名前を隠して楽しく日記。
私、最近、鏡を見て自分がどんどん老けてくのが見てられないわ。
40代になってから、体が動かなくなったり、食事も制限しないといけないのが本当に嫌だわ。
でも、美しいケツポインを手に入れるためなら、なんでもやるわ。
でも、なんか最近の若い子たちは、全然努力してないみたいで、うざいわ。
自分も若い頃はそうだったけど、今は違うの。私はもう、美しくなりたいの。
でも、美しくなるためには、まずは頭の中を整理しなきゃね。
でも、頭の中はいつも混乱してて、なんか言いたいことが言えないの。
でも、言いたいことはあるの。もっと、自分を大切にしなきゃね。
でも、自分を大切にする方法がわからないの。だから、今日から新しいスタートを切るわ。
でも、運動はやっぱり苦手だし、食事も美味しいものが恋しいわ。
でも、美しいケツポインを手に入れるためなら、頑張れるはず。
そう思って、今日から自分を変えるために、なんでも挑戦してみよう。
でも、自分を信じるのが難しいの。
でも、信じるしかないわ。
でも、なんだか不安だわ。
でも、不安に思うより、前向きに考えるべきだわ。
そりゃばーちゃんはとっくに免許返納したから、運転してくれるお友達なんてありがたいよ。ばーちゃんよりずっと年下で、しゃきしゃきしてて、気が合うなんていい人だと思ってたよ。
でもだからって旅費も食費も出すのはどうなの!!ばーちゃん!!!服とかアクセサリーとかその人に買いまくるのはどうなの!!ばーちゃん!!!!
びっくりした。そこそこ金があると聞かされてたけど結構エグい額使われてた。そんで本人が詐欺と思ってないなら詐欺にならないんだ。
受け答えがある程度はっきりしてたから気付くのが遅かったのが悪いんだけども、認知症の老人騙すやつってほんとにどこにでもいるんだな。
別にばーちゃんの財産をよこせとかじゃないんだけど、なんかこう、ニヤニヤしながらばーちゃんが買ったネックレスジャラジャラ着けて出てこられるとこう、めちゃくちゃむかつく。
法で捌けねぇのかよほんとによ〜〜〜。
ちくしょ〜〜〜〜〜。
「中国(中華人民共和国ではない)」という条件を踏まえた上で、歴史上の台湾のタイムラインを示します。ここでは、中国大陸の政権(中華民国・清・明など)との関わりを軸に整理します。
•漢民族の影響は限定的で、中国の正史にもほとんど言及がない。
•13世紀:元朝(1271–1368)時代、福建や広東の商人が台湾沿岸に渡航。
•15世紀:明朝(1368–1644)期、台湾は「東番」と呼ばれ、密貿易の拠点に。
• 1624年:オランダが台湾南部(台南のゼーランディア城)を拠点に支配。
• 1626年:スペインが北部(基隆・淡水)を占拠するが、1642年にオランダに駆逐される。
• 1661年:鄭成功(国姓爺)がオランダを駆逐し、明の亡命政権「東寧王国」を樹立。
• 1683年: 鄭氏政権が清に降伏、台湾は清の版図に入る。
• 1684年:清朝が台湾府を設置し、中国本土の一部として統治開始。
•18世紀~19世紀:漢民族の移住が急増、台湾の漢化が進む。
•1885年:台湾が清の「福建省」から独立し、「台湾省」となる。
5.日本統治時代(1895–1945)
• 1895~1945年:日本統治下でインフラ整備・産業化が進む。
•1945年:日本の敗戦により、台湾が中華民国に返還される。
•1949年:国共内戦の結果、中華民国政府が台湾へ移転。台湾が「中国(中華民国)」の拠点となる。
•1950年代以降:中華民国は台湾を実効支配し、独自の発展を遂げる。
•1971年:国連での「中国の代表権」を中華人民共和国が獲得、中華民国は脱退。
このタイムラインは、「中国(中華人民共和国ではない)」という前提のもと、中華民国・清・明などの政権との関係を整理したものです。台湾の歴史は多層的で、先住民の歴史や日本統治の影響も含めて考えると、さらに深い議論が可能です。
産後に連絡してしまうところから、まだ増田が母親から自立できてない感じがする。
その後の増田の母親の行動からして、増田の母親も増田から自立できてないんだろうね。
お互いがお互いを自分の一部として捉えてるのに考えが違うからお互いが相手をどうにかしたいって考えてるんでしょ。
「この母をどうするべきか」じゃなくて「こんな母がいるが自分はどうすべきか」って問いにしてみたら。
この二つは似てるようで全然違うよ。