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2025-10-25

がっかりドッグこそ至高のスタメシ

ああ、等々力競技場。その名は、Jリーグファンにとってある種の聖地であり、また、アウェイサポーターにとっては試練の場でもある。 中でも、ホーム側の熱狂的な応援に比べ、アウェイ側の静けさと、そして——あの「がっかりドッグ」の存在は、ある種の伝説となっていた。

物語は、等々力競技場のゴール裏アウェイスタンドの、日陰の片隅から始まる。

主人公は、増田首都圏から遠く離れた街をホームとするJ1クラブの熱心なサポーターだ。等々力での試合は、年に一度の大遠征。朝早くから新幹線に飛び乗り、高揚感と少しの緊張を抱えながら競技場にたどり着いた。

しかし、アウェイ側のグルメブースはいつも寂しい。ホーム側が華やかなケータリングカーで賑わうのに対し、アウェイ側はひっそりとした売店が一つ。そこで売られている「ホットドッグ」は、サポーターの間でいつしかがっかりドッグ」と呼ばれていた。

その名の通り、フランクフルトは細く、パンは水分が抜けて少しパサつき、キャベツの千切りとケチャップマスタード申し訳程度にかかっている。シンプル、というよりは、簡素

「今年も来たかがっかりドッグ…」

増田はため息をつきながら、500円玉差し出した。 売り子の女性は、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔ドッグを渡してくれた。

それが、アヤとの出会いだった。

アヤは、その売店で働く、短大生のアルバイト彼女ホームであるフロンターレサポーターではない。ただ、近所に住んでいるという理由で、週末の試合のたびにこの「アウェイ売店」に立っていた。

「あの…いつも、ありがとうございます」 アヤは、申し訳なさそうに言った。

増田:「いや、こちらこそ。でも、このドッグ…本当に名前の通り『がっかり』ですよね。ホーム側はすごく美味しそうなのに。」

アヤは少し肩を落とし、苦笑いをした。 アヤ:「知ってます。私も正直、そう思います。でも、ここはアウェイ側ですから。お店の人も、『遠くから来た人たちに、最低限のエネルギーを』って言ってて…華やかさよりシンプルさを追求してるんです、一応。」

増田は、彼女の真面目な受け答えに、少し意地悪な気持ちになった。増田:「最低限のエネルギー、ですか。でも、このパサパサのパンと細いソーセージ…これを食べたら、逆に力が抜ける気がしますけどね。」

アヤは、増田の鋭い言葉にひるむことなく、逆にまっすぐ彼の目を見つめた。 アヤ:「それでも、遠くから来て、ホームの熱気に圧倒されながら応援する皆さんの姿を見ていると…このドッグが、少しでも心の支えになればって、いつも思ってるんです。」

その瞬間、増田の胸に、今まで感じたことのない何かがこみ上げてきた。 それは、試合勝敗とは無関係の、一種の切なさ、そして、共感だった。

がっかりドッグ。それは、華やかさとは無縁の、アウェイサポーター孤独と、ちょっとした惨めさを象徴しているかのようだった。しかし、その簡素さが、かえって彼らの純粋な「応援」の原点に立ち返らせる。

増田は、ベンチに戻り、ドッグ一口食べた。 パサつくパン、細いソーセージ…だが、ケチャップの味が、いつになく甘く感じられた。

それ以来、増田等々力での試合を心待ちにするようになった。がっかりドッグを食べることが、彼のルーティンになった。

増田:「…やっぱり、がっかりドッグですね」 アヤ:「…はい

そんなやり取りが、年に一度、二度、繰り返された。 いつしか増田はアヤに、自分のチームのこと、遠征の苦労、そして何よりも「がっかりドッグ」への複雑な感情を話すようになっていった。

増田:「初めて食べたときは、本当にがっかりしました。でも、今は…このドッグこそ、俺たちの等々力での勲章みたいに思えてきたんです。ホーム側の豪華なグルメは、俺たちには関係ない。この寂しさが、俺たちの闘志を燃やす。」

アヤは、そんな増田言葉を、静かに受け止めていた。彼女眼差しは、ただのアルバイトのそれではなく、アウェイ側の厳しい環境理解を示す、一人の人間としての温かさがあった。

やがて、二人は連絡先を交換し、試合のない日もメッセージを交わすようになった。 アヤは増田に、「今度、等々力ホームグルメ、一緒に食べませんか?」と誘った。

増田:「いや、それは遠慮します。俺が食べるべきは、がっかりドッグですから。でも、もし良かったら…試合がない日に、君が『がっかりドッグ』を作ってくれないか?」

アヤは笑った。心からの、明るい笑顔だった。 アヤ:「いいですよ。とびきりがっかりな、最高のホットドッグを。」

そして、次の等々力での試合の日。増田は、再びアウェイ側の売店に立った。

増田:「がっかりドッグ、一つ」 アヤ:「はい今日のは、特別に力を抜いて作りました

アヤは、彼にドッグ差し出す際、そっと付け加えた。 アヤ:「ねえ、増田さん。このがっかりドッグ、食べ終わったら、少しだけ、私に時間をくれませんか?その…競技場を出たところで待っています。」

増田心臓が、ゴールが決まったときよりも激しく高鳴った。 彼はドッグを掴み、その場で一口、大きくかぶりついた。

パサパサのパン。細いソーセージ申し訳程度のキャベツしかし、その簡素さの中に、二人の間で育まれた、誰にも理解できない、純粋で、ひたむきな「愛情」の味がした。

増田確信した。 この「がっかりドッグ」こそ、等々力競技場がアウェイサポーターに贈る、最高の、そして一番の「ご馳走」なのだと。

そして、増田は、スタンド喧騒を背に、最高のエネルギーを胸に、アヤの待つ競技場の外へと歩き出した。彼の手に残ったのは、最後ケチャップの甘い名残と、新しい未来への期待だった。

Permalink |記事への反応(0) | 08:17

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2025-10-22

anond:20251022141630

甘いと言ってもまだ塩分強い具材が多いから耐えれるというか好き

辛子沢山つけるけど

水炊きポン酢の酸っぱさより全然わかる 酢の物で飯を食うのはしんどい

から柚子胡椒とかが流行ったのかもだ

Permalink |記事への反応(0) | 14:35

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2025-10-21

ディスプレイ輝度って

室内の明るさより少し暗い方が目にいい?

Permalink |記事への反応(1) | 17:28

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2025-10-14

対戦ゲームは人を減らす

局長続きするゲームって、ストーリー方面に舵を切った方がいい気がする。

ポケモンGOとかパズドラモンストはもう別次元として、それ以外のゲームは対人に力入れると人が減る一方だからストーリーとかエロいキャラかに力入れる方がいいんだと思う。

ウマ娘セルラン減ってきてるのも、サイゲ十八番である対人押し出しのせいだと思う。普通にストーリーメインで、時々プレイヤーで共同で行うレイドとかを入れてるだけなら、今も首位を独走してただろうと思う。それは学マスがウマ娘に肉薄してきてるので実証済み。

短期的な売り上げで見るとユーザーを競わせる対人が便利だけど、長期で見るとただただ人が減るだけ。

 

人間って勝てた時の嬉しさよりも負けた時のフラストレーションの方が強いから、対人ゲーム化を進めすぎると、少なくとも1対1で負けた側のモチベが下がり、でも勝った側のモチベはそこまで上がらず、で結果±でいうとマイナスに傾く。

ウマ娘さらにチャンミで3人中1人しか勝てないから、こんなのユーザーが減るしかないのは誰の目にも明らか。なんでこの仕様にしたのかチャンミ実装当時から不思議で仕方がなかった。

結局ネット環境での対人仕様自体が人を減らす仕組みになってる。

Permalink |記事への反応(4) | 16:06

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2025-10-12

anond:20251012202212

うけけけけけけけけけ。

タカイチョはついに決断した。外交舞台で「倍返し」ばかり叫んでいては飽き足らぬ、実行あるのみだと。

彼の頭の中には、大きな地図と小さなゴムボート模型がころがっている。

「先制だ! 先制の精神こそ我が国の花だ!」と叫び、補佐官たちはひれ伏してメモを取った(誰も逆らわないのがこれまた便利だ)。

だが戦術は斬新すぎた。

海辺にはゴムボートが並び、その中に押し込められたのは、重労働で痩せ細った国民たちである

義勇軍だ! 竹槍を持て!」と号令がかかる。竹槍は町内会の余り物、義勇軍制服は古いエプロン

ゴムボートはふにゃりと鳴り、出航の笛が鳴る。群衆の中で、少年カモノハシは目を見開く。母の肩は骨ばっている。

向かう先は架空のC国。国際舞台では眉をひそめる声が上がるであろうことなど、タカイチョは気にも留めない。

外交圧力? くくく、屈するものか。倍返しだ!」と、出航する人々に向かってもう一度叫ぶ。

夜の海に小さなゴムボートがぽつぽつと浮かぶ様は、まるで貧弱な灯りの行列のようだ。だが灯りは虚しく、波はつぶやく。「これは戦争か、それとも見世物か」と。

SS将校は軍帽を斜めにかぶり、ビデオを回している。

「これを見よ、我が国勇気!」と大声で説明するが、カメラの中の映像は誰のための見世物か分からない。

ゴムボートの中では、ある男が小さな紙飛行機を作り、それをそっと海に放った。紙飛行機は風に乗り、SS帽子ひらりと当たって落ちる。帽子を拾った将校は一瞬考え込み、そして顔をしかめる。うけけけけけけ。

国際的な反応は物語の別章で語られるだろうが、ここでは民衆目線物語の中心だ。

義勇軍として送り出される人々の顔は、勇ましさよりも驚きに満ちている。彼らが持つ竹槍は、強さを示す武器というよりは、かつて祭りで使った棒切れの再利用に近い。

そして海の向こうで何が起きるかは誰にもわからない。だが確かなのは、この行為タカイチョの満足を少しだけ膨らませる一方で、国民疲弊と虚無を深めるだけだということだ。

結局、ゴムボート行列タカイチョの演出の一部として流れ、街ではまた「スマフォ供出デー」や「今川焼き推奨」が予定通り進行する。

子どもたちは岸辺紙飛行機飛ばし、紙は夜風に消える。うけけけけけけけけけ。

Permalink |記事への反応(0) | 20:25

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anond:20251011232843

というか本来なら公明党としても創価学会にしても後継者として育成されていたのが太田昭宏だった。ところがいざ表に出してみたらどうしようもないボンクラだったのが悲劇。イチイチラインから神崎浜四津北側までの貯金を使い果たし山口石井はコバンザメに徹しなきゃならなくなった。

今回連携を続けるべきと斎藤懇願したのが山口じゃなくて太田なのも笑うよな。全ての元凶はお前がバカなせいだろうが。

あと大作の次の秋谷は学会代表としては及第点出しているので秋谷まではなんとかなったと考えるべき。教祖が死んだことすら発表できないPLや幸福の科学悲惨さよりは。

Permalink |記事への反応(0) | 13:43

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2025-10-10

anond:20251009222856

男らしさより愛国心がほしいかなあ

日本全体が政治だけでなくメディアまで極左というか反日売国すぎて気持ち悪いんよ

Permalink |記事への反応(1) | 19:38

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anond:20251009222856

今の時代の男らしさは求められるとは思うけど

今の男らしさが何かわからんけど

まあどっちにしても1人に認められればいいんだから

求められる男らしさより、どんな人が好きかを考えた方が健全だけど

Permalink |記事への反応(1) | 13:26

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2025-10-08

趣味論文を書こうと考えている。

知人が趣味論文を書いている。

そう聞いたとき、私は正直ぎょっとした。

私にとって論文とは、大学四年の冬に締切と戦いながら泣きそうになって書いたあの苦行の象徴だった。ワードフリーズし、参考文献のフォーマットに何度も泣かされた。

ゼミ指導教には「増田君の考察はどこにあるの?」と詰められた記憶が今でもトラウマになっている。だからこそ「論文を書くのは楽しいぞ」と笑顔で言い切る知人には半ば呆れながらも残りの半分は感心した。

それに知人にとって論文とは遊びなのだという。

たとえば中上健次小説を読み解きながら、その語りのリズム身体記憶として分析する。あるいはボルヘスカフカ引用しながら、「言葉という迷宮」の中に潜り込む。

いわば、学問フォーマットを借りた創作だ。彼のノートPCにはMendeleyで管理された文献リストが整然と並び、PDFの余白にはびっしりコメントが書き込まれていた。

引用規則(APA第7版)を完璧に守りながらも内容は完全に趣味。その姿勢が実に格好よかった。

正直少しだけ惹かれた。そしてこの歳になると、少しだけ心を動かされるのは、それだけでも大ごとである認識にするには十分な出来事だった。

先日になって思い立った。俺も久しぶりに書いてみるかと。

テーマは「ゲームSFの相似について(仮)」にしようと思っている。

これは兼ねてから私が疑問に感じていたことであり、同時にゲームSFを愛するが故に気付いた類似点でもあり、概要はこのようなものだ。



SFサイエンス・フィクション)は、時代とともに未知の場所を変えてきた文学である

1950年代宇宙開発黎明期アシモフクラーク代表される黄金期のSF作家たちは未知の惑星や異星文明を、理性と科学の力で征服できる対象として描いた。

宇宙船拡張象徴であり、人間の叡智は宇宙限界を超えると信じられていた。

それは“外”への欲望時代だった。

だが月に人が降り立ち、テクノロジー現実のものとなるとSFの「未知」は急速に萎んでいった。

未知が科学説明できるようになったとき物語が頼るべき“遠く”は消えたのだ。

1970年代ニューウェーブSFが登場する。J・G・バラードフィリップ・K・ディックスタニスワフ・レムらが描いたのはもはや銀河の彼方ではなく、人間記憶感情。夢。そして現実のものの不確かさだった。

宇宙は外にではなく、内に広がっていた。こうしてSFは「科学物語から意識物語」へと変貌する。

この「外から内へ」というベクトルの転換は、

ゲーム歴史にもほぼ同じ構造で現れている。

80年代ファミコン黎明期ゲームは“ルールと制約”の世界だった。プレイヤーピクセルで描かれた小さな空間を右へ進み、敵を倒してスコアを競う。世界は狭いが、明確だった。

90年代以降、3D技術進化とともにゲームは広がり『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『GTA』、『Skyrim』のようにプレイヤー自由世界を歩き回る「外的探求」の時代が到来する。

当時の開発者たちにとって、”より広く”そして”より遠くへ”という命題は、まさにSF黄金期の“外宇宙志向”と同義だったのではないか

しか現代プレイヤーは既に気付いているはずだ。

いくら世界が広くても、そこに面白さはない――と。

 

この“虚無の自由”は、SFが外宇宙の飽和を経験したときとまったく同じ現象である

そこで新しい方向を示したのが、『DEATH STRANDING』『UNDERTALE』『The Last of Us』『NieR:Automata』といった作品群だった。

これらの作品は、プレイヤーに“何をするか”ではなく、“なぜそれをするのか”を問いかける。

行動の自由よりも、感情倫理選択意味を与えようとする。

それはまさしく、ニューウェーブSF宇宙船を捨て、人間の心を航行し始めたのと同じ転換である

かつてのSFが“内宇宙”という新しい宇宙を見つけたように、現代ゲームは広大なオープンワールドから本質的面白さを求められる時代へと転回するべきではないのか。

そこではマップの広さよりも、プレイヤーの罪悪感、葛藤共感といった感情の深さが物語駆動する。

Outer Wilds』のように記憶観測関係プレイヤー自身体験させる作品もあれば、『Disco Elysium』のように思考や信念そのものステータス化する試みもある。

こうした潮流はゲームが単なる娯楽装置を越え、プレイヤー自身観測対象とする“装置としての物語”になりつつあることを示している。

本稿では、SF歴史における「外→内」の転換を参照軸とし、ゲームにおける自由物語主体性の変化を考察する。

その上でプレイヤーいかにして“観測者=創作者”へと変容していくのかを明らかにしたい。

ゲームとは、かつてのSFがそうであったように、人間が“自分という宇宙”を探索するための新たなメディアなのではないか――

そうした仮説のもとに、ここから筆を進めていきたい。


このような内容で進めたいと考えており、感想等もらえれば励みになるのでどうか一言よろしくお願いします。

Permalink |記事への反応(6) | 14:59

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2025-10-07

anond:20251007013825

セックスって別に気持ちいいわけじゃないんだよな

いや気持ちはいいけど、自分気持ちさより相手気持ちよさの方が大事から

自分気持ちよさだけ追求できるオナニーの方が気持ちよさは上

相手気持ち良さそうだとセックスは興奮するし楽しい

あと終わったあと虚しくない

女体に触れることの癒し効果も大きいな

Permalink |記事への反応(1) | 01:55

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2025-10-04

AIが来て。

私は今年から仕事が激減した。

駆け出しのクリエイター職だった。

なかなか表では仕事が減りましたとは言えないけれど、同じような人が沢山いるだろう。

ある程度の地位にいる人達はまだ大丈夫かもしれない。でも、自分は駆け出しだったのでそこには行けなかった。

仕事も徐々に増え、収入も増え、これから…!というタイミングだった。AI来た年はそこまで変化はなかった。そこからしづつ減りはじめ、

ついに今年。丁度みんながもうChatGPTやらAIを使い始めて、慣れたころ。今年。

新規案件が無くなった。

昔は特に夢もなく、何となく生きてきた中で。

事故九死に一生を得て夢や目標を見つけ、邁進してきた。

初めてだった。今まで言われるがまま生きてきた人生だった中で、自分がやりたいと自分意思で初めて頑張れた事だった。

だけどAIがきて、全ての夢が泡になった。

AI来てからの数年、なんとかAIと上手く付き合えないか試行錯誤してきた。

でも使えば使うほど、AIいいんじゃないかという考えが過ぎった。

AIで作ったもの自分作品だと思えればどれだけ良かったか

何度作れどそれはAIしかなく、自分の手で作った作品に対しての感情のそれとは相いれなかった。

使えば使うほど、楽しさよりも罪悪感や虚しさも増えた。自分存在否定されているような気さえした。

ここを割り切れたら、どんなに楽か。

慣れの問題なのか?分からない。

AI自身使っていて正直に言うと楽しいと思う部分もあるにはある。簡単理想の絵や音楽が作れる。動画3Dもそれなりに作れるし、アプリ開発もできる。こんなものが作りたいを実現しやす環境だと思う。

でも、それと同時にAIを使って工夫したとて、それはすぐにかすめ取られてしまうだろうということが容易に想像できる。

何かを作っても、すぐに取られてしまう。

自分という作品が育って、ブランド確立する前に粗製濫造されて見つけにくくなってしまう。

ただでさえ情報の溢れる時代に、自分作品を作ったとして見てもらえる確率は低かった。

その中でAIが来た。もっと難しくなる。

これから私はどう生きるべきか。

絵は趣味でも描くことはあるだろう。

ある意味人生ここに来て初めて大きな自分事としての挫折を味わってる。

このまま手作りにこだわるのか、AI活用した方に進むか。私はもう、分からない。

Permalink |記事への反応(1) | 22:55

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2025-10-03

anond:20190322135744

私もそちら方面に関心があるので分かりますが、増田さんは信教ではなく思想哲学としての仏教素養がおありですね。

それでしたらきっと「正しさよりも楽しさ」だったかなあと自省されているような気もします。

それでもこういうことをストレートに言いたくなる気持ちも分かります

あなたはお優しいですね。

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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妻に20年後離婚を切り出された

特に相談ではありません。備忘録です。犬も食わない夫婦げんかの話です。

スペック

増田(夫)

数年前に婚活で知り合い、結婚をした。

家事分担

家事の分担は体感では夫婦間で妻8、夫2の割合。俺が風呂掃除トイレ掃除を行い(毎日)、妻は料理を作ってくれている。その他、掃除機をかけたり洗濯をするのも主に妻だが、俺が在宅勤務のとき洗濯物を干したり取り込んだりするのは俺がやっている。なお、月10日程度の在宅勤務の日以外は、俺は公共交通機関で3時間ほど離れたところに単身赴任しているので、その間はすべての家事を妻がやっている。負担は大きいと思う。

妻は俺から見れば潔癖に近いきれい好きで、毎日午前中は掃除をしているらしい。そんな環境で育った妻と、週に1回掃除機をかける実家で育った俺では、ずいぶんと価値観に違いが出る。俺は単身赴任先では風呂トイレ掃除はは多くて週に一度しかしない。だから風呂トイレ掃除毎日しているのは俺なりに努力はしているつもりだが、妻から見たらそれが当たり前で、何とも思っていないっぽい。以前、トイレ掃除を終えて「掃除終えたよ」と伝えたら「やって当たり前のことは報告しなくてもいい」と言われたので。(ときどき、「ありがとう」ともいわれる。)

料理が妻の分担なのは、俺が料理が苦手というのもあるのに加えて、妻がキッチンの原状復帰を求めてくるので、それは無理だからしていなかった。今回、料理をしたら原状復帰できなかったのでずいぶんと怒鳴られた。

家計分担

妻は住宅ローン以外はほとんど払っていない。俺は鬱病もちで団信が通らなかったため、独身時代貯金職場から借金住宅の購入費の半分を出した。生活費、光熱水費をほぼ俺が払っている。俺が不在時の生活費は妻が払っていることもある。(もちろん、妻名義で俺の口座に紐づいた家族クレジットカードも渡している。)家計管理も俺がしている。妻は親から通勤用(片道1時間かかる)の車を借りている。以前は「家計が苦しい」というたびに「そういうことを言うと運気が逃げるから言わないでほしい」と言われたが、本当に厳しいので、最近は何も言われなくなった。

なにが起きたか

一週間の間に、妻と2度大きな喧嘩をした。その際に、怒鳴りながら以下のような言葉を言われた。

  • ブクブク太って、少しは痩せる努力しろ
  • 瘦せる瘦せるといって瘦せないのは詐欺
  • 家を買う時も全額出すといったのに、折半になったのは詐欺
  • いつも「知らなかった」「気がつかなかった」「見えなかった」で済ませるな
  • すぐに言い訳するけど、男なら自己弁護せず男らしく誤りを認めろ
  • 価値観が合わなさすぎる。子どもが成人したら離婚しよう。

子どもの前で怒鳴ってほしくなかったし、そもそも怒鳴るのはよくないこと、人の身体的特徴をあげつらうのはよくないことを、できる限り冷静に伝えた。すると、「怒鳴らせてるのは誰だ」と言われた。私は怒鳴ったり殴ったりするほうが悪いと思っていたけど、怒鳴らせたり殴らせたりする側に原因がある、というのが妻の考え方らしい。

なにがあったか

いろいろと積もり積もったものがあると推測するが、引き金になったのは以下のことだと思う。

1回目

子どもが先月、病気入院した。幸い、1週間程度で退院した。その際に主治医への心付け(現金)を準備したのに、俺がタイミングを逸して渡しそびれてしまった。それがきっかけで、2時間ほど怒鳴り続けられた。

  • なんで言われたこともできないのか
  • 今日退院するとわかっていたのに、荷物が多すぎるだろう
  • 枕とタオルケットまで持ってきて、誰が洗濯すると思っているんだ
  • 弁当もいつもいっぱい買ってきて、それだけ太っているのだから食べなくても死なないだろう

ちなみに、退院時に持ち帰る荷物には弁当はなかった。

実はこの春にも子が病気入院して、その際にも心付け(現金)を今回とは別の主治医に渡しそびれたため、ミスが続いたかイラっとしたっぽい。

子どもがまだ小さいため、24時間、親のどちらが付き添わねばならず、妻2日、俺5日の割合で付き添いをした。退院の前日には「様子を見て、明日明後日おうちに帰れるかな」と主治医から言われていたものの、まさか翌日退院になるとは思わず、準備が不十分だった。ただ、俺は基本的には主治医への心付けはいらないと考えている(俺たち家族にとっては大きな金額だが医師にとって数万円は大きくないこと、そんな心付けで動くような病院だとみなすのも失礼な気がすることなから)ので、そのあたりのすり合わせができていなかったから、妻との間でコミュニケーション不足があったのは確かだった。妻に言わせると「心付けがなくて子どもに何かあったらどうするの?」「ずいぶん前に心付けをしたから、今回も入院させてもらえた」という理屈らしい。俺が俺なりの意見をいうと「そういうの(心付け)と無縁の世界で育ってきた人にはわからない」といわれる。

妻の会社ミスを2度すると「前もやったよね?」と詰められるらしいが、俺の職場は「ミスは起こるもの、再発しないような制度づくりを考えよう」となるので、考え方が違うなあと思った。

この季節、朝晩は寒いから少しでも快適にいようと、付き添いの際は病室で寝る親(俺と妻)のため、枕とタオルケットを持ってきたのだが、妻からすれば付き添う者の快適さより選択煩雑さほうが頭にきたらしい。

2回目

子ども退院後、妻は一足早く職場復帰し、俺は休みを取っていた。その日、妻が出勤前に料理を作っておいてと言われたので、OKした。鮭と大根ニンジンを入れたスープ豚肉白菜を煮込んだスープを作っておいた(センスがないのは認める)。妻が帰宅後、その様子を見て、キレた。

  • この鍋はいいやつだから煮炊きに使ってほしくなかった
  • 鮭がほぐれておらず、塊のままだけど、ほぐさなかったの?
  • あちこちスープが飛んでいたりこぼれていたりするけど、なんで?

鍋のこだわりについては知らなかった、スープが飛んでいたのは見えなかった、鮭をほぐす必要があるとは思わなかった、と答えた。すると、上で書いたように「それで済ませるな」、と怒鳴られた。俺からしたら、だから原状復帰を求められる料理はしたくなかったんだ、の一言に尽きる。妻は俺の作った料理には全く口を付けず、自分だけ卵を焼いて晩御飯を済ませた。残った俺作の料理は翌日に俺が食べきった。

なお、鮭がほぐれていない理由を答えたときに、「どういう育てられ方してきたんだ」と言われたため、スープが飛び散っている理由を聞かれた際に「本当にその答えが聞きたい? 俺がどういう教育を受けてきたんだ、と批判したいだけじゃなくて、本当に理由が知りたい?」と聞いたら。「ケンカを売っている」と言われてしまった。火に油を注いだかもしれない。

離婚を切り出されて

焦ったということは全くなく、ほっとした、という気持ちが先に来た。これでもう怒鳴られることもないし、一生、午前中を風呂トイレ掃除に費やされることもない、と思ってしまった。俺は結婚に向いていなかったのかもしれない。

俺は読書趣味なのだが、子育て中は読書時間が全く取れないのは仕方ないとはいえ、今後、子が大きくなってからも頭の一番冴える午前中を掃除という単純労働に費やされるのが嫌だったので、ほっとしてしまった。(午前中に掃除をするのがいやなことも、妻には伝えられていないので、まだまだコミュニケーション不足かもしれない。)

妻には妻の言い分があるだろうが、自分の言い分の備忘録としてここに書き捨てる。

Permalink |記事への反応(0) | 16:01

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2025-09-27

anond:20250926233220

いや、多分、自分の親と同じような生活を同じように送ることを夢見ているってだけじゃないかな。

自分の親世代郊外に家を持っていて、核家族の家庭で、それなりに苦労しながら子供を育てて...という人生を送るというステレオタイプがあったと思う。

それはぱっと見穏やかな幸せさに見えるし、そのステレオタイプ自分がいないということを後悔するのでは?

ただ、それを今の時代に実現するには増田が言うとおりのところもあって、親世代よりも多い収入がある人と結婚しないといけないし、自分も働かないといけない。

子供も見栄の張り合いの道具になってくると楽しさよりもしんどさが増えてくるところは否めないだろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 07:44

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2025-09-25

anond:20250925163823

食べ方の汚さより飲食店香水匂いまき散らすの本当にやめてほしい。ガチ臭い

Permalink |記事への反応(0) | 21:42

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anond:20250925100916

非モテ弱男と同程度のいかにもモテなさそうなブスって大体中身も非モテ弱男と同じで捻くれててクソでキモくてプライド高くてマイナス思考方面粘着質で頑張って関係を持とうとしても逃げてくから難易度高いよ

恋愛工学に頼らんでも遊べてたので中身はよう分からんけど、多分ちゃんと履修したら、攻略難度に一番関わる要素は女側の積極性って事になってるんちゃうか?と思う

話を振れば乗ってくる女、可愛さより面白さで勝負するしかないと自覚があるくらいの女、いじられキャラみたいなとこに着地しそうな女みたいなんが一番低難度だった

Permalink |記事への反応(0) | 11:10

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2025-09-24

anond:20250924171922

替え刃式のニッパーとかは無いの? 🤔

人類って案外バカだよね、モノの良さよりいかに儲けるかで道具作るからマッチポンプになるんよ

Permalink |記事への反応(0) | 17:34

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2025-09-21

anond:20250920230140

めちゃくちゃ努力してて偉いんだけど、たぶん準備や作法を気にしすぎて、相手からすると少しマニュアル感が出ちゃってるのかも

初回デート大事なのって、相手に合わせるより、この人といると落ち着くなと思わせることだから、半歩くらい隙を残した方がいい

名刺とかも形式ばっててビジネスっぽくなるから避けた方が無難

完璧さより自然体を意識すると逆に次につながりやすいよ

Permalink |記事への反応(0) | 00:13

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2025-09-20

生肉加工をしてるスーパーで働いてたんだけど

働きはじめた肉屋スーパー

毎回出勤するたびに肉の塊を見るんだけど

それがキャパオーバーしちゃって

脳みそストレスかかりすぎて

昨日の夕方

自分が一体なんなのか右も左も分からなくって

歩けなくなって、視界もよくわからなくなっちゃって

自分名前すらも言えなくなって、パニック糖質?みたいになっちゃって

近くに住んでる見えない外人夫婦に助け呼んだりして落ち着かせてもらったという話があるんだけど。

私働きはじめてから、物覚えがメチャクチャ悪くなって、ゲームボタンとかも1時間やらなかった忘れるみたいなレベルだったし

周りの人にを気遣いできなくて、最近おかしいなぁって思ってたんだけど、たぶん肉が原因かな?

スーパで生ゴミ漁ったりなま肉食べようとしたり異常をきしてたんよ、マジで動物霊に憑依された人?みたいになってた

ほんで、そのスーパーで働きはじめた友達膠原病で倒れたり、社員の人はどんよりした顔してたし、なんか怖かった。

工場で捌かれてる肉を見ながら平然と働いてる人が「私動物触ったことないし興味ないです」って言っててなんか納得してる。

あのスーパー何かがおかしい本当に

肉とか捌いて機械のように使えない肉とか床にべちゃべちゃ捨てたりしてた

動物はめちゃくちゃ好きだけど普通にヴィーガンとかでもないけど、そういうグロさより

オカルトチックな不気味さ?が怖くてもう働けないです。って言ってしまった。

大人として最後しっかり謝らないといけないよな〜めんどくせ

Permalink |記事への反応(0) | 15:47

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2025-09-18

anond:20250918103259

直径よりは硬さ

さよりは持続性


長さ200cm直径100cmあっても中折れしたらただの53だよん

Permalink |記事への反応(2) | 10:36

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anond:20250918103140

さより直径のほうが重要なんですよね

Permalink |記事への反応(2) | 10:32

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2025-09-13

dorawii@執筆依頼募集中

たとえば「存在しないかもしれない背景を想定しすぎなのでは。」の部分だけを抜き出してchatgptに比較させたまとめ

1.存在しないかもしれない背景を想定しすぎなのでは

文法的には一応成立しています

「~なのでは」は口語では自然ですが、書き言葉としては「~なのではないでしょうか」「~しすぎではありませんか」の方が丁寧。

存在しないかもしれない背景を想定しすぎ」までで意味は十分に通じています

👉 くだけた場面なら違和感なく使えます。少し改まった文に直すなら:

存在しないかもしれない背景を想定しすぎではありませんか。」

2. 全部間違ってるのに、どことか言ってるのがもうやべーんだよw

完全に会話・ネットスラング寄りです。

「やべーんだよw」は意図的にくだけた強調で、文法的には「やばいのだよ」と解釈可能

「どことか言ってる」がやや崩れており、厳密に直すと「どこと言っているのかが~」くらいになります

👉口語としては自然に伝わりますが、正しさより感情表現が優先されている文。

比較まとめ

正確で安定しているのは 1 の文。

感情ニュアンスを強く出したいなら 2 の文。

質問が「より正しい日本語はどちらか?」であれば、

👉 1.「存在しないかもしれない背景を想定しすぎなのでは」 がより正しい日本語です。

文法的には一応成立している」と評価されるものを「間違ってる」と断じるのは無理があると思うなあ

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Permalink |記事への反応(1) | 15:18

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2025-09-10

anond:20250910164017

魚の美味さより臭いが気になって気になって仕方ないんだろ?お前

1人で勝手に魚食わずに生きてろよ

Permalink |記事への反応(1) | 16:41

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シャイマス初体験

初体験っていうと大袈裟記憶に無い程度の昔には食べたことある

なんか甘すぎていまいちだった。

一緒に買った梨もみずみずしさより甘さ偏重ちょっと違った

カットパインのお徳用が一番合うわ

Permalink |記事への反応(0) | 09:51

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彼女顔面キレイすぎて、いつまで経っても見飽きない

自分史上、最高にキレイな人とお付き合いすることになって、もうすぐ1年が経つ。

別に顔がいいから好きになったわけではない。

それでも、やっぱりキレイな人は、すごい、と思う。

どんなときでも、見惚れてしまう。

ケンカしたときとか、憎たらしくて仕方がないとき

もー、なんなんだよ!!こいつ!!腹立つなあ!!

とか思いながら長いまつ毛と切れ長な目を見てるうちにうっとりとしてきてる。

たとえば一緒に歩いていて、街中のガラスに映るふたりの姿をふと見てしまうと、自分のとなりにこんな人がいる、というだけで頭がくらくらする

付き合い始めのころはただ夢みたいで実感がなくて、時間が経つにつれて「慣れる」のかなと思っていたけど、結局いまも最初と同じで、いやそれ以上に不思議気持ちが強くなっている。

キレイな人といると、こっちまで背筋が伸びる。

ダラダラしていた自分生活姿勢まで、少しずつ変わってきた気がする。

「よく見られたい」と思う気持ちが、面倒な努力楽しいものに変えていく。

もちろん、眩しいだけじゃない。

休みの日に家でだらけて、素っぴんで髪も乱れて、お菓子食べながら笑っている姿を見て、ああ、この人の全部が好きなんだな、と思う瞬間もある。

完璧な美しさよりも、その隙やぬくもりに触れたときに、ぐっと胸を掴まれる。

1年。まだたった1年。

でもここまでの毎日は、とても濃くて、もう一生分を過ごしたみたいだ。

この先のことを考えると、うまくやれるだろうか、不安もある。

それでも「この人となら大丈夫」と思える。

Permalink |記事への反応(0) | 08:28

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