
はてなキーワード:あるじゃんとは
何かそういう病気の人ということではなくて(もしかしたら病気かもしれないが)
複数人で話をしてると、どうしても自分が入っていきにくい話題になることってあるじゃん?
たとえば、自分はガンダム一本も見たことないのにキルケーの魔女の感想大会が始まるとか
そういう時は多少はつらみを感じるけど、
普通なら話を聞くだけに留めて、ひたすら相槌打ってやりすごすものだよな。普通の人間は
でもある種の人々は、自分が蚊帳の外になることがどうしても許せないらしい
突然、突拍子もない大声で「あっ!そういえば!」とかわざとらしく割り込んで、
無理やり自分の知ってる話題(ボトムズとか)に切り替えさせてしまう
周りも、この人を刺激してキレられるのが面倒だから仕方なくその話に付き合ってあげることになるんだけど、
こう言う人が出してくるお題って、まあ大抵はつまんないんだよな…
度を越した寂しがり屋ってことなのかもしれないが、他人にとっては迷惑過ぎる
そういう人が苦手って話でした
苦手じゃない人はいるのか?とも思うが
仕事より育児が楽とか、保育園の子供はかわいそうとか、病児保育はかわいそうとか、そういうの人によるとしか言えないだろうと思うんだが。
仕事と育児どちらが楽かなんて、子供の特性によっても違うし、仕事の内容によっても違うし、住んでる地域、親のサポート、子供の人数、家の広さ、いくらでも変わる要素あるじゃん。
それなのに自分はこうだった!!ってだけで偉そうに。
数学と世界史どっちが簡単かみたいなのと同じレベルだと思うんだよな。
人によるんだよ。
本当育児関連って100か0かみたいな話ばっかり。
スマホ育児だって、そりゃスマホ見ないで落ち着いてる子供ばかりなら良いけど、どうしようもない子供だっているだろ。
スマホ見せたから育児失敗!心中!みたいになるくらいならスマホでも見てれば良いだろ。
理想は理想だけど、無理なものは無理なんだが、それを周りは叩くし、どんどん極端になるんだよな。
人によるし、状況によるんだわ。
戦後の反共主義に飲まれちゃだめ!今こそ共産党を支持するとき!みたいな共産党員?支持者?のポストをさっき見かけたんだけど、
今こそも何も共産党とか左翼が人気あったのって昭和のときじゃないの?とモヤモヤした
年配(大御所クラス)の文化人ってみんなうっすら反戦平和主義みたいなとこあるじゃん
人の相談に乗る時、結局は自分の意見があって背中押してほしいだけで、色々アドバイスしてもでもでもだってで終わって腹立つケースってよくあるじゃん。男は解決策を求めるけど女は共感を求めるとかいうステレオタイプを語る時とかによく例示されるようなやつ。
そういう人間のことが自分は嫌いだからそうはなりたくないと思って、人に何か自分の話をする時は「これは相談だからアドバイスしてほしいんだけど〜」とか、「これは愚痴だからただ話を聞いてほしいだけで特にアドバイスは求めてないし、聞きたくなくなったらストップかけてくれていいんだけど〜」などと前提を置いてから話すようにしてる。
ただこの前、もうそういう人間として認識されてるだろうなと思って特に前置きはせず友人に愚痴ったところ、お前が悪い話だろとぶった斬られた。「これは愚痴だから聞き流してくれていいよ。愚痴聞かせちゃってごめんね」と伝えたら、わざわざ人に話を聞かせておいて、その上アドバイスしてもらってるのにその態度は聞き手に誠意が足りないと激昂された。
その相手からは相談も愚痴もされるけど、まさに冒頭で述べたようなタイプの人間でアドバイスをしても大抵スカされるため、同調して話を聞くことが多かった。なのに自分はアドバイスしてスカされたらそこまで不機嫌になるのかと驚いたし、気心知れてる友人だと思ってたのにそうでもなかったのかというのもショックだった。
不愉快にさせたことは謝るが、これは考え方や価値観のすれ違いであって、どちらかが悪いという話ではないと思うと伝えても、不愉快にさせたのはそっちなのにそういう態度を取る時点でそっちが悪いと責められ続けた。合わない人間だったんだなと思って今後無理に付き合わなくてもいいかと考えているけど、向こうは完全にこっちが悪いと考えているようだから、今後集まりで会うときに気まずいなと憂鬱。
人無くして国家は成り立たないけどその逆はあるんだよ
権利はないです権利とは、何かものごとをしたいとき、もしくはしたくないときにすることもしくはしないことを妨げられないことです
憲法がなければ私たちには何もありません。可能か不可能かです。生きたいと言ってもダメと言われる可能性があり、それを乗り越えることが可能か不可能に収まってしまうのです。
人無くして国家は成り立たないけどその逆はあるんだよ
でもさ、高市様万歳!中国の手先の左翼は死ね!ペッペッ!って唾吐きかけといて
数学とか物理で歴史に名が残ってるレベルの人たちだと、そういう人たちが存命中でかつ複数いたときに、ある基準で比べたら定量化可能でそういう意味でどっちの方が賢いとか比べることもできたかもしれないけど、実際はそんなこと当時でもしてないだろうなって思うじゃん。それぐらい賢い人達になると「どっちもすごい。オンリーワン。」で終わる。
(といってもたとえばニュートンはドモアブルを数学において自分より優れていると認めていた話があるが)
んでひるがえって現代において東大に行くとだいたい必ず自分より上位互換がいて劣等感を持つって話があるじゃん?
つまりその程度の賢さだと自分や周りは「あなたはあなたでオンリーワンに賢いところがある」って認知ではなくあくまで比較可能だとみなされるってことだよね。
じゃあオンリーワンだと認識されるその下限ってどのあたりなんだろうって話なんだよ。
dorawiiより
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例えば薔薇だったら「愛、情熱」で、百合だったら「純潔、無垢」で、ごぼうだったら「いじめないで」とかああいうの。
よくフィクション作品の考察とかで登場人物と一緒に花が描写されていた際、その花言葉を調べて「これの花言葉調べたらこうだったからこのキャラのこういうところを示唆していて〜!」みたいに興奮気味に語る人いるよね。
アレぶっちゃけ何とでも言えるやんとか思ったら野暮なのかな。
そういうこと考えちゃう人間よりただ純粋に花言葉の意味に踊って感性を動かす人間の方が人生楽しいよね、多分。
俺みたいにいちいちそういったことにも冷笑して俯瞰した気になってる人間の方がこの世間で好かれにくいよね。
人間って難儀な生き物ですね。