[B!] 「山田尚子監督アニメ映画『きみの色』から考える―長崎を表象することの加害性と呪縛について―」|myaao000
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/deft_stoat9234/n/n5770b217546a
じゃあ当然「気楽に批判される」のも受け入れるべきだろう。
山田という監督にはそういう芯の無さを感じている。ずっとずっとだ。
「オマイラこういうの好きだろ?」という軽い口当たりのそれ。
オマイラの憧憬を、美しい画像とエフェクト、画角の表現技法で突き詰める。
『きらら』ならいいのだ。『きらら』は天ぷらの衣を食う作品群だからだ。
だがオリジナル(監督=料理人)となれば別だ。衣は売りじゃねぇ。
だからこの批判は「当たり前に刺されるだろ(笑)」としか思わん。
大いに批判されるべきだ。
天ぷらの衣を食いたい奴はそうしてろ。
だが、長崎に思い入れのある人がこれまでの山田の手法から「どのように長崎を書く/描くのだろう、それも夏の長崎を」という考えを持つのは止められない。そして批判の口は閉じられない。
「Not4Meは黙れ!」っていう口封じは一つ正しいが、必ずオマエラに突き返されるだけだ。
何しろアニメ作品は天ぷらじゃないからな。天ぷらなら「中身の具が入っていません」の批判は成立するが、
長崎を愛している人、長崎を見ている人からは、「長崎を見ないどころか、ただのダシにしてますよね?」「長崎はあんたの承認装置じゃないんですよ?」と言われて当然であろう。
あの女が何を言うかは知らんが、伸ばした挙げ句がこの内容だ、何も言わんだろうな。それが処世術だということ。邪悪である。