名前を隠して楽しく日記。
ワイは母親がいない子のために母の日の学校行事は中止するという意見に対して
子持ち「なんでヨソの母親の死んだどうでもいい子供のためにうちのイベントが潰れなきゃならないの、わきまえろよクソガキ」
と堂々とのたまうのを見てから
中国軍は台湾周辺で大規模な軍事演習を実施し、空母「遼寧」も参加しています。
中国軍の演習に対し、欧州各国は自制を求め、「対話による解決」を呼びかけています。
行き過ぎた自然派ママをバカにするコメントに、腹を立てている人がいた。「子どものことを愛してるから何かできないか考えてそうなったのに、馬鹿にする人はそれを考えてない。子どもを愛する母親の気持ちに寄り添ってない」まあ、確かにそういうところはあるだろう。馬鹿にしたい人は、馬鹿にして気持ちよくなりたいだけで、子どもを持つ親の不安なんて気にはしてないだろう。でもこの言い分は嫌いである。愛を人質にとり、愛の価値を毀損している。愛ゆえに子どもを害するなら、それは「有害な愛」である。愛さない方がよかった。その愛は悪徳だった。反社会的な愛だった。ゴミみたいな、ゴミよりもなおひどい愛だった。それでいいか?それは嫌だ、と思う。愛は良いものであってほしい、と思う。だから悪かったのは愚かであることなのだと。知性が足りなかったことなのだと言いたい。愛の価値を守りたい。だから愛を言い訳に、人質にとるな、愚かな人たちよ。
押し返されるのもあるよね。でもそれだって別の方から受けた(自分発じゃない)押しだからどうにもならないんだ。
映画とかドラマとかで事あるごとに俺達は強いぜ!ってアピールしてる癖に
知恵遅れ以下で陰謀論に騙される社会のゴミ共やそいつに選ばれた独裁者気取りで言論弾圧までし始めた低脳ボケ老人やそいつをトップにして神みたいに崇めてるキチガイカルト政党が湧いても
最近彼氏との衝突を避けたくて思ったことストレートに言えずにもやもやを溜め込んでてしんどい。たぶん向こうもそう。価値観が合わないとき、素直に価値観すり合わせて建設的な解決したいのに、否定されることが怖くなっちゃって逃げの一手を打ってしまうのがしんどい。根幹に関わる価値観であればあるほど、すり合わせるんじゃなくて私が合わせるしかないってのもわかってきてしんどい。衝突して強めに言われて泣いてしまって気を遣わせてるのもしんどい。そのせいで発火しないように婉曲に微妙に伝わるか伝わらないかくらいの皮肉を混ぜて溜飲を下げてしまうのもしんどい。
彼氏は時々机を叩いたり大声を上げたりする。頭が良い人なので、相手を的確に傷つける言葉を理解ってるし言ってくる。それに影響されて、同じように傷つける言葉を身に着けてきてしまってる自分が嫌になる。ちゃんと向き合おうとした時期もあったけど、最近は疲れてきてしまってもやもやを溜めたまま含みのある言い方で相手を傷つけてる。本当によくない。まっすぐ思ったこと言い合って解決できる関係が理想だし目指していきたいんだけど。
でも一緒にいたいんだよなあ。どうしたらいいんだろうなあ。という独白。