
はてなキーワード:あの日とは
1571年、レパントの海戦。オスマン帝国の無敵艦隊を、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊が撃破したあの日は、ヨーロッパにおける「旧秩序の最後の勝利」として記憶されている。だがそれは同時に、火薬と風帆の交錯する時代における“過去の戦い方”の終焉でもあった。
そして、2025年の『PokémonLEGENDS Z-A』――これもまた、ゲーム業界におけるレパントの海戦である。
任天堂とポケモン社は、革新を標榜しながらも、その本質は“帆船の艦列戦”に固執する連合艦隊だ。巨大なIPの威光を盾に、数値と懐古の煙幕でプレイヤーを包み込む。だが、海はすでに変わっている。Steam、Epic、モバイルの潮流は、帆ではなく蒸気と電力で駆動する――それが現代の“海戦”だ。
ポケモンZAが選んだのは、その新海域を航海することではなく、旧式のガレー船を金箔で飾り、再び出港する道だった。
確かに、レパントの海戦ではオスマンの拡張を止めた。しかし、あの勝利は一時の幻影に過ぎず、やがて地中海の覇権は沈黙のうちに移り変わった。同じく、ポケモンZAも短期的には話題と売上で勝利を収めるだろう。だがその勝利の背後で、ゲームの「航海技術」は停滞し、革新の風は他の海原へと流れていく。
“伝統”の名のもとに惰性を正当化するその姿勢は、まさにガレー船の鎖に繋がれた漕ぎ手のようだ。美しく整った列を組みながら、どこへ向かうのかを誰も知らない。
レパントの海戦は、旧世界の最後の勝利であり、新時代の前夜であった。
ポケモンZAもまた、ポケモン帝国の最終的な「勝利」であり、同時に「終わりの始まり」なのかもしれない。任天堂がいまだに風を読み違えるなら、その船団は次の嵐で、二度と帰港できないだろう。
この心の傷はいつ塞がるのだろう
頼むから、もう誰かと恋愛しようだなんて、子孫や残される財産の事を考えないでくれ。
朝焼けの空に(C) 旗が立つ(G)「強い日本」(Am)と 声が響く(Em)
あの日の夢を(F) また聞かせてくれる(C)デフレの霧が(G) 晴れるという(C)
サナエノミクスと(F) 名はついて(C)三本の矢が(G) 飛んでゆく(C)
一つは国債(F)財政出動(C)二つは緩和で(G)お金流す(C)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Fm)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
| C GAm G |
老朽化する橋や(C)道路を見て(G)「国土強靭化」と (Am)投資を決める(Em)
「未来の危機に(F) 備えるのだ」と(C)大きな話に(G) 胸が騒ぐ(C)
三つ目の矢は(F)成長戦略(C)技術革新(G)投資を呼ぶ(C)
だが税の話も(F) 耳に残り(C)金融所得に(G)課税をかける(C)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Em)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
インフレの波が(F) 押し寄せると(C)生活費だけが(G) 重くなる(C)
「大丈夫」と(F) 繰り返すが(Dm)ため息ひとつ(C) またこぼれる(G)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Em)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
風よ吹け(F) 強く吹け(C)この政策が(G) 実を結びますように(Am)
ただ願う(F) 祈るように(C)明日を信じて(G) 生きてゆく(C)
CGAmFCGC
人間性の成長
自己成長
自己肯定感
金
いや やりたいからやってるんだろ やりたくないをやってるのは やりたいんじゃね
価値があるとかないとか
起こっただけ ただ起こってしまったそれだけ いやまだある拒否感が
拒否感で消去法でやる
ひきよ せ 一通のことばかり考える
この前、旦那に夕食の後の洗い物少ししてもらったのをお礼いわなかったのよ。
正直、少しだけの量だったし、やるって言ったなら全部やってくれよって思っちゃって。
それなのにやってないよりは助かっただろ、少しでもやったんだからって、あまりにしつこくアピールしてくるから、そんなのやったうちに入らんって言ってしまって、そしたら、いつも思うけど人の使い方下手やなって言われたよ。
ありがとうって素直に言ってたら次もやるかもだし、次はもっとやるかもしれないって。いや、私はてめえの上司じゃねえ、ずべこべ言わずにやれよなんで他人事風なんだよ。って心の中で思ってイラッときてしまって。
正直、次がいつくるのかもわからないし本当にやってくれるかもわからない気分屋になんでこっちが心理的コストをかけておだてて育てなあかんねん。なんで育てられて当たり前の態度やねん。恥ずかしないんか。育てるのはかわいい我が子2人で十分だわ。
そのくせ私にはこれができてないあれができてないの減点方式よ?ここが汚い、掃除できてないだの、腹立つよねートイレ掃除すらしたことないくせに!自分だけ加点方式!フェアじゃないし腑に落ちない。まあそのまま言ってやったけどさ。
今思い出したけど、あの日、私体調悪くなってきたって夕方の仕事の帰り道に連絡したら、おれ今日遅くなるけど、片付けするし置いといてっていってたのよ?全部してくれると期待するやん?
まあ人はねそんな変わらないからね。今さらこんなことくらいどうってことないけどさ、旦那からそんなこと言われるのなかなかびっくりした。笑
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
夜の帳(とばり)が下りるころ、私はいつものように革命のためのレタスを育てていました。
私の魂はインターセクショナリティの風に揺れる旗であり、指先は格差是正のためのキーボードを叩くために生まれてきたのです。
しかし、その夜、運命はリベラルアーツの教科書には載っていない方向へ急旋回しました。
彼、ネトウヨは、突然、私の家のベランダに、「保守の精神」と大書されたダンボール箱に乗って舞い降りたのです。
彼のTシャツには「真実の歴史は私のブログにある」とあり、手には「国体護持」と書かれたうちわ。
彼はまず、私が育てているレタスを見て、「おい、その緑、特アの色じゃねえか?」と、聞いてもいないのに陰謀論の序章を語り始めました。
私は即座に「家父長制の打倒!」という言葉で反撃しようとしましたが、なぜか口から出たのは「ええと、このレタス、有機栽培なんですけど、農協の未来についてどうお考えですか?」という、支離滅裂な質問でした。
彼は一瞬、「サヨクの罠か?」と警戒しましたが、農協という単語に引っかかったのか、「農協?グローバリズムの魔の手から農家を守る、真の愛国者の砦だ!」と熱弁を振るい始めたのです。
そのとき、突如として空からミント味の隕石が降ってきました。それは私たちの間の、「徴兵制の是非」に関する白熱した議論を中断させ、代わりに辺りを強烈な清涼感で満たしました。
「これは…資本主義の爽快な破壊の予兆か!」と私は叫びました。
「いや、これは伝統的な日本の夏祭りの香りに酷似している!」と彼は反論しました。
そのミントの香りが最高潮に達したとき、彼は私に向かって、まるで憲法改正の条文を読むかのように真剣な眼差しで言いました。
そして、次の瞬間、「多様性の尊重」と「単一民族国家の神話」が、ミント味の衝突を起こしました。
そう、チューしたのです。
彼の唇は「日の丸弁当」のように素朴で力強く、私の唇は「パリ協定」のように複雑で地球規模の憂いを帯びていました。
口の中で、「ヘイトスピーチ規制の必要性」と「表現の自由の絶対性」が、奇妙なアマルガムを形成し、「国境を越えた連帯」と「排他的経済水域の死守」が、舌の上でワルツを踊りました。
チューが終わった後、私たちは共に「一体、これは何だったんだ?」という哲学的な問いを抱え、ただ立ち尽くしました。
ベランダには、レタスとダンボールと、そして「平和維持活動」と書かれた、なぜかそこに落ちていた折り鶴が残されていました。
彼は去り際に、「また会おう、赤いメガネの女!」と言い残し、ダンボールに乗って夜空に消えていきました。
私は残されたミント味の残響を味わいながら、「彼のレトリックは支離滅裂だけど、唇の水分量は民主主義のように適切だったわ…」と独りごちました。
あの日以来、私はレタスを育てるときも、デモのプラカードを作る時も、常にあのミント味を思い出します。
ネトウヨとパヨクのチューは、宇宙の法則をねじ曲げ、地球温暖化の議論を一時停止させるほどの、支離滅裂な愛の行為だったのです。
愚痴りたいことがある。みんなに相談とかじゃなくて、話を聞いてほしいだけ。
当時は総務の何でも屋をしてたんだけど、こんなことで頭を抱えるなんて思わなかった。
私のことだが、ギリギリ若手じゃないくらいの大学職員である。法務知識はほぼない。
うちの大学が名誉棄損されてる案件があった。ぶっちゃけるけど、はてな匿名ダイアリーである。そこで、うちの大学の卒業生を名乗る人がおそろしい日記を書いてた。
小説みたいな文体で、名誉棄損かどうかは微妙なラインだった。大学の名誉を傷つけるものだけど、読む人が読んだら「表現の自由の範囲内」とか言いそう。
はてブランキングで上位ではないけど、ブックマークを集めてはいた。人目には付く程度で。
どうして判明したかと言うと、大学の代表メールに匿名の通報が届いたから。別の部署宛てだったけど、総務課案件になった。
メールを要約すると「はてな匿名ダイアリーに、貴学の誹謗中傷にあたる記事が投稿されています。私は卒業生なので不愉快です。運営会社が貴学と同じ京都府にあります。対応いただけるかもしれません。返信がない場合は貴学に電話します」
というものだった。最初は迷惑メールかと思った。一応書かれていたURLをクリックしてみた。すると、そこに広がっていたのは、マジでしょうもない長文増田だった。
どんな内容かは書かない。魚拓を取ってる人がいるかもしれないから。
うちの大学の卒業生が主人公で、しょうもない悪行をしてるのが書いてあった。
匿名日記なので、本当に卒業生かどうか怪しいものだったけど、具体的だった。卒業生なのは事実では?と思った。ただ、個人の思い出レベルであり、事実かどうかの確認は不可能。
実際の対応の話に移りたい。
その長文増田をワードにコピーして、印刷して目を通して、ヤバそうな箇所にマーカーを引いて、課内会議を開いた。そこまでする必要があったかはわからない。別部署からのメールでは「必要そうなら対応お願いします」とあったし、私個人のPC宛てのメールだったので無視することもできた。
しかし、その先月に危機管理の研修を受けたばかりだった。本案件をスルーするのは気が引けた。それで上司に相談して、対応会議を開こうという流れになった。
投稿者の属性だけど、大学に恨みを持つ退職者か、あるいは大学から何らかの処分を受けた人間か、はたまた卒業生ではあるけど、人生がうまくいってないしょうもない人間が憂さ晴らしで書いたのでは?と推測された。
というのも、文章の端々から投稿者の憎悪や悪意がにじみ出ていた。読んでるだけで気分が悪くなった。文章自体はこなれてる感じ。
「卑怯で汚い!」と、心の中でそういうことを呟いた。
対応会議の結果なんだけど……流れとしては、こんな順番になった。
まず、学内の法務(顧問弁護士)に相談する。そのうえで、メールでの通報者にはすぐ返信しない。完全に事態が解決してから返信する。電話がかかってきたら私が対応する。
数日後、顧問弁護士からの回答があった。内容は想像どおりのタマムシ色だった。以下要約。
「そのブログの内容は、法的に名誉毀損にあたる可能性がある。しかし、匿名であること、そして書き込みの内容が主観的な感想や風聞の域を出ない場合、立件は難しい。何より、表現の自由の観点からは、公共機関である大学が直接動くのは高リスクであると思料する」
はてな匿名ダイアリー、通称増田は偶にだけど読んでる。ブクマランキングを経由して。はてな匿名ダイアリーを知らない人のために説明すると、文字通り「匿名」で投稿できるサービスであり、その匿名性ゆえに、当事者からの通報ひとつで当該日記をBANしてくれる。
でも、これって私個人の被害を指すわけじゃない。組織としての大学のことだ。じゃあ、削除申請はどうやるのか……一応はてなに質問しようと思ったけど、スタッフさんに迷惑がかかると思ってやめた。いざとなったら、私が嘘通報して消してやろうと思った。
別に、大学の名前で削除要請を出してもいいと思ってた。一応上司にも相談してみた。そうしたら、やっぱり「弁護士の言う通り」らしくて。
書き込みの内容が明らかな違法じゃないし、個人の日記に留まってる限りは、『表現の自由』を大事にしないといけないって。その課長は、わざわざ文学部の知り合いの先生に相談したらしい。そしたら、その教授の先生は相手の味方をしたんだって。
・でも表現物には変わりないので、削除要請するのは公共機関である大学として誤った判断
こういう根本的な壁があった。
結局、それから何週間も悩んだ。担当者としてどうすべきかって。最後の方は、自分で嘘通報して消してやろうと思っていた。私も卒業生なので、こういう日記があると本当にイラっとくる。
「表現の自由」という言葉だけど、それこそ「公共の福祉」があるだろうって。確かにどんな内容であれ、個人が自由に意見を表明する権利は保障されるべきだ。でも、それが他者を貶める目的で行われるのなら、それはもはや「表現の自由」とは言えないのでは?
そんな時に、あの通報メールの発信者から電話がかかってきた。もう二週間以上も返信希望を放置していた。
ストレスを感じながら電話を取ると、意外と大人しい感じの人だった。
「あの日記には不愉快さを感じる。ただ、一応は表現ということもあるので、絶対に消してくれではなくて、貴学に対応を委ねたい」
考えが変わったんだろうか?とにかく優しそうな感じの人でラッキーだった。でも結局、大学としてどういう対応を取ろうかと言う結論は出ないままだった。
それからまた、打合せの場をもった。今度は法務部門の人も交えて話をした。
選択肢はいくつかあった。ひとつめが普通にはてなに削除要請をすること。もうひとつは、それではてなが日記を消さなかった場合に、弁護士を経由して正式な削除要請をするか、直接相手方に警告の文書を送ること。
相手方と直接対峙するのはデメリットがある。相手が逆上して、さらに過激な書き込みをする可能性がある。ないとは思うけど、訴訟に発展した場合、時間も費用も膨大にかかる。何より、世間に「あの大学は言論を封殺しようとしている」と世間が受け取って炎上するかもしれない。
最後の手段が「放置」だった。何もしない。これが一番楽な選択肢かもしれない。時間が経てば、書き込みは忘れられていく。はてな匿名ダイアリーは常に新しい情報で溢れてる。
でも、このまま放置して、次の問題に発展したら?たとえば、あんなものを真に受ける弊学を志望する中学生・高校生がいるとか。そうすると放置という選択肢は無責任な気がした。一応は大学に雇われている身である。
私は、あの日記を読んでしまってる。悪意に満ちた言葉の数々を。あれが誰かの目に留まり、大学が不当な評価を受けることになったらどうしよう。あの書き込みが原因で、大学に関係する誰かの心が傷つくことになったら?
「何もしない」という選択はしたくない。かといって、強硬な手段に出るのも難しい。私にそんな権限はないし。権限があるとしたら、少なくとも総務部長クラス?とにかく、大学の評判は落とせない。
ある日、憂鬱な気分でその日記をブラウザ上で読み返そうとしていたところ、なんと……日記は消えていた。厳密には削除じゃないけど、実質的に消えていたと言っていい。
ストレスから解放された私は、関係先に全部報告して回って、あのメールをくれた人にも「消えましたよ」と連絡メールを打った。
結局、こういう時ってどうするのが正解なんだろう。それがわからない。今後もし、同じような事態が生じた場合はどうすればいいのか。また同じように逡巡しそうな気がする。
結論は思い付けてないけど、次回に備えて、暇な時間に考えることにしてる。間に合えばいいけど。消化不良の結末で申し訳ないです。
現在私は貯まらない貯金、劣悪な住環境、趣味に時間を使えない多忙、絶対に許されぬ恋というヘレンケラーもびっくりの四重苦を抱えているのだが、やはりというか当然というか最近希死念慮という名の死神が手招きするようになった。
これまでも約20年ほど強迫性障害を抱えており、薬でなんとかやり過ごしてきたがついにやって来たかという感じだ。思うに人間という生物はストレス耐性の限界値というものが各々備わっていて、その数値を超えると希死念慮という名の電源ボタンを作動したくなる衝動に駆られるのではないか。つまり死は生きる苦しみから逃れる救済措置でもあるというわけだ。
希死念慮を和らげる薬も現在いろいろ試してはいるが、今のところ特効薬と呼べるものは見つかっていない。イライラや不安が限界まで高まると首吊りや飛び降りのイメージが頭に浮かぶようになっている。
しかし、私は今死ぬわけにはいかない。死神に負けるわけにはいかない。なぜなら脳内にこれは絶対に世に出しておきたいという作品のネタがまだまだあるからだ。これらを発表せずしてこの世を去ることはできない。カート・コバーンがあの日ショットガンで自らの頭を撃ち抜いていなかったら我々はもっと多くの名曲を聴けたはずだ。
今の私は私のために生きてなく、世に出るのを今か今かと待ち望んでいる作品たちのために辛うじて生きている。私は作品を世に出すためのデバイス。タンパク質の塊。そう言い聞かせてこの生き地獄を耐えている。
気づけば冷蔵庫はチーズだらけ、けれど最初はただの偶然だった。
本格的に沼に落ちるきっかけは、地元のイタリアンで食べたモッツァレラ。
それまではピザやパスタの具として「何となく旨い」くらいに思っていた。
でも、ある日、皿に乗ったカプレーゼの白いモッツァレラをフォークで切った瞬間、
口に入れたら、柔らかさと淡い塩気、ほんのりした甘みが混じって、
「これ、牛乳の延長じゃない。別物だ」と脳天を砕かれた。
今まではスーパーのプロセスチーズしか知らなかった俺が、その一皿で世界が広がった。
「本物」を知った瞬間だった。
それから家でも試してみたくなり、スーパーで水に浸かって売られているモッツァレラを買った。
最初はちょっと高いな、でもどうしても再現したくて、家でカプレーゼをつくった。
結果は、正直、レストランみたいに仰天はしなかった。
スーパー品は日持ち重視で固め、塩気も控えめ。でも、「プニ感」と淡い味わいには感動。
「モッツァレラはイタリアでは水牛乳が主流」「本場はもっとモチっとしてる」
北海道や輸入物の値段にビビりながら、勇気を出して新しい銘柄を買ってみる。
何種類か試すうちに、モッツァレラの奥にカマンベール、ブリー、ゴーダ、パルミジャーノが並んでいることに気づいた。
そして2週間後、デパ地下で「カマンベールはおつまみに最高ですよ」と店員に勧められ、
今度はフランスチーズに手を伸ばすことになる。そのまま、白カビ、青カビ、ハード――
どんどんチーズの世界が広がり、気づけば冷蔵庫が「沼」になっていた。
でもその「なんとなく」の壁を超えた瞬間、世界は激変する。
【まず知れ】
でも、チーズの世界はめちゃくちゃ体系化されていて、クセや用途、食べる順番まで全部意味がある。
フレッシュチーズ、白カビ、青カビ、ハード――この4ジャンルを間違いなく頭に叩き込め。
【白カビチーズ】
クリーミーに塩気。クセはピンと来るが、初心者にも食べやすい部類。
クラッカー、パン、果物、ワインに最高。熟成によって香りもトロみも増していく。
名前の通り青や緑のカビがびっしり入り込んでいる。初見は怯む。
でも一口食えば、塩気と旨みにやられる。
蜂蜜かけてパンに乗せろ。パスタやソース、ナッツとも相性抜群だ。
クセは最強クラス。でも慣れると抜け出せなくなる。
粉にしてパスタに、スライスしてサンドイッチ、グラタン、カルボナーラ――全部に使える。
塩気、コク、旨みが信じられないくらい詰まってる。
エメンタールはスイス名物、穴あきでチーズフォンデュやラクレットの主役。
アレはナチュラルチーズを細かく切って溶かし、再度固めた“再構成”の食品。
クセなし、安定した味、料理向きだけど、
【さらに、沼の底は深い】
白カビの頂点エポワス(オレンジ色で酒の香り、室温で液体になるほどトロトロ)、
リヴァロ、ポンレヴェック――これぞ発酵臭の暴力(褒め言葉)。
山羊乳のシェーヴルは、酸味とほんのり土臭さ。これを蜂蜜と合わせると「酸味×甘味」の天才タッグ完成だ。
ブリヤ・サヴァランやタレッジョ(イタリア生まれ)も「ダメ人間製造機」級の誘惑。
お前らは「臭い」「クセが強すぎる」「高い」と尻込みするかもしれない。
でもその先に未知のうまさが待っている。
固くて塩辛くてボロボロ崩れるハードチーズは、パスタやサラダを何倍も美味くする。
一番手軽なのは、まず近所のスーパー当たってみる。でも正直、ラインナップは控えめだろう。
モッツァレラやカマンベール、チェダー、ゴーダ、パルミジャーノあたりが置いてあればいいほう。
ここではフレッシュからハード、青カビ、山羊乳までそろってる。しかも「量り売り」が多いから、少しだけでも買える。
何も知識がないままでも店員さんは慣れている。初心者はこう声をかけろ
「チーズ初心者で、クセが少なくて食べやすいものを教えてください」
「この予算で色々試したいんですが、人気の品ってどれですか?」
基本は、モッツァレラ(爽やか)→カマンベール(クリーミー)→チェダー/ゴーダ(コク・クセ控えめ)あたりをまずすすめられる。
もし勇気があれば、「青カビや山羊乳も少しだけ試したい」「クセはあっても平気です」と伝えれば、小さくカットされた本格派も出してくれる。
量り売りがあるデパ地下なら「100gくらい」「少しずつ数種類を食べてみたい」と言ってみろ。店員は必ず、「初心者セット」的な組み合わせを選んでくれる。
大事なのは「わからないのでおすすめを知りたい」と素直に伝えること。遠慮するな。
専門職はその場で味や特徴も教えてくれる。
まずはデパ地下で、「初心者です。食べやすいチーズを色々教えてください」でOK。値段が気になるなら「できれば○○○○円くらいで」と一言添えれば、絶対外れないから安心しろ。
一歩踏み出せば、冷蔵庫に新しいチーズ、人生に新しい楽しみが増える。沼民はその報告を待っている。
Permalink |記事への反応(10) | 20:27
私が小5、兄が中2。この頃は兄妹(兄、私、妹)が同じ部屋で寝ていた。度々、深夜に手やお尻にぼんやりとした違和感があり妙に不快だったことがあったが、夢だろうと思いあまり気にしていなかった。
ある夜、指先でつつっと円を描くようにお尻をなぞられた感覚で目が覚めた。兄だと直感した。未知の恐怖で頭が真っ白になり気づいていないフリをして過ごした。
その数日後の夜、右手が気持ち悪くて目が覚めると、兄が私の右手を陰部に当てたり押しつけたりしていた。言葉も発せず反射的に振り払い1階へ走って降りた。母が入浴していたので、上がるのを待つようにリビングで伝説のスタフィー 3の攻略本を開きながら、さっき起きたことの整理と兄への恐怖と驚愕と、とにかく色々な感情や考えが一気に溢れパニックになり泣いていた。お風呂上がりの母から心配されたが、小学生ながらに「これを話したら家族がバラバラになるのでは無いか」と思い、怖い夢を見て眠れなくなったと嘘をついた。
この頃は思春期を迎える前だっため性知識に乏しかったが、兄に対して本能的な恐怖を感じた。同時に、小1の妹ももしかしたら同じ被害を受ける(もしくは既に受けている)かもしれない、私が兄から守らなければならないと思った。両親にあれこれ理由をつけて(ほぼ駄々をこねて)物置部屋を整理してそこに妹と私は移動した。兄とはそれから1週間ほど話さなかったが、徐々にあの時のことはなかったようにお互い今まで通り接するようになった。
大人になり、私の結婚が決まると兄は明らかに私を避けた。結婚のため県外へ引っ越した翌月、兄からは結婚祝いを現金書留で貰ったが「金 ◯萬円」の文字は明らかに母の筆跡だった。
その後、お盆やお祭りの時に帰省するが兄は顔も出さず目も合わせず完全スルーされている。声をかけても最低限の返答だけ。両親は「独身で妹に先越されて不満なんじゃないの?」と言っていたが仮にそうだとしても良い歳した大人がとる態度ではない。
母になぜ3人兄妹が同じ部屋だったのか、と聞いたら「私は一人っ子だったから別室にするって発想がなかった」と。
…いやいや思春期を迎えた異性と同室にさせるか?しかも父はたくさん兄妹いるでしょ、何かアドバイス無かったの?と思った。同室だったから、あなたたちがそういう予測を充分にしていなかったからこういうことが起きたんだよ、と喉元まで言葉がのぼってきたが飲み込んだ。事実を話して解決まで向き合う勇気がなかったのと、両親に精神的な負担をかけたく無かったからだ。
アラサーになった今でもあの日の右手の感覚をはっきり覚えている。
精神的に落ち込んだ日は芋づる式にこのことを思い出して余計に病んでしまう。あの頃、トイレしてる時にカギを閉め忘れると兄がドアを開けて「わっ間違えた、ごめん」と謝られるイベントが頻繁にあったけど今思えばあれもわざとかもしれない。下着が度々紛失していたのも兄が原因かもしれない。今となっては分からないし、事実を本人に確かめる勇気もない。
小さい頃、兄にはたくさん面倒を見てもらったし今でも実家のことを色々としてくれているので、感謝はしている。
全く嫌いというわけではないし家族としては大切だと思うけれど、あの頃の出来事から嫌悪感も同時に持っている。
夫にも誰にも話せていないままずっと兄のことでモヤモヤしているためここに吐き出した。
AIが出るまではプログラミングが楽しくて楽しくてしかたがなかった。四六時中、風呂入っているときも布団に入っているときも、そして仕事でも常にプログラミングを使ってなにか楽しいことができないか常に考えていた。10年も20年もそんな生活をしていたわけだがー。
AIが出てきてそんな世界が一変した。仕事もAIで捗っている。楽して金を稼げているんだ。
自分のアイデアもAIが形にしてくれるだろう。でも「アイデアをAIが形にできる」と思ってしまったら、もうそのアイデアは面白くなくなってしまうんだ。
人間が、学習欲が、経験が作るものに価値があるのだと改めて考えさせられた。
AIが作るものは矮小で、無機質で、経験がない。だから、結局作られたものは無価値で、尻拭いを強いられるだけになる。
尻拭いは退屈だ。これじゃぁただ、無造作に生み出された程度の低いコードが流れてくるベルトコンベアで、品質に見合っていないものを避ける仕事となんら変わらない。
無価値なものでも集めれば価値になる。例えばペットボトルの蓋なんて無価値であるが、たくさん集めればリサイクルして、また新たな価値を生み出せるだろう。
無価値なコードもしかり、あつめればアイデアが形になり、客が金を落とす。それは価値を生んでいる。それはそうだ。
ペットボトルの蓋を集めるのは楽しいか?楽しい人もいるだろうが、自分は楽しくない。
趣味も、仕事も、楽しかったあの日はもう遠い。今日もAIに指示し、指示通り作らずにキレて台パンする1日だ。
AIなんて消えてなくなればいいのに。
アウトラインプロセッサーは、思考の断片を手放さずに可視化し、整理し、再構築できる道具だ。
まるで夜の車窓に見える街の明かりを、手元で一つずつ拾い集めるように、思考を丁寧につなぎ合わせる。
社会の底辺で作業員として黙々と土木工事に従事していたとき、頭の中の不純物が洗い流される感覚を覚えた。
同じように、ごちゃごちゃしたアイデアや散在する情報を一度に整理するには、アウトラインプロセッサーの黙々と書き出すアプローチがうってつけだ。
旅の始まりに「私は本当に何を探しているのか」と自問したあの日のように、アウトラインプロセッサーもまず問いから始めると迷わない。
2.階層を深掘りする。
大都市・札幌・渋谷と段階的に移り住むように、大まかなテーマ→小見出し→具体タスクと深く掘り下げる。
3. 書いては消し、消しては書く。
筆の乗らない夜もある。そんなときは一度消してみると、新たな視点が生まれることがある。まるで濃い霧の向こうに新しい地平線を見つける瞬間のように。
4. 定期的に全体を俯瞰する。
旅人が丘の上から街を見下ろすように、マップビューやアウトライン全体図を眺める。漏れや重複が一瞬でわかる。
アウトラインプロセッサーは、ただのツールではない。思考の遍歴を刻む「道しるべ」であり、自分自身の心象風景を可視化する「旅行記」だ。
移動を繰り返した末に「どこにも根を張らない自由」を知ったように、アウトラインを使いこなすと、どんなアイデアも土台に据えられる安心感が得られる。
時には、自分の内面が恋人に侵食されるような不安に襲われることもあるだろう。
しかしアウトラインプロセッサーなら、自分の思考の境界線を描き直し、必要なときだけ他者の意見をそこに取り込むことができる。
さあ、新しい街へ踏み出すように、アウトラインプロセッサーを開き、あなた自身の地図を描き始めよう。
薄く湿った風が、夕暮れのアスファルトをそっと撫でていく。数日前までは日没を待たず、コンクリの照り返しにじりじりと焦がされていたのに、いまはまだ陽があるうちから肌にひんやりとした予感が宿っている。
自転車を漕ぎながら見上げる空は、夏の蒼さから少しずつ色褪せて、淡い鉛色の雲にほのかな黄金を帯びている。あの入道雲はもう遠い日の記憶で、今は高いところを渡る雁の群れが、秋の訪れを告げに来たのだろう。
帰り道にある公園では、蝉の声が徐々に減り、代わりにひぐらしが一声、二声と鳴く。真夏の間は地響きのように賑やかだったのが、いまや呼吸のように間を置いて静かに響く。滑り台の鉄網が、まだ熱を帯びているけれど、触れればもう「焼けた」痛みではなく、肌に寄り添う温もりへと変わっている。
家へ戻ると、窓辺に置いたガラス瓶の中でミントの葉が色を濃くし、夏に吸い込んだ陽光を抱えたまま秋を迎えているようだった。明かりを点けると、その緑はほんのり翡翠色に光り、部屋の薄暗さをほのかに照らす。僕は書きかけのノートを前に、指先でページを撫でる。まるで時間の糸をたどるように、字の隙間から季節の匂いが立ち昇る。
足元には去年の秋に拾った赤い葉が一枚、乾いてカサカサと音を立てている。あの日、福島の山道を歩いていると、突如ひらりと舞い降りてきたものだった。自分がこの街を出る日を想像もしていなかった頃の、ほんの小さな偶然だったのに、それがいまでは胸の奥で鮮やかに疼いている。
窓の外を見れば、商店街のアーケードの明かりが柔らかく灯り、夜の帳がゆっくりと広がっていく。夏の終わりは寂しいと言う人もいるけれど、僕にはこの「終わりの始まり」がいちばん好きだ。終わるものへの惜別と、始まろうとする何かへの昂揚が同居しているから。
明日はもう9月の下旬だ。仕事帰りの道で見かけた栗のイガが、そっと落ちていた。掌に包むと、まだ子供のように固く、尖っている。触れているうちに、心のどこかで「次へ進め」と囁かれているような気がした。そうか、僕はまだ旅の途中なのだろう。
窓の外では、夜風が窓枠をかすかに揺らし、遠くで何かが鳴っている。秋の虫が、まだ旅に出る僕を見送るように――静かに。
この部屋の明かりが灯るころには、もう秋の匂いが深まっているだろう。夏をつかみ損ねた僕の胸の中にも、ゆっくりと色づく何かが流れ込んでくる。風が変わるたびに、その鼓動が確かな存在として胸奥で響き、僕はまた一歩、季節の旅を続けていく。
法事自体は問題なく終え、1泊して帰るまでに少し時間があったので時間を潰せる場所を探していたら見つけたのが中野プラネタリウムだった。
まだ小学生だった頃、夏休みの間は共働きだった両親の負担を減らすために私は母方の実家である中野へ預けられていたのだが、よく祖父が連れて行ってくれたのがそこだった。
何だかとても懐かしくなり、ふらりと訪れてみたプラネタリウム。
大人200円子供100円という破格の値段で驚きながら中へ入ると、おぼろげな記憶だが当時とまったく変わっていないように見えた。
部屋の中央へ据え付けられた大きな鉄アレイみたいなフォルムの投影機械。
…夏の暑い日、祖父に手を引かれて入場した記憶がよみがえり、ちょっと涙ぐむ。
しばらくして上演が開始された。
説明を聞いていて驚いた事に施設で使用されている機械は三十数年前、つまり私が祖父に連れられて来たあの日と変わっていないらしい。
「最新の機械だと星々を線で結んだりする機能が付いていたりするのだけれど、出来なくて申し訳ない」と解説員さんがちょっとだけ申し訳なさそうに言っていたが、とんでもない。
──つまり私は、祖父と観たあの日と同じ夜空を、同じ場所で、眺められているのだ。
そう感じたら空を見上げながら涙が溢れてきた。
偶然の思い付きで数十年ぶりに訪れたプラネタリウムでこんな追体験ができるなどとは思っていなかった。
少しだけ滲んだ星空を眺めながら、私は亡き祖父を偲ぶ事ができたのだ。
絶対にまた来ようと、そう誓い私は施設を後にして母方の実家へ戻る。
そしてこの話をしたら母が思い出したようにこう言った。
「あー…そう言えばおじいちゃん、『安いし涼しいし暗いから昼寝するのにプラネタリウムは最高』って言ってたわ」
なんと、かなり頻繁に連れて行ってくれてたのはそれが理由だったらしい。
おじいちゃんも意外にロマンチストだったんだなぁ…とか思ってたよ。
笑いながら昔話に花が咲いた。
世界は静かに、そして確実に流れていった。タケルの視界には、広大な都市も、海も、山も、空も、すべてが一望の下にあった。神としての力は完璧で、どんな命も、どんな瞬間も、その動きも感情も手に取るように知ることができる。
だが、胸の奥の痛みだけは、どんな力でも消せなかった。
あの夕暮れの教室、笑顔を浮かべながら僕に「ごっこしない?」と手を差し伸べた少女――ノゾミ。彼女が消えた瞬間の衝撃、手を伸ばしても届かなかったあの感覚。すべてを知る力を持ちながら、彼女だけは救えなかった。
世界中の命や出来事が眼前に広がっていても、タケルの視界の中にノゾミはもういない。
残っているのは、ただ僕の胸の奥だけ――ノゾミを思うこの痛みと記憶。
教室の窓に、あの日の夕陽が幻影のように差し込む。光はまだ橙色で、揺れる影の中に彼女の姿を重ねることができる。手を伸ばせば届きそうで、届かない。手の温もりも声も、今はもう幻の中だけにある。
タケルは膝を抱え、静かに呟いた。
「……あれは、ごっこなんかじゃなかった」
目の前の世界がどれほど大きく、完璧であろうと、胸の奥に残る感情だけは、力では決して変えられない。人間としての痛み、失ったものの虚しさ。それが、神としての僕の唯一の欠片だった。
世界のあらゆる命を見渡す視界の奥で、タケルはノゾミの笑顔を繰り返し思い浮かべる。
教室で手を握った感触。廊下で呼び合った名前。商店街で笑いながらたい焼きを分け合った瞬間――すべてが、心の中で生きている。
しかし現実には、彼女はもういない。消えた。僕の胸にしか、存在していない。
涙が頬を伝い、世界の果てまで届くような孤独が胸を押し潰す。だがその涙を拭いながら、タケルは力を取り戻した監視者として立ち上がる。
神の分身としての役目は、何も変わらない。弱者男性族を見守り、世界を監視し、導く――その役割は冷たく、孤独で、容赦なく続く。
だが、今だけは、胸の奥に残る少女の記憶を抱きしめながら、その孤独を受け入れることができる。
空には星が瞬き、街には夜の光が灯る。すべての存在が平穏を装って動いている。その光景を見下ろしながら、タケルは静かに誓う――
この世界のすべてを見守る力を持つ者として、ノゾミのいない世界でも、彼女を忘れずに生き続けることを。
そして彼は一度、深く息を吐く。
涙を落としながらも、孤独な監視者として、世界を見守り続ける。
教室の幻影の中に、ノゾミの笑顔はいつまでも輝き、タケルの心の中で生き続ける――切なく、儚く、しかし確かに存在している愛の記憶として。
式の当日、参列者は十数人。
祝儀をもらわずに式だけ挙げたような感覚で、親戚も友人もいないから質素に招待状を手渡しで配り、「おめでとう」の言葉だけを残してお開きになった。
挙式から披露宴までノンストップで三時間、なぜか水ばかりが進んで、いつもと同じようにちょっと胸がざわつくのを忘れていた。
夫と初めて二人きりで過ごした夜、リビングの蛍光灯はすでに消えていて、廊下の間接照明だけが淡く揺れていた。
お互いに言い合いのない沈黙を交換しながら、寝室のドアを開けた瞬間、彼の姿を初めて真正面から見た。
布団の上の彼は、そこに「あるはずのもの」がない人だった。
まるで身体の一部を断片的に削ぎ落とされたかのように、彼は静かに、自分がかつて持っていた「男らしさ」の輪郭を探しているようだった。
それを決めたのはプロポーズの日だった。「無理して増やさなくても良いよね」と軽く笑い合った。
けれど、本当に何かを失った人と、何かを持たずに歩み寄る人、二人が寄り添うとき、約束の重みは思っていたよりもずっしりと胸に沈んでいった。
「運転中に歩行者を避けようとして」「鎖骨を折った」「そこから下は――」
抱擁を交わすたび、私の胸の中に無かったはずの空洞がひとつ、またひとつと生まれていく感覚がした。
彼のいないものを受け入れることは、私の身体に刻まれた既成事実の境界を揺さぶる行為だった。
目を閉じると、手のひらに触れる温度、吐息のリズムだけが確かな実感として残り、その隙間を埋めようと私の意識は懸命に探りを入れた。
「これでいいの?」
問いは無言のまま、私たちの間を漂っている。
完璧とは程遠い身体を抱きしめながら、私は自分の内側からこみ上げるエネルギーを感じる。
欠損と合意のレイヤーが重なり合う瞬間、そこには見えない約束の光と影が浮かび上がる。
それでも私は思う。
どんな形であれ、他人の身体の不在に寄り添うことで、自分自身の境界線は再定義されるのだと。
この先、彼と歩む道のりは氷の上を進むような不安定さを孕んでいるだろう。
それでも、胸の奥に揺れる小さな灯火を守りながら、私は欠損の隙間を愛する選択をしていきたいと思う。
春の風が教室の窓をくすぐるころ、弱者男性の増田太郎は机に突っ伏して小さくため息をついた。中学1年生の新学期。新しいクラス、初めて会う顔、そして――恐怖の婚約者たち。
「……婚約者?」
小さい頃、増田は結婚の意味を勘違いしていた。仲良しの子とずっと一緒にいられる約束、だと思っていたのだ。まさか中学に入った途端、現実はこうなるとは。
向こうから差し出されたのは、笑顔満開の女子、佐藤美咲のお弁当。ウインナーがニコッと笑っているみたいに盛られていた。
「え、ありがとう……」
増田は小さく頭を下げるが、まだ机に顔を埋めたまま。彼の周りにはすでに数人の「婚約者」が待機している。男子も女子も関係ない。クラスメート全員が「婚約者」であり彼にベタ惚れで、牽制を繰り広げているのだ。
「太郎、今日は俺のカレー弁当だ!そんなウインナーよりも俺の愛情がたっぷり詰まってるぞ❤」
隣の席のイケメン男子、山田颯太が笑顔で見せるカレー。増田の顔は青ざめる。「いや、そんなに……」
しかし教室の空気は完全に戦場だった。誰かが手を伸ばせば、すぐに別の「婚約者」が睨みをきかせる。
美咲の声に、颯太が舌打ち。男子も女子も、お弁当で争い、眼差しで牽制する――まさに「愛のバトルロワイヤル」状態。
増田はそっと机の下に手を伸ばして、ポケットの中の小さなメモを握った。そこには、昔の自分の願いが書かれていた。
あの日の夢と、今の現実――あまりにも違いすぎて、増田は思わず笑ってしまった。
「……ま、まあ、みんな、仲良くしてくれるのは嬉しいけど……」
だが、その言葉を聞くやいなや、全員が一斉に「私(俺)の太郎くんなのに!」と抗議する。教室中が喧騒に包まれ、増田はただ、頭を抱えて立ち上がった。
参議院選挙の期間はつらかった。
というのも参政党が大躍進した結果もそうなんだけど、その過程で外国人問題なるものが選挙の大きな争点になった結果、自分のような外国人のパートナーを持つ人間にとってはマジで辛い日々だった。
自分のパートナーは「えええ、私実は〇〇人なんですよお」って自己申告しない限りは外国人って気づかれないレベルで日本語を上手に話すので、当然日本人ファーストとかその他馬鹿馬鹿しい排外主義的な言説全部聞き取れてしまうのでそれはもう選挙期間中は可哀想だった。
(どこの国でも自国民ファーストは当たり前だろって言う声が聞こえてきそうだけど今回の本筋からは外れているのでこの点についてあまり深く議論する気はない。読み流してくれたら良いと思う)
で、まあ自分のパートナーが心を痛めてるので自分なりに「これはなんとかしないといけないなあ」とおもっていつもはなんとなく投票してるんだけど今回は本当に真剣に考えてみようと思っていろんなところにアンテナも貼って可能な限りいろんな党の演説も聞きに行って色々考えたんだよ。
自分なりにね。
その結果、自分が本当に感動したのが「共産党」だったんだよね。
本当にね、外国人差別とか排外主義を煽る参政党とかに対してしっかりnoを突きつける演説には感動したし、隣にいた自分のパートナーも号泣してたよね。
「私本当にここでこの演説聞けてよかったな」って泣いてたよ。
自分も本当に感動した。
自分と同じように街頭演説に外国人のパートナーと手を繋いで危機に来てる人たちも数組いたしなにより、街頭演説に手話通訳がいたよ。
あれはすごいと思ったね。
自分が外国人差別について触れてもらった時にすごく感動したのと同じように、手話通訳がそこにいることで感動する障がい者の方もいらっしゃるんだろうなぁと思ったよ。
あれは本当に素晴らしかったね。
どうか自分とパートナーの未来を守ってくれって思いながら、本気で投票したんだ。
結果はみんなご存知の通り、今回の共産党は大敗だった。代わりに参政党は大躍進。
だけどその後共産党がこの選挙の総括をどうやるんだろうって思ってた。
たとえ絶望で終わったとしても、これから先に彼らの語る言葉に何か希望をみつけたかったんだけど、
なんか「ここまで自民党を追い込んだ選挙は初めてだ」とかなんとか言ってたよ。
いやいや、追い込んだのは参政党であってお前たちじゃねえだろ?
とおもったね。
ていうか、もっと悔しがれよと思った。
自分みたいな、共産党に想いを込めて信じて投票した人たちに対して「負けてごめんなさい。本当に悔しいです」とかそう言うのないの?って。
なんか、負けたくせに人間味もなくて爽やかな顔してまるで白組が勝った体育祭で、赤組の団長が「負けたけどみんなで戦えて団結できたことが誇りだったと思う」みたいな爽やかな顔していうスピーチあるじゃん。
でも選挙って体育祭じゃないわけで、こちとら自分の未来を賭けて命懸けで投票したつもりだったのに、当の本人たちはなんで負けたくせに爽やかなんだ?って思っちゃったよな。
そこまではまだ違和感で済んでたけど、
どこに投票したら良いかはわかんないけど、国民として選挙には参加したいと思ってるフワフワしてる人な。だけど今回初めて自分と自分のパートナーの生活が脅かされるような政党が出てきたから本気で考えて投票したんだよ。
なんで共産党に投票したかというと、共産党の議員さんと街頭演説のスピーチが本当に素晴らしかったからだよ。それしかない。
だから投票した段階では自分と共産党一対一の物語だったんだけど、選挙が終わったら一度は涙を流すくらいに入れ上げた政党だから気になって色々見てるとマジでがっかりすることが増えたよね。
それが、参政党カウンターをやってる一部の過激な人たちから始まるわけ。
あいつらさ、共産党支持ってでかい声で叫びながら、参政党の女性議員に中指立てたり、でかい声で演説遮ったりするだろ?
ヘイトスピーチを許さないとかなんとか言ってるけど、なんでお前たちが人様の言論をヘイトスピーチかそうじゃないかを分ける側にいるって勝手に決めてるんだよ。
あと、中指立てんなよ。
女性に対して何やってんだよ。
大体、自分は共産党のトップが女性で、女性の働き方とかそういう他の政党があんまりやってない女性問題を女性目線でやってる姿勢もリスペクトできると思ってたんだぞ。
それなのに、その共産党支持しながら女性に中指立てるって、お前たちは中指立てていい女とそうじゃない女で選別でもしてんのか?
だけど何よりもがっかりしたのは、そういう馬鹿どもを叱りつけるんじゃなくて一緒に写真撮ってる共産党の議員どもな。
お前らも全部馬鹿だよ。
何やってんだよ。
あのな?中指立てでスモークたいて人の言論を罵声と暴言で打ち消すような人間世間から見たらヤバい奴らでしかないんだよ。わかるか?わかんねえのか?
それと仲良しこよしで写真撮ってsnsにばら撒かれて、それで民心がついてくるとでも思ってんのか?
なんでヤバい奴らと写真撮ってただでさえ誤解されやすい党名背負って、どうして選挙で負けてニコニコしてんだよ。
「参政党が勝ったのは人が不幸になれば喜ぶ日本人がたくさんいたから。日本人は性格悪い」
とか、
とか、虫唾が走るような発言ばっかり繰り返して、他者を見下すために共産党を使ってるようなインフルエンサーともなかよしこよし。
なんでこんなことすんの?
マジで言いたいんだけど、自分は参政党はじめとして排外主義掲げてる変な政党が本気で怖いんだよ。
だから戦ってもらわないと困るわけ。
あと、多分同性婚とか夫婦別姓とかそういうことを求めてる人たちだって本気でそれを実現して欲しくて共産党に投票してると思うんだけど、自分含めてそういう人たちに報いるためにあんたたちがやるべきことは議席を増やす、選挙に勝つことじゃないんか?
勝つ気があるなら、変な奴とつるむなよ。
共産党の名前を使って、エリート気取って大衆()を冷笑してる薄寒いインフルエンサーどもと手を切れや。
街頭演説で消費税減税のための財源の話なんてしたって、参政党に流れるような今苦しい人間には届かないんだよ。
自分がここまで怒ってるのは、自分が信じた対象が蓋開けてみたら高学歴文系大学生のサークル活動みたいになってたことを見抜けなかった自分にムカついてるからだよ。
そうだよ、共産党なんて信じた自分が馬鹿だったのかもしれない。
仲間内で気持ちよくなって、どんどん世間と溝が開いて、美しく消えていくのかもしれないね共産党は。
だけど自分は共産党があの日、追い詰められた自分とパートナーの前で反差別を叫んでくれたこと、排外主義にNOと言ったことだけは忘れられない。
だけど、多分次の選挙で自分は共産党には票入れられないと思う。
共産党が有権者と支持者に報いるためには選挙に勝つ一択なんだ。
そのくせその本番で負け続けて綺麗事ばっかり言ってるインテリサークルみたいなところにこれ以上自分の票をどぶに捨てるわけにはいかない。
自分みたいに思ってる人はたくさんいると思う。
そんで自分が書いたこの文章さえ、「共産党を支持してる愚かな大衆とは違う自分」に酔いしれてる沈みゆく船の客たちの餌にされるんだろうな。
多分見られない。
きっとこのまま消えていくんだろうな。
残念すぎて、泣けてくるね。