
はてなキーワード:あいあいとは
もう時効だから書いて成仏させることにする。フェイクを入れている。
とあるプレイグループに所属していた。そこは男女混合で和気あいあいとしているエンジョイ勢の比較的ゆるいプレイグループだった。
みんなでKPとPLを交代しつつ和やかに遊んでいたはず、だった。とあることが発覚するまでは。
このプレイグループは主にクトゥルフ神話TRPGで遊んでいたのだが、いわゆるエモシというものをプレイすることになった。
詳細は省くがそこでプレイグループの人間の中(仮にAとBとする)で「うちよそ」が発生してしまったのである。ここまではまだよかった。
当人たちはそのキャラを大層気に入ったようでうちよその話(そのキャラの絡みの話)をしているのを多く見かけるようになった。
それは別に当人らの勝手だと思い放っておいた。正直触りたくなかったから。
数か月が経った。彼らは飽きずに日夜うちよそのはなしをしていた。そこからが急展開だった。
明らかにAがBに対して贔屓をするようになったのだ。それは仕方ない。仲のいい奴に贔屓するのは当然の流れだからだ。
性別が現実と一致しているうちよそだったのだ。Aは男性でBは女性。Aが使用しているキャラ派が男性でBが使用しているキャラが女性ということだ。
現実との境目が曖昧になっていくことは想像に難くないだろう。つまり恋愛感情を含んだ贔屓をAはBにし始めたのだ。
そしてBを立てるためにそのほかのプレイグループメンバーをぞんざいに扱い始めたのだ。
管理者である自分にメンバーが個人で相談を持ち掛けるほど、AのB以外への扱いはひどくなっていった。
メンバーたちの話を統合していくとどうやら、AとBは恋愛関係にあり、付き合っていたがそれを公表していないとのことだった。
AはB以外の女性プレイヤーと二人きりで通話をしたり、うちよそ(上記の性別一致)を繰り返し、贈り物をしていたのを知っていたのでドン引いたのを覚えている。
これはもうこのプレイグループは解散するしかないと思い長年の付き合いだったがプレイグループを解散することにした。
その後、かなり揉めたのだがそのやり取りはAは一切出てこず、彼女であるBにすべてやらせていた。
Aにはあきれ果てた。Bもこいつを選ぶなどどうかしていると感じた。
うちよそさえなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。
あのときにエモシをやってみようなど言わなければ、せめてAとBが関係を公表してくれていたらと考えたらきりがない。
うちよそは自他境界線やフィクションとの境目がわからない人間はやらない方がいい。
自分にはPCが抱いた感情がPLへと貫通するということがわからない。だからここまでことが大きくなるまで対処できなかったのだろう。管理者だったのに。
とりとめのない話を聞いてほしいのだが。
ここ一年くらいのことだ。夜に女性従業員が接待するお店に通っている。月に2~3回くらい。
道路を作る仕事をしてて、たまに現場がハードな日がある。帰りに飲み屋街に寄って、焼肉を食べて帰る習慣があった。
疲労した肉体と空きっ腹に、お酒とロース肉と石焼ビビンバと冷麺がマッチする体験。ベスト快楽である。仕事帰りにうまいメシを食べるのが好きだった。
いつからあの店(二行目のお店)に通うようになっただろうか。数えてみたけど、やはり一年以上は経つ。
きっかけはなんとなくである。これまで個人的に夜のお店に行ったことはなかった。会社の経費とか、先輩や上司の付き添いでキャバやラウンジに行ったことはあるが、自分には合わなかった。
ただ、スナックだったら自分でも行けるかもしれないと思った。それだけだ。スナックって、どっちかと言うと居酒屋の仲間なんだろう、確か。秘密戦隊ゴレンジャーの第1話にも料理店みたいなスナックが出ている。
過去、いわゆる増田の日記でスナックに行ってみたいというのを読んだことがある。一度は行ってみたいと思っていた。
そこは実際、いい店だった。初めて行った時は「はぐれ刑事純情派で見たかもしれぬ」と思った。
店内は明るい内装だった。暗闇なんてことはなかった。「どの席に座ったらいいですか?」と聞いたら、ママさんと若い子(kanaさん。以下敬称略)が案内してくれた。突き出しが出た。廉価な食材なのは明らかなのに、不思議とおいしい。
その店なんだが、(疲れた日の)仕事帰りにふらりと立ち寄るには、程よい賑やかさと、肩肘張らない雰囲気が今でも気に入ってる。ママさんの人柄が移ってるんだろうか、女の子たちもみんな愛想が良い。後で聞いたが、求人誌じゃなくてスタッフは全員紹介制らしい。なるほど……と思った。
お店に入ってカウンター席に座ると、大抵誰かが声をかけてくれる。
最初に話しかけてくれるのは、kanaが多いかもしれない。「いらっしゃいませ」の声が、少し落ち着いたトーンで安心する。
kanaは話しやすいし、何より聞き上手だ。ついつい、仕事の愚痴とか、どうでもいいような話をしてしまう。話し過ぎるとウザいんで、彼女のネイルの話もするようにしてる。
と言ってしまった。こんなこと、会社で気になってる子にも言ったことない。一番とか言ったら、二番と三番が居そうな気がする。あの発言は、湿原だったと感じている。
でも、決して嘘ではない。その時の正直な気持ちだ。彼女の、どこか控えめな笑顔が好きだなって。
ナニカを好き、という感情があるなら言えばいいと思う。恋愛に限らず。自分の気持ちを正直に言えない人は、弱い人間だと思う。私はこのお店が好きなのだと思った。
ここまで書いていて、未成年の頃に読んだ『はてしない物語』という小説を思い出した。今しがた序盤を読んでみると、懐かしの文章を見つけることができた。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。 P.17
だが意外なことに、私が其処で見つけた感情は明るい春の森ではなく、低草の海原だった。日光が高々と茂る樹木の若葉をすかして降り注ぐはずが、光が届くことはなくて、影ばかりがあった。
春の里山を歩く時の、土の匂い、きのこの香り、暖かい空気、桜の木に停まったメバルのさえずり。私が立っている場所にはそういう森林の風情はなくて、ただ開けた草原に立っていて、満ち足りない自分が何かを探しているような感覚があった。
ここは、いいところなのだ。それは間違いない。
※ほかの客は「ガールズバー」だと言ってた。でも看板にはSnackとある
kana以外に他の子たちも、それぞれに良いところがある。yukiは大変明るくてよく笑うし、minamiは一生懸命話を聞いてくれる。傾聴力がスゴイ。
ほかにもいい子がいる。19才~50代まで幅広い年齢の従業員がいる。はてみ民はおおよそ支持するであろう、多様性がある。
彼女たちを見ていると、それぞれ全員頑張っていると思う。自分も社会人約20年なので、わかる。
彼女らは、この場所でそれぞれの持ち味を発揮しようとしている。みんなスゴイと感じる。自分が若い頃とは、てんで違う。若者言葉でいうと「レベチ」だろうか。
だから、誰に対しても分け隔てなく接したいと思うし、特定の子だけ贔屓しないようにしてる。まあ、指名制度はないし、どの子が付くかは運しだいなのだが。
実家に帰った日などは、有名店で買ったお菓子を持参することがある。皆にもお裾分けしたくなる。
できるだけ、ほかのお客さんの分も買うようにしてるが、数が足りない時は、自分のところに付いた子と2人で食べる。
このお店は開店して何十年も経つらしいが、いつ無くなるかだってわからない。貴重な時間を、その瞬間をお菓子に閉じ込めて共有しておきたい。人生の残り時間は、見えない導火線のようなものだから。
ママさんには、「この店が一番居心地いい。女の子たちがガツガツしてなくて、和気あいあいとしてるのがいい」と伝えたことがある。
これも本心だ。客同士で競い合うような雰囲気や、店員同士が張り合っているような空気は疲れてしまう。若い頃、年配の上司の奢りで行ったことのあるクラブで、目の前の女の子が確か……
「ねえ、私。昨日が誕生日だったんです」
と言ってきた。
当時21才だった私が「?」となっていると、上司は「おめでとう。いいお客さんにシャンパンおごってもらえた?」と返していた。そういうことか、と思った。
さらにまた別の子が「じつは、私~あと十か月後に誕生日なんだけど~」と言ってきた。冗談だと信じたかった。
ほかの店の話はやめよう。とにかく自分は、ここが好きだ。ここの、どこか家庭的な雰囲気が好きなのだ。
ほかに好きなところは……『余裕』だろうか。半年ほど前、私一人がお店にいた時、あまりにお客が少ないものだから、「シャンパンを注文します。ワインでもいいです。何かありますか?」とkanaさんとminamiさんに尋ねた。お店のスタッフはそのふたりだけだった。
すると、ふたりはキッチンの方まで行って、それから帰ってくると、「ごめんなさい。ひとつもないんです」と返答した。その時は、『残念……』としか思わなかったが、帰宅途中におかしいと気が付いた。
夜に女性がドレスを着て接客するお店に、ボトルをひとつも置いてないということはないだろう。何が言いたいかというと、あのふたりは私のことを気遣ってくれたのだ。主に財布のことを。
その時、心の中に温かい感情が芽生えた。ここまで気遣ってくれなくていいのに、と心の底から感じた。
これまで2回だけ、kanaと同伴出勤したことがある。お好み焼きとか、焼き鳥のお店に行った。高い焼肉を奢ろうとした時もあったけど、好きではないようだった。
それ以前、kanaの同伴依頼を断ったことがあった。ある日、お店の営業が終わる頃だった。そこで私は同伴のお誘いを断った。するとkanaは、同伴ができないなら、お店が終わった後に深夜営業のレストランで夕食を奢ってほしいという。自分と仲間に。それも結局断ったのだった。明日の朝が早かったので……
後日、なんだか悪いと思って同伴出勤をしてみたのだが、新鮮な感覚だった。一瞬だけど、若い頃に戻れたような気がした。お洒落な私服の女性と、一緒に往来を歩くのは久しぶりだった。
それからの私は、お店で自分が○回以上付いた~という基準を満たす子を全員同伴に誘っている。kanaだけと行くのは公平ではない気がしたから。自分にとっての矜持だった。
いつからだろうか。kanaが時折、こちらをじっと見ている。本当にそうだ。男の自分が気付くのだから、間違いないと思う。
ほかの席にkanaがいて、喋ってなくて蚊帳の外みたいになってる時に、私がいる方を見て、何か言いたそうな表情をしている時がある。
もしかしたら、自分の行動は悪かったのだろうか。あの子にはどう映っているのだろうか。自分には夜のお店のマナーはわからない。やはり、多くの子と同伴をするのは悪いことなのだろうか。
あの時、kanaに「一番」と言ったのは、その時の気持ちだった。
でも、それは彼女に対してではないのかもしれない。私はこの店の雰囲気全体が好きで、そこにいる一人ひとりの女の子たちに感謝している。
それはまるで、応援しているアイドルグループ全体を好きになる感覚に近いのかもしれない。特定の誰か一人というより、箱推しというやつだと思う。箱推しという単語は、先日YouTubeチャンネルで配信されていた『推しが武道館いってくれたら死ぬ』という作品で学んだ。
一人ひとりの個性はちゃんと見ているつもりだ。例えば、kanaの落ち着いた雰囲気、yukiの明るさ、minamiの真面目さひたむきさ。それぞれいいなって、その良さを感じている。
でも、特定の誰か一人を気に入ってるという感覚がない。みんな人柄がいい子だから、みんなに好意があって、それは、応援しているチームのメンバー全員を応援するような感覚だ。そう、本当に「箱推し」なのだ。
ただ、彼女たちはアイドルではない。だから、自分のこの感覚は彼女たちには伝わらないだろうし、むしろ言えば……誤解を招く。
この日記を書いたのは、ちょっと前に、kanaに「増田さんはいい人だけど、たまに、なんか嘘ついている気がする」と言われたからだ。「増田さん。夜の店では、一人を選ぶのが普通かもしれませんよ」とも。
kanaは、私を「気持ち悪い」と感じているかもという考えが頭をよぎった。もし、そうだったら少し寂しい。kanaの、あの控えめな笑顔が好きなのである。
結局、どうすれば良いのだろうか。
誰か一人だけを特別扱いすれば、それはそれで他の子たちに申し訳ない気がする。そのうち職場の人間関係が悪くなるかもしれない。かといって今のままでは、kanaが寂しい表情のままなのかも。
先月、店を出る時、kanaが話しかけてきた。「あの……いつも、ありがとうございます」と。
その言葉に、私はただ「こちらこそ、ありがとう」と返すのが精一杯だった。本当は、もう少し何か言いたかったけど、言葉が見つからない。
彼女も、何か言いたいことがあったのかもしれない。
夏に入ってからは一度も店に行ってない。今週は少しだけ顔を出してみようか。もし機会があれば、少しだけ、自分の気持ちを正直に伝えてみようか。『箱推し』であるという。
ただ、ほかの従業員もお客さんもいるし、それとない言い方しかできないと思う。ストレートに伝えるために同伴するにしても、kanaとはもう4回以上している。ちょっと多すぎる。
一度だけ、お店が終わった後で、kanaにかなり遅い夕食を奢ったことがある。また誘ってみようかな。
最後に、私がこの店を好きだということ。そして、そこで頑張っている、夢や目標を追っている彼女達の人格や人柄を尊敬していること。
これが、自分の正直な気持ちなのだ。ここで書いても何も解決しないけど、気持ちの整理のために書いてみようと思った。それだけだ。
現在小3の息子は、小1の頃、学童の友達が行っているからとサッカークラブに入った。
サッカークラブの車が迎えに来てくれて、クラブ生を連れて行ってくれる。取り残されるのがさみしかったらしい。
その後、小2から、野球をやりはじめ、週に1回ずつ、どちらも続けている。
野球の方が好きなようで、休日は私とキャッチボールばかりしている。サッカーボールを持っていっても、だ。
そんな感じなので小3にもなると、サッカーは友人たちとだいぶ実力差がでてきた。
和気あいあいとしたクラブなので、試合となれば、順番で出させてもらえるが、明らかに中心となるメンバーとは、求められている役割が違う。
試合の時も、言われたポジションからあまり動くことなく、ドリブルで仕掛けるようなことは一切無い。持ち回りで、ゴールキーパーをやることもあった。
キーパーのポジションは嫌いではなさそうだったが、クラブから借りているキーパーグローブは、少々ぶかぶかで、少々くたびれていて、ゴール前に立っている姿は少々寂しい感じだった。
本人がサッカーは辞めたいといってきたら、野球だけでもいいと思っていたが、「友達とサッカーしたい」というので、「キーパーをちゃんとやったらどうだ?」といったら、「いいんだけど、痛いんだよね」返してきた。
「じゃあ、まずはグローブ買いに行こう」といって、用品店で好きなものを選ばせた。「小さくなったらすぐに買い換えるから」といって、サイズちょうどのピカピカのキーパーグローブを与えた。
その後の試合の日、チームの参加人数が少なく、交代選手がほとんどいない様子だった。試合前に、「キーパーやりたい人?」とコーチがみんなに声を掛けると、息子はしっかり手を挙げていた。
「今日は好きなだけキーパーやっていいって」とグローブをつけながら息子は言ってきた。そりゃそうだ、点を取りたい、キーパーはやりたくないって言う子は実際多い。
コーチも自分のグローブを持ってきたことをみて、仕方なくキーパーをやっているわけではないことを把握したのか、基本的な動きを改めて教えてくれていた。
試合が始まると、いままでにないくらい褒められていた。サイドににこぼれてきたボールはすべてタッチに蹴り出す。1対1になったら前に詰める。たぶん言われてるのはそれくらいだったのだろう。
それでも、コーチ、味方から「ナイス、キーパー」と何度も言われていた。
特に目立っていたのはキャッチしてからのスローイングだった。野球のおかげか、そこそこ遠くまで強い球を素早く投げることができて、そこからチャンスが何回かできていた。
試合の間もコーチやチームメイトたちから褒められ、最初は棒立ちだった構えも、両手を広げてみたり、声を出してみたり。まさに「所を得た」といった感じだった。
ハーフタイムにグローブをしたまま、水を飲む姿は、なんだか、プロの選手みたいじゃないか、と思ったりした。
全ての時間に出場し、試合の結果も良く、サッカーをはじめてから、一番楽しそうにしていた1日だった。そしてなにより、見ているこちらもわくわくしていた。
そんな日から息子はキーパーばかりやっている。先日、破れてきたから新しいグローブが欲しいと言ってきた。
新しいグローブを選ぶ息子をみて、あの日、キーパーグローブを買った日をこうして思い出す。
四年前に書いた有料note。
対象読者
出てくる病院
・岩橋クリニック
私は28年間アトピーという皮膚の病気に悩まされてきました。この記事を開いたということは、もしかすると皆さんもアトピーで悩んでいる一人なのではないでしょうか。
アトピー治療で有名な病院というのが全国に多くあるかと思いますが、私は主に関西地方で有名ないくつかの病院に通っていました。
その中には健康保険が聞かない自由診療の病院もあれば、脱ステロイド治療を勧める病院もありました。私が複数の病院の治療を経験してきたのは、アトピーがとても辛い病気であり、そして肌をきれいにして周りの人と同じような生活を送りたいという想いがあったからでした。
この記事は、アトピーについて悩んでいる方を対象に、私が通ってきた病院の治療方法を当時の肌や生活の状態を交えながらお伝えすることで少しでも今後の治療や病院選びの参考にしていただきたいと考え執筆しました。
これから読む人に向けての注意点
この記事を読んでいただくにあたって大事な注意点ですが、私は脱ステロイド治療が合わず、今ではステロイドを使った治療をしています。そしてそのことに納得しています。一方で脱ステロイド治療を否定したいわけではありません。
今でこそ一般的には脱ステロイド治療は危険と言われていますが、インターネット上では「ステロイドが危険」とされる傾向が強いように思えます。インターネットの特性としてそのほうが読まれやすいからだと思います。
かつては私も両親もステロイドは危険なので使ってはいけないという認識だけを強く持っていました。
そして、この記事に出てくる病院やその治療方法についても私自身が感じた印象や当時の記憶をベースに記載しています。
なのでそれが絶対正しいわけではありません。あくまで一つの比較できる対象としてこの記事をお読みいただけると幸いです。
この土佐清水病院についての最終的な印象はあまりにも特殊な病院ということです。
生まれてから18歳まではこの病院の軟膏にお世話になりました。VA2やAOAといった名前の軟膏だったと記憶しています。
そもそも私は物心がついてから大学に入学するまでは、そこまでアトピーという病気で肌が荒れたりという経験はなかったのですが、大学入学と同時に夜遊びなどが増えたことで肌が荒れはじめました。
小学校の頃に肌がカサカサしたときなどには土佐清水病院の軟膏を塗っていたこともあり、土佐清水病院に入院することになりました。これが2012年8月、大学一年生の夏休みのことだったかと思います。
大学一年生で遊びたい盛りだったのですが、とにかくアトピーで肌荒れが酷く、夏でも七分袖を着てボロボロになった腕の関節を隠すなど、遊んでいる場合じゃなかったのを覚えています。
入院することになって初めて知ったことなのですが、土佐清水病院は保険が効かないということです。つまり自由診療の病院です。このときにこの病院について初めて少し違和感を覚えました。
入院中の治療についてですが、朝に軟膏を塗ってもらうことや特殊な石の風呂(岩盤浴のようなもの)で汗を流すという治療を行ったことを記憶しています。
また食べてはいけないとされている食品が多く、主に魚や貝を中心とした食事が提供されていました。肉類はなかったような気がします。
生活は朝の軟膏や風呂が終わると、その後は基本的には病室での生活です。
他の病院での入院生活についても今後出てきますが、大体暇な時間が多いです。
先生の診察は講演などで全国を飛び回っている先生が病院にいるタイミングで行われていたようです。なのでおそらく毎日病院にいるということはなかったと思います。
男性の患者がパンツ一枚で並ばされて順番に先生に診てもらうという方式でした。小学生の健康診断みたいなイメージです。ここも普通の病院とは多分違うところな気がします。
アトピー治療の経過ですが、10日ほどで肌荒れがおさまり退院したと記憶しています。
ここの治療をやめるきっかけですが、18歳以上になると軟膏をもらうために先生の講演会で話を聞かなければなりません。当時は母親の言われるがままに参加したので、本当かどうかはわかりません。
ただ「そんな病院があってたまるか」と思い、自由診療であることへの違和感や不信感もあったので両親に相談して病院を変えることにしました。
ちなみに土佐清水病院の軟膏にはステロイドが含まれているそうですが、私が小さかった頃はそのことが伏せられていたと聞いています。世間では魔法の薬だと言われていたそうです。
この病院の最終的な印象は、先生が信用できなかったことと脱ステロイドの効果をあまり実感できなかったことです。
土佐清水病院が特殊すぎる病院であることに違和感を持った私は、そのときに母親を通じて初めて脱ステロイド治療を知ります。おそらく「アトピー治療 →ステロイドは危険」というような知識をインターネットで得たのでしょう。
ステロイドが含まれているという土佐清水の軟膏はいつの間にかどこかに隠されていました。
たしかにステロイドの危険性はインターネットには溢れていたので、私はステロイドという一般的なアトピー治療で使われる薬を使用せずにアトピー治療を行う、いわゆる脱ステロイド治療を行う尼崎医療生協病院に通院することにしました。
この病院は家からも近かったです。2013年の冬だったと思います。
この病院の治療で印象的なことは、先生に「よく遊べ」といわれることです。アトピーの患者はとにかく外に出たがらない、それがよくないとのことでした。アトピーの改善には普通の生活をするのが一番の近道だということです。
唯一特殊だと思ったのは、紫外線かなにかを浴びることのできる機械で治療したことです。レントゲンを撮るときのような機械で全身に光線?紫外線?を浴びせます。おそらく外で遊ぶのと同じ効果なのだと思います。
とはいえ、このときの私は土佐清水病院に通う前の大学生活での失敗もあり、友人と遊ぶことはなるべく控えていましたし、食事にも気を使っていたのでそれほどアトピーが悪化することはなく生活ができていました。なのであまり病院に通院した記憶もありません。
このときの私の願いは、就職するときにはアトピーが治っていること。そして普通の生活を送れるようになっていることでした。
脱ステロイド治療はステロイドを使っている期間が長いほど時間がかかるという治療だと認識していたので、「今は安静にして今まで体に溜まっていたステロイドを抜いていくんだ、将来のために今はあまり遊んだりせずに我慢しよう」という気持ちで生活を送っていました。
しかし、尼崎医療生協病院は2016年に通うのをやめることにしました。
理由としては当時、就職活動をして無事内定をいただくことができたのですが、ストレスもあったのかアトピーが悪化しました。そのときに尼崎医療生協病院で診察を受けたのですが、肌がスースーするような塗り薬のかゆみ止めの効果があまりなかったこと、
そしてその後も「よく遊べ」というような治療方針しか得られなかったこともあり、こちらの通院をやめることにしました。
こちらの病院の印象は素晴らしい脱ステロイド治療の病院だと思います。もし治療方針が体に合うのならその人にとって、すごく良い病院だと感じました。
尼崎医療生協病院のあとは、こちらも脱ステロイド治療で有名な阪南中央病院に通院することにしました。大阪の田舎の病院ですが地方からも入院や通院する人が多くいる病院です。
このときはまだ、ステロイドが怖いという印象は拭えず別の病院で脱ステ治療を継続すればきっと良くなるはずだと考えていました。2016年の夏頃に治療を始めたと記憶しています。
この病院の最初の診察には、今までのアトピーの治療を記した紙を用意して持っていく必要があることや、脱ステロイドだけでなく脱保湿という保湿剤を使わない治療を掲げていることが特徴的でした。
ステロイドと保湿に肌が依存しなくてもいいような強い肌を作るという方針です。
また、日常生活で摂取してもよいとされる水分を指示されるのですが、水分制限が必要な理由を具体的に説明されたことで安心感がありました。かゆみ止めなど内服の薬が出たことも安心感につながった記憶があります。
一方、私生活では先ほど述べたように脱ステロイド治療は時間がかかるという認識であったこと、ステロイドを使いたくないという意志を強く持っていたこともあり、阪南中央病院に通院し始めて半年近く経ったタイミングでは、アトピーの肌荒れが良くなっておらず、就職先の内定を辞退するという選択をしました。
就職するときにはアトピーが治っていることを目標にしていたので、あまりにもショックの大きい選択でした。
そして2017年7月より、阪南中央病院に入院することを決めます。
こちらの病院の入院生活についてはインターネットで検索してみると、入院記のようなものが出てくるのですが、概ね同じような印象を受けます。
基本的な方針としては、自立した規則正しい生活を送っていく中で肌の状態を良くすること、そして悪化しない生活を自分自身で理解するということです。
朝は7時(くらいだったと思います)に起きて、20時頃に消灯になります。洗濯をしたり布団のシーツを自分で替えなければいけません。看護師さんが勝手に変えてくれるというようなことはありません。
先生の考え方は、アトピーの人は自立できていない甘えている人が多いということなのだと思います。何でもアトピーのせいにしている人が多いというのもおっしゃっていたような気がします。
また、この入院生活でも水分制限は続いていますし、入浴制限というのもありました。入浴制限はたしか脱保湿の考えのもとに行われていたような気がします。
水分制限や入浴制限については先生が肌の状態を診て、量や回数を決めてくれます。
またアトピーに混ざって発症している皮膚の異常に対する処置も適切という話を他の患者さんからよく聞きました。
脱ステロイド治療中の肌の状態を診ることに関して腕の良いドクターだったという印象です。
一ヶ月ほどして退院する頃には、肌の状態かなりが良くなっていました。同時期に入院していた私よりも明らかに肌の状態が酷かった青年もかなり良くなっているように見えました。
また、入院生活の中で人と交流することでどの患者さんにとっても精神的にもプラスになっているようです。
私は退院してからも、水分制限や入浴制限そして適度な運動など健康によいことを続けて普通の生活を送れるように努力していました。しかし、2018年の4月を最後に阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療をやめることにしました。
まず、退院後に症状が良くなるどころか徐々に悪化し始めたことです。水分制限や入浴制限は継続して行っていましたし、入院生活のときほどの規則正しい生活でありませんが、一般的に見れば仕事もしていないので健康的にストレスの少ない生活を送っていたつもりです。
それでもアトピーが悪化したことから、もし普通に働き始めたらすぐに悪化するのではないかと思いました。
そして、入院生活で送ってきたような生活を続けることは、憧れていた普通の生活とは程遠いことに気づきました。
それに伴い、脱ステロイド治療に疑問を持ち始めたことも理由の一つです。このときすでに5年近くはステロイドを使用していないので、いくら体内に蓄積されてるとはいえ、状態が良くならないということは正直考えられませんでした。
また、大学を卒業してから一年が経っていることを踏まえると、今後思うような仕事に就くことは難しいのではないという焦りを持ち始めました。
以上のような理由から、脱ステロイド治療をやめてステロイド治療を行う方へ傾き始めます。
岩橋クリニックは一度診察をしてもらっただけですが、大阪はびきの医療センターを紹介してもらいました。結果的に岩橋クリニックでの診察が私の治療の大きな転機となったと思います。
阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療に限界を感じた私は、ステロイド治療や他の治療について話を聞きたく、次の病院を探していました。
妹もあまり肌が強くなかったため皮膚科に通っていたのですが、それが岩橋クリニックでした。岩橋クリニックはビオチン療法を行っていることで有名です。
私は正直に、ステロイド治療についての心配事を先生に話しました。
「ステロイドは徐々に効かなくなると聞きます、その場合はどうしたらよいですか」
そうすると先生は、「そういう方もいらっしゃいます」と言うだけでした。
ステロイドを出す以上のことは出来ない、それで効かなくなっても医者側で責任は持てません、そういう意思表示のように思えました。
やはりステロイドは危険な薬であると再認識した私でしたが、大阪はびきの医療センターというステロイドの塗り方やステロイドについての講義を行っている病院があるので、そちらに行ってみてはどうかという提案をされました。
私はステロイド治療についてまだ不信感を持っており、この時点ではまだステロイド治療を行うという決断はしていませんでした。
大阪はびきの医療センターでの診察で、私はステロイドを使った治療を行うことを決めました。
最初の診察では、岩橋クリニックでの診察と同じようにステロイドについての質問をしました。
その際に先生から、ステロイドは危険であるという認識は間違っていないこと、それを上手に使わないといけないこと、そのためにはどのようにステロイドを塗るのが正しいかを簡単に伝えられました。
この話は入院中に行われる講義でも聞くことになるのですが、私の中で最も納得のできる説明でした。また、ターク(タルク)という血液検査の値で炎症の具合を数値化しステロイド治療を行うという点も安心できる要因の一つとなりました。
しかし、この治療に関して、最後まで反対していたのが母親で、ステロイドは危険という刷り込みがすごかったのだと思います。
しかし、先生から二十歳を過ぎているのだから自分のことは自分で決めよう、という言葉を診察中に受けたときに、アトピー治療をどこか人任せにしていた自分に気づきました。
そして私はこちらでの入院を強く希望し治療を受けることになります。
まず塗り薬に関しては、頭部、顔、胸、腕や足の関節など炎症の度合いなどによって薬の種類が違っていました。もしかしたら部位ごとの吸収率とかによっても違うのかもしれません。
また、炎症が和らいだ部位に関しては強いステロイドから弱いステロイドに変わります。こうして徐々に弱いステロイドに変えていき、最終的に塗る回数を
こちらの伝え方が悪かったら申し訳ないのですが、話聞いてましたか?
なんか漠然と・・・・・ヤダかも・・・・・ やるべきことを放置していて、嫌になっている人?
そのと~りかんべんしてくれめんす~
ぽっつりと念仏、だからってどうにもならないこともあるってもんでね。
明日がね~どうにもならないよね~
いや~どうにもならないな。今もう、ある仕事をするという単位の事を行って欲しいのでつが…
20ドルていくラナン?1ドル200円くらい?4せんえんてこと?
ぽよ~ん不明だにょん
はっちゃけすぎてもいけないってのが難しいところですねー あのさーもう今日、俺って十分だよー
脳が痛いんだ…やるべきことが沢山あって…なんか網羅できてないというかそういう感じだから…
はーあいあい
アカシックレコードって聞くと明石市標準時刻?のこと思い出しちゃうちゃう
ちょーむりっぽ
日本語で話してくれ~w
おつかれっつ!(笑)
ぽに~ん
頭パーになって来た。なにこれ。
脳と首の接続箇所に泥水が流し込まれたみたいな感覚がある。これって痛み?何?
しゅぱいしーかれー
狂おしい~ん
しにてー(笑)
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くるち♡くるち♡文法見たいなことを脳内は実際何をしているのか、逐一をメモしていたらこうなってしまった。
別に死にたくは無いし、午後も仕事頑張るし、明日も元気に生きるし、今日とかは超すげーデッカ牛タンを食べに行く(サイコ~)
そしたらなんか人がたくさんいて、賑やかだったんです。
で、よく見たら垂れ幕があって、150円引きって書いてあるんです。
へえ、いいね、って思いました。みんなお得に食べに来てるんだなって。
「よーし、パパ特盛頼んじゃうぞ!」なんて言ってるの。微笑ましいな。
吉野家って、いろんな人が集まって、わいわい楽しむ場所なんだよね。
和気あいあい、みんなで美味しい牛丼を楽しむ雰囲気、最高じゃん!
で、やっと座れたら、隣の人が「大盛つゆだくで」って注文してるんです。
へえ、つゆだくか、いいね!って思ったけど、実は今、吉野家ファンの間で流行ってるのはね、
やっぱり「ねぎだく」なんだよね。
ねぎだくは、ねぎがたっぷりで、肉はちょっと控えめ。それに玉子を合わせるの。
これがめっちゃ美味しいんだよね。
ただ、店員さんに「この人、ねぎだく派だな」って覚えられちゃうかも(笑)。
まあ、初めての人は、牛鮭定食とか、定番から試してみるのもいいよね!
みんなで楽しく吉野家、最高!
20代後半。もうすぐ30代になる。出勤の準備の前に、モヤっとしたことを書かせてほしい。
お客さんのことでモヤモヤすることがあって、人生の先輩方にアドバイスがほしくて投稿しました。。
(相談です)
お店に1年くらい通ってくださっている40代の男性の常連さんがいる。
見た目は普通。清潔感はある方だと思う。その人が、お店の女の子みんなに平等すぎて、なんだか気持ち悪い。
例えば、カウンターでの接客中に私に「増田ちゃんが一番だよ、話しやすいし一番落ち着く」と言ってくれる。
実際、彼がお店にいる時は、なんだかんだで私が一番長く話相手をするはず。
お店のママには「この店が一番居心地いい。女の子たちがガツガツしてなくて、和気あいあいとしてるのがいい」って言ってる。お店の雰囲気を褒めてくれる感じ。
そこまではいいけど、でも、お店にいる他の子にも同じように接してる。
特にびっくりしたのは、お店には未成年の子もいるんだけど、その子に「今度同伴しませんか」と話してた。
いくら冗談でも、未成年なのにそういうこと言うんだ…と思った(その子から増田さんの客だけど同伴していい?という相談があった)。
ほかの子にも、ほかのお客さんにすら、自分が持ってきた和菓子とかプレゼントしていた。そういう小さいプレゼントの数が足りない時は、誰にもあげずに自分と目の前の子だけで食べてる。
この業界だと、普通は常連さんって、1人お気に入りの子を作って、その子中心に話したりするものだ。
彼は私には「一番」と言いつつも、他の子にも同じようなテンションで優しい。
それが気持ち悪くて、実は誰にでもいい顔してるだけなんじゃないかって。
あの人のこと最初ちょっといいなと思ってた。清潔さがあって、お金払いもいい。落ち着いてて、話を聞いてくれるし、ガツガツしたお客さんとは違うって。
だから、自分が特別じゃないんだって突きつけられる気がして、なんだか悔しいというか、やきもちみたいな気持ちもある。
このお客さんの行動って、お店で働く上で、どのように対応するのが一番いいんでしょうか?
何かアドバイスがあればお願いします。人生の先輩からのアドバイスがほしいです。
長文失礼いたしました。
あなたが感じている「微妙な気持ち悪さ」、たぶん共感する人はけっこういます。
Ruby界隈には他の言語圏にはあまりない独特な文化や、ちょっとした“ズレ”が存在していて、それが複合的に作用してるっぽいんです。
具体的な事例を交えつつ、ちょっと詳しく見てみましょう。
Rubyでは「美しいコード」「優雅な文法」が非常に重視されます。「書いてて気持ちいい」ことを最上の価値として掲げてる言語で、Matz自身も「プログラマの幸福のための言語」と明言してます。
が、それが行きすぎて──
みたいな文化が生まれがち。いわば“美学警察”みたいな空気です。結果として、他言語出身者が入ってきたときに「書き方がキモい」とか「ダサい」といった、**ちょっとしたマウントが生まれやすい**。
これは他の言語ではあまり見られない、“審美観の押し付け”です。しかもそれが悪意なく、ニコニコしながらやってくるからこそ、逆に怖い(笑)。
Matzさんは本当に素晴らしい人物なんですが、Ruby界隈では**「Matzが言った」=正義**みたいな雰囲気が根強いです。
例えるなら、以下のような流れ:
つまり、**Matz本人よりも取り巻きの熱狂ぶりがすごい**。これは宗教的とまで言われることもあります。
他言語(特にPythonやGo)出身者が入ってきたとき、Rubyの書き方・哲学に染まっていない人に対して、無意識の壁があることがあります。
たとえばRailsの世界だと「controllerとviewの責務」とか「fatmodel/small controller」みたいな**“暗黙の常識”**が多くて、それに沿わないとすぐに「アンチパターン」扱いされます。
結果として、**知識より「ノリの同調」が重視される風潮**があり、外から見ると「村社会っぽい」「馴れ合い感がある」と感じる原因になります。
Ruby界隈って妙にカジュアルなんです。会議もゆるいし、発表も「みなさんこんにちは〜!」みたいなゆるふわ系が多くて、技術者らしいカチッとした空気よりも**「和気あいあい」な空気が主流**。
その一方で、現役で活躍しているRubyistの年齢層は結構高め(30〜40代中心)で、Slackの文体やGitHubのREADMEなんかが**ちょっとおじさん構文に見える**こともあり、そのギャップが「微妙に気持ち悪い」と映ることがあります。
かつて世界を席巻したRailsも、いまはNext.jsやFastAPIなどに押され気味。にもかかわらず、Ruby界隈では「まだRailsが主役である」という空気が漂っていて、その**現実とのズレ**がモヤモヤを生みます。
みたいな開発者の**“表に出ない本音”**もあったりして、コミュニティ全体に妙な閉塞感がある。
RubyKaigiとか見てると分かりますが、登壇スタイルも独特で──
それが心地いい人もいるんですが、**「寒いノリが内輪で盛り上がってる感」**が苦手な人にはちょっとしんどいポイントかもしれません。
こんな感じで、Ruby界隈って**“優しさと強い価値観”が同居してる場所**なんです。それが人によっては心地よくもあり、気持ち悪くもある。
集合地点には人数が多くて、ランダム?に班分けされたその中で、顔を(どころかアカウントも)知ってるって人はほぼいなく、唯一会話したかもって人も別の人と和気あいあいと話してるから完全に孤立した。まあそれは仕方ない、と切り替えた。
ある作品のファンになって初めて創作というものを始めて、ありがたいことにオフ会に誘ってもらえた。
聖地巡礼した後にご飯しようっていう会だった。舞い上がっていた。誘ってくれたのはジャンルでも有名な字うまの方だったしさ。
集合地点には人数が多くて、ランダム?に班分けされたその中で、顔を(どころかアカウントも)知ってるって人はほぼいなく、唯一会話したかもって人も別の人と和気あいあいと話してるから完全に孤立した。まあそれは仕方ない、と切り替えた。
顔合わせもほどほどに、聖地巡礼先に着いた。
何も知らない一般通行人も通る中、大声ではしゃぐ自分より年上の人。
これが連続して起こって、しかも押してきた人は顔見知りだった。酷く堪えて、心が萎えた。
主催に体調が悪いと言って帰ろうかとも思ったが、ご飯代だってタダじゃないし(すでに徴収済み、予約済みだった)と考えて、もう少し耐えようとしてしまった。(ここで帰ればよかった)
知らなかったが、自分の班にコスプレイヤーがいて、取り出したキャラ衣装を着て作中と同じポーズをしていたのだ。
その聖地は瞬く間にコスプレイヤーの撮影大会になった。私はコスプレイヤーはあまり好きではないし、やるなら勝手に見えないとこでやっててほしいと思う人間だったので、殊更冷めきってしまった。さっき押してきた顔見知りも、鼻息荒くポーズの指定をしていたりする。もう別のとこでやってくんねえかなと思った。ここでも声のでかい方々がずーっと写真を撮ってるもんだからもう聖地を撮ろうという気すら無くなっていた。
撮ろうという気が無いということは、自分はこの作品が別に好きではないのかもしれない、と錯覚して、声のでかい人たちがいることで自分の好きが相対的に足りないと思えて、自分がさらに嫌いになった。
その後テキトーにご飯食べて、興味もない設定資料集とか撮ったふりして、終わりの時間が来た。
○時のバスで帰ったほうが楽ですよと主催がアナウンスする。だがこれ以上この空間に居た人と居たらおかしくなりそうなのでいつの間にか降ってきていた雨の中歩いて帰った。別の班の人は2次会に行く準備をしていた。私も別の班だったら楽しめたのかなぁ。
あーあ。
本人は「私、プライドが高くて」って言うけど、プライドっていうのは実力が伴ってるからプライドなんよ。
自称しっかりしてる程度で、明らかな魅力がない人間は、単純に「あたりがきつい(要求が多い)」、「性格がよくない」人なんだよね。
まあ私はそういう皆がほんのり避ける相手に対してもうまくやれちゃう自分が好きなゲスの極みだから、他の友人たちから「○○と付き合えるの君だけだよ~すごいよね~」って言われて「えーそう?いいとこもあるよ?」ってニコニコしてるのが快感なんだけど。
正直、どうでもいいことに腹をたててイライラしてて、見てて面白いよ。
①自分の意見言わないから→オタクが自分の意見表面したら即戦争だろ。
なぜ自分が軽んじられたと感じるのか突き詰めて考えてみたら?
ちなみに私は軽く飲みたいのに、幸せのパンケーキ連れていかれたらキツいから自分から提案するけどね。
「こちらから提案する」という選択肢をくれることも相手からの優しさを受け取ったと考えてみては?
②距離感
距離感は人それぞれ。
ただ手を繋ぐとか腕を組むのが嫌というのは、もうその時点で相手のことを嫌いになっているってことだよ。原因としては後付けかな。
うーん…店員さんのいいところを見つけて褒めて会話を楽しむ人種もいるのよ。
レストランでシェフと仲良くなるのが嬉しい人もいれば、ワインと料理の解説以外は話かけてほしくないという人もいるよね。
和気あいあいという空気を作ることが同行者へのもてなしの一部だと感じる人種もいるというか…でもあなたは嫌なのよね。
冗談のテンションで「私と遊んでいるんだから私を見てよ!私を褒めてよ!」とか伝えてみるとか?
単純に、友達のことを大事な人として認識できてない部分に問題があると思う。
自分が楽に生きるために、時には相手のために折れてあげたり、折れないところは優しく伝えたりっていう交渉力を身につけたほうがいいと思うけど、でもあなたはそれを「負け」だと感じちゃうかも。
お友達は「双方に原因があってなくした」んじゃなくて、「自分で捨てた」ってこと忘れちゃダメだよ。
36歳。事務職勤務。
俺はAIに関してはよく知らないが、今後は業務の一部をAIにやらせるらしい。
正直気分がだいぶ沈んだ。
だが同僚はいつも通りで、動揺するような様子は一切ない。
そうしたら同僚はえ?っていう顔を見せて、慎重に少し話して、彼には左遷の話がなかったことを知った。
どうして自分だけが!?といった思いがふつふつと湧き上がったものの、なんとなくその理由が分かった。
同僚は周りと仲が良く、昼食時には数人と一緒に食事をしていて休憩時間にもみんなと和気あいあいとしている。
対して自分はほぼ常に一人で、業務以外の話をすることは稀。今回だって、思い切って同僚に話しかけたのだ。
でもそれは同僚だって同じはずだ。じゃあなにが違う?周りを見れば、分かることだったのだ。
同僚は雰囲気を良くする。AIにだって、それはできないことなのだということを。
ほんと、皮肉なことだと思う。
俺は真面目で、何か問題が起きないようにと最低限のコミュニケーションに徹し、その結果としてAIに代替できる存在になってしまっていたのだ。
結局の話、コミュ力ある奴はAIに文句を言わないんだよ。だって彼らがAIに仕事を取られるようなことはないんだから!!
本当にAIの存在が脅威なのは、俺みたいなコミュ障だってことが分かってしまった。
それでも俺はAIを許す気にはなれない。
36年も培ってきた性格を今更変えられるようにも思えない。
テレビ見ないから、ネットの馬主(?)とかウマ娘どうしでおしゃべりしたりしてるのしか見たことなくて、そんときは全然気にならんかったけど、いつか実家に帰ったときテレビに出てたCMがかなりきキツかった。てかグロかった。
競馬場で女の子たちが競争してるやつ。柵の内側で。柵の外側で応援してる人(さすがに賭けてはいないんでしょ?)がいるけど、走ってる女の子は競争相手しか見てないの。
なんで普段(ファンアートとかスクショで見るように)他の人間たち(?)と和気あいあいとしてるのに、見る/見られるの関係に違和感を持たないの?
なんていうか「ミノタウロスの皿」を読んだ時みたいな気持ちになった。
まずゲート空く前の仕切りみたいなやつがもう辛かったけど。
もちろんそれで放映やめろなんて言わんけど、あれみんなよくなんとも思わんなと思ったのを、Twitterとかでファンアート見るたびに思い出す。
普段モンハンとかやらないいつもみてる配信者がモンハン参加型もやるし遊ぼうって事で始めたんだけど、
いざ配信者の参加型に参加したくて進めてたけど、ニートリスナーのキャリーによってあっさり配信者もストーリークリア&HR100近くになってて
普通に働きながら帰宅後に1時間くらいしか遊べない俺は完全に蚊帳の外だった
というか19時に配信始めて午前5時までモンハン配信してるってそもそも俺の好きなコンテンツじゃなかったわ
モンハンブーム終わるまで配信離れよう。名人様のプレイばっか見ててもつまんないし。
って思ってたら、同じ感じのリスナーが大量に離脱してて配信者の用意した交流ディスコードサーバーでリスナーだけで集まってモンハンするようになったわ。
もうね、配信者そっちのけ
俺ら社会人リスナーは和気あいあいと仕事の愚痴言いながらのんびりモンハン遊んでるからさ。※配信者の配信中だけど全員もう見てないのが面白すぎる