな。
生物学ってのは、あくまで現実を説明するための理論であって、理論が絶対正しいわけじゃないんだよ。
現実と理論が食い違うなら、間違ってるのは理論の方だろって話。
でも、知識をかじっただけのやつって、この考え方が抜け落ちてるんだよな。
「俺が読んだ本にはこう書いてあったから、これが正しい!」ってなる。
いやいや、理論は現実を説明するためのものなんだから、もし現実と違ってたら理論を見直すのが普通だろ。
でも、こういうやつは理論を盲信してて、現実の方を否定しようとするんだよ。
例えば、「オスはこう、メスはこう!」みたいな固定観念を生物学っぽい言葉で語るやついるけど、実際の生物界ってそんな単純じゃない。
オスが子育てする生き物もいれば、メスがオスを食う生き物もいるし、人間みたいに社会的な影響を受ける生き物ならなおさらだろ。
でも、自分の主張に都合のいい説だけ持ち出して、「ほら!生物学的に正しい!」ってドヤるんだよな。
本当に生物学を理解してるなら、「理論と現実が合わなかったら、理論を修正しなきゃいけない」ってわかるはずなんだよ。
でも、学んでないやつほど、理論を盾にして現実を否定したがる。
だから、「生物学的に間違い!」って断言するやつを見かけたら、一回「こいつ、本当に生物学わかってんのか?」って疑ってみた方がいいぞ。
おれの家の隣が駐車場なんだけど。
きょう一日ずっと、そっちの方から妙な音がするなと思って見に行ったら、駐車場とうちを仕切る塀に沿って、フラワーロックが20体ぐらいずらっと並んでた。
このフラワーロックが周りの車の音とかを拾って踊ってたのか…と納得したもののフラワーロックの存在自体は謎のままだったので、一体抱えて駐車場の地主の爺さんの家(うちから駐車場を挟んだところ)に行った。
呼び鈴慣らして爺さんが出てきたところで、でもどうせ何かのイタズラだろうしこの人に聞いてもどうせ分かんねえだろうな…と後悔しつつ、
あの~、なんか知らないですけど~、こんなものが~…
「うるさい!」
と一喝。
やっべ、ワケわかんないこと言って怒らせちゃったと思ってたら続けて、
「うるさいから置いた!」
え?あんたが置いたの?
よくよく聞いてみたら、どうもフラワーロックが音に反応するというのを「音を吸収する」ものと勘違いしてたらしい。それで、駐車場の騒音対策として置いたということだった。
分かってみればバカバカしい真相だが、おれは地主を笑う気にはなれなかった。
うちの近所は妙に治安が悪いせいで、例の駐車場も半グレとか暴走族とか不良中年とかが無断で停めることも多く、特に夜はうるさくなりがちだった。おれも長年騒音に悩まされてきたし、眠りの浅い老人ならなおさらだろう。
おれがフラワーロックの正しい機能を説明すると、爺さんは先ほどの噛みつきそうな勢いから一転して哀れなほどシュンとなり、頭をさげてきた。
フラワーロックは無駄だったかもしれないが、こんな善良な老人を苦しめる騒音はなんとかして解決しなければならない。
たとえば、フラワーロックの代わりに、俺が騒音に反応してダンスを踊ったらどうだろう?半グレどもは恐れをなして逃げ去って行くのではないか?
そんなことを考えながら、おれは地主の家を後にした。
「最初はただ可愛いだけのキャラが、リアルと同じ厳しい環境で頑張るマンガになった。なぜ?」
今さらだけど答える
売れる前の絵描きってのはそれはもう可愛らしく売れるための絵を書くわけだ、まだまだ夢も見てる段階
売れっ子になった後はどうなるか?仕事が数倍になって押し寄せてくるわけ
そういう過程を察して書いたわけだけど、実際どんな心境でやってるかは俺だって当然知らない
「キャンディークッキーチョコレート」は、はろける氏が投稿した楽曲だ。サムネイルには、「メズマライザー/サツキ」のmvを担当されたchannelさんの画風に寄せたイラストで、初音ミクと重音テトが描かれている。
https://youtu.be/bI3542HJRzY?si=gUuWeHvO_b5JqV5P
私はこの曲を、愛のこもったラブレターだと受け取った。
自分の「好き」に真っ直ぐ向き合って、できる限りの敬意と愛情をこめて作られた楽曲だと思った。
MVにはchannelさんと思われるキャラクターが登場する。
YouTubeでは、1000万再生記念として、MVの最後のヒントとタイトルを照らし合わせると「channel」という文字が浮かび上がる仕掛けが追加された。
歌詞もまた、その人への想いを、何かの形で託しているように感じられる。
「これがラブレターじゃないなら、一体なんなんだ」と思わずにはいられなかった。
だからこそ、この楽曲を「パクリ」「便乗」とだけ切り捨てるのは、あまりにも勿体ない。
そんな中、あるツイートを目にした。
https://x.com/mikage_togaoka/status/1918957225084698886?s=46
仮に、まっさらな気持ちで見て、そのうえでの感想だというなら、私がとやかく言えることではない。
でも、どうしてもそうは見えなかった。だから少しだけ、言葉を重ねさせてほしい。
お願いだから、何かを評価するときには、まず「フラットな状態」をつくってほしい。
否定でも肯定でもなく、「こういう作品がある」とただ捉えてみる時間を持ってほしい。
「この曲には、自分には想像できない善意や、信条が込められているかもしれない」
そう前置きするだけで、受け取り方は変わってくると思うのだ。
そしてもうひとつ。「批判的に論じる勇気を持ってほしい」という言葉があるけれど、それをそのまま信じてしまう前に、立ち止まって考えてほしい。
ボカロを聴いている多くの人たちは、まだ学生だと聞く。Xで大きな影響力を持つリスナーの中にも、未成年は多い。
感情やバイアスの存在を知らず、自分の「好き」や「嫌い」がすべてだと信じてしまう年頃だと思う。
だけど、そんな君たちが「批判的に論じる勇気」なんて持ってしまったら、それは時に大きな「正義」の形をとって、人を深く傷つける凶器になってしまうこともある。
称賛も、批判も、驚くほどまっすぐに届く。
称賛の声が千あったとしても、たったひとつの批判が、ずっと心に残ってしまうことがある。
それが、クリエイターが何より大事にしている部分に触れた言葉だったら、なおさらだ。
最近では、Xの仕様変更で、ブロックしていても相手のポストが見えてしまうようになった。
自分自身の名前でエゴサをすれば、たやすく悪口にも辿り着けてしまう。
だからこそ、自分がまだ「子ども」であることを自覚して、インターネットを楽しんでほしい。
誰かの想いを壊すためじゃなくて、誰かの想いに出会うために。
ニーアオートマタ!
ふとそういやニーア遊んでない辛いセーブポイントまで到達できない巨大ノコギリボスを倒せなくて、
そんな感じを何度も何度も繰り返していた感じだったんだけど
ついに!
私やったわ!
いや、
到達と行ってもそこまでに至るまでの序盤の序盤のストーリーもいいところ、
すでに泣いちゃいそうだったわ。
1体でも苦戦してるのに、
え?あと2体もでてくんの?
これもう無理っぽくね?ってなって
泣きそうだったわ。
えーん!
しかもこの展開、
『ステラーブレイド』の最初の最初の地球降下作戦でタキとイヴが敵に挑んでタキがやられる展開をも彷彿させるぐらい、
すごいやっぱりどえらい影響をニーアはステラーブレイドに与えているんだわ!って
もうこの時点で分かっちゃう感じで、
えーん!って泣いちゃいそう。
そんで、
次の場面ではいよいよ本編が始まるのね!ってところで私はタイムアップで次にお楽しみは取っておきましょう!ってところで中断。
いや、
逆にセーブポイントまで行けたところでセーブしてホッと一息って感じ。
でもこれ到達できてやったー!感があって
これから先が思いやられるわ。
いちいち涙なくしてはーって展開なの?
これまた私もしかしてどえらいものに取り組もうとしてない?って、
そんな気配を感じるの。
え?なにこれ!って凄い絶望感!
あのシーンが目に焼き付いているわ。
ちょっと怖いんだけど、
これ遙かに凌ぐもしかしたらステラーブレイドよりも凄い世界観なの?
私はこの目で確かめないといけないわ。
ドラゴンクエストIIIもなんかやっと次進むべきところを行ったけれど、
中断中断で1週間に1回いや2週間に1回ぐらいの遊ぶ間隔だと
あれ?次どこに行くの?何をするの?って急に記憶喪失になるの。
一応、
次はどこそこを目指せ!って言われるけれど
今は雑な指示のされ方で「大陸を冒険しよう!」って指示の内容デカくね?って急に行き先を見失った感じ。
私はそっとそうやってドラクエIIIを閉じて
気分転換にニーアでもそうだ久しぶりに遊んでみよう!って勢いだったのよね。
私はニーアはそのぜんぜん進められてない最初のボス戦でやられてはタイトル画面にやられてはタイトル画面にー、
ってそんな戻されまくりまくりすてぃーだった頃を思い出したけど、
なんだかその時は今日はなんか向き合っていけるような気がしたの。
クリア出来るかどうかは分かんなかった自信は無かったけれど。
やっとこさ
感無量だわ。
私はまるでそのゲームがそこでもうエンディングを迎えたぐらいな勢いで、
世界は機械に支配されましたーって出てきてエンドロールを見たぐらいに
え?もう終わっちゃうの?とまたタイトル画面に戻されることを胸に秘めつつ、
ああ、
やっと倒せて
次のシーンに行くことが出来たわ!って
安堵の思い出やっとセーブできたの。
私の知る上で最初のセーブポイントに行くまでこんなに苦労するゲームって初めてだわ。
あとここでもう3回ぐらい同じ事をいっているけれど
うー泣ける泣けるのよ。
こんな始まり方ある?って
まあ次のシーンにはすぐにケロッと戻っているところが、
よくよく考えてみたらでしょうね!って思っちゃうけれどね。
えーん。
こんな序盤でこんな展開を喰らうんだなんて。
ニーアオートマタもコツコツやっていこう!
って今もの凄くやる気が出ているチャンスを逃さないで進めていくってことに取り組みたいわ。
そんで、
ニーアレプリカントってのもあるんでしょ?
やっぱり両作はステラーブレイドを知る上で最も重要な作品だと思うので、
私はそれを乗り越えなければいけないクリアしなければならないのよ。
とりあえず、
ニーアオートマタは最初のセーブポイントにやっと行けてセーブできたことにホッとしたわ。
なんか達成感!
まだまだ始まったばかりだというのにね。
あ!そうそう!
楽しみすぎて高級募集チケット100枚貯め込んだ甲斐があったってわけなのよ!
うふふ。
そのぐらい朝の納豆パワーを得るのは理に適っているってことみたいよね。
私気付いたんだけど
今一番近い近所のマーケットには柑橘系レモンしか売ってないってことを!
今さらだけど、
急いで買いに行けないことに気付いちゃったわ。
そう思ったら急に欲しくなっちゃったけど
なかったので、
苺ウォーラーもいいけれど、
だいぶお値段が高かりしって感じね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ごめん、すごく一部の人を傷つける内容を含むと思うけど、吐き出させてください。
夫は3人兄弟で、義母(つまり夫の母)は5人きょうだい。それぞれのきょうだいにもほぼ3人以上子供がいる。代々子供を多く産む家系らしい。(ちなみに田舎ではなく東京の話)親類同士の仲も良く、年に数度は親族一同で旅行に行くし、何か行事があるときはお互いの家に子供がたくさん泊まりに来たりするような関係。
一方私は一人っ子。親類はそこまで多くなく、仲が悪いわけではないけど、親類が日常的に集まって何かをする、という慣習があまりないまま育った。正月、盆と、冠婚葬祭くらいかな。
だから親族同士の濃密な関係が日常的に続くことにめちゃくちゃ疲弊する。家族だから!! という理由で愛情をもつことが自明とされている感じも、生まれながらにその一員でない身からするとけっこうキツい。
また、基本的に子どもは嫌いじゃないのだが、夫の親類は数が多いせいか全然しつけがなっておらず、食べ方も汚いし、マナーも私の目線から見ると終わっている。もちろん子どもだからしょうがない部分はあるのだが、それを親が咎めたりしないことも信じられない。(私はことさらマナー厨でも潔癖症でもないが、それでもそう感じるほどの悪さ、と言って伝わってほしい)だからか子どもにも可愛さを感じられない。のに、なんと数だけは多いことよ。
だいいち、私は一人っ子であることに何のデメリットも感じずに育ってきた人間なので、そもそもなぜこんなに子どもを作りたいのか、家族の頭数を増やしたいのか理解できない。そして何より、その価値観を一族で共有している理由もわからない。その数の多さゆえに子どもに最低限のしつけやマナーを教え切れてもいないというならなおさらだ。
…この状況を目の当たりにして感じている自分の気持ちを正直に言語化すると、それは「不潔感」ということに尽きる、とあるとき気づいた。
子どもが多い「一家」(一族ではなく)は理解できる。また、そういった家庭で育った個人に出会って嫌悪感を抱くことはない。
けれど、全員子どもが多い一族、その集団そのものに対する嫌悪感、不潔感というのはわたしのなかに確実にある。そして、その渦中に自分が投げ込まれたときにおぼえる負の感情はもう無視できないものになりつつもある。いや、私のかたくなさが悪いってこともわかっているんですが、しかしそれをはっきりと認識してしまった今、もう戻れない気もしてる。
もともと捨て猫だったのを弟が拾ってきたから誕生日は定かではない。でも拾った時生後2ヶ月だったのだから春生まれなのは間違いないし、結局約9年後、桜の開花したその夜に逝ってしまった。ペットロスという言葉を初めて知った時、自分がいかにもかかりそうだなと思ったのを覚えている。正しく今がそう。だからここで気持ちの整理をする。
愛猫は私が大学受験を控えていた時期に来た。可愛い盛りの茶トラのオスで、よく運動会をするし食欲が旺盛だった。子猫の時期が一番ストレスのかかる受験期だったから癒やしにもなったし、無事に志望していなかった格上の大学へ現役合格できたのも愛猫のおかげだ。その後私は入学のため実家を出て、海外留学や別の地方へ就職し、実家の近くに転職したりした。彼は私が社会人になり羽ばたくのを目にしてきたのだ。
当然、両親や弟よりも過ごした時間は短い。だけども、どれだけ長く会えなくても帰宅するといつも出迎えて、ペロペロ舐めてちゅーるをねだろうとくっついてきてくれた。私が仕込んだから餌をもらいたい時はジャンプしてくれた。愛猫に会うためが目的で、転職後頻繁に帰っていた。とても可愛い猫だった。
食欲旺盛過ぎるから、どんな餌だろうと、どんなに多めにご飯をあげても全部食べる猫だったのにだんだん残すようになり、餌も選り好みするようになった。とはいえ今までのように隙あらば人間のご飯を狙っていたし、「年取って考えられるようになったんだね」なんて家族と言っていたのに、今にして思えばそこからもうすでに猫の宿命の腎臓病だった。たまに尿路結石で獣医にかかることはあっても、獣医さんに入院を拒否されるくらいに暴れ回り、怒っていた。
だけども大好きなちゅーるすら受け付けなくなってからはみるみる悪くなっていった。やり過ぎて禿げるくらい好きだった毛繕いもする余裕もないから褒められる毛並みもボソボソ。そうして吐くようになっていった。最初は毛玉、次第に食べないから透明の泡、黄色い胃液、最後には血を吐いていた。あんなに元気に走り回っていた愛猫はぐったりと、立ち上がってもフラフラした状態だった。体重も一時は5キロを越えそうだったのに、3キロ切る手前まで落ちた。獣医さんで慢性腎臓病と診断され、今後の治療方針を決めてなんとかエナジーちゅーるを食べさせていた。
しばらく母に抱っこしてもらっていたが、私も寝る時に抱かせてもらった。いつもはすぐに腕から逃げていくのにいつまでも腕にいる愛猫。そして彼はずっと私の方を見ていた。「もう疲れているだろうから、お目目閉じていいんだよ?」と撫でてやっても見続ける姿に涙が止まらなかった。いつも撫でていたように顎の下を撫でても、いつものように目を細めて上を向いてはくれなかった。辛くなって母の腕に返し、2時間くらいが立って日付が変わった頃だった。尻尾を踏まれて怒った時のような鳴き声で泣いたと思ったら、また血を吐いていた。大好きな母の腕枕から逃れようと奥へ行くも頑張って阻止して、母と私で懸命に呼びかけたものの、天国へ行ってしまったのだ。その後父も駆けつけて箱やタオルを準備し、お別れを言った。滅多に泣かないのでこんなに泣いたのはそれこそ子供の時以来で、頭痛がひどくなった。
その後なんとか眠りにつき、翌朝在宅ワークを始めた。もちろん、仕事中も涙が止まらないからリモート会議中に発言したら上司からすぐに「風邪ひいた?」と聞かれた。確かに鼻が酷かったから、「ああ、花粉…ですかね?」と誤魔化した。スギノキの多い地域だけど、私は花粉症とは無縁なのに。そして、交流のあった保育園の子どもたちが箱の中の愛猫にお別れをしに来てくれた。2歳くらいの子達だから死というものをまだよく知らないのだろう。「またあとでね」なんて言われていたけども、その言葉にハッとさせられた。確かにこのあと虹の橋で再会できるのだから。その後、火葬の日取りも決まり、最後まで付き合った。人間の時も荼毘に付されるのは寂しくて苦手なのに愛猫なんてなおさらだった。骨になった愛猫を見て泣きながら納骨をした。長くて真っ直ぐの自慢のしっぽは先の方まで可愛い骨があったし、肩甲骨も華奢だった。撫でていた顎も可愛らしく思えた。
猫の平均寿命は15歳ほど。だからこんなにお別れが早いとも思わなかったし、まだ折り返しだと思っていた。静かになった実家では、魚料理を食べようとしても邪魔されないことや、戸締りをしっかりしなくても脱走されないことで思い出しては涙が溢れる。ふとした時に愛猫の好きだった場所が目に入るたびにここにいないかなと思う。幸いにも転職先は自陣に申請すると自宅以外でも在宅ができるため、容態が悪くなってすぐに実家で二週間ほど在宅する旨を申請し、それも無事に通ったおかげで愛猫に寄り添えた。心から転職して良かったと思った。
拾ってきた弟も私も、高校生の頃からライフステージは変わったものの、まだ子供はいない。だからきっと九つの魂のうち二つを使って私たちのところへ来てくれることを祈っている。猫は次もまた飼い主に会うために目印として噛んだら引っ掻いたりで傷をつけるという。それなら私は彼が残した引っ掻き傷が鼻に、最後の力で噛まれた傷が指にある。きっとまた巡り会える。
きなこ、たくさんありがとう。私は家から離れていた期間も長かったからしつこくし過ぎたかな?でも、忘れずにいつも出迎えて撫でられ待ちしてくれて嬉しかった。虹の橋の下には会社の人たちが先住猫ちゃんにお願いしたと言ってたから、猫の家族や友達を知らなくてもたくさん友達がいるからね。私はまだまだ行くつもりはないけども、虹の橋を自由に探検して、寝て、気長に待ってるんだよ。大好きだよ。
子供のころはよく遊んでもらった。
10歳年上の姉だったので、小学生の頃はマラソンの練習にも付き合ってもらっていた。
一番上の姉がとげとげしい感じの性格だったので、とりわけ二番目の姉は大好きだった。
姉が都会から帰ってきたときはとても嬉しかった思い出があります。ミスタードーナッツのお土産嬉しかった。
姉が都会に戻るときは泣いたよ。そりゃあもう。
まだ携帯電話も無い時代。姉が連休か何かで都会から戻ってきた時。
家電話を使って誰かと韓国語を喋っていることを聞いたことがあるが、今思えばあれは統一教会の関係者だったのかもしれない。
自分が中学の頃だった、1990年代中盤の頃にはすでに姉がヤバい宗教に入っていた事は家族の中では周知の事実で、でも現代のようにパソコンどころかスマホが普及する前の世界だったので、そもそも何がヤバいのか。どうヤバいのか。どう対処したらよいのかすらわからんかった。
なので、北海道の田舎にある我が家は、札幌から統一教会の脱会をサポートする「ライラックの会」の人を呼んだ。
ライラックの会の人に何を説明されたかすら、今となっては覚えていないが、母親と同席した当時中学生だった私は「都会から来たわけわからん奴」っていう理由で、相手のことをひどく疑っていたし、事実私の意見が決定的となり、その人には丁重にお帰り頂いたと記憶している。
今の時代であれば、スマホで団体のWebサイトを調べるなり、SNSを調べるなりバックグラウンド調査を出来たはずだが、当時はそれも無理だった。
ある時、姉が結婚相手を連れてきた。キムさんだったかな。詳しくは覚えていないが韓国系の男性だったことは覚えている。顔はうっすらとしか覚えていない。
狭い町営住宅のリビングに姉、旦那、その向かいに自分、母と座っていた。姉の旦那からは白いセーターをもらった。
姉の旦那は「よろしくお願いします」とかなんとか言っていた。中学生だった自分は「あ、はぁ」みたいな感じだったと思う。
キムさんとは以後一度も会っていない。後にも先にもあの時一度きりである。
親戚づきあいみたいなことすら一度も無い。ただ、まだバカだった自分は「そういう人なんだな~」程度に思っていた。
今ならわかるが、姉の結婚相手は恐らくは合同結婚式で出会った相手なのだろう。
一時期韓国に住んでいた事もあったと記憶しているが、それも今思えば統一教会がらみだったのかもしれない。
その頃の姉は、今よりまだまともだった気がする。完全にPX-0になる前のバーソロミューくまみたいな感じである。
今のようにメディアで騒がれるかなり前から知ってはいたのだが、どう対応したらよいかが分からなかったというのが正直なところ。
対応も何も、全容も良くわからない得体の知れない団体で怖かったし、姉とは何か関りがあるらしいが、我が家にまでは影響は及ぼしていない。
そのため、静観する姿勢を取ったのだと思う。まぁ「何も出来なかった」のが正しい。
ある時、親戚が亡くなった。通夜が終わり火葬場にて、姉の話になった。その時自分はすでに20歳を超えていたはずなので、姉は30を超えていたと思う。
つまりは、姉が統一教会と接点を持ち始めてから10年経つか経たないかの頃じゃないだろうか。
姉が、親戚中に「お金を貸してほしい」と電話をかけているらしい。とのことだった。
大好きな姉だったので、この程度で姉を嫌いになるわけはないのだが「へー、そんなことしてるんだー」とあっけらかんに思った記憶がある。
その後も二番目の姉の問題は家族の中では腫れ物に触るような案件だったように思う。
その後メディアでもこぞって統一教会のことを取り上げるようになったのだが、これは意外だった。
なぜならこれまで統一教会のことを取り上げることなぞ全く無かったからだ。
止まっていた時計が進み始めた気がした。
鈴木エイトさんなどが、ワイドショーで毎日のように統一教会を追及をしている時、「このまま統一教会ぶっ倒れろ、ざまぁぁああああああ」と思っていた。
姉をめちゃくちゃにした統一教会をついに動かすことが出来たかもしれないからだ。
中学の時、突然目の前に現れた巨大な団体。でもどう対処してよいかわからずこれまで生きてきたが、ついに彼らを白日の下にさらすことが出来る。そんな気分だった。いいぞもっとやれ。
毎日そう思っていた。
表向きは「安倍首相が亡くなったんだね。悲しいね」という感じを取り繕っていたが、内心は「いいぞもっとやれ」一択だった。
実際母親も同じ意見だった。母親は姉が統一教会に入ったことを長年責めていたので、なおさらだったのかもしれない。
実はそのころ、兄弟3人で作ったグループLINEが存在していた。何かのタイミングでわたし発案でつくったものだ。二番目の姉とテキスト上ではあるが話が出来てとても嬉しかった。
兄弟3人は割と仲良しなので深い話をするのかと思いきや、お互い二番目の姉に気を遣うような発言ばかりが続きそれは一番上の姉も同じだった。
わたしは調子に乗って、二番目の姉に対して「お姉ちゃん、お母さんも心配してるよ。体に元気でね(詳細忘れた)」みたいなことを送ったと思う。明らかに山上事件を意識してのメッセージだった。
姉はそれに反応し「しばらくグループから出ます」とだけ言い残し、グループを退出してしまった。以後、それから二番目の姉とはちゃんとコンタクトは取れていない。
連絡先はつながっているので、ちょこちょこ連絡はするものの、何かと用事をつけて会うことを断られるのでもしかするともう会えないのかもしれないとは思っている。
この結果は姉にとってはどう影響するのだろうか。
アイデンティティを失うのだろうか。
仕事命のオジサンが退職と同時に急激に老化が進むのと同じように、姉にとってはおそらくは心の拠り所となっていたはずの統一教会。
それが解散となると姉の心はいったいどこに行くのだろうか。心にぽっかり穴が空いて自死でもしちゃうんだろうか。
姉は今は50代前半である。
立派に子供を育てている話も聞いている。たぶんその子たちは二世信者なのかもしれないが。
我々の人生がこのような運命を辿ることになってしまった理由の一因には、間違いなく統一教会の存在があるが「そんな状況を作り出した統一教会がとても憎い!」 というような気持ちは実は全く無い。
姉の人生の目の前には統一教会があり、わたしの目の前には統一教会が無かった。ただそれだけの話だったのだと思う。
そのため、教会の行く末には全く興味が無い。消えてなくなろうと、どうなろうと知ったこっちゃ無い。