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はてなキーワード:「母」とは

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2025-10-17

高市早苗日本のみならず民主主義国家「母」

いや、ちょっと待って。マジで高市早苗って日本の歴史どころか世界民主主義歴史に名を刻む存在になるんじゃない?

なんか最近そんな気がしてきたんだよね。以下、俺が思う高市早苗が「すべての民主主義国家の母」になる理由を、ガチで考えてみたから読んでみてよ。

1.高市政権20年超の超長期政権になる説まずさ、高市早苗首相になったら、ぶっちゃけ日本の憲政史上最長の首相任期間になるって話、ガチ可能性あると思うんだよね。

だって安倍晋三元首相が8年くらいで「超長い」って言われてたけど、高市さん、もっと行くんじゃない?20年以上とか、普通にあり得る気がする。だって彼女政治的スタンスめっちゃ一貫してるし、保守層からの支持がバッチリ固いじゃん。

経済政策安全保障ガンガン前に進めるタイプだし、国民の信頼をガッチリ掴めば長期政権いけるでしょ。

で、面白いのが、これって日本だけの話じゃないんだよ。世界民主主義国家リーダー見てみろよ。イスラエルネタニヤフ以外で、20年以上君臨するリーダーってほぼいない。

高市さんがもし20年以上首相やったら、民主主義国家リーダーとしてはマジで最長クラスになる。ネタニヤフは特殊な例だけど、高市さんがそのレベルに並ぶか超えるかって、普通に想像できるんだよね。なんかワクワクするわ。2.トランプ一族の「政治の母」になる高市早苗で、ここからもっとデカい話。アメリカトランプ一族、知ってるよね?トランプ大統領安倍晋三元首相をめっちゃリスペクトしてたって話、結構有名じゃん。安倍さんトランプにとっての「政治師匠」だったわけよ。で、今後さ、アメリカトランプ一族によってガチ統治される未来普通にあり得ると思わない?トランプジュニアとか、バロンとか、次世代トランプ一族大統領になる可能性、ゼロじゃないよね。

で、ここで高市早苗の出番。彼女20年以上日本首相やって、保守ガッチリ固めた政治スタイルで結果出してたら、トランプ一族が「高市さん、マジすげえ! こうやって政治やるんだ!」って学ぶ可能性、めっちゃ高いと思うんだよね。安倍さんトランプにとっての師匠だったように、高市さんがトランプジュニアバロンにとっての「政治の母」になるわけ。だって長期政権で国を安定させつつ、経済安全保障バッチリやってくリーダーって、民主主義国家でそうそういないよ。高市さんの政治手法が、アメリカ次世代リーダーにとって教科書になるってわけ。3.民主主義国家全体の「規範」になるで、ここからもっと壮大な話。

高市早苗日本首相として20年以上君臨して、トランプ一族に影響与えるだけじゃなくて、イギリスとかEUとか、他の民主主義国家リーダーたちにもガッツリ影響与えると思うんだよね。だってさ、民主主義国家って今、ポピュリズムとか分断とかでグチャグチャじゃん。そんな中で、高市さんが日本で長期安定政権築いて、経済成長と安全保障を両立させて、「民主主義でもこれだけ強い国を作れるんだぜ」って見せつけたら、他の国も「日本モデル」を参考にするでしょ。特にイギリスとかEUって、最近政治が迷走気味じゃん。ブレグジットグダグダだったり、移民問題で揉めたり。そこに高市さんがバーンと結果出したら、「日本高市モデルめっちゃいいじゃん!マネしようぜ!」ってなると思うんだよね。

彼女政治スタイルリーダーシップ、国民とのコミュニケーション方法が、民主主義国家全体の「規範」になる。なんか、高市早苗が「民主主義の母」って呼ばれる未来ガチでありそうじゃね?まとめてかさ、高市早苗日本の「国母」ってだけじゃなくて、民主主義国家全体の「政治の母」になるって、めっちゃロマンある話だと思わない?20年以上の長期政権日本ガッチリ固めて、トランプ一族に影響与えて、イギリスEUにも「高市モデル」を輸出する。こんなリーダー、他にいる? なんか、歴史教科書デカデカ名前載る未来しか見えないわ。どう思う? 俺、ガチ高市早苗ファンになりそうなんだけど(笑)いかがでしょうか?はてな匿名ダイアリーの軽いノリと、テーマに基づいた内容をバランスさせました。必要であれば、さらに調整や追加も可能です!

Permalink |記事への反応(0) | 22:33

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2025-09-30

anond:20250930145511

この手の話、社会「母」の扱いが問題であり〜〜〜とか、産後うつ育児ノイローゼかにされるけど、まじで冷静に、心の底からただただこの選択肢出産育児)とったことを後悔してるっていうの理解されたい。

私は元気だし、死にたくないし、ご飯も美味しい。やりたいこと満ち溢れてるのにそれを子ども存在邪魔する。私は私の人生やりきってないしこのまま年齢重ねて体力的にもできないこと増えてくのまじで嘆いてんだよ。自分自分人生全うさせてほしい、全うする前に子ども持ったのまじで間違いでしたの気持ち

Permalink |記事への反応(1) | 18:55

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2025-09-18

吉田恵里香の「心のデスノート」に刻まれてる人の予想。

あるいは「虎に翼」寅子の花束拒否事件真相

吉田恵里香タイガー&バニー脚本家西田征史アシスタントとして西田征史事務所に出入りして脚本家デビューを果たした。

言わば西田征史は恩師に当たる。


吉田恵里香脚本ドラマ「虎に翼」で、"主人公自分の恩師にあたる人物に対して公衆面前否定して恥をかかせる"展開を書く

参考:

■「虎に翼」でノイズを足しまくった吉田恵里香が何言ってんだ(追記有)

https://anond.hatelabo.jp/20250917073424

「寅子の花束拒否事件」について

「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、

穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまり唐突だった。

穂高教授は、寅子を法曹界へ導いた恩師であり、

父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。

その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、

スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、

贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下穂高教授に激高するのである

このシーンを見たとき、全く意味が分からなかった。

「なんだこれ?」と。

ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。

寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。

ところが、そんなエピソードは、ない。

吉田史実にない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ意図に関する考察

で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。

吉田はこう書いている。ちょっといから、引用飛ばしてもOK

寅子「どうもできませんよ! 先生女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」

(略)

寅子の人生について、妊娠したとき勝手彼女一人称「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。

(略)

私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意自分排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。

(略)

寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。

(略)

寅子と穂高先生関係については、自分女性最初弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。

それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。

(略)

本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性から」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。

ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。

https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)

最大のポイントは、

寅子は元々穂高教授に怒っていた(という設定である)ことだ。





8月16日の「ANIMEFANTASISTAJAPAN 2025」でのトークショーで、吉田恵里香仕事姿勢批判した人物を「心のデスノート」に刻んでいる旨を明かす

https://kai-you.net/article/93374/page/3#8

「嫌なことを言われたとしても、自分が何かを成し遂げればその記憶は消していけます。でも、いろいろなジャンル脚本を書くのはやめた方がいいって言われたことを消すためには、もう全部のジャンルで何かを成し遂げるしかない。だからまだまだやり続けないといけないと思いますし、言ってきたその人の名前も心のデスノートから消すことができません(笑)

吉田恵里香のためを思ってのアドバイスにも思えるが、そういう事を言える関係のある人物は自ずと限られる。例えば師弟関係であるとか。

そうなると当然、その相手吉田恵梨香の師匠である西田征史である可能性が高い。

しか吉田恵梨香はそれを言った相手を「心のデスノート」に名前を刻んでいる。


まとめると

吉田恵里香の「心のデスノート」に刻まれている人物自分脚本家に導いてくれた西田征史であり、「虎に翼」の不可解な寅子の花束拒否事件は恩師であるはずの西田征史への復讐心の反映である・・・・・・・?

リピートします。

寅子と穂高先生関係については、自分女性最初弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。

それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。

「嫌なことを言われたとしても、自分が何かを成し遂げればその記憶は消していけます。でも、いろいろなジャンル脚本を書くのはやめた方がいいって言われたことを消すためには、もう全部のジャンルで何かを成し遂げるしかない。だからまだまだやり続けないといけないと思いますし、言ってきたその人の名前も心のデスノートから消すことができません(笑)



あくまで予想です。

Permalink |記事への反応(9) | 22:51

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行政母親負担もっと知るべき

子ども書類続柄「母」と書くの面倒すぎ!

「父」より画数多くて書きづらすぎ

Permalink |記事への反応(0) | 13:47

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2025-09-17

「虎に翼」でノイズを足しまくった吉田恵里香が何言ってんだ(追記有)

吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、

原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである

言葉枝葉末節はあれど、吉田スタンス基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作アニメとも未見のため、細かな表現のものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズ排除した物語」は支持されたのだろう。

一般論として、吉田の主張は正しい。

その上で言うのだが。


「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。

ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作ノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)

「寅子の花束拒否事件」について

「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、

穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまり唐突だった。

穂高教授は、寅子を法曹界へ導いた恩師であり、

父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。

その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、

スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、

贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下穂高教授に激高するのである

このシーンを見たとき、全く意味が分からなかった。

「なんだこれ?」と。

ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。

寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。

ところが、そんなエピソードは、ない。

(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)

公の場であん事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。

よって、吉田の完全な創作と考えていい。

ますます混乱した。なぜこんな創作をぶち込んだのか、と。

これは自分だけではない。旧twitterタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。

その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回最後最後は、「雨垂れの一雫強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかし言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。

吉田史実にない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ意図に関する考察

で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。

吉田はこう書いている。ちょっといから、引用飛ばしてもOK

寅子「どうもできませんよ! 先生女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」

(略)

寅子の人生について、妊娠したとき勝手彼女一人称「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。

(略)

私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意自分排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。

(略)

寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。

(略)

寅子と穂高先生関係については、自分女性最初弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。

それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。

(略)

本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性から」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。

ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。

https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)

最大のポイントは、

寅子は元々穂高教授に怒っていた(という設定である)ことだ。

だが…、ならば、そもそも花束贈呈役を引き受けるなよ、と。

式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。

史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である

ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田意図は何か。

それは、

吉田穂高教授という“古い男性象徴”を、「公衆面前で」辱めたかたか

だと推察した。

公衆面前、がポイント

そうでなければ、意図が取れないのだ。

ここに私は、吉田の底意地の悪さを感じ取ってしまう。

(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性から花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)

「寅子の花束拒否事件」が起こした混乱

ただ、吉田意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか

この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か

「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」

といったことを言っていたはずだ。

かに穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。

だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。

あえて吉田意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。

名優の小林でさえ、吉田意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田意図理解できていなかった傍証である

卓越した演技力を持つ伊藤も、理解できなかった。

NHK公式サイト伊藤コメントはすでに削除されているので、引用した記事から孫引き

 演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ち監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生あいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html

前述の通り、吉田意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。

結論を言うと、

自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場視聴者も混乱させた吉田が『ノイズ排除』なんて言うな」

である

おわりに

最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメント引用したい。

穂高先生と寅子のわだかまり最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています

https://meijinow.jp/article/toratubasa/100566

母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。

あと、

台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています

これは演出ファインプレー

吉田意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。

男性(性)を公衆面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実ねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。

追記

yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。

あのさあ。

その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者ほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。

盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。

そもそも引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。

dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。

言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。

なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの

また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。

いずれにしても、ないもの証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。

rundyh連続テレビ小説史実エピソードであるべきと思ってんのか?

当然、史実創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。

ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。

しろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベル唐突さだから

で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソード創作する必要があったのか。

それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。

segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実フィクション区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない

せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。

todomadrid 脚色加えるのはノイズベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーター自分思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ

脚色や作家自体は、全く否定していない。

最初に書いているだろ。

原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。

脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。

史実と違うからノイズ」なんてどこにも書いていない。

ブックマークしたのはかなり後だから追記を読んでいるはずだけど、

「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベル唐突さ」と書いているだろ。

花束贈呈拒否事件は、あまり唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたかノイズだと言っているの。

kura-2原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田結論ありきで書いてるだけ。

いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。

増田人格攻撃レッテル貼りをしているブクマカ

いやまあお前のブックマークから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。

「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。

いくらなんでもこれはひどい

hate_flag増田はそんなにぼっちちゃんおっぱいが見たかったの?そういうの見たいならウスイ本買えばいいのに

ええーっ…。何これ…。

いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。

でも、これは誤読以前じゃん。

煽りにしてもひどすぎる。

増田はそんなにぼっちちゃんおっぱいが見たかったの?

冒頭に書いてるだろ。

「「ぼっち・ざ・ろっく」は原作アニメとも未見だと。

たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだってマジで

あと、「吉田スタンス基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズ排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。

自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。

このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、

覇権を取るために風呂場の裸というノイズ排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。

なあ、id:hate_flag

あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。

書いていないこと、しかこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。

言ってみろ。根拠を示せ。いくら何でもめちゃくちゃだ。

魚拓をと思ったらすでに取られてた。取ったのは増田じゃないよ。マジで

魚拓

Permalink |記事への反応(31) | 07:34

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2025-08-06

近畿地方のある場所について時系列整理(文庫版含む)

週末には映画が始まってしまうのでひとまず時系列を整理した。

めちゃくちゃネタバレしているので文庫版未読の人は注意。

大昔神社建立
鬼を祀っている?
明治時代熊がまさる父を殺害
病弱まさる母死亡

「石」が村の女性殺害
疑われたまさるが「石」に頭を強打して死亡

「石」が次々と女性殺害
神社境内に「石」を本尊としてまさるを祀った祠を設置
1950年代半ばダム建設
1978年小澤瀬野誕生
1984年1月Kちゃん叔父Mさんが●●●●●ダム派遣
1984年2月奈良県のKちゃん8歳が失踪
1984年4月Kちゃん叔父Mさん自殺
1985年オートキャンプオープン
1987年瀬野誕生

マンション建設
Aさん一家マンション入居

数ヶ月後Aさん一家マンション退居
1988年7月霊能力者がKちゃん捜索
1989年トラックドライバーがKちゃん目撃
1990年瀬野一家千尋を除く)が●●●●●へ引っ越し
瀬野祖母の家へ
1990年1991年瀬野父死亡
1991年スピリチュアルスペース設立
1991年瀬野母がスピリチュアルスペース入信
1992年鳥取のHさんが家族キャンプ
1993年瀬野母が祖母宅へ瀬野を連れ戻しに来る
1996年月刊Qでカルト教団特集
1998年瀬野了死亡
1999年背筋の息子が交通事故で死亡
背筋離婚出版社退職ライターとして活動開始
2000年背筋がスピリチュアルスペースへ潜入取材体験入信)

瀬野母が「石」を盗み出したところに田中が遭遇
「了」のシールを作り始める
瀬野母が出版社手紙

「石」を失ったスピリチュアルスペースが夜逃げ施設保養所

瀬野母死亡
2001年瀬野がQの外部ライターとして働き始める
小澤出版社新卒入社

かい実家会社員がお札屋敷の庭で瀬野母と了の幽霊を目撃
2002年R中学林間学校にて集団ヒステリー

数ヶ月後学級委員長自殺
2003年川越市のEさん一家失踪
2003年学校のこわい話「あきおくん」「下校のチャイム
2004年8月鳥取大学生肝試しドライブ
2005年バイカーのおっさん神社
2006年「了」のシールチェーンメールで出回る
2007年学校のこわい話「ジャンプ女」「あきとくんの電話ボックス
2008年2009年
22歳男子大学生Aさんが卒業研究呪い動画を扱う(文庫版)
2009年
AさんがFさんからの紹介で香川にお祓いのできる寺を教えてもらう(文庫版)
Fさん=瀬野
2009年ジャンプ女目撃情報

若手カメラマンBさんがダムロッカーにある人形撮影
時期不明子供の頃の小沢くんが家族キャンプ

手紙「Qの作者たちへ」
時期不明
2010年
小澤がMOOK編集部へ異動
月刊Qの休刊が決定、編集部解散

別冊Qの編集にあたって小澤瀬野が初対面
時期不明小澤瀬野結婚
瀬野流産
離婚
2011年1月15日関西軍曹がお札屋敷から「石」を持ち去る
2011年関西大学生が「石」を目撃
2011年2012年
2012年
AさんがFさんからの紹介で香川にお祓いのできる寺を教えてもらう(カクヨム単行本
Fさん=瀬野
2012年長野在住Aさんの母がマンション5号棟へ入居
2013年Aさんの母がマンション5号棟から退居
2014年神奈川県のとこしえスペースにて「石」による集団自殺
2014年8月フリーランスデザイナーAさんが画像検索で赤い女と接触

長崎会社員Aさんがカラオケ店で「石」を目撃
2016年Aさんの恋人が「ましろさま」を行う
2016年8月18日長野県の出版デザイナーが妻と娘をダム殺害
2016年2017年
2017年違法アダルト動画サイトおかし書き込み
2018年10月19日
16時20
不審者による声かけ事案
2019年背筋と大学2年生の小沢くんが知り合う
2019年8月「おしえて!ドクター相談者の、大学生の息子がスピリチュアルスペース廃墟肝試し
2019年秋小沢くんの同級生Eくんがビジネスサークルに入る
2019年11月「おしえて!ドクター」に50代女性相談
20205月27日ゆきひろの心スポ凸チャンネル」が生配信
20205月27日
11時30分
不審者による声かけ事案
2021年6月3日
21時00分
不審者による声かけ事案
2022年
カクヨム単行本本編
出版社就職、別冊Qの編集を任された小沢くんが背筋に連絡

1ヶ月後小沢くんから再度連絡

インタビューテープおこし1(カクヨム単行本
話し手香川聞き手背筋

インタビューテープおこし2(カクヨム単行本
話し手Aさん(卒業研究で呪われた男子大学生)・聞き手小沢くん
Fさん=瀬野
瀬野仲介する形で小沢くんがAさんへインタビューしてる?

インタビューテープおこし3(カクヨム単行本
話し手ホラー作家聞き手背筋

小沢くんが●●●●●へ向かう

2ヶ月後小沢くんがダムで死亡

香川が背筋へメール
2023年1月4月背筋が「近畿地方のある場所について」を投稿カクヨム
2023年8月背筋が「近畿地方のある場所について」を出版単行本
2023年別冊Q最新号発売
2025年
文庫版本編
2025年7月小澤が「近畿地方のある場所について」を出版文庫版)

文庫版は瀬野小澤誘導するための仕掛けが施されており、瀬野が用意した原稿意図的な加工がされていることを考慮する必要がある。

また怪異に関わったものは「そのこと自体を忘れる」傾向があるため、インタビュー内容が同じになったり、小澤小沢くんのことに思い至らなかったりする。

瀬野積極的怪異について調べながらも今まで無事でいられたのは

妊娠した = 「嫁」候補から外れる(まさる回避

流産した =「母」候補から外れる(瀬野回避

追記

しかしたらカクヨム単行本版の後日談としての文庫版なのでは?と思って合体させた年表にしてみたものの、Q休刊の時期が全く違ったのでマルチバース確定です。解散

Permalink |記事への反応(0) | 18:56

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2025-06-28

anond:20250628010351

うちの母も元々性格悪くはあったけど50手前でなんか女を復活させてたわ

うちのは離婚してて独身ではあったか普通に彼氏作って満足はしてたけど、性生活とか含む惚気を聞かせてくるのがキツかった、女友達いないから娘しか話す相手いないのも同じだわ

更年期もだけど、子育てが一段落して「母」が一旦区切り着くのとかも関係あるのかねえ

どうにもならんから距離置くしかないと思う

Permalink |記事への反応(0) | 01:21

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2025-06-03

anond:20250602235904

本当に元の増田と別人物か?自分気持ちファースト姿勢問題分析の甘さがそっくりすぎる。


一見すると論理的なようでいて、内容の多くが「君が未熟だっただけ」「昔からそうだった」「他人呪詛するな」という断定に終始していて、対話になっていない。

「」を使うならせめて書いたことを引用してくれ。未熟って言葉使ってたか?それとも悪い印象を付けたいあまり印象操作か?

あと論理性を否定しているのか対話性を批判しているのか、もうこの一文だけで混乱してしまう。「一見すると論理的なようでいて(論理的ではない)、内容の多くが(中略)対話になっていない。」ということか?論理否定なら論理引用して否定してくれ。あとそもそも対話する気もなかったわけだが、「~じゃありませんか?」と聞いてあげてたら満足してましたか


たとえば「4年前から変わってない」って何度も言うけど、それって本当にそうだろうか?

勿論変化はたくさんあるが元増田が「気持ち悪さを感じてしまう。」とか「私は不安になってきてしまった。」とか「 「無」になっちゃうよ~という恐怖感がある。」とぼんやりとしたお気持ちを述べているしている点については変わっていません。元増田比較基準4年前だぞ?2021年比較してみてくれよ。そもそも推し活なんて言葉2020年には見た記憶あるわ。


キャラクター化」と「消費」の話もそう。元増田が言いたかったのは、生身の人間に対して“偶像としての役割”を一方的押し付けるような視線の怖さ、そこに無自覚であることへの警鐘だったと思う。

から、それは「消費」だろ?そこを問題視するのは全く批判してないよ。否定ありきで文章読んでないのか?煙に巻いてるんじゃなくて問題とする点をしっかり定めるべきだと言ってるだけ。

大体人間キャラクターで見るのは極論じゃなくて当たり前のことだ。逆に自分にとってのモブ以外でキャラクター無視して付き合いのある人間がいたらどういう視点で見てるのか教えて欲しい、お願いします。


自分が通ってきた道を、今誰かが通っていることを許せない」って、まさにそういう態度のことじゃないのか。

勝手に俺がそこを通ったことにしないでくれるか?


元増田の中には、まだ整理できてない違和感や、うまく言葉にできないもやもやがあった。でも、それをどうにかして文章にして「似たような人がいたら」と書いた。

曖昧お気持ち(うまく言葉にできないもやもやから来る批判がなぜ悪いかわかりますか?

まず、「複雑な不快感」という言葉を使っていることから、あらゆる問題複数の要素から成り立っているということまで理解できていると思う。次にこの複数の要素の中から「真に問題なのは何か」を分析せずに否定すると何が起きます?全く問題のない別の要素まで否定されることになりませんか?

上の「キャラクター化」の話もそう、問題を切り分けろと言ってるだけ。「キャラクター化」は完全に悪なのか?

「親だってキャラクター性で見るよね?」みたいな極論

極論だと思ってるってことは、これ自体は突飛な例としても認めてくれたんですよね?なら親をキャラクターとして見ることはなぜ許されるのか教えてください。それともこれも許されない?(これも許さない!という意見ならそれは尊重します。ただ、私は私の視点から私の父や母を「父」や「母」といったキャラクターを除外して見ることは難しいなと感じます。)こういった分析をしないと自分が何を批判したいのかハッキリ見えなくないですか?それとも「無関係ものまで否定してもいいからこのもやもやをどこかにぶつけるのは大事だよね」という気持ち共感してます

そして何より、「しんどい」と感じた誰かの言葉に対して、もっと丁寧なまなざしを持ってほしかった。

相当丁寧に書いてるだろ。「しんどい」に対する俺のアンサーは「しんどくなる必要がどこにもない」だ。それを丁寧に書いたのがアレだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:46

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2025-06-02

20代女。子供なんて産みたくないよ女ばっか損してるじゃん

少子化が大変なのはわかる。解消した方が良いよねもわかる。

でも女に生まれてこれまで20年数年。社会人にもなって仕事してみて、子供欲しいなんて思えないまま。

女に生まれたくなかった。

射精して10ヶ月待てば子供が産まれる男が心底羨ましい。私だってそうやって子供が持てるほうがよかった。

子供を産むことすらリスクだらけなのに、その上で一度「母」属性を持った瞬間社会的地位が落ちすぎる。

まず妊娠している間の10ヶ月間の社会的保証がない。体調は絶対万全じゃないこの妊娠中に、社会人として戦わないと産後復帰する場所がなくなる恐怖。

女はキャリアなんていらないんでしょとか、結局時短になるじゃんとか結果論で軽んじられる。

現代に生まれて、男一人で大黒柱を”できない”方が多い時代だと分かって育った。学生時代から男と同じだけ勉強して努力して、今のキャリアがあるんだよ。

なのに、母というものキャリアなんていらないんだよねと社会が軽んじているのを目の当たりにしている。

逆に男性に聞きたいんですけど。あなた学歴仕事の経歴も、父になったら不要ものと扱われて平気なんですかね。自分が積み上げたものを、子供を持つ瞬間に諦めるのって辛くないんですかね?

キャリアが欲しいなら子供なんて諦めなよw」と言われ、そうすればそうしたで「旦那さん可哀想だね」「この少子化時代子供産まないなんて」「人として一人前じゃないよね」とか加害者扱い。なんなんだ。

しかも生まれたのが健常児じゃなかったら人生まるごとひっくり返る。

発達障害から医療ケア児まで重度は様々、全部大変。

でもキャンセルはできない。社会の受け皿は足りないから、預け場所がなくて世話に追われる。今度こそ仕事なんて無理。

そんな中、現状の障害児家庭のシングルマザー率の高さ。たとえ離婚してなくったって、育児参加から療育まで母親ばかりが負担する。

夫はお金を稼がないといけないから?だからまた諦めなくて済むのかよ。

ほんで未熟児トイレで産んだり、妊娠してからとんずらされてどうしようもなくなったり、育児ノイローゼで頭おかしくなって子供を手にかけたり、何したって「母」が悪い。母だけが裁かれる。

そもそも妊娠出産は女しかできないとして、その後のことはどっちだってできるだろ。

どっちだってできるのから育児の苦楽も罪も共に背負うべきなはずなのになんでこんなに偏るんだよ。

子供母親だけをセットにして、父親オプションみたいに考える社会やめろよ。責任は常に平等であれよ。

社会育児にまつわることのスキルの前提認識にも腹立つ。

料理献立は母がつくり、食事における健康バランスは母が担い、弁当母親が作れるし、裁縫母親ができる。

これは逆を返せば、男は献立を立てないし、父のご飯はたまの味付けの濃いジャンクご飯でいいし、父は弁当が作れなくても拙くてもよくて、裁縫だってもちろんできない。

その前提で回っている。

アホか。なんで女はそのスキル自動で備わってると思うんだよ学んで努力して身につけるんだよ。その努力に男がフリーライドするなよ。

せめてフリーライドして当たり前ではなく、家庭を回すスキルが足りなくてごめんなさいだろ。

こんなに不均衡な上に、性的に軽んじられ性犯罪は碌に取り締まられず、今でも社会構造直視しない法改正は続き、

出産にまつわる医療費の問題医療ケア問題解決せず、男性主体社会構造のまま、

子供を産まないと少子化が」とか。

本当に勘弁してほしいよ。

少子化は女の問題じゃないよ。

社会と男の問題だよ。

そんな男ばかりじゃない?ちゃんとしてる男もいる?

じゃあそれを男性同士で是正していってください、女に言わないでさ。

男性から男性へ、注意をしあってほしい。

こんな声も女のヒステリーだと言われる世の中なので。

女に生まれたくなかった。

自分で産まなくても子供が持てる性別に生まれたかったな。

Permalink |記事への反応(2) | 20:18

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anond:20250601104514

まあ、十中八九年齢によるものがあるのだろうけど

ここまで理解できているのにあと一歩足りないせいでただの呪詛になっている。自分過去無自覚否定するのは悲しいことなので是非もう一歩進めてもらいたい。



以前のオタク比較すると、愛を語るのに「お金を多く払うこと」「消費をすること」が重要になってきている肌感がある。

増田所謂推し活を楽しんでいた4年くらい前、むしろそれ以前からそうだ。ただ楽しみに夢中でそれが見えていなかっただけで。ただ別にそれは悪いことでは全くない。後悔するのは自由だが、自分が通った道を現在通っているものに対して呪詛をまくのは、過去自分否定するのと同じことになるのであまり健康的ではない。せめてそれは自覚しよう。

自分が楽しかった過去は大切にしていい(というか大切にしてそうだ)が、「昨今の推し活」を否定するのは無意識に楽しかった過去否定しているのと同じだ。気付いていないだけで大して状況は変わってない。変わったのは増田だ。



生身の人間キャラクター化して消費するようになってきている

こんなんも元からだ、というかこれこそ遡れば数年どころじゃすまない歴史があるだろう。というか推し活をしていたなら増田もしています自覚があるかは知らないが。


ちょっと前に九月さんを発端とした「メロシコ論争」があったが

いわゆるメロいシコい主観化とジャッジの話で、キャラクター化の話ではないのでは?キャラクター化って属性付与みたいな意味で話してるよね?

この章なんか無理矢理書いてる気がする、あまりすんなり読めない。


「生身の人間キャラクター化すること」の恐ろしさ・おぞましさ

キャラクターって性格とか特徴の話だとして、生身の人間からそれを排除した時残るものって何?美醜?ルッキズムこそ大切にすべしみたいな話?

例えば増田の父や母が増田に対して見せる「父」や「母」といったキャラクターって悪なのか?もしそうだと考えてるならそれでいいけど...

タイトルでせっかく「キャラクター化」と「消費」と書いてるのに、おそらく増田が悪だと感じてるのは「消費」の方じゃないか?それがよく自分でも理解できてなくて「キャラクター化」を本題にしちゃってる。



SNSオタクのつながりが可視化されるようになって猶更

繰り返しになるが4年前とそこまで状況は変わらない。これだって10年以上前からSNSオタクのつながりなんか盛り上がっている。

「すべてを履修しなくては推しを名乗れない」ことが増えてきている。

そんなものはない。勝手強迫観念一般的認識のように語るのはあまり良くない。もし増田コミュニティにそんなことを言うやつが多数いたのならそれはキチガイばかりのコミュニティだというだけだ。そんなルールがもしあったとしたら、それを言い出した奴の方が狂っている。



まあ、平たく言えば自分が昨今のオタクコンテンツに向いていないんだろうなあ。

まりゴチャゴチャ言うつもりはないが基本的に、まともに働いたり、まっとうに人生を歩めばいかなるものとも距離の変化は生じる。それは経験を積んで高度化した仕事だったり、恋人だったり、あるいは結婚子供だったり自分との距離が近くなるものが新たに出来てしまうからだ。まぁ後普通に飽きとかもあるだろうが...

ここに増田が書いてある論点で見る限り「昨今の推し活」と「増田がハマっていたころの推し活」にそこまで変化はない。(勿論コンテンツは変わっていくが)

ただ見えていなかったものが見えるようになっただけだ、だからといって自分否定することも、今推し活に興じているオタクを腐す必要もない。楽しかった思い出を大事にしていればそれでいい。

Permalink |記事への反応(2) | 14:21

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2025-05-04

おばさんになっても性被害は減らない

若い時にもモテ経験なんぞない四十代の独身女ですけれど

おばさんになってからの方が普通に被害は増えたよ?

今日も帰り道で露出狂に遭いました。連休二日目の楽しかった記憶台無しです。

本当に日々性被害に遭いすぎて、警察に駆け込んでもまともに相手にしてくれないし

若い頃の方が絶対に良かったよ。

女性による「若い頃に戻りたいと一切思わない」「おばさんになって本当に楽になった」

…という声には全くこれっぽっちも共感できない。

歳を取る事によって減るのは真っ当な「モテ」であって、性被害は減らない。寧ろ増える事すらある。

彼女達が本当に楽になったのだとしたら、それは「おばさん」になったからではなく、

誰かの「妻」や「母」になって、守ってくれる男性が出来たからでしょう?そこを誤魔化して語るのは欺瞞だと思うよ。

Permalink |記事への反応(2) | 21:55

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2025-04-12

STEAMからBANされた噂のエロゲー'No Mercy'プレイしてみた

https://automaton-media.com/articles/newsjp/no-mercy-20250411-334755/

これな。

全編英語

内容。

主人公大学生が、義母友達義母義母の姉を脅迫して関係を迫るというもの

義母とあるが、関係性は入力式で変更可能

攻略可能女性キャラ名前関係性を最初チュートリアルで聞かれるので「母」義母」「父の愛人」とかにできる。

グラフィックは見た通り写実的3Dモデル紙芝居で進行する。挿入とかピストンとかは動く

フルボイスではないが、エロシーンで喘ぎ声はある。

ゆるい能力値の上下があり、選択肢で女の支配度があがったりさがったりしてエロシーンに分岐する。

主人公がよくある突飛な性欲野郎で、エロゲにぴったりな下衆い性格をしていて、あの手この手で女を脅していく。

アンリアルエンジンとかで作ってんのかな?とにかくグラが綺麗。

性器には一切規制がかかっていない。

感想

普通にエロくて抜けた。

女の心理描写もありじっくり堕ちていく様子がよかった。

全体的にドラマ仕立てで、西洋文化エロゲ作るとこういう風になるのかという新鮮さが楽しめた。

主人公はいじめっ子ではっぱを同級生に卸してたり、ダディーがトラック運転手で長期出張とか日本になかなかない設定。

冒頭の記事ではすげーやばそうな感じに書いてあるし、ようつべコメント欄では「こんなくずなカスゲーは最悪!」と怒りまくってる人が大勢いる。

SNSでも性暴力を促す内容だと紛糾してる。

が、ぶっちゃけ日本エロゲーと変わらない。

この程度のインモラルエロゲは同人かにありふれてる。

調教とか洗脳とか脅迫かめっちゃ定番だよね。

これを規制しろっていうと激怒しだす人があふれるあたり日本ってこの辺の感覚国際的には麻痺してるんだろうなぁ。

やっぱ先進国なんだなって思いました。HENTAIジャパン

Permalink |記事への反応(0) | 13:06

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2025-04-01

夫を親だと思っている

恥ずかしい話だけど、夫を親のように感じている。

夫とは2年前に結婚した。出会い自治体婚活イベント的なやつで、知り合ってから結婚までは1年もかかっていない。

夫を親だと思ってしま理由はいくつかある。

まず、経済面依存していること。現状、家賃光熱費も夫が払っているし、食費も半分以上夫持ちだ。私は持病のせいもあってフルタイム勤務が難しい。実家にいた頃も自分のためのお金ガソリン代や医療費などを含む)を稼ぐので精一杯で、完全に親に養われている状態だった。気持ちとしては、養い主が親から夫に変わっただけという感じ。

次に、家事をやってもらっていること。夫は一人暮らし歴が長く、家事が得意だ。一方の私はとにかく掃除と洗い物と片付けが苦手で、夫に「食器が洗いきれていない」と指摘されることも多い。本来なら、経済面で貢献できていないぶん家事労働を負担するのが筋だと思うのだけど、現状ではむしろ夫の方がちゃん家事をしているのでは?と思っている(し、夫もそう思っているだろう)。

そして何より、精神的に甘えていること。私は夫が相当好きだと自覚しているのだけど、その「好き」は夫婦愛情というより「子供が親に甘える気持ち」に近い気がしている。

これは、私が子供の頃に親から「無条件の承認」をあまり受け取れなかった(これは親だけが悪いわけじゃなく、私が受け取るのが下手だったのも大きい)のを、今になって取り戻そうとしているんじゃないかと思っている。

私たちには子供がいない。夫婦ともに不妊体質のようで、しばらく前から不妊治療を受けている。夫は子供を欲しがっているけど、私は正直あまり乗り気ではない。私みたいな未熟な、図体だけ大きくなった子供のような生き物が果たして子供」を育てられるか?という不安が一番大きいけれど、その陰に「まだ『夫の子』でいたい」という気持ちが潜んでいることを、自覚している。より露骨な言い方をするなら、(今はまだ)誰かに『夫の子』の座を明け渡したくない、という気持ちだ。

改めて文字にしてみると、自分いかに幼稚で未熟かが浮き彫りになっていて、恥ずかしいし情けない。でも、現状として夫に親の役割をしてもらっているのは事実だ。だからこそ、私は、これから少しずつでも「妻」にならなければいけない。できるだけ対等な、夫と支えあえるような「大人」になれるよう努力しなければいけない。そしていつか「母」になったとき、「父」となった夫とともに「子供」を育てられるようにしたい。

Permalink |記事への反応(0) | 01:05

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2025-03-06

ぐんぴぃさんが「女性交渉経験がない」まま「妻子持ち」となり、かつ子供が彼の遺伝子を引き継ぐために

##解決策:クローニングと人工子宮による子作り

ぐんぴぃさんが「女性交渉経験がない」まま「妻子持ち」となり、かつ子供が彼の遺伝子を引き継ぐためには、SF的な技術活用して、従来の肉体的な関係を完全に回避する方法を考えます。以下はその設定です:

状況の背景

ぐんぴぃさんは未来社会に生きており、結婚社会的契約として存在するが、子作りはすべて科学技術によって行われる世界にいます。彼は妻と法的な夫婦関係を結んでいるものの、個人的な信念や文化的理由で「女性との直接的な交渉」を一切拒否しています

子作りのプロセス

遺伝子提供: ぐんぴぃさんは自分遺伝子DNA)を医療機関提供します。これにより、彼の遺伝子が確実に子供に引き継がれます

人工子宮: 妻との間で子供を作る際、妻の卵子とぐんぴぃさんの精子を体外で受精させ、その受精卵を人工子宮で育てます。妻は妊娠出産経験せず、子供は完全に人工的な環境誕生します。

妻の役割: 妻は法的な「母」として子供を育てる役割を担いますが、ぐんぴぃさんとの間に肉体的な接触は一切ありません。彼女自身遺伝子子供に引き継がれるかどうかは状況次第ですが、少なくともぐんぴぃさんの遺伝子必須条件として含まれます

「バキ童」の維持

ぐんぴぃさんはこのプロセスを通じて、女性との直接的な「交渉」(肉体的な親密さ)を一切経験しないまま、子供を持つことができます。彼の「バキ童」としてのアイデンティティは、物理的な接触がないことで保たれます

SF的要素の強化

もしさらSF色を強くしたいなら、ぐんぴぃさんの遺伝子からクロー技術子供を作り、それを妻が「育ての母」として引き取る形も可能です。この場合、妻の遺伝子は関与せず、純粋にぐんぴぃさんの遺伝子だけで子供が作られます

あるいは、遺伝子編集技術(CRISPRなど)を用いて、ぐんぴぃさんの遺伝子を基盤にしつつ、妻の特徴を模倣した子供を人工的に設計する、という方法も考えられます

具体的なストーリー

ぐんぴぃさんは、異性との接触を極端に嫌う潔癖症の持ち主であり、「交渉なんてありえない!」と豪語する男です。しかし、家系存続のために子供を残す義務を感じ、最新のバイオテクノロジーを利用。自分DNA提供し、人工子宮で育てられた息子を持つことに成功します。妻とは契約結婚関係で、彼女子供母親として社会的に認められていますが、ぐんぴぃさんとは一度も手を握ったことすらないプラトニック関係です。

周囲からは「妻子持ちなのにバキ童ってどういうことだよ」と笑いものですが、本人は「俺は科学の力で純潔を貫いた」と誇らしげです。

Permalink |記事への反応(0) | 15:31

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2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

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2024-12-21

嘘を重ねる②(追記あり

また、小さな嘘が一つ。

どこにも吐き出せないので、また書かせてください。

私の職場はずっと修羅場が続いているようなもの

労働環境の悪さに退職率がとても高い

私も同僚も「辞めたいね…」なんていいながら日々働いていて

だけど年齢とか自分スペックとか考えると転職活動やり切る勇気もなくて

なかなか踏ん切りつかないわ…と言っていると

増田実家から最悪収入なくても生きていけるでしょ。みたいなこと言われて

母のことを打ち明けていないし

世間的に見れば私はいわゆる「こどおば」だから

そういう風に言われても仕方のないことだと思うけど

そこでも「ははは…」とごまかすしかなかった。

ただ、一応これでも、母が存命の時は私の収入で2人生活をしていた。

でも働くのは私、家のことは母…というかんじでまかせっきりではあったか

「親に甘えていた」という点は否定できない。

から、母が生きていた時は特に何も言えなかった。

家計は私がもってるって偉そうには言えないなって。

そうだね、親に頼ってしまってるわ。みたいな感じで返していた。

でも今は本当に一人だから

とはいえ言ってないのは自分から

こんな風に思うのはお門違いなのかもしれないと思う一方で

やっぱりちょっと悔しさも感じてしまったり。

からって、実は違うんだよ…というには心の整理が追いつかなくて。

自分でも矛盾したこと言ってるのはわかってるけど

全然、理性通りに感情が動かない。

こういうことがあると、全部投げ出したくなって人との関わりが嫌になってしまいそうになる。

なのに、一人は寂しい。

そんな風に感情がぐるぐるしている。

母がいたときは、経済的にはすごく苦しかったけど

それでも、家に帰ったら誰かがいる。

家族がいる。

それだけでもものすごく心が支えられていたんだなって今は思う。

母は統合失調症だった。

年々酷くなっていって

家に帰ったら一人怒鳴っている声が聞こえたりもしたし

幻聴とか被害妄想とかで私とも言い合いになったり

お互いにひどいことを言って言われて…って

精神的にもつらいことは多かったけど

それでもやっぱり私にとっては本当に大好きなお母さんで

離れようなんて思わなかったし

お母さんがいてくれるだけで、それだけでどれだけ心強かったか

いなくなってほしいなんて思ったことはなかったけど

「母」という存在の大きさに気づいたのはやっぱり一人になってからかもしれない。

何もできなかった私に、今どうこう言う資格はないのかもしれない。

何もできなかった。

そういう後悔は一生消えることがなくて

どう心をの整理をつけたらいいのかもわからなくて

そうこう考えていたらやっぱり自分が前に進める日はまだ遠そうだと感じる。

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最初に書いた「嘘を重ねる」でいただいたコメントなどに対してお礼の気持ちを書いたのですが

言及にしたつもりができていなかったのでこちらにもリンク貼らせていただきます

改めてありがとうございました。

https://anond.hatelabo.jp/20241217223614

あれからさらコメントいただいていたりして、ありがとうございます

私自身があまり自分のことを話したがらない性格をしているということもあり、

そもそも母のことを話さなくて済むのならそのままにしておきたいという気持ちがあります

なので文章にして一斉送信とかはできれば避けたいなと…

もうちょっと心の整理が進んだら、何かの拍子に家族のことや母の話になったときは少しずつ打ち明けて逝ければいいなと思います

でも、しつこいですがやっぱりまだ時間はかかるかなと思ってます

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追記

https://anond.hatelabo.jp/20241210140045

こちらが大元記事です。

もしご興味お持ちいただけるかたがいれば読んでいただければと思います

アドバイスくださった方、ありがとうございます

Permalink |記事への反応(0) | 01:01

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2024-12-11

親離れできなくて悔しい

母親に送った誕生日プレゼントが宛先人不在で帰ってきてしまった。

先日、私の友人へのプレゼントとともに仕送り(現物支給)が届いていた。そのお礼を兼ねていたので、友人が返送を受け取ってしまい、気まずかった。

中身は母親が喜びそうだと選んだ化粧品と安いお菓子だ。2週間も郵便局に保管されていたことを思うと食べ物は捨てざるを得ない。返送された旨と、食べものは捨てる旨を伝えるつもりで、母に「戻ってきちゃった」と写真付きでLINEした。

返信は「あら笑だってママまだ帰ってないもん」

母が自身誕生日から関西の知人の元へ旅行に行っていたことは知っていた。でもそんなに長くなるとは聞いていない。犬を連れて3週間も宿泊するのだから、仲のいい友人、あるいは私に言わないだけで恋人のたぐいなのだろうけれど、「心配すると思って」言わなかったらしい。

食べ物は捨ててもう一度おくるね」と返すと、

「言ってくれれば○○(叔母)に受け取ってもらったのに」と拗ねはじめた。友人がお礼をしたいと言うのでプレゼントを贈ることは伝えてあった。

母が「捨てんでよ〜」と送ってきたからと言うより、賞味期限確認した友人が「これは大丈夫だよ」と言ったから、箱入りのクッキーは捨てずに化粧品とともに送りなおした。

差出人の住所は書かなかった。

母に、「もう一度送りました」「差出人は書いていないので受け取りがなければ処分になります」とLINEした。

「そんなことせなんとかなぁ

 言ってもわからんと思うけど」

と母。

言っても分からないのはあなたの方だ。こちらが厚意で送ったものを受け取らず、剰え、贈ることは予告していたのに、受け取れなかったことを私の認識不足のせいにした。自分がわざと旅行スケジュールを隠していたのに。こちらにも友人への面目というものがあるから返送されたら困るのだ。いらないなら受け取らなければいい。それで郵便局が処理してくれる。

そんな内容のLINEを送った。

母は謝りたいと言って、実際ごめんと送ってきていたが、誠意のあるものには思えなかった。

それが先週末のことで、ずっと落ち込んだ気持ちナノが悔しい。

単純に、自分の厚意(好意)を無下にされたのが悲しかった。だが、母親は私が彼女のことを好いているがゆえの行動を過剰に喜ぶ。悲しがったことも喜ぶだろうと思うと悔しかった。

私の母親シングルマザーで、幼少期の私はほとんど祖父母に育てられた。母と会うのは月に1度あれば多い程度の頻度だった。

会わない間に、私の中での「母」幻想肥大化していき、成人して数年経つ今ですら、優しく、正しく、私のことを愛していて、人格者の母を求めている。私の母はそんな人ではない。

小学1年生の私は、当日29歳の彼女に「ママじゃなくて、お母さんの格好をして授業参加にきてよね」と懇願していた。私の「母」偶像化と、母の生活態度は、その頃からまり変わっていない。

祖父が死に、祖母ボケてしまった今となっては、そこまで深い付き合いでは無い他人に話すときの「実家」は、母と彼女の飼っている犬のいる場所を指す。そこに私は住んだことがない。帰省時の荷物他人より多いのは、実家私服存在しないからだ。

話が逸れたけれど、私は母親に「お母さんらしい」態度を求めすぎている。私の厚意に過剰に喜ばず、かと言って拒絶しない、成人女性の母としての距離感を求めている。

ただ、それは私の母ではなく、私の中の「母親」の態度でしかないのだ。

母に友人を紹介するべきでは無いし、喜ばせようと思ってプレゼントを贈るべきではない。鳩居堂で買ったメッセージカード誕生日を祝う文言を書いてプレゼントに入れるべきではない。

分かっているのに、子どものようなことをするのをやめられない。上手くいかず、すねることをやめられない。それが悔しい。

お母さんがほしい。

結婚をするべきだ」と言われることがある。私が求めている「許容」は、たまたま私を産んだ女性に求めるのではなく、共に人生を歩むと決めたパートナーに求めるべきものだと。

多分それはあっているのだけど、赤の他人に強いるには過剰な負担だという自覚がある。

から、「生んだ」という負い目のある母にその役割押し付けたいのだ。

この歳でこんなことを言うのはみっともなくて恥ずかしいが、お母さんがほしい。それができないなら、親離れしたい。できなくて悔しい。

以上、日記

Permalink |記事への反応(0) | 21:06

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2024-10-28

何これ。

宝物って結局物扱いじゃん

一人の人間として尊重している訳ではない。

フェミニスト面している人の中にもこういう思考の持ち主が少なくないのが残念。

こういうふうに誰かの大切な「娘」や「妻」や「母」から大切にしようという思考から

そこから溢れた単身女性の権利保証されないんだよ。

親の庇護を得られなかった家出少女への搾取とも地続きでしょ。

ガンギマリ諭吉

@ueeeeeeiyukiti

「みんなが大事に育ててる宝物に性欲向けないで」

マジでこれ

他の家のお子さんでも、未成年なら大人みんなで大切に守りたいし嫌な思いさせないようにしたいし、同世代の異性とピュア恋愛してほしいって思うやん

何で爺の性欲とか、不必要グロ暴力を向ける事ができるのか?不可解です💦

https://x.com/ueeeeeeiyukiti/status/1850532880616935748

Permalink |記事への反応(0) | 13:27

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2024-10-23

anond:20241023093052

母数→サンプル数と母数が混同されてる

こういう、ツッコミする人が間違っているパターン萎えるよ。そこはサンプル数ではなくサンプルサイズだろ。(サンプルサイズ〇〇の標本が△△個あるときの△△の方がサンプル数であって、サンプルサイズとは別概念

それに、母数はパラメーターあるいはジェネレーターの設定値であってサンプルサイズ意味ではない、というのは科学の中でも統計寄りの限られた分野の話であって、割合などを考える際に分「母」となる「数」という単語が略されているとされることもある。

Permalink |記事への反応(0) | 15:32

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2024-10-09

職場見学に36歳が母親と来てドン引きした


https://x.com/alpha_racehorse/status/1843800253612601525

株式会社ALPHA TRAININGBASE

@alpha_racehorse

昨日は道内在住で馬業界就職したいという方が職場見学に来ました

36歳男性現在失職中

なんと、お母様同伴!

これまで高校生未成年の方が親御さんと一緒に来た事はありましたが、36歳のオッサンが……😅

しかもその方は出会って開口一番

「お母さんと一緒に来ちゃいました!」と笑顔

「母」でなく「お母さん」

私、内心ドン引きしていましたが、その素振りを全力で隠して業務内容等の説明をしながら案内を進めました

ようやく案内を終えて「では、お気をつけて」と挨拶すると、お母様が「ほら◯◯ちゃん履歴書さなきゃ」と

私的にはなかなか強烈な親子でした

どうぞ元気に暮らして下さい

午前8:46 ·2024年10月9日

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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2024-10-05

一部フェニミスト人達が、少母化という言葉に今更噛み付いてる意味分からん

少母化って要するに出産可能な年齢層の女性の数自体が減っているから、今までと同じ基準出生率を維持しても人口は減っていくって話だよね?

別に女性責任を負わせてるとかではないと思うんだけど。


ていうか、ここで言う母って実際に子を産む女性という意味よりは

分子分母の「母」じゃないの?そっちの母にもちゃん文句言ってた?

Permalink |記事への反応(0) | 10:53

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2024-09-26

anond:20240925233008

なぜ人を殺してはいけないのか

という法曹界への重要な問いか

(法があるからか、アプリオリにそうなのか、だとしたら法とはどういう存在なのか)

について、

なんだかわからん感情論とお涙ちょうだいで誤魔化した

家裁の母」はつまるところ「母」であり、女性であり、所詮感情動物だ、と言っているかのようにすら見えた

本当にガッカリした

Permalink |記事への反応(0) | 01:02

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2024-08-20

anond:20240820222603

子なし「母」じゃなくて子なし「女」って書いたはずだけど?

つかそもそも男とか女とか子供のあるなし以前にまともな知性があれば現代において肌着は面積の多いフィット生地が好まれることぐらいわかるよな

Permalink |記事への反応(0) | 22:29

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2024-08-19

屹立って、山以外で言わなくない?

ほかで何か屹立するものあるか?

「たらちねの」って言えば「母」って続くし

「屹立した」といえば「山」だよな

こういう、この名詞専用の言葉です!っていうのが好きなんだよな

自分だけかもしれんけど

Permalink |記事への反応(3) | 18:28

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2024-08-11

(長文愚痴失礼します)成長した「障害児」である私と、母

使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名場所に吐き出したかったので失礼します。

読みにくい文章だと思います。ごめんなさい。

私は生まれた時から発達障害であったらしいです。

そんな私は障害言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分自己嫌悪を抱いて生きてきました。

そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。

ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。

いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のもの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴しかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。

現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています中学の途中からいじめ不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります本来大学生社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在高校生活4年目を過ごしています

また、普通ことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイト面接でずっと落とされているのですが……

母は50代。私が生まれから範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています

他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在単身赴任中ですが。

現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。

正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから

ですが、私視点言い訳しかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパン放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手食器を洗ってくれます。そうしては

「なんで私に食器洗いをさせるんだ、私は召使か」

と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳しかなりませんが。

洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると

「腐るでしょう」

と怒ってきます調味料トラブルもこのせいです。

先述しましたが、こんな状態リビングにいては私も疲れてしまます我慢できれば良いのでしょうが毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、

「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」

と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。

あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨誘導してくることがあります

たとえばラーメン屋に一緒に行った時。

「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」

別に嫌じゃないから早よ食べたい」

「でもママは嫌だよ?」

これはほとんど本来の会話そのままで最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。

その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も

テイクアウトどれがいい?」

餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」

「あれは冷凍食品だよ」

「知ってる、関係ない、餃子がいい」

「あっこれも美味しそうだよ」

餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!

「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」
と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。

こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチン冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います

「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」

内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまたかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると

「できない子なのに頑張っててえらいね!」

といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。

なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。

そこからは当たり前に母の説教が始まります

「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」

「どうせできないから、無理だから、って言うんでしょ」

ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」

「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」

「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」

「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」

「頑張って大人びないの」

料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」

「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」

など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます

極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。

結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」

母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。

思えば昔からずっと苦手でした。

比較最近出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日とある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。

「声が出なくなった」

と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断しました。

結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親から説教の内容に私は耳を疑いました。

多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教覚悟はしていました。

「なんで救急車を呼んだ、社会迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」

なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。

リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。
そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。

この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。

この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後

毒親系の本買って勉強してみたけど私は全然マシだよね」

と言ってきたり、反抗期のような状態にあった中学時代の私が

他人が私の気持ちがわかると思わないで」

といったら、

他人!?家族他人だって言うの!?

と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスシルバニアの家が欲しいと言えば最初から

「さすがに子供っぽいよ」

と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、

私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティ写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら

「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」

と大泣きしたり、いろいろなことがありました。

こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。

私はこれらの経験を通じて出した結論として、

ペット愛玩動物扱い」なのか、

自分の子供で、自分の一部扱い」なのか、

自分という可愛い存在の装飾品の一部」なのかわかりませんが

少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。

自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分料理をするようにした際も、

「私の料理が食べられないのか」

露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。

おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。

いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。

そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物ケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。

こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています

私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います

私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます

結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います

別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。

本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。

ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手戯言最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから綺麗事しか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(9) | 11:15

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