都内某ターミナル駅で目的のホームに向かおうとしたら階段の時点で人があふれており、ホームにいたっては劣悪な家畜小屋のように人間がごちゃごちゃになってうごめいていた。
ただ、ターミナル駅なので降りる人も多いため、電車がやって来て中の乗客を吐き出せば、ホームで待っていた膨大な人々をそれなりに飲み込んでしまうすごさがある。降車する人でホームがパンクするかというと、電車が来た後はむしろすっきりしているぐらいで、すげーな、と思いつつ、俺も自分の乗る電車をホームで待つことにする。
電車を待っている人たちの列に着く。電車が来る。列が動く。俺は前に進みつつ、到着しているいまの電車は見送ることにした。体を押し込めないと入らない気がしたからである。
俺の前に並んでいた人たちはみんな停まった車両に乗り込んだ。結果として、俺が「黄色い線の内側」の列で先頭になった。
さて、俺が立ち止まってからも、いま停まっている電車に乗り込もうとする連中がおり(少し乱暴な呼び方だがこう呼ぶ)、乗車口に向かっていく。
車両の許容量はぱっと見で明らかに臨界に達しており、どう見ても乗れるわけがない。無理なものを無理に乗ろうとする者、「あ、これは無理だな」と遅ればせながら途中で悟った者などが逡巡ののちに乗車を断念し、だらだら車両から離れる。ホームドアが閉まって電車が出発し、結果としては、この連中が列(というか、こいつらのせいで列という既存の形態はあいまいになり崩壊したため、「群」)の先頭になる。
うん? と思ってどうも釈然としない。
これから次の電車が来るわけだが、そのとき乗車する順番は、「明らかに乗れるはずがない電車に乗ろうとして上手くいかず、あきらめて後退して列の後ろにも戻らず、乗車口(兼 降車口)の正面で待機している人たち」が先になるのだろうか?
それ、面白くねえな、と思う。要素がいろいろ複合しているが、単純に「列に並ぶ」という点で順番を抜かされているだけで面白くない。
いちいちこう書くのも偏執的だが、まず、すでに並んでいる列を抜かして先頭に立とうとしたらおかしいし、一回電車に乗ろうとしていた、というイレギュラーがあるからといって、「乗ろうとして乗れなかった者は列で並んでいる人の順番を抜かして集団の先頭で待っていてよい」ルールなどない。
ただ、と一方で思う。
俺は、じゃあ、この場にどういうことが起こるべきだと言いたいのか?
例えば、乗ろうとして乗れなかった連中が、あきらめて全員列の後ろに並び直せばよいのか?
さらに一つややこしいことを言うと、乗車口(=降車口)の前で滞留している連中にも理解の及ぶグラデーションがあって、一番前にいる者の気持ちはわからなくもない。
見たところ明らかに無理、でも、すでに中にいる人たちが頑張って詰めてくれれば一人分空くだろう、という心情は、実は理解できる。明らかに無理なことが実際に無理だっただけである。
しかし、この人にあとから続いてきた者たちのことは、もう全然わからない。自分の前にいるやつからして明らかに入れないのだから、自分が入るわけがない。後方に行くほど理解できず、前からの距離に比例してトンマだと思う。
で、これを加味すると、俺が望んでいることは何かというと、後方から乗ろうとした連中はあきらめて列に並び直す。ごくごく前方にいた人のみ、「あいすみません…」という感じで、列そのものの先頭ではないけどもなんとなく前方で次の電車を待つ。そういうことになるのか。
そんなことが起きるわけがない。全員が列の後方にすごすごと戻る、ということもないだろう。そういう分別があるなら、そもそも、前段階である「明らかに乗れない電車に突撃」自体が起こらない。
にもかかわらず、そうあるべきだ、というのは、自分でも起こるわけないと理解している「べき論」を盾に相手を論難しているわけで、おのれの正当性に偏重しすぎて、おそろしく非生産的な気がする。
電車のホームで起きていることは「列で並んで待つ。他の人を抜かさない」という空間的なシステムが愚か者のせいでぐしゃぐしゃになる話だが、時間的にも似たようなことは起きる。
というか、散々書いてきてあれだが、俺こそよく、時間的な意味で、「システムを壊乱する」側である。要するに締切の話である。
例えば締切が9/25だとして、俺は「とはいえ、9/26の早朝までは大丈夫ですよね?」ということをやらかす。
実際、それで助かることは多い(もちろん、他の人には負担をかけている)。自分が迷惑をかける側になってみると、システムにも遊びがあった方が助かるな…と思う。ある程度だらしなく、関わっている者全体がお互いのルーズさを飲み込んだ方が便利である。
ただ、時間的にだらしない俺が言うのもなんだが、
・締切は9/25です。
⇨とはいえ、9/26の朝までに出せばいいですよね?
・はい。本当の締切は9/26の午前です。
⇨ わかりました。じゃあ、9/26の午後イチではどうですか。
⇨ありがとう。ところで、実は…
となって、果てしなくシステムがメルトダウンしていき、ルールを守ることをナメるやつが出てきて、真面目な人が損をする。それはよくないので、やはり仕組みは仕組みとして明確に切るべきなのか(卒論の提出など、意味合いが深刻なものほどそうなっている)。
うーん、と思っているうちの次の電車が来る。ターミナル駅なので大量の人が降りてきて、降車口の前にいる連中は思いっきり邪魔になっている。その連中が脇にのくスペースをつくるために俺も脇にのくが、これで列がより曖昧になり、もう列で並ぶとか意味ないじゃん、と思う。
その連中が乗り込んで、あとから俺も乗る。仮にの話だが、もしこいつらの乗ったために車内がいっぱいになり、この電車も見送らないといけなかったら、俺は相当ムカついただろう。だろうが、「ちゃんと並べ」という俺自身、別のところではヘラヘラやっているため、どの立場で何を怒っているのやらよくわからない。
関係あるようなないような話だが、最近、都内駅構内のエスカレーターで右側を歩く、という慣習が弱まっているような気がする(気がするだけかもしれない)。乗ろうとするエスカレーターを見上げて、妙に静的なので、うん? と思うことが増えた。