
はてなキーワード:こころとは
・その能力には、専門領域の能力だけでなく、領域横断のイベント仕切り能力も含まれていた
・そしてそれらの能力をいかんなく発揮し、件の配信プラットフォームで稼いでいた
・あずまはそんなつじたの能力を買っていた
・ゲ社がつじたを、門外漢なテーマな乱暴な座組みのイベントに放り込んだのは、それらが背景
(あずまが「つじたにやらせればいいんじゃね」と言ったか、あずまのそんな態度を忖度してゲ社社員がつじたをぞんざいに扱ったかは定かではない。あるいは両方かもしれない)
・しかし、つじたは個人事業者として独立独歩の気風を旨としていた
(イベント仕切りは余技に過ぎず、言われればできるけど、やりたくてやるものではない。そんなの自分のキャリアにならない)
(毎回毎回いつもこれが失敗の原因。そんなの存在しないって自分でもわかってるくせに。自分が楽になりたいからって、都合良く後継に押し付けられるわけないじゃん)
・しかし、つじたは自分のキャリアにならない、つまらない座組みは拒絶した
・あずまやゲ社が531以前について「つじたは断ってばかりいる」と言ってるのはたぶんこのことではないか
(この点における、つじたの「同じ座組みじゃつまんないじゃないですか」は意味不明。同じ座組みで定期的に実施してグラデーションさせるのも立派な企画だと思うので)
・あずまは、自分の身銭を切ってやっとこさこしらえたプラットフォームで、自分がこころよく思わないかたちでの金稼ぎに憤懣やる方なし
(これもいつもの失敗の原因。女性売り云々事件も結局これ。「自分がこころよく思わないかどうか」基準。しらんがなってみんな思うし、そんな不安定なところにコミットできんと思うのも仕方なし)
・以上の結果、あずまが531に及んだ
・720あずま逆ギレ。どうせ俺が悪いんでしょ!でもぼくがつじた切れるわけないじゃん!だって稼いでるんだもの!それをぼくが表明してなにがわるい!とかなんとか
・ついでに「あんまり売れなかった新書(でも一般的には結構売れた新書。でも三宅香帆とかには勝てない程度の規模)」についても、疑心暗鬼の被害妄想でつじたが熱心じゃないと非難
・今のまま会って話しても、ぼくはつじたに悪口を言ってしまうとおもうから、今は会いたくないの!それくらいわかれよおまえら!バカなのか!とかなんとか
(しらんわ)
・でもつじたからしたら531がよっぽど重要。とても重要。プラットフォームの中立性、安定性こそ、自身の活動、キャリアにとって重要。自身の学術的・社会的信頼、ひいては経済的基盤の根源
・それにもかかわらず、あずまはともかく、ゲ社としてもなんらの反応を示さないことへの不信感、不快感
・以上の結果、現在の状況に至る
「押し付けたい(それによって楽になりたい、自社を儲けさせたい)」あずまと、「そんなの知らんがなこっちは個人事業者っすよ」のつじたの対立の構造という理解でおるよ。
※あおぎりはミリしらなので入っていません。個人勢は元ホロライブとしぐれうい他数名しか知りませんが入りませんでした。
5位:八雲べに(ぶいすぽっ!)
『セクシー担当』を自称する巨乳のお姉さん。メンバーへの面倒見は良いらしく、時々メンバーが八雲家に集まってパーティーしてるらしいことを配信で言っているのは見る。
こういう人を推すのは高校生までで止めておいて欲しい。
実際にはロリでもなんでもない人が『あざといロリ』を演じている感が非常にキツい。
3位:空澄セナ(ぶいすぽっ!)
朝起きた時に「おはよう」的なポストをする配信者は多いが、この女は朝に「おっきしよ?」とツイートする。
本人は「幼児に呼びかける時のような表現であり、全く下ネタではない」と言っているけど明らかに狙ってるでしょ。そういう感じが嫌だ。
2位:雪花ラミィ(ホロライブ)
時々リスナー相手にめんどくさい彼女ムーブをしたりめんどくさい女を相手にするときの女心講座をやったりする爆乳ハーフエルフ。
彼氏がそのめんどくさい彼女ムーブの相手をしていたら最悪。お前美人で爆乳なんだからそんなことする必要ないやろ。
Knightカップあるらしい包容力に溢れる白銀騎士団の団長。裏名義というか前世の名前を今も使っていて時々エロ配信したりしている女。
どう考えても男には好かれるけど女には嫌われるタイプです本当にありがとうございました。
[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu
(1)本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉
(2)明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島の知識人の流行語になった**
(3)島津義弘の関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水の千本松原のこと)が生まれた
(4)しかしロシア語の意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる
(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京の学生や青年のあいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった
(6)流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**
(7)鹿児島県出身の作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ)
(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいときや気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**
(9)司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味で使用し、(3)の意味は失われていった**
(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった
(11)そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味でしかない江戸~明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である
しかし、このnote記事では1936年の辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。
また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報を提示するとともに研究を補強したい。
「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。
まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島県士族の佐藤良之助とある。
これは相手を馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。
ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手を威圧するための掛け声なのかはわからない。
「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公となすに足らん
句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。
「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」
田舎者が上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。
「ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。
1892年『罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である。
真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?
英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。
1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身の杉浦重剛という人が東京に作った私塾である。
此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり
其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ
前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者は薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである。
薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。
此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活の写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり
下宿暮らしの書生はあまりに自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。
とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?
「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり
自分が情けなくなってちぇすと。
溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー、貴様(おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり
怒りのちぇすと。
彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり
喜びのちぇすと。
薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。
ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京の出身らしい。
チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり
ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?
と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。
この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟(長岡藩)出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。
1897年、江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。
「ちえッすと!」
謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。
と、こうしたあたりが1898年の内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である。
明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。
これは冒頭でリンクしたnote記事の説明に反する事実である。
「薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明が適当ではないか。
ちぇすと てすとに同ジ
元は「てすと」なのか?
元は「ちぇ+すとう」なのか?
チエスト よいしょ(掛声)
note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、
1977年『かごしまの民俗探求』の久保けんお「薩摩の方言と民謡」では、
チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのである。エイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである。
1979年、井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、
ちぇっそ 感動詞。一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからとかいうのがある。
と説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。
これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠が必要になりそうである。
コロナの在宅勤務を契機にここ数年鬱っぽく、鬱を自覚した当初に自分のテンションを上げる目的で、休みの明るいうちから一人酒を飲んでみる。
そのうち、休みは暇という虚無をスキップするための飲酒、が常態化する。
折しも現職でのうだつの上がらなさや、家族からだんだん舐められてる、下に見られているというミドルエイジクライシスも相まってどんどん自我を喪失し始める。
そして現職内でいくつか不満がたまる中で管理職と折り合いが悪くなり、
「おーほんなら辞めたらぁ(でもあたしみたいなオジサン慾しい人なんて…)」と軽い気持ちで転職サイトをちょちょっといじってみたところ、数件面接まで進んだ後内定までいただく。
んで↑の台詞をリアルで管理職に言って9月から有休消化、ってワケ。
微量ながらも金も暇もあるボーナスタイムなのに、家族や周囲の目を気にして、それよりなにより自分が何をしたいのかがわからなくて茫洋とする老人モラトリアム。
人生2度目のモラトリアム、2度目の青春(回春)に、なにか良きアドバイスを。
反応本当にありがとう。嬉しいもんだね。
厳しいコメを言ってくれる人も、「厳しいコメ多い」って言ってくれる人も、両方大切に思う。
厳しいことを言ってくれる人ってどんどんいなくなるのよ。友達減っていったり、家族仲あんまよくなかったりしてると。
Permalink |記事への反応(34) | 17:21
口でiPhonemini が欲しいと言うとき、人々が実際に求めてるのはiPhoneAir だと思う
体力をつける体力がないから体力をつけたいんだけどその体力をつける体力がないから体力をつけたいんだけどその体力がないから体力をつけたいんだけどその体力がないから体力をつけたいんだけどその体力がないから体力をつけたいんだけど無限とはこういうことなんでしょうねおそらく。宗一郎の息子って結局どーなんだったんでしょうね。ずっーっと昔になんかちょっとした不祥事があって引責したような記憶がありますけどあれ以来話は聞かなくなったような気がします。調べればすぐわかるのがインターネットのいいところですけど、でもねAIとかはもうこういう文章を人が打ち込んでる途中でそれはこうこうこういうことですよ、とか教えてくれるようになるし、なんだったらあなたが打ち込みたい文章はこういうことですよね、と予測変換みたいな調子で私が打ち込みたい文章をスラスラと先回りして書いてくれるようになる、といういか、まあちょっと違う文章、書きたいこととは違うんだけどなあ、と思いつつ、まあこれでいいか、みたいな感じで選択する感じになるんですよね。3パターンくらいをすぐに提示してくれて、じゃA案で、つぎはB案で、その次の展開はちょっと捻りが欲しいとか、対話型でどんどんと出来上がっていく、万事が万事そういうことになってくんだと思う。
あなたには、これですね、と型に嵌められてくことに違和感がなくなる。、、、あのAIのすごいところは人間の感情を動かすことなんですよね。理屈とかは割とというかかなり弱いまあ、理屈は考えてないらしいから当たり前なんですけど、それよりも人の感情をグイッと動かすのがとてもお上手。文章でも画像でも動画でも。人間がとても努力しても身につけられないような、人を動かす何かを持っている。、それがAIのすごいところなんですよね。多分人が機械に支配されるのって理屈じゃなくて感情をうまくコントロールされることでですよね。
AIが人を支配する世の中ってつまりは現代の人間がSNSとかで無駄に感情エネルギーを浪費してるのも同じような現象として人を支配さるんじゃないですかね。
あれ、あれですよ、指輪物語でローハンの王様に蛇の舌がぴったり張り付いて毒の言葉ばかり流し入れてたでしょ?ああいう感じの、言ってみれば人の噂話みたいなのを延々と人の頭の中に流し入れることで人の感情をコントロールするんだと思いますけど言ってること伝わってますかね?
僕は新しいマトリックスを、つくるのだとしたら、そういうふうに人の感情を、、こころを機械が支配してる状態からどーやって脱却するのか?みたいな構造にするべきだと思うんですよね。
あの本家マトリックスでも裏切る男とか、ちょっとそういう感じだったじゃないですか。おれは偽物でも本物としか思えないこの極厚ステーキを選ぶんだ!!みたいなの、ああいうのと、どうやって戦うのか?いや機械が嘘ばかり毒ばかりなのはわかってんだけど、やめらんない機械なしでは生きれないんだよ、みたいなのを描いて欲しいちょうど我らがSNSは毒だとわかっててもやめらんないみたいなのと同じような。たぶんトランプは怒るだろうけど
最近の小説投稿サイトにおける文章入力欄の利便性の向上は目を見張るものがある。
カクヨムやノベルアップ+には色々な項目があるし、小説家になろうにも最低限の機能はある。
小説を書く人には大変喜ばしいことだろう。
私がインターネット上に創作物をはじめて投稿したところは電子掲示板だった。
そのとき私が投下したのもアスキーアートを使った短い物語だった。
投下、懐かしい響きだ。
私は単純な見た目の電子掲示板が好きだった。
私はインターネットという電子空間のなかで、その山小屋のような簡素なつくりにくつろいでいたのだ。
しばらくして、私も遅ればせながら小説投稿に手を出すようになった。
しかし、何かが違った。
しばらく利用したのち、私はインターネットに作品を投稿することをやめた。
時が経ち、Twitterに飽きはじめたころ、私は今まで利用してこなかったはてなブックマークに登録することにした。
そこではてな匿名ダイアリーに出会った。
なんと美しい簡潔さだろう。
私のこころは解き放たれ、緑の美しい草原をおろしたてのワンピースで走りまわるような爽快さであった。
(私は男であるが、この脳内映像に男は出演できなかったのである)
愛機(パソコン)を操作するとき古の戦場が蘇るが、もう過ぎたことだ。
多くの人はこれからも自分の情熱を広大なインターネット空間で表現していくことだろう。
そうやって己の世界をおし拡げていくだろう。
一方で私は何か書きたいことがあればここに来る。