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2025-10-25

献血に行ってきた

成分。計186回目。

予約をしてあったので行ってきた。


特に予定がない土曜。

いつも通勤に使っている私鉄に揺られて献血ルームに向かう。

道中、オレンジ色の装飾の家々を見かけて、そうかハロウィンの季節なのか、と気付く。

電車の中にも、すごい子が一人居た。

恐竜の被り物というか着ぐるみというか、恐竜レースとかのイベントで使われるヤツを着てる男の子

車内での注目度抜群だった。まぁ俺はスマホを弄ってたか電車を降りるその時まで気付かなかったけど。

終点で降りて、繁華街を通る。天気は微妙だが、なんらかハロウィンイベントがあるのだろう。活気づいている。

気合の入ったコスプレが見れるかと期待したが、電車の子インパクトを超えるヤツはいなかった。

繁華街を通り抜け、寂れたビルに入る。ここが献血ルームが入っているビルだ。

以前に、「どうしたら献血に来る人が増えますかねぇ?」と看護師さんに世間話がてら聞かれたことがあるが、

まずは献血ルームの立地が悪すぎると思う。お前らは人を集める気あんのか?と毎回思っている。

ただ、今日は人が多くて混んでいるのでないか?と予想していた。

受付を済ませて、中を見渡すとやっぱり人が多い・・・ 気がする。

医師の問診が済んだのに、なかなか血液検査に進まない。

血液検査が済んだ後も、採血に呼ばれるまでに大分時間がかかった。

おかげで、コーヒーを飲みながら今月号のDIMEをじっくり読めた。別にそんなに面白くもないが。

やっと採血に呼ばれて、ベッドに横になる。

担当看護師さんが「待たせちゃって、ごめんなさい!なんだか知らないけど今日は混んでて」とのこと。

ネットの一部で献血流行ってるらしいからそのせいかもしれないですねー と言うと、

「そうなの?全然知らなかった。昨日も平日なのに人が多かったけどそのせいかな」

「それ自体はありがたいことだけど。でも偶然今日来た、知らない人はびっくりしちゃうよね。こんなに混んでるならもう来たくなくなっちゃうかも」

という反応だった。

なかやま氏のことも、国立がん研究センターへの寄付のことも、そこから派生した献血ムーブメントのことも、何もご存じない様子だった。

というか、実際それらの件と、昨日今日の混雑ぶりは全然関係いかもしれない。

血を抜かれながらテレビを観る。

大谷翔平がなんか頑張っている。

知らんけど、この人野球がすごくお上手なんでしょ?外観からしてフィクションじみてるな・・・・ 

でもドジャースは負けたらしい 大差じゃん。何やってんだよ翔平。お前が付いていながら。

いや、初戦だから、これからの盛り上がりも計算して手を抜いているのだろう。流石だ翔平。興行ってものをわかってるじゃないか

しばらくして採血が終わり、休憩室でアクエリアスコンポタをがぶ飲みする。

寒い。血を抜いたせいかアクエリアスホットでいただく。

そのくせに、ご褒美のセブンティーンアイスを食う。俺はバカだ。アイスは美味い。

献血ルームを後にして、どうしたものかと考える。

腹が減った。血を抜いたし、肉を食おう。

近所にバーガーキングが出来たらしいと聞いていたので、向かってみる。

すげぇ並んでる。ダメだ面倒くせぇ。それに、よく考えると肉の気分でもない。

とりあえず、家に向かってあることにする。食欲の湧く、店があったら入ろう。

ケンタッキーフライドチキン・・・・ 違うな。

家系ラーメンでもない。

ガストでもサイゼリヤでもない。 わからない。

考えながら歩く。

とりあえず、タンパク質を取るべきだろう。

タンパク質パフォーマンス、略してタンパだ。タンパが良いものを食うのだ。

肉より魚だろう。魚が手軽に喰えるというと、回転寿司だな。

国道1号沿いにスシローまで歩くことにする。

久しぶりにスシローに入ったが、システムの変貌ぶりにびっくりした。

何あの、専用レーン?もう、流れてくる皿を見張ってなくていいのか!すげぇ!

そりゃカッパは負けるわ。新幹線走らせてる場合じゃねぇよ。

とりあえず、汁物が欲しかったので茄子味噌汁を頼む。

味噌汁を啜りながら、どうやって専用レーンに来るように制御してるんだろう?とふと気になる。

皿の何かを認識して、より分けている?

じゃぁ、この皿は俺の席専用?まさか。そんな仕組みだったら、膨大量の皿が必要になってしまう。

というと、この時だけこの皿を俺の座席用にする仕組みがあるんだろう。まさかタグ物理的に差し替えるとか?

と考えながら皿の裏を見ると灰色チップが張り付いてた。

なるほど。こいつ中の情報よろしくやってくれているのだろう。と、とりあえず納得することにする。

海老と、マグロを食べて大体満足したが、最後牡蠣を食うかで迷う。高ぇな牡蠣・・・

さんざん迷った挙句、結局注文する。焦がしバター醤油牡蠣

結論を言うと、残念なシロモノだった。不味くはないが・・・ とにかくガッカリだ。会計を済ませて外に出る。

疲れたからもう電車に乗って帰ろう。

帰りの電車は人も疎らで落ち着いていた。

誰もハロウィンのめいた格好はしていない。

正面に制服姿の女子中学生が座る。口元のホクロがやたらとセクシーだ。マリリン・モンローみてぇだな。

俺が同級生だったら、魔性の女、とかあだ名をつけるだろうな、としょうもないことを考える。

帰ったなら何をするか・・・ 晩飯を作るか。スーパーに寄って帰ろう。

帰宅して、ジャガイモを茹でつつ今に至る。

何が言いたいのかというと、ハロウィンって本当にいいもんですね、という話

Permalink |記事への反応(0) | 17:16

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anond:20251025123511

越智(おじ)姓で「おじさん」があだ名の子いたわ

Permalink |記事への反応(1) | 12:43

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おばちゃんというあだ名

中学校とき同級生におばちゃんというあだ名の生徒がいた。

小学校ときからそのように呼ばれていたらしくて、本人自ら紹介していた(´・ω・`)

結果的にみんなからおばちゃんと呼ばれていた。

担任先生もおばちゃんと呼んでいた✧⁠\⁠(⁠>⁠o⁠<⁠)⁠ノ⁠✧

勉強もできたし、人望もあったし、学級委員だった。

悪意なくおばちゃん呼びしていた人ばかりだと思うけど、なんとなく今だと問題になりそうな気がする。

 

========

追記

私の同級生にも名字が「奥」の人がいたー(。ì _ í。)

まり接点がなかったからその人がどう呼ばれていたのかは分からぬ。

Permalink |記事への反応(2) | 12:35

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2025-10-24

カイリキー黒人扱いで思い出したけど、あだ名モノズだったやついそうだなって考えたことある

Permalink |記事への反応(0) | 23:01

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A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

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2025-10-19

人参大根きゅうりシャウエッセン

彼女が男たちにつけるあだ名は変わってる。

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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2025-10-18

ミャクミャク、最初ネット民からいのちかがやきくんとあだ名を付けられかなり定着していたのに数年でそのイメージ払拭して正式名前認知して貰えてるのかなり凄い

Permalink |記事への反応(1) | 20:21

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2025-10-16

anond:20251016194243

由来知らなかったら、なかなか良いあだ名だと思うよ(⁠ꏿ⁠﹏⁠ꏿ⁠;⁠)

Permalink |記事への反応(0) | 19:47

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anond:20251016190243

ワイのあだ名やん

ちなみにキンモ~クセ~が由来😉

Permalink |記事への反応(1) | 19:42

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2025-10-01

anond:20251001192337

身内でつけたあだ名みたいなのをよそに出してきて特別ぶるの頭悪すぎやないか

Permalink |記事への反応(0) | 19:24

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2025-09-30

マキマキって絶対JCJK時代のマキマさんのあだ名だろ

おっさんが出てくるの解釈違い

Permalink |記事への反応(0) | 09:45

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2025-09-28

anond:20250928143203

別に良いけどテイクアウトマンってあだ名付けられるで

Permalink |記事への反応(0) | 14:49

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でもぼざろの主人公が全員低身長キモメンデブだったらもう別ジャンル漫画じゃん?

主人公が「後糖太(ごとうふとり) ちょっと体重が3桁台なコミュ障」であだ名が「ごっつぁん」でタイトルが「ごっつぁ・ん・ろっく!」だったらもう別の漫画じゃん?

ヒロインの名台詞が「いつか両国でも響かせてほしいでごわす。ごっつぁんロック、ごっつぁ・ん・ろっくを!」だったら、もう本当に別の漫画じゃん?

一部の人に「ノイズ」扱いされてるものって本当にノイズなのかな?

それこそが本当は「本体」で、そういう人が「本質」と読んでいたものが「味付け」程度のものだったりしないのかな?

Permalink |記事への反応(3) | 12:04

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2025-09-25

anond:20250925143014

何だっけ、なんか下品あだ名がつけられてた気がする

トイレ掃除の男みたいなニュアンスのやつ

Permalink |記事への反応(1) | 14:38

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2025-09-18

ぼざろに関連して「原作(者)至上主義が過ぎる」みたいな意見あるんですが、わたしけもフレ2で事実上原作である吉崎先生侮辱的なあだ名をつけられて叩かれたのを覚えてるのでそれは違う、と断言できます。結局「叩きやすい」ものを叩いてるだけですよ。

監督様の時は吉崎観音の毒のある作風からトゲを抜いてみんなにお出しする天才だってみんなで持て囃したのになぁ。

トゲでキャッキャしてた連中がノイズに噛みついてる……

Permalink |記事への反応(1) | 16:05

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2025-09-17

後輩が陰で俺の事を「パルテノン」とあだ名付けてるらしい

ギリ社=ギリギリ社会人ってことかな

Permalink |記事への反応(4) | 10:42

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三大いやなあだ名

フーミン

・げろしゃぶ

あとひとつは?

Permalink |記事への反応(2) | 08:47

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2025-09-14

フィフィについては有吉弘行がその昔、「ファラオ呪い」というあだ名をつけてたが、本当に呪いなのかもしれんな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:36

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2025-09-13

双子で下の方が上の方を「兄貴」とか「お姉ちゃん」て呼ぶやつ、本当にいるの?

マンガとかゲームでよく見かける気がするんだけど

実際にはいなくない?

現実双子は互いに名前あだ名呼びじゃない?

私自身二卵性双生児だけど物心ついた頃からずっと名前で呼び合ってるよ

姉とか妹とか気にしたこといか

親や親戚にも姉だからとか妹だからかいちいち区別されたこほとんどないし

なんとなくだけど、学校先生とか、第三者になればなるほど姉・妹の区別したがる気がするよね

親や親戚は「双子から、とにかく平等にしなきゃ!」精神が働くのか、姉だから妹だから的な発言はまずなかった

学校先生とか他所のお家の人とかだと「あなたお姉ちゃんなんだから~」とか言い出す人多かった

意味分かんねえ

双子だよ?同じ年だよ?姉ってどゆこと?たまたま時間かそこら早く産まれただけで姉扱いされたくないんだが

第一さ、自然分娩で産まれ双子ばかりじゃないんだよ?

帝王切開で産まれ双子だっているわけじゃん

医者たまたま早く取り出したからお前は姉だから姉らしくしろとでもいうつもり?

もっと考えろよって思う

Permalink |記事への反応(0) | 22:42

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2025-09-07

anond:20250907011451

じゃあお前のあだ名はグー助な

Permalink |記事への反応(0) | 01:16

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2025-09-05

おばさんへ一人称自分で作ったあだ名にするのやめてください

Permalink |記事への反応(0) | 15:47

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2025-09-03

友達の惚気ツラァ…

友達の惚気がキツイ

彼氏猫ちゃんなの」から始まる。

私と彼女はその彼について

名前をもじったあだ名で呼んでいたんだけど、

今後は猫ちゃんと呼んでくれと言われた。

な〜にいってんだコイツ



かれこれ1年待ってるんだけど

全然頭が冷静になってくれない…………

恋愛脳みそ花畑の話聞くのしんどいから、

24あたりからそういう人とは距離取ってる。

せっかくの土日に20分もかけてこなきゃ良かった。

恋愛は早めに一発やっといた方がいいですほんとに

年取ってから周り見えない惚気女になります

Permalink |記事への反応(1) | 18:52

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anond:20250903142256

ワイのあだ名亀頭くんやで

Permalink |記事への反応(0) | 15:06

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2025-09-01

anond:20250901124708

地球宇宙人なんてあだ名でも

宇宙の待ち合わせ室にはもっと変なあなたがいたの

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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2025-08-29

10年後の8月だった

ZONEの「secretbase 〜君がくれたもの〜」を聴いてふと感傷に浸ったので書く。

先日地元中学校同窓会があった。10年どころか20年ぶりの旧友たちとの再会だった。参加前は正直顔を覚えてるか、名前を覚えてるか、当時のあだ名を覚えてるかなど心配だったが全く杞憂だった。20年ぶりというのに全然久しぶり感もなく、今の仕事や家庭の話、当時のゲームや拾ったエロ漫画の話や録画して観賞会ギルガメッシュないとの話などで大いに盛り上がった。

また帰省したということで連絡をし高校時代元カノに会った。彼女と付き合ったのは1年ほどだったが、別れた後も何だかんだで仲がよく、卒業後も年1くらいは食事に行く関係だった。ただここ数年はタイミングが合わなかったりコロナだったりで会えておらず気づいたら約10年ぶりの再会だった。彼女特に久しぶりという感じもなく、「10年経っても変わらないものだな」とお互い笑い合った。久しぶりに彼女の口癖を聞いて思わず心が微笑んだ。

子どもの頃に「secretbase 〜君がくれたもの〜」を聴いた時は歌詞に涙をして、いつか自分にも10年後の8月の再会を祈ることがあるのだろうかと思っていた。しか現実10年後どころか20年後の再会も、まるで1年ぶりの再会と同じようなあっけないものだった。振り返るとむしろ大学1年の年末高校時代の友人たちと1年ぶりに会った時の方が喜びや感動が大きかったように思う。人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する「ジャネーの法則」というのがあるがまさにそれなのかもしれない。一方で母数の大小関係なく、思春期の頃のような多感さは自分の中から失われているのだろうなと改めて気づかされた。高校時代元カノと別れた際、もちろん彼女と別れたこ自体も悲しかったが、それ以上に「彼女に抱いていた好きという感情自分の中から消えていってしまうこと」で泣いたりしていた。そして今ではすっかりその感情は失われてしまった。

10年後の8月が来ても、それを受けとめる感受性がなくなってしまっていて悲しい」というのを書きたかったのだが、いい感じのオチが思い浮かばないので終わり。

Permalink |記事への反応(3) | 23:33

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