偉業を行って死んだ人間と、何も成さずに死んだ人間との間に違いはない
どっちも同じ、すでに死んだ人間だ
偉業を成した人間は、偉業を成した人間にしか見えない風景を見、偉業を成した人間だけが感じる喜びや達成感を感じる
何も成さなかったゴミクズのような人間は、ゴミクズのように生きた人間にしか見えない風景を見、ゴミクズのように生きた人間だけが抱く葛藤や絶望を感じる
人間の存在の意味というのは、根本的には「そんなものはない」なのだが、もしあると仮定するのなら、それは「経験する主体であること」になる
どのように生き、何を手に入れ、何を手に入れなかったにしろ、その過程を主体として経験したということは唯一無二なのである
誰にも代わることができない
そして経験という名の一瞬のニューロンの発火以外の全てのことは大体のことが大いなる茶番で、飾りで、枝葉で、空虚なフィクションみたいなものだ
ノーベル賞を獲った学者も、推し活に明け暮れる腐女子も、大統領も、競馬ですっからかんになったじじいも、統合失調症の妄想の中で生きる人も
本物なのはその時内面に起こった反応だけで、現実の世界で誰が何を発見しようが、尊敬されようがされまいが、いくら儲けようが一文無しだろうが、同じなのである
百年経ったら誰も生きていない
みんな等しく死んでいる
それだけが事実であるのに、「その存在が人類文明に貢献した」だの「生産性のある人間だった」だの「女にもてた」「事業に成功した」「後世に名前が残った」だの、どれほどの意味があるというのか
われわれが経験できるのは、生きている今この一瞬だけなのであり、それが死ぬ寸前まで続き、死んだら終わる、それだけなのである
皮肉にも、ああ死にたい、もう何もかも嫌になった、という感覚を経験することさえ、今私が生きているために発生している唯一無二のものなのだ