自分の機嫌を自分で取るっていう言葉、何年か前にSNSで流行り出してからよく聞くようになった。賛同している人も多い。
だが自分はどうしても無理だ。聞くたび体の奥が冷たくなるような感覚に襲われる。
社会は理不尽だし、人間関係は予測できないし、自分ひとりで全部背負うなんて無理に決まってる。
朝起きて仕事に行って、理不尽なことを言われて、表情一つ変えずに笑ってやり過ごして、そのうえで「自分の機嫌くらい自分で取れ」なんて。どこまで求めるのか。感情労働を100%肯定していないと出ないような言葉だ。
そもそも機嫌ってそんな簡単にコントロールできるものじゃない。理由がある。積み重なってる。怒りや不安や絶望の背景にはちゃんと原因がある。
それを全部無視して表面的に「なんとかしろ」って言われても無理に決まっている。
しかもその言葉を使う人の多くが自分の快適さのために使ってる。
社会に適応しすぎた結果、自分の痛みに鈍感になるような言葉になってしまってる。
本当にしんどいとき、「自分の機嫌すら取れない自分」がさらに責められる。
ダメなやつ、甘えてるやつ、成長してないやつ。そう思ってしまうように仕向けられる。
外側の世界とぶつかって、疲れたときは誰かに寄りかかりたくなる。
それを否定するような言葉がどうしてこんなにも正論として広がってしまったのか。
一度考えてほしいのだが、「機嫌がいい」のはそんなに良いことなのだろうか。
時には自分の機嫌の悪さと向き合い見つめ直す、それを受け入れる姿勢を人に求めてもいいのではなかろうか。
他者との関係が希薄化し、関係を可能な限り持ちたくない、それゆえすべてを自己責任に押し付ける。
「自分の機嫌すら取れない自分」がさらに責められる。 ありのままの自分を受け入れるよう訓練するんだよ
「自分の機嫌は自分で取れ」っていうか、正確には「自分の機嫌を他人に取らせようとすんなボケ」かな。
ほなお前使ってストレス解消してもええんか? 愚痴で時間奪ってええんか?
別に機嫌を取る必要はない 他人に不機嫌を出さないだけでいい(機嫌よくあれまでは求められてない)