
はてなキーワード:お笑い芸人とは
なぜ高市自民がここまで大勝することになったのか。自分が相対的に最も腹落ちしたのは、政治学者とか政治評論家の説明ではなく、東大卒お笑い芸人である大島育宙の説明。彼の説明を自分なりに要約および翻案・加筆すると以下の通り。ちなみに大島は明確に「リベラル・左派」の立ち位置の人間である。元ネタはTBSラジオ「こねくと」内の「空閑時評」https://www.youtube.com/watch?v=4J1MbgwIeV8
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視聴者数が何十万を超える動画サイトの政治系チャンネルを毎日見ていたが、その感想として一つの特徴というか問題があることを発見した。それは、選挙情勢の話ばかりで、高市首相や野党の政治理念とか政策の内容についてはほとんどコメントしないことだ。そしてこれが、高市自民がここまで圧勝した大きな理由の一つであると思う。
選挙情勢の話ばかりというのは、要するに「高市自民優勢、中道思ったほど伸びず」という話ばかりということだが、そこで配信者は「なぜ自民が優勢で、中道が伸びないのか」という分析になり、さらに「高市首相の戦略が当たってますね、逆に中道は外してますね」というコメントが続くことになる。
それを見ている視聴者・有権者は、「高市さんは戦略がうまくて賢い、中道はやはり戦略が下手で頼りがない」という印象を強く持つようになる。これが毎日のように繰り返されて、「賢い高市さん、情けない中道」というイメージが強化および再生産されていくことになり、自ずとその差は選挙戦が進むごとに開いていく。
いわば、スポーツの報道と選挙の報道が同じになってしまっている。勝っているチームは「さすが」「すごい」と報道され、負けが混んでいるチームは「だらしがない」「なさけない」と報道されるのは、プロスポーツでは当然で仕方がないだろう。しかし、政治や選挙でもこれと同じことになってしまっており、例えば「中道は劣勢だが正しいことは言っている」とコメントされていることが全くなくなっている。テレビの選挙報道もある程度そうなってしまっているが、SNSや動画サイトではそれしかないと言っていい状態である。
動画配信者は、最後まで自分がどのような政治的な理念や主張を持っているのかを明らかにせず、第三者的な目線を絶対に崩さない。当然政権批判などは絶対にしないし、外交における失政や統一教会問題などもいっさい取り上げない。日本人の圧倒的多数は、自分が特定の政党や政治イデオロギーを支持していると思われることを極度に嫌がり、再生数にも響くからだ。しかし皮肉にも、第三者的な立場と選挙情勢の分析に徹底した結果として、高市首相に対する翼賛的な動画として強力に機能してしまったことになる。その自覚は、残念ながら配信者にも視聴者にも全くない。
国会議員になるには、表舞台に立って有象無象の聴衆の支持を集める必要があるよな。
そうして誕生した新人議員の最初の仕事は、国会でのヤジ要因だったり、地域の祭りやイベントへの巡業だったりだ。
でもそれってお笑い芸人と同じじゃん。
芸人がバラエティ番組でヤジを言ったり、地方へ営業したりするのと同じじゃん。
人気があるうちは仕事が続けられるけど、人気がなくなったら仕事を干される。
芸人は、自分の実力でメディアに出ているかのように振る舞っているけど、実際にプロデュースするのは広告代理店やテレビ局だ。
国会議員は、立法府の一員として自ら法律を作成したかのように振る舞っているけど、実際に法律を作るのは官僚だ。
芸人がつまらないことをして非難を浴びることはあるけれど、芸人を起用した広告代理店が非難を浴びることは無い。
国会議員が法案や政策で非難を浴びることはあるけれど、国会議員に法案や政策を作らせた官僚が非難を浴びることは無い。
メディアをプロデュースする広告代理店が非難を浴びないように、日本の政治を運営する官僚もまた非難を浴びないのだ。
真の実力者は、矢面に立たないのだ。
今日は、昨日行われた衆議院選挙の結果がメディアで報じられた。
当選した議員は万歳三唱などをして、さながら芸人のバカ騒ぎだ。
官僚以上の法律知識を用いて、官僚を使いこなす議員は田中角栄が最後だろう。
それ以降に登場した議員の全ては、官僚の傀儡に成り下がった芸人も同然だ。
各々の議員が所属する政党ごとに分かれて、与党と野党を形成して議論をしてるように見えるが、その実態は茶番やプロレスも同然だ。
いや、待った。
これまで国会議員をお笑い芸人に例えてきたけれども、違うところはあるのではないか?
例えば、芸人はプロデュースをマネージャーや広告代理店などの他者に委ねようとも、ネタは自ら考えて自ら演じているではないか。
それに、芸人はたとえ滑ろうとも、自らの言葉で笑いをつかもうとしているではないか。
一方で国会議員は、議員にとって最も重要な職場である国会の場においてさえも、官僚が作った原稿を読み上げているだけだ。
すまない。
戦争が起きるんじゃないか、日本がやる気満々で参戦するんじゃないかとも噂になっているけども
どこかの議員が「血を流していただく」と発言し物議をかもしてるけど
「汗を流していただく」とわざわざ別に分けて特筆して「血を流す」と述べている点から
普通考えられる国民の痛みを意味する「汗」とは別の「血を流す」事態を予定しているのがわかる
お笑い芸人がYoutubeのコメント欄を閉じると同時に謝罪動画を削除してちょっと前に炎上してたけど
見限ったときに「決別」「断絶」をするんだよね
以前はある程度掲げられていた「氷河期世代支援」はすっかり消え失せてしまって
氷河期世代を見限り切り捨てる「断絶」が始まっているということがわかる
徴兵はあると思ってても若い人から取るんでしょと高をくくってる氷河期世代いる?
若者は死なせたくない、若者は守りたい、若者だけは、という今の社会が出す結論は
これで世論の反対も少なく徴兵できるし(氷河期世代に味方してくれる人間が存在しないのは嫌というほどわかってるはず)
荒唐無稽な妄想と思うだろうけど氷河期世代の切り捨てが始まっている事実は考えるべきじゃないか?
何も悪いことはしていないし努力はきちんとしてきたのに「昭和○○年生まれだから何の価値も無い存在だよ、若い価値ある人たちのために弾除けになってね」なんて言われて納得できる?
自分らを散々バカにして汚物のように扱ってきたゆとりやZを守るために命を懸けろと言われてわかりました!って言える?
なにもどこかの特定の党は悪だから金輪際支持すること無かれなんて言ってないのよ
今このとき特定の党が大勝することについてちょっと考えてもいいんじゃないのって話です
右だの左だの以前に死ぬの嫌でしょ?
NHKが番組の情報内容の質で勝負していて、タレントやお笑い芸人をほとんど起用していなかった時代。
その時代に、民放はNHKバッシングを徹底的にやっていた時期がありました。
それから間もなく、NHKは芸能プロダクション所属のタレントやお笑い芸人を積極的に起用するようになった。
なぜでしょう?
NHKはバッシングをやめてもらうために、芸能プロダクション所属のタレントやお笑い芸人を番組に積極登用する要求を呑んでしまったのだそうです。
芸能プロダクション連中と民放連中がタッグを組んで、NHKに圧力をかけていただけだったわけです。
どんなものにもケチはつけられますし、NHKはその攻撃を受けていた。
民放テレビ局や新聞社による隊列を組んでのリンチ的なバッシングに屈してしまった。
しかし、テレビ局幹部よりも力のある芸能プロダクションやタレントがNHKに起用されていることで大儲けしている構造がある。
結果としてNHKはかつての質実剛健な番組では無くなり、芸人・タレントを前面に出した薄情でチンケな番組だらけになった。
民放も民放でネットから「衝撃映像!」「かわいい動物たち!」など情報を拾ってきた省エネ番組がとても多くなり、それならネットでいいじゃん、と人々はテレビ離れを進めた。
NHKも民放も報道するべきを報道せず、報道しても切り貼り印象操作が卑劣だという批判が根強い放送があまりに目立つのも、テレビ離れの原因のひとつです。
新聞は昨日に起こった「古いニュース」が朝に届くという根本的な欠陥のある媒体なので、もはやデジタル端末がいっさい使えないほどに能力的なハンデのある高齢者ぐらいしか読んでおらず、その高齢者も寿命を近いうちに迎えようとしている。
今をときめく売れっ子芸人達が当時若手芸人としてシノギを削っている真っ只中であり、大変豪華なメンバーを劇場で1000円位で見ることができた時代だった。当時のお笑いはスマホがない時代、校則でアルバイトができない学生でも十分楽しめる娯楽だったのだ。
特にNHKで放送されていた「爆笑オンエアバトル」は毎週録画するくらい熱心に見ていた。毎週(隔週だったかも)公開収録が行われており、観覧に当たらなくても無料で見学することができた。
ラーメンズ、ますだおかだ、アンタッチャブル、ドランクドラゴンなど初期のオンエアバトルを支えた人気芸人達が卒業していくなかで、彗星の如く初登場初オンエアを獲得したあるお笑いグループにどハマりしたのだ。ネタが面白い、なのにオシャレでカッコいい。私は一気にそのお笑いグループの大ファンになった。
以降、四六時中ずっとそのグループのことを考えるようになった。お笑いの雑誌を買って切り抜き、友人と足繁くライブに通った。大物芸人達が出演するライブの前説に推しが出るとわかれば前説目的でチケットを買った(当たり前だが、途中で帰ることなく最後まで鑑賞した)単独ライブで、観客を巻き込んだコーナーで推しに当てられた時は嬉しくて気が狂いそうだった。推しが怪我をしたと掲示板で知ったら、自分に何かできることはないかと真剣に考えて、好きな曲だけを集めたMDを送ろうとした(さすがにやめたが)だいぶ認知が歪んでいた。
推しに熱狂する一方で、?ということも出てきた。推しのメンバーのうちの1人がかなり出待ちに冷たかったのである。目も合わせないし無視するか、かったるそうに応じる。それ以外にも、ファンの方を向いておらず、先輩芸人とのホモソーシャルな結びつきを大切にしているのではないかと感じることがあった。今の芸人の「軍団」とはちょっと違う印象を受けた。出待ちは、当時は黙認されていたが後に禁止になった。今売れているお笑い芸人達は出待ち1人1人に丁寧な対応をしていた人が多いように思う。当時の出待ち勢が今も何かしらの形で支えているのだろう。特にロバートは3人ともすごく優しく丁寧に応じてくれたのを今でも覚えている。
推しに少々の違和感を持ち始めた中、推しがレギュラーメンバーのお笑い番組が始まった。期待に胸を膨らませリアタイしたが、全く笑えない酷くつまらない番組だった。番組の最後に沢山のよくわからない露出度の高い女性が踊っている中から推したちが指名し、女性が服を脱いで水着姿になる、というコーナーを目の当たりにしたときには推しへの気持ちが急速に冷めていった。
水着のお姉さんが嫌なのではない。当時の深夜のお笑い番組は水着の女性がレギュラー出演することが割とよくあった。彼女たちは美人でスタイルも良く、サバサバしていて話も面白く好感が持てた。
それとは違う、ファンが最も見たくないであろう、推しが風俗嬢を指名している場面を見させられたような気持ちになった。
次の日、一緒に推し活をした友人と会話が途切れ途切れになったのを覚えている。クスリとも笑えない内容、何の予告も無しに見させられた、最も見たくなかった形のエロ。
そこから大学受験で多忙になってゆき、徐々にお笑い自体を追いかけなくなっていった。
そこからだいぶ時間が経ち、久しぶりにかつての推しがニュースになっていた。解散し、新たな体制になるというニュースであった。推したちは売れないままおじさんになっていた。
久しぶりに推しの動画を漁った。ネタもファッションもあのときオシャレだと感じたままであったが、同時に「懐かしい平成」と化してしまったように感じた。
インターネット黎明期でお金のない学生時代の推し活で本当によかった。
あの時に、今のようにある程度自分で使えるお金が当時あったとしたら、おそらくもっと推しにお金をつぎこんでいただろうと思う。そして見たくもないエロを見せられてお金をつぎこんだことを後悔しただろう。
この言葉を残したのはお笑い芸人のコウメ太夫氏である。意味不明である、私もつい最近までは
しかし、世界情勢を見ているとこれに対する真意が見えてきた気がする。
例えばついこの前のアメリカによるベネズエラ攻撃、大半の人間はこんな事は起きるわけないと思っていたであろう。つまり大半の人間からしたらベネズエラは丸だったわけである。しかし、アメリカからすれば理由は割愛するが、ベネズエラは三角であり、その尖った部分をなんとかしたわけだ。世界情勢を見ていると丸だと思ってみていたら三角だったなんてことはザラにある。
その昔、私が聞いた話だが、あるクラスには優等生がおり、誰もが犯罪などそいつがする筈がないと思っていた。つまり誰もが丸だと思ってそいつを見ていた。しかし、ある日、そいつが近所のスーパーで万引きをしていたことが発覚した。しかも複数回であった。つまり彼は実は三角だったのである。そして発覚した途端、そいつはいじめられるようになった。まるで最初から尖っていた三角のようにだ。このように一見、丸に見えるものそれはあっさりと見方を変えれば三角になる。
コウメ太夫のネタははっきり言って意味不明である。しかし、1950年代の人間にガソリンで走る車かと思ったら水素で走っていたなんて言っても意味不明だとバカにされるだろう。見方とはそれと一緒で一見意味不明なものが実は真実だったりする。丸だと思って見ていたら三角でしたなんて誰でも思いつくだろう。そう、見方を変えてみるなんて意外と簡単で誰でも出来ることなのだろう。
自分は政治的スタンスは保守でなく、たぶんリベラルなんだけど。
といった具合に、どっちなのかわかってないぐらいに政治に関しては詳しくない、が正確だと思ってる。
で、筋肉弁護士桜井ヤスノリについて思うところを匿名で書くけど、あの人わるい人ではないと思ってて。
最初、あの人が目に止まったのは深田萌絵のことを取り上げていたからで。
深田萌絵は言うまでもなく、レベチのバケモンなんだけど、正直関わると面倒くさそうだから他のYouTuberもいじる人少なかったんだけど。
まあ、筋弁いつものノリでめちゃくちゃにいじり倒して、その後ターゲットを参政党辞めた奴らに絞ってコラボ始めて。
そのあたりからノーボーダーに出演して、河合ゆうすけとバチバチにやり合って、ボコボコに嫌われて。
でも自分、少数派と思うんだが、河合ゆうすけとかフィフィの方がビジネス臭して、香ばしいと思ってる。
で、筋弁はというと最近、ベネズエラの解説動画なんか見てても正論しか言ってなくて。でも再生数の少なさにエックスで嘆いたりしてて。
長くなったけど何が言いたいかというと、彼って分かりやすくバズ狙ってんのが見えすぎてて、なんかチャンネル登録するのもなーって感じなんよな。
エックスでもバズってるポストを引用して暴言めいたこと吐いて、少しでも人の目に止まることに注視してる感じがして。
言ってることはいいこともあるのに(そもそも弁護士は人権をまもるのがモットーなので、リベラルという自認のある自分とは意見はあってる)、嫌われてるからだけじゃなく、あまりにもバズ狙いが透けて見えすぎてるのが伸びない理由だと思う。
箕輪厚介が言ってるみたいに真実なんかどうでもよくって面白いストーリーに乗っかるのが良しとされてる時代だと思うんだけど。
彼はお笑い芸人のネタとか入れながら、独特の雰囲気で正論述べるってセオリー的にはバズっておかしくないやり方してるようで、事実YouTubeの再生数や登録者数を見ても「負け」てるのは事実だと思う。
たぶん早くに結果を求めすぎてるからだと思う。
もっと戦略的にやって、興味はあるけどなんかややこしそうだからチャンネル登録しないっていう自分みたいな人間も乗っかれるようなストーリーなりを作って欲しい。
もしくは自分を信じて発信を続けるか。
これ、本人にリプとかDMしようかと思ったけど、あの人ややこしそうやからブロックとかされそうやん?笑
アディーレの石丸弁護士も入社当初の彼のことを「かなり変わった性格」(うろ覚え)と言ってたけど、そういうとこやぞ・・・と本人に届くかどうかわからんところで書いてみた。
これ、叩かれるんやろうな(笑)
令和のお笑い芸人は過度にお酒のまないひとのほうが成功している印象がある。
現実逃避の手段を酒に求めると、笑いが弱くなるんだろう。笑いもまたひとつの現実逃避だし。
緊張と緩和、それが笑いのメカニズムであるならば、緊張=シラフでいることは笑いの条件であるだろう。
ダウンタウンの松本ひとしも、若いころはいっさい酒のまなかったはず。
みんなが打ち上げでどんちゃん騒ぎしてるときに、部屋で夜通しネタ考えていたという
エピソードを本人がなにかで語っていたのを覚えている。
しかし、酒飲み始めて筋トレし始めたあたりから彼の活動にはあまり興味が持てなくなった。
酒=悪ということを言いたいわけではないが、わたしも基本的には酒は飲まない。
酒の酔いは好きだし、昔は私もよく飲んだけど、いまは基本的に飲まない、なぜなら仕事のパフォーマンスが明らかに落ちるから。
毎日早起きして確認事項を各所に送り、昨日のやり残しを昼までに片付けるというサイクルが維持できなくなるから飲まないのだ。
個人事業主だから、というのもあるが、案件で外出しない日の午後に事務仕事を残したくない、自由な時間を確保するためには
午前中のパフォーマンスを最大化することが必須でそのためには酒を飲んでいられない。
やってると知ったのは途中からだったから、観始めたのは途中から。たぶん六組目ぐらいから。
久しぶりに漫才のテレビなんて観たから笑えるのかって不安だったけど…いやぁまあ面白かったね。たくろうの漫才には普通に笑っちゃったし。優勝にも納得。けど1000万貰えるからって、M-1が一番面白い漫才番組かといわれると、首を横に振るよね。ネタが先鋭化していてレベルが高い、なんて自称お笑い通なんかは言うわけで。
本質は違うんだよ。というかね、そもそも論としてお笑いを高尚なものに祭り上げすぎなんだよ。実際さ、お笑いなんてただのお笑いだよ?それを大袈裟に凄いもんだっていう風にするところから違うんだよ。優勝はたくろうで~す~!ってなって、1000万の札、看板みたいなあれなんて爆発させればいいんだよ。もちろん怪我するようなやつじゃないよ。ドッキリみたいな感じで。そんで1000万は爆発したので無しです!笑
ぐらいのテンションでいいんだよ。それがいつからか、お笑い芸人はモテるとか、金持ちになれるとか、そういうんじゃないんだよ。本来は。モテないならモテる職業やれよ。金持ちになりたいなら金持ちになる職業やれよってな話で、み~んなお笑いを"やってるつもり"なんだよ。
ダウンタウンなんかを批判するときに"あの笑わないといけない空気が嫌"っていうけど、それ今のお笑い業界でも全然払拭できてないし。というか昨今のお笑い芸人ほどその霧濃いからな。笑わないとセンスない、みたいな笑いをセンスと言う名の強制してくる風潮、今のお笑い芸人の方が断然強い。
フィンランドのおえらいさんが吊り目ジェスチャーをしたらしい。
その行為に「アジア人差別」の文脈が乗っかっていることは理解している。
でもたぶん、フィンランドのおえらいさんはそこんところが意識化されていないように感じる。
日本人も、肌を真っ黒に塗ったお笑い芸人が笑いを取るネタを四十年ぐらい前はやってた。
その行為に「黒人差別」の文脈が乗っかっているということを、当時は理解していなかった。
突然海の向こうの遠くの国の誰かさんが、「それは黒人差別という文脈があるんだよ」と言うから、そういうことになったように思う。
高い鼻をつけるお笑い芸人もいた。その行為に「白人差別」の文脈が乗っかっているってことも、海の向こうの遠くの国の誰かさんが言ってたから、そうなった。
差別をしようと思って意識的に差別をする人は、流石に見たことない。たいていそういう行為は、「ウチら」の中では表現として認められてる。
でも、「ウチらの外」は表現として認めていなくて、それを差別と意識している。つまり、差別を定義するのは被害者側なんだなと思う。
たぶんみんなどっかで差別はしている。誰かがそう認識してないだけで、みんな失礼なことしてる。
その失礼なところを、「ウチらの外」から指摘されたら、少なくとも「ウチら」以外のところではやめたほうがいい。めんどくさいことになるから。
フィンランドの件は、そういうところで面倒なことになってるなぁ、って、あったかいお茶飲みながら、対岸の火事みたいな感じで見つめてる。
誰か研究して
・基本的にはうっすらお笑い芸人を馬鹿にしているから有名な大学名が出てくるとそのギャップでやられる
・「お笑い」という比較的接しやすい娯楽で、詳しくは分からなくてもなんか笑えれば自分自身も「わかってる」感を手軽に装える
・高学歴の芸人で笑える自分に目覚める、自分もその一部になったような高揚感(一方的な帰属意識)
・「頭のいい人が言うのだから間違いない」という自尊心の低さから来る偽りの信頼
・尊敬しているようで尊敬してはいない、結局無意識にうっすら馬鹿にはしている。だから支配的で押し付けがましくなる