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2025-06-28

フリーセックスに参加したことがある

アメリカ暮らしていた数年間のうちの一時期、所謂セックスポジティブコミュニティに身を置いていたことがある。

場所カリフォルニア州北部名前は伏せるが、山のふもとの広い敷地ロッジや共用スペースが点在する、ちいさな共同体だった。

そこでは「フリーセックス」という言葉はむしろ使われていなかった。代わりに「コンセンサル・ラブ(同意のある愛)」とか、「コンパッション共感)」とか、あるいは「ボディ・トラスト身体的信頼)」なんて言い回しを好んで使っていた。

最初は少し戸惑った。夜に開かれるパーティは予想していたより開かれていて、人と人との距離が近かった。

そこにあったのは奔放というより、無理をしないでいることが徹底されている空気だった。誰かと目が合えば、まず微笑み、名前を名乗り、軽くハグする。それだけで終わることも多かった。

誰かが誰かと親しくなることは咎められなかったし、逆に断ることも自然だった。

断るという行為のものも、ひとつの誠実さとして受け止められていた。驚いたのは、全員がそれをちゃん理解していたこと。日本での人間関係よりも、むしろ明確で潔く感じられた。

住民の多くは芸術家セラピスト、あるいは会社勤めを辞めた人だった。多くを語らない人もいたけれど、ひとつだけ共通していたのは、こういう形のつながりを、いま自分必要としていると自分言葉で語れることだった。

共同体暮らし始めて、2か月ほど経った頃だった。自分でも気づかないうちにあるひとりの住人との距離が他の誰とも違うものになっていた。歳は私より十ほど上で、朗らかで、どこか憂いのある笑顔の人だった。

私たち自然と親密になっていった。周囲もそれを特に止めるでも、祝福するでもなく、静かに受け入れていた。そういう場所だった。関係オープンで、他の人と関わることも禁止ではなかった。でも私の中では、だんだんとその人だけが中心になっていった。

それが良くなかった。

最初は「これは自由関係だ」と自分に言い聞かせていた。

でも時間が経つにつれて、私はその人の言葉、機嫌、目線、予定、全てに過敏になっていった。

他の誰かと話しているだけで心がざわつく。名前を呼ぶ声を聞くと胸が苦しくなる。

自由のはずの関係が、私にとっては不安定同義になっていた。

私は依存していた。

そしてその依存は、相手にとっては重荷だったのだと思う。

ある日、「ここでは、もっと軽く在っていいんだよ」と唐突に言われた。

軽く在る。それができない自分に気づいた瞬間、私はそこで一気にバランスを崩した。

それから誰とでも夜を共に過ごし、翌朝には別の誰かがキッチンコーヒーを淹れている。

ここでは欲望は抑えるより受け入れることが是とされていることをようやく理解したように。

しかし誰かと関係を持つたびに、心がすり減っていくような感じがあった。

本当は誰か一人と深く繋がりたかったのかもしれない。私は開かれたふりをして、どんどん空っぽになっていった。

十数人。名前をすぐに思い出せる人もいれば、あいまいな人もいる。そのすべての関係が嫌だったわけではない。やさしさも、温もりも、たしか存在していた。

数週間後、私は共同体を出た。

日本に帰ってから、あの場所のことをうまく人に話せたことはない。

誰も拒絶しない場所のことを。

あの夜の、焚き火のまわりに人が座り、静かにギターが鳴っていた時間を、私は今でもたまに愛おしく思い出す。

Permalink |記事への反応(1) | 15:36

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  • 「愛おしく思い出す」ならいい思い出なんだね。へ~そんなのあるんだ~。映画とかでありそうだけど知らないな

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