
はてなキーワード:「家族」とは
38歳女。子無し既婚。
親とは絶縁しており「家族」という形態のメリットが未だにあまりよくわかっていない。
仕事は出版系で、ワークライフバランス(笑)という感じで15年ほどやってきた。
しかし現在、出版市場の急速なシュリンクという環境要因、キャリアハイの通過、加齢、社内政治の敗退といった内的要因などにより、仕事に全力投球できないこと限りなく、ミドルクライシス状態にある。
儲からないとはいえ、仕事はいくらでもある業界だから、惰性でワークライフバランス(笑)な生活を続けているが、やっぱりこれからを考えるとワークライフバランスって大事なんじゃないか。この時代、やる気も儲けもないのに、残業100時間超えの30代後半社員(非管理職)なんて、お荷物でしかない。
同年代の子持ちの女性たちが、LINEやスラックのアイコンを子の写真にしているのを見ると、
「お前は誰だよ」って思うけど、話題のほとんどが子育てに関することだったりすると、くそダル…って思うけど、思うけど、でも、そんなに重要な存在がいるんだなって、やっぱり羨ましく思う。
仕事にもプライベートにも生きがいや未来を見いだせない今、ワンチャン、子どもが生きがいリスクヘッジになるのではないかと思い、卵子凍結の資料などをつい取りよせてしまう。
母親は写植屋とトレーサーで、仕事大好き人間だったけど、クォークやインデザインの台頭などの業界の技術革新が起こる時期に子どもが産まれ、キャリアを降りた。「生きがいリスクヘッジとして子育てを選んだ」っていうのは母親の言で、実子に伝えることでもないと思うが、妙な説得力をもつフレーズとしてたびたび思い出される。
しかし母親は結局、私のことを好きになれなくて、私も母親が好きになれなくて、お互いを全否定する形で絶縁してしまった。生きがいリスクヘッジになってないどころか、生涯のリソースを注いだ娘に「毒親だ」とか言われる結末で、本当に散々である。
それでも、いま、考えてしまう。
子どもがいれば、生きがいリスクヘッジになるのか。そんな傲慢で、未成熟な心で、子どもなんて育てられるのか。
まあでも親子も人間関係だから、相性ってものが強烈に作用するわけで、会ってみないとわからないけど、会ってみてから判断じゃ、子どもに分が悪過ぎるわな。
Permalink |記事への反応(16) | 23:04
昔から弱い。
結婚式の動画みたいな、作られた家族の尊さみたいなのは苦手(なんなら嫌悪)だけど、
ふとした瞬間の家族のエピソードとか、旅行先の記念写真とか、そういうの見るとなんだか泣けてくる。
両親が小学生のころに離婚して、ついってった母も毒がキツくて今連絡断ってて、当然両実家とも連絡ゼロ。独身の30代男性。
家族とは文字通り無縁で、「家」に未だに恐怖を感じているので、結婚どころか交際を考えたこともない。だから、たぶん今後も無縁で独身で死んでいくんだと思う。
そういう身からすると、他人の家族写真って、ただただ眩しい。嫉妬の感情すら湧かない。
なんだろう、海外の絶景写真みている気分が近い。死ぬまでその景色の場所に行くことはないだろうけれど、その美しさは理解できるから、ため息が出る感じ。
そういう世界の広さを感じると、なんかちょっと安心する。うちは終わってたけど、他はそうでもないんだなってちょっと嬉しくなる。
こんなご時世に身内の話を共有するのってリスクだとは思うんだけど、楽しげな事があったらお裾分け程度に共有してくれると救われる人もいますってことが言いたくて増田書いた。
妻とはもうまともにコミュニケーションを取れないので、彼女の顔を見るたびに頭が離婚という言葉で埋め尽くされるのが、ここ数年続いてた。
息子が大学に入学したら離婚して家族という形をして解消しようかなとか想像してだけど、やはり自分には勇気がない。なんだかんだと自分の知り合いは、息子やら妻も含めた「家族」としてのユニットによるものが多くて、家族を解消して私がソロになってしまったら、恥ずかしい話、知り合いがほとんどいないのである。仕事仲間が何人かいて、大学時代からの友人は何人かいて、趣味を通じた知り合いも何人かいて、という程度である。離婚してしまったら、息子の同級生繋がりのパパ友とか会いづらいし、私の両親や兄夫婦姪っ子の家族にも会いづらい。近所付き合いだって解消せざるを得ない。長々と書いたが、世の中で「離婚するのは世間体が悪い」とワンセンテンスで言われるのはこのことなのだと今になって理解できる。
離婚したいと思うのは,要は妻との関係に愛情を感じられないからなのだが、他に好きな人がいるわけでもないし、今からアプリで新しい人を探せるとも思わない。
そんなわけで離婚はしない。もう何もかも愛情だとかそういうものは諦めた上で、戸籍上の関係は維持する。妻とはシェアハウスの住人としての関係になると考えることにした。シェアハウスの住人としてなら、赤の他人よりはよっぽど彼女は信頼できる人間なので、こういうのも良いのかななどと考えている。
20250907
これは個人の問題ではなく社会の問題だ。男は母性がない代わりに仕事をして、これまで女は社会進出せずに家のことをしていたが、女が仕事もするようになることで、女は男より選択肢を1つ多く持つことになった。
やっかいなのは社会進出気取りの事務系裏方女だ。非正規雇用でもできるような仕事を運良く正社員でしているがために、自分は仕事も家事も育児も全部やる忙しくて多忙な人間だ、と言うかもしれないが、残念ながらその「仕事」は仕事のうちに入らない。出世して部下を持って上司になり、また上司の顔色や自身の権限をうかがいながら行う業務は、ロボットやAIにはできない業だろう。一方で勘違い女の業務は外注代替可能な、いわゆる使い捨て可能な業務だ。そんなことも知らずに偉そうに働いてるだと?ふざけんな、といいたい。
育児は、そのアタッチメント実働時間から、明らかに家にいるほうが主、いないほうが従、になるだろう。勘違い女が育休で主になったとき、組織の末端でしか仕事をしたことがないからリーダーシップもとれないのに、主の立場で育児を担当することになる。予想通り、従の人間はころころ変わる考えに振り回され、意見も言えない雰囲気が形成され、結果縮こまって身動きの取りにくい状態になってしまった。組織として最悪なのは言うまでもない。
はっ、気づいたらこんなに不平不満を書き連ねていた。理想の家族とはなんだろう?ステレオタイプに縛られる必要はない。家族が、という主語「家族」で物事を考えたことがない。主語はいつも自分もしくは子供。子供はかわいいから、自分なりの親としての愛情を伝えたいと思う。子どもは自身の意思主張があるだろうから、それをなるべく尊重したいけど、モラルマナー言葉遣いなどは、ちゃんと矯正したい。
妻が不機嫌だと子どもがかわいそうだから妻の機嫌をとれ、というのは、どうなんだろう?もちろん正解はないが、別にそこはもういいかな。ぼく自身が大きく構えておきたいと思う。何かあったときに頼ったり相談してくれる父親でありたいし、子どもが成人になってからは、ひとり立ちして自由に生きてくれたらいいし、しばしば一緒に盃を交わす仲でもいいと思う。そうなるためには妻の機嫌を取らないといけない、ということであれば、それはたぶん間違っている。ゴマすりが大切といっているようなもんだ。
恥ずかしながら、これまで妻と口論して声を荒らげてしまったことがしばしばあったが、それは自分が理想とする父親像ではない。いつでもおふざけでしょーもないことを言い合える、そういう姿勢で日々過ごしていきたいと思った。日々の一挙一動などしょうもない細かいことだ。そんなことにいちいち腹を立てて向き合う必要はない。
感謝の気持ちを伝えろ、と妻にしばしば言われる。それ自体は正しいことだが、己のタスクをこなすことにいちいち感謝する、という価値観が一切分からない。代替可能なことならなおさら。一方で、子供にはあいさつしたりありがとうと言ったりできるようになってほしいので、そのモデルとして家庭内でもできるように気をつけるべきなのはそうなのかもしれない。そこに気持ちがなくても、言葉として発することが大事だろう。私の育った環境では、外ではへこへこ内では殿様、みたいな両親でそれに違和感を感じたので、そこは直さないといけないね。
とにかく、子供が(最低限のマナーレベルのことで)どうなってほしいか、を考えて、そのために「自分」が(家族ではなく)どう言動すべきか、というのが今後の大きな指針になる。アスペルガーの妻は言葉にしないと分からないというが、子供には1つでも多く背中を見て育ってほしい。
人間には得意なこと不得意なこと、できることできないこと、やりたいことやりたくないこと、がある。苦手なことを矯正することも時には大事だと思うけどそれを受け入れて共存していくことも大事だと思った。妻は極端で視野が狭くて強欲でわがままでゆえに全体思考などバランスをとったりすることが苦手だけどそういうところを直そうとはもはや思わないし、何か極端なことを言われても下手に出てへこへこする技術を身につけよう。細部に気を取られていちいち相手にしても意味がない。寡黙で働き者で粛々と家事育児をこなす人間でありたい。朝起きて前夜の残った洗い物をする。ふとんの整理をする。ゴミを出す。パジャマを着替える。オムツを変える。掃除をする。夜。絵本を読む。ミルクをつくる。
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15
斗司夫ちゃんが「サイコパスは物事を抽象化する」みてーなこと言ってた動画があったんだけどさ、それって一理あるよね
例えばアテンションエコノミーって概念あるだろ?普通の人は「コンテンツに割く時間」って言われたら、動画とかSNSとかそういったものをイメージするわけ
ところがサイコはどう考えるか。「コンテンツ」という言葉を極限まで抽象化するわけよ
つまり、「友達」も「家族」も「ペット」も「仕事」もサイコにとっては「コンテンツ」になるわけ
「映画鑑賞したいから、家族というコンテンツは削減」という発想ができるのがサイコたる所以なのよね
もちろん一般人も自然に時間配分ぐらいはしているが、サイコがサイコであるのは、「親しい人間」を「コンテンツ」と呼んじゃうところ
こういう例って、探せば沢山ありそうだよね
経歴
ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャン(シンガーソングライター、ギタリスト)。
ニューヨーク郊外で会計士を営む実家に生まれ、シラキュース大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツに師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングのパクリのような曲を提供していた。
この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。
1964年に伝説のロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキングな歌詞と前衛的な演奏でカルト的人気を博した。
1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイのプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人「HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。
徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズとファンク、ラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。
80年代以降はシンプルな4ピース(ギター×2,ベース、ドラム)の骨太の演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。
その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタルの大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフな演奏にメロディがほとんどない歌声が乗る(しかも一曲が長い)作品は、特にメタリカのファンから酷評された。2013年に肝臓癌で死去。
作品紹介
この詩集は生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。
詩の魅力
ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リードの歌詞は明確、即物的・客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である。言葉遊びも少ない。
テーマはショッキングなものが多いが、それが詩の構造・精神にまで侵食せず、あくまで象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲のほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。
薬物
代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり
「ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生」
と、その表現は率直で容赦ない。
ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手(聞き手)には、自分が愛着をもち、人生の代替となる「何か」と置き換え可能な普遍性を持つ。
「ぼくは彼女がスコットランドの女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」
と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチックな失恋の歌なのだが、最後に
と突然血なまぐさくなる。
一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、
「おふくろに恋人ができた」という歌は、
「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」
「妹へ」という歌は
「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分の可愛い妹を愛してきた」
とストレートな愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。
79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、
「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」
「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」
と歌う「家族」(ルー・リードは父親を憎む発言を繰り返し、生前最後のインタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)
に続き、
「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」
と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。
好きな理由
露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的な目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。
自分の気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議な浄化作用を得られる。
自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、
「黒人になりたい/ナチュラル・リズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」
という、人によっては噴飯ものの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。
そして、ルー・リードがユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。
読み手/聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います。
以上
参考資料
(書影)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/
(楽曲)
(heroin)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg
https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk
(families)
https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s
(I wanna be black)
https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s
(sad song)
https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY
https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w
(the bells)
ChatGPTと哲学的に議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。
選択的夫婦別姓の議論は、単なる法律の修正にとどまらず、私たちが「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人の自由を拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤や排除が生まれうるという、自由そのものの逆説的性格に由来する問題である。日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後、民法は大きく改正されたが、戸籍の構造は根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式は一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態や女性の社会進出、国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択的夫婦別姓」への要望が強まっている。
一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度の一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍のなかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政的コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である。
ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である。改革に伴い、精神史的あるいは文化的な意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつのコスト問題といえるだろう。
選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択肢しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャーや説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。
W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度や技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスクを自己責任で管理・選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。
選択的夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人の自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属の根拠を失う不安」といった新たな社会的リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由と責任の過剰な個人化による孤立や不安——をも視野に入れる必要がある。
この現象は、韓国で2008年に導入された「個人単位戸籍制度(家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層からの批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人を単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。
むしろ、制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたことである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。
ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分の意思か?」「配偶者に強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線が生まれる。これは日常の選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。
たとえば、韓国の若年層においては、恋愛・結婚・出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉が流行し、さらに結婚・出産・恋愛に加え、家族・男性との関係・異性愛自体を拒否する「4B運動(非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度的改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動の担い手たちは、単に従来のジェンダー規範を拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのものを解体する動きを見せている。たとえば、4Bの参加者たちは、「家族に説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分で管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯と承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己の尊厳を保つという新たな主体性の表現がある。ベックのいう「選択の強制」への拒絶反応が韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。
こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦のブルース》(1969年)は、まさに「沈黙の自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである。選択の自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれた存在の叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動の文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。
一方で、この作品は、主婦という存在が社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治的意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から「沈黙は共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代〜70年代左派運動(ベトナム反戦、学生運動、階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙は共犯」とはサルトルの実存主義的倫理を象徴する言葉だ。
「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である。政治的主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティ」である。この「疲労の言葉」は、政治的正義の言葉ではすくい取れない主体の感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従や無知ではない。むしろ、言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己の尊厳と日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。
しかし、「語らないことを自分の意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙の自由のジレンマがある。
このような表現は、フェミニズムの文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体の論理を可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司の詩作にも見られる。たとえば阿部定事件を主題にした作品群では、語られすぎた欲望や暴力の物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体が存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会の暴力性を照らし出す存在として描かれる。
沈黙のうちに自己の選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦のブルース》と寺山修司の詩作は、「語らなければ存在しない」という制度的圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。
この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいかに尊重するかが問われることになる。
このような非対称性の問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいかに制度の中で位置づけるかという課題が生じる。
ここで参照されるべきは、社会学者チャールズ・ティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念である。ティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定のカテゴリーに分類し、その分類を通じて資源や権利へのアクセスに構造的な差異をもたらす。選択的夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分が制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会的境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人の選択が無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択の自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティの指標となり、当人の意思とは無関係に社会的評価や区分の根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的な排除や不利益への慎重な配慮が求められる。
こうした哲学的・社会構造的な視点を踏まえたとき、制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由や沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理と制度の交差点において、いかにして沈黙や非選択を尊重しうるかという、より深い次元の議論となる。
まず、レヴィナスは『全体性と無限』において、自己は他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者の沈黙に対しても、応答を要請される私たちの姿勢が倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者の沈黙を承認する制度設計の必要性と深く響き合う。
次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人は国家装置や制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度の文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である。
その一方で、他者の承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想である。ヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者からの承認を必要とするが、その承認は一方的では成立せず、双方が自己を表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己の確立を前提とする点で、自由と平等の理念を哲学的に基礎づける重要なモデルである。
しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者の沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このとき、ヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度的想像力は、まさにそこから展開されねばならない。
これら四人の思想家が示唆するのは、制度と主体の関係性における多層的な緊張である。ティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度がいかにして人々の行動範囲を構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体が無意識に構築されてしまうメカニズムを暴き、ヘーゲルは承認関係の対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択的夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度が個人をいかに分類し、語らせようとするか(ティリー・アルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係に倫理を見出す視点(レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由のモデル(ヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計の可能性を構想することができる。
理屈はそうだ。しかし果たして、語らない自由の保障を制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき、制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか。伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的なまなざしも有効な力になるだろう。
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母の体調が非常に悪いというので、実家に顔を出すことにした。
地元を出てから、ほとんど地元に帰らなかった。盆正月には帰って来いという連絡が入ってくるのを、ずっと無視してきた。
父は仕事がてら顔を見に来たことがあったが、母と弟に会うのはたぶん7、8年ぶりくらいになる。本当に没交渉なので、今何をして暮らしているのかも全く知らない。
大学まで出してもらった。親の恩は世間の相場通り、海より深いだろう。別に虐待を受けるでもなく、普通に育ててもらった。
ただ、仲良しこよしの家族ではなかった。母と弟は仲が良いが、あとはバラバラだ。別に会いたいとも思わないし、用事も無い。結婚するとかがあれば相談事もあるのかもしれないが、そんな予定も無いから、やっぱり家族に用事が無い。
たまにラインで、元気?と聞かれて、元気と答える。そうするといつ帰ってくるのかと聞かれる。時間も金も勿体ないのでそんなつもりはさらさら無いが、ハッキリ伝えるのも角が立って面倒なので無視する。そんなことを何年も続けてきた。
何だか悪いことをしているような気がするが、帰りたくない。嫌なものは嫌なのだ。それでも気分は悪くなるし寝つきもよくない。だから、母からのラインが本当に嫌で、家族が嫌だった。
「家族」に対する温度感の違いなのだと、自分の中で消化できたのは、わりと最近のことだと思う。
母は自分の親兄弟と仲が良かった。自分の子供にもそういうのを期待したのかもしれないが、俺は家族に対する愛着が薄くて、温度差がきつかったのだと思う。
そう思うくらい「家族」の嫌な部分がはっきりしていたから、今回、あんまり迷わずに、とりあえず実家に帰る判断をしたのだと思う。
さて、母がどういう状態なのかわからんが、俺に出来ることはあんまり無い気がする。
これを機に家族との距離感を変えようというつもりは、今のところ全く無い。金については、一時的に出せるものはあるし必要ならそうするが、継続して太い支援を続けるのは難しいだろう。
心理的にきつかったものを、ようやく振り切った気でいたのだけれど、今は別の形で重たくなってくる可能性が見えていて、悩みの種の重きはおそらく、母自身よりそちらにある。
なんだか、行ってもげんなりするだけのような気がする。
自分は性欲=愛情のタイプなので、彼女のことを愛していると思っていた
今はその気持ちが揺らいでいる
性欲でしか女の人を見られないのかと、自分でも自分にがっかりしてるが、好きな人とセックスしたい、できないと愛情が湧いてこないのも正直な気持ちだ
人間としては好きだしずっと一緒にいたい、心地よい関係だなと思っているが、セックスのない愛はなんとも虚なものだなと思っている
同棲開始とともにセックスレスになった理由としては、彼女が連れてきた猫のせいもある
帰宅しても30分は猫にかまい、就寝前も寝入るまでずっと猫に構う
セックス中でさえ、猫が甘え声を出したら中断され、取りやめになったことが何度もある
そういった「あっ自分の優先順位ってこの人の中では下なんだな」って思うことが日に何度も現れるようになって、彼女と疎遠になっていった
日に1時間でも、自分だけに集中してくれて愛してくれていると実感できたら良いのだけれど、猫と離れがたいらしくずっと一緒にいる
猫可愛いし仕方ないな、こんなおっさんより猫に構い構われてた方が幸せだもんなと、自分でさえ思うので改善しようがない
世のお父さんお母さんたちも、こんな経緯で「家族」になっていくんかな
定期的にセックスして、愛し合って、お互いに一番に大事にしあって生きていく人と出会えたと思っていたが、そんな夢物語はなかった
「金持ってる奴だけがマトモなケアを受けられる世界」の話なら、放っておいてもこれからそうなってくだろうけどね
保険の使い所をちゃんと考えて是正していけばもうちょっと行けるんだろうけど
金持ってるジジィババァが保険使って介護受けてるとかおかしいし
(お前らが有料のサービス受ければ保険サービスの枠が空くから、ソレを使える貧乏老人が沢山居るのよって思うわ)
本当に必要な人間が保険を使うべきだよね。医療保険は基本的にそうじゃん。怪我も病気もしてないのに保険使わんだろ。そして使う場合も不必要な薬を出さないとか色々制限かけてるだろ
介護サービスに関しては金の管理なんて出来るわけがない認知症老人の「家族」が「親の金を少しでも残しておくため」に保険サービス使うからねえ
「ゆくゆくは終身の施設に放り込まないといけないから、その時の金を残しておかないと」ってのもあるだろうけどね
本人の年金でまかなえるかもしれない特養に入れるとは限らないからね。有料の終身施設利用料は天井知らずだからなー
まあ、本人の財産に合わせてちゃんと「お前は有料」「お前は保険」って国が振り分けるべきよね
介護が必要になる前、現役世代の段階でそれを振り分けとかないとね。必要になった時に振り分けるのでは遅い
(そうすっと「オレは保険使えないのに払う意味わかんね」とかって声だらけになるのが目に見えて草)
いずれにせよ「自分はケア不要なまま人生完走出来るからいいもん」
って考え方は雑すぎるよね
身近にLGBTQの方がいらっしゃったりして、(無意識のうちに、あるいは意識的に)「色んな性的指向を持つ人もいるし、それでもいいよね」って考えを内面化している人にとっては、同性愛に対する忌避感は生まれにくい。一方で、「異性愛が普通だ」という価値観を内面化している人にとっては、その価値観に反する同性愛に忌避感を抱いてしまう。
いとことの結婚も同じだと思う。おそらく生物学的にも、現代の道徳感的にも、「家族と結婚するのはよくない」って考えは一般的に共有されているはず。その上で、いとことかなり近い距離感で接してきた人にとっては、いとこはほとんど「家族」に他ならないので、結婚なんて、となる。しかし、いとことそれほど付き合いがない人にとっていとこはあくまで「他人」なので、法律が禁止してなければいいんじゃね、くらいの発想になるんじゃないかな。
当たり前っちゃ当たり前の話であるが。
犬とか猫とかペットはみんな好きやろ?
たいして責任もなく可愛がれる動物ってのはかわいいもんで幸福度あがる
そういう責任のない子育てを経験することで、子供が欲しいと思うようになるんよな
責任のない子育てってなんや?そんなんどこで出来るんやって話だけどさ
それが実は「家」の中なんだよ
兄弟が多ければ年の離れた兄弟が出来るし、「家」の繋がりが強ければ親戚も多くて必ず自分よりもかなり年下の「家族」が出来ることになる
しかも、その「家族」で子供を育てる責任を分散させるから、子育てが楽しいものになっちゃうんだよな
これが夫婦で責任を背負い込んでなんなら、夫も手伝ってくれないとなると、子育ての責任が重くのしかかってきて子育てが重労働になる
エピソード9では障害を持つ弟との向き合い方に悩む冨永さんの話しが少し入ってた。
自分の境遇と似てるなぁと思いつつあと何十年かすると親が高齢になったり他界していなくなり、障害者の弟の後見人になるんだよなと俯瞰して思ったりね。
私が小学二年生のとき弟がうまれた。先天性の障害があり、家庭が弟中心になった。
家族で障害児のケアをしなければ…みたいな事になり自立が早かった気がする。
両親2人で世話ができるようになってからは家を出てやっと平穏になった。
けど、母が末期癌で倒れたときは、迷わず弟が生涯暮らせる施設をなりふり構わず周りを頼って探し回って入居させた。
父が倒れた時も行政にいくら頼っても私1人では介護出来ないし、介護離職だけは避けたかったので実家の不動産を売却して介護施設の入居費を作った。
父が他界したあと、施設で寂しかったかもなと多少は思ったけど良い施設で贅沢出来たのではないかと思う。
介護そのものはしなかったけど、よく通ったし元気だった時は外食や買い物へも連れ出すなど、かなり時間を割いた。いつ急変するかわからないと思うと旅行にも行かなくなった。
実家を売却した資金だけでは心許なかったのでわたし自身もたくさん拠出した。
そんな生活が6年続いて、数年前に父も他界して自分の役割は終わった。
でも弟の成年後見人をしている。時々施設に同意書の書類を送ったり、年に一度は家庭裁判所に資産の報告書を提出している。
会ったとしても「久しぶり」とか「元気?」などいう会話ももしかしたら感情もないので必要とも思えない。
御上先生がいってた「弟さんが応えてくれるとは限らない」はほんとにそう。
成年後見人として、戸籍上の姉としてするべきことはするけど、姉と弟という関係は築けなかったせいか「家族」とか「弟」に向ける愛情はほとんどない気がする。
「わたしの家族である両親」と「弟の家族」と分かれていて隣の家庭の人というイメージなのだ。
両親がわたしに愛情を注がなくなったとかはなく、何不自由なく育ててもらったし感謝しているし今も他界した両親を愛している。
私はかつて、田舎の小さな町で育った「ドブス」だった。鏡を見るたびに、自分の平凡な顔にため息をつきながら、それでもどこかで「努力すればなんとかなる」と信じていた。受験で一般入試で東京の有名大学に合格した。
大学に入学してすぐ、新橋のガールズバーで働き始めた。昼間は大学、夜は水商売。
客の酔った笑い声に合わせて愛想を振り撒きながら、私は内心で別の夢を育てていた。新しい顔で新しい人生を手に入れる。それが私の脱出計画だった。
何年かかけて貯めた金は、全部まとめて美容外科のカウンターに置いた。鼻を高く、目を大きく、輪郭はつるんと卵型。痛みと腫れに耐えながら、私は鏡の中の「新品の私」に初めて満足した。
整形後の顔は完璧とは言えなかったけど、少なくとも「ドブス」からは脱却できた。自信が湧いてきた私は、満を持して就活を始めた。そして驚くほどトントン拍子に事が進み、自分が生まれた田舎でもみんな知っている有名企業に入社した。
元々の頭が良かったわけじゃない。ただ、顔がそこそこ整って愛想が良ければ、面接官の目は優しくなる。それだけの話だった。
東カレデートで出会った彼は、外資系企業に勤めるエリートだった。20代半ばで付き合い始め、彼がプロポーズしてきたとき、差し出されたのはグラフの1ctダイヤが輝く婚約指輪。あまりの眩しさに目を細めながら、私は「これが私の価値だ」と錯覚した。
結婚式はパレスで挙げた。白いドレスに身を包み、ライトの下でゲストの拍手を受けたあの瞬間、私は田舎のドブスがとうとう全てを手に入れたと信じた。夫の年収は私の想像を超えていて、20代でこんな人生を掴んだ自分に酔いしれた。
子供が生まれたのは、結婚から数年後のことだ。出産は想像以上に私を疲弊させた。産後の体は、整形ではどうにもならない部分まで変えてしまった。若い頃の下駄――美しさという武器が、みるみるうちに剥がれ落ちていく感覚。鏡の中には、かつてのドブスが少しずつ戻ってくるような気がした。いや、それよりもっとひどい。疲れ切った目元と、弛んだ頬。夫の視線が冷たくなったのもその頃だ。外資系企業で多忙を極める彼は、私を「家族」として扱うけれど、かつての熱い視線はもうない。グラフのダイヤは光っていても、それはただの装飾品でしかない。
そして、子供を見て、私はさらに絶望した。夫の整った顔立ちではなく、私の元の顔――整形前のドブスな遺伝子が色濃く出ている女の子。
平べったい鼻、低い眉、どこか間の抜けた表情。夫に似てくれれば、私のコンプレックスは帳消しになったかもしれないのに。そう思うたびに、胸の奥で何か黒いものが蠢く。それだけじゃない。幼稚園に入った今、子供の頭が悪いことも明らかになってきた。
ほかの子がスラスラと数を数えたり、簡単な絵本を読んだりする横で、うちの子はぼんやりと口を開けている。ママ友の「もうこんな言葉を覚えてて」の自慢が、私には嘲笑にしか聞こえない。自分の子供が私に似て醜くて頭が悪いなんて、耐えられない屈辱だ。
愛情を注ごうとしても、鏡を見るたびに過去の自分を思い出して憎悪が湧く。私はこんな子を産むために、ここまで頑張ったのか?いくら早期教育に通わせても、遺伝の壁は越えられない。子供のデキは、エルメスのバッグと同じだ。努力で手に入るものじゃない。生まれ持ったものか、運次第でしか手に入らない。
私は必死に店に通って「エルメスパトロール」を繰り返し、運良くバーキンを手に入れた日にはSNSでさりげなく自慢した。でも、周囲のママ友たちはそんな苦労とは無縁だ。外商経由で難なくオーダーしたり、親から譲り受けたヴィンテージのケリーを当たり前のように持っている。彼女たちのカジュアルな「これ、お母さんのお下がりなの」という一言が、私の努力を一瞬で嘲笑う。
それだけじゃない。家柄でもルックスでも、私は周囲にまるで歯が立たない。東京の芸能人やミスコン出場者みたいな華やかな顔立ちとは比べ物にならないし、整形したところで生まれつきの品の良さや骨格までは買えない。私の実家は田舎の平凡な一軒家で、先祖代々の何かがあるわけでもない。一方、ママ友の中には、由緒ある家柄出身で、自然な美しさを備えた人たちが平然と混じっている。彼女たちには、私が整形と努力でやっと手に入れたものが、生まれたときから備わっているのだ。
整形費用を稼ぐためにガールズバーで働いた日々も、バーキンを手に入れるために費やした時間も、彼女たちの前ではただの滑稽な足掻きにしか見えないのだろう。嫉妬が胸を締め付けるたび、私は自分がどれだけ脆い土台の上に立っているかを思い知る。
階級闘争なんて、所詮は金と時間と生まれのゲームだ。私が手に入れたものは、一時的なチケットにすぎなかった。子供が大きくなればなるほど、階級闘争に勝たせなければいけないという重圧がのしかかり、その子が私の足を引っ張る存在にしか思えない。夫は外資企業で稼ぐけれど、いつクビになるかわからない。
SNSで流れてくる同級生たちの田舎暮らしの写真を見ても、かつての軽蔑は湧かない。むしろ、妬ましさすら感じる。あのまま田舎に残っていれば、こんな虚しさは味わわずに済んだのかもしれない。
今、私は転落しつつあることを感じている。美しさという下駄を失い、若さという期限切れのカードを握り潰し、東京への憎しみを抱えたまま、それでもまだ何かを取り戻そうと足掻いている。
でも、正直なところ、もう疲れたのかもしれない。田舎のブスが都会で夢を見た代償は、あまりにも大きかった。パレスでの誓いの言葉も、ダイヤの輝きも、バーキンの革の手触りも、結局は遠い過去の幻にしかならない。
Permalink |記事への反応(30) | 19:06
増田名物認知症家族が辛いエントリー上がってたので久々に記事見返したけど、やっぱこの記事の方で誠実な方やな。実は「暴言暴力家族本人のQOLも上がる」は私の正直な意見でもあるんよな。
父を精神病院に入れた直後一度だけ病院側から面会要求されてあったのよ。その時の父は介護拒否していた時のような風呂にも入れずオムツも替えれない不潔な状態でなく、風呂もオムツも髪も綺麗にされ、食事や投薬を受けて顔色の良い姿だったのよ。それ見て「まともだ、人間に戻った」って思った瞬間なぜか涙出たのよ。
そんな娘見た父は「なんや泣き落としか」って言葉しかかけれなかったんだけどね。昔から家族は自分の使用人、母に至っては女中みたいな態度しか取れない父だったんで、今更どうこう言う気持ちも沸かなかった。ただそんな父見てもやっぱ涙は止まらなかったね。私の立場から見て病院行った後の父の生活のQOLは、私たち家族、父から見たら女中や使用人が関わるより人間らしくなったとしか見えなかったのよ。
そんな父も少し前に鬼籍に入った。父にとっても私にとっても、どんな状態がベターやったかは正直わからへんね。ただ死ぬ直前の父は母に対して女中ではなく、長い間連れ添ったパートナーへの気持ちを表してたから、ちょっとは「もうええかな」っておもえたかな。ほんの少し「家族」らしかったかね。
妻がめちゃくちゃ保護者会とかママ友付き合いとかに熱心なんだけど、最近マジで会話の9割がそれになってる
「来月の園のイベントで〜」
俺が仕事で何かあったとか、ちょっと愚痴こぼそうとすると「そんな話よりさ!」ってママ界隈の話にぶった切られる
そんで当然のように俺も巻き込まれる
「パパさんも手伝ってくれると助かるんだけど♡」って感じで
最初は軽い気持ちで運動会の準備とか手伝ってたけど、気づいたら俺のLINEにもママ友(の夫)が追加されてて、今度のイベントの役割決めだの、誰が何を持ち寄るかだの、知らん間にパパ枠の一員になってた
なんつーか、俺の存在、今「○○ちゃんパパ」って肩書きしかなくね??
夫婦の会話も、妻が「チームママ」のキャプテンになってからほぼ業務連絡
なんかもう「家族」ってより「PTA運営チームの一員」みたいな感じになってきた