
はてなキーワード:げんしけんとは
二次創作が好きだ。
しかし厄介なことに、ハマったジャンルを卒業してしばらくしたらジャンルを嫌いになるサイクルを繰り返している。
何故だろう。
ハマっている最中に盲目的に好きな場合も、ハマっている最中から「熱が冷めたら大嫌いになる予感がするなあ」と内心思っている場合も、両方ある。
二次創作を好きと言っても世にはいろいろな人の楽しみ方があるが、私の場合は推しているキャラクターへの解釈の押し付けが強く、原動力は自分のリビドーだ。決して原作者様に胸張って言える形の楽しみ方ではない。
だから、ハマり終わると恥ずかしくなるんだと思う。
ネコが排泄したあとに恥ずかしくなって(かどうか知らんが)砂で排泄物を隠し、本能的に走りまわってその場を離れる習性があるが、あれに近いのではないか。
決して原作をウンコ扱いしているのではなく自分の生み出した創作物や妄想がウンコなのであるが、原作がチラつくと自分のウンコも副次的に思い出してしまうので嫌いになっている、のかもしれない。
別にハマったものを好きになったり嫌いになったりは私の中で折り合いがついているのでいいのだが、
問題は私は二次創作をとおして友人関係が構築されていることである。
私の二次創作を褒めてくれたTwitter(現Xだが思い入れが強い時代の名称がTwitterのため以下Twitterとする)のみんな、私が熱い感想文を送ったTwitterのみんな、
今も大事なTwitterのタイムラインを構築するお友達※である。
※私による認識
しかし私はジャンルに冷めてしまっているし、ジャンルのことを嫌いになっているので、あまりジャンルに関する新しいニュースとかを見たくないのである。
原作者の次作品情報とか。終わった作品の新しいグッズ展開とか。いらないよ、見たくない。
見たくないといっても目玉を搔きむしりたくなるほどの苦痛があるわけではない。
当たり前だが誰かに苦情を言うわけでもない。
「うわ」と思いながら静観できる。
ただジャンルの人と同じように盛り上がることはできないし、盛り上がっているポーズをとれないことに居心地の悪さがある。
自分だって一時期は熱くのめりこんでいたのに、「そんなにいい作品だった?」と聞いてみたい、みたいな気持ちが生まれる。
ジャンルの最終回だったりサービス終了だったりを経て数年して、自分たちの妄想はどこにも実を結ばないただの妄想であることを実感して、どうしてそれでもずっと好きで熱心に追いかけられるのだろう、と冷めた気持ちがある。
他人様の創作物(原作)に対して独自の解釈を見出して熱くなることは、おそらく異常な趣味である。
妄想は誰にも止められないし、という台詞が、げんしけんという漫画でいい感じのエピソードで起用されていた。
きっとたくさんの人を救ったいい場面だったと思う。
が、私の場合は二次創作にのめりこんでいる時期は妄想が捗るあまり仕事が身につかなくなったり、オタクではない友人との関係維持をないがしろにしがちであった。
そうなると病的であったと言えると思う。
これを過去に共通ジャンルがとっかかりで親密になった友人に話すと
「病気ではないですよ。あなたがあの頃の自分を病気だと思っていても、確かに私はあなたの創作物で命が助かっていましたよ」
と言わせてしまう。
私の二次創作物を好いてくれた人に、私が砂をかけ、嫌な思いをさせて申し訳ないと思う。
私はしょっちゅう上記のようなことを思っているが、反省してあまり口に出さないようにしている。顔を突き合わせて喋る親密な人に、年に1回くらいにとどめている。
ネコの排泄物に例えたけれど、他では男性の賢者タイムに似ているのかもしれない。
生まれてずっとヒト科ヒト目のメスとして生きているから、ネコにも男性にもいや違うけど、と言われるかもしれない。
自分以外の人は、こうならないのだろうか。
何故、みんなこうならないのだろう。
何故、私はこうなるのだろう。
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『あなたは「熱中のピークが高い ×自己批判が強い ×本能的動機が強い ×防衛反応が働く」という条件がそろっているため、他の人よりも急激で極端な離れ方をするのです。』
chatGPTの見立てではこうらしい。
Permalink |記事への反応(17) | 23:21
みんな、げんしけんの実質続編のSpotted Flower読んでないの?今、クライマックスでめちゃくちゃ良いとこだぞ
最初は「オタクとはこういうものだ」と紹介するような漫画に思えた。
当時はオタクの地位が低かったのもあり、「オタクサークルの生活」を描くこと自体が面白かったのだろうな。
だから今読むと、価値観が古い感じがするのは否めない(面白いのは面白いけれど)。
コミケ参加やコスプレに対する抵抗感も、今ではほとんどないし、時代がげんしけんに追いついたとも言える。
自分は木尾士目先生の前作『五年生』が好きだったこともあり、明るい作風の『げんしけん』には最初違和感があった。
ただ、連載が進むにつれて社会的にオタクの地位が向上し、作品の方向性も変わっていったのだろう。次第にオタク要素よりも、誰と誰がくっつくかといった恋愛模様が中心になり、もはや別の漫画のようになってしまった。
自分が木尾士目先生の作品に惹かれていたのは、大学生活の描写だった。大学生活がそれなりに楽しかったこともあり、そのゆるい雰囲気を漫画として味わえるのが心地よかったのだ。
しかし残念ながら、自分はオタクではない。漫画もあまり読まないし、アニメもほぼ見ない。ゲームは好きだが、オタクと呼べるほどではない。だから『げんしけん』のオタク特有のノリには、あまり馴染めなかった。
結局、自分が求めていたのは大学生のゆるい日常を描いた漫画だったのだ。オタク文化の話や恋愛要素にはあまり関心がなかった。
そのため、物語の終盤で恋愛漫画のようになった展開には興味を持てず、むしろ苦痛だった。斑目が誰と付き合うかなんて、正直どうでもよかった。
自分は連載当時はげんしけんを途中まで読んでいた記憶がある。だが脱落してしまった。
今こうしてやっと全部読めて、少しはスッキリした。
ただ、連載当時、特に終盤の斑目ハーレムの部分についてはみんなどう感じていたんだろうって思う。
木尾士目先生も連載途中で結婚して子供も生まれ、感性が変わったんだろうな。年齢的にも、大学サークルものを書くのが難しかったのかもしれないし。
でもだからといって、斑目ハーレムとか、誰が誰と付き合うとか、そういうのは興味がなかった。
本来ならばもう少し前の時点で終わっててもよかったのでは?なんてすら思ってしまう。ドラゴンボールみたいにキリがいいところで終わらずに延命させた、みたいに見えてしまった。
とはいえ、中盤あたりまでの話はゆったりしつつも緩急があり、面白かった。オタク文化を語るには欠かせない作品だし、雑誌アフタヌーンを代表する漫画だと思う。
文化祭で漫画研究会の展示教室があって、入りたいんだけど入ることすら出来ないレベル
ましてや入部なんて
これって今読んでも意味不明じゃない?
オタクが虐げられていた頃の話だよね?
(コミックデイズのアプリだと無料チケットでほぼ読めるのでよかったら読んでみて)
https://comic-days.com/episode/13932016480030171954
自分はこれを読んでた時高校生だったけど、オタクって大変なんだなとか、でもオタクサークルっていいなぁとか、夢を膨らませてたもんだよ。
でも自分より若い世代(Z世代とか)だと、げんしけんみたいな感覚は分からないんだろうな。
なんていうか、普通のこと過ぎて。
そこまで卑屈になることないんじゃない?とか
現代の感覚と乖離があり過ぎて、なんか隔世の感を禁じ得ないよ。
げんしけん二代目はちゃんと読んでないんだけど、二代目はもっとポップだった気がするから、これなら通用するかな。
小学校が終わったら本屋の前でジャンプ回し読みしてたのが懐かしい。ベジータとナッパが襲来した時は本当に絶望してた
何か単行本を集めようと思って買ったのがジョジョ。3部から書い始めて今は全巻持ってる
仕事がうまくいかない時代にアックスの連載で読んでてなんかシンパシーを感じた
「この漫画絶対面白いから!」と友達に激推しされて買ったらめちゃ面白くてその友達には感謝
大学生の話が好きなので。げんしけんもいいけどこっちの方がリアルな気がして
色褪せない名作。あとコロコロコミックで一足早く大長編ドラえもんが読めたのがなんか嬉しかった
ここから読める。見た目に反して結構過酷な話だと思うhttps://omocoro.jp/kiji/241203/
作者の頭の中どうなってんだ!?と思ってしまうくらい解像度が高い作品。
みんなのも教えてね!
「傑作」「順当」「ヒット作」「衝撃」「代表作」「好き」
もうちょっとこう、なんか語彙は無いのか。どの選評も、作品タイトルを差し替えてそのまま流用できるようなことしか書いてないじゃないか。
げんしけんがどう「サブカル系の漫画表現」なのか。むしろ漫画表現自体はオーソドックスな青年誌の群像劇で、オタクを客体化したことこそがその後のオタク達の理想の学生生活を描く作品の先駆となったんじゃないのか。(ただし個人的には1巻の、電車にDQNが乗ってきた途端に下を向いて黙ってしまう感じも好き。)
宝石の国は完全な仏話を描ききっててヤバいとか、仮面天使は古典ロリコン的な無垢な天使という少女像を打破しててヤバいとか、あるいは売上の話にしたっておお振りは腐女子を取り込んでアフタヌーンの市場を広めたから順当とか、まぁこれらはいま適当に書いた例だけども、「どういうところが」順当だの衝撃だのという評価に繋がってるのかを書いてこその選評だろう。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要なマンガ5選https://anond.hatelabo.jp/20241014232424
週刊ヤングマガジン史上、最重要な漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241016182953
なんか流れにのって「誰かアフタヌーンやらないのかな?」とか言ってたら、「自分でやっては…?」と言われたので、
そこまで詳しい自信もないが、知らんわけでもないぐらいのところなので、とりあえず書いた
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アフタヌーン初期の重要作品は、明らかにこれ。Wikipediaにも「看板作家であった藤島康介以外はほとんど無名の新人作家の作品を掲載」と書かれているように、初期のアフタヌーンはこの作品で支えていたという状況だったと理解している。
※ブコメで「初期の核はモーニング系作家や、園田健一とかあさりよしとおとか方面の作家」とのコメントいただいた。あと、トニーたけざきも。
これは満場一致になると信じている。作品としてのクオリティはもちろん、知名度、評価の高さ含めて、総合的に日本漫画史上の傑作の一つでしょう。『ヒストリエ』も入れたいところだが。一人一作ということで。
オタクマーケットにおける、90年代後半のアフタヌーンのイメージは『ああっ女神さまっ』『無限の住人』の2つが強かったという記憶がある。次作、『波よ聞いてくれ』もむろん快作で、個人的には『波よ聞いてくれ』のほうが好きだがアフタヌーンという雑誌にとっての重要度という話だと、まあ、順当に『無限の住人』かな、と。
『げんしけん』がベスト10に入るかどうかは評価基準次第というところがあると思う。ヒット作以外のところで、「アフタヌーン」雑誌ブランドのコアとは何かと考えると、サブカル系のマンガ表現の開拓者ですよね、ということだと思う(四季賞含めて)。そのブランドが熱心な雑誌購読者を育んできた雑誌であることは明らかで、その基準で考えると、本作は順当に重要な作品かと思っている。
ひぐちアサは、『おお振り』の前はもっと人間関係がたいへんそうな話を書いていて、ある意味そのときのほうが「いかにもアフタヌーンらしいマンガ」だったが、路線転換をしたのかなと思われた、本作がその後ここまで大きくヒットするのは連載がはじまったときはちょっと想像していなかった。
少年マガジンで連載がはじまったが、ほとんどの連載はアフタヌーン。幸村先生は『プラネテス』(モーニング連載)も代表作とする人もいるとは思うが、順当に考えたら、もう20年近く連載している『ヴィンランド・サガ』だろうかと思う。まあ、この作品がベスト10に入るも、まあ順当か。
この作品がベスト10かというのも、やや判断が割れるとは思うが、基本的には木尾士目『げんしけん』とほぼ同じ観点から。篠房六郎作品であれば、個人的には他の作品も全部入って良いと思っているが、一つ選ぶなら、ヒット作の『百舌谷さん』になるだろうという判断。
黒田硫黄の存在自体が、若い漫画読みから忘れられつつある印象があるが、2000年前後にアフタヌーンを毎月買っていた人間にとって、黒田硫黄の存在感が圧倒的だったのは確かなことだったと思う。捻くれたサブカルだったら「黒田硫黄が好き」とか言うのは、ぜんぜん捻くれてないチョイス過ぎて、言うと恥ずかしいぐらいの存在感だった。宮崎駿御大まで「このおもしろさが判る奴は本物だ」とか、はずかしい推薦の言葉を帯に捧げ、ジブリ系のアニメーターである高坂希太郎監督によって作品の一部がアニメ化もされた(制作はマッドハウス)。『大日本天狗党絵詞』も衝撃的な作品だったが、黒田硫黄の存在感がもっとも強かった時期の作品ということで挙げればこれかと、思う。
個人的に市川春子はそんなにハマっていないのだけれども、客観的に見て、支持の厚さ、連載期間、メディア化、受賞状況などから鑑みて、この作品を入れないわけにはいかないだろうということで。
近年の作品から一つ選ぶなら、まずこれですかね、という感がある。作品自体も登場時に衝撃を受けたが、その後のヒットまでうまく繋がり、人気作に育って本当に良かった。
・蟲師(漆原友紀) 人によっては、こっちを10選にいれる人はけっこういるとは思う。筆頭候補。
・BLAME!(弐瓶勉)弐瓶作品は10本縛りがなければ、どっちかを入れたいところ。個人的に『BLAME!』はアフタヌーンのイメージが強い。
・ハックス!(今井哲也) 今井作品も一つは入れたいところだが…。
・なるたる(鬼頭莫宏) 鬼頭作品なら『ぼくらの』(IKKI)の方が一般に重要作か、ということで除外
・メダリスト(つるまいかだ) 最近の作品でブルーピリオド以外にいれるならこれが筆頭か。
・スキップとローファー(高松美咲) 最近の作品での上位候補。
・勇午(赤名修/真刈信二) 個人的には大好き。塩漬けなど、ミームになるパワーがある作品だと思う。
・Spirit of Wonder(鶴田謙二) 重要作品だとの認識はある
・EDEN(遠藤浩輝) EDEN入れる人もいるとは思うが、だいぶ意見分かれるかな、という印象。
・フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(恵三朗/草水 敏)
・あたらしい朝(黒田硫黄)
・五年生(木尾士目)
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まとめる作業してて思ったが、
「あれ、これアフタヌーンじゃなくて、IKKIなんだっけ?」っていう記憶の間違いがけっこうあった。
・『アンダーカレント』ふつうに意識の外だったけど、雑誌買ってなかった時期に、単行本で読んだので、アフタヌーンという認識ぜんぜんなかった。大変失礼いたしました。位置付け的に確かに入っておかしくない作品だと思う。
「・「ガロ」から「アックス」の境目だったから、ああいうテイストの避難地になってた印象。」とのコメントも、なるほどと思ったので確認したら、ガロがほぼ休刊になったのが、97年7月で、アックスが98年なので、97年~98年スタートの作品ということかな?ちょっとよくわかってない。
・植芝理一『ディスコミュニケーション』が魅力のある作品だとは個人的にも思うが、周囲でこの作品の話してた人ほぼいなかったんだよね。観測範囲の問題かとは思う。
・『大合作』について複数コメントあり、扱いどうすればいいんですかね…
・『神戸在住』もコメント多めで、ここらへんも確かに好きな人多いですよね。
・『地雷震』(髙橋ツトム)の適切な位置付けはあまりよくわかってない。読んではいた。
・『菫画報』はふつうに好きだけど、こういう選のなかに入るような層の厚い評価文脈ってあるの…?
・『ワンダンス』を次点ぐらいには入れてほしいとのこと。ちなみに、個人的に好きというだけだけで言うと、次点にも入れなかったけど、『リンガフランカ』(滝沢麻耶)は好き。個人的な気持ちとしては清家雪子とかも、もっと売れてほしいなと思っている。
・五十嵐大介は、代表作は『リトル・フォレスト』より、『海獣の子供』(IKKI)のほうなのかな?とぼんやり認識なので、入れなかったけど、認識ぼんやりしてる
・とよ田みのるは、『『これ描いて死ね』』(ゲッサン)のほうが代表作になるかなと思って、いれてない。
・冬目 景は四季賞デビューでアフタヌーン作品複数あるが、『羊のうた』(コミックバーガー、コミックバーズ)『『イエスタデイをうたって』』(ビジネスジャンプ、グランドジャンプ)いずれも他誌
・四季賞受賞したデビュー作の衝撃がすごかったという人が、けっこういるのは完全に同意。四季賞は、他誌の新人作家向けの賞とは明らかに位置付けが異なる賞だと思う。
・あらためて思ったが、アフタヌーン作品の評価文脈はいろいろあって複雑だな、と感じる。ブコメでも書いていただいたが、アフタヌーンは、他の雑誌よりも10選とかやったら、合意とりづらいのはそうだと思う。「これがヒット作です」的な基準の外側に「この文脈ではすげー評価されてるし…!」というような文脈が、いろんな形で存在しているので、合意とりづらいところが、アフタヌーンの良さなんじゃないかとは思っている。
熱量のある反応をいただいていたので。ありがとうございます。
https://msknmr.hatenablog.com/entry/2024/11/20/123000
ちなみに、完全に個人的に10選ぶなら、こんな感じだろうかと思う。
Permalink |記事への反応(45) | 23:51
不死身の侍と少女の復讐の旅を描く、スタイリッシュなアクション。
ラジオパーソナリティを中心に描かれる、個性的でユーモア溢れる日常劇。
冴えない青年と美しい女神との恋愛を描く、温かみのあるラブコメディ。
ジュブナイルコンテンツってほとんど高校生以下だから、大学モノは貴重。
げんしけん・ゴールデンタイム・もやしもん・宇崎ちゃん・ぐらんぶる・彼女お借りしますなど。
ほか
宇崎ちゃんは遊びたい!
私に天使が舞い降りた!
「こいつら自分が頭いいと勘違いしてるの 本当は頭しか使ってないだけなのにね」
読んだ当時中学生だったんだけど、これを何気なくポイッとぶつけられたのは衝撃だった。
オタクのダメなところはパッと見の印象で決めつけて全部わかったような態度取るところだぞ。
だから頭の中で全部決めつけていじけてないで実際に行動してみろよってのは作品全体のテーマだったんだと思う。
オタク達が現視研での人間関係を経て変わっていくだけでなく、裏で春日部さんも彼らを見て「こいつら思ってたよりもそんなに悪い奴らじゃねーな」と考えを改めていく。
俺はその説教が好きだったんだけど、いまいち読者に伝わってないように感じてて、だから2代目はもっと直接的なウザい感じの説教臭さになったんだろうな。
無印みたいな説教が効果あるのは高校時代にオタク以外の友達ともそこそこ上手くやれてたっぽい笹原タイプで、