
はてなキーワード:うな重とは
ああ、ひつまぶしのあの感じ、めっちゃわかるわ! 確かに、立派な一枚うなぎがドーンと乗ったうな重の迫力に比べたら、刻んでごまかしてるみたいでちょっと物足りないよね。しかも、あの変な木箱みたいな入れ物でご飯をすくうの、毎回イラッとするし、三回に分けて「次は薬味! 次はお茶漬け!」って強制的に食べさせられるのも、なんかケチくさいというか、贅沢感が薄れるよな。「お茶漬けで!」じゃなくて、「最初から全部食えよ!」ってツッコミたくなるわ(笑)。
でさ、なんでこんな食べ方が生まれたのか、ちょっと調べてみたんだけど、起源は明治時代、名古屋の老舗「あつた蓬莱軒」らしいよ。当時は出前でうなぎ丼を運ぶのに、陶器の器が割れやすいから丈夫な木製のおひつ(木の飯盒みたいなやつ)を使って、ご飯とうなぎを混ぜて運んだのが始まり。 それで「ひつまぶし」って名前がついて、混ぜるのが「まぶす」から来てるんだって。名古屋の「もったいない精神」が根底にあって、うなぎの旨味を最後まで楽しむために三回スタイルになったらしい。お茶漬けの部分は、元々会席の締めとして「ご飯もの出して」って要望があって、最初はお茶で試したけど臭みが気になってだし汁に変えたんだと。 つまり、運搬の工夫から生まれた実用的な食べ方なんだけど、確かに今どきは「そんな手間かけなくてもいいじゃん」って思うよね。頭悪いってか、効率悪い(笑)。
一方で、X(旧Twitter)見てみたら、ひつまぶし大好き勢がめっちゃ多いよ。例えば、名古屋駅近くの店で「黒毛和牛のひつまぶし」食べて「香ばしくて柔らかくて最高!」って絶賛してる人とか、競馬場でひつまぶし食いながらビール飲んでる人とか、黒豚バージョン作ってYouTubeにアップしてる料理家さんとか。 みんな「三回楽しめてお得!」って感じで盛り上がってる。批判的な声はあんまり見当たらなくて、むしろ名古屋のソウルフードとして愛されてるみたい。
結局、うな重派の君の気持ち、超わかるよ。シンプルにうなぎの脂がジュワッと染みたご飯を一気に頬張るのが至福だもんね。ひつまぶしは「工夫の産物」としてリスペクトしつつ、俺はうな重一択でいくわ! 次はどっち食いに行く? もし名古屋行ったら、両方制覇して比べてみるのもアリかも(笑)。
村上春樹がノーベル文学賞に手を伸ばせずにいるのは、本当に皮肉な話だ。
彼の本は、全世界を魅了しているのに、選考委員の文学観にはどうも刺さらないらしい。
ネコが出てきたり、深夜のジャズ喫茶で心が揺れ動いたりするあの世界感は最高に心地いいけれど、
個人の内面遊泳に徹する春樹作品は、どうしても軽やかすぎると見なされてしまうんだ。
でもノーベル選考委員は、「文学の最前線で新しい実験をしているか」を重視する。
平易な文章でグイグイと読み手を引き込むスタイルは素晴らしいけれど、
だから、文芸界のアカデミックな厳粛派からは「村上春樹は大衆作家」というレッテルを貼られてしまう。
さらに、英訳には申し分のないクオリティがあるにもかかわらず、ノーベル文学賞の選考は陣営戦略も大きい。
新鮮味を欠くと判断されがちだ。つまり、翻訳品質以前の「選考バイアス」が存在する。
あと、村上春樹の物語は普遍性の光を帯びていると言えば聞こえはいいが、
選考委が欲している「全世界を覆う重厚な社会批判」という観点では、どうしても「足りない」と映る。
孤独や胸の高鳴りではなく、人類の根源的苦悩を描かないと、ノーベル文学賞の舞台には上がらないというわけだ。
村上春樹は世界中の読者の心を掴んでいるのに、ノーベル文学賞という舞台では「大衆文学の王」に留まる運命らしい。
弁護士秘書やってたからわかる。まともな人、優しい人に弁護士の仕事はできない。
うちの弁護士はふたりともひどいパワハラ・モラハラ気質だった。資料を読むだけで胸が痛むような重大な事件でも、裏で「依頼者なんかヤバそうな人っすねw」みたいな軽口を叩いていた。あんまこういうこと言うのは良くないと思うけど、ふたりとも自己愛性パーソナリティ障害ぽいなと思ってた。
私も何度も言葉の暴力を受けた。軽いミスでも「お前なんてパートでもやっていけない」と言われたし、言われていない・やるべきと予想もできないことをあとから「なんでやらなかったの?」となじられたことも何度もある。
でも、それくらい他責できる人じゃないと多分やっていけないんだろうなとも思った。業務量は多かったし、背負う責任も大きかったから。
ブコメでも言われてるけど、企業法務とかに行ったらまた違うのかも。収入は微妙かもしれないけど、会社内の法務とか。
おおかたAIに書かせたであろう無駄に抽象的な本文に、本文と齟齬のあるタイトル。投稿した人間の程度が知れる。
■石破おろしを望む君たちへ
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2.外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2.外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
痛覚レセプター(痛みを感じる神経受容体)がなかった場合、人体にとって深刻な影響があります。痛覚は身体にとって非常に重要な生理的システムで、もしそれが欠如していたら、以下のような状況が考えられます:
⸻
痛覚は、危険な状況に対する警告として機能します。例えば、火傷をしたり、骨折したり、深い傷を負ったりすると、痛みを感じることによって、すぐにその行為をやめるか、手当てを施すことができます。
• 痛覚がないと、自分が怪我をしていることに気づかない可能性があり、傷がさらに悪化したり、感染したりすることがあります。例えば、火傷をしているのに気づかず、さらに加熱を続けてしまうなどの状況です。
•病気や内部の異常がある場合でも、痛みがないため、治療が遅れることになります。たとえば、内臓疾患や心筋梗塞のような重篤な疾患でも症状がわからず、命に関わる事態に繋がりかねません。
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痛みは、危険な状況において、体を守るための重要なサインです。例えば、熱いものに触れると痛みを感じて手を引っ込めますが、この反応がなければ、深刻な損傷を受けるリスクが高まります。
• 痛覚がないと、危険な物や状況に気づかず、身体を傷つけ続ける可能性があり、自己防衛本能が失われたことになります。
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3. 長期的な健康への影響
痛覚が欠如すると、慢性的な傷害や異常が進行することがあります。例えば、関節炎や筋肉の損傷などが痛みなく進行し、体の機能を損なう恐れがあります。足を引きずりながら歩くことによって関節に負担がかかり、痛みを感じないまま損傷が広がるようなケースです。
• 体の使い方の不正確さが積み重なり、体のバランスを崩し、他の部位に異常を引き起こすことがあります。
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痛みを感じることは、身体だけでなく、心理的な影響を与える重要な役割も持っています。痛みがあることで人は「不快感」や「危険を感じる感覚」を持ち、行動を調整します。痛みがなければ、無意識に過度に体を使ってしまい、ストレスや不安を感じやすくなることもあります。
• 痛覚が欠如すると、身体的な危険だけでなく、精神的にも不安定になる可能性があります。
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5. 痛覚がない疾患の実例
• 無痛症(Congenital insensitivity topain)は、遺伝性疾患の一つで、痛みを感じない状態です。この状態の人々は、身体に損傷を与えてしまうことが多く、また事故や外傷に対しても非常に鈍感です。例えば、無意識に骨折しても痛みがないため気づかず、治療が遅れることがあります。
• 痛覚がないと、体の状態を感知する能力が低下するため、適切な生活習慣や注意深さを持つことが難しくなります。
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6. 痛覚がないと「病的無痛」になりやすい
無痛症の状態では、痛覚がないことによって、治療を受けるタイミングを逃してしまうことが多いです。また、慢性疾患や先天的な障害を持っている場合、痛みの感覚がないことで、病気が進行しても気づかないことがしばしばです。
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結論:
痛覚は単なる不快感や不便さではなく、身体の健康を守るために欠かせない機能です。痛覚レセプターがなければ、身体は危険を察知できず、自己修復も遅れ、健康に重大なリスクをもたらすことになります。痛みが存在するからこそ、適切に体をケアし、早期に治療を受けることができるのです。
夫:同じ職場。
増田は現職を続けながら転職活動中。内定が出たら有給を使って1〜2ヶ月で辞めたい。
このスタンスに夫は猛反対。
夫の主張
増田が退職後も現職に長く勤めたい。残される自分に火の粉がかからないよう、有給など会社と対立するような主張は一切せず円満にやめてほしい。
内定後すぐ辞めるのは会社に迷惑。内定前でも辞める意思を早く伝えるべき。
増田の主張
有給消化も、働きながら転職活動することも当然の権利。労働者の権利を否定されるのは納得できない。
現職を続けながらの転職は難しいけど、多くの人がやっている。
夫は会社の肩を持つばかりで、増田のやりたいことを尊重してくれない。
夫には「好きにすればいい。その結果、俺がついていけなくなったら終わりだ」と言われた。
離婚をチラつかされたものの、会社の肩ばかり持つ夫には寄り添う気持ちは湧かなかった。
お互い寄り添えない状況で、このまま一緒にいる意味があるのか、本当に離婚になりそう。
もう終わりなのかな…
---------------------------------
家事分担、食器の片付け、共有スペースの私物…小さなことばかりでお恥ずかしいですが。
夫は自分の中の常識を家庭内に押し付けがちです。交際中は私の人格を尊重してくれましたが、身内になった瞬間にいきなり自分と同じ考えや行動をするよう強要されました。
結婚生活の中で何度も喧嘩を重ねた結果、夫の押し付けも少なくなり、私もかなり歩み寄ろうとしましたが
転職のような重大なライフイベントでは、いっさい折れる気はありません。またここで譲ってまで結婚生活を維持したいとも思えません。
夫は転職の意思はありません。職場では優等生で、責任のある立場で働いています。いっそ社長ならよかったのですがw
これまで部下が辞めていく中で何度も裏切られたように感じていた中、妻まであっさり会社と縁を切ろうとしていることに反発しているのだと思います。
転職活動は、成果はないものの面接では好感触を得られることも多く、引き続きがんばりたいです。
今は転職活動に集中して、その後は仕事と一緒に夫とも縁が切れるかもしれません。もとより後悔はないと思っていましたが、その気持ちは強くなりました。
私が夫に寄り添わなすぎるのか、とも考えましたが、やはりこの主張はブラックすぎます。相談してよかったです。ありがとうございました。
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追記2
たくさんのコメントありがとうございます。
労基に厳しい増田では、もっと「離婚しろ」の意見が多いかと思いましたが、夫の立場を尊重したコメントも多くいただき、大変共感しました。
彼が責任ある立場で、これまで努力してきたことも分かりますし、社内に残る彼が私の選択によって不利な立場になる不安も理解すべきと思います。
それを当然とされ、権利を行使しないまま辞めるのは、同じように泣き寝入りしてきた同僚を肯定するようで納得できません。
自分のためにも、権利を使った実績を残すためにも、ここだけは譲れないと感じています。
夫からすれば、いったい誰の味方なんだ、俺の味方はいないのか、と思うでしょう。
それでも、夫を理解する気持ちと、自分の正義を貫く気持ちは別の問題だと強く感じています。
「長い人生、これで離婚はもったいない」というコメントも心に響きました。
穏やかな夫婦関係も望んでおり、矛盾しているかもしれませんが、引き続き転職活動を進めつつ、退職時の交渉内容は慎重に考えていきます。
地元から友人が上京(引っ越し)してくるとかで、家探しを一緒にしてやってるみたいな話は聞いていたけど、
家族に何の相談もなくそのような重大な責任を負う決断をしたのが許せない。
兄弟同然に育った親友だといっても、今時連帯保証人なんて頼む方も非常識では?
と言ったらなんと頼まれたわけでもなく、その人は保証会社と契約しようとしていたところ、
わざわざ保証会社に払う金がもったいないからと自分から保証人になることを申し出たんだとか。
バカなんじゃないの?本当に信じられない。
その人は非正規だからお金が苦しいだろうから、って、だったら尚更保証人なんかにならないでよ。
私にとっては顔も知らない人の踏み倒した家賃を家計から払う可能性があるってことでしょ。
と言ったらふざけるな!俺の親友を悪く言うな!とか言って大喧嘩。
はっきり言ってしまえば、親友とかじゃなく実の兄弟でも保証人なんかならないでほしいけど。
そして、仮にウチの夫が申し出たんだとしても、断れよそいつも。やっぱり常識ないでしょ。
これって私がおかしいの?
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ご指摘の文章は、Change.orgで起案されていたとされる「FreeUematsuSan」署名の主訴とのことですが、内容には重大な問題点がいくつか存在します。以下に、倫理的・法的な観点から問題点を整理し、客観的に分析します。
文章は「知的障害者の犯罪は一切罪に問われず、女性をレイプや強姦したり、傷つけたり、殺人でさえも無罪になる」と述べていますが、これは事実と異なります。日本の刑法では、知的障害者が犯罪を犯した場合、責任能力の有無が個別に判断されます(刑法第39条)。責任能力がないと判断されれば無罪になる可能性はありますが、これは障害の有無に関係なく、精神状態に基づく司法判断であり、知的障害者が「特権階級」として無条件に無罪になるわけではありません。
この主張は、誤解を招くだけでなく、知的障害者に対する偏見を助長するものです。
文章は、植松聖氏が「世の中を良くしたい」「女性を犯罪から守りたい」という動機で「障害者の一掃」を試みたとし、「多数の性犯罪が未然に防がれた」と主張しています。しかし、植松氏は2016年の津久井やまゆり園事件で19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせたとして死刑判決を受けた人物です。彼の行為は、明確な殺意に基づく計画的犯罪であり、裁判で責任能力があると認定されました。
この行為を「正義」とみなす主張は、事実を無視し、被害者やその家族に対する重大な冒涜です。
文章は、知的障害者や「ネトウヨ、ミソジニスト、テック右翼、アンチフェミ」などを「生きるに値しない命」とし、知的障害者を「IQが低い」「社会を分断し、差別を煽る」と決めつけています。
こうした表現は、特定の属性や集団を一括りにして攻撃するもので、Change.orgのコミュニティガイドライン(https://www.change.org/policies/community)に明確に違反しています。
ナチスの差別的体制を批判しつつ、「生きるに値しない命」という概念を肯定する矛盾した主張が含まれています。この表現は、ナチスが優生学に基づいて行った大量虐殺の思想を彷彿とさせ、極めて危険です。
文章は日本の死刑制度を「残虐な国家による殺人」と批判しつつ、植松氏の死刑判決取り消しを求めています。
しかし、植松氏自身が「障害者を殺すことは正義」と主張し、19人の命を奪った行為を正当化していたことは、文章の論理と矛盾します。
Change.org (https://www.change.org/policies/community)は、ヘイトスピーチ、差別的言動、暴力の扇動、個人情報の公開などを禁止しています。本署名の内容は、以下のガイドライン違反に該当する可能性があります:
過去にも、Change.orgは誤情報や差別的内容を含む署名を削除した事例があります。
津久井やまゆり園事件は、無抵抗な人々を標的にした残虐な事件です。この署名は、被害者やその家族の尊厳を無視し、加害者の行為を美化するもので、社会的倫理に反します。
「知的障害者が女性を脅かす特権階級」という前提は事実ではなく、社会的分断を助長する恐れがあります。Xの投稿でも「法で裁けない知的障害者を植松が殺し、女性の心を救った」という言説はデマとして指摘されています。
Change.orgのコミュニティガイドライン(https://www.change.org/policies/community)に照らしても、本署名は削除対象となる可能性が高いと言えるでしょう。
関西地方の医学部で教授をしている。普段は受験生を選抜する立場だが、この春、子どもが国立小学校を受験し、試験運営で考えさせられる点があったのでここに記したい。
なお、子が受験したのは、大阪市内にある国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)である。国立小学校では西日本でトップクラスの国立小らしい。らしい、というのは、当家庭は子どもに小学校受験の準備をさせておらず、ほぼ無課金の状態で受験をさせたため、学校間の序列にくわしくないためである。
また、後述するが、附天は受験生(子どもたち)に公平な受験機会を与えるために必要な情報を公開していない。このメモは、附天受験の状況を無償で公開するという意味も持っている。
なお、筆者は旧帝大や非医学部を含め、国公私立大学にまんべんなく在籍した経験があり、入学試験の設計(どのような学生を採りたいか)にも各学校でさまざま経験してきたたことを付記しておく。また、子どもの特定を防ぐため、詳細な情報は一次試験の状況のみとし、子どもの合否にも触れない。
試験は一次試験(筆記・行動観察)→合否発表→一次合格者のみ二次試験(面接・実技)である。
試験科目として、「①筆記 ②実技 ③行動観察 ④面接(志願者面接・保護者面接)」と書かれているが、それぞれがいつ実施されるのかが書かれておらず、一次試験の学習として何を準備すればよいのかがわからない状態であった。
実際には、上の()で示したような分かれ方をしていることは受験後に初めて分かった。
高額な受験塾へ通わせている家庭は事前に情報を知ることができたと思われ、軽い不公平感を覚えた。
校長は大教大の教授が赴任する慣例であり、面接対策として校長の研究内容や人となりを事前に知っておこうと思ったが、なんと校長の氏名がどこにも公開されていなかった。何らかの理由で名前を徹底して伏せていると思われたが、ここでも重課金勢の家庭との情報格差があると感じられた。
男子は朝8:30開門で9時までに集合、女子は11:30開門で正午までに集合との案内があった。
しかし、実際には子どもたちへの試験は7,8分前に(つまり男子では8:52ごろ)に別室にある試験会場への集団移動が開始された。
私の子どもは*時50分にお手洗いへ行って戻ってきたら、他の子どもたちはすでに試験会場へ移動した後であり、「遅刻者」として試験会場へ向かうことになった。つまり、学校側の案内は不正確であり、男子は8:50、女子は11:50までにお手洗い等を済ませて待機室に座っていなければならないということである。しかし、そのような案内は、当日も口頭でも一切なかった。
試験を監督する教員たち(つまり附天小の教員たち)は集合時刻を勝手に前倒ししている自覚がないようで、*時55分にお手洗いから戻ってきた私の子に「急いでください!」と急かす始末であった。せめて、「お手洗いは*時50分までに済ませてください。」と告知すべきであろう。実際には「お手洗いへ行っておいてください。」とだけ連呼され、それを真に受けてぎりぎりにお手洗いへ行った子どもはバカを見た形となった。
試験を学校側が勝手に前倒しで開始するなど、大学では(おそらく中学や高校でも)まったくありえず、試験の公平性の観点からきわめて不適切な状況であると感じられた。
また、子どもたちは鉛筆や色鉛筆、水筒などを持参するように指示されているが、それらを入れる手提げかばんを持参してよいのかどうか、受験案内に記載がなかった。
実際には多くの受験生が手提げかばんを持参していたが、上記の試験前倒しなどと並び、この小学校は、最低限の必要情報すら伝える気がないように感じられた。
ほぼ1時間後(男児なら9:55ごろ)に、保護者へ大きな茶封筒が配布される。試験案内には、「保護者の方には『志望動機』『お子様の長所・短所』等を記入いただきます」とあったので、その記入用紙と思われた。配布から5分後に封筒を開けてくださいと言われ、中の用紙を取り出した。
この用紙が驚天動地のもので、2つの課題について、約700字×2=1400字の小論文を60分間で作成せよというものであった。用紙はマス目が印刷された原稿用紙であり、ボールペンで手書き、修正は基本的にできない。実際には、持参した家族写真の糊付けや説明文作成もあるため、小論文の執筆時間は50分ほどである。
筆者は大学入試の小論文に関わっており、試験監督もたまにこなすが、1400字の小論文(正確には2課題)をわずか50分前後で書くというのはいわゆる旧帝大や早慶クラスの小論文でもめったにない高難度の早書きである。
小学校側からの事前の公式案内は、「『志望動機』『お子様の長所・短所』等を記入いただきます」だけであり、ほとんど騙し討ちに近い内容と言える。小学校受験の趣旨から言って、保護者小論文が合否に大きく影響することは容易に想像され、そのような重要な入試項目についての実施情報を公開していない附属天王寺小学校の意識は、教育機関としてはなはだ不適切であると、大学人として感じられた。
・子供の個性を把握し、強みを伸ばし、弱みをフォローアップするために必要な事は何だと考えていますか。740字。
・家庭で最も大切にしていることと、本校の教育方針と合致していると思われる点を挙げてください。720字。
なお、筆者はたまたま教室の後ろのほうに座っていたため、保護者たちの様子がよく見えた。多くの保護者たちは封筒を開けると、ほとんど躊躇なく小論文を作成しはじめた様子が見えた。初見の小論文課題については、最初の数分間は内容や構成を考えてから執筆を始めるのが通例と思われるが、そのような様子はまったくなかった。後で知った情報として、附天の小論文課題は、字数や内容が毎年大きく変動するようであり、過去問でも対策は本来は難しいはずである。
保護者は数十通りの予想課題について1千文字近いボリュームを短時間で書く訓練をしていた、ということかと思うが、実際にそのような対策は時間がかかりすぎて困難なはずであり、特定の受験塾に試験課題または大まかな傾向が漏洩しているのではないかという疑念さえ持ってしまった(あくまで邪推である)。
附天の二次試験は運動課題(毎年変わる。)が出題され、2025年1月度はなわとびであった。附天の滑り止めとされることが多い、私立城星学園小学校の2024年秋の入試は(例年にない)なわとびが出題された。子どもたちからすれば、(体操や球技ではなく)なわとびに集中すれば良いので楽なのであろうが、偶然の一致なのかなという不信感は残った。
もし、私が附天の入試責任者であれば、城星学園の出題(数ヶ月前)を知ったところで、なわとびの課題は別のものに差し替えるだろう。それくらい、入試の公平性、疑念の払拭には気を遣っているし、そうあるべきである。
こういったさまざまの情報は、受験塾に数百万円をつぎ込むことで明示的にまたは暗黙にえられる情報なのであろう。
筆者はお金で情報を買うことが不公平であると言いたいわけではない。
国立大阪教育大学附属天王寺小学校という国立の教育機関が、公平な試験を行うことが困難と言えるほどに情報公開を行っていないことや、小論文課題やなわとびのように偶然かわからない、疑念を持たれかねないスレスレの出題を行っていることは、国立の機関として非常に不健全な状況であると考えた。
私立小学校であれば、特定の階層に受験の優遇を与えることはあってもよいかと思う。しかし、筆者自身が国立大学での経験が長いこともあり、同じ国立大学がこんな杜撰で不公平な入試運営をしており、まったく恥じる様子もないことに大きな衝撃を受けた。
筆者が在籍する医学部も似た状況で、受験倍率は10倍前後と完全な買い手市場である。しかし、だからと言って、入学試験の運営をおろそかにするなど絶対にありえない。10倍人気にあぐらをかく意識はなく、試験でよりよい学生さんを採ろうと真剣である。
そういえば、附天の入試当日、監督の教員に事務手続上の質問をしたのだが、「調べます」と言われてそのまま放置され、回答はなかった。大学の入学試験運営ではありえない適当な対応である。
大学と小学校は違う面もあろうが、入学試験というものの重みをずっと考えてきた大学人から見た国立大阪教育大学附属天王寺小学校の入学試験の問題点は以上である。
アディーレ事務所の容疑者については以前に「人を殺すかもしれない」的な相談を周囲の人間が警察にしていたらしいが、
というのも警察からしてみればこのような重大事件が起こらないよりは起こる兆候を見つけたらあえて阻止せず起こさせる方が、
その後どう対処するかという形で出世する機会を増やせるからではないか?
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250705145149# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaGi9dgAKCRBwMdsubs4+SD7kAQDiO8faboa7HZcNMvMmRMcPwZjuNSV1JvzrJ2xekFgb4wD/aUYCbST9yo2xTEjZs9Mweon2FK0fAThnKEok7VojWwE==Cd+w-----ENDPGP SIGNATURE-----
性悪説の韓非子は、その性悪説的な価値観を、独裁とディストピアの正当化に利用した、権力の犬としか言えない男だった。
彼の言ってることは、
バカなガキは、大人が相手のためを思ってする辛い教えと体罰に反発する!
だから、国家の課するどんな圧政も、お前らのためを思ってしていると黙って受け入れろ!
過労死するような重労働を課されても文句を言うな!(俺たちがお前らの犠牲で美味い飯を食べるために必要なことだ!)
徴兵して死地に赴かせられても文句を言うな!(俺たちの身を守り、他国民を奴隷にするために人柱となれ!)」
もちろん、カッコ内の言葉は、彼の真意を分かりやすくするために、私が付け加えた文章だ。
彼の思想の幼稚さ、拙劣さ、自己矛盾は、なぜか人間は悪だから庶民は悪だ、政府によって黙って支配されろと言っておいて、政治を動かす人間のことは無条件で信頼していることにおかしさがある。
本当の性悪説から生まれるべき思想は、一人一人の人間は愚かで悪だから、より多くの集合知によって政治は行われるべきという民主主義のはずだ。
なんにせよ、この思想は、フセインやヒトラーみたいな独裁者が読めば、嬉しすぎて失禁すること間違いなしの、ただ権力者に取り入りたいという願望だけが覗き見える思想である。
案の定、その思想にゾッコンとなった暴君の始皇帝は、彼のストーカーとなり、ただ会いたいがために彼の国・韓に侵略まで始めるヤンデレと化した。
始皇帝の目的を知った韓の支配者たちは、韓非子を人質同然に秦に送る。
そこで重用されるかと思いきや、始皇帝の側近たちが嫉妬し、彼を誅殺するように進言し、あんだけベタ惚れだったくせに、側近の一声だけで、始皇帝は韓非子を牢獄送りにし、その側近たちは毒を盛って、彼を自殺するまで苦しめた。
彼の最期のエピソードは、出来過ぎた皮肉なほどの教訓話だが、この手の、庶民を虐げることを何とも思わない、ギャングのような暴君たちの特徴を知れば、当然すぎるほど当然の話しでもあった。
そもそも、他人を何とも思わないような男を、身近なものたちが、なぜ支えて権力を与えるのか。
どんな奴だって、一人で権力を得ることは出来ないのであり、権力とは、そいつの言いなりになる手下の多さにすぎない。
誰も、身近な者から支持されなければ、権力など得られないのだ。
ではなぜ、そんな近寄りたくもないようなサイコパス男たちが、時として絶大な権力を持ちうるのか。
ヤクザやマフィアやギャングたちが、やたらとファミリーだ仲間だ絆だと言いまくるのは、そうやって、「俺は平気で他人を騙して殺して搾取するサイコパスだが、お前ら身内のファミリーは大切にするから安心しろ」という意味である。
だから、どんなに気に入った相手だろうが、韓非子のように最初ファミリーじゃない奴を、後から重用することなどありえないわけだ。
そして、側近からの支持がなければ、どんな暴君も裸の王様になるしかないから、側近の讒言一つで、どんな特別な他者でも殺すしかない。
むしろ、身内からすれば、自分たち以外に暴君の心が行くことこそ何より恐ろしいことであり、だから、暴君に取り入ろうとすればするほど、この側近たちの嫉妬と不安を買うだけで、ただ破滅が近づくのである。
明らかに公正公平な人格で評価されたわけでない支配者たち、他人を貶める陰謀を平気で企める連中というのは、これと全く同じである。
一番上の支配者たちの傍に居ない、下っ端の奴隷・工作員たちは、どんなに働こうが、出世などできないどころか、それで下手に目立って、暴君に気に入られたら最期、最側近たちから危険視されて始末されるのである。
彼らが生き続けるには、適度に無能で空気なバカでいるしかない。
公正公平な人格者の君主というのは、側近もまた、公正公平を欲する正義漢たちであり、だから、実力と人格で他者を登用する事にも抵抗されない。
まあそのために、暴君たちからスパイが送り込まれてしまうわけだが、そのスパイは、手柄を立てた挙句には、誅殺しか待ってない。
暴君というものは、常に傍にいて取り入り続けない限り、誰に対しても殺戮者に過ぎない。
イワン四世やスターリンなんかが典型だが、彼らはむしろ、手柄を立てた将軍などを粛正することで、側近の嫉妬と不安を抑えていたわけだ。
まあどちらも、確信犯的に行っていたとは思えない狂人だったが。
もちろん、現代においてそんなことしてる独裁国家は、イラクや北朝鮮みたいになるだけだ。
皮肉なのは、その資本主義国家こそ、実態は実力主義などではない、本当の寡頭支配者たちによる愚民化支配のディストピアだということだ。
そこでは、実際は、ただ権力者たちの身内が、新進気鋭の経営者だとか科学者のフリをして、愚民たちを勘違いさせて、手柄を立てれば、全て奪って、その危険な本当の実力者たちを、さっさと始末するのである。
彼ら邪悪な支配者たちの唯一の盲点は、そのような愚民化政策の結果は、本当に無能なだけのバカが増えまくり、もはやそんな豚どもを、どんなにおだてようが、木に登って、有用な技術革新の果実を持ってくることなど叶わないということだ。
もちろん、最近ではそれに気づいて、クローン技術で、かつて断絶した優秀な人材を甦らせたりして、最後は始末すること前提で利用し、その後も必要ならクローンだけ作って利用する気満々なわけだが。
だから、MGS2のソリダス・スネークみたいな男は、子供が作れない身体にされているのである。
あれは、もう本当に実行した陰謀なのか、計画だけ考えられていた陰謀なのか。
あらすじ:
地球連邦軍と宇宙移民連合〈ノア・シェード〉の戦いが激化する中、主人公カイ・セラフィムは、自機「GQuuuuuuX(ジークス)」に秘められた「第七位相リンクシステム」の真の力を目の当たりにする。
前回、木星圏宙域での激戦で傷ついたカイは、かつての親友で今は敵となったグラン・ヴァルゼとの邂逅を果たす。彼の口から明かされる真実——「GQuuuuuuXはかつて自分たちの研究チームが創り上げた“思考共鳴兵器”である」という衝撃。
混乱するカイの前に、未知の敵「コア・オメガ」が突如出現。時間を捻じ曲げるような重力波で宙域全体が歪む中、GQuuuuuuXが自律的に「反応共鳴モード」へ移行。機体の周囲に“多重残像”をまといながら、まるで未来の自分と現在の自分が共闘しているかのような挙動を見せる。
注目の展開:
敵「コア・オメガ」は、かつて破棄されたAI型ニュータイプ兵器の残骸が進化した存在
GQuuuuuuXの「G」は「Gravitation(重力)」、「Qu」は「Quantum(量子)」を意味することが判明
ラストは、GQuuuuuuXの内部に“カイの妹・ミレイア”の記憶データが存在するという伏線が明かされる
次回(第13話)の予告タイトルは…
「妹、在りし記憶の中に」
睾丸って椅子に接触しているというか、椅子に重量を預けている感じになるものなの?
この間職場の同僚男性と座って向き合って話してたら、スーツの股関部分が、うまくあの状態を例えるオノマトペを知らないんだけど、でぷん、って感じになっててなんかびっくりしてしまったんだよね。
多分夏用のスーツとかで生地が薄くて目立ってしまってたのかな?
大きめのハムスターかなんか入れてます???みたいな質量を感じて、自分にはないパーツだからかその状態にギョッとして数秒ほど見てしまった自分に自己嫌悪を感じる。
だって椅子と睾丸の間に手を入れて、たふたふって持ち上げたいなぁと思ってしまったから!
座ってる猫の前脚と体の間に手を入れて、下っ腹をホヨホヨ......と持ち上げさせてもらったときのあのなんとも言えない手のひらが喜ぶような重量感と似た感覚が味わえそうと脳が勝手に思考したんだよ。
男性が巨乳の女性の胸を見るつもりなくてもついチラッと見てしまうとかも多分こんな感じなのかな。