
はてなキーワード:あきないとは
さて皆様、ご存じでござろうか。古(いにしえ)の世、紀伊国屋文左衛門と申せば、紀州みかんを船に積み、大坂の嵐を乗り越えて江戸で巨万の富を築いた、希代の風雲児。その文左衛門が、時を超え、場所を変え、この令和の日本に、まことに転生いたした!
生まれは東京、名を改め「紀伊文蔵」。生まれながらにして商才は脈々と受け継がれ、幼い頃より世の「不足」と「需要」を見抜く目、すなわち「商(あきない)の目」を持つ。
ある日、文蔵が見たものは、玩具店の棚に並ぶ「機動戦士ガンダム」の模型、俗に言う「ガンプラ」じゃ。それも、特定の限定品が出た日には、人々が夜を徹して列をなし、争奪戦となる有様。
文蔵はすぐに気づいた。このガンプラこそ、昔の「みかん」、つまり「時宜を得た、不足の品」であると!
まずは軍資金。アルバイトで貯めた小銭を元手に、早朝の量販店へ。手に入れた限定ガンプラを、「ネットフリマ」という電脳の市場へ出品する。
現代の「口上(こうじょう)」を駆使し、「限定品」という名の「時価」を高める。飛ぶように売れ、瞬く間に元手の十倍、二十倍!
もはや、みかん船どころの騒ぎではない!文蔵は冷静に、人気の波、再販の周期を読み解き、まるで熟練の相場師のごとく、ガンプラを買い集めては、最も価値の上がる時に売りさばく。
紀伊文蔵の「ガンプラ転売事業」は、ネットの海をゆく新時代のみかん船となり、僅か数年で億万長者の仲間入り。世間は彼を「令和の風雲児」と呼ぶ。
私はカレーが好きで住んでる大阪にはとにかくお店が多くて一カ月の外食の半分はカレー、せっかくだし匿名で好きなお店挙げていこうかなと思う。私はカレーの歴史よくわかってないので味だけ楽しんでるスタイル。
スリランカ料理のお店。京セラドームに近いのがロッダグループ、阿波座にあるのがヌワラカデ。系列だしメニューほぼ同じなのでその時行きやすい店舗に行くけどヌワラカデの方が駅から近くてよく行く。
スリランカカレーが美味しくて色んな具があるけど個人的にポークとイカが好き。量が多いのにフレンドリーな店員さんに大盛り勧められて毎回断ってるどころかご飯少なめとお願いしてる。
はぐ寧
天神橋筋六丁目駅から近い出汁カレーのお店。かなり和風。平日のランチのみ。カレーも美味しいしおばんざいも美味しい。天ぷらもつけれるらしい。
出汁カレーのお店って多いけど個人的にここが一番和風って思う。
虹の仏
四天王寺前夕陽ヶ丘駅の近く。お寺の多いエリアだからお店の名前が合ってる。
出汁キーマカレーがメイン。ここの出汁の味が優しくて辛めのカレーとあいがけするのが美味しい。見た目も毎回良いし最高。個人的に夜が空いてて好き。
今年オープンした難波にあるスープカレーのお店。お店の人が西成区の人らしい。どれ食べても丁寧な味だ〜って毎回感動する。定番メニューにある海老のカレーは初めて食べた時衝撃的で月代わりくらいのペースで出る限定カレーもどれも美味しい。
海外からの旅行客に人気のようでGoogleの口コミは海外から来た人らしき口コミが多い。
阪急中津の近く。中津の周りにこのお店の系列たくさんあって全部美味しいけど特に好きなのがこのお店の。小さい釜みたいなのでビリヤニを作ってそれをそのまま提供してくれる。蓋開けてくれる時最高に興奮するし熱々なのが食べれるのがとにかくいい。大きいスプーンで付け添えのあるプレートに入れて食べるけど付け添えもたくさんあるしそれを使っての味変が美味しい。
半分くらい食べると店員さんがスプーン使ってお焦げごとよそってくれる。ビリヤニのお焦げ美味しすぎ。カレー屋さんにカウントしていいのか悩むけどメニューにカレーもあるので。
nidomi
谷町四丁目駅と堺筋本町駅の間にあるけど堺筋本町から行く方が個人的に楽。
いつも夜に行くから単品料理も頼みたいなと思うけど混盛を毎回頼んでしまう。スリランカカレーがベースっぽい。行くたびにカレーが変わってそれが毎回美味しい。この前行った時に食べたシマチョウのカレーがとにかく美味しかった。
もりやま屋
北新地からわりと近くにある老舗。味はあっさり目だけど口に入れた瞬間にスパイスの風味がすごくて自分の口の中で風味が踊ってると思った。辛さは卓上の調味料で調整するタイプのお店。食べた後一時間はスパイスで胃がほかほかしてる。チャイが美味しいので絶対頼んだ方がいいなと思う。
他にもあるけど最近行ったお店で美味しかったなあって思い出噛み締めるのはこのあたり。
とりあえずスパイスカレーが食べたいって人はボタニカリーやヤドカリーやヤム邸の系列がいいんじゃないのかなと思ってる。あとは色んなところで大なり小なりカレーのイベントが開催されてるのでそういうとこ行くと色んなお店のカレーが食べれるからいいなって思う。
上に書いてなくて好きなお店はコイチカレー、カナリアカレー、ナッラマナム、シンズキッチン、和出汁咖哩あきない、ほなまた、煙華香辛、ヤノカレー、シャンカラ堂、恒河舎咖喱、ガネーシュN、シドミド、札幌スープカレーJACKです。新規開拓したいなーって思いながら日々インスタとGoogleマップで検索してます。
Permalink |記事への反応(13) | 10:33
三国志9してるけどいつもどおり終盤あきた
なんなら中盤からもうあきてる
だけど9はなんといってもあほみたいな異民族が何個もあるのがつらい
なんだよ兵数50万て
ひとつの異民族滅ぼして次の僻地へ移送することを考えるだけでげんなりする
抜擢縛りで年1でしか増えない武将を目標に必死に序盤をいなすのはそこそこ楽しかった
港の棺桶ありきだがな
てーか兵糧の上限が低いんだよ
兵糧は年1収穫だからなんとか商人常駐の都市を奪わないと破産する
で序盤は米転がしで財政を黒字に持っていって中盤以降は上限値まで収穫しても一年間の出費をまかなえないから毎ターン金で兵糧を買い足さないといかん
抜擢縛りなら5年分がお買い物係で拘束される
戦争楽しいで高評価な9だけどかったるい部分も結構あるんだよなそれも毎回する時間がかかる作業部分でだから時間が溶ける
仕えるならやっぱり孟徳がナンバーワン!
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度したくに打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬いたちのように身をかがめて走ったり、藪やぶの中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根わらやねの牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋おもやはもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていてもしずかなものだから。もっとも牛が眼めをさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火ひ打うちの道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを探さがしたが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。
巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、ほくちがしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである。
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ガソリン車はもはや古い道具になったのである。EVという新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄すてて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――
巳之助はすぐ家へとってかえした。
寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのガソリン車に石油をつがせた。
おかみさんは、こんな夜更よふけに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
ガソリン車は大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのガソリン車をつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
道が西の峠とうげにさしかかるあたりに、半田池はんだいけという大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
巳之助は人気ひとけのないここを選んで来た。
さて巳之助はどうするというのだろう。
巳之助はガソリン車に火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのガソリン車を三本の木に吊した。
風のない夜で、ガソリン車は一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂たれたままガソリン車の鈴なりになった木を見つめていた。
ガソリン車、ガソリン車、なつかしいガソリン車。ながの年月なじんで来たガソリン車。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
それから巳之助は池のこちら側の往還おうかんに来た。まだガソリン車は、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのガソリン車がともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。
やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているガソリン車に狙ねらいをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世じせいはすぎた。世の中は進んだ」
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったガソリン車が、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
「太宰とか芥川とか泉鏡花とか川端康成とか読んだことないの?笑」ってなんやねん!!!!!!怒
本屋にふらっと入って、その時話題だったり平積みされてるのから面白そうなのを適当に選んで読む。
最近読んだ中では「蜜蜂と遠雷」とか「あきない正傳 金と銀」とかがハマって凄い面白くて一気読みした。ホームズとかも好き。
同年代に流行りの村上春樹は「騎士団長殺し」は50pくらいまで読んだもののどうしても合わなくて途中で売ってしまった。
けど、「遠い太鼓」はちょっと面白くて、1年くらいかけてちまちま読んだ。
そんなだから趣味は読書ですって言っても良いと思ってるんだけど、
そうすると文豪の本をほとんど読んだことがないので、読書仲間の間ではなんとなく浮いている気がする。
読まず嫌いというわけでもなく、刺青とか堕落論とかは一応最後まで読んでみたものの、読み終わっても別になあ…っていう感じだった。
女生徒とか吾輩は猫であるも冒頭チラッと読んだけど、上がんなくて最後まで読めなかった。
文体が古くて読みづらいって言うか目が滑るって言うか。というのもあるけど、現代人が現代小説の方が好きなことって別に普通のことじゃないか?
自分は当て勘で本を買っては当たったり外れたりしているけど、
それって自分にとってそうってだけで
他の人のハズレが自分にとってあたりだったり、その逆もあるってもちろん理解してる。
文豪は文豪として扱われるだけの力があるんだろうなってこともわかる。
んだけど、やっぱり太宰治読んだことないよっていうと苦笑されたりするんだよな。
なぜか文豪の名著を読んだことってステータスになりがち。あれやめてほしい。
https://books.google.co.jp/books?id=pwTUAAAAMAAJ
たぶんモテない男が、造り出したことばだろうと思うが、「美人三日、ブス三日」(美人は三日で飽きるけど、ブスは三日で慣れる)
とあるらしい。
https://books.google.co.jp/books?id=h8altEVwFLYC
男性曰く「長い一生、女房は美人に限る。第一ブスは劣等感のせいか、ひがみっぼくて底意地が悪い」と言う。女性曰く「美人は三日見るとあきるが、ブスは一生見ていてもあきない。第一美人は気位が高くて驕慢な人が多い」なるほど、そう言われてみればどちらにも理がある。
とあるらしい。
小倉氏自身、カツラ使用に関しては以前から認めていることであり、
あいつがヅラ隠してんの俺知ってるぜ!プゲラみたいなテンションでそのことを持ちだす性根の悪い人間がいる。
そして、それを見て一緒になってゲラゲラ笑う人間も同様にいる。
代表例がとくダネ!が番組内でとんでもないミスを犯してしまい、
それを謝罪したと報じる記事のブクマにおける下記ブコメである。
http://b.hatena.ne.jp/entry/342546642/comment/sakuya_little
記事内容とはズレにズレた内容かつ非情に無礼なコメントにもかかわらず、星がつきまくり。
小倉氏のカツラいじりは正義の名の元に行っていい正当ないじりだってか。
ここまでしつこくやり続けるんだから、唐澤弁護士いじって楽しい人達と同じ神経してるんだろうね。