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はてなキーワード:くも膜下出血とは

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2025-06-03

私がしたこと人殺しだったのか

小さい頃から祖母に虐められてきた

幼稚園の時には突然爪を切ろうと捕まえられて、わざと深爪させて裏でクスクス笑ってたり、髪を切ると言ってわざとざんばらにさせたり

あんたって本当グズだねってよく言われるから見返してやろうと部活大会で優勝しても、喜ばずに忽然と賞状や盾が消えたり(確証はないが恐らく祖母が捨てた)

親に言ってもなかなか信じて貰えず、親戚に相談しても孫を可愛がらない祖母なんていないの一点張り

掃除という建前で部屋を漁られて物を捨てたられたりするので気がつけば自然不登校になった

ある日、祖母と私の2人で留守番をしていたら突然祖母が倒れた

苦しそうにしながら自分携帯救急車を呼ぼうとしたか死ねばいいのにと思って携帯をひったくった

祖母は返して、返してと言ってのたうち回ってたけど全く可哀想だと思わなかった

1時間経って救急車呼んだ

もちろん死んだ、死因はくも膜下出血

家族には倒れてからすぐに呼んだって嘘ついてる

だけど今になって流石にやりすぎたかなと思ってる

自分したこと殺人なんだろうか

Permalink |記事への反応(3) | 22:30

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2025-05-20

anond:20250520105518

くも膜下出血前兆じゃない?

そのレベルになると検査すれば簡単に検出できるはず。

Permalink |記事への反応(0) | 11:06

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2025-04-14

昔飼ってた犬の話

最近自宅を購入して引越ししてきたんだけど、ちょうどそのタイミングでお義父さんが飼っていた犬を引き取ることになった。

もう15歳になる老犬で、昨日引き取って来たんだけどよろよろ歩く様を見てたら昔飼ってた犬のことを思い出したので少し振り返ってみたくなった。

前飼ってた犬は俺が小学3年生くらいの時に飼い始めたと思う。

飼い始めたとは言ったけど、当時実際に飼っていたのは俺の家ではなく父方の祖父母の家で飼い始めることになっていた。

その犬はトイプードル名前フェリスって言う。

毛色は黒に近い焦茶色をしていて、初めの頃はマグカップサイズでとても小さかったのを覚えている。

最初の2〜3年は躾をするのが大事だと父親に教わったこともあり、接し方についてはテレビで見た知識や本で学んだ知識などを元に少し厳しく、でもフェリスが嫌がらない程度の距離感で接していたと思う。

ちなみにその頃に弟はまだ小学校1、2年生だったのもあるせいか、かなり乱暴な扱いをしていて、大人になってからとことん嫌われていた(近づくだけで唸り声を上げられる、噛み付く、呼びかけても一切近寄らない)ので、今後犬を飼う予定がある人は注意したほうがいいと思う。

少し背景を説明すると、祖父母の家は京都にあって俺は関東に住んでいた。

祖父母の家には毎年、お盆年末年始春休みなどの学校が長期休暇になるタイミングで遊びに行っていた。

また、フェリスを飼い始めたきっかけは、祖父母の家で元々飼っていた犬(フェリスとは別の犬)が亡くなってしまい、祖父母が落ち込んでいたらしい。その様子を俺の父が見かねてフェリスをもらって来たことがきっかけだったと聞いた。ただ、祖父母たちからしたら当時は新しい犬を飼う気分ではないし、そもそも自分達もあと10年生きていけるかどうかと言うタイミングだったらしいので初めはあまり歓迎していなかったらしい。

飼い始めてからはよく「フェリス死ぬのが先か、ワシらが死ぬのが先か」と言っていたのを覚えている。

なぜ背景を説明たかというと、実はこの犬、超がつくほど甘やかされて育ったのだ。

と言うのも、フェリスご飯のおねだりをすると祖父母特に祖父)はなんでもあげてしまうのだ。

それこそ、朝昼夕の食事時はもちろんのことで、デザートや間食の際にも何か食べているとすぐに寄って来て食べ物をもらっていた。(大好物カスタードクリームパン

また、それとは別に犬用のご飯も追加であって、しかもそれがドックフードではなくキャベツ鶏肉クタクタに煮た物でそこら辺の犬よりもよっぽど舌が肥えていたと思う。

それに加えて散歩も大嫌いな性格をしており、家の前でおしっこうんこを済ませたら直ぐに帰ろうとするのである。一度引きずってでも遠出の散歩したことがあったのだが、本当に引きずって散歩したために肉球がズタボロになって、翌日以降に悲鳴を上げながら歩いていたので、2度と無理やり散歩をしなくなってしまった。

そんな生活を数年続ければまぁ当然肥満体質になるわけで、気づけば体重10キロ以上あるデブ犬となっていた。

とことん甘やかされた生活を送って来てはいたが、俺は前述の通り正しい躾を意識した接し方をしていたので、

家族の中でも俺と父親の言うことだけは比較的聞いてくれていた。

分家族の中で祖父の次に好かれていたと思う。

そんなフェリスに転機が訪れたのは俺が高校3年生の冬頃。

祖母くも膜下出血で倒れて緊急手術をすることになり、フェリスの面倒を見れる人がいなくなってしまった。

祖父母の家では面倒が見れないと言うことで俺の家で飼うことが決まり、急遽うちで住むことになったのだ。

うちで住み始めてから上記のような甘やかし生活ではなく、一般的ドックフードがメインとなり、間食も与えずにまともな食生活を送ることになった。

そのおかげかみるみるうちに痩せていき、1年で6キロ以上痩せることに成功した。

動物病院に連れて行った母親から「お医者さんからどうやったらこんなに痩せれるんですか!?って驚かれたわ」と言う話も聞いた。

一緒に生活してからエピソードで2つほど事件があったのでそれも紹介しておく。

エピソード① 「朝ごはん消失事件

俺が大学生になった頃の出来事。その日は午前の授業がなく、ゆっくり家を出る日だったので朝食の時間になっても直ぐに起きずにいた。すると、母親が突然「ご飯残さずにちゃんと食べろ!!」と言うお叱りで起こしに来たのだ。まだ飯を食い始めてすらいないのに何故残してる扱いされるのだ??とリビングへ向かうと、白米が入ったお茶碗の横に空となった小皿が置いてあった。そしてふと横を見ると口をもぐもぐと動かしているフェリス。そう、俺のおかずを食べられていたのだ。

その日のおかずはメンチカツで、すぐさま「お前〜〜〜〜〜!!!!」とブチギレて口元を抑えると、油まみれの口元で「え?なんですか??」と言うとボケた顔で目線を逸らすフェリスだった。

この事件以降、ご飯の準備する時にはフェリスから目を離さないようにするが鉄則になったのであった。。。

エピソード② 「チョコレート消失事件

俺が高校卒業して直ぐの頃、平日で朝からずっと自分の部屋でゴロゴロしていた時にパートから帰宅した母親からチョコレートゴミちゃんと捨てろ!!!」と言うお叱りを受けた。

チョコレートなんて食べた覚えがないが?と疑問符だった俺がリビングへ向かうと、床にはからになったチョコレートの箱とビリビリに破かれた銀紙が大量に散らばっていた。

何これ、、、とふとフェリスの方を見るといつもより若干興奮気味に尻尾を振りながらこっちを見ていた。

近づいて匂い確認すると口元からチョコレート匂い・・・

そう、この犬、勝手チョコレートを食べていたのである

すぐさま吐き出すように手を突っ込んだりもしたのだが、噛みついてくるし吐く気配がない上に食べてから結構時間が経ってしまっているようで、もう手遅れと言うような状態だった。

ちなみにそう簡単チョコレートが食べられるような場所に置いてあったのかというと、そう言うわけではない。

一般的高校生用の手提げバック(チャック付き)の中にしまってあり(弟のバック)、

さらに箱の中に銀紙で包まれ状態で入っていた。(一口サイズの小さいチョコが銀紙で包まれてるタイプ

匂いとかもバックの中にあるときはそんなに匂わないはずなのに、フェリスはバックを開けて箱を取り出し、箱の中から銀紙で包装されたチョコ剥がして食べたのだ。

その時ほどこいつこんなに賢かったのか?と困惑したことはない。

その後、1日はいつもよりも興奮気味ではあったが、他には特に異常がないところを見て、祖父母に育てられていた時には一体何を食わされていたんだろうと心配になったのであった。

※犬にチョコレート絶対に食べさせてはいけません。皆さんは犬を育てる際にはチョコレートを与えないようにしてください。

また、もし万が一誤って食べてしまった場合は最寄りの動物病院相談に行ってください。

この二つのエピソードは今でもうちの中では鉄板ネタとなっていて、事あるごとにみんなで話している。

そんなバラエティに事欠かない犬だったが、5年前の2020年4月に亡くなってしまった。

ちょうど世間コロナで騒がしくなり始めた頃だったので、よく覚えている。

亡くなる前日にあれだけ食いしん坊だったフェリスがパタリと何も食べなくなって、衰弱していくのを見て「ああもう長くないんだな」と思ったのを覚えている。それで試しに生クリームを口元に近づけたところ、食い気味にぺろぺろ舐め始めたのを見て笑ったのも印象に残っている。

とにかく食いしん坊でまんまるに太っていて、可愛らしい犬だったなぁ。。。

ちなみにフェリスが亡くなってから一月も経たないうちにうちの父親はまた新しく犬を飼い始めたのだが、それはまた別の話なので違う機会に話すとする。

そんなわけで、愛犬を失う悲しさや寂しさを知っている俺の身としては今から妻のメンタル心配になっているのだが、二人と一匹でこれからも頑張ろうと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 18:13

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2025-02-22

たすけて

追記:教えてくれた皆さんありがとうございます今日病院資料ももらえました、、皆さんのコメント活用させてください。

例の家族を慕っていた猫がニャーニャーないている。悲しい。

くも膜下出血家族がなった時に何をすればいいか、全くわからないので教えて頂きたいです、、聞く場所間違っているかもしれないけど、ここが比較的優しいところだから信じてします、、、

・手術は保険適応50-70万くらいと聞いているけど実際どのくらいか

入院するといくら掛かるか全くわかっていない

・その他かかる費用あるかな

社会制度とかで利用しといた方が良いものありますか、、、

家庭の管理全部やっていた人がなっちゃったから困る、マジでみお48歳?なんだけどーって感じ。

今後何すれば良いんだろう?保険銀行関係契約も?何もかもその人に頼り切りだったからもー困った

Permalink |記事への反応(1) | 02:43

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2025-02-21

追記

優しいコメントありがたいよー

リプライ?みたいなの未だなわからいからここに書きます。変えがきかないフリー仕事から自分が死なない限り放棄はできない、それは昔から覚悟してたけど、今回大きく現実を突きつけられたよ。

検査終わったみたいで、検査終わるまでは危篤っぽい事は言われていなかったからすぐ回復すると思っていたのに思ったより重症らしくて本当にしんどい。今は少し言葉は喋れますよーだって、今はって?しんどい

ママくも膜下出血なって倒れちゃったよー

タイミング悪くて出張中で面倒見れない状況わからなくてしんどい

仕事と大切なものとの選択を考えさせられた瞬間だった。

ほんと死んじゃったらどうしよう、そうじゃなくても色々どうしようと思い詰めている。気が張り詰めて緩んで張り詰めて緩んで、涙が止まったり出たり、。

本当にママ依存していたから、ママいなくなったらミオ48(だっけ?)になっちゃう。それもしんどい

つらい。

今年に入ってパソコンも財布もポーチもなんならカバンも壊れて、備品も壊して「ものが壊れるのは新しい風が入るいい予感だよ」なんて言うけど、ママが壊れるのは話が違うしどーゆこと?だしつらい。

Permalink |記事への反応(3) | 23:32

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2025-02-15

anond:20250215093329

この文章信憑性評価すると、以下の点からフィクションである可能性が高いと考えられます

### 1. **記憶喪失の症状が非現実的**

-くも膜下出血などの脳の障害記憶を失うことはあり得ますが、「高校生時代記憶けが残り、その後の記憶が完全に失われる」ケースは医学的に極めて珍しいです。

- 実際の健忘症では、断片的な記憶が残ったり、古い記憶の一部は保持されることが多く、「高校生時代記憶けが完全に残り、それ以降が完全に消える」というのは不自然です。

### 2. **物語構成が作り話に近い**

-記憶を失った女性が「知らない家で目覚める」「見た目はおばさん、中身は高校生ギャル」といった展開は、フィクション都市伝説的な話によく見られる構成です。

-記憶が戻る描写も「パンケーキジュースをこぼしたこと」など、感傷的なエピソード効果的に配置されており、小説的な要素が強いです。

### 3. **細かい心理描写リアルすぎるが、不自然な点も**

- 「高校生だった自分記憶は鮮明にあるが、それが事実と異なっていた」という設定は面白いですが、実際には脳の障害によってこのように「まるで異なる人生経験したような偽の記憶が作られる」ことは非常に稀です。

-記憶がないならば、もっと混乱が強くなるはずですが、文章の展開が比較スムーズすぎる点も作り話の特徴です。

### 4. **結末がフィクション的**

-離婚して子供と会わず最後に「記憶が少し戻る」という終わり方は、ドラマ物語的なオチがついているように感じます

- 実際のケースでは、記憶障害があったとしてもリハビリ治療が行われ、家族との関係を修復しようとするケースが多いですが、この話では「離れることが子供のため」と断言しており、物語的に綺麗にまとまっています

### **結論**

この文章は、実話をもとにした創作、または完全なフィクション可能性が高いです。

インターネット上の創作話(いわゆる「創作実話」)の一つと考えられます

Permalink |記事への反応(0) | 21:51

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つの間にか子供と夫がいた

高2の頃の私はどこにでもいるアホなギャルだった。

携帯友達メールしながら化粧してて、あ、彼氏と待ち合わせの時間だと思って慌てて準備して、玄関から母に今日帰らないかご飯いらないと叫んで、

父が「いい加減にしろバカ」みたいなことを怒鳴り返してきたのを無視して家を出て、少し先まで歩いた所で、当時流行ってた厚底の靴がひっかかってコケて、

爪のデコレーションが欠けたのをあーネイル行ったばっかなのにーこんな重いのとれやすいって言ってたネイリストの言うこと正しかったわーと思った、のが最後記憶


次にふと気がついたら、知らない家にいて、めちゃくちゃ頭が痛いのと、変なゲームボーイみたいなやつが光って電話マークが出てた。

画面になんちゃら幼稚園みたいなの書いてあって、え?でもボタンないのにどうやって出るの??みたいに思ってたら切れた。

とりあえず知らない人の家だけど、おもちゃとかがあり、生活感があって誘拐された感じでは無かった。


→昨日彼氏と飲みすぎて記憶を失って、これは彼氏の先輩の家とかなのかな?と思って少し待ってたけど、彼氏も家主らしき人も誰も来ない。

とりあえず外に出ようと思ったけど鍵もないし携帯もない…と思いながらぼーっとしてたら、知らないおっさんが小さい子つれてきた。

「お前何やってんの?」「お迎えは?早退して行ったんだけど」「いるなら電話でろよ、心配したわ」とか言うから、は?みたいなこと言ったら、小さい子がママとか言ってまとわりついてきた。

訳が分かんなかったけど、よく見たらネイルも全部とれてるし、洗面所に行き鏡を見たら、金髪ピンクメッシュのロングだった髪も暗い茶髪のボブだった。

は?何これ?って思ってたけど、彼氏友達もこないし、説明してもおっさんは訳わかんないこというし、私もパニックになった。

電話貸してもらって彼氏と親に電話してみたけど、この番号は使われておりませんになるし。

とりあえず警察にいこうと思ったら止められて、おっさんが大きな病院に連れて行ってくれた。


病院検査したら、要はくも膜下出血的なやつだった。

本当の私は37歳で、記憶を司る期間がやられてしまって、高2以降の記憶がなくなったらしい。

おっさんおっさんだと思っていたのは、私と同い年の夫だった。ついでに言えば私はギャルじゃなくておばさんになっていた。


肝心の高2のギャルだった時の記憶真実とは違ってて、私はギャルだったことはなく、

彼氏と外泊したりすることもなく、普通に真面目に学校に通っており

何より記憶だと外泊に怒って怒鳴ってた父はおらず母子家庭だったこと。

今でも鮮明にギャルだった自分記憶があるんだけど、高校生の時の写真とか見ても全然ギャルでもないし系統が違う。

子供のことも全く思い出せなくて、可愛がれないし、

見た目はママなのに中身がママじゃないという状況は子どもに悪いだろうと思って半ば無理やり離婚して、子供おっさん(夫と名乗る人)に引き取ってもらった。

見た目がママなのに中身がママじゃないのはさすがに残酷すぎると思った。


今も昔のことはほとんど思い出せないけど、私は美容師とかそういう技術仕事だったみたいで、

やってみたら普通にできたから、離婚後はそれで働いて何とか暮らしている。

夫らしき人は、「お母さんは病気で全部忘れてしまって思い出せなくなった」と説明してくれたみたいだけど、子供からしたら納得はいかなかったと思う。

子供必死ママこれ覚えてる?これは?とかずっと何度も思い出を言ってくれたんだけど、その健気さが辛いのと思い出せる気もしなくて、もう離れることにした。


今はもうそから10年くらいたってて、子供も大きくなってて、元旦那再婚してるし、離婚後は会ってない。

最近、少しだけ結婚生活記憶が戻ってる気がする。

何度も聞かされたか記憶勘違いしてるだけかもしれないけど、子供が小さかったときに近所の公園に行ったことやパンケーキの上にジュースをこぼしたことや、

子ども塩昆布が好きだったから試しにパンに乗せて朝に出したらチョコレートパン勘違いして食べて、子供が怒ったことなどを思い出した。

今更どうこうするつもりはまた全くないけど、申し訳ない気持ち幸せ暮らしてほしいからこそ、連絡はしないと決めてる。

Permalink |記事への反応(16) | 09:33

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2025-01-24

織姫さんは18日夜、「SHOWROOM」でライブ配信していたところ、突然イビキをかき始めた。

異変に気付いたリスナー事務所に連絡を入れ、近くにいた福本氏がすぐさま駆け付け、救急搬送されたが、約1時間後に死亡が確認された。

くも膜下出血だった。

Permalink |記事への反応(0) | 13:54

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2024-11-23

人生楽ありゃあくも膜下出血

Permalink |記事への反応(0) | 19:02

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2024-11-14

仕事をずる休みしたら脳神経外科に回された話

前日、突発的な業務が立て込んでしまい、始業時間1時間上前からの出社を命じられた。

また、客先へ報告に行くことになったので、3時間残業も命じられた。

そのため、非常に疲れてしまい、今日休みたいとしか思えなくなった。


起きると体も頭もだるい

もう休むことしか考えていなかったので、とりあえず電話


事務員はい会社です」

私「私です。今日頭痛がするのでお休みしてもよろしいですか」

事務員部署長に変わりますね」

部署長「部署長です」

私「私です。今日頭痛がするのでお休みしてもよろしいですか」


前いた部署では病気休暇の申請チャットアプリOK電話事務員が出たとしてもそのまま部署長に伝言してくれる。

長期間になるとさすがに医師診断書必要だが、数日なら何もいらなかった。


一方今の部署は今いる部署病気休暇の時の手続きがめんどくさい。

チャットアプリがないので電話による事前連絡必須だ。事務員が出た場合伝言はしてもらえない。

休みたいんですけど」というや否や「部署長に変わりますね」と言われてしまう。気まずい。

休むのが多いと部署から仕事の進捗大丈夫?」とか「休みの日遊びすぎたんじゃないの」とか詰められるので面倒。

さらに1時間の取得でも診断書の提出が必須となっている。一応物的証拠があるので疑われない、という見方もできるのだが…。


さて、証拠づくりに動くか。

初めは診断書のひな型をダウンロード編集して出そうと思ったが、保険証の利用履歴を調べられたら面倒だ。

そういうわけで病院受診することにした。

1カ月前も同じことをしたので、そんなに頻繁に行くと医者も疑ってくるだろう。

そこで、自宅から少し離れた総合病院に行くことにした。


総合病院の受付にて。

係員「今日はどうされましたか

私「頭が痛く、のども少し痛いので、内科受診しに来ました」

係員「では、内科の問診票を書いてください」


少しすると係員が来て「最近インフルコロナが再流行してるので、一旦熱を測ってもらえますか」と。

熱を測ると平熱だったものの「発熱外来で抗原検査を受けてきてもらえますか」。警戒されているようだ。

ついでに「前金として5千円をお預かりします。陽性の場合お帰りいただき後日の会計となります」とも。


発熱外来へ。再度の体温測定の後抗原検査を受ける。鼻に綿棒を突っ込んで粘膜をえぐり取るアレ。痛い。

わずせき込んでしまう。看護師も「綿棒を抜くのでゆっくり息を吐きましょうね~」と慣れている様子。

あれ、検体採取は片方の鼻だけでいいのか。

おまけに血圧測定と血中酸素濃度測定(人差し指をはさむやつ)もした。

当たり前だがインフルコロナともに陰性だった。

ウィルスを調べるなら抗原検査よりもPCR検査の方がいいんじゃなかったっけ?

一応これから発熱する可能性があるのでそうなったら再度受診せよとのこと。あるわけないって。

とりあえず一般外来受診許可が出たのでそちらに戻る。


戻るや否や、「頭痛ですと内科ではなく脳神経外科管轄になると思われるので聞いてみますね」

え?脳神経外科ってくも膜下出血とか脳梗塞とかそういうのじゃないの。

などと考えていると、本当に脳神経外科に回されてしまった。


一体どうなってるんだ、と思いながらも脳神経外科へ。

私「しばしば頭痛になるので、そろそろ診察を受けた方がいいと思い来ました」

脳神経外科医「この時期頭痛の人が多いんですよ。一応MRIを撮ってみますね」

係員「では、検査室へお越しください」


検査室にて。

から違うって…。まぁ自覚症状のない脳腫瘍とかもあるしいいか…と思いながら待機。

MRIなんて、トラックにはねられた時以来、20年ぶりだ。

MRIは強力な磁石を使うため金属類は全部NGだが、金属がないはずの衣類も脱がなければいけないらしい。こうして私は人様の前でパン一に。

臨床検査技師検査は15分ほどかかります

そんなにかかったっけ。確か前やった時は1分強で終わったような。

(後で調べたら、15分は最短時間であり、状況によっては90分かかることもあるとか)

やたらとピーピーガーガーうるさい機械だった。狭くて薄暗い空間が落ち着いたけど(閉じ込められるのは勘弁してほしいが)。


検査を終え診察室に戻る。当たり前だが、何の異常もない。

脳神経外科医「あなたの頭は大丈夫ですね」

私「(は?)」

脳神経外科医「気圧によるものと思われるので市販頭痛薬で様子をみてください」


受診終了。抗原検査に加えMRIという大げさなことをしたので2時間・料金は〆て9千円。

9千円の出費は痛いが、仕事を休めるならお金くらい払う。

診療明細書には内科文字はなく、代わりに「脳神経外科」というとんでもないものが載ってしまった。

事実小説より奇なりとはいうが、もし部署長とかに聞かれたら受診の経緯を正直に話そう。事実から


結論。ずる休みしたいとき証拠づくりをするなら精密検査対応していない個人医院を選ぼう。やる気のない医者ならなおよい。

罪悪感は全くない。休みたくなったらまた休もう。有給休暇を減らさずに合法的に休めるなんて最高だぜ。

午後はやることがないので、カラオケでも行ってデレマスシャニマスの曲でも歌ってくるか。アイカツきらりん☆レボリューションもいいかも。

何で仕事に行く日はだるいのに、休めるとわかるとここまで元気になるんだろう。これ、新種の健康法だったりして。

Permalink |記事への反応(12) | 11:07

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2024-03-17

anond:20240317231422

どっちも死んだぞ

くも膜下出血と大動脈解離でな

Permalink |記事への反応(1) | 23:16

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2024-03-13

anond:20240313123426

友人がいないんじゃなくて友人はみんな死んだよ

肺がん、大動脈弁狭窄症、糖尿病、急性くも膜下出血登山中に滑落

みんなこんな感じで死んだ

Permalink |記事への反応(0) | 12:37

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2024-01-18

自分の何もかもがゆるせない


クソみたいな家族の元育った。

ドラマ登場人物か?というくらい暴れるアル中無職父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。

私は毎日何が何だかからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。

父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。

母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでから反省して欲しい。

母親が倒れたことで兄弟バラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。

私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。

お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。

すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。

生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。

脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間他人が入ってくることに少しホッとした。

私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。

勉強一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。

高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。

家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率ノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分タンスにしまっている。きもっ。

高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。

私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親からまれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。

その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。

休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。

1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったもの卒業証書を貰うことができた。

高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘル水商売渡り歩き、22歳の時に介護資格をとってからはずっと福祉仕事を続けている。

数年前には社会福祉士養成学校入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。

ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレの子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。

セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。

3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。

中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。

22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを

もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。

その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。

それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。

食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。

もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。

そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護資格を取ることだった。

介護仕事といえば、学歴職歴関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。

福祉仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。

普通人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。

私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間エリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。

今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。

私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。

それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。

優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。

何もかも私が悪い。

これからも一生自分を許さないし、早く消えたい。

誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。

Permalink |記事への反応(2) | 14:23

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2023-08-02

anond:20230802133020

ワイは医療に明るくないが、そういうよくわからん症状の数日後にいきなりくも膜下出血で死亡とかよく聞く話だし、近いうちに病院行って検査してもらいな~

何もなかったらそれはそれで安心材料になるだけだし お大事しろ

Permalink |記事への反応(0) | 13:37

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2023-06-17

anond:20230616225357

承前 https://anond.hatelabo.jp/20230616225357

午前9時過ぎに、看護師から電話があった。

午後からカテーテル検査を行い、その際、手術を行うことになるだろう。

その前に脳外科医と手術室前の懇談室で会うことになった。

同意書等を書いていただくので、早めに来てください」

電話を切ってから、よし腹ごしらえしようと思った。

昨日、夫が食べるはずだった夕飯を温めて食べながら、スマホ検索をした。

くも膜下出血治療について、予想される合併症脳梗塞水頭症退院までの経緯などなど。

そうなるよなという現実

3分の1は助からず、3分の1は重篤後遺症が残り、残りが社会復帰できる。

その現実は重過ぎるよな。

病院へ向かう電車の中でふと思った。

父の葬儀の時、BGM指定しなかったら、葬儀社がジブリのメドレーを選択した。

それからジブリ映画を見ると、父の葬儀を思い出す。

今思うと、あれは良くなかった。

から葬儀の時のBGMは必ず指定しよう。自分葬儀ではこれを使ってというのはある。

でも、夫はなにがいいんだろう。

このまま、話が出来なかったら、わからないままか。

そんなどうでもいいようなことが浮かんでは消えていた。

約束時間よりも早めに着いてしまった。

手術室前の懇談室のイスは救命救急室前のイスよりは上等で、

要は、ここで過ごす時間は長いということなのだろう。

約束時間を30分過ぎてから脳外科医は現れた。

「夜1時過ぎに画像は見たのですが、出血した箇所がわからなかったんです」

くも膜下出血の90%は脳の血管の瘤のような個所から出血する。

カテーテル検査で瘤を見つけて、その場で手術する。

手術は、コイルのようなもの出血した瘤に置く。それで血は固まり、瘤は固定化され、出血は止まる。

ところが、夫の頭の中には流れ出た血は見えたが、どこからがわからなかった。

なので、今日は丁寧に探して、出血個所を特定したいと。

「かかっても1時間ぐらいで終わります

よろしくお願いいたします」

Permalink |記事への反応(3) | 23:54

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2023-06-16

anond:20230615032338

承前 https://anond.hatelabo.jp/20230615032338

くも膜下出血ですが」

救命救急医師からはすぐに処置はできないと伝えられた。

「この時間に手術するのは人も足りなくて危険だと思うので、血圧を下げる点滴をして様子を見ましょう。昼間に脳外科の先生に診断をしてもらってからですね」

深夜にやるのは無理だから、朝になるまで待つことになった。

あちらこちらにいた搬送された人たちや付き添いは、車椅子で帰ったり、病棟ストレッチャーで運ばれたりで、気がつくと私ひとりになっていた。

雨も止んで、外は明るくなってきた。

朝か。

ぼんやりとその明るさを見ていた。

パタパタ看護師が走ってきた。

救命救急室の出入りが激しくなった。

出血してる」

脳外科の先生呼んで」

と言う声がして、しばらくするとストレッチャーが出てきた。

わず立ち上がって、のぞいたら、夫ではなかった。

目をつぶった老人が運ばれていった。

いつだって、誰かが、死の淵をのぞいている。

救命救急室の前なのだから

わかってはいるが。

開けっぱなしになった救命救急室の扉から中をおそるおそるのぞいた。

男性看護師と目があった。

「ここからICUに移動となるので、もうしばらく待っててください」

それから1時間たってストレッチャーに乗った夫が出てきた。

服は脱がされて、身体中にパッチが貼られて、モニターにつながれている。目はタオルに覆われていて表情がわからない。声をかけるのもためらわれて、ストレッチャーの後ろから見守るしかなかった。

入院手続き書類を何枚も書いた。看護師に渡すときに、いつぐらいなら脳外科医と話せるかを聞いた。

先生が出勤したら確認をして電話します。手術前の説明同意書への記入が必要ですから

そうか、帰れないよな。

と思ったら、

「手術になるとしても午後になると思うので、入院必要ものを取りに自宅へ帰っても大丈夫ですよ」

ありがたい。

いつまで待つのか、どうなるのか、わからないのが辛過ぎる。

「緊急にやる時もすぐ駆け付けますので、この番号に連絡をください。よろしくお願いいたします」

と頭を下げて、病院を出た。

もう始発電車が動き出している時刻だった。

Permalink |記事への反応(1) | 18:55

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2023-06-15

待合室に座っている

午前3時、救命救急室の前に座っている。

午後10時に帰宅した夫は少しイライラしていた。

「体調大丈夫?」と聞いたら、

「嫌なことがあっただけだから」と言った。

ストレスがたまっているんだな。

毎日忙しいからな。

そのぐらいにしか思わなかったのだが。

しばらくしたら、いきなり頭が痛いといい出して、うずくまってそのまま動かなくなった。

でも、意識はあって、救急隊員に年齢を聞かれて、私がとっさに答えられなかったら、

「54です」と目をつぶったまま応えた。

意外と平気そうと思った。

救急隊員もおやっと思ったようだった。

「原因わかるといいですね」

「お世話になりました」と別れて

それでさっき検査が終わった。

くも膜下出血

想像していたのとは全然違うよ、こんな展開。

生きるか、死ぬか。

まさか

まさか

昨日、ラーメン食べた帰り、白河までラーメン食べに行こうって言ったよね。

行列すると暑いだろうから、秋になってから行こうね。

できれば温泉に泊まろうよ。

って話をしてたのに。

Permalink |記事への反応(2) | 03:23

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2023-05-31

新人研修中、親からコロナ感染

2023年4月新卒としてIT企業入社した。

大学文系だったが、技術研修の成績はまあまあ。

情報系を卒業した同期たちの次に成績が良かった。

5月末、親に呼ばれて家族旅行に参加した。

家族旅行前日、母親が体調を少し崩していた。

家族旅行1日目、父親が体調を崩し始めた。

家族旅行2日目、父親が39度の発熱旅行中止。

私は帰れるうちに独り暮らし先に帰った。

帰宅翌日、私も高熱。発熱外来コロナ確定。

研修期間に1週間以上の欠勤確定。

親が私にひたすら謝罪している。

というのも、私は実は20代後半。

中高時代イジメられ、鬱病入院歴あり。

そんな子が会社就職できただけで想定外だろう。

発達障害特性もそこそこヤバい

コロナ報連相でも会社から怒られてばかり。

技術適正が高そうだから採用されただけの年増新卒が、身体を壊し、自慢だった頭にもやがかかった感覚に陥り、マナー違反を繰り返す。

どうしたらよかったんだろう。

母親くも膜下出血後遺症言葉をうまく使えないから、体調不良を伝えられなかったのは正直「だろうな」って感じだし……

私は発達障害(診断済)とか双極性障害(診断なし)とかの感じちゃうからコロナの症状がきちんと重い。高齢の親より重い。

空気読めなくてもIQ高いことだけ取り柄だったのに。頭のもやもやと倦怠感早くどこかいってほしい。

後遺症とか残ったら会社でやっていけるかわかんないし、もう嫌だ……

でも、親から感染した以上、独り暮らしやめて実家に戻るのも嫌だ……

Permalink |記事への反応(2) | 21:35

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2023-05-08

くも膜下出血の「くも」って「蜘蛛」なんだね

蜘蛛膜下出血と書くらしい

蜘蛛膜というのは、見た目が蜘蛛の巣みたいな膜なんだって

Permalink |記事への反応(0) | 18:13

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2022-06-29

医者にまつわるためにならん話

ブログやってみ!と言われたので書く。

厳密に言えばダイアリーから日記やろけど。

初めてやこんなの。

眠い医者の話するで。

わしは脳外先生に対して勝手に『外部の人間と接するのが苦手すぎて電話対応ぶっきらぼうになり、怖い印象を持たれてしまうけど、実は身内のことが大好きで知り合いになると突然仲良くしてくれるだけでなくもはやデレさえする人たち』と思っている。これは紛れもなくわしの偏見。でもどうしてもせやろがいと思ってしまう。

脳外の中で一番外面がクール内面しょうもないギャグおにいさん(おじさん?)の話をします。

医者って思ったよりオペ中にしょうもない話するんよな。これはオペで緊張しすぎんように大事らしく、中には音楽を流しながらやってるところもあって、それのおかげで手が震えたりパニクッたりが減るから大事ことなんやけど。

中でもここにメモするわしが好きだった医者は、高身長クールな見た目をしていて、静かで排他的イメージのある人なんですが、仲良くなるとギャグを連発する人でした(以下『ギャ』と表記)。

研修医「この前スポンゼル切ってる時、クーパーでモリモリ切ってたらワイルドやなって言われました」

脳腫瘍を吸引するギャ「ワイルドだろ〜?」

研修医ゲラですぐ笑うので、ギャは隙あらば古いギャグねじ込んでいく。

脳腫瘍を吸引するギャ「ラッセーラー!ラッセーラ!」

後輩医師調子ええなあ(小声)」

ギャ「え?(デカボイス)」

後輩医師「なんでもないでーす」

研修医「ヒヒwwww」

脳を触るギャ「どこ見てんのヨ♡」

後輩医師今日調子ええな」

ギャ「え???(クソデカボイス)」

後輩医師「なんも言ってないでーす!」

研修医「えっへっへwwwwww」

非常に楽しそう。会話だけ聴くと全くオペ中やとは思えんようなソレやった。

研修医「もうすぐ入局科を決めなきゃならんのですけど、全く決められなくて。脳神経外科は興味めちゃくちゃあるんですけど。他に興味ある科があって、どっちも好きなんですよね」

後輩医師「まあできればうちに入ってほしいけど」

ギャ「先生肉好き?」

研修医「え?」

後輩医師「ん?」

研修医「え、肉好きです!え?」

ギャ「肉食べさせてあげる」

後輩医師勧誘下手くそか」

ギャは勧誘が下手やった。

また別の日、研修医は入局もしていない脳神経外科医局に、症例に関する相談をしに遊びに行ってた。ちなみにこの時点で時刻は午後10時頃やった。そんな時間に遊びに来るな。

ちなみにこの時間でも医局は人だらけやった。

研修医くも膜下出血の人のことを相談に……」

医師a「それはね……」

比較的真面目な話をしてたら、どこからともなく(ちゃんと扉の方から)ギャが現れた。

ギャ「それはさあ。ほら……優し〜く治療しないと……ね、マ〜イルドに……さあ……」

医師a「なんすかそれ!」

研修医「ふwwwwwww」

研修医はすぐギャグターゲットになるのだった。

おわり。

今日職場環境がいいので体調ええわ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:24

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2022-06-06

タイミング

施設長目指してた同期。

施設長に慣れなくて、退職した二ヶ月後。

施設候補の私がくも膜下出血で倒れた。

あと二ヶ月我慢すれば施設長になれたのにね。

タイミングって解らないね

Permalink |記事への反応(1) | 12:47

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2022-04-27

anond:20220427100808

かんなぎは作者がくも膜下出血で倒れたのが原因であり非処女疑惑関係ないし普通に再開している

デマ屋の発言なので読む価値なし

Permalink |記事への反応(1) | 10:22

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2022-04-16

朗報ハフポストジャニー喜多川さんを記事しまくってしま

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa_jp_5d19a27ee4b082e5536b950d

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/kokubun-taichi_jp_5d1a8fcee4b07f6ca5823d74

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa_jp_5d24a0f7e4b0cfb595fc5435

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d24a464e4b07e698c413711

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa_jp_5d24a2d5e4b0cfb595fc58d3

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa-higashiyama_jp_5d251294e4b07e698c425264

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa-kokubun-taichi_jp_5d251b72e4b07e698c426373

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/weibo-mucun_jp_5d253031e4b07e698c426e52

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnnys_jp_5d25374fe4b07e698c42716f

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-meigen_jp_5d25579ce4b0cfb595fda557

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa-hit-song_jp_5d2561c5e4b0583e482905c8

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d254158e4b07e698c42768d

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/kat-tun_jp_5d258674e4b0583e4829216e

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-kitagawa2_jp_5d24a100e4b0583e4827b0bc

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d2a9585e4b0bd7d1e1d954b

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/atarashii-chizu-johnny-san_jp_5d313ba3e4b020cd99412d5e

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d622d95e4b02cc97c8edac6

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/johnny-san_jp_5d6f1f1ee4b09bbc9ef663b4

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d104102e4b07ae90d9f734a

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/arashi_jp_5d6f6f50e4b011080456ece7

ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e1571acc5b6c7b859d2a23b



ちなみに一番多くジャニーさん記事執筆してる生田綾さんは「1989年まれジェンダー女性生き方人権ハラスメント問題ルッキズム(ボディポジティブ)などに関心があり、取材していますドラマ映画音楽などのエンタメから社会問題について考えることも好きです。」らしい

追記:ごめんよくカウントしたら生田さんは2位で湊彬子さんが一番多かったわ。「ハフポスト日本版ニュースエディター。朝日新聞から出向中です。元テレビ局員。 関心分野は、ジェンダー/メディア/LGBTQ/自己肯定感/エンタメ/ファッション…などなど。今の推しドラマは「スカーレット」です。Twitter @minato_a1」

Permalink |記事への反応(14) | 09:47

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2022-03-27

なんかひどい

祖父

甲状腺がんで通院中

耳が遠い

足腰悪くなってきた

頓珍漢な発言が多くなっている(特に祖母が倒れてから

祖母

最近くも膜下出血で倒れ、入院

開眼しているがそれ以上の進展はない

手指骨折脊柱管狭窄症で通院中

両疾患とも治療が長引き苦しんでいる

もともと精神不安定

自分

精神科通院中

Permalink |記事への反応(1) | 02:52

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2022-01-13

anond:20220113075648

くも膜下出血とかじゃなかった?

Permalink |記事への反応(0) | 08:21

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